تسجيل الدخول「あなたのこと、好きじゃないです」 ――そう言われたのに、なぜか王命で結婚させられた。 相手は恋を知らない魔術師ミラ。 無表情・無自覚・研究最優先。好意も執着もまったく通じない。 挨拶は通り過ぎられ、 誘えば別の女をあてがわれ、 贈り物は研究対象として処理される。 なのに。 彼女は時折、何でもない顔で笑う。 ――その一瞬のために、すべてがどうでもよくなった。 恋を知らない妻と、執着をやめられない夫。 これは「好きじゃない」から始まる、すれ違いだらけの溺愛(未成立)ラブストーリー。
عرض المزيد騎士団の中庭に、静寂が落ちた。
昼下がりの訓練時間だった。 本来なら剣の打ち合う音や、騎士たちの怒号が響いているはずなのに、ヴィクトルには何も聞こえなかった。 人が、大勢いた。 よりによって、こんな場所で言ってしまったと、告げた後になってようやく気付く。 けれど、もう遅かった。 「俺は、ミラが好きだ」 王弟であり、騎士団副団長でもあるヴィクトル・ルーカス・エルンストが、たった一人の女へ向けて告げた言葉は、あまりにも真っ直ぐで、飾り気がなかった。 本当は、告白をする予定ではなかった。 彼は彼なりに、告白をするタイミングを見計らっていたがそれは今ではなかった。「ではいつだ?」と訊かれてしまえば、返答には詰まるが、人が大勢いる今ではなかったはずだ。 ただ、普段は表情が控えめなミラから笑顔を向けられたことで、気付けば彼女への想いを吐露していた。 目の前のミラは、黒い瞳でヴィクトルを見上げた。 首を傾げ、眼鏡がずれる。 彼女はそれを気にすることなく、ゆっくりと瞬きを繰り返した。 そして彼女もまた、真っ直ぐに答えた。 丸眼鏡の奥の瞳には、迷いがなかった。 悪意もない。 嘲笑もない。 ただ―― 「あなたのこと、好きじゃないです」 正直だった。 ――ああ。 ヴィクトルは理解した。 これは、断られたのだと。 騎士団副団長ヴィクトル・ルーカス・エルンスト、三十二歳。 生まれて初めて女に告白し、そして、人生で初めて振られた瞬間だった。※ ※ ※ 朝日が照らす石畳の小径の上を、今日もミラは迷いなく進む。彼女の視線は、研究室に注がれていた。 彼女の前に、太陽の光のような男――ヴィクトルが姿を現した。 ミラは珍しく、足を止めた。 ヴィクトルは今日もまた、女性達が見惚れる笑みをミラに送り、挨拶を告げようとする前に……先に口を開いたのはミラだった。 「おはようございます、ヴィクトル副団長殿」 ヴィクトルは口を押さえた。 (名前を、呼ばれた……?) 初めてでは? 「昨日、レオンからヴィクトル副団長殿のお名前を教えてもらいました」 「今まで知らずにいたことをお詫びします」とミラは頭を下げた。 その勢いで、頭を上げた時には眼鏡はずれ、フードを被ってしまっていた。やはり、ミラは気にしない。 「は、ふっ、うっ、あっ」 「今日もまた、お元気そうですね」 ヴィクトルは口元を抑え、感動のあまり言葉が出ず、小刻みに震えている。しかも涙目だ。彼は、ミラが今まで自分の名前を知らなかったことなんぞ、どうでも良かった。自分の名前を初めて呼んでもらったことの方が重要だった。『ヴィクトル』という名に、初めて意味があるのだと思わされた。 そんな感動に震えているヴィクトルを、ミラは不思議そうに見つめてこてんと首を傾げて見せる。 (この仕草、癖だろうか) 小動物のようで、可愛い過ぎないか。 「あ」と、首を傾げたまま、ミラが声を上げた。 「身分が高い方をお名前で呼ぶのは失礼でしたね。申し訳ございません、マナーに疎いもので」 ヴィクトルの熱が、スーッと下がっていく。 ミラはずれた眼鏡を直し、フードを下ろした。ヴィクトルから笑みが消えたことに気付いてはいない。 