Chapter: 第109話 煌めきの残響僕はどかした岩の隙間を再びくぐり抜け、あの静謐な空間へと一人で戻った。 ひんやりとした空気が、肌を撫でる。僕は固く握りしめていた瓶を見つめ、海へと繋がっている水路の前に立つ。 ──これは彼女の物だ。 「想いの込められたこの宝が、誰の手にも渡らず、持つべき人へ届きますように……。」 それは、祈りにも似た呟きだった。 僕は、その瓶を、そっと水路へと投げ入れる。ぽちゃん、と小さな音を立てて、瓶は水面に吸い込まれ、あっという間に暗い水の向こうへと消えていった。 「はは……人魚、か。幽霊とは違って全く未知の存在だけど、この瓶が、人魚の元へ届くと良いな。」なんて思う。生きてるかさえ定かじゃない物語に出てくる人魚。でも、不老不死と言った伝説が、僕の胸を僅かにだが期待させる。 ……これで、僕たちの役目は終わりだ。 そう思い、僕が踵を返して来た道を戻ろうとした、まさにその直後だった。 ──すぐ真後ろで、あの歌が聞こえた。 さっきまで遠くから響いていただけの、あの物悲しいハミングが、まるで吐息がかかるほど近くで、僕の耳元で直接響いた。 そして、歌声と同時に、心臓を掴むような、大きな水音が背後で弾けた。 「えっ……!?」 僕は弾かれたように振り返る。 けれど、そこには誰もいなかった。 ただ、先ほどまで穏やかだったはずの水路の水面が、大きく波紋を広げ、周りには今まさに弾けたばかりの、生々しい水しぶきが飛び散っているだけ。 僕は、ただ唖然とその光景を見つめることしかできなかった。 *** 「ただいま……」 呆然としたまま美琴の元へ戻ると、彼女は心配そうな顔で僕を迎えた。 「おかえり!どうだった?」 「なんかさ…もしかすると、すぐそこに、人魚が居たのかもしれない……」 「えぇ!?そ、それってどういうこと??」 うまく言葉にできた自信はなかったが、僕は今しがた起きた、信じがたい出来事を彼女に話した。すぐ背後で聞こえた歌声のこと、そして、大きな水音と、その痕跡のこと。 僕の話を聞き終えた美琴は、驚きに目を見開いていたが、やがて静かに呟いた。 「それは…人魚、かもしれないね…。」 「だ、だよね……?」 「でも……それが人魚なら……私は良かったって思ってるよ。」 「うん…確かに…。ひと
Huling Na-update: 2025-07-02
Chapter: 第108話 瓶に詰まった想い「風が来てるね」 「さ、最後に行ってみようよ!!」 僕の背中で、美琴が力強い声を上げた。 「えっ、でも美琴の足の方が……」 「いいからっ!私、ここで宝探しをあきらめる方が後悔しちゃうよ?それでもいいのかなぁ?」 悪戯っぽく、でも真剣な響きを帯びたその言葉。 (この子は、なんてことを言うんだ……。) 自分の痛みよりも、僕の気持ちを優先してくれる。その優しさが、ありがたくて、少しだけ胸が痛んだ。 「ふふっ、さぁ悠斗くん!早くあっちへ連れて行って!」 僕は、その思いやりに感謝しつつ、彼女が指差す風の吹いてくる方へと、ゆっくりと歩き出した。 洞窟の奥、暗闇へと続く通路。そこから吹き付けるひやりとした風は、まるで僕たちを誘っているかのようだった。 「ここから風が来てるみたいだね……」 「すきま風だったのか…?」 風の出どころは、行き止まりに見える壁のようだった。だが、何かが違う。 「あっ、悠斗くん…この壁、変じゃない?」 「えっ?あっ……」 美琴に言われてよく見ると、確かにその壁は、自然にできた岩肌ではなかった。大小さまざまな岩が、明らかに人の手によって積み上げられ、壁として設えられている。 「岩で壁を作っていたのか……!」 「悠斗くん」 僕の背中で、美琴が期待に満ちた声を出す。 「はぁ…….わかった。じゃあ、ちょっと待ってて。」 美琴を転ばないように下ろしてから、 僕は自分が羽織っていたシャツを脱ぐと、それを洞窟の地面にそっと敷いた。 「えっ?」 