桜井紗月(さくらい さづき)は、妊娠していた。陽性を示す検査薬を握りしめ、彼女は胸を高鳴らせながら家路を急いでいた。このサプライズを、夫の佐藤涼介(さとう りょうすけ)にどう伝えようか――帰り道、そんなことばかり考えていた。半月ほど出張に出ていた彼は、明日には帰国する予定だ。家に着き、玄関のドアを開けた紗月は、ふと足を止めた。脱ぎ捨てられた見慣れない女性物の靴が目に飛び込んできたからだ。紗月は怪訝に眉をひそめた。この靴には見覚えがある。数日前、妹の桜井理恵(さくらい りえ)が買ったものだ。でも、理恵は涼介と一緒に出張へ行っていたはずじゃ……?その時、二階から微かに女性の甘い声が聞こえてきた。間違いない。妹、理恵の声だ!紗月は思わず唇をきつく噛みしめた。全身の血の気が引き、細い体が震える。続いて男性の低く掠れた声も聞こえてきた。この家にいる男性など、自分の夫である涼介以外にあり得るだろうか。何かに操られるように、彼女はふらふらと階段を上り始めた。寝室の扉に近づくにつれ、奥から漏れ聞こえる男女の生々しい声が、より一層はっきりと鼓膜を打つ。「……姉さんが帰ってきたら、どうするつもり?」甘く媚びるような理恵の声。それとは対照的に、涼介の返答はひどく冷淡なものだった。「知るか。どうでもいい」「姉さん、ずっと涼介さんの子供が欲しいって言ってたのにね。結局、先に妊娠しちゃったのは私だわ。……姉さんにどう言い訳するの?」「言い訳などしない。……どうでもいいことだ」彼の声には、妻への未練も罪悪感も微塵も感じられなかった。その瞬間、紗月の心は完全に凍りついた。ドアノブに伸ばしかけていた手が力なく宙をさまよい、やがてゆっくりと下ろされる。結局のところ、扉の向こうの光景を直視する勇気など、彼女にはなかった。今さらドアを開けたところで、残酷な現実が変わるわけではない。涼介が紗月を愛していないことなど、周囲の誰もが知っている事実だった。それでも彼女は、全てを投げ打ってでも彼と結婚する道を選んだのだ。結婚してからの二年間、彼の子を授かりたい一心でいくつもの病院を渡り歩き、どんな辛い不妊治療にも耐えてきた。そして今日、ようやく彼の子を身ごもったことが分かったというのに。彼は今、自分たち夫
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