「エルンスト副団長殿、おはようございます」 ヴィクトルの右手が、ゆっくりと上がった。 「名前で呼んでくれ。王位継承権は捨てた身だ。今は一騎士として兄に仕えているだけだ」 「そこまで親しくないので名前では呼びません」 間髪入れなかった。 「ということは、副団長殿も私を名前で呼んでいるのはおかしいことになりますよね?親しくないですし」 「いや、名を呼ぶことを許してくれると嬉しいのだが」 ヴィクトルの眉が、情けなく下がった。 「そうですか。許します」 ヴィクトルは少し黙った。 (これで良かったのか) 「ありがとう」 (良かっ
※ 食事を終えた二人は、連れたって食堂を後にした。 「ミラさん、食事をしたばっかりなんですから速足で歩くのではなく、ゆっくり歩きましょう。消化に悪いです」 「研究の続きが」 「研究は逃げません」 ミラは渋々、歩く速度を緩めた――その時だった。 「ミラ!」 ミラは振り返らなかった。 足を止めず、研究室への道を、そのまま歩き続けようとした。 レオンがミラの肩を掴んだ。「……副団長殿が呼んでいます」 「あ」 ミラはようやく振り返った。 「こんにちは、副団長殿」 「やぁ、ミラ。昼間に会うのは初めてだね」 息を切らしながら前髪を掻き上げる姿は、やけに眩しいなとミラは目を細めた。太陽の光が金髪に反射しているから、だろうか。 ヴィクトルはちらりとレオンを見た。 レオンと目が合った。 レオンは無言で会釈した。 (この人、絶対俺のこと邪魔だと思ってる) レオンはそう思ったが、何も言わなかった。 レオンは毎朝欠かさずミラに話しかけるヴィクトルの努力を知っていた。ミラの背中を追うように、石畳の小径の上を彼も歩いて研究室へ向かっているからだ。 (副団長の忍耐力は、尊敬に値する) レオンはミラから一歩下がった。 二人にしてやろう、という彼なりの気遣いだった。ミラは気付いていないが……。 「そんなに急いで、どうされたんですか?」 「ミラが食堂にいると聞いて、急いで追いかけたんだが、もう既に出て行った後だった」 「そうですか。何か忘れ物でもありましたか?」 ミラは眼鏡に触れた――集中し過ぎて良く忘れるアイテムの一つだ。 「私、何を忘れたんでしょうか」 「いや、何もない……」 「何もないのに追いかけてきたんですか?」 こてん、とミラは首を傾げて見せた。息を切らしてまで追いかけてきたから、それほど重要な何かを忘れたのだと思ったのだが……どうやら違ったようだ。 「レオン、何か忘れ物しましたか?」 肩越しに振り返ると、どうしてか彼は両眉を八の字に下げて悲しそうな表情を浮かべたまま、首を左右に振った。 「レオンも忘れていないみたいです。その忘れ物というものは他の方の物のようです。持ち主が分からないようでしたら、魔法で」 「いや、だれも、何もないんだ」 ヴィクトルがミラを遮った。彼女は「そうですか」と小さく頷いた。 「追いかけた
※ ※ ※ 魔術塔と騎士舎がある広い敷地内の丁度中央に食堂が存在する。そこは、騎士と魔術師が自由に食事をする場所であり、談笑もできる憩いの場であった。もっとも、騎士率の方が高いのは、魔術師達は研究室の近くでしか食事を摂らない。食堂に行く距離でさえ惜しいのだ。 長い机が並ぶ食堂は、今日も騎士達の声で満ちていた。 その中に、黒が二つ混じっていた。 ミラと彼女の同僚魔術師レオンが、長テーブルに並んで座っている。黒いローブに細身の長身、茶髪の青年だ。レオンはトレーに料理を並べているのに対し、ミラは右手に一口も齧られていないサンドイッチ、左手に書類。ミラの目線は書類に注がれていた。 「あれ、黒髪の魔術師じゃないか」 「珍しいな。食堂に来るなんて」 「……生きてたんだな」 「失礼なこと言うな」 ざわ、と周囲が揺れた。