フェリシアの前世は筋金入りの腐女子。 今生では不遇な貴族令嬢として生まれ変わったが、その妄想力は全く衰えていなかった。 家族に陥れられて帝都を追放され、行き先の要塞町で兵士相手にBL妄想を爆発させる。 英雄叙事詩を二次創作してBL布教し、毎日楽しく暮らしつつ、取り繕った外面と本物だった聖女の力で要塞の人々を惹きつけていく。 果ては突如現れた魔王までもがフェリシアを娶ると言い出して……? 真の聖女であり真性の腐女子であるフェリシアが、勘違い聖人ムーブと本気のBL布教で紡ぐ物語。 ※BL要素はあくまでフェリシアの妄想の中だけです。実際のキャラにBLはありません。
View More皇太子殿下の冷たい声が響く。
ここは彼の執務室。 部屋にいるのは殿下と彼の侍従である青年、それに私の異母妹だけだ。「騙ったとはどういう意味でしょうか」
半ば呆れながら、それでも表情には出さずに聞いてみる。
「聖女とは当代に一人のみの光の魔力を持つ者。光の魔力はお前ではなく、妹に顕現したと言うではないか。神官たちの証言が出た。ではお前は嘘を言っていたことになる」
殿下の言葉に、もはや言い返す気力を失ってしまった。
彼の隣では妹がニヤニヤと感じの悪い笑みを浮かべている。 あの子は私を見下して、私のものは何でも奪おうとした。 ドレスも宝石も、実家での居場所も。亡き母の形見も。 聖女は皇子と結ばれる。 今度は婚約者をお望みらしい。 神官の証言とやらも、どうせ実家の父と義母がでっち上げたのだろう。「どうやら認めるようだな。皇家を騙したのは重罪、だが他ならぬお前の妹が真の聖女であるならば、減刑して追放だ。妹に感謝するのだな」
さすがに貴族の娘を処刑するとなると、事が大きくなりすぎる。
追放は彼らが溜飲を下げ、かつ、秘密裏に済ませてしまう便利な手段なのだと思う。「追放先は第五軍団ゼナファの駐屯地。北の辺境だ」
侍従の青年だけが気遣わしげな視線で私を見ている。
北の辺境、要塞町は不便な場所と聞いている。 住民の多くが無骨な軍団の関係者で、帝都のよう豊かで行き届いた都市とはほど遠い。 私は目を伏せた。「――仰せのとおりに」
皇帝と妃に話は通したのか、とか、魔力鑑定を司る神殿の扱いはどうするのか、とか。気になる点はいくつもあった。
でも、もうどうでもいい。 聖女の地位も婚約者の立場も、今の私に必要ではない。殿下が舌打ちをした。
「お前はいつもそうだ。いつもそうして無表情で、まるで人形のよう。気味が悪い!」
「皇太子殿下、姉は可哀想な人なのです。どうかお慈悲を」
妹がいかにも善人のフリをして、馬鹿にした表情を浮かべる。
これ以上、この茶番に付き合うのはごめんだ。「失礼いたします」
最後に侍従に一瞬だけの視線を送る。唯一の心残りに。
そして私は部屋を出た。 目の前で閉じられた扉が、過去との断絶を表しているようだった。 「やった、やったわ。ついに実家を出られる」私はいそいそと帝宮の廊下を歩いていく。
これからの楽しい未来を思えば、自然と頬がゆるみそうになった。 いけない、いけない。慌てて無表情を作る。私ことフェリシアは、前世の記憶がある転生者だ。
小さい頃に庭の池に落ちたとき、そのショックで前世の記憶を取り戻したのだ。取り戻したのはいいのだが、フェリシアの扱いは散々なものだった。
実母は既に亡く、後妻として入った義母は意地悪を通り越して虐待。 義妹も性悪。 唯一の肉親の父はフェリシアに愛情がなく、虐待を止めるどころか加担する有り様。幼かったフェリシアは、部屋を奪われ、服を奪われ、食事を取り上げられて。
味方をしてくれる使用人や奴隷は全て解雇、もしくは力ずくで押さえつける。 物置に押し込められて、着るものは粗末なボロ。 食事は食べ残しがあればいいほうで、厨房に忍び込んで食べられるものを漁る日々だった。 正直、前世の大人の精神を持つ私ですら相当キツかった。 このまま負けて死ぬのが嫌で、その一心で耐えてきたのだ。 もし私が見た目通りの子供だったら、心を病んでしまったと思う。十歳の魔力鑑定で、私の魔力が『光』と出ても実家内の立場は変わらなかった。
むしろ『出来損ない』の私が聖女になり、皇太子の婚約者となったことで嫉妬が増していた。――もうやってられっかよ!
