それから私は、洗顔を済ませて、ベッドで目覚めの紅茶を頂いてから身支度をして、お父様と朝餐を共にする為に食堂へ向かった。
「おはようございます、お父様」 「ああ」 「……」 朝餐は静けさに包まれていたわ。お父様は元から口数の多い人ではないけれど、今朝は特に寡黙だった。 多分、午後には異母兄妹の事で私に話さなければならないから、それで会話もしにくいのでしょう。 私はというと、お父様に悪印象を抱かせない振る舞いを心がけて緊張したわ。正直、朝食を味わうどころではなかった。 「──では、私は先に仕事へ向かう」 お父様がナプキンで口もとを拭い、席を立った。私は何も知らないふうを装って微笑みを浮かべた。 「はい、お父様。お仕事お疲れ様です」 食堂に取り残されて、思うのは一つよ。 ベリテと名乗った彼を召喚する事。時空を司ると言っていたから、それを可能にする力を持つ──悪魔かしら? 今ならまだダリアがいないから、悪魔を召喚しようとしても邪魔されないわ。 書庫には召喚に必要な魔法陣やベリテについて書かれた書物も、きっとあるはず。何しろ過去の私が召喚に必要な書物を読んで、試してきたのだもの。 もっともそれは、ダリアが先に悪魔を召喚していたから、全て徒労に終わった挙げ句の果てに処刑台へ送られる事になったけれど……。 それにしてもダリアは、どのタイミングで悪魔と契約するのかしら? 悪魔に関する書物は禁書よ。どこの屋敷の書庫にでも置かれているものではないわ。 「……公爵家に来てからかしら」 「お嬢様、何か?」 「何でもないのよ。お茶のお代りをもらえる?」 「はい、かしこまりました」 危ない、思わず呟いていたわ。どんな一言も下手を打てば命取りよ。気をつけないと。 でも、子爵家ごときの書庫にあるとは思えないわね。しかも一人娘を嫁がせず愛人にさせたような家よ。 前世では「貴族とは名ばかりの貧しい家」と聞いた記憶もあるし、だから尚さらダリア達を蔑んで毛嫌いしたのだもの。 ……それなら、まだダリアには先を越されてはいないわね。私でも悪魔を召喚出来るわ。 「ご馳走様。私は書庫へ行くわ」 「かしこまりました、お一人で調べものをなさりたいのですよね?どなたにも立ち入らせませんので、ご安心を。ですが、旦那様にお会いする時刻はお忘れなきようお願い致します」 「ええ、大丈夫よ。お父様が執務室に私を呼ぶだなんて、きっととても大切なお話ね。きちんと時刻を守るわ」 言っていて白々しい気持ちになるわね。でも、今は気にするより行動に出てベリテを召喚しなければ。 書庫の中でも、普段滅多に使われない禁書の類を置いた棚は埃っぽい匂いがする。私は少しむせてしまい、手近な窓を開けてから書物に手を伸ばした。 ──前世で何度も私を破滅させた本。 でも、その気味悪さよりも、今度こそダリアを出し抜ける昂揚感が強い。 ページをめくって名前を探してゆくと、インクがかすれて読み取りきれないものの、それらしき名前を見つけたわ。 「……え?何を司る悪魔かさえ書いてないわ」 ベリテは時空を司るのよね?あの時見た相手に嘘がなければ。 なのに扱いが雑というか……名前の他に書かれている事は、大悪魔から怒りを買った事のみ。 本当に大丈夫なのかしら、信じても。でも、私はこうしてダリアが来る前に戻れているし。 それは何度生き直しても出来なかった事なのよ。それを可能にしたのは、やはりベリテだとしか思えない。 「──急がないと、お父様に会いに行く時間になってしまうわ」 迷っていても仕方ないし、動かなければ再び未来は処刑台よ。 私は書き慣れた魔法陣を、書物で改めて確かめながら慎重に、持参した紙へ書き写した。 