로그인温かな家族の笑い声に包まれた食卓の隅で、蘭は密かにそう自分に言い聞かせていた。食事が終わった後も、紫音はどうしても両親のもとから離れがたい気持ちでいた。老境に入りつつある両親が、わざわざ自分たちの近くにマンションを買って引っ越してきた理由。それは決して、自立して上手くやっている兄のためではない。すべては、他でもない紫音のためなのだ。同じ財界という狭い世界にいる両親の耳に、拝島家の内情が届いていないはずがない。律の義父である宏が、わざわざ海外から『血の繋がった実の息子』を呼び戻し、あからさまに権力争いの火蓋を切ったことを。両親は、孤絶しがちな娘と律の強固な後ろ盾となるため、そして何より、愛する娘に少しでも惨めな思いをさせないために、こうして一番近い距離に駆けつけてくれたのだ。かつて自分の見る目のなさから大きな過ちを犯し、両親に散々迷惑と心配をかけてきた過去がある。その負い目があるからこそ、面と向かって「ありがとう」と口にするのは気恥ずかしく、どうしても躊躇われた。だが、一切の見返りを求めず、ただひたすらに娘を案じてくれる無償の愛情に、紫音の胸は熱く締め付けられていた。最終的に、紫音は今夜はこのマンションに泊まり、明日はここから直接会社へ向かうことに決めた。蘭のことは、兄の州に頼んで車で家まで送り届けてもらうよう手配した。一方の律は、ここから直接病院へ向かうことになった。重病で入院している志津の容態が気がかりだし、あまり遅くなれば就寝の邪魔になってしまうためだ。紫音は今日、律に同行するのを見送った。久々に両親と水入らずで過ごしたかったのもあるが、最大の理由は別のところにある。現在、志津の病室の周りには、遺産や権力を虎視眈々と狙う拝島家の親族たちが常にうろついている。彼らはそもそも、紫音のことを決して身内として扱わず、忌まわしい敵として敵視しているのだ。もし紫音が病院に顔を出せば、間違いなく面倒な嫌味をぶつけられ、無用な口論に発展するだろう。律が一人で行く分にはまだマシだが、今の志津にこれ以上の心労をかけるわけにはいかない。あんな魑魅魍魎が跋扈する泥沼のような一族。そこに縛られるくらいなら、そもそも彼と婚約などするべきではなかったのではないか――理不尽な悪意に晒されるたび、ふとそんな自嘲が頭をよぎることもある。けれど、事
何だかんだと言っても、紫音はこの「未来の義姉」のことが大好きで、心から認めていた。過去のすれ違いはすでに過ぎ去った事だ。一度別れを経験し、波瀾万丈な道のりを経て再び結ばれたのだから、今の二人は互いの存在をもっと深く大切にできるはず。今こんなにも幸せそうに笑い合っている姿を見れば、二人がお似合いなのは火を見るより明らかだった。だから、本来なら心配することなど何もないはずなのだ。けれど、結婚とは一生を左右する問題だ。もし勢いで結婚して、後になって致命的な価値観の違いに気づいたのでは遅すぎる。やはり後で、兄には事前にしっかりと言い聞かせておこう。――何しろ、かつて最悪な婚約破棄を経験した紫音自身が、何よりも説得力のある「生きた見本」なのだから。自分に降りかかったあの地獄のような苦しみを、大切な兄には絶対に味わわせたくないのだ。紫音が内心で静かに決意を固めていると、隣から琴音の弾んだ声が響いた。「二人がそんなに仲良く寄り添っている姿を見られて、親としてもようやく肩の荷が下りたわ」琴音はそう言って微笑むと、優しい眼差しを有加里へと向けた。「有加里ちゃん。州はね、根は本当に良い子なんだけど、昔からちょっと気が短くてね。もしこの子が理不尽に怒ったりしても、決してまともに相手にしちゃダメよ。万が一あなたをいじめたり悲しませるようなことがあったら、いつでもおばさんに言いなさい。私がこってり絞り上げてやるから」冗談めかしながらも、その言葉には深い親心がこもっていた。自分の息子がどれほど優秀であろうと、欠点がないわけではない。愛する女性の想いを裏切るような真似だけは絶対にしてほしくなかった。琴音自身にも紫音という娘がいるからこそ、よその家の大切なお嬢さんを理不尽に泣かせるような男にはなってほしくないのだ。「お心遣いありがとうございます、おば様。でも、州は私に対して本当に忍耐強くて、いつもすっぽりと包み込んでくれるんです。私たちが今こうやって一緒にいられるのは、偏に州の優しさのおかげなんですよ」有加里は頬を緩め、隣に座る州をそっと見つめた。「そのことには、私自身が一番感謝しています。この関係を心から大切にしていきたいですし、絶対に幸せになります。……おば様もおじ様も、私を家族のように温かく受け入れてくださって、本当にありがとうございます」有加里の