開放感とちょっとの捨て鉢である。
一応、必要なものを取りに実家に立ち寄ると、最低限の身の回りのものだけ渡されて追い出された。 別に構わん。 ただし本当のお母様の形見だけは回収したい。 私はこっそり裏口から庭に入り、大きな木のうろに隠していた小箱を取り出した。 こんな日がいつか来ると思って、義母と義妹に取り上げられる前に早めに隠しておいたのだ。さあ、これで心残りは何もない。
新しい場所ではきっと、輝かしい出会いが待っているに違いない。ウキウキしながら北への馬車に乗り込んだ。
その頃、ユピテル帝国の帝都では。「また魔物が出たのか! 近衛兵団は何をしている!」 皇太子ラウルの怒声が執務室に響いた。 伝令の騎士は不満そうに頭を下げながら、報告を続ける。「近衛兵団は魔物との戦いに慣れておりません。不治の傷である瘴気を受けた者もおり、戦線離脱を余儀なくされております。民の犠牲者も増えつつある状況です」「帝都の守りは近衛兵団の務め。ぐずぐず言っていないで早急に魔物を始末しろ!」「しかし」「父上には俺から奏上しておく。査定を下げられたくなかったら、命がけで働け!」 騎士が退出した後、ラウルは苦虫を噛み潰した表情で長椅子に腰をおろした。 近衛騎士団の掌握は次代の皇帝に必要な素質とされている。 このまま失態が続けば皇太子の地位すら危うくなるかもしれない。皇帝の子は彼だけではないのだから。「どうして急に魔物が現れたんだ。建国以来何百年もこんなことはなかったのに」 呻いていると、部屋のドアが開いた。「ラウル様、ご機嫌いかがかしら?」 フェリシアの妹で現婚約者のナタリーが入ってくる。自堕落な生活を続けたおかげで、すっかり体の線が緩んだ姿である。 ラウルは彼女を忌々しそうに見て、ふと思い出した。 魔物が最初に現れたのは、フェリシアがいなくなってしばらくのことだった。 もしや彼女が本当の聖女で、何らかの力で帝都を守っていたとしたら……?「ナタリー」「はぁい」「お前が光の魔力を持っているのは、本当だろうな?」「え?」 ナタリーはぎくりと身を強張らせる。 もちろん彼女は光の魔力など持っていない。 姉を陥れて婚約者の地位を奪うため、魔力鑑定をする神官を買収して結果をでっち上げたのだ。「も、もちろんですわ。あたしこそが真の聖女ですもの!」「伝説によると、聖女たちの中には光の魔力で魔物を追い払った者もいるという。次に魔物が出たら、お前も近衛騎士団に同行しろ」
倉庫の片隅で行われたBL布教会だったが、この倉庫、何とも古びたものでいっぱいになっている。 布が掛けられていて中身が見えないものも多いが、なかなか年季が入っているようだ。倉庫そのものもだいぶ古い。「ここは古いものがたくさんあるのね?」 手近な侍女に聞いてみた。「そうですね。ここらへんは普段使われていない場所だから、秘密の会にちょうどいいと思って」 なるほど。ここはお城の奥まった場所で、普段は人の出入りもないらしい。 おかげでちょっと埃っぽい。 先ほどまで物語の朗読で声を上げ続けていたので、ちょっと喉がイガイガしている。 私が咳払いをしていると、侍女が続けた。「確かこのへんは、九百年とか千年くらい前のものを保管している場所のはずです」「かなり古いのね」 九百年といえば人間の国ことユピテル帝国の黎明期だ。 最初の王と建国の聖女の時代。 私は何気なく倉庫を見渡した。 今はたくさんの女性たちがすし詰めになっていて、楽しそうに物語の感想を言い合っている。 今後、彼女たちと萌え語りができると思うと、心が温まるのを感じた。 ……ふと。 並べられた棚の一つに目が止まった。 理由は分からない。 ただなんとなく気になったのだ。 その棚の前まで行ってみた。 上の段から大きな布が掛けられていて、中身は分からない。「どうしました?」「この棚がなんだか気になって。何が置いてあるのかしら」「じゃあ見てみましょう」 女性たちが何人かやって来て布をめくり上げた。 棚に置いてあったのは、一つが手のひらほどの破片だった。 陶器とも石材ともつかない不思議な材質で、薄暗い倉庫の中で淡く光っている。「…………」 半ば無意識に破片を一つ手に取った。 白い下地に七色の文字が複雑に描かれている。 私はこれ