「……私は呼ばう、彼の者の名はベリテ……私の差し出すあらゆるものに応え、いざ姿を現さん事を……」 文言を口にして、仕上げに一滴の血を魔法陣の中心に落とすべき時、──あろう事か私の目に、窓から入ってきた羽虫が飛び込んだ。 「痛っ……」 嫌だ、痛いし気持ち悪いし、この異物感は虫が張り付いているのよね?怖い。もっと恐ろしい存在を召喚しようとしているくせに、言えた立場ではないけれど。 でも虫が目に入るなんて怖いわよ。涙で洗い流せないかしら。目をこするのは絶対駄目よね。 ──と、虫と一緒に大粒の涙がこぼれて──魔法陣の中心に落ちてしまった。 「えっ……?!何、……」 魔法陣から光がわき起こる。こんな現象、前世の中では一度も見た事がない。 ──血ではないの?涙で召喚出来るものなの? そもそも、こんな目がくらみそうな光の渦、悪魔らしくないわ。 あまりの眩しさに目を閉じてしまい、光が落ち着いてきた頃、ようやく私は魔法陣の真上に浮かぶ存在を視認出来た。 それは、確かに前世の最期に語りかけてきたものだった。 どこまでも美しく、澄み渡るような姿。そして神々しい──白い羽……? 「……あの、あなた様は……私に語りかけて下さった……お方、ですよね?」 恐る恐る問うと、相手はにこりと笑ってみせてくれた。 「呼んでくれたね。改めて、僕はベリテ。時空を司る天使だよ」 「……天使……?」 悪魔召喚の魔法陣から、何で天使が呼ばれて来るの……。 「あれ?何やら不思議そうにしてるね」 「……あ、あの、申し訳ありません。私は書物にあった悪魔を召喚したつもりでしたの……ここ、この悪魔ですわ」 いけない、天の御使いに失礼を働いたわ。こちらも気が動転しているのよ。慌てて書物を見せて指さすと、ベリテは微かに唸ったわ。 「インクがかすれているから間違えたのかな、この悪魔はベリタっていう悪魔だ。それに君は神から異能を授けられた身だからね、涙は一番効果的な天使の呼び方だけど……異能を解放出来るようになるまでは、血でも悪魔は来ない」 「異能……?今の私には悪魔を召喚する事が出来ないのですか?」 「うん、君の世界では聖女と呼ばれるね。十七歳になれば異能が覚醒する。君は十七歳になれた事が一度もなかっただろう?覚醒させたくない人物がいたらかね」 聖女といえば、国が傾いた時に出現する救世主みたいな存在よ。 確か、前に現れたのは百年以上昔で、枯れた大地は豊かな土壌にし、濁った川は清流へ変えて、流行病の蔓延る淀んだ空気は清らかなものにしたと書物で読んだ記憶があるわ。 私がその聖女になる、ですって?降ってわいた情報に頭が整理出来ない。だけど天使様が仰るのだし、嘘ではない……はず。 というか、待って。覚醒させたくない人物、ですって?そんな国が傾こうが我欲を優先しそうな人、私を罠にはめ続けた一人しか思いつかない。 「ダリアが……?確か、彼女は悪魔と契約していたと前世で言っていたわ」 「ご明察。その悪魔がベリタだよ。数ある悪魔の中でも悪辣で、残酷な手段や陰謀を得意として好む」 そんな悪魔を召喚しようとしたなんて、復讐にはふさわしいでしょうけど……逆に悪魔から裏切りに遭ったり、契約を拒否されて手酷い仕打ちを受ける事もありえたかもしれない。 青ざめた私に、ベリテは何を思ったのか突拍子もない事を言い出したわ。 「それにね、今は悪魔達で地獄に慰安旅行へ行っているから、悪魔は呼び出しに応じないよ」 「旅行?地獄?」 「悪魔達の労働環境は、近年改善されていてね。今ごろ、血の池温泉にゆっくり浸かったり、針山の上を歩いて足裏のツボを刺激して健康促進に励んでるんじゃないかな?悪趣味だけどね」 「血の池や針山のどこが健康的なんですの……恐ろしいわ」 労働環境の改善とか、悪魔は使役される立場と考えた事がなかったわ。