「先輩! 絶対にその人の刃物に触れないでください!!」 「……っ!?」 鼓膜を|劈《つんざ》くような、少女の切羽詰まった警告に、僕は息を呑んだ。 目の前には、虚ろな目でこちらを睨みつける男──黒崎。その手には、鈍く光るサバイバルナイフ。 「彼の周囲には……彼に殺された人たちの、怨霊が渦巻いて漂っています!!」 「……!!」 少女の声が、現実感を伴って僕の脳髄に突き刺さる。 「その|夥《おびただ》しい怨念が、ナイフを、ただの凶器じゃない……“呪われた霊の武器”として成り立たせてしまっているんです!」 「つまり……僕もアレをまともに食らったら、普通に……死ぬ、ってことか……!?」 手に、じっとりと嫌な汗が滲む。 指先が、恐怖で微かに震えているのが自分でも分かった。 今まで遭遇してきた、ただ漂うだけの不成仏霊とは、明らかに違う。 この黒崎という男の霊は、明確に、生きている人間を「殺傷する手段」と「殺意」を持っている。 ──ダンッ!! 鋭い踏み込みの音と共に、黒崎が獣のような俊敏さで跳躍した。 シュバッ──!! 空気を裂き、ナイフが横薙ぎに閃く。 僕は、ほとんど反射的に後ろへ飛び退いた。 凶刃が、ほんの数ミリ僕の鼻先を掠め、ぞっとするような冷たい感触が肌を撫でる。 「……遅ぇよ、ガキが」 掠れた、嘲《あざけ》るような声。 ヒュンッ——! 次の瞬間、背後から風を裂く音と、腕に走る灼けるような鋭い痛み。 「ぐっ……ぁ……!」 咄嗟に庇った左腕の服の袖が裂け、生々しい赤黒い血が滲み出す。 骨までは達していないが、浅くはない。 ——“生きるか死ぬか”の、ギリギリの闘い……。 これが、これから僕たちが否応なく歩むことになる、“未来の現実”の一端だった。 だけど—— 全ての始まりは、もっとずっと静かで、そして穏やかな春の風が吹く、あの日々の中だったんだ。 *** 柔らかな風が、春の訪れをそっと街へと運んでくる。 桜の花びらが、まるで空に溶けていくかのようにふわりと舞い上がり、 優しい陽射しが、この街全体を祝福するように包み込んでいる。 ここ、|桜織市《さくらおりし》は、|風穂県《かざほけん》のなだらかな平野部に広がる、どこまでも穏やかな表情をした町だ。
Terakhir Diperbarui : 2025-05-15 Baca selengkapnya