Chapter: 7 20年前にそこにいた人物瞳は、そっと袋ごしに鉛筆をつまむと静かに目を閉じた。ここからは、お金に見合っただけの苦しみを味わわなくてはいけない。この事件の真相に触れて、ちゃんと結果を伝える。そう自分に言い聞かせて大きく息を吐くと、全身にとんでもない重力が押し寄せて来た。苦しい……重い……それは、この鉛筆を持っていた者の苦しみか?それとも、過去に遡る自分への負荷なのか?その境界線が分からなくなっていく。最初に景色が広がって見えたものは、真っ赤な血の海だ。覚悟はしていたが、その光景は目を背けたくなる惨状だった。瞳は、自分に見えたものを、流星に事細かに伝えるように努力する。「この鉛筆は……男の子が持っている。でも、この子はすでに死んでるわ」男の子が力なくだらりとしている。すでに胸が動いていない。衣服が血まみれだ。(もう少し遡ろう。鉛筆はこの過去を知っている)鉛筆に血はついていないが、間違いなくこの現場の景色を見ていた。そのため、その少し前の時間に遡るように意識する。だが、瞳は少し息苦しい感覚に襲われ始めた。「男の子の手にこの鉛筆は固く握られているわ。そして……男の子は刺されたのね。包丁もこの鉛筆の周りも血まみれ……鉛筆は……男の子が握っていて、血溜まりと手は距離があるから血はついていない」「見えるのか?でも、これは被害者は握ってないぞ。現場には落ちていたが……」流星の声は、瞳にはぼんやりとしか届いていない。遠くの世界でその声が聞こえる感じだ。返答をしすぎると、今の時間に戻ってしまうが、この声があるから戻りやすいとも言える。瞳は、そのぼんやりとした声に答えていった。「うん、そうね。死んで手の力が抜けて……今、コロコロ転がった。そばでは、男の人と女の人がすでに刺されているわ。最後に殺されたのが子供だったのね……母親が殺された後、どうして?おじさん!そう叫んでいた」瞳の見ている前で刺された男の子は、恐怖と刺された痛みで目を見開き、短時間で生気を失い血溜まりの中に沈み込む。その男の子が死に至る経過が示され、瞳はうっと吐きそうになる。すでに目の前には子供も含めて三人が死んでいる。(鉛筆は、犯人の顔を見ているかしら?)「目の前では、男の子を守ろうとしたのかしら?子供より先に女の人が死んでる……もう少し前にもどるわ」(顔を見ることが出来たら、容疑者の候補の写
最終更新日: 2026-08-29
Chapter: 6 家賃の立て替えをお願いします瞳は、大家から渡された請求書を前に、朝から真剣に悩んでいた。「どうしよう。多分振り込みのほうがいいよね。証拠をちゃんと残さないと、昨日みたいに現金を奪って、これは利息だって言いかねない」でも……その前に18万だ。昨日は欲張らず、その半額で交渉をすべきだったかしら?でも川村の態度を見たら、タダで能力を使うのは当然って言いそう。もし、次に来たとしても、最初にきちんと請求しないと踏み倒されそうだわ。「うん、絶対全額請求しよう」瞳は手を握りしめて、固く決意する。今日は外に稼ぎに行かず、あの二人を待たないといけない。占いで稼げても、せいぜい1万稼げたら良いほうだ。でも、彼らは18万に変わるかもしれない。「来るなら早く来てくれないかな……」瞳は、ごろっとその場に横になった。その目に映るのは、四畳半の部屋にある段ボールの机と小さな冷蔵庫……そして、小さな鍋。テレビどころかタンスすらないし、服も下着もバッグ一つに収まる量だ。占い師でもないのに、演出に使うための占い道具の方が多かったが、それも昨日大家に壊されたまま置かれている。贅沢をしているつもりはないけど……結局、母と同じように占いと夜職をしないと支払いは出来ないのかもしれない。でも、夜職といっても、今の話題すら知らないのにお客さんと話せるだろうか?