人ならざるものとは、何て人間と感覚が違っているのかしら。 そんな話を聞かされたおかげで、呆れて恐怖も遠のいてしまった。 ……もしかすると、彼は私が感じていた恐怖をやわらげようと慰安旅行だなんて話題を持ち出してくれたのかもしれない。 「慰安旅行しているのは本当だし、君には天使なら呼べても悪魔は呼べないのも本当だ。だから、僕が遣わされたんだよ。謀略されて十六歳の終わりに必ず命を落としてしまう君の為に。でも、少しは悪魔や天使への心のゆとりも生まれただろ?」 「え、ええ……ありがとうございます。あの、ベリテ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」 「駄目だよ、君は僕と契約する身だし。一蓮托生の同士になるんだ、ベリテって呼んでもらわなきゃ。僕も君をガネーシャと呼ぶから」 「でも、天使様に畏れ多いですわ」 「それを言うなら君は未来の聖女様だろう?」 まだまだ、未来の聖女と言われても突然の事で実感も自覚も全くないけれど。 でも、目の前の天使……ベリテ様が断言しているし、実際にダリアからは執拗なまでに前世の数々で十七歳の誕生日を迎える事を阻まれてきたわ。 ダリアは毎回、ベリタという悪魔から教わっていたのかしら。 だとすれば悪辣だというベリタの力で周りを味方にするのも、悪魔を呼べない私を陥れて処刑台へ送る事も、さぞや容易かったに違いない……そう思うと、今度はふつふつと怒りがこみ上げてきた。 私はベリテ様を真っ直ぐに見つめて、懇願した。 「ベリテ様。──いえ、ベリテ。私に力を貸して下さらないかしら。私は犬死にするのなんて、もう御免こうむるわ。そして叶うなら、ダリアにやられてきた分をお返ししたいの。どうか、お願い」 すると、ベリテは邪気のない笑みで頷いてくれた。 「喜んで力を貸そう。──さ、契約を結ぼう。早くしないとガネーシャの父親に、約束の時間を守れない娘だと思われる事になるからね」 「あっ……、もうそんなに時間が経っていたの?契約とは、どうやって交わせばいいのかしら?」 今、お父様から悪い印象をいだかれてしまうのは不都合すぎるわ。慌てた私に、ベリテは自らの羽を指さした。 「この両羽に一度ずつ口づけを。すると僕の羽の付け根に契約の印が刻まれる。僕は君の左胸……心臓の真上に額を寄せて誓う」 天使に口づける事も、相手が天使とはいえ胸もとに額を触れさせる事も、本音では恥じらいがある。 けれど、そんな戸惑いごときに時間を使うようでは、おそらくダリアにまた出し抜かれるに違いない。ダリアが召喚する悪魔がいかに手強い敵かを聞かされたもの。 「分かったわ。失礼するわね」 私は背を向けたベリテにそっと寄り添い、見た目以上に柔らかい羽に口づけた。すると羽の付け根が一瞬輝いて、後に十字架の形の微かな光が残った。 「ガネーシャ、次は僕からだ。こちらを向いて」 「……ええ」 恥ずかしさと緊張に身を強ばらせながら、近づいてくる美しい顔に堪えきれず目を固く閉じる。左胸が一瞬熱くなって、ほのかな温もりが余韻のように残された。 「ここに、印の十字架が刻まれているけど、普通の人には見えないから安心して。天使でも悪魔でも、契約者の印を可視化するには難しい条件があるんだ」 「え?ええ……」 可視化する……例えばダリアが悪魔と契約したら、それを可視化して衆目に知らしめる事も可能なのかしら。 そんな疑問を巡らせていると、「とりあえず」とベリテが私の肩を軽く掴んで、くるりと体を扉に向けさせた。 「今は父親との時間を守る事だよ。誤ちは繰り返さないね?ダリアの真実を前世で知った君には、過去になかった知識がある。