「もう、あなたたち。せっかく家に帰ってきたんだから、仕事の話はそこまでにしなさいな。ほらほら、急いで席に着いて」なかなか食卓に集まらない子供たちに痺れを切らしたのか、琴音がキッチンから顔を出して小言をこぼした。「今日は午後からお父さんと二人でずっと仕込んでたのよ。みんなの好物をたくさん作っておいたから。これからはここもあなたたちの家なんだから、食べたいものがあったらいつでも帰っていらっしゃい」子供たちのすぐ手の届く距離にいられるこの小さなマンションを、琴音は心から気に入っていた。何よりも、娘のそばで静かに寄り添えることが純粋に嬉しかったのだ。それから琴音は、食卓の隅で遠慮がちにしている蘭へ、ひときわ温かい笑顔を向けた。「蘭ちゃんは初めてうちの食卓を囲むから、どんな味が好きなのか分からなくって……でも、今日一緒に食べれば好みが分かるわね。次からは食べたいものがあったら、おばさんに何でも言ってちょうだい。紫音と一緒に、いつでも帰ってきていいのよ」一人孤独に戦ってきたであろうこの真面目な娘の部下を、琴音はどうしても見過ごすことができなかった。その言葉には、上辺だけの社交辞令ではない、一人の母親としての純粋な愛情が込められていた。「おば様……本当に、何から何までありがとうございます……」蘭の小さな声は、少しだけ震えていた。「ここでは自分の家だと思って、どうか気を遣わないでね」失恋のどん底で、張り詰めていた心の糸が切れかかっていた蘭にとって、琴音の向ける温もりがどれほど救いになっているか。紫音はその様子を見守りながら、少しだけ安堵の息を吐き出した。食事がひと段落し、和やかな空気が広がるなか、紫音は正面に座る兄へ向かって口を開いた。「お兄ちゃん、最近私バタバタしててちゃんと聞けてなかったけど……有加里さんとの関係、前よりずっと良くなってない?なんだかもう一心同体って感じね」からかうように目を細めつつ、紫音の声には心からの安堵が滲んでいた。「二人がそんなに幸せそうにしてるのを見られて、本当にホッとしたわ。一度離れ離れになっちゃったのは、私のせいじゃないかってずっと気にしてたから」紫音は、州と有加里が自然に寄り添う姿を見て、妹として胸を撫で下ろしていた。昔から自分を厳しく律してきた州が、ここまで誰かに心を許し、大切にする姿など見たこと
驚いて顔を上げた蘭へ、琴音は包み込むような優しい声で言葉を継ぐ。「あなたが普段から紫音をたくさん助けてくれていること、ちゃんと知っているのよ。前にこの子が会社を離れた時も、迷わずそばに残ってくれたんですってね。おばさんね、ずっとあなたに直接お礼が言いたかったの」同じ年頃の娘を持つ母親として、ひどく憔悴している蘭の姿を見ると、琴音はどうしても胸が痛んだ。少しでも温かいご飯を食べさせて元気づけてあげたいという愛情が、自然とこぼれ落ちていた。琴音の温かい言葉に、蘭は目元を潤ませて首を横に振った。「おば様……私なんて全然、何のお役にも立てていません。むしろ、紫音さんの方がずっと私のことを気遣ってくださって。仕事中だけでなく普段も、本当のお姉さんみたいに私を庇ってくれるんです。ご迷惑をおかけしてばかりなのに、本当にありがとうございます」深々と頭を下げる蘭の瞳には、目の前に広がる穏やかな家族の日常がひどく眩しく映っていた。「こうして皆さんが仲良く笑い合っているのを見ると、本当に羨ましいです。私の両親はずっと遠くに住んでいて、私も普段はなかなか帰れないし、向こうもこちらには来られないので……」互いを大切に想い合い、無条件で味方になってくれる家族の絆。その確かな温もりに触れ、蘭は心底この光景を羨ましく思った。若い頃から単身で都会に出て、ただガムシャラに働き続けてきた。過酷な競争の世界で必死に生き抜くなかで、家族の温もりに触れる機会はすっかり失われていた。だからこそ、琴音が向けてくれた無償の優しさが、失恋で完全に冷え切っていた蘭の心に、じんわりと痛いほど染み込んでいったのだ。「だったら、これからはここを自分の家だと思って、どうか遠慮しないでね」琴音はふわりと柔らかく微笑んだ。「おばさんが美味しいものを作った時は、いつでもあなたにもお裾分けしてあげる。紫音にあなたみたいな素敵な親友がいてくれて、おばさん本当に嬉しいのよ。これからも、どうかあの子と仲良くしてやってね」その優しい眼差しからは、蘭のことも実の娘のように愛おしく思っていることがひしひしと伝わってきた。「もちろんです……!普段からお世話になりっぱなしなのは私のほうですが、紫音さんが私を雇い、必要としてくださる限り、私はずっと側でお支えします」蘭はこれ以上ないほど深い感謝で胸がいっぱいになってい