魔力の使いすぎは思った以上に体力を削っていて、歩けるようになるまで三日もかかってしまった。 その間はベネディクトやクィンタ、グランが部屋に入り浸っていた。 萌えをもらえるのは嬉しいのだが、私にはもう一つ使命がある。 それは、女性たちへのBL布教である! 男性たちが目の前にいては、布教はどうにもやりにくい。 動き回れるようになった後、魔道具の調整や魔力の訓練などの時間の隙を見て女子たちへ話しかけた。「ねえ、侍女さん。この国には物語はあるかしら?」 まずは下地調査だ。 身の回りの世話をしてくれる猫耳っ子に聞いてみる。「ありますよ! はじまりの魔王の話とか、あたし好きです」 魔族たちの建国神話を聞かせてくれた。 夜闇と地底の神々が主役の物語で、なかなか興味深い。「人間の国にも、物語はあるんですか?」 反対に聞かれて、私は内心でニヤリとほくそ笑んだ。計画通りだ。 そこで私は魔族たちを集めて英雄叙事詩の朗読をすることにした。 二次創作BLではない、正統派の本家本元の叙事詩である。 というのも、女性だけを集めてBL布教しようとしたらグランが割り込んできたのだ。「人間の国の物語? フェリシアが語って聞かせてくれるの? 僕も絶対聞く!」 だそうで。仕方ないので男女問わずOKにした。 ま、いきなり二次創作じゃなくまずは本家を知っておくのはいいことだ。 朗読会の会場になったお城のホールは思っていた以上に大きく、魔族たちがたくさん集まっている。 ちょいとビビっていると、ゴードンに魔道具を渡された。小さい箱みたいな魔道具だった。「拡声器の魔道具です。両手で持って話してください。ここは広いですから、無理なく後ろまで聞こえるように」「ありがとうございます」 私はBL創作者であって吟遊詩人でも歌手でもない。声量があるわけじゃないから助かった。「それでは始めます――」 もう何度も読み込んですっかり覚えてしまった英雄叙事詩を、改め
「三日ですか。そういえば、要塞でクィンタさんの傷を治したときもそのくらい寝込んでいましたね。限界を迎えると、そのくらい倒れてしまうのかも」「なに、呑気に言ってんだ」 クィンタが不機嫌そうに腕を組んだ。「俺らがどんだけ心配したか、分かってんのか。勘弁してくれ」「すみません……」 言いながら起き上がろうとして、腕に力が入らず失敗してしまった。予想以上に体が弱っている。 三人はまたお互いに牽制し合った末、ゴードンの指示でさっきの猫耳っ子がやってきて介助してくれた。「あれからどうなりましたか?」 背中にクッションをいくつも入れて起き上がり、猫耳ちゃんに白湯を飲ませてもらってから、私は聞いた。「土地の浄化は部分的に成功したよ。フェリシアを中心に半径四分の一マイルほどが浄化されて、その外側も瘴気がかなり緩和された」 一マイルは千六百メートルほどだったか。じゃあ半径四百メートルくらいがきれいになった、と。 うーん? あの沼の広大さを思うと、大した面積ではないな。 一回やるたびに三日寝込んで、回復するのにさらに何日もかかって……となると、私の力で土地を浄化しきるのはほぼ無理ではないか。 だってあの沼沢地は、『一番手近であまり瘴気が濃くない場所』とグランが言っていた。 もっとひどい場所であれば、私じゃどうしようもないかもしれない。 他の人たちも同じ考えのようで、表情が冴えない。「今まで対抗手段のなかった瘴気が浄化されたのは、すごい成果だよ。けれどフェリシアにここまでの負担をかけてまですることじゃない」 グランが静かに言った。私は言葉を返す。「はっきり言っていいですよ。このやり方では効率が悪すぎて、魔族の領土を救うには到底足りないと」 グランは答えなかった。答えないという態度自体が答えだ。 それから彼は首を振った。「フェリシアの力は必要だけど、土地の浄化は負担が大きすぎる。やはり僕が魔王として瘴気の侵入を阻むのがいいと思う
