ボディーガードたちはようやく空気を読んだのか、冬城の顔色をうかがったうえで、しぶしぶその場を離れていった。全員が立ち去ったのを見届けて、真奈はようやく大きく息をついた。冬城が再び彼女のもとへ歩み寄り、そっと額に手を当てる。「ずいぶん熱があるな……どうしてこんなに?」「あなたのおば様に聞いて。さっき、さんざん振り回されたんだから」荒れ果てた部屋を見渡しながら、真奈はふと思った。自分は一体どんな罰を受けているんだろうか。どうして一日くらい、平穏に過ごせないんだろう。「あっちの件は、俺がどうにかする」「わかってる。私が口を出すつもりはないわ」そう言って真奈は立ち上がろうとした。だがその瞬間、ふらりと体が揺れ、視界が真っ暗になった。意識が遠のいていくなか、誰かが自分の名前を呼ぶ声が、かすかに耳に届いた気がした。冬城がすぐさま駆け寄って彼女を抱きとめた……が、次の瞬間、真奈の身体は別の人物の腕の中にいた。「もういいよ、冬城総裁。彼女のことは俺が見る。恋人なんで」黒澤は真奈を抱き上げ、冬城には目もくれなかった。「待て!」低く鋭い声が響き、冬城が黒澤の行く手をふさぐ。黒澤の腕の中でぐったりとした真奈を見下ろし、嘲るように笑った。「恋人?だったら、お前は、その恋人があんな目に遭ってるのを黙って見てたのか?」「彼女はただ護られるだけのか弱い女じゃない」黒澤は目を細め、冬城を見据えた。「それに――さっき真奈を困らせたのは、そっちの家の人間だったはずだ」その一言に、冬城は返す言葉が見つからなかった。ちょうどその時、扉の外から伊藤が咳払いをして声をかけてきた。「まあまあ……皆真奈のことを思っての行動だし。冬城総裁、今は彼女も熱があるし、こちらの方が環境も整っている。医者もすでに手配済みだし、遼介も彼女のことを考えて動いているんだ。ここはひとつ、後の片づけをお願いできないか」整っていたはずの部屋は、見るも無残に荒れ果てていた。きちんと片付けないと、もう住めなくなるかもしれない。冬城は眉間にしわを寄せた。「……真奈は任せた。頼んだぞ、ちゃんと世話をしてやれ」「彼女は俺の恋人だ。当然、しっかり面倒を見るよ」黒澤の真奈に対する独占欲に、冬城の胸には言いようのない不快感が渦巻いた。だが、この家の場所はすでに岡
冬城が怒りに満ちた様子でこちらへ向かってくるのが見えると、そばにいたボディガードは恐れをなして真奈の手を離した。冬城はすぐに歩み寄り、真奈の体を心配そうに見つめながら言った。「見せてくれ。怪我はないか?」「……大丈夫よ」真奈の声は弱々しく、それを聞いた冬城の表情がみるみるうちに険しくなった。彼は冷たい視線をボディガードに向けた。ボディガードは慌てて頭を下げる。「総裁……これは岡田夫人のご指示で……」「岡田夫人?お前たちを雇っているのは岡田家か、それとも冬城家か?誰が夫人に無礼を働いていいと言った?!」「……申し訳ございません、総裁」ボディーガードたちは誰も口をきけなかった。岡田夫人の顔は青ざめたり、真っ白になったりと目まぐるしく変わっていた。冬城の目には冷ややかな光が宿り、その視線を感じ取った岡田夫人は、さきほどまでの威勢を完全に失っていた。そして、取り繕うように穏やかな口調で話しかけた。「司、あんたとはもう長いこと会ってなかったわよね。そんなに怒ることないでしょ?ほら、真奈さんだって別に怪我してないんだし」「彼女が無事ならいいけど。さもなければ、この件は簡単には済まなかった」冬城はまったく遠慮を見せず、岡田夫人の顔を立てることもなかった。岡田夫人は気取った様子で、ようやく口を開いた。「ええ、司の言う通りよ……無事でよかったわ。本当に、もし何かあったら、私も気が咎めるところだったわ」「疲れた」真奈の声には、はっきりとした疲労の色がにじんでいた。「座って、少し休もう」冬城は真奈を支えながらソファまで連れていった。そのとき、彼はふとリビングがすっかり荒れ果てていることに気づいた。視線を巡らせた冬城の目が、ぴたりと岡田夫人の姿に止まる。岡田夫人はぎこちなく笑みを作ったが、冬城の眼差しは冷たさを増す一方だった。「座って」冬城は真奈をソファにそっと座らせると、そのまま片膝をつき、彼女の服の上にかけた毛布を丁寧に整えながら言った。「他のことは俺がやる。あとで清掃係を呼んで、片付けさせるから」「早くして、とても疲れているわ」「分かった」その横で、岡田夫人は座ることも立つこともできず、居心地悪そうにその場で固まっていた。やがて冬城が立ち上がると、岡田夫人はようやく作り笑いを浮かべて声をかけた。「司……」
