僕は車の中で、輝信さんと……琴乃さんの話をしていた。
彼女は、魂を賭して美琴を、そして僕を守ってくれたのだ。美琴の言葉を借りれば──魂が攻撃されて死んでしまった場合、その魂は浄土へ昇れず、消滅してしまう。それを知っていながら、琴乃さんは迷わず僕たちを守ってくれた。その事実を思えば、あの山頂での自分の行動は……あまりにも愚かだったと、今さらながら胸が痛む。この命は、琴乃さんと美琴、ふたりの想いに支えられて今、ここにあるのだ。琴乃さんの想い人であり、彼女を同じように想っていた──輝信さん。彼がどんな反応をするか、正直、不安だった。けれど、返ってきた言葉は……想像していたものとは違っていた。「そうか、琴乃がふたりを守ってくれたのか……なら──ちゃんと、生きないとな。きっと琴乃も、それを望んでる」その声は、努めて明るく振る舞う中に、微かな震えが混じっていた。ほんの一瞬だけ、その瞳の奥に悲しみがよぎる。でも彼は、優しく微笑んでくれた。「……はい」僕は深く頷いた。***車内の空気は、少しだけ静かになった。それでも、輝信さんは黙って僕を自宅まで送り届けてくれた。「元気でな、悠斗君!」別れ際、彼は笑顔で手を振った。「俺はこれから琴乃の亡骸を弔ってくる。……また気が向いたら、あの家に来てくれ!」その言葉を聞いて、僕は彼に尋ねた。なにか、自分にもできることはないかと。だけど彼は、そっと首を横に振った。「これは俺が、一人でやりたいことだから」彼の瞳は、どこか遠くを見ていた。そして、こうも言った。呪いが消えた今、琴乃さんが住んでいたあの家に住むつもりだと。そこに、彼女のための大きな墓を建てるつもりだと──(……僕も、ちゃんとお墓参りに行かないと)そう誓った僕に、彼は大きく手を振って車に乗り込んだ。「じゃあな、悠斗君! 達者でなぁ!!」その声が遠ざかっていく。僕は、ただ静かに頭を下げて、その車を見送った。***輝信さんと別れた僕は、その足で――久しぶりに、母さんのいる病院へと向かった。バスの振動に揺られながら、窓に映る自分皆さん、物語を読んでいただきありがとうございます! ここでは、物語をさらに深く楽しんでいただくために、いくつかの裏設定を少しだけ解説したいと思います。 Q1. 迦夜(かや)って、結局何だったの? 第七章で悠斗たちを苦しめた《迦夜》。彼女たちは、琴音の呪いによって生まれた「歴史への怨嗟の集合体」です。 しかし、琴音が戦いの最中に言ったこのセリフ、気になりませんでしたか? > 『ぐぅ……! 吸収し損ねた迦夜の残骸か……! はみ出し者の分際で、妾に逆らうとは……っ!!』 実は、琴音はこの千年もの間、自らが振りまいた呪いが生み出す怨念を、その身に吸収し続けていました。 迦夜の力も怨みも。 つまり、悠斗たちが戦った迦夜は、その巨大な器から**ほんの少しだけ溢れ出してしまった「残骸」**にすぎません。 Q2. なぜ沙月(さつき)の血筋だけが、他の巫女より長生きできたの? 美琴の血筋をはじめ、多くの巫女たちが二十代という若さで命を落とす中、なぜ沙月の子孫だけは比較的長く生きられたのか。 その答えは、**沙月が呪いの元凶である琴音の「実の妹」**だったからです。 力の源流に最も近い血を持つ沙月は、琴音の力を扱える器でした。 (もちろん、全く呪われていない訳ではありません) 例えるなら、他の巫女たちの呪いの進行速度を「2倍速」とすると、沙月の子孫は「等速」で進む、というイメージです。 それ故に、他の巫女よりは長く、三十代~四十代まで生きることができました。 悠斗に一切呪いがないのは、沙月の子孫への強い想いから繋がった、祈りという名の奇跡なのです。 Q3. 忘れられた創設者・沙月の歴史 桜織市の創設者である沙月の歴史は、あまりにも長すぎるため、そのほとんどが人々の記憶から忘れ去られています。 温泉郷にかすかに「清き巫女の伝説」が残るのみで、その全貌を知るのは、桜織神社の墓守である藤次郎の一族だけです。 なぜ歴史が忘れられたのか? それは、沙月自身がそう望んだからです。 彼女は、自分の子孫たちが過酷な宿命に縛られず、自由に生きてほしいと願い、藤次郎の祖先に「真実を語り継ぐ必要はない」と伝えていました。 ちなみに、沙月には**《葵(あおい)》**という娘がいました。 白蛇様の分身体を封印する覚悟を