それを利用して周りを取り込むんだ」 「……分かったわ」 冷静に対処してゆく事。周りをよく見る事。──ダリアに利用されずに、ダリアを利用する事。 「ガネーシャなら出来る。僕がいる。訊きたい事はたくさんあるだろうけど、後で答えるから、まずは目の前の事を一つずつ正そう」 「ありがとう、ベリテ。これからお世話になるわね。頑張って必ず勝つわ」 書物を戻し、扉に向かい、執務室へ行く為に閉ざされた空間から出てゆく。 「ガネーシャ、これからは僕がいるよ。ガネーシャは絶対に歪んだ運命を正せる。僕に出来る事は何でも力になるからね」 背後から囁かれた言葉は、とても頼もしかった。 訊きたい事は山ほどある。でも、今はお父様を味方につける事が優先よ。困った娘だと思われてはならない。 戦いはもう、始まっている。──これで、あとはダリアに王太子殿下との子が宿るのを待つだけね……。「あれだけ人目もはばからず逢瀬を重ねてるんだから、近い未来のことだろうね」王太子殿下もどうしようもない方だと言わざるを得ない。婚約者を差し置いて浮気相手にのぼせ上がるのはともかく、避妊もしないなんて。──まあ、構わないわ。それよりも、第三王子殿下は私が未来の聖女だと知っても、意外なことに驚かなかったのよね。「そこには、いかにも国を思う聖女らしい行動をしてきた、ガネーシャの実績があるからこそだよ」──そう言われると照れくさいわ。でも、汚染された水も安全な水にできることを知って、喜んでくれた……。「多くの民が救われるからね」──けれど、なぜ井戸水は汚染されたのかしら?これは素朴な疑問だった。工場汚染でもない、王都での汚染は普通に考えてありえない。それについて、ベリテが声を低めて答えてくれた。「──ダリアだよ。闇の精霊を使役するために、王都に瘴気を集めた結果だ」──あの、実の母を死に追いやった闇の精霊ね……そうまでして……民を苦しめてまで、己の利を求めるなんて……なんて、おぞましい子だこと……。だから、私という聖女も覚醒するのだと納得がいく。国難に面したときに現れる存在だから。「そうだね、──だから、もう終わらせないといけない」──ええ。終わらせるわ。必ずよ。そのためにも、私は貞淑で慈悲深い令嬢として振る舞い続け──王太子殿下に浮気された令嬢とか、妹に婚約者を寝盗られた令嬢だとか、そんな言われ方をする余地も与えなかった。もちろん、民のために活動することも怠らない。今や私が作らせる石鹸や洗髪粉は、香料などの配合具合によって貴族向けから庶民向けまで幅広い。貧民には、香料や保湿剤を使わないものを、無償で提供して使わせているのよ。おかげで衛生観念が広まり、不潔からくる病はなりを潜めた。皆が私の働きを称賛してくれる。──その一方……王太子殿下は、ダリアの誕生日パーティーでしでかした失態が水面下で広まり、このことは国王夫妻も頭を悩ませているとか……。「しかも、多額の血税を浮気相手へのプレゼントに使い込んだことを、第三王子が証拠も揃えて提出してあるから、もう崖っぷちだろうね」──そうね、もはや、王太子殿下は最後の一本の藁で崩れる荷馬と変わらないわ。私はベリテとやり取りして、
私が上級悪魔と契約している──そのやり取りを、白い世界で見ていたのよ。ダリアたちの勘違いには笑うしかないわ。それはともかく、不思議に思うことがある。白い世界に行くための砂糖菓子は、なくなることも減ることすらもない。「どうしてかしら?口にすれば、その分減るものでしょう」私の疑問に、ベリテが答えた。「それはね、ガネーシャが正しい道を歩んでいるから、その証だと思えばいい」──正しい道……。「私は復讐に心を滾らせて、ダリアと王太子殿下を地獄に落とそうとしている悪女なのに?」