Semua Bab 【完結】縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜: Bab 1 - Bab 10

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縁語り其の一:桜舞う町

「先輩! 絶対にその刃物に触れないでください!」 切羽詰まった少女の警告が響くと、少年の喉がひゅっと鳴った。 眼前に立ちはだかるのは、虚ろな目をした一人の男。その手には鈍色のサバイバルナイフが握られ、尋常ならざる気配を放っている。 「彼の周囲には……彼に殺された人たちの怨霊が渦巻いています!」 少女の言葉が、嫌というほどリアルに、目の前の光景と結びつく。 「その怨念が、ナイフをただの凶器じゃない……“呪具”にしてしまっているんです!」 あれを浴びれば、命はない。 それが、直感でわかってしまったのだ。 少年の掌にじっとりと汗が滲み、指先が微かに震える。 今まで対峙してきた不成仏霊とは、魂の密度がまるで違う。明確な殺意と、それを実行するための物理的な手段。その両方を、目の前の『悪霊』は確かに持っていた。 ──ダンッ! 鋭い踏み込みの音。男の身体が空気を裂き、ナイフが横薙ぎに閃いた。少年はほとんど反射で後ろへ飛び退く。凶刃が鼻先を数ミリで掠め、全身の毛が逆立つ。 「……遅ぇんだよ、ガキが」 掠れた、嘲るような声。 次の瞬間、背後から風を裂く音。そして、左腕に走る、灼けるような鋭い痛み。 「……っ!」 呻きが唇から漏れる。咄嗟に庇った腕の袖が裂け、赤黒い血が迸った。骨には達せずとも、傷は決して浅くない。 これは、少年たちが否応なく歩むことになる茨の道の、ほんの始まりに過ぎなかった。 だが──全ての始まりは、そこにはない。 もっとずっと静かで、穏やかな春の風が吹く日々の内にこそ、その根は芽吹いていた。 これは、一人の少年と一人の少女、二つの魂の邂逅の記録。 そして、千年の呪いをその血に宿し、千年の祈りをその身に受けた、宿業の物語である。 ────────── 柔らかな風が、春の訪れをそっと街へと運んでくる。桜の花びらが、まるで空に溶けていくかのようにふわりと舞い上がり、優しい陽射しが、この街全体を祝福するように包み込んでいた。 ここ、桜織市《さくらおりし》は、風穂県《かざほけん》のなだらかな平野部に広がる、どこまでも穏やかな表情をした町だ。 遠い昔、この土地に最初に根付いた桜の木々が、毎年春になると美しい花を咲かせ、そこに住まう人々を、ずっと静かに見守ってきたとい
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-05-15
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縁語り其の二:春の風、初めての言の葉

突然、ふわりと柔らかな風が吹き抜けた。 それに呼応するように、桜翁の枝々から無数の花びらが、一斉に舞い上がり、まるで彼女の存在を祝福するかのように、その周りで雅やかな渦を巻く。 その光景を目の当たりにした瞬間──僕の胸の奥深くで、今まで感じたことのない何かが、確かに揺らいだ気がした。 彼女が、ふと、こちらに気づく。吸い込まれそうなほど澄んだ茶色の瞳が、春の午後の柔らかな光を映して、優しく揺れていた。 「……この桜、とても綺麗だよね」 自分でも驚くほど自然に、僕は不意に、そんな言葉をかけていた。 彼女は一瞬だけ小さく目を見開いたけれど、すぐに穏やかな微笑みを浮かべて応えてくれる。 「はい。本当に……息をのむほど綺麗ですね」 その声は、まるで春のそよ風のように軽やかで、それでいて、不思議と心が落ち着くような、澄んだ響きを持っていた。 「私、月瀬 美琴と申します。この春から、こちらの高校の一年生になりました」 「どうぞ、よろしくお願いいたします」 そう言って、彼女は丁寧に、深々と頭を下げる。 (この一年生……礼儀正しくて、しっかりした子だな……) その佇まいに、僕は少しだけ気圧されながらも、彼女に倣って自己紹介をする。 「僕は、二年の櫻井 悠斗。こちらこそ、よろしくね」 そう言葉を交わした瞬間、彼女の穏やかな笑顔が、まるで春の陽射しそのものみたいに柔らかくて。 いつもなら気にも留めないはずの、ありふれた自己紹介の言葉一つ一つが、なんだか今日だけは、とても特別で、かけがえのないもののように感じられた。 「ふふっ 先輩でいらっしゃいましたか」 彼女が少しだけ驚いたように愛らしく目を丸くして、小さく悪戯っぽく笑う。 ふたたび、優しい風が吹く。桜の花びらが、祝福のライスシャワーのように、僕たちの肩にもはらりはらりと舞い落ちた。 「本当は、この美しい桜の写真を撮ろうと思っていたんですけど……どうやら、スマートフォンを忘れてきてしまったみたいです……」 そう言って、美琴はほんの少しだけ残念そうに肩を落とした。 彼女が名残惜しそうに見上げる視線の先には、夕陽に照らされて、淡い薄紅色の花びらが、静かに、けれど誇らしげに咲き誇っている。 その、どこか子供のような
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縁語り其の三:桜翁の呼び声