「美琴、この上に座って」 「で、でも汚れちゃうよ!」 「汚れなんていいから。それに、そのまま座ったら砂利とかで怪我するかもしれないでしょ?」 僕は美琴を背中から降ろし、その手を支えながら、ゆっくりとシャツの上に座らせた。 「うぅ……」 不満そうな、でもどこか嬉しそうな、複雑な声が彼女から漏れる。 「よし……それじゃあ、少しだけ待ってて。あれをどかしてみるから。」 僕は積み上げられた岩に手をかけた。一つ一つ、丁寧に、音を立てないように持ち上げて脇にどかしていく。全部を崩す必要はない。僕が一人、なんとか通れるくらいの隙間があればいい。 *** 十分ほどそうしていただろうか。滴り落ちる汗を腕で拭う。目の前には、
Huling Na-update: 2025-07-02
Chapter: 第107話 滝裏の洞窟「まだ……聞こえる」 僕の呟きに、美琴は黙って頷いた。 あの物悲しいハミングは、島の奥深くから、まるで僕たちを手招きするかのように流れ続けている。 僕たちは濡れた身体の上から一枚シャツを羽織ると、まるで何かに憑かれたかのように、再び無人島の中へと足を踏み入れた。 草木をかき分け、歌声だけを頼りに進んでいく。 陽光が遮られた森の中は、さっきよりも空気がひやりと冷たい。楽しい海水浴の雰囲気はもうどこにもなく、島の持つ本来の、静かで、どこか人を寄せ付けないような空気が、肌を粟立たせた。 その時だった。 ふと、耳を澄ましても、あの歌声が聞こえなくなっていることに気づいた。 「あっ、歌が消えたみたいだ……。」 「…………?」 僕がそう言うと、美琴は立ち止まり、不思議そうに首を傾げた。 「美琴、どうかしたの?」 「悠斗くん……向こうから、なにかドドドドド……って音がしない??」 美琴が指差す方向へ、僕も全神経を集中させる。確かに、地響きのような、何かが激しく打ち付ける音が、腹の底にまで響いてくる。 「これは……滝……?」 間違いない。これは滝の音だ。 「私たち、外から回って宝物を探したけど、中央の方を探してた時はこんな音しなかったよね?」 「うん。でも、一定の時間を空けて滝が流れてる……なんて場所もあるから、もしかするとその時は滝が流れてなかったのかも…」 美琴の疑問に、僕はそう推測を口にした。 「美琴、行ってみよう。もしかすると、当たりかもしれない。」 僕たちは、その地響きのような音を目指して、さらに島の奥深くへと進んでいった。 *** そして、たどり着いた先にあったのは、圧巻の光景だった。 巨大な岩壁を、大量の水が轟音と共に流れ落ちている。滝壺から舞い上がる水飛沫が、まるで雨のように僕たちに降りかかり、肌を濡らした。
Huling Na-update: 2025-07-01
Chapter: 第106話 満たされる心それからまた、数十分が経っただろうか。 僕たちは、陽光がまだらに差し込む森の中を、ひたすらに歩き続けていた。けれど、宝に繋がるような手がかりは依然として見つからない。 (もしかしたら、宝なんて本当は無いのかしれない……) そんな弱気な考えが、汗と共にじわりと脳裏に浮かび上がる。 いや、だめだ。まだ諦めるわけにはいかない。 ……ただ、何事にも休憩は必要だ。そうだ、休憩しよう。 僕はあることを思いつき、隣を歩く彼女に声をかけた。 「今から、泳ぎに行こう。」 「えっ!?」 唐突な僕の提案に、美琴が驚きの声を上げる。 「せっかく水着買ったんだし、着ないと、もったいないでしょ?」 ……というのは建前で、本当は、ただ彼女の水着姿が見たいという気持ちが大きいのは、墓場まで持っていく秘密だ。 「そ、それは……そうだけどぉ……。」 もごもごと口ごもる美琴。その反応が、僕の決心を後押しした。 「ほら、行くよ!」 「わわっ……!そ、そんなに引っ張らないで〜!」 僕は彼女の手を取り、今来た道を引き返し始めた。不意に引かれた美琴は驚いていたけれど、その手はすぐに、僕の手を優しく握り返してくれた。