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貴方が愛したわたしはもういない
貴方が愛したわたしはもういない
Author: 缶小豆

1 愛する人の裏切りを知る

Author: 缶小豆
last update publish date: 2026-09-22 18:56:34

バーの個室では騒がしい音楽と笑い声が響いていた。

綾川紗良は、目の前に寄り添う二人を呆然と見つめていた。

今日は、会社創立四周年を迎える記念すべき日。

そして紗良と四年間付き合ってきた恋人・柏木凌平との交際記念日だ。

会社の上場も具体的に動き始めた。

紗良は、いずれ結婚するのだと疑いもしなかった。

——けれど

この数か月の間、凌平への愛は少しずつ確実にすり減ってきた。

原因は、彼が義妹の水野澪奈を何度も何度も優先し庇い続けたことだ。

「上場出来るまで大きな会社になったのは、お前たちのおかげだ。そして澪奈、お前がいつも俺を支えてくれるおかげだよ」

そう優しく微笑みながら、凌平は義妹の水野澪奈を強く抱きしめる。

その瞬間店内に多くの口笛が吹かれ、恥ずかしそうにする澪奈と満足そうに笑う凌平が見える。

紗良は、目の前で起こっていることが受け入れられず、足から温度が抜けていくような冷たい感覚の中で頭が真っ白になる。

それに追い打ちをかける声が店内に響き渡った。

「紗良じゃなくて、もうこのまま澪奈と結婚しちまえよ。会社が大きくなったのは澪奈の支えがあってじゃないか?」

その声の主たちは、会社の役員たちだ。

彼らに認められた二人の関係。

それに気をよくした澪奈は、凌平に抱かれたまま悲しそうな顔をして服の袖を掴む。

「私はそんなことを望んでいないわ。ただ、紗良さんは一人で会社を作ったように、凌平のことを馬鹿にした態度で接するでしょ。せめて私が凌平を支えてあげたいの」

そう言って潤んだ目で凌平を見つめている。

馬鹿にした態度って何?

凌平が嫌がる仕事や出資者を募る仕事、研究は全部私が請け負ったのにどうしてそんなふうに……

入り口で立ち尽くしたままの紗良は困惑する。

「本当だよ。もう少し紗良が婚約者を立てようという気なら俺たちだって応援する。でも、あの性格で、ブスで地味な姿をみるとゾッとするよ」

その声にどっと笑いが起きる。

「お前の助けがないと俺はここまで頑張れなかったと思う。ありがとう、澪奈」

凌平は抱きしめた腕を首筋に伸ばし、その唇に舌を絡めた。

もう周囲は囃し立てない。

むしろ、見ないように背中を見せて気を配っている。

見られていないのにみられている。

その背徳感にぞくぞくして澪奈は上目遣いに凌平を見つめ、「凌平、愛してる」と呟いた。

「澪奈、俺も愛している」

そう言い、再び深い口付けを交わしながら、その手はみんなに見えない背後に進み、太ももを撫で上げスカートの中に入っていく。

だが、その瞬間。

ガタン

凌平の背後で誰かが椅子を倒したような音を立て、振り返る。

中にいたメンバーが二人から目を逸らした瞬間、入り口の紗良を視界に捉えたからだった。

「……紗良、どうしてここに」

顔面蒼白になり見るからにショックで体が震えた状態の紗良に対して、眉間に皺を寄せた凌平は見るからに嫌な顔をした。

婚約者がなぜここにいるかは気にしても、どうしてこんなにショックを受けているのかは気にならないのね。

「……どうして?いえ、それは私が聞きたいものね」

紗良の視線は澪奈のスカートに差し込まれたままの凌平の手から逸らすことはない。

この状況、説明出来るのかしら?