彼氏すらいたこともないのに、色気が出せるだろうか?テレビに出たこともあったから、能力を見せろって言われたらどうしよう……その時、金属のカンカンという音が聞こえて、ガバッと起き上がる。来たっ!ドアを叩く音が聞こえて、昨日の大川流星の声がした。「すいません。大川です」気を遣っているのか?周りに知られたくないのか?警察とは言わず、少し小声で声を出す。瞳は慌てて髪を整えて、そっと玄関横の窓を開けた。「あら?ひとり?」川村がいない。周辺に誰もいないことを確認する。流星は背筋を伸ばし、引き攣った顔で窓を開けた瞳の方を見る。そして、瞳と視線が交差すると軽く会釈した。瞳も思わず会釈を返し、自分の心臓がバクバクと音を立てるのを感じ取っていた。(来た!ということは……家賃を返せるチャンス!)心の中で、いやっほぉ!とガッツポーズをする。いや、待って!まだ分からない。無料で見ろという昨日の話の続きかもしれない。ここは、気合を入れて
最終更新日: 2026-08-28
Chapter: 5 依頼料は18万円その後流星は、川村と共に山川温泉の華月旅館でのんびりと温泉に浸かっていた。平日ということもあり、温泉の露天風呂は自分たち二人しかいない。川のせせらぎが聞こえて来て、少しひんやりとした風が頬をすり抜けていくのが気持ち良い。「いいお湯ですね」流星は、はーっと一息吐いた。先ほどの、瞳の最後の言葉が気になってしまって、ずっとモヤモヤしている。せっかく、滅多に体験できない高級温泉旅館に宿泊出来るというのに……ああ!忘れろ!忘れてしまえ!流星は自分の頭にそう言い聞かせていた。川村はそんな流星の様子に気づかず、流れる汗を拭い外の風景に目を移している。「本当にいいお湯だな。有名な温泉でもないのに、さすが久保田課長だよ。よく、知っている」だが、しばらく温泉を楽しんだ後は、少し緊張が取れたのだろう。先ほどの倉坂瞳についてつぶやいた。「18万はぼったくりだよ。1万でも考えるね」突然、川村から前触れもなく言われた言葉に、流星は忘れることを諦めた。「18万なんて、俺の初任給の手取り1か月分ですよ」そう批判めいた口調で、流星も川村に合わせようとした。川村もその反応に満足そうな顔をして、話を続ける。「ああいう人の足元を見る商売をする奴らが、俺は一番嫌いなんだ。遺族にああいうのが、たかるんだよ。占いとか、宗教とか」その気持ちはとてもよく分かったので、流星も頷く。被害者や遺族に、わざと誹謗中傷をしてくる人や、先祖の供養が悪いからこうなったのだと言ってくる人、霊に呪われているのだという霊媒師や、警察以上に調査できるという言葉で商売する探偵など……人の不幸を商売や思想に使う人間を、流星も軽蔑していた。そして、そんな家族の苦しみを知っているくせに、18万をふっかけたあの女性に、川村が嫌悪を持つのも当然……ただ、彼女が売り込みに来たわけじゃなくて、今回は俺たちが押しかけたのだ。そうなると、自分たちも同じことをしていることにならないか?そして、あの能力……嘘だと言い切っていいのか?電子タバコのトリックはどうなっていたのだろう?瞳が川村係長の名前を言い当て、俺たちがここに泊まることがなぜわかったのか?そう考えると、再びドツボのループにはまっていく。だめだ!彼女のことが頭から離れない!「先に上がらせてもらいます」ザバッ!流星は、勢いよく立ち上がり、温泉か
最終更新日: 2026-08-28