その小さな反応だけで、僕の心は満たされる。 *** ようやく視界が開け、再び潮騒が耳に届き始める。 「ふぅ、ようやくまたここに戻ってこれたね。」 「そうだね。」 浜辺の海の家からは、サザエを焼く香ばしい匂いが漂ってくる。 「それじゃあ、僕は着替えたらあそこのベンチで待ってるから。」 僕がそう言うと、美琴は少しだけ視線を泳がせながら、こくりと頷いた。 「う、うん……。」 *** 先に着替えを済ませた僕は、ベンチに腰掛け、逸る心を落ち着かせようと努めていた。 (美琴の水着か……。どんなのだろう、楽しみだな……。) そんなことを考えていた、その時だった。 「お、お、お待たせ……!」 聞こえたのは、緊張で少しだけ上ずった、愛しい声。 振り返った僕の目に映った光景に、思考が止まる。 「っ……!!」 そこに立っていたのは、僕の知らない美琴だった。 店員に勧められたという白のビキニは、彼女の白い肌をより一層際立たせている。けれど、その上から重ねられた薄いレースの羽織りと、腰に巻か
Huling Na-update: 2025-07-01
Chapter: 第105話 神聖な泉潮が引いたことで現れた砂の道を渡り、僕と美琴は無人島へと足を踏み入れた。 さっきまでの喧騒が嘘のように遠ざかり、聞こえるのは自分たちの足音と、遠くなった波の音だけ。木々が風にざわめき、知らない鳥の声が降ってくる。葉の隙間からこぼれる陽光が、地面にまだらな模様を描いていた。まるで、忘れられた時間の中に迷い込んだかのようだ。 目の前には、草に覆われた獣道が続いている。辛うじて、これが道だったのだろうと分かる程度の、細い痕跡。 「これは……道、だよね?」 僕が尋ねると、美琴は苦笑しながら頷いた。その表情には、ほんの少しの困惑と、それを上回る好奇心の色が浮かんでいる。 「うん……たぶん……?」 心許ない返事とは裏腹に、その足取りに迷いはない。彼女がこの「宝探し」を心から楽しんでいることが、僕には見て取れた。それだけで、僕の足取りも軽くなる。この道の先に何が待っていようと、彼女が笑ってくれるなら、どこまでだって進める気がした。 *** 島の奥深くへと歩みを進め、およそ二十分が経った頃。 僕たちの目の前に、それは現れた。 まるで時が止まったかのような、ボロボロの小屋。風雨に晒され、色褪せた木材は腐食が進み、壁には大きな隙間がいくつも空いている。屋根は半ば崩れ落ち、残った柱も今にも折れそうだ。湿った土とカビの匂いが、この場所が刻んできた永い時間を物語っていた。 「悠斗くん、これ……もしかして物語に出てきた、男の人の小屋だったりしないかな?」 美琴が、そっと囁くように尋ねる。その瞳は、目の前の廃墟の向こうに、遠い過去の物語を幻視しているようだった。 「どうだろうなぁ……でも、この古さなら、有り得るかも。」 僕も、その可能性に胸を膨ませる。だが、一歩足を踏み入れたら、全体が崩れ落ちてしまいそうなほど、小屋は脆く見えた。 「危ないから、外から見るだけにしよう。」 僕がそう提案すると、美琴は静かに頷いた。
Huling Na-update: 2025-06-30
Chapter: 第103話 人魚の伝説食事を終え、少しだけ休んだあと。 僕たちは、人魚伝説について本格的に聞き込みを始めることにした。傾きかけた陽射しがアスファルトに長い影を落とし、潮風が火照った肌に心地いい。食後の満腹感が、心に穏やかなゆとりを運んできてくれた。 「すみません、この町の人魚の伝説について、何かご存知ないですか?」 声をかけたのは、岸壁で網の手入れをしていたらしい、日に焼けたおじさん漁師だった。節くれだった指で器用に網を補修するその背中から、海と共に生きてきた男の匂いがする。 「お、人魚の話か!」 おじさんは、がははと潮騒に負けないくらい豪快な声で笑う。 「最近はテレビでやってから、それを目当てに来る観光客も増えたからな。