そう態度で示した。

「ゲームをしてふざけ合っていただけだよ。」

その手を何ごともなかったかのように抜き、凌平は澪奈に「心配しなくていいからね」と優しく声をかける。

そして、憎々しげに紗良の方を睨んだ。

「今日は、みんなに俺の慰労パーティーを開いてもらっていたんだ。紗良は呼ばれてないと思うが?」

「ああ、功労者だけが招かれる会だからな。お前は招待してないよ」

経理の大谷誠司が声を荒げて、入り口にいた紗良を強く押す。

それにより紗良の体はよろけ、かけていた度の合わない安物のメガネが顔からずり落ちる。

「この店はドレスコードがあるんだ。そんな薄汚れた格好でこられたら迷惑だ」

凌平の秘書の剣崎優が凌平と澪奈の間に立ち、紗良は自分より大きな男性二人から囲まれる形になる。

それを凌平は庇うことも止めることもしない。

「剣崎さん、紗良さんだってみんなと親しくなりたくてきただけかもしれないよ。やり方が強引だとは思うけど……」

凌平の袖から手を離さない澪奈は、紗良は困った人を見るように眉を下げた。

「慰労……というのは、今日が会社設立4周年だから?」

そう力なく微笑みながら聞く紗良に、凌平の顔は強張る。

紗良は、会社の設立資金を出し、更には研究資金を出資してくれる人を探し、AI開発を進め製品化まで漕ぎ着けた。

それを手伝った者はここにいない。

それでも、凌平が4年前に言ってくれた言葉を信じていたからここまで頑張れたのに……

紗良は、今までの自分の行動が情けなくなる。

「……あなたの言うとおりね」

紗良は小さくため息をついた。

「ただのゲームだよね。邪魔してごめんなさい。二人で楽しんで」

乾いた笑いを漏らし、その場を立ち去ろうとした。

だが——

「せっかく来たんだし、紗良さんも一緒に楽しみましょう。このお酒、凌平が私のためにバーテンダーに作らせたの。ねえ、紗良さんも飲んでみて」

澪奈はわざと開けている胸元にカクテルグラスをかざし、いくつか赤い痕が残っているのを見せつける。

そしてその上には——滲んだ口紅。

「あら、他人の彼氏の唾液とそのお酒、どちらがおいしかった?義妹さん?」

紗良は冷やかな目で澪奈のキスマークをわざと覗き込む。

「おい!その言い方はないだろう?呼ばれてないのに場を乱して更には澪奈にまで!謝れよ」

拳に血管が浮き出るほどの怒りを滲ませ凌平が迫る。

だが、その怒りの表情を見れば余計に冷静になっていく。

紗良は、背後から怒鳴り声が聞こえるのを無視してバーを後にした。

◇

四年前——

紗良と凌平が出会ったのは兄将暉の墓前だった。

実験事故によって、大好きだった兄を突然失った紗良はまるで世界そのものが崩れ落ちてしまったかのように感じていた。

そんな彼女の前に現れたのが凌平だ。

自分は将暉の親友だと名乗り兄の思い出や紗良の知らないエピソードをいくつも聞かせてくれた。

あの瞬間、紗良は心から信じた。

——この人は、兄が自分に残してくれた最後の贈り物なんだと

結局、結婚どころか、会社を大きくするために利用されただけ。

紗良が家まで帰る途中、何度かスマホのバイブが鳴る。

それを取り出して再びため息をついた。

スマホに示される凌平の名前を見た一瞬の期待と絶望がそこにある。

「あの態度は何だ?」

「みんなに謝れ」

「澪奈がお前のせいでショックを受けている」

「澪奈に謝れ」

メッセージの件数は30件を超えていた。

全て紗良を否定するものと、謝罪を求めるものだ。

紗良はそれに返答することはなかった。

代わりに表情を変えることなく、久しぶりに一つの番号をタップする。

電話の相手は元婚約者の藤代宗明。

「ご無沙汰ね。半月後東京に戻ります。あなたとやり直したい」

続いて響いたのは、冷たくよそよそしい男の声だった。

「紗良、俺の記憶違いでなければ、以前君は『恋人』が出来て俺たちの婚約を破棄したはずだ」

「その男とは別れる……」

「……俺の手はいるか?」

冷え切った宗明の声には、相変わらず有無を言わせない強引さと、強い侵略性が滲んでいた。

「大丈夫」

紗良はキッパリと答えた。

「彼とのことは私が綺麗に片をつけるから。手は煩わせない」

——私のものを私の手で取り戻す。

ただ、それには少し時間が必要だった。

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