あれから――さらに、百年もの歳月が流れようとしていた。悠久の風がこの白蛇の山頂を吹き抜ける中、妾は静かに見守り続けていた。悠斗に遺した妾の血を媒体に、彼と美琴、そしてその子孫たちが紡ぐ、全ての記憶と感情を。それが、妾が自らに課した最後の贖罪であったから。二人は、実に満ち足りた生涯を送った。まるで失われた時間を取り戻すかのように、笑い、愛し合い、時には些細なことで喧嘩をしながらも、固く手を携えて。やがて、その腕に新しい命を抱き、慈しみ、育て、そして次の世代へと縁を繋いでいった。霊砂や百合香たち、古の巫女たちもまた、穏やかに天寿を全うし、安らかな眠りについた。その最後の魂が天へと昇ったのを見届けたとき……妾の役目も、ようやく終わったのだ。あぁ……なんと壮大で、愛おしい記録であったことか。妾の呪いが彼らを、そして多くの者を苦しめてしまった事実に変わりはない。が、妾の血を引き継いだ彼らの子孫たちが、この先も数多の物語を紡いでいく。かつてあれほど憎らしいとさえ思ったその事実が、今ではむしろ……誇らしく、喜ばしいとさえ感じるのだ。そんなことを考えていた、その時だった。『……上……』ふと、天から懐かしい声が聞こえたような気がした。いや、気のせいではない。魂に直接響く、凛として、それでいて慈しみに満ちた声。『む……?』『姉上……』見上げると、雲間から光が差し、天から人影がひとつ、静かに舞い降りてくる。妾の記憶にある、ただ一人の姿。『……沙月……!』『迎えにきましたわ』地に降り立った妹は、以前と何ひとつ変わらぬ、穏やかな顔で微笑んでいた。かつては、その清廉さが息苦しくもあった。だが……それがいまは、どうしようもなく心地よい。『ふふ……そなたの蒔いた種が、見事な花を咲かせ……こうして、妾を解放するに至った。感謝するぞ、沙月』そう告げると、彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開き、そして、そっと妾の手を取った。差し出されたその手は、記憶にあるどの温もりよりも柔らかく、そして、暖かかった。千年の時を超え、ようやく妹の手に触れることができたのだ。
あれから――十六年が経った。月日は慌ただしく流れ、私の日常も大きく姿を変えた。私は今、この桜織市で『結び屋』という名の霊媒処を営んでいる。古の巫女である霊砂さんたちとの交流は続き、私の方から「一緒に霊媒師をやらないか」と声を掛けたところ、彼女たちも快く受け入れてくれた。今では、皆が『結び屋』の正式な仲間だ。皆の助けもあってか、いつしか「よく当たる」などと評判になり、かつてのような無名の存在ではなくなった。けれど、やっていることは昔と何も変わらない。ただ静かに、迷える霊たちの傍に寄り添い、その“想い”と向き合い――癒すだけ。かつて、彼女がそうしてくれたように。***バスの車窓から、ふと赤い影を纏った霊を見つける。すぐに停止ボタンを押し、運賃を払ってバスを降りた。いた。あの霊だ。「こんにちは。何か、お困り事でも?」私は、路地裏に佇むその霊に、臆することなく声をかける。『あんた……私が見えるのね……』「ええ。なにか抱えている想がある筈です。私でよければ聞きますよ」『……なんで……なんで私が死ななきゃいけなかったの!? あいつが……あいつが悪いのに……!』