昔この町で、人魚と人間の男が恋に落ちたって話だ。まあ、よくある話さぁ!」 「でも、わしらは海に出てなんぼだからな。詳しいことはよく知らねえんだ。悪いな、若いの!」 気さくに手を振るその背中に、僕たちはぺこりと頭を下げた。隣で話を聞いていた美琴は、ただ静かに頷いている。その真剣な横顔は、いつもの霊障調査の時と少しも変わらない。 「……やっぱり、美琴が言ってたのとほぼ同じだね。」 「うん……これっていう目新しい情報はなさそう。」 よし、なら次だ。不思議とこの町には、きっとまだ何か隠されている。そんな予感がした。 町の中心部へと少し戻ると、小さな商店の前で店番をしている若い男性を見つけた。彼は店の前に積まれた、空になった瓶のケースを片付けているところだった。 「こんにちは、人魚伝説についてお聞きしたいのですが……。」 僕が声をかけると、男性は人の良さそうな笑顔で顔を上げた。 「ああ、観光で来たの? この辺りじゃね、人魚の話は“人間になれなかった人魚の話”って言われてるんだよ。よくある絵本みたいに、声を失って足を手に入れるんじゃなくて、最初から“叶わないまま離れた”って話でね」 その言葉が、僕の胸にすとんと落ちてきた。 これだ。美琴が言っていた、もうひとつの伝説。叶わなかった恋の物語。 「叶わないまま……。」 美琴が、わずかに眉を寄せる。その横顔に、物語への深い共感の色が浮かんだのが分かった。 「でね」と、店員の男性が少しだけ声を潜め、悪戯っぽく笑った。 「その人魚に恋した男が、悲しみのあまり、
Huling Na-update: 2025-06-30
Chapter: 第38話 グレンとの合流 空はすでに日が落ちきり、漆黒の天に淡い月が浮かんでいた。 その月明かりを頼りに、私は屋根の上を駆け抜けていく。 冷たい風が頬を撫で、髪をなびかせる。 その風を切り裂くようにして、私は鋭い眼差しで街の通りを見下ろしていた。 (……グレン、どこへ連れて行かれた?) その時―― (エレン! 後ろ、斜め前方の道……! グレンさんがいる!) エレナの声が脳内に響いた。即座に反応し、視線を向ける。 その先には、担架に乗せられ、衛兵に運ばれていくグレンの姿があった。 (よし……まずは接近だ) 私は気配を殺し、屋根の影へと身を滑り込ませる。 やがて、衛兵たちの会話が風に乗って耳に届いた。 「この男、ラムザス様が『記憶の塔』へ急いで運べとさ」 「何かやらかしたのか?」 「さぁな。だが、相当急いでいるらしいぞ」 (ふん……やはり、こっちの読みが正しかったな) 一瞬の隙を突いて、私は屋根から静かに飛び降りた。 ──シュッ。 影を走るようにして衛兵の背後に回り込み、無言のまま、掌底を二人の首筋へ叩き込む。 反応すら許さず、二人は音もなくその場に崩れ落ちた。 そのまま私は担架へと歩み寄る。 「おい、グレン。起きろ」 しかし――返事はない。 それどころか、かすかな寝息が聞こえてきた。 (……こんな時に、呑気に寝てるとは) 苛立ちを噛み殺しつつ、私は拳を開き、容赦なくグレンの頬を張った。 ──パァンッ! パァンッ!! 「いってぇ!? なんだぁ!?」 寝ぼけ眼を見開いたグレンが、私の姿を認めるなり驚愕の声を上げた。 「エ、エレン!? なんでお前がここにいる!?」 「黙れ。説明は後だ、ついてこい。」 「お、おう……」 (……グレンさん、完全に被害者のはずなんだけど) (今は時間が惜しいからな、仕方のないことだ。) 私はフードを深く被り直し、状況が飲み込めていないグレンを引き連れて、闇の中を再び駆け出した。 *** 移動しながら、私は簡潔に事の経緯を伝える。 「この街には、入った時点で『記憶を盗み見る塔』が存在する。街の中央にそびえるあの塔だ」 「盗み見る……? なんだそりゃ。ふざけてんのか、その塔」 即座に返ってきた反応に、私は少しだけ安堵
Huling Na-update: 2025-06-29
