Share

第296話

Author: タロイモ団子
受付嬢は困ったような顔を作ってみせたが、追い払おうとする態度は頑なだった。それを見た亮の心には、激しい怒りが燃え上がった。

「社長夫人が自社に入るのに、アポ取りが必要だって言うのか!」

成哉と紬の結婚が長年隠し通されてきたことは知っていたが、自社の社員ですら紬の正体を知らないとは。

亮は、紬がこれまでどれほどの屈辱に耐えてきたのか、想像するだけで胸が締め付けられる思いだった。

受付嬢は呆然とした顔で、「この人が?社長夫人?」と心の中で毒づいた。職業倫理からあからさまな嘲笑は堪えたものの、冷ややかな態度で言い放った。

「これ以上居座るなら、警備員を呼びますよ」

紬はさらに詰め寄ろうとする亮を制し、静かに首を振った。亮は拳を握りしめ、かつてないほどの屈辱に震えていた。

間もなくして、紬は健一に電話を繋いだ。

「奥様、何かご用でしょうか」

電話越しの男は、以前と変わらぬ事務的な口調だった。もっとも、成哉と結婚して数年が経つというのに、彼はこれまでずっと紬のことを「紬さん」と呼んでいたはずだった。

紬は微かに眉をひそめて言った。「今、会社のロビーにいるの。受付に通すよう伝え
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 輝く私の背中に、夫は必死に追いつこうとした   第909話

    紬は一瞬言葉を失った。なんだか息子の振る舞いが妙にあざとく見えた。一体誰からこんなことを教わったのだろう?傍らにいた芽依も、あきれ果てたようにやれやれと首を横に振っていた。――お兄ちゃんが私に真似するなと言ったのも頷ける。こんなあざとい演技、確かに私には無理だ。望美の顔色は青ざめたり赤くなったりしていた。このあざといガキ、すっかり演技の味を占めたのか?紬は悠真の話に合わせて尋ねた。「検査はしたの?」「まだだよ」傍らから成哉が口を挟んだ。「仕事の合間に駆けつけてきたんだ。今日、子どもを医者に診せるためにな」紬は冷ややかな視線を向けた――誰もあんたになんか聞いていない。その場にいた凛花もたまらず口を尖らせた。お兄ちゃんの今の言い方、まるで紬に恩着せがましくアピールしているみたいだ。だいたい、元はと言えば自分の子どもなのだから、きちんと面倒を見るのは当たり前じゃないか。「もういいわ。私が子どもたちを連れて検査に行くから」紬は落ち着いた表情で言った。こんな家族にこれ以上世話を任せていたら、二人の子どもがどうなってしまうか分かったものではない。「そんなの駄目よ!」絵美が真っ先に飛び出してきた。「この子はうちの孫よ。あなたに何の関係があるの?どこから来たか知らないけど、さっさと消えなさい。ここにはあなたの居場所なんかないわ!」紬は鼻で冷たく笑った。「いいわ、私が無関係だと言うなら教えてもらいましょうか。芽依のことはどういうことなの?どっちもあなたの孫なのに、そうやって差別するわけ?」芽依は紬の後ろに隠れ、不安げに絵美を見つめていた。絵美は大きく息を吸い込んだ。――またこの憎たらしい小娘か。いつもいつも、私に迷惑ばかりかけて!絵美は開き直り、堂々と言い放った。「私の孫娘なんだから、私がしつけをして何が悪いっていうの?あなたが口出しすることじゃないわ!」「しつけ?」紬はふっと吹き出した。「まだこんなに小さい子どもが、一体何をしたっていうの?一人で飛び出していくのを、よく平気で見過ごせるわね。もし何かあったら、あなたが責任を取れるの?」「母さん、これはどういうことだ?」成哉はやっと声を取り戻したように、絵美に向かって問い詰めた。どうりで、最初から芽依が紬のそばに