Chapter: 4 電子タバコは見ていた二人が帰った後――はぁぁぁぁ!!瞳は思いっきり息を吐き、ずるずると座り込んだ。「ああ、せっかくのチャンス、交渉失敗だわ……どうしよう」頭を抱えて、どう言えば18万払ってあげるからと言ってもらえたのかわからず途方に暮れる。あの警察の男の子、同じくらいの歳かしら?自分は学校に通えなかったので、同じ年齢の人たちと話をする機会がほとんどなかった。こうやって、同年代を間近にすると、普通に学校に通い、就職した人たちはこんなふうに社会で活躍しているのかと感じる。「いいなあ。真っ当に生きていたら、こんなふうに大家に突き上げられることも、瑕疵物件に住むこともないのよね」天井を仰ぎながら、今もらった警察署の所属先の入った無機質な名刺に触れようとする。しかし、その手は空を舞っただけで止めた。「無闇に人の情報を覗かなくてもいいよね。もらった名刺から、男の名前は大川流星だと分かったわけだし……」小さな段ボールに布をかけた机に、その名刺を投げ出した。「ふふっ、真面目くんなんだろうな。警察が表立って私のところには来られないから、川村は手帳をなるべく見えないようにしていたのに……」大川流星は、川村の努力も虚しく自分の名刺を差し出し、どこに所属しているかまでこちらに提示した。大川がボーッと瞳の顔を見ている表情を思い出して、思わず笑いが漏れる。「もう少し感じたことや思ったことを隠すものよ?あれで仕事になるのかしら……」瞳は警察が嫌いだ。しかし、大川については不思議と嫌な気持ちにはならなかった。多分、最低限の礼儀を尽くす努力をしてくれたからだわ。この能力を使う仕事は、川村のように嫌悪感を露わにする人や見下した態度で見る人が多い。だから、ご丁寧に教える必要はなかったのだけど。「川村には気をつけて……」◆瞳は、川村の電子タバコを手にした時のことを思い出していた。川村からそれを受け取った時、瞳が遡った過去は2日ほど。頭の中に、この電子タバコが見た過去を遡っていく。(このぐらいの日にちなら、私の体も負担が少なくて、遡りやすいのだけど……)あの時、瞳は電子タバコが見た過去を見ていた。電子タバコの位置は固定されていないので、タバコの視点もマメに変わる。手で持ち歩くときもあるし、ズボンの尻ポケットに入れることもある。机の上に置かれていることもあった。受け取
最終更新日: 2026-08-27
Chapter: 3 彼女の能力は本物こんな可愛い子、自分の周辺にいない。顔小さいなあ、人形みたいだ。流星に雷が落ちた理由はこれだ。初めて芸能人に会ったような、同じ人間ですか?と思うぐらい、顔が小さいのにパーツが大きくて体は華奢だ。写真よりは大人になっていたが、可愛らしさが美しさに変わっただけだった。まっすぐな肩を過ぎたところまで伸びたストレートの黒髪。真っ黒なぱっちりした目に長いまつ毛。日焼けしていない白い肌。これは、芸能事務所も動くわ……そう納得する顔立ちだ。その反面、人形のように表情がなく、まるで陶器の肌かと思わせる血色のなさ、痩せ細った首筋に、人ではないような薄気味悪さも感じていた。生きた日本人形のような雰囲気だ。「突然伺って申し訳ありません。私はA県の幕田警察署の者です。実は、あなたがかつて未解決事件を解決されたことがあると思うのですが、その時の事をお伺いしたかったのです」流星が、瞳に思わず見惚れている横で、川村は淡々として表情を出さない。まるで事件の聞き取りのためにやってきたかのようなふりをして、警察手帳の表紙をちらっと見せる。(へぇ、さすが川村係長!そう言われたら、当時の自分の能力の話をせざるを得ないもんな)流星も、真面目そうな顔をして、同じようなふりをする。それを見て、瞳は流星をじっと見た。「あなたタバコ吸ってる?」「え!俺はタバコは吸わないよ」突然の瞳からの問いかけに、流星は慌てて手を振って吸っていないと答え、川村を見る。「私は、電子タバコだけど……」川村も、情報屋からタバコを要求されることもあるが、まさかこの子が?と目を丸くさせながら、驚きの顔を隠せない。