胸の内に渦巻く、未練と怒り。それはまだ“すれ違い”の最中なのだろう。「よければ……あなたの話を、聞かせてくれませんか。私にも、力になれることがあるかもしれません」これまで、幾度となく見てきた。怒りに呑まれ、世界を恨んだ霊たちも――きちんと“言葉”を交わせば、癒えるものだと。***『……ってわけがあってねぇ……』先ほどまで荒れ狂っていた霊は、今ではすっかり落ち着き、赤く禍々しかった気配も、まるで嘘のように消えていた。「なるほど……それは、とてもお辛かったですね」そう伝えると、彼女の身体が透き通り始める。浄化の兆候だ。「あとは私が、あなたの想いを引き継ぎましょう」『……ほんとに? いや……なんだか、あんたは信用できる気がするよ……』彼女は、誤解の果てに彷徨っていた。だが、その誤解はいま解けた。約束通り、後日、彼女の言葉を伝える
僕は車の中で、輝信さんと……琴乃さんの話をしていた。彼女は、魂を賭して美琴を、そして僕を守ってくれたのだ。美琴の言葉を借りれば──魂が攻撃されて死んでしまった場合、その魂は浄土へ昇れず、消滅してしまう。それを知っていながら、琴乃さんは迷わず僕たちを守ってくれた。その事実を思えば、あの山頂での自分の行動は……あまりにも愚かだったと、今さらながら胸が痛む。この命は、琴乃さんと美琴、ふたりの想いに支えられて今、ここにあるのだ。琴乃さんの想い人であり、彼女を同じように想っていた──輝信さん。彼がどんな反応をするか、正直、不安だった。けれど、返ってきた言葉は……想像していたものとは違っていた。「そうか、琴乃がふたりを守ってくれたのか……なら──ちゃんと、生きないとな。きっと琴乃も、それを望んでる」その声は、努めて明るく振る舞う中に、微かな震えが混じっていた。ほんの一瞬だけ、その瞳の奥に悲しみがよぎる。でも彼は、優しく微笑んでくれた。「……はい」僕は深く頷いた。***車内の空気は、少しだけ静かになった。それでも、輝信さんは黙って僕を自宅まで送り届けてくれた。「元気でな、悠斗君!」別れ際、彼は笑顔で手を振った。「俺はこれから琴乃の亡骸を弔ってくる。……また気が向いたら、あの家に来てくれ!」その言葉を聞いて、僕は彼に尋ねた。なにか、自分にもできることはないかと。だけど彼は、そっと首を横に振った。「これは俺が、一人でやりたいことだから」彼の瞳は、どこか遠くを見ていた。そして、こうも言った。呪いが消えた今、琴乃さんが住んでいたあの家に住むつもりだと。そこに、彼女のための大きな墓を建てるつもりだと──(……僕も、ちゃんとお墓参りに行かないと)そう誓った僕に、彼は大きく手を振って車に乗り込んだ。「じゃあな、悠斗君! 達者でなぁ!!」その声が遠ざかっていく。僕は、ただ静かに頭を下げて、その車を見送った。***輝信さんと別れた僕は、その足で――久しぶりに、母さんのいる病院へと向かった。バスの振動に揺られながら、窓に映る自分
「……よく戻ったな」 長老の家の前に立ったとき、あの懐かしい声が出迎えてくれた。 琴音のことを村人たちに伝え終え、僕はひとり、この家を訪れていた。理由はふたつ。ひとつは――琴音が告げた、美琴の転生の話を伝えるため。あの人にとっても、美琴はきっと、大切な存在だったから。 「長老……琴音様から、美琴についてのお話がありました」 「ふむ……聞こう」 僕は、琴音が語った言葉をそのまま伝えた。十数年後、美琴は再びこの世に生を受け、僕のもとへ還ってくる、と。 「琴音様が……そんなことを……?」 長老は、信じきれないといった様子で目を細めた。だが、その深く刻まれた皺の奥で、微かな光が灯るのが見えた。 僕は小さく頷く。 「はい。あのとき、琴音様は力強くそう言ってくれました。