  • 輝く私の背中に、夫は必死に追いつこうとした   第908話

    小説で読んだときより、実際に目の当たりにする方がずっと気分がいいとは!この優越感が、成哉の心を満たしていた。この瞬間、彼は二人の女がもっと激しく言い争ってくれればいいのにとさえ思っていた。やはり、紬という女は口先と腹の内が正反対だ。これでもまだ俺に気がないなどと言い張るつもりか?「成哉が見てようが見てまいが知ったことじゃないわ。何、あなた人前で裸踊りでもしてるつもり?」紬は本当にうんざりしていた。望美がまともに話す気がないのなら、こちらが遠慮する必要もない。傍らで聞いていた芽依は、目を丸くしていた。こんな風に言い返すこともできるんだ。すごく勉強になった!成哉は眉をひそめ、咎めるように言った。「紬、お前はどうしてそんなに口が悪いんだ」「あなたも何様のつもり?」紬は容赦なく言い返した。紬の目には、今にも爆発しそうな苛立ちが浮かんでいた。「もう一度言うわ、どいて。私の時間は貴重なのよ!ただ子どものお見舞いに来ただけ。あなたたち、お芝居なら家に帰ってやってくれない?」こんな茶番に付き合っている暇などない。いい加減にしてほしかった!望美は内心、紬の猫かぶりにもほどがあると思っていた。本当に成哉に未練がないのなら、どうして子どもを口実にして彼に近づこうとするのだろうか。もし自分が病室の中で聞いていなかったら、成哉はまたこの女を見直していたかもしれない。どんな手を使って、成哉をここまで惑わしているのか。しかし成哉はドアの前に立ち塞がったまま言った。「言っただろう、これ以上つきまとうなと。お前はただの小さなスタジオをやっているだけじゃないか。何が貴重な時間だ」紬の瞳がスッと冷たくなった。その様子を見て、成哉でさえ背筋が凍るような感覚に襲われた。これまで数え切れないほどの人を見てきたが、こんな感覚を覚えたのは初めてだった。やがて、紬はふうっと息を吐き、目を伏せて芽依の頭を撫でた。「芽依、そういうことなら、ママは中に入るのをやめるわ。悠真が無事だと分かっただけで安心したから」これ以上関わり合っている暇はなかった。元々は美咲先輩の様子を見に来ただけで、スタジオの方にはまだ山ほど仕事が残っているのだ。しかし芽依は涙ぐみ、紬の言葉を聞くと、たまらず彼女の脚に抱きついた。「嫌

  • 輝く私の背中に、夫は必死に追いつこうとした   第907話

    この自信は一体どこから来るのだろうか?誰か、こいつの頭をどうにかしてくれないかしら?紬は大きく深呼吸をし、作り笑いを浮かべて言った。「そこのあなた、ちょっとどいてくれない?子どもをお見舞いしたらすぐに帰るから。あなたと関わる気なんて、これっぽっちもないわ」これ以上こんな状態が続けば、紬は顔に貼り付けた作り笑いすら維持できなくなりそうだった。成哉は紬の瞳の奥にあるよそよそしさに気づき、なぜか胸の奥がざわついた。そのよそよそしさが、やけに目障りに感じられた。成哉が反論しようとしたその時、女性の声が聞こえてきた。「紬さん、何か誤解しているんじゃないかしら。成哉はそういう意味で言ったわけじゃないのよ。ただ、離婚したのだから、少しは距離を保つべきだと思っているだけ。だから、こうやって突然子どもに会いに来るのは、少し唐突すぎるんじゃないかって」その声がした瞬間、紬と成哉は同時に声のした方へと視線を向けた。そこには、病院着姿の望美がいた。青白い顔に弱々しい笑みを浮かべ、力なく壁にもたれかかりながらも、口ではまだ成哉を庇おうとしている。紬はさらに頭を抱えたくなった。――この二人は、交代で私に嫌がらせでもするつもりなのだろうか?ただ悠真の様子を見に来ただけなのに、どうしてこんなに面倒なことになるのだろう。芽依も無意識に眉をひそめた。「悪い女、何しに出てきたの?パパとママがお話してるのに、横から口出ししないでよ」望美の顔に張り付いていた笑顔が、今にも崩れそうになった。この二人の小生意気なガキは、揃いも揃って口を開けば生意気なことばかり言う。だが、紬は芽依を制止した。「芽依ちゃん、大人に向かってそんな口の利き方をしては駄目よ」「ふん、あんな女、敬意を払う価値なんかないもん!」紬はわずかに目を瞬かせ、それ以上は何も言わなかった。子どもは、大人が思う以上に人の善悪を敏感に感じ取るものだ。今こうしてはっきり口にする以上、やはり望美の行いの方に非があるのだ。「紬さん、私たちにどんな誤解があるにせよ、子どもを矢面に立たせるのはよくないんじゃないかしら?」望美の顔に、再びあの勝ち誇ったような笑顔が戻った。だが、芽依の目には、それが見れば見るほど不快に映った。まるで童話に出てくる悪役のようだった。