放課後の、まだ賑わいの残る教室。 ざわざわとした空気の中に、誰かが慌てて机を引く音や、弾けるような甲高い笑い声が混じり合っている。 黒板には、今日の授業の最後に書かれたであろう数式が消し忘れられ、それが西日を受けて、チョークの粉と共にぼんやりと白く光っていた。 「なぁなぁ……! 今日本当に行くんだってよ……!」 隣の席から、潜められているはずなのに妙に熱を帯びた声が聞こえてくる。 「え? どこに行くって?」 「ほら、奏多が言ってただろ? あそこだよ、あ・そ・こ・!」 「ん〜…?」 「あ〜!! あそこね!!! まじか!?」 「まじまじ! 今日配信するって言ってたぜ!」 「うはー!! アイツら肝が据わってんな〜! 俺なら絶対に行きたくねぇよ……!」 男子生徒たちの囁き声が、望みもしないのに耳に流れ込んでくる。 (……配信? 何の話だろう) 教室の隅の方で、そんなひそひそとした会話が交わされているのが耳に入る。僕は横目でその様子をちらりと見ながら、特に興味も示さず、静かに自分のバッグのチャックを閉じた。 「よっ、悠斗! 今さ、暇だったりしないか?」 不意にかけられた屈託のない声に、僕は顔を上げる。隣のクラスの幼馴染、不動翔太が人の好い笑顔で立っていた。 彼は僕の親友だ。空手部の次期主将と目される実力者で、困った人を放っておけないお人好し。──そして、僕に霊が見えるという秘密を知っている、数少ない友人でもある。 「ああ、ごめん。今日は母さんのお見舞いに行く日なんだ」 「あ、そうか……。そっかそっか、おふくろさん…早く目が覚めるといいな……」 「うん。ありがとう」 「ところで、翔太はなにか僕に用事があったの?」 翔太は少しだけバツが悪そうに視線を逸らし、口ごもるように言葉を続けた。 「それがさ、ちょっと言いづらいんだけどよ、俺、今夜、桜織旧病院に行くことになったんだ」 「……えっ? あの、旧病院に……?」 その名を聞いた瞬間、胃の腑が冷たくなるような感覚と共に、心臓が大きく脈打った。 桜織旧病院──。戦後間もない頃に建てられた、かつてはこの辺り一帯で最も大きな総合病院だった場所。 もう五十年も前に閉鎖されて以来、今では桜織市内でも有数の、そして最も
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縁語り其の四:母が眠る場所