それから数日かけて準備をして、私たちはお城を出発した。 メンバーは人間組三人、グラン、ゴードンと他、魔族の小隊が十数人だ。「魔物との戦いはなるべく避ける。手早く目的地まで行って、確かめたらすぐに引き返すからね」「分かったわ、グラン」 お城の前の広場でグランは一人、進み出た。 どうするのかと思っていたら、ぶわり、彼の輪郭が闇に溶ける。 数秒後には銀のドラゴンが四肢で立っていた。 他の魔族たちも半数ほどが変身している。鳥や飛竜、翼を持つ恐竜(プテラノドン?)みたいな人までいろいろだ。 皆、翼を持っていた。飛んでいくつもりなんだ。「すげぇな……。姿形が変わるだけじゃなく、魔力量も増えてやがる」 クィンタの呟きを拾ったグランが、竜の大きな口で答えた。「どちらかというと、獣の姿が僕らの本性だからね。集団生活や道具を使うのに便利だから、人の姿を取っているけど」 ゴードンがグランの背中に飛び乗って、私を引き上げてくれた。 ベネディクトとクィンタが続こうとしたところ、グランはちょっと嫌そうな顔をしていたが、結局乗せてくれた。「さあ、行こう」 グランが大きく羽ばたくと体が宙に浮いた。 他の魔族たちも仲間の背に乗ったり、足につかまったりしている。 グランを先頭に渡り鳥のようなV字の隊列を組んで、北へ飛んでいった。 グランの背中から地上を見下ろすと、森はやがて平地へと変わっていく。少し向こうには小高い山も見える。 草原と森を貫くように流れる川は、どこか青黒い色をしている。瘴気とよく似た色だった。土地だけでなく水も汚染するとは……。「もうすぐだよ」 お城から出てまだ一時間も経っていないが、目的地は近いようだ。幸い、魔物と遭遇はしなかった。 グランは平原の開けた場所に着地した。魔族たちが続く。「――あそこだ」 グランはドラゴンの姿のままで視線を向けた。 その先は沼沢地のようになっ
「すごい成果だ……」 グランや魔族たちはもちろん、ベネディクトとクィンタまで唸っている。「魔力の放出だけでこれだもんな。技術としての魔法を作れば、相当な効率になるだろ」 クィンタの魔法使いらしい意見に、ベネディクトは少し違う感想を述べた。「黒い森に出る魔物は、一番強くともCランクだった。魔族の土地の厳しさを実感した」 そういえば黒い森で遭遇した魔物は、光に呑まれてバタバタ死んじゃったっけ。弱い奴ばかりだったのね。「でも、フェリシアを戦場に連れて行くのは良くないよ」 グランが言う。「フェリシアに戦いの心得はない。強い魔物ほど弱い魔物をたくさん連れている。彼女の能力を活かす前に、危険にさらしてしまうから」「確かに。それに魔物殺しは他の者でもできる。フェリシアにしかできない、瘴気の浄化に注力すべきだろう」「うん」 方針は決まった。 けれど私はもう一つ、試してみたいことがあった。「瘴気の傷の治療の他に、試したいことがあります」 魔物退治の実験が終わった後、私は言った。 その場にいたみんなが注視してくる。「瘴気は土地そのものを汚染すると聞きました。であれば、その土地の瘴気を浄化できないでしょうか」「それは……考えたこともなかった」 グランが目を見開いている。「でもグランは、闇の魔力で土地の瘴気を抑えているのよね。同じようにできないかしら」「僕の場合は瘴気そのものを抑え込むというより、障壁を作って侵入を防ぐ感じなんだ。壁は高く厚いものから薄いものまで作れて、その分コストと効果が違う。重要な土地には高い壁を、そうではない場所には最低限のものを」 話を聞くと、こんな感じだった。 瘴気は北の土地ほど強い。 魔族は昔はもっと数が多く広範囲に住んでいたが、北からの瘴気に押されてだんだん黒い森のほうへ南下してきた。 今はこのお城がある周辺が魔族の主たる居住地で、北の瘴気を
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