  • 輝く私の背中に、夫は必死に追いつこうとした   第906話

    紬は目の前に落ちた影に気づき、訝しげに顔を上げた。自信満々な成哉の顔を見て、言いようのない不快感を覚えた。こいつ、頭おかしいんじゃないの?その根拠のない自信は、一体どこから来るのだろうか。また何か勝手な妄想でもしているのではないだろうか。紬は冷ややかな声で言った。「どいて」――野良犬だって道を譲るのに、あなたはそれ以下ね。後半の言葉は、子どもがここにいることを考慮して、かろうじて呑み込んだ。だが成哉は、紬の苛立ちなどまったく目に入っていない様子で、自分から口を開いた。「偶然だな。俺も悠真に会いに来たんだ」「……」紬には、成哉と言い争う気など毛頭なかった。芽依でさえ、こう口にした。「パパ、ちょっとどいて。ママと一緒にお兄ちゃんに会いに行くんだから」成哉は軽く腰をかがめ、芽依の頭を撫でた。「パパとママと一緒に、お兄ちゃんに会いに行くのは嫌かい?その方が、お兄ちゃんもきっと喜ぶよ」紬はその言葉を聞き、芽依が口を開くよりも早く、たまらず眉をひそめた。「成哉、どこか頭でも打ったんじゃない?」「俺の言ったことに何か問題でもあるのか?俺たち二人が子どもたちの両親であることは、疑いようのない事実だろう」成哉は悪びれもせずに答えた。紬はギリッと歯を食いしばった。「成哉、忘れないで。私たちはもう離婚したのよ」「そんなに強調しなくていい。子どもがここにいるんだぞ」成哉は立ち上がり、子どもに聞かせるのはよくないと言わんばかりの素振りを見せた。紬は大きく息を吸い、どうしようもない無力感を覚えた。どうして今になっても、成哉は自分の世界に浸りきっているのだろうか。紬が何を言っても、まったく聞く耳を持とうとしない。それどころか、こちらの意図を平気で曲解してくる。芽依は小首を傾げて様子を窺っていたが、結局は紬の味方につくことを選んだ。紬にぴったりと寄り添い、振り返って成哉を睨みつけた。「パパ、私、もう子どもじゃないよ。パパとママが離婚したことくらい知ってるもん。二人とも、そんなことで私に隠し事なんかしなくていいよ。今の私はもう大きくなったの。ママが幸せなのが一番なんだから、私やお兄ちゃんをダシにしてママを困らせないで!」紬は芽依の言葉に胸を打たれた。いつの間にか、この二人の子ど