……あの瞳に、嘘はありませんでした」 静かに、けれども深く頷いた長老の目から、ぽろりと涙がこぼれた。 「そうかぁ……そうかぁ……」 繰り返されるその声に、どれほどの想いが込められていたのか――僕は、その涙の意味を、ただ静かに見守った。 そして――もうひとつ。 「長老、もうひとつ……お願いがあります」 「ほう? なんじゃ?」 「沙月さんの情報を……すべて、書き直してほしいんです」 少しの間、長老は黙っていた。やがて、目を閉じて静かに問い返す。 「それは……構わんが、なぜ今になって?」 「沙月さんのこの村での記録は、偽られたままです。本当のことが、何も残されていない……。千鶴さんが、彼女の子孫である僕達を守るためにそうしたのは分かります。でも、今はもう――その呪いも、終わったんです」 かつて琴音が残した呪いは、もう祓われた。今の村には、彼女を知る人もいない。それなら、もう……彼女の人生を“真実”として遺してもいいはずだ。 「ふむ……。では、文献を作ろう」 そう言って、長老は真っ直ぐ僕を見て頷いてくれた。その声に迷いはなかった。 「ありがとうございます」 知らず知らずのうちに詰めていた息が、そっと吐き出された。 「して……その沙月様について詳しく話してくれるか?」 「もちろんです」 そうして、僕は語りはじめた。あの人が歩んできた、千年の祈りの軌跡を。温泉郷で呪われた霊たちを鎮めたこと。僕に呪いが宿っていなかったのは、彼女の長き祈りがあったからだということ。そして何よ
『……行ってしまわれた……』 琴音様の声が、静かに宙に溶けていく。 彼女は、白蛇様が消えた空を、ただ静かに見上げていた。その横顔に、ふと寂寥の影が落ちる。 「やっぱり……琴音様も、寂しいですよね」 僕の口から、自然とそんな言葉が漏れた。 美琴を失った時の、あの胸を抉るような悲しみとは違う。それでも、この別れを「大したことない」と割り切るべきではない。 あの白蛇様との別れは、琴音にとっても、心の奥底をじんわりと締めつけるものだったに違いない。 『うむ……そして、悠斗。そなたは……落ち着いたようだな』 琴音様が、僕を気遣うように言葉を紡ぐ。 その声に、僕は小さく頷いた。 「はい……まだ、引きずっていないと言ったら嘘になりますけど。でも、あなたの過去を見て……白蛇様や琴音様と、言葉を交わせて……」 そう言いながら、僕は自分の胸に手を当てた。 そこには、美琴への喪失感から生まれた激しい怒りも、琴音様への憎しみも、もう渦巻いてはいない。感情の嵐は去り、ただ深い悲しみが、どこか遠い場所で静かに沈んでいるのを感じる。 癒えたわけではない。けれど、確かに鎮まった悲しみだった。 「……それだけで、充分でした」 僕の言葉は、偽りない本心だった。 彼女たちの過去を知り、その想いに触れたことで、僕の心は救われていたのだ。 『……悠斗』 琴音が、ゆっくりと僕の名を呼んだ。 『彼女……美琴が、このまま救われぬまま終わりを迎えるなど、この妾が……断じて許さぬ』 その言葉に、僕の心臓が大きく跳ねた。 彼女の声には、揺るぎない決意と、美琴への確かな想いが宿っていた。 「えっ……?」 呆然とする僕に、琴音様は真っ直ぐな目で告げる。 『故に断言しよう。美琴は、十数年後――輪廻転生を果たし、そなたの元へと帰ってくるであろう』 輪廻転生……? また、美琴に……会えるっていうのか? 僕の胸に、驚きと、信じられないほどの希望が波のように押し寄せる。絶望で固まっていた心が、少しずつ溶けていくようだった。 『彼女は、それだけ偉大なことを成し遂げたのだ。それくらい転生が早くとも……世界の理も、許してくれよう。悠斗……そなたも、よくやった』 琴音様がそう言った瞬間、僕の目から涙が溢れて止まらなかった。 それは、もう悲しみではない。 安堵と、琴音への感謝、そし