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第九話

last update Huling Na-update: 2025-07-03 08:48:38

「なんだよ……」

尋人はそう呟いたあと黙り込む。狭い部屋、無言の時間がいたたまれなくなり、私は残っていたビールを飲み干した。

「どうせ私なんて、佐和子みたいにかわいくないし、女にすら見られてないし……」

いやだ。

こんな嫌なことを言いたいわけじゃない。佐和子に対しても、こんな心の奥に汚い部分があるなんて――。

自己嫌悪で、今なら軽く死ねる気がした。

「ごめん、酔った。こんなこと言いたいわけじゃ……」

そのとき、いきなり後頭部に尋人の手が回ったと思うと、引き寄せられた。

初めて、こんなに近くで彼の瞳を見た。そう思った瞬間、激しく唇がふさがれる。

なぜか苛立ちをぶつけるような、そんなキスだった。私の頭はパニックだ。

どうして? どうして今?

その感情が渦巻き、とっさに尋人の胸を押す。

「尋人! いきなりなに?」

あまりの激しさに、息絶え絶えにそう聞くと、その表情から尋人が何を考えているのか分からなかった。

「女だと思ってない奴に、こんなことするかよ」

クシャッと髪をかき乱すと、尋人は大きく息を吐いた。そしてその後、「悪かった……」と呟いた。

「帰る……。ちゃんと鍵、かけろよ」

それだけを言って、尋人は何も言わず家を出て行ってしまった。

私は、今起きたことの意味が分からず、ただ呆然とその場で固まっていた。

意味が――全く分からない。どうして今さら……。

少しはこの一年で、佐和子から私に気持ちが傾いた?

……そんな期待と、「尋人も酔っていたからだ」という現実的な思いが交差する。

一人取り残され、眠れない週末を過ごしたのは言うまでもない。

週が明け、会社に行くのがこれほど嫌だと思ったのは初めてかもしれない。

長年慣れた仕事だし、職場環境だって何の問題もない。その原因はただ一つ――

どういう顔で尋人に会えばいいのか分からない。

引っ越したことで会社まで少し遠くなったこともあり、いつもより早く家を出て、足取り重く会社へと向かう。

最寄駅を降りれば、すぐ前に会社が入っている複合ビルが現れ、たくさんの出社する人にため息が漏れた。

しかし、行かないわけにもいかない。そう思いながら歩き出せば、前に見たくない人をすぐに見つけてしまった。

後ろ姿だけで、尋人だと分かってしまう自分が嫌になる。

そこまで思って、私は足を止めた。

隣には、寄り添うように言い合っている佐和子の姿。

友人なんだから
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