──病室。 病室の窓から、夕陽の最後の光が、淡く、そして優しく差し込んでいた。 風に揺れる薄手のカーテンが、壁の上で光と影の柔らかい模様を静かに描き、そして溶け合わせていく。 その中で、僕はいつも通り、ベッドのそばに置かれた簡素なパイプ椅子に、ゆっくりと腰を下ろした。 「……来たよ、母さん」 誰に聞かせるともなく小さく呟き、僕はベッドから投げ出された母さんの、細く冷たい手をそっと両手で包み込むように握る。 その手は、まだ確かな温もりを僕に伝えてくれる。 病衣に包まれたその身体は、見舞いに来るたびに、少しずつ、でも確実に細く、小さくなっているように感じられたけど……穏やかな呼吸を繰り返す母さんの寝顔は、不思議なほど安らかで、どこか遠い夢を見ているかのようだった。 「そういえばさ、母さん。この間、学校の桜の木の下で、ちょっと不思議な雰囲気の女の子に出会ったんだ」 「月瀬さんっていうんだけど……すごく礼儀正しくて、なんだか、とても綺麗な子でね……」 母さんの閉じられたままの瞼は、ぴくりとも動かない。もちろん、返事はない。 それでも、この誰にも邪魔されない、母さんと二人きりの静かな時間が、今の僕にとっては、 かけがえのない大切なものだった。 母さんは、もう十年もの間、ずっと意識のないまま、この殺風景な病院の一室に入院している。 その理由は、“原因不明の突発的な意識障害”とされている。 けど僕には、本当の理由が、分かっていた。いや、分かりたくなくても、魂に刻み付けられてしまっている。 ──今から、十年前。 まだ幼かった僕が、この生まれ持った厄介な霊感という力に振り回され、怯えてばかりいないようにと、母さんが、特別な帰り道を教えてくれた、あの日のこと。 その時、僕たち親子は、“何か”に、不意に襲われたんだ。正確に言えば、僕自身……その時の記憶が、まるで濃い霧に包まれたように曖昧で、どんなに思い出そうとしても、肝心な部分が…。 はっきりとは思い出せない。 でも、僕たちを襲ったのが、この世ならざる“霊的な存在だった”ということだけは、今でも、鮮明に、そして確信を持って覚えている。 僕も、あの場にいたはずなんだ。 なのに、あの瞬間のことを思い出そうとすると、途端に全身の皮膚が粟立ち、心臓が氷水で締
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縁語り其の五:鎮魂の教え

そこには、月明かりの下、白髪の穏やかなおじいさんの姿があった。 どこか寂しそうに、そして心細そうに、ぽつんと一人でそこに立っている。 その輪郭は、まるで春の夜霧のように淡くぼやけていて、現実感が希薄だった。 「悠斗、怖がらないで……しっかり見ていてね」 母さんはそう言うと、おじいさんの元へと歩いていく。 そっと膝をつき、そのおじいさんの霊と、静かに視線を合わせた。 「……初めまして。夜分に申し訳ありません。何か、お困りのことでもおありですか?」 母さんの声は、夜のしじまに溶け込むように静かで、けれど、不思議なほどはっきりと、そして温かく、その霊へと確かに届いていた。 おじいさんの霊は、ゆっくりと母さんの方を振り返り、その瞳に、深い戸惑いと、そしてほんのわずかな驚きの色を浮かべる。 『……おお……おお……。あんたには……儂の、この姿が、視えているのかね……?』 掠れた、そしてどこか弱々しい声が、神社の冷えた夜気に溶けていくようだった。 「ええ、はっきりと視えていますし、あなたの声も聞こえていますよ」 母さんのその微笑みは、本当にあたたかくて、慈愛に満ちていた。まるで、何十年も会っていなかった、旧い友人に再会した時に向けるような、そんな優しい眼差し。 その言葉と眼差しに、おじいさんの強張っていた肩が、ふっと力を失って落ちるのが分かった。 『……このまま、儂は……消えてしまうんじゃろうか?そう思うと……それが、怖くて怖くて、仕方ないんじゃ……』 か細く、震える声。その瞳には、拭いきれない不安の色が浮かんでいる。 『最近……少しずつ、自分の意識というものが、薄れて薄れて……まるで霞のように、なってきてのぉ……』 神社の静まり返った境内に、さぁ……と風が吹き抜ける。桜の木がざわざわと揺れ、はらり、はらりと、夜目にも白い花びらが数枚舞い落ちた。 『儂は、一体どうなってしまうんじゃ……?このまま、本当に何もかも消えて、無くなってしまうのか……?』 おじいさんの霊は、すがるような目で、じっと母さんを見つめる。 母さんは、その不安を受け止めるように、そっと穏やかに首を横に振った。 そして、目を細め、包み込むように、やさしく答える。 「大丈夫ですよ。たとえ記憶が薄れて、今のあなたの形が失われたとして
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縁語り其の六:蠢く影