Chapter: 第37話 怯える紳士「覚悟しろォ! この悪魔め!!」 錯乱したような叫び声と共に、衛兵の一人が怒りに任せて飛びかかってきた。 私はその直線的な突進の力を利用し、最小限の動きで死角へ滑り込む。そして、神経が集中する首の付け根に、的確に手刀を打ち込んだ。 「がっ……!」 喉の奥で声を詰まらせ、男はぐらりと揺れると、糸が切れたように崩れ落ちた。 それを合図に、周囲の衛兵たちが一斉に殺到する。 私は静かに息を吐き、軽やかに後方へ跳躍。彼らの攻撃範囲から離脱し、別の石畳へと着地した。 着地の勢いを殺さず、逆に前進への力に変換する。次々と襲いかかってくる衛兵たち。その重心を崩し、がら空きになった顎へ、体重を乗せた最短距離の掌底を叩き込んでいく。 「ドスッ」「ゴッ!」 人体構造を熟知した的確な一撃が、急所を外しながら確実に意識だけを刈り取っていく。彼らは一人、また一人と地に伏していった。 「おやおや……随分とお強いのですね」 ラムザスは、表情一つ変えずにそう呟く。その目は、私の戦闘データを収集しているのか、あるいは記憶操作された人間の限界を見極めているのか。どちらにせよ、冷徹な観察者のそれだった。 (……こいつ、何を考えている) その瞬間、ラムザスが乾いた音で指を鳴らす。 パチンッ 再び姿を現す衛兵たち。だが、彼らの目はどこか虚ろで、動きも鈍く生気がなかった。 (……なるほど。全員、遠隔で記憶を操作されている操り人形か) 今度の衛兵たちは剣を抜いてきた。殺意を隠す気もない、純粋な攻撃命令。 私は腰の短剣を抜き、迫る剣閃を交差するように受け止める。 金属の悲鳴が響き、火花が散った。 私は力を正面から受けず、流すようにして体勢を崩した相手の顎に、再び掌底を一閃。返す刃で次の一人の剣を受け流し、軸足を的確に払って地面へと転倒させる。 その刹那──三人が同時に襲いかかってきた。 一瞬の思考の内に、最適解を導き出す。 私は短剣を高く空へと放り投げ、正面の衛兵の襟元を掴む。そして、そのまま右手の衛兵へ向けて叩きつけるようにぶつけた。 鈍い衝突音。ぶつかった二人は、前後に密着するようにぐらつく。 私はその結合した胴体の中央、腹部へ、渾身の蹴りを叩き込んだ。 強烈な衝撃を受け、二人は同じ方向に吹き飛び、空中で絡
Huling Na-update: 2025-06-19
Chapter: 第36話 記憶市場と記憶劇場 「こちらが、記憶市場《レム・マルシェ》となります」 ラムザスの言葉に促され見渡した光景に、私は思わず眉をひそめた。 そこに広がっていたのは──ガラスケースにずらりと陳列された、無数の“記憶”だった。 “楽しかった記憶” “恐怖に震えた記憶” “緊張と焦燥に包まれた記憶” まるで生命の輝きを剥奪され、ただの商品として値札をつけられた人生の断片。 美術品か、あるいは高級な嗜好品のように、それらは静かに買い手を待っている。 その光景は、戦場で見る死体の山よりも、冒涜的に映った。 「こちらで、ご希望の記憶を購入することが可能です」 ラムザスが販売員に目配せをすると、慣れた手つきで一つの記憶結晶が取り出され、私の前に差し出される。 「どうぞ。こちらは“家族からの愛情”に包まれた、非常に純度の高い温かな記憶となっております」 「ふむ」 ラムザスは無言でそれを受け取ると、指先に力を込めた。 パリィン……。 乾いた音を立てて、結晶が砕け散る。 「魔人ではなくとも砕けるよう、意図的に強度が調整しています。」 「……ええ、なるほど。これはごく平凡な家庭で、大切に育てられた少女の記憶のようですね。素晴らしい」 まるで昆虫標本でも鑑定するかのように、ラムザスは誰かの人生の痕跡を淡々と分析する。 その表情は、微塵も変わらない。 その記憶を、本人が自ら“売った”のか。 それとも、売らざるを得ない状況に追い込まれたのか。 真実は分からん。 だが、どちらにせよ……腹の底から不快感がこみ上げてくる。 