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第007話

Author: 墨染 雪
紗月は口元に薄い笑みを浮かべた。

「佐藤さん、冗談はおやめください。私のようにあなたに害を及ぼす意図がありそうで、しかも亡き前妻から名前を盗んだような怪しい女を、本当に雇うおつもりですか?」

涼介は、彼女が先ほどの自分の言葉を逆手にとって皮肉っていることに気づき、わずかに目を細めた。

もしもあかりが突然自分の元に現れていなければ、そしてあの娘の気まぐれで頑固な性格を知らなければ、彼がプライドを捨ててまで、このような得体の知れない女をわざわざ引き留めに来ることは絶対になかっただろう。

ここへ来る前、彼は彼女の経歴を調査させていた。

海外での経歴は非常に華やかなエリートそのものだった。それなのに、帰国して提出した履歴書の希望職種が「青湾の邸宅での世話係」だったのだ。

涼介自身、あるいは佐藤グループに対して何らかの黒い企みを持っているとしか思えなかった。

「あれっ……」

二人が玄関先で対峙していると、廊下を歩いていた向かいの住人が驚いたような声を上げた。「あの人……もしかして、佐藤涼介さん?」

涼介はビジネス界のトップとして頻繁に経済ニュースに登場するため、この桐島市で彼の顔を知らない者はほとんどいない。

背後から聞こえてきた声に、涼介は不快げに眉をひそめた。

次の瞬間、涼介は強引に紗月の腕を掴むと、彼女を部屋の奥へ押し込むようにして素早く中に入り込んだ。

バタンッ!と、重いドアが閉まる。

外からは、隣人のひそひそ話す声が漏れ聞こえてきた。

「やだ、見間違いじゃない?佐藤さんみたいな大物が、こんな普通のマンションに来るわけないじゃない。それに、女の人にドアを閉め出されるなんてあり得ないわよ」

「だよねぇ。佐藤さんには、もう五年も付き合ってる綺麗な婚約者がいるんだし……」

足音とともに、二人の話し声は次第に遠ざかっていった。

外が完全に静かになると、紗月は腕を組み、涼介を冷ややかに見つめた。

「佐藤さん。彼女たちの言う通りですよ。あなたのような立場の人間が、私のような者が住む普通のマンションに足を運ぶべきではありません」

涼介はその嫌味を無視し、ようやく顔を上げて部屋のインテリアを淡々と見渡した。

壁に掛けられたアート、テーブルの上の観葉植物、そして玄関の棚にちょこんと置かれたクマのぬいぐるみ。

ふと、彼は六年前の過去にタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。

結婚したばかりの頃、桜井紗月はいつも部屋の飾り付けに忙しそうにしていた。

『ここには大きな絵を飾ったほうが映えるわ!』

『ここに観葉植物を置けば、お部屋に温かみが出るのよ』

『玄関にクマのぬいぐるみを置いたの。これでドアを開けたとき、誰かが「おかえり」って出迎えてくれる感じがするでしょ?』

涼介は視線を戻し、かつての妻と同じ美しい瞳を持つ目の前の女を見下ろした。

この女は、意図的に『桜井紗月』を模倣している。

歩き方も、体型も、そして彼女が好むインテリアのテイストに至るまで、すべてが緻密に計算されたコピーだ。

桜井紗月の好みを調べるのは、決して難しいことではない。

かつての彼女は少し名の知れた画家であり、自分の日常生活やインスピレーションをよくSNSに投稿していた。インターネットにはすべての記録が残っている。その気になれば、桜井紗月の嗜好や習慣など簡単に調べ上げることができるのだ。