「彼らは絶対的悪だ。君が繰り返し火刑に処されたあと──聖女が出現しないがために、国は滅びの道を歩むしかなかったんだよ」──聖女は国難を救う導きの光……私が今生で覚醒したとして、具体的に何ができるかはまだ分からないけれど、国に必要なものが火あぶりにされていたことになるのよね。「とりあえず、今後について話そう。彼らの誤解をどう使うか」「……ダリアならば、メイドを脅して噂を流せと言うわね」「そうだろうね。──ただし、ガネーシャのように抱き込んで言いふらさせはしないだろうし、聞かなければ折檻でもする、屋敷から追放もする」「力で服従させようとするわけね。あさましいこと」私はミーナのことを思い出しながら、虫酸の走る思いになった。それに気づいてか、ベリテは気を取り直させるように言ってくる。「その点、ガネーシャは平民から支持を得ている今があり、貴族たちからも好感を持たれている事実がある。相手の悪意も上手く使えば好機にできる」「……ならば、好きにさせてみましょうか。国民感情とダリアの流す噂を衝突させるのよ」企みに本気のいたずらな笑みを浮かべた私へ、ベリテは興が乗った様子で笑みを返してきたわ。「いいね。悪評高いダリアと、支持されているガネーシャ。噂で一騎打ちさせたら、今までの根回しの効果も確かめられる」「ええ。ダリアがどれほど悪女として周知されているか……私を陥れることしか考えず、何も成してこなかった重みが彼女にのしかかるわ」想像しただけで黒々とした心も踊る。私は白い世界から戻り、心をときめかせながら眠りに就いた。そうして翌日になり、ダリアはさっそくメイドたちを脅し始めた。「ご容赦くださいませ……私ごときにはガネーシャお嬢様を貶める言葉など……」「お嬢様?──私も同じ公爵家の
ダリアと王太子殿下には好きにさせておくと決めると、週に一度のお茶の席の日には必ず王太子殿下が王城を抜け出し、ダリアと密会するようになった。ダリアが当て擦りと挑発のためにやっているのはお見通し、誰が乗ってやるものですか。もっとも、これも予想の範囲内よ。むしろ、王太子殿下の失態になるもの、好都合だわ。私は第三王子殿下と情報をやり取りして、表向きは妹に婚約者を寝盗られた令嬢を装いつつ、裏では二人を追い詰められるように事を進めていた。すると、ある夜の晩餐でダリアが卑屈なほど躊躇いがちに言い出したの。「……お父様、私も十六歳の誕生日を迎えますわ。当日は催しを何か出来たら嬉しく思うのですが……」すると、お父様の言葉も待たずにマストレットが口を挟んできた。「誕生日といえば、ガネーシャは湯水のように金を使って祝わせています。なのにダリアは……不公平かと思います」──何を言っているの?私は自分で稼いだお金で使用人たちに料理を振る舞っているだけだし、依頼する王都のレストランにも、潤うように報酬を支払っているわ。それは、お父様も似たようなことを考えたらしい。渋面で口を開いた。「ガネーシャは私財を投じて、高貴なるものの義務を果たしているだろう。ダリアにマストレット、お前たちにそれが可能となる才覚はあるか?尽力をしてきたか?」──これはお父様の言う通りよ。私は浪費をしてなどいないし、家門の名声を高める結果になるよう、考えを巡らせて動いているもの。「それに、ダリアもマストレットも、今現在ただのお荷物にしかなってないからね。役に立つ働きがないから賞賛もないのに、僻んで妬むのは一人前だ」──まったくよ。褒められたいなら真っ当な働きをするべきでしょうに。すると、マストレットは羞恥で顔を真っ赤にして黙り込み、ダリアは声を震わせて言い募った。「私にはお姉様のような才覚もございません……ですけれど、公爵家の娘として……どうか、ささやかなパーティーだけでも……そこで他家の令嬢方とも親しくなれましたら、私も貴族として活動できるようになりますもの」「ダリア、お前も私の娘だ。誕生日のパーティーくらいは開いてやる。──ただし、恥の上塗りにならぬようガネーシャに手伝わせる。いいな?」「……はい……ありがとうございます」恥の上塗り……お父様も言うものだわ。まあ、ダリアは王太子殿下と