「それでいい。貸して」川村に、瞳は怯む事なく要求する。「え?いや、電子だよ。新しいカートリッジをセットしようか?」電子タバコは、本体とは別にカートリッジがなければ吸う事ができない。川村が提案したにも関わらず、瞳は首を横に振って、不要だと断った。「大丈夫、吸うわけじゃないから。あなた達が本当に警察なのか確認がしたいの。その手帳を貸してとは言えないでしょう?」瞳は、流星と川村から視線を外さない。「これで……私たちが警察だと分かるのか?」そこまで言うなら仕方あるまいという顔で、手帳を入れていた場所と同じ胸ポケットから川村はしぶしぶ電子タバコを出す。瞳は、川村の動きの一つ一つか
最終更新日: 2026-08-27
Chapter: 2 触れたものの過去がわかる彼女との出会いコーポA201号室――お世辞にも綺麗とは言えない家だけど、こんなところに本当に自分と同じ年齢の女性が住んでいるのだろうか?今、男は人生を大きく変える女性と運命の出会いを果たそうとしている。◇A県警 幕田警察署 捜査一課 大川流星は25歳である。彼女いない歴は25年。交番勤務を経て、次はどこに異動だろうと喜んで行った職場は、大半が男性ばかりの出会いがない捜査一課だ。これは、彼女いない歴も更新されていく一方じゃないのか?(自分でいうのもなんだが、見た目がそこまで悪いと思ったことはないんだけど……縁がないのかなあ)身長も176センチと高すぎることも低すぎることもない。顔も、一般的なところだろう。警察官らしく、清潔感は意識している。剣道だって有段者だ。なよっとしていないし、頼り甲斐のある男性を目指している。それなのに!いよいよ、マッチングアプリで出会いを探さないとダメか?流星は頭を抱えて、マッチングアプリに登録すべきか真剣に悩み始めていた。「早い奴は、もう結婚し始めている。先日も学生時代の友人の結婚式に行ったしな。でも、縁は無くても上司や先輩はかわいがってくれるから、誰かが紹介してくれないかな」いいことを思いついたと流星の表情は明るくなる。しかし、可愛がられるは、頼みやすいであり、押し付けやすいである。今日も、定年間際の課長、久保田敏治から「流星、ちょっと頼みたいことがある……」そう声をかけられた。自分の他には、係長の川村優希も呼ばれている。上司二人に呼ばれたら、ほぼ新人の自分は何かやらかしたか?と最初に疑うのは当然。一気に緊張し、背中に汗が伝う。(とりあえず、良いことではないだろうな)捜査一課は、事件を担当することが多く、やらかしの内容によってはマスコミに発表しなくてはならないものから、裁判に発展しかねないものまである。しかし、頼みたいって言ってなかったか?よく考えると、そんな重要案件を担当したことはない。「ああ、固くならないでくれ。君にしかお願いできないことがあって声をかけたんだよ」久保田は、間違いなくお願い事だとにこやかに笑って、手招きをする。君にしかできない?自信を持って断言できる。俺にしか出来ない仕事なんてない。絶対、こいつ今暇だ。何だったら、休みの日だって暇だろう?そう思われている自信がある。
最終更新日: 2026-08-26
Chapter: 80 魔力防御の手がかりと万能薬話は再び塔の二人に戻る。月影狼の目玉で《夜目レンズ》を作り、ミレイユが充血した目になったその後のことだ。ミレイユとレオンハルトは二階に戻っていた。レオンハルトが淹れてくれたコーヒーを口にしながら、ミレイユは錬金レシピの箱を整理していく。温かな香りが、凝り固まった眼の奥をゆっくりほぐしてくれるようだった。「ふぅ……」眉間をもみほぐしたとき、レオンハルトが手を伸ばし、ミレイユの額に触れる。すっかりお互いの距離感が近くなり、ミレイユもレオンハルトの手の方向に体を預けようとする。