  • 輝く私の背中に、夫は必死に追いつこうとした   第905話

    病室を出たあとも、紬はなおも芽依に言い聞かせていた。「今度から、どんなことがあっても窓のそばなんかに座っちゃダメよ、分かった?そんなの本当に危ないんだから。家族を心配させるだけなのよ」芽依はうつむいたまま、切なげな表情で紬の警告に耳を傾けた。「わかったよ、ママ。私、ただ景色を眺めたかっただけなの」「そんなの信じないわ」芽依は内心で言葉を失った。彼女には本当に飛び降りるつもりなど微塵もなかった。まだほんの数歳の子供で、この世界の美しい景色をまだ十分に見ていないというのに、どうして自ら命を絶とうなどと思うだろう。そんなの冗談にもほどがある。ただ、背が低くて外の景色が見えなかったから、少し高いところに上ろうとしただけなのだ。それに、あの窓にはちゃんと転落防止の柵がついている。ママは心配しすぎて、周りが見えなくなっているんじゃないだろうか。そもそも、飛び降りるにしても、わざわざこんな危ない場所を選ぶわけがないだろう。それに、飛び降りたらすごく痛いって聞くし、脳みそだって飛び出してしまうかもしれない。どう考えても絶対にごめんだ。紬は芽依の深刻そうな顔を見て、自分の言葉がちゃんと伝わったのだと思い込み、その表情にはかすかな安堵の色が浮かんだ。「問題の重大さが分かったならいいの」紬は芽依の柔らかい頭を優しく撫でた。「ママにも分かるわ。あなただって、時には辛いことや嫌なこともあるでしょう。でも、早まったことをする前に、何でもママに話して」次の瞬間、芽依の瞳がぱっと輝いた。彼女は足を止め、大きな目を丸く見開いて紬を見上げた。「ママ、本当にママに電話してもいいの?」芽依の期待に満ちた顔を見つめ、紬の胸がぎゅっと締め付けられた。二人の子供の人生に再び関わっても、本当にいいのだろうか。だが、一度口から出してしまった言葉はもう取り返しがつかない。あのときは、芽依を危険から遠ざけたい一心で、つい口が滑ってしまったのだ。今さら撤回しようにも、目の前でキラキラと輝く芽依の瞳を見たら、どうしても断りの言葉なんて口から出なかった。結局、彼女はうなずいて承諾した。「ええ、もちろん」「やった!嬉しい!」芽依は嬉しさのあまり両手をパチパチと叩いた。これから紬と連絡を取り合えると思うと、芽依は嬉しくてた

  • 輝く私の背中に、夫は必死に追いつこうとした   第904話

    紬も美咲の言葉を聞き、胸の内で葛藤していた。しかし、芽依が尋ねてきた。「ママ、お兄ちゃんに会いに行きたくないの?」それを聞いた紬は、小さく唇を開きかけたものの、もうこれ以上は逃げられないのだと悟った。美咲もパチパチとまばたきをし、今さら気づいたように口を開いた。「そうだよね、悠真くんが入院してるんだし、お前だってお見舞いに行くべきだよ」紬は無意識に拳を握り締め、迷っていた。なにせ自分のお腹から生まれた可愛い我が子なのだ。心のどこかでは悠真の身を案じていた。すると芽依が、紬の代わりにきっぱりと決断を下した。「ママ、やっぱりお兄ちゃんをお見舞いに行こうよ。お兄ちゃんだってママにすごく会いたがってるんだから、昨日の夢の中でもずっとママの名前を呼んでたんだからね!」紬は芽依を見つめ、言葉に詰まった。だが、芽依は本気だと言わんばかりに、真剣な顔で訴えかけた。「ママ、本当のことだよ!昨日の夜だってお兄ちゃんは本当にママに会いたがってたんだから!それに、ケガをした子がママにそばにいてもらえないなんて、すごくかわいそうだよ」紬は唇を固く結んだ。この子はいつの間にこんな口達者になったのだろう。そんなセリフを言われては、反論のしようもなかった。美咲はくすっと笑った。「まったく、ずる賢い小悪魔ちゃんね。ママの弱点をしっかり押さえてるんだから」そう言ってから、彼女は視線を紬に向けた。「紬、この子は本当にあんたによく似てるわ。大学時代の、あの茶目っ気たっぷりだった頃のあんたにそっくりじゃない」その言葉を聞き、紬が芽依に向ける眼差しには、複雑な感情が入り交じっていた。しばらくして、紬はようやく口を開いた。「先輩、本気で言ってるの?」しかし、美咲はすっかり興奮していた。「当たり前でしょ!私があんたをどれだけ長く知ってると思ってるのさ。あんたがどんな人間かくらい、それなりに分かってるつもりだよ。事情も何も知らないくせに、あんたのことを疑うような連中なんて、屁でもくらえって思ってればいいんだよ」紬は思わず「ぷっ」と吹き出した。「先輩、相変わらず言い方が……うん、でもその通りね」まさに、理にかなっているというものだ。「もういいから、いつまでも私のところにいないで、さっさと子供のところに行

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status