「このように、記憶は《記憶市場》で確かな“価値”として流通しています」 そして── 「次に、あちらをご覧ください」 ラムザスが指さした先には、円形の巨大な建物がそびえ立っていた。 出入りする人々が、興奮気味に言葉を交わしている。 「あの記憶、最高だったな! また観たいぜ!」 「俺もあんな風に戦ってみたいもんだ!」 他人の人生を覗き見た後の、一種の気怠さと高揚感が混じった表情。 彼らは自らの現実から目を逸らすように、借り物の体験に熱狂していた。 「《記憶劇場》──《メモワール座》です。ここでは、選ばれた記憶を繋ぎ合わせ、一つの物語のように映像化して再現します。記憶は今や
Huling Na-update: 2025-06-14
Chapter: 第35話 ラムザスの案内「待たせたな」 調理亭を出た私は、店の前のベンチに腰かけていたラムザスに声をかける。 「いえいえ。では……参りましょうか」 立ち上がったラムザスが、私の歩調に合わせて歩き始める。 「ちなみに旅の方、あなたのお名前は?」 「エレンだ」 「エレン……様、ですか。……はて、どこかで聞いたような……」 「そんなことはどうでもいい。この街は“記憶の売買ができる都市”で、間違いないな?」 その言葉を聞いた途端、ラムザスの眼鏡が怪しく光った。 口元には、意味ありげな笑みが浮かんでいる。 「えぇ。ですが……ひとつ、付け加えさせていただきましょう」 「この都市――メモリスは、記憶の売買ができる街であると同時に、 “錬金術”にも深く通じた、大都市なのです」 彼は誇らしげにそう言い放つ。 錬金術。 それは、“何かを代償に、別の何かを生み出す技術”。 対価は物に限らず、時に“己の大切なもの”であることもある。 そして、支払う代償が大きければ大きいほど、 生み出されるものの価値もまた、比例して高くなる……と言われている。 「なるほどな」 (エレン……実際にやるわけじゃないけど…… 錬金術を使って、あなたの“身体”を作る……なんて、できたりしないのかな?) ふと、エレナがそう問いかけてきた。 (……やめておけ) 私は、即座にそう返す。 (何かを“代償”として差し出してまで手に入れるものなんて―― 総じてろくなものじゃない。 それに……私はこのままで、不自由していない) 言葉に迷いはなかった。 それは、自分自身への戒めでもあった。 ──下手な願いを口にすれば、 それを叶えるために、エレナが“何か”を支払ってしまうかもしれないから。 ラムザスが一際大きな塔のようなものを指さす。 「あれは記憶の塔です」 「記憶の塔?」 「はい。この都市――メモリスは、確かに“記憶の売買”が可能な街です。 ですが、もう少し正確に申し上げましょう」 ラムザスはメガネを押し上げ、微笑を浮かべながら続けた。 「街の中心にある“記憶の塔”――あそこでは、街にいるすべての人の記憶を覗くことができます。 そして、その仕組みに“錬金術”が応用されているのです」 「……覗く?」 「はい。そして“抜く”ことも可能です。 塔では、特定の記憶を選び出し、
Huling Na-update: 2025-06-13
Chapter: 第34話 戦士の休息「なんか……メモリスに着いたばかりなのに、もうくたびれたな……」 ぽつりと、シイナさんが本音を漏らした。 騒動の残響がまだ耳の奥でくすぶっているようで、降り注ぐ陽光がやけに重く感じられる。 「…………はい」 「……ええ、まったくです」 私とシオンさんが、心の底からの同意を込めて静かに頷く。 疲労感と気まずさとツッコミ疲れ。 それらがない交ぜになった感情が、全員の表情にありありと滲み出ていた。 「とりあえず、どうします? ここからは別行動にしますか~?」 ミストさんが、あえて空気を変えるように軽い調子で提案する。 「ああ、それがいいだろうな」 シイナさんがそれに頷いた瞬間── なぜかミストさんは満面の笑みで天にガッツポーズを突き上げた。 