「ミレイユ、額の傷……消えてるぞ」レオンハルトは、顔を近づけていろんな方向に首を動かすが、やはり消えていると呟いた。「えっ?ポーション、傷口も塞がるようになったのかなぁ?」今朝、魔石で切ってポーションを飲んでも治らなかったはずの傷は、跡形もない。「何か傷口に塗ったの?」「いえ、ダリウスがここに触れたときに怪我をしているって言ってたし、特別何も……」二人はお互いに顔を見合わせる。「ねえ」「俺も同じこと思ったんだが……」「ダリウスは騎士だと思っていたけど、実は魔術師なんじゃないの?」それならあの反動の強い魔剣を扱えるのも納得——「アリエルとダリウスって国内最強コンビなんじゃないか?」そのレオンハルトの声にミレイユは頷いた。ダリウスに依頼されたのは、攻撃するものよりも、防御や魔力制御効果のあるもの。最初はレオンハルトとカイル頼みかと思ったが、ダリウスもアリエルまでとはいかなくても、魔術師団以上の力を持っているなら話は別だ。周囲を守ることができる余裕はないが、攻撃だけなら負けない自信があるのだろう。「だとしたら、ピンポイントの魔力攻撃の防御なら、例の甲殻系の素材の加工でなんとかなりそうなので、全体の魔力を制御できる何かを考えな
最終更新日: 2026-09-14
Chapter: 79 魔道炉の生贄アリエルは、ライナルの登場で最悪の事態を悟った。連日痛めつけられ、今も防御魔法すら許されず殴られ、更に室内の魔力依存の煙にさらされ続ける。体も心も、なんとか精神力で支えてきたがすでに限界だ。だけど、王妃が元魔術師だなんて。そんなの聞いたことないわ?ただ、アリエルは世間話に疎いことも自覚している。ダリウスの社交界の姿だって、きっとみんな知っている顔だ。何を平民が勝手にショックを受けているのだと思われるだろう。自分の身の回り以外の世界のことに、本当に無頓着すぎたのねアリエルは悔しくて唇を噛みしめる。「アリエル。今日こそ、王にいい返事を持ってきてくれたんだろうね?」ライナルはこちらの考えを知っているくせに微笑む。断れば、アリエルを痛めつける事ができる。断らなければ、自分の思い通りにアリエルを動かせる。「……っ!」どちらの返答もライナルが求めているアリエルをいたぶるという行為になることを知っている。ライナルが大量の魔力を握れば、ろくなことにならない。しかも、この正気を失った王に操る元魔術師の王妃が加わる。百歩譲って魔導炉を造るとしても、魔力の原料の魔核を集めるため自分が奴らの命令に従い魔物を狩り続ける未来など絶対にあり得ない。アリエルは目を閉じ、呼吸を整え、数秒で決意した。「断る! 私は魔導炉は作らない!」国から買われたアリエルが国王に反旗を翻す。はっきり意志を伝えた瞬間だった。ライナルが口元を吊り上げる。「へえ、じゃあ君の大切な人たちに何があってもいいんだ?」「私にはもう大切な人はいない。ダリウスとも縁は切れた。弟子ももう私の手を離れている」胸は痛む。迷惑をこれ以上かけられない。ここで、私はダリウスともミレイユとも決別する。本当は声にしてしまうとつらいでも迷いのない声で、きっぱりと伝える。「私にはもう守るべ
最終更新日: 2026-09-13
Chapter: 78 最後の呼び出しアリエルは、再び王から呼び出しを受けた。今日が最後かもしれない。 なんとなく、そう感じていた。もう一度、ダリウスとミレイユに会いたいな…… けれど、それは叶わない。ダリウスとは綺麗に別れられなかった。 ミレイユに次に支えてくれる人と、きちんと会ってあの子をお願いすることも、その幸せを見届けることも出来なかった。「それでも私がいなくなれば、きっと解決するわよね。ダリウスもミレイユもきっと幸せになれる……」そう口にすると、ホッとした。