いつものように学校に着くと、教室の空気が、いつもよりほんの少しだけ、色を失っているように感じた。 大きな窓から燦々と差し込む、春の淡い光。 その光の帯の中を、名前も知らない誰かの記憶の欠片のように、微細な埃がふわふわと無数に舞っている。 何列にも並んだ机の天板に落ちた光は、まるで薄氷のようだ。黒板には、今朝の一限目の授業の跡が、チョークの粉となって儚く残るのみ。 「おい、悠斗、ちょっと聞いてくれよ!」 隣の席のクラスメイトが、何か面白い悪戯を見つけた子供のように、やけに上擦った声で僕の肩を叩く。 「朝からどうしたの?」 僕がわずかに眉を顰めると、別の方向から、もう一人の友人がスマートフォンを突きつけてきた。 「これ! 昨日、うちのクラスの連中がまたやらかしたんだって!」 「マジでヤバいから、もう一回見よーぜ!」 けたたましい笑い声。誰かが興奮して机を叩く乾いた音が、教室のあちこちに無神経に響き渡る。 胸の奥で、冷たい何かが急速に膨れ上がっていく感覚。 促されるままに手に取ったスマートフォンには、まさに今、再生中の動画だ。 その画面隅には、まるで血で書かれたような、禍々しいフォントでタイトルが表示されていた。 ───────────────────── 【恐怖の心霊スポット 桜織旧病院へ突撃!!】 ガクン、と画面が大きく揺れ、手持ちカメラ特有の、薄暗くノイズの多い映像が始まった。 そこに映し出されたのは──桜織旧病院。 夕陽。斜めに差し込む赤い光に照らされた、無残に崩れたコンクリートの壁。割れた窓ガラスの奥は、冥界への入り口のようにぽっかりと黒い口を開けている。そのたたずまいは、もはや誰からも忘れ去られた巨大な骸のようだった。 「よっしゃ、みんな! 準備はいいかー!? 今からこの廃病院に、俺たちが突撃だぜ!」 配信主と思われる、やけに弾んだ甲高い声がスピーカーから響く。 「コメント、高評価よろしくなー!」 無理に作ったその明るさの端々に、隠しきれない緊張が滲ん
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縁語り其の七:母の言葉、僕の現実

僕が押し黙ってスマートフォンを返すと、友人はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべた。 「な? ヤバいだろ? アイツら、マジでアホだよな!」 「……うん。やばいってレベルじゃないね」 努めて冷静に相槌を返す。その裏で、心はとっくに冷え切っていた。 (なんて、馬鹿な真似をしたんだ……) 勝手に霊の領域に土足で踏み込んで、そこの住人を怒らせただけじゃないか。 僕には、視える。普通の人には視えないはずの、彼らが。だからこそ、彼らの感情は……少しだけ分かるつもりでいる。 霊にとって、長年住み着いた場所は、人間にとっての”家”と同じだ。その大切な家に、ある日突然、見ず知らずの人間が、興味本位で、面白半分でズカズカと入り込んでくる。それを「ようこそ」と笑顔で歓迎する住人など、いるはずもない。 僕には霊が視えるけれど…霊という存在が、苦手だ。でも、そのくらいの最低限の”感覚”は、嫌というほど分かっている。 心霊スポットだなんて面白半分にそういう場所へ行って、もし何かあっても、それは自業自得なんだ。 動画の中で映っていた光景が、また頭の中でちらつく。あの廃屋に踏み込んだ数人の若者たちの、最初は軽薄だった表情が、次第に青ざめていく様子。そして最後に響いた、あの声。 カメラが捉えた、人影とも呼べない何かの姿。 友人はまだ何か言いたげだったけど、僕は適当に話を合わせてその場を離れた。 *** 昼休み。 僕は一人、屋上のフェンス際で、買ってきたパンを無心にかじりながら、眼下に広がる校庭の桜をぼんやりと眺めていた。 小高い丘の上の桜翁だけが、何も知らずに春の風の中、のんびりと枝をそよがせている。古い神社の境内に立つ、その一本桜は、毎年この季節になると見事な花を咲かせる。 けれど、さっき教室で見た怪奇現象の動画の光景が、頭の奥に貼り付いて離れない。あの廃屋の中で起こった出来事を思い返すたび、胸の奥がざわめく。 そしてもう一つ、どうしても気がかりなこと。あの動画を配信していた数人が、昨日から学校に来ていないらしい、という。 (僕には関係ないことだ。そう割り切ってしまえば、それまでのはずなのに……) 胸の奥が、嫌な感じでずっとざわついている。まるで、暗い水の底から何かが這い上がってくるような、そんな感覚。 パンを一口かじ
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-05-15
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縁語り其の八:黄昏の門