「やったーー!! これで心置きなく未知の探求に没頭できる! 研究の時間が来ましたよォォ!!」 ──その直後。 ガシッ! 「えっ」 ミストさんの歓喜の声は、間の抜けた一言に変わった。 無言で差し伸べられたシイナさんの手が、寸分の狂いもなく彼女の首根っこを掴んでいる。 「お前はダメだ、ミスト。俺と同じ“魔法研究所所属”だろう?」 そう言って、にこりと笑うシイナさん。 その笑顔は完璧に整っているのに、瞳の奥は全く笑っていない。 今日ほど、その事実を恐ろしいと感じた日はなかった。 「さぁ、行くぞ。報告書が我々を待っている」 「アァァァァァ~!! 私の!! 知的好奇心と探究の自由がァァァ~~!!!!」 メモリスの美しい石畳に、儚い絶叫が吸い込まれていく。 あっという間に小さくなるミストさんの背中を、私たちはただ見送ることしかできなかった。 (…………) (…………) 隣に立つシオンさんに視線を送ると、彼は何も言わずに静かに頷き返してくれた。 その深い色の瞳の奥に、いつもの“彼”がいるのを感じる。 こうして私たちは、それぞれ別の場所へ向かって歩き出した。 *** 「あっ……」 (どうした、エレナ?) 街の喧騒の中、私は心の中でそっと彼に語りかける。 この美しい街並みも、美味しそうな匂いも、肌を撫でる風も、 彼は今、私というフィルターを通してしか感じられない。 そのことが、急に申し訳なく思え
Huling Na-update: 2025-06-11
Chapter: 第33話 入門審査 私たちは、メモリスの門をくぐる前。 門番による入場審査を受けているところだった。 周囲には、他の来訪者たちの姿も多く見える。 その分、警備も厳重で、この街で暮らす人たちは、きっと安心できる日々を送っているのだろうと私は思った。 私たちの前にも、順番待ちをしている人がいた。 その中で、ひときわ声を張り上げていたのは―― 知性が高そうな口調の、眼鏡をかけた中年の男性だった。 「まだなのか!? 早くメモリスに入れてほしいのだが!!」 苛立ちを隠しもせず、門番に詰め寄っている。 「申し訳ございません。ただいま審査の途中でして……」 丁寧に対応する門番だったが、男性はさらに不満げな表情を見せた。 そんな中、門番の一人がこちらへ向かって声をかけてくる。 「お待たせしました。ベルノ王国魔法研究所・シイナ様ご一行、審査が終了いたしました。こちらへどうぞ」 その声を聞いた眼鏡の男性が、目を剥いて怒鳴った。 「まてまてまて!! なぜ私より後に来たそいつらが、私より先に通されるのだ!? 説明しろ!!」 門番は静かに答える。 「申し訳ございません。この方々は、我々にとって“賓客”でして」 「はぁ!? 馬鹿馬鹿しい! 私の時間の方が遥かに貴重だ! 私の研究成果の報告が、あんな若造どもよりも後回しにされるなど、許されるはずがない!!」 怒鳴り散らすその声が、広場に響き渡る。 (……なんか、すごく嫌な感じ) 思わず眉をひそめてしまった私に気づいたのか、ミストさんがいつもの笑顔で言った。 「そういう人の言葉は、聞き流した方がいいですよっ!」 「なんだと!!?」 男性の顔は、さらに赤くなった。 今度は私たちの方へ詰め寄ってくる。 「君たちは知らないだろうが!! 私の研究は、この街の未来に多大な貢献をもたらすんだ!! 一刻を争う重要な案件なのだよ!! それを君たちのような旅人風情のせいで遅らされるなど――許せるか!!」 早口でまくし立てる男性に、ミストさんが静かにため息をついた。 「……はぁ」 そして変わらぬ笑顔のまま、ズバッと言い放つ。 「そんな“時間がどうのこうの”って文句言ってる方が、よっぽど無駄ですよ? そんなことより、研究者として“品性”を備えることをおすすめしますっ!!」 「わ、わ、私に品性がないだと!? き、きさまぁぁ
Huling Na-update: 2025-06-10