ダリアをどう陥れようか、どんな落とし方にしようか、私なりに色々考えてみた。結論は、貴族も平民も合わせて、世論を使い続けること。まだ存在しない世論は、この手で作り出す。自己保身や自己満足、あるいは野次馬としての娯楽感覚で、他者を傷つけても罪悪感を抱かない人間なら、いつの世も必ずいるわ。私も繰り返してきた人生で散々苦しめられたもの。──だから、今生ではそれを利用する。皆に悪役となってもらおうじゃないの。見境なく、誰かしらに八つ当たりして鬱憤を晴らしたい人たちには、私の奏でる復讐の音で踊ってもらうわ。「それは、ダリアを人々の娯楽のタネにするって意味だね?」──そうよ。考えてもみて。誰も傷つけずに済むのは、人や他のものに牙を向けることのない、物言わぬ愛玩動物の生涯くらいのものでしょうけど……その点で、ダリアはあまりにも私に悪いの牙を向けすぎたわ。報いは受けさせる。「ガネーシャ自身は手を汚すことなしに、だよね?」──もちろん、そうでなければ。だから皆に踊ってもらうの。幸い、ダリアは禁忌を犯しているから、何の気兼ねもないでしょう?──そのためにも、何か決定的な事件が起こればいいのだけど……取り返しのつかないようなことを、ダリアと王太子殿下が仕出かしてくれれば。「二人の間に不義の子ができるとか?」──さすがに、それはないわよね?廃人状態でも一国の王太子殿下が、避妊もせず未婚の令嬢と……なんて。「まあ、普通はね……」ところが、ある日の晩餐で驚くべき事実が分かった。その晩餐は、いつになく豪華で──ダリアの好物ばかりが並んでいたの。当然、不思議に思った。ダリアの振る舞いで褒められるところなんて、ひとつもなかったもの。「今夜は随分豪勢なお料理が多いのですね?」慎重に言葉を選んで疑問を口にすると、ダリアがわざとらしく頬を染めながら答えてくれた。「お恥ずかしいですわ……実は、私、月のものが始まりましたの……」──え?今になって始まるだなんて遅いわね?元いた家は裕福ではなかっただろうけれど、日々の食事に困るほどではなかったでしょうに。──ベリテ、こういうのは個人差があるとは聞いていたけれど。「どうやら、ダリアは嘘をついているわけでもなさそうだよ」──ベリテは天使として長い時間を生きてきたから、人間も相当見てきたのよね……?「うん。だから、この
──『兄上には、想う方の生家の跡取りとなって頂き、幸福に添い遂げさせようと考えております。どの令嬢にも望む結末を迎えられますよう』ナプキンに隠されていた、第三王子殿下からの書簡には、そうしたためられていた。──つまり第三王子殿下は、廃太子に追い込む覚悟を決めたのね。加えて、王籍も剥奪する方向で動くようだわ。私は簡潔な返事をすることにした。携帯用のペンとインクならば用意があるので、書簡の隅に書いて再びナプキンにしのばせる。──『王宮の使用人たちを使ってくださいませ。あのものたちならば、わたくしが温室で受けている扱いを目にしております』これで、王太子殿下とダリアの件は一層二人の首を絞めるはず。私は一人、温室でのお茶をゆっくり頂いて帰宅した。すると、通りかかったダリアの部屋の前で、異様なかっこうをして雑巾がけをしているメイドを見かけたの。「──あなた、どうして服が全体的に湿っているの?」