町の喧騒から切り離された外れ。 ぽつんと取り残されたそこは、時間に忘れ去られた場所。 かつて多くの命を救ったはずの白い建物は、いまや不気味な噂と共に、得体の知れない何かが巣食うと囁かれる廃墟になっていた。 興味本位で、あるいは自らの勇気を試すように。 そこに足を踏み入れた者たちは、時折、神隠しにでも遭ったかのように姿を消すなどと言う噂が存在している。 そして昨日もまた──。 動画配信で注目を集めようとした者たちが、誰一人として戻ることはなかった。 ……翔太も、その中の一人として。 (これは、僕の責任でもあるんだ……) 重いため息と共に、誰もいない放課後の教室を飛び出す。 固く閉ざされた校門の冷たい鉄柵に手をかけた。金属の、ひやりとした無機質な冷たさが、緊張した指先にじわりと染みる。 僕には関係ない。 そう何度も自分に言い聞かせ、無理やり思い込もうとした。 けれど──この学校で、あの廃病院に潜む“何か”に気づけるのは、おそらく、この妙な力を持つ僕だけだ。 友人が危ないかもしれない。 その可能性を知っていながら、何もしないでいられるはずもなかった。 翔太を、もっと強く、止めるべきだった。 あの時、もっと真剣に、あそこへ行くことの危うさを伝えるべきだったんだ。 後悔が、喉に詰まった小骨みたいに、ずっとちくちくと痛んだ。 大きく、深く息を吐き出す。 それでも僕は覚悟を決め、夕暮れの道を一人、あの場所へと歩き出す。 *** 病院へ向かう途中、帰り道にある古びた商店の、軋む床をそっと踏んだ。 年季の入った床板が、ギィ、と悲鳴をあげ、夕暮れの静寂を鋭く切り裂く。 「おう、いらっしゃい! 坊主、どうしたんだい?」 カウンターの奥から顔を覗かせた人の良さそうなおじさんは、僕の顔を見るなり、にこにこと人の好い笑みを浮かべた。 「あの……懐中電灯を、一つください」 「キャンプでも行くのかい?」 「いえ……その……友達が、道に迷ってしまったみたいで……これから探しに行くんです」 「おー、そりゃあ大変だ。坊主も、気をつけなきゃいかんぞ。暗いとこは、足元がよく見えねえからな!」 渡された少し埃を被った懐中電灯のスイッチを入れると
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-05-16
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縁語り其の九:錆びついた記録と幼子の願い