「ふん……ここがどなたの場所かもわからずに、勝手に物を壊して騒がれるなんて。岡田夫人、失礼ながら、私、少し買いかぶっておりました」真奈の言葉に、岡田夫人の顔色がさっと曇った。真奈は俯いて、床に散らばったガラスの破片をひとつ拾い上げ、わざとらしくため息をついた。「ああ……数千万円もする琉璃瓶が粉々に。もし私がこの家の主人でしたら、本気でお怒りになるところでしょうね」そう言いながら、真奈はスマートフォンを取り出し、電話をかけるふりをした。すると、岡田夫人がすぐに口を開いた。「たかが数千万でしょう。弁償すればいいだけのこと。我々冬城家にその程度のお金がないとでも?」強がるその様子を見て、真奈は微笑んだ。「いえ、岡田夫人。冬城家ではなく、岡田家のことです。壊されたのは岡田家の方ですから、当然お支払いも岡田家のご負担かと。まさか大奥様にご相談なさって、肩代わりをお願いなさるおつもりではございませんよね?」「あなた……」「お聞きしましたわ。岡田夫人は海外の富豪とご結婚なさったとか。数千万なんて、夫人が今お手につけていらっしゃる指輪より安いのではありませんか?」真奈がわざとらしく持ち上げるように言うと、岡田夫人はかえって気まずそうに、そっと指輪を隠すように手で覆った。その仕草を見て、真奈はすぐに察した。この指輪、おそらくは偽物だ。今の岡田家は見かけ倒し、中身はもう崩れている。岡田夫人の登場も、前世より三年は早い。どうやら、岡田家の衰退は一層早まっているようだった。ただ……なぜこんなに早く?真奈は軽く首を振った。今はそこを詮索している場合じゃない。岡田夫人に振り回されたせいで、頭痛がひどい。早く戻って休みたいという思いだけが募る。「番組スタッフに明細を出させなさい。たかが数千万、私に払えないはずがないでしょ」岡田夫人はそう言い放った。真奈は、その強がりをすぐに見抜いたが、あえて追及することなく、にこやかに応じた。「さすがは岡田夫人、お支払いなど造作もないことですね。私の方こそ、余計な心配をしてしまいました。皆さまがここで冬城をお待ちになりたいのであれば、どうぞご自由になさってください。ほどなくして番組スタッフが今後の収録についてご相談にいらっしゃるはずですので、その際に岡田夫人も賠償の件についてお話なさってはいかがでしょうか」真奈
「あなたの家が破産して、お金がないのは分かってるわ。本当はね、私たちに頭を下げれば、生活できるくらいは恵んであげられたのに」岡田夫人は、それで真奈がぐらつくと思っていた。だが返ってきたのは、涼しげな笑みとともに放たれた一言だった。「すみません、何の話かさっぱり分かりません」「あんた……」睨みつけながら、陳夫人の声には苛立ちが滲む。「では仕方がないわね」真奈は黙ったままだった。岡田夫人は手下に一つ、視線で合図を送った。次の瞬間、黒服の男たちが無言で階段を駆け上がっていった。真奈が眉をひそめたときには、もう岡田夫人は勝手にリビングのソファに腰を下ろしていた。足を組み、悠々と捜査の完了を待ち構えている。その間、ボディガードたちは家中を荒らしまわり、テーブルの上の物を次々と床に投げ捨て、引き出しを乱暴に開け、棚を引っ掻き回していった。その姿は「人を探している」というより、まるで「家宅捜索」そのものだった。「捜索はどうなってるの?」と、岡田夫人はだらけた声で尋ねる。「夫人、冬城総裁の姿は見当たりません」その報告を聞いて、岡田夫人の眉がぴくりと動いた。そしてゆっくりと真奈の方へ顔を向ける。「へえ……まさか瀬川家の娘が、これほど隠し事がうまいとはね。さて、白状してちょうだい――司をどこに隠したの?」「岡田夫人、話はもうはっきりさせました。彼はここにいませんし、あなたの部下も家中を捜しました。それでも、まだお帰りにならないんですか?」頭がはっきりしていなければ、真奈はこんなに簡単に岡田夫人を許すことはなかっただろう。それでも礼を失さぬよう返したその言葉に対し、岡田夫人はなおもしつこく言い返してきた。「おばさまの言うことを無視するなんて、私にはできないわ。司が戻ってこないなら、戻ってくるまでここで待たせてもらうわよ」そう言って、当然のようにボディーガードたちに指示を出す。「あなたたちも、そこら辺に座っておきなさい」その横暴ぶりに、真奈はついに声を低くして言い放った。「ここは今、私が住んでいる家です。あまりに勝手すぎませんか?」「あなたの家って、つまり司の家でしょう?司がいなければ、あなたがこんな立派な庭付きの家に住める?番組スタッフが、落ちぶれた瀬川家の娘なんかを呼ぶと思う?あなたが今浴びているスポットライトは、全部司の力のおか