ミラは気付いていない。書類を読んでいるからだ。 レオンは小さく息を吐いた。 「ミラさん。食事中くらい書類を置いてください」 「読み終わったら置きます」 「その“読み終わる”が来ないんですよ。長に人の顔を見て食事をするように、と言われてここにいるんです。書類を置いて下さい。このまま食事を摂らなかったら、夜も食堂で食べさせられますからね」 まるで、幼い子供に言い聞かせるようなレオンの口調に、ミラは不服そうに書類をテーブルに置いた。 レオンはやれやれと肩を竦めて、スープを口に運んだ。 隣では、ミラがサンドイッチを両手で持って、ちまちまと齧りついていた。 小動物のようだ、とレオンは思った。 「付け合わせの芋も食べてくださいね」 返事がなかった。一生懸命、サンドイッチを齧っている。食事がゆっくりなのは、頭の中で魔術式でも考えているのだろう――長年の付き合いだから、分かる。 レオンは溜息をついて、ミラのフォークを取った。芋を一つ刺して、ミラの手元に置いた。 「はい」 「ありがとうございます」 ミラは言われるがまま、芋を口に運んだ。 ゆっくりと、丁寧に噛んでいる。 レオンは自分のカップを置いて、ミラの分のお茶を手渡した。 「はい」 「ありがとうございます」 ミラはお茶を両手で受け取って、一口飲んだ。 それを遠巻きに見ていた騎士達が、ひそひそと囁き合った。 「なんか、介護みたいだな」 「育児では?」 「懐いてるな」
※ ※ ※ 数日後。 ヴィクトルは左腕に血が滲んだ包帯を巻いて、魔術塔に隣接する治癒室へ向かった。 訓練中に少し切った――といっても、なかなかの深さだったのだが。 フィンが青褪めている姿は可哀想だったが、ヴィクトルは彼の顔なんぞ目もくれなかった。 いつもは速攻で弾き返す剣先を、ワンテンポ遅れて弾き返したのだが――わざとだった。それも全て、 (治癒室に行く口実が出来た!) このためである。 ミラは今日、治癒室当番なのだ。 ヴィクトルは把握していた。三ヶ月間、ミラの動向を観察し続けた成果である。 訓練場を喜々と立ち去るヴィクトルの背中を、部下たちが唖然と目で追っていた。彼は知る由もない。 (完璧な作戦だ) そのまま迷いなく、治癒室の扉の前に立った。 扉を叩いた。 返事がない。 もう一度叩いた。 「…………」 やはり、返事がない。 ヴィクトルは返事を諦めて、治癒室の扉を開けた。 丸椅子に腰かけてデスクにかじりついているミラの背中が視界に飛び込んできた。デスクの上は書類だらけだ。いつもの整理整頓された治癒室とは違うこの空間――ヴィクトルはミラらしい、と思った。彼女とまともに会話したことはない彼だが、魔術以外のことに無頓着だということは三ヶ月のスト――ではなく観察したことで仕入れた情報だ。 椅子に座ったまま、ミラは長い髪を靡かせながらくるりと回転させた。その勢いで丸眼鏡が鼻の上でずれたのを直しもしなかった。 彼女の黒い瞳に、ヴィクトルが映り込む。 「これは副団長殿。今朝ぶりですね」 ミラが覚えていてくれたことに、ヴィクトルは怪我人ではあるまじき満面の笑みを彼女に向けた。 破壊力がある顔を見せられても、ミラは揺るがなかった。 「今日は、どうされましたか?」 ヴィクトルは丸椅子に座り、ミラの正面に座った。 「少し怪我をしたんだが、治してもらえるか?」 「これは」とミラは眼鏡をかけなおし、ヴィクトルの包帯を凝視した。そして、ヴィクトルを見た。「私には無理ですね」 「え」 「はい。無理です」 ――今日は、当番では? 「今日は、当番では?」 疑問を心中に抱いたままにできず、思わず声に出していた。 「当番ですが」 「ならば」 「私は魔術の研究専門です。治癒は専門外なので」 「しかし当番に」 「師匠……アルバ