季節が一つ逆戻りしたかのような、肌を刺す冷気が、この廃墟全体を支配していた。 春の終わりの暖かさなど、この場所にだけは届いていないようだ。 懐中電灯の頼りない光が、静まり返った空間をゆっくりと撫でるように照らし出す。 朽ち果てて脚の折れた椅子。無造作に転がったままの錆びた車椅子。そして床に散乱し、元の色も分からぬほど黄ばんでしまったシーツの数々。 壁には、破れて変色した掲示物が、打ちつけられたまま虚しく残っている。 空気は鉛のように重く、淀み、ぴくりとも動かない。 永い時間だけがここに置き去りにされたような、異質な空間だった。 濃密な埃と、壁や床から滲み出すようなカビの匂い、そして微かに残る古い消毒液の刺激臭が混ざり合い、呼吸をするたびに、喉の奥にねっとりと張り付いてくる。 そして何より、この空間のどこかに潜む、得体の知れない“何か”の気配が、冷たい蜘蛛の糸のように背中にまとわりついて離れない。 僕は、床に埃まみれで落ちていた、この病院の古い構内図を拾い上げた。 「これは……構内図だ…。誰かが落としたのか…?」 掠れたインクで書かれた文字を追う。 「病室エリア」「第一倉庫」「第二倉庫」「一般診察室」「院長室」……。 翔太が、この廃墟のどこにいるのか、皆目見当もつかなかった。 でも、もうここまで来てしまった。引き返すことはできない。 逃げ出したい恐怖と、友人を見捨てられない気持ちが、体の中でせめぎ合う。 その時──。 奥の、闇に沈んだ廊下から、きぃぃ……と、古い木の床を踏むような、不気味な軋む音が微かに響いてきた。 息が、止まる。 自分の心臓の音だけが、やけに大きく、速く、耳の奥でドクドクと鳴り響いていた。 恐怖で足が竦むはずなのに、僕の身体は、何かに引かれるように、勝手にその音のする方へと動いていた。 「第一診察室」──。 一部が剥がれ落ち、茶色く変色した古いプレートの文字が、懐中電灯の光の中にぼんやりと浮かび上がる。 錆び付いたドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開けた瞬間、室内の空気が明らかに変わった。 ぴたり、と風の流れ
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-05-17
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縁語り其の十:廃病院に住まう者

僕は、翔太のスマホをポケットへとしまい、重苦しい空気が漂う診察室を後にした。 誠也という名の男の子が遺した手紙。あの消え入りそうな文字と、寂しげな笑顔の似顔絵が、まだ瞼の裏に焼き付いている。 右手の廊下は、闇が深かった。 進むほどに、空気が変わる。 やがて、底のない暗闇が、ぽっかりと口を開けていた。 そこから吹き上げてくる空気は、これまでとは明らかに質が違った。まるで生きたものの体温を全て吸い取っていくような、淀んだ風が肌を撫でる。 足が、自然と止まった。 (……噂に聞いていた、地下への入口だ) “院長が、何かを地下に隠していた”。 この病院にまつわる黒い噂が、不意に頭をよぎる。 懐中電灯の震える光を差し込んでも、その奥は光を吸い込むような闇に包まれ、何も映し出せない。 「あの噂は本当だったりして……」 氷のように冷たく湿った空気が、僕の肌を粟立たせる。 (……今は、まだだ。先に、他の場所を探そう) ゴクリ、と乾いた喉を鳴らし、僕は一度だけその暗闇を振り返り、踵を返した。 *** ギシギシと不気味に軋む古い階段を慎重に上がり、二階へと向かう。 二階の廊下は、一階よりもさらに色褪せた、濃密な気配が漂っていた。 古い病院特有の、埃と錆びた金属、そして微量の薬品が混じった、鼻の奥をツンと刺激する独特の匂い。 廊下の両脇には小さな患者部屋が並び、突き当たりには比較的大きな共同部屋。その奥に、重い扉で閉ざされた手術室とレントゲン室。 どの部屋も、時代に取り残されたような、陰鬱で古びた造りだった。 僕は、一番手前にあった、扉が少しだけ開いている小さな患者部屋のドアを、そっと押してみる。 きぃぃ……ぃぃ。 鈍く軋む蝶番の音が、この静まり返った二階の空間に、やけに大きく響き渡った。 部屋の中には、マットレスが剥き出しになった、ボロボロのパイプベッドが一台だけぽつんと置かれている。壁紙は広範囲にわたって剥がれかけ、その下のコンクリートが覗いていた。 部屋の隅に、埃を分厚くかぶった大きな姿見が、誰かに忘れ去られたように壁に立てかけられている。 何気なく、その鏡の前に立った。 映し出された自分の顔は、ひどく青ざめて、まるで知らない誰かのよ
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