実のところ、紫音自身も拝島家のゴタゴタや志津の不安定な容態が気にかかり、遠出できるような状況ではなかった。もし時間が許すなら、蘭を少し遠くの観光地にでも連れ出してやりたかったが、今は近場を歩き回るくらいしかできない。それでも、蘭の気が少しでも晴れるなら、紫音はどこへでも付き合うつもりだった。「いい?過去のことはもう綺麗さっぱり水に流しなさい。あなたには、もっと相応しい素敵な人が絶対に見つかるんだから」街を歩きながら、紫音は蘭の顔を覗き込んで微笑んだ。「だから、いろんなことを全部一人で抱え込まないで。言いたいことがあるなら、いつでも私に愚痴っていいから。毎日そんなに自分を追い詰めて、ボロボロになったら駄目よ」紫音自身、かつては手酷い失恋の痛みを味わった身だ。心が引き裂かれるようなあの時期の苦しさは、痛いほど理解できる。しかし、それでもいつかは立ち上がり、前を向かなければならないのだ。今の蘭は自分を追い込みすぎている。真面目で思い詰める性格だからこそ、一度悪い方向へ思考がループしてしまうと、なかなか自力で抜け出せなくなってしまうのだろう。「紫音さん……私、自分のことで紫音さんにすっかり迷惑ばかりかけてしまって……」蘭は申し訳なさそうに視線を落とした。「これ以上、あなたのご迷惑になりたくないんです。ただでさえ会社も忙しい時期ですし、紫音さんご自身もご家庭のことで大変な状況なのに、ずっと私のことばかり気にかけてくださって……」蘭の言葉の端々には、深い自責の念が滲んでいた。「わかってるんです。もう塚山さんのことを思い出して感傷に浸るのは間違ってるって……でも、ふとした瞬間にどうしても思い出してしまって……自分でもどうやってこの未練から抜け出せばいいのか分からないんです」これ以上自分を苦しめるのはやめたい。もう終わった恋にエネルギーを注ぐのは終わりにしたい。そう頭で理解してはいても、ぽっかりと空いた心の穴を埋めるには、どうしてもまだ時間が必要だったのだ。「もうっ、いつまでうじうじ考えてるの!ほら、早く行くわよ!」紫音はわざと明るく声を張り上げ、立ち止まりそうになる蘭の腕を引いた。「せっかく二人で遊びに出るんだから、あの時の嫌なことは一旦忘却の彼方へ放り投げてきなさい!今日は思い切りショッピングを楽しむわよ。あなたが気に入ったものなら、なんだっ
その謝罪の態度は必死で、本人も深く反省していることは伝わってくる。だが、今の不安定な蘭の様子を見ていると、その「絶対」がいかに脆い約束か、紫音には痛いほど分かってしまった。「このレベルの資料なら、以前のあなたなら息をするように簡単に作れていたはずよ。それなのに、今のあなたはこんな状態になってしまっている」紫音は苛立ちをぐっと飲み込み、なるべく感情を荒げないよう努めた。手酷く叱責して追い詰めるのは簡単だが、今の蘭はただでさえギリギリの精神状態なのだ。「色々と辛いことがあったのは理解しているわ。でもね、いつまでも過去の幻影にしがみついていてどうするの。人は前を向いて歩いていくしかないのよ」大切に育ててきた優秀な右腕だからこそ、紫音は歯痒くてたまらなかった。こんなところで立ち止まり、自分自身を壊してしまうような真似は、絶対にしてほしくないのだ。「紫音さん、私……本当にごめんなさい……っ」蘭の言葉はそこで途切れ、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。自分でもどうしていいか分からないのだ。上司の期待を裏切ってしまった情けなさ、思い通りにいかない自分の心への苛立ち――行き場のない感情が、涙となって一気に堰を切ったように溢れ出した。今の自分が心底嫌だった。仕事に集中しなければいけないと頭では分かっているのに、心が全く追いつかない。このままでは駄目だと分かっているのに、抜け出す方法が分からない。ただただ、息苦しさばかりが胸に居座っていた。「ああもう、泣かないで。あなたがどれだけ辛い思いをしているかは分かってるわ」ぽろぽろと泣きじゃくる蘭を見て、紫音は慌ててティッシュを差し出した。怒るつもりだったのに、結局は放っておけず、声のトーンもすっかり甘くなってしまう。「私だって、あなたを責めたくて言ったわけじゃないの。あなたは私が一から育ててきた、一番期待しているアシスタントよ。だからこそ、こんなところで負けないでほしいの。分かるわね?」優しく背中をさすりながら、紫音の胸中は複雑だった。慰めるのは簡単だが、このまま蘭自身が立ち直るきっかけを掴めなければ、いずれ彼女自身のキャリアが完全に潰れてしまうという危機感があったのだ。「……ありがとうございます、紫音さん」しばらくして、どうにか泣き止んだ蘭が赤く腫れた目を拭いながら言った。「あの……お言葉に