見過ごせなくて声をかけると、メイドは一瞬怯えた目をしたけれど、それから低く答えた。「ダリアお嬢様が……」「ダリアがあなたをずぶ濡れにしたの?」「いえ、あの……実は、ダリアお嬢様のお支度には、毎朝メイド三人がかりでコルセットを締めるのですが、その間ずっと怒鳴られ続けて……」「まあ……コルセットを締めるだけで、令嬢なのに怒鳴り声を……」「それだけでは済みません。お支度を終えると、手際の悪さを責められて……冷たい井戸水を桶で三回浴びてから仕事に戻るよう命じられるのです……」あまりにも残酷で、私は眉をひそめた。「……それは、いつから繰り返されてきたのかしら?」「はばかりながら、ガネーシャお嬢様が十五歳のお誕生日を迎えられましてから……毎日でございます」つまりは、私がダリアの振る舞うスープの邪魔をしてからなのね。なんという陰湿な執念なの。「私はもう十六歳よ?……それほど長く、メイドに虐待を……」「メイドたちは、もう耐えられません……ダリアお嬢様の暴言にも、腰周りの太さにも……」──太さ……メイドには悪いけれど、吹き出しそうになってしまったわ……。あの子、言われてみると、迎え入れられてから──毎食、卑しいほど肉料理を食べているものね。「まあ、笑いたい気持ちも分かるよ。ダリアって、鴨肉や豚肉の脂を特に好んでるよね。余計に太る原因を作ってるんじゃないかな?」
運命を決める十六歳を迎えて、私はベリテと話し合っていた。──聖女とは、そもそもどういったものなのかしら?「まず、魂に宿っている光属性の魔力が目覚めを迎える。この属性の魔力は、聖女や聖人しか持ちえないし、そうした人間が生まれることも稀だね」──光属性の魔力……魔力だなんて、おとぎ話のようだわ。人間が持ちうるものなの?「ごく稀にね。だからこそ、尊ばれる。……光あるところには影が出来る事には気づけないまま」──影?光属性の魔力には、何か裏があるというの?ベリテの言うことはもっとものようにも思えるけれど……影とは何かしら。「聖女は怪我や病を治癒出来るし、浄化の力で豊穣ももたらせる──それは知っているよね?でも、実はそれだけじゃない」──あら?そうなると、聖女に光と影が宿るということ?私は光の聖女に相反する影の存在が覚醒すると思ったのだけれど。「それはないよ。影になる闇の魔力は悪魔しか持たない。──聖女はね、怪我や病や大地の穢れ、そしてその苦しみを取り出して癒し、取り出したものは致死性のない毒薬として、小さな瓶詰めにして保管出来るんだ」──聖女が、毒を持てる?意外だけれど……そうね、持てたら使いようによっては……私の復讐に役立ってくれそうだわ。もちろん、ダリアを追いつめるために。心身ともに絶望させることを目的にね。──良いことを聞かせてもらったわ、ありがとう。お礼を言う私に、ベリテは改まって問いかけてきた。「王太子はベリタの力でダリアに魅了されて操られてる。それは本来なら本意ではないだろう?──ガネーシャには彼に同情する気持ちはある?」──いいえ、少しも。地位に慢心して驕れるものに、王としての器はないわ。王太子殿下は出逢ったときから、人を見下して傲慢に振る舞うことの間違いを省みようともしていなかったもの。「そう、それなら構わないよ。──前世での復讐を果たすのに、同情心は妨げになるから」──そうね……幸い、私にはない感情だけれど。……ねえ、ベリテ。思いついたことがあるわ。聞いてくれる?「ダリアを追いつめるための布石だね?協力者として聞かせてもらうよ」私はにこりと笑んで、ベリテに計画を話したわ。──そして数日後、お茶会を庭でひらいた。集まる令嬢達は流行りに敏いものだけを招待して。「本日はようこそお越し下さいました。……季節外れの暑さ