涼介の視線が、リビングのテーブルの上に置かれたティーポットに止まった。

彼は薄く冷ややかな笑みを浮かべると、主人のように優雅にソファへ腰を下ろし、勝手に自分用の茶を注いだ。

「……お前も、茶が好きらしいな」

紗月は眉をひそめ、短く「ええ」とだけ答えた。

涼介はティーカップを口元に運び、一口すすると、嘲るような笑みを深めた。

それは、ジャスミン茶だった。

しかし、彼の妻である桜井紗月が好んで飲んでいたのは、高級な緑茶だったはずだ。

涼介はカップの縁を指で軽くなぞりながら、勝ち誇ったように顔を上げた。

「だが、お前は肝心なところでミスを犯したぞ。

亡き妻の仕草を真似し、部屋の至る所に妻の痕跡を作り上げて俺を誘惑しようとしたのだろうが……茶でボロが出たな。

妻も茶を好んではいたが、俺と同じ『玉露』を愛飲していた。ジャスミン茶など、一度も口にしたことはない」

紗月は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに涼介の言わんとしていることを理解した。

そして、心底可笑しそうにふっと微笑んだ。

「へえ……佐藤さんの前妻は、玉露がお好きだったんですね」

当時、涼介と暮らすようになってから、彼が玉露を好むと知った紗月は、それに合わせるように「私も好きだ」と伝えていた。

しかし、もし涼介が少しでも妻の日常に関心を向けていたなら、紗月が普段飲んでいるのがジャスミン茶であることくらい、すぐに気づいたはずなのだ。

「……やはり、わざとだったか」

涼介はティーカップをテーブルに置いた。

ガチャン!と、ガラスのテーブルにぶつかる鋭い音が響く。

彼の深く冷え切った瞳が紗月を射抜いた。

「お前がこれほどまでに俺の妻を模倣する裏には、一体どんな企みがある?」

紗月は動じることなく涼介の向かいに座り、自分用の茶を注ぎながら淡々と返した。

「佐藤さんは、私の目的が何だと思われますか?

亡き奥様を崇拝し、彼女になり代わりたいと願っているのか。それとも、佐藤さんを崇拝し、彼女の真似をすることであなたに気に入られたいと思っているのか。

……この二つなら、どちらがお好みですか?」

涼介は鋭く目を細めた。

「もし目的が俺に取り入ることなら、今すぐそのくだらない考えは捨てろ」

紗月は小さくあくびをするふりをして言った。

「つまり、佐藤さんはそもそも前妻を愛してなどいなかったから、私がどれだけ彼女の真似をしたところであなたの心は動かない……ということですね?」

涼介は氷のような視線を突き刺したまま、沈黙した。

その圧迫感のある視線を受け流し、紗月は微笑みを浮かべ続けた。

「もし本当に佐藤さんを喜ばせたいなら、前妻ではなく、今の婚約者の真似をすべきですよね?かつての義妹を婚約者の座に据えたのですから、さぞかし彼女への愛は深いのでしょうし」

愛は深い――

その言葉に、涼介の眉間が険しく歪んだ。

しばらくの沈黙の後、彼は紗月をじっと見据え、一文字一文字を噛み砕くように言った。

「……理恵と婚約したのは、妻の望みだ」

「ほう。それは、亡くなる直前に奥様がわざわざお願いしたことですか?」

紗月は優雅に足を組み替え、表面上は完璧な冷静さを装っていたが、内心では怒りで全身の血が沸騰していた。

あの二人が私にあんな残酷な仕打ちをしておいて、今になって「あれは妻の遺志だった」などと平然とほざくなんて!

紗月はティーカップを持つ手の震えを必死に抑え込み、うつむいてお茶を一口すすった。

「奥様は、本当に心の広い方だったんですね。死の間際に、愛する夫を他の女に譲るだなんて」

涼介の瞳が一瞬にして絶対零度に冷え込んだ。

彼は殺気すら帯びた目で紗月を睨みつけた。

「自分の立場を弁えろ。今後二度と、俺の前で妻のことを口にするな」

そう言い捨てると、涼介はスマートフォンを取り出し、どこかへ電話をかけた。

数分後、玄関のドアがノックされた。

外に控えていた執事の悠真が書類を手に部屋へ入り、テーブルの上に置いた。

「椎名さん。こちらは雇用契約書です。ご不満な点があればご遠慮なくお申し付けください。可能な限り調整いたします」

紗月は契約書を手に取り、素早く目を通し始めた。

「私にとって、この世話係の仕事はあくまで副業です」

彼女は淡々と条項の一つを指差した。「ですが、当分の間は、あかりお嬢様のお世話に全力を注ぐとお約束します」

さらに紗月は、いくつかの細かい条件についても指摘し、的確な代替案を提示した。

紗月と悠太の話し合いは、驚くほどスムーズに進んだ。一方で涼介は、離れた場所から氷のような目で虚空を見つめ、何事かを深く考え込んでいた。

30分後、契約書の細かな内容がすべてまとまった。

紗月はペンを取り、ためらいなくサインを書き込んだ。

これで第一段階――青湾の邸宅に潜入する計画は無事に成功した。

契約が完了し、涼介が席を立って部屋を出ようとしたその時、彼のスマートフォンがけたたましく鳴り響いた。

「涼介様!」

電話の向こうから聞こえてきた邸宅の使用人の声は、パニックに陥っていた。

「桜井理恵様がいらっしゃいました!あかり様を部屋から無理やり引きずり出して、『この子は偽物だ!』と騒いでおります!どうか、すぐにお戻りください!」

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