塔には、もしミレイユに避難が必要になったら何とかなるように錬金術の道具を多めにおいた。 魔導炉や樹海の魔物討伐に必要な資料も……拠点から塔にうつしたわよね。ミレイユとの思い出や悩んだ日記などは一つの箱に片付けた。 できるだけ、塔の中は備えたつもりだけど、大丈夫だろうか?ミレイユに手紙も何も残せなかったから困惑させるかもしれない。だけど、私は人と感覚が違う自覚はある。 今、ミレイユに必要な適切な言葉を手紙に残せる気がしない。最後に、樹海防衛部隊に行った。 いつもの変わらない風景、笑って寄ってくる隊員たちを集めた。 一人一人に魔物よけの鈴やポーションを手渡しした。「みんな、王のところに行ってくるわ。これ以上魔物を乱獲するのは良くないことだから説明してくるわね。ただ、王に反旗を翻すようなものだから、もし、自分が帰らなかったら撤退してほしいの」「隊長……大丈夫なんですか?」アリエルは、命まで取られることはないから心配しないようにと笑顔で話す。これで大丈夫…… 守らなければいけない人たちへの手配は済んだ。アリエルは覚悟を決めて、王のもとへ向かった王の部屋に入るのは、ここ最近ずっと恐怖だった。 正確に言うと、ダリウスが私以外の女性との幸せを望んでいる姿を見続けることが苦痛だった。ダリウスが、貴族女性と知らない世界で過ごしている。 他の女性と踊り、笑い、楽しそうに顔を寄せ合う映像。
最終更新日: 2026-09-12
Chapter: 77 別れを願う愛アリエルは、かなり疲弊していた。最初の頃は....王とライナルのことで、嫌なことがあったら全てを打ち消すようにダリウスに抱きついた。「どうした?アリエルから抱きつくなんて珍しいな」ダリウスは優しく私のブロンドの髪に指を入れ、こめかみにキスをして私を抱きしめてくれる。ダリウスは、この世の私の全てで、息をするのと同じぐらい大切な人で、愛というものとは違う気がした。 だから、愛しているよと言われても、その返答も出来ない。それでも、国王のことを相談できるのは、ダリウスしかいない。起きたことをぽつりぽつりと伝えていた。何かをしてもらいたいわけじゃない。 ただ、誰かに聞いてもらいたかった。 自分が自分でなくなっていくような感覚がある。ライナルに触られて気持ち悪い感覚。 盛られる毒。おかしいんだよね? それを、おかしいと思う私はおかしくないよね?毒の話までは流石に出来なかったが、ライナルのことだけでも知ってもらいたかった。だが、その話をしたらダリウスの顔色は変わった。「ライナルは俺の直属だ。俺を通すように言え。必ずアリエルを守るよ」ダメだ。すべてを知られれば、ダリウスは私を守ろうとして危険に巻き込まれるかもしれない。 相手は国王と魔術師団長、更にはあの原因の掴めない精神干渉だ。ダリウスを遠ざけなければいけない。 平気な顔をして、なんてこともないって言わないと。「大丈夫……大丈夫」自分に言い聞かせるように、ダリウスにそう伝えるうちに話を聞いてもらうことも出来なくなってきた。ただただ、言えないぶん、日記に苦しいことを書き連ねた。 だが、私の知らない世界で微笑み、大切な女性と過ごすダリウスの映像が頭の中で何度も繰り返され、書くことが辛くなった。何を書いているのか、もう訳が分からなくなり、ただの日記なのに書けなくなった。そうなると、頭の中は更に混乱していた。防御魔法も浄化魔法も最大限に使った。
最終更新日: 2026-09-11