彼女ははっきりと覚えていた。前世、自分が冬城家に嫁いでから、岡田夫人はずっと海外暮らし。帰国したのは結婚から四年目、たった一度だけだった。前世で岡田夫人が帰国した理由は単純で、ギャンブルに狂った夫の浪費で家計は火の車。いくら身に着けているものは豪華でも、それは見せかけだけで、実際は生活が破綻寸前。岡田夫人は夫に罵られながら金をせびるために帰国したのだった。でも今はまだ結婚して二年も経っていない。なぜ、こんな時期に岡田夫人が突然現れるのか?転生してからというもの、過去とずれている出来事は一つや二つじゃない。岡田夫人……まさに手強くて厄介な存在。「あなたが瀬川真奈ね」岡田夫人は上から下まで値踏みするように視線を這わせると、唇を歪めてこう続けた。「確かに少しは見られる顔してるわ。そりゃあ司があなたに夢中になるのも無理ないわね」頭が重く、意識が少しぼんやりしていた真奈は、そんな挑発に乗る気にもなれず、淡々と返す。「岡田夫人、ご用件は?」その言葉に、岡田夫人の目がわずかに細くなる。表情が一瞬で警戒に染まり、眉をひそめて言った。「どうして私が岡田夫人だと分かったの?」しまった。つい、前世の記憶に引っ張られて、当たり前のように名前を呼んでしまった。真奈は何事もなかったかのように、できる限り自然な口調で答えた。「司から聞いたことがあります」岡田夫人は疑いの目を向けつつも、すぐに今日の目的を思い出したようで、口を開いた。「ならあなたも知っているでしょう?私は司の叔母で……」「正確には従叔母ですね」真奈は容赦なくその言葉を遮った。たかが遠縁の親戚――本来なら、他人の家庭の問題に口を出す立場ではないはずだ。その一言に、岡田夫人の笑みはわずかに崩れた。それでも彼女は作り笑いを保ちながら、続けた。「帰国したばかりなんだけど、おばさまからあなたと司のことを聞いてね。今日のニュース……もちろん見たわよね?」「あいにく、見ていません」真奈のさらりとした返答に、岡田夫人はまたしても言葉を詰まらせた。そして真奈は静かに言い放つ。「もしもう他にご用がないのなら、これでお引き取りいただけますか?」そう言って再びドアを閉めようとしたその瞬間――今度は岡田夫人自身が手を伸ばし、強引にドアを押さえた。岡田夫人はそのまま部屋の中へとずかずか入
真奈はベッドの端に腰を下ろし、いまだに削除されていないホットスレッドを無言で見つめていた。コメント欄には、見るに堪えない言葉が次々と並んでいる。【旦那も遊び人なら、本人も遊び人。やっぱ金持ちにロクなのいないわ】【みんな忘れたの?瀬川真奈がA大に裏口入学したって噂】【私の友達、瀬川と同じ大学だったけど、あの子めちゃくちゃ遊んでたって】【最初はかわいそうとか思ってたけどさ、自業自得じゃん】【冬城がめちゃくちゃ瀬川真奈のこと好きだったけど、彼女が外で浮気ばっかしてたから愛人作ったらしいよ。しかもその愛人が妊娠して、逆に瀬川が誘拐劇で感情操って金むしり取ろうとしたとか】……コメントはどんどん尾ひれがついて歪み、もはや悪意の塊と化していた。真奈はついに我慢の限界がきたようにスマホの画面をパタンと閉じた。「ピンポーン」真奈はスマホに表示された見知らぬ番号を一瞥し、ためらいなく通話ボタンを押した。だが、受話器から飛び込んできたのは、いきなりのヤラカシの怒鳴り声だった。「このクソ女!推しから離れてろ!」「あなたの推しはどなた?」「よく聞け!私の推しは白石新くんよ!あんたみたいなクズ女が新くんに近づくな!ファンが絶対に許さないからな!」真奈は思わず吹き出しそうになった。「録音しているよ。法的措置、お楽しみに」そう静かに言い残して電話を切ると、彼女は迷いなくSIMカードを取り出し、手元のゴミ箱にぽいと放り投げた。番号が晒された今、これからは嫌がらせの嵐が吹き荒れるに違いない。当分、静かな日常は望めそうになかった。外はすっかり薄暗くなり、静まり返った屋内に「コン、コン」とノックの音が響いた。真奈は冬城が帰ってきたのだと思い、階下へ降りてドアを開けた――が、そこに立っていたのは、黒いスーツに身を包んだ4人のボディガードたち。真奈は淡い黄色の毛布を肩にかけ、部屋着姿のままドア枠にもたれながら、静かに問いかけた。「どなたをお探し?」「冬城家の大奥様の命で、冬城総裁をお迎えに参りました」全員の胸元には冬城グループのロゴが刺繍されていた。真奈はその言葉に眉をひそめた。「ここにはいませんよ。別の場所を探してください」そう言って、ドアを閉めようとしたその瞬間、先頭の男が手を伸ばして扉をぐいと押さえた。「瀬川さん、ご