Chapter: 76 私の中に巣食う劣等感アリエルは、ずっとダリウスに負い目を感じていた。ダリウスも、わたしなんかに出会わなければ、もっと自由に白い目で見られることもなく、幸せな人生を送れたはずなのに。樹海の外で生活を始めて公爵という身分はとても高いものだと知る。更には、ダリウスのように国に貢献して実績もあると、結婚したいと願う人が多い事にも気づいていた。「ダリウスも、お前のような女に引っ掛からなければな」国王の言葉は、まるでアリエルの胸の奥をえぐるように突き刺し、何度も頭の中で繰り返される。 自分が抱えていた負い目を、そのまま形にした言葉だった。だが同時に、王の声にはどこか奇妙な力が混ざっているような、王とは別の魔力も感じていた。精神を揺さぶる、黒い影のような薄いベールに覆われるような気持ち悪い干渉で、それは王もだがあの部屋全体にかかるような奇妙なものだった。だが、周辺をみても干渉するものはいない。 自分に効くような強いものでもない。王という立場になれば責任も伴うし、時には気持ちを楽にするための薬を使う事だってあるのかもしれない。 実際、王の目は何かに追い立てられているような気がしていた。でも?自分こそが世界の頂点だと信じて疑わない傲慢な光で目がぎらぎらと輝いている。 元々、傲慢さはある人だったけど、なんか最近の様子は違う気がする。それが、日増しにだんだん強くなり、アリエルはますます困惑した。(……おかしいわ。防御魔法が反応して、ずっと輪ゴムで弾かれるみたいな違和感がある。どこから操っているのかしら?この室内じゃないところだわ)周辺をぐるりと見回すがやっぱりいない……操られているわけじゃないわね。何度も進言にいくが、王自身の意思が、ありえないほど増幅されていて、自分の言うことに間違いはない。言う事を聞けという圧が強くなる一方だった。誰がこんな力を?ライナル?それとも……別の誰か?ライナルは、最近魔術師団長になったばかりだ。 それよりは前だと思う……だとしたら、別の人が王に何かを行なっ
最終更新日: 2026-09-10
Chapter: 75 魔導炉に囚われた王話はアリエルが行方不明になる前にさかのぼる。アリエルは、樹海防衛部隊長として、もう10年以上、樹海で活動を続けてきた。今では、特別訓練を受けているわけでもない素人のような兵たちも部下に出来た。国からは、隊員を増やせば富が増える。そう安直に思われているのだ。その考えに、アリエルはとてもモヤモヤとした気持ちを抱え続けていた。かつては、一人で黙々と国から指示されたことをやっていただけだった。それが何人か隊員が増えたからといって「そうか」で終わっていただろう。なぜ増えたのか?何を彼らにさせる方がいいのかなんて考えもしなかったに違いない。しかし、今は自分が行ってきた活動は相当な富を生むものだと気づけるようになっていた。それは、自分が錬金術の店を営むことで、普通の人たちの収入やいくらぐらいでどんなものを求めるのか知り、アドリアンやダリウスから色んなことを学び、ミレイユと普通の生活をしてきたからだ。自分の持つ力が恐ろしい。自分は人とは違う。樹海防衛部隊は、国王の秘密部隊だったのでミレイユにはその存在は知られていない。だが、ここ最近、きな臭い。国王の様子が、どんどんおかしくなっている。私の愛する人たちまで、もしかしたら危害を加えられるかもしれない。そんな危機感がアリエルにはあった。◇きっかけは《魔導炉》だ。この国にとっては心臓そのもの。科学の国でいうなら、原子力発電をさらに進化させたようなもの。魔物の核を燃料にして莫大な魔力を生み出す装置で、それが国を潤し、兵を強くしてきた。もとは討伐した魔物から出る余剰魔力を、貴族の魔道具に回す程度の仕組みだった。それが街単位、国単位へと短期間で拡大し、いまや霊峰山に築かれた《魔導炉》一基だけで国全体を賄えるほどになっている。それを起動するには、相当の魔核を取らなければいけないから大変なのに……「……それなのに、なぜ陛下はその魔導炉をもっと造れとい
最終更新日: 2026-09-09