Share

第743話

Author: 小春日和
客たちが次々に場内へ入ってくる中、マネージャーがイヤホンを真奈向かって投げてきた。「つけて」と無言の合図。

真奈は言われるままにイヤホンを耳に装着した。

こんな場所、来たのは初めて。まして賭博なんて、触れたこともない。

けれど、目の前のテーブルを見る限り、立花はまだ情けをかけてくれたらしい。選ばれたのは最も単純な大小ゲーム。彼女がやるのは、ただサイコロを振るだけ。

どうにか流れを理解しようと頭を回していたその時だった。外からまた一人、酒臭い男がふらつきながら入ってきた。四十を超えた油ぎった中年男で、真奈を見るなり目をぎらつかせ、ねっとりとした視線を投げかけてきた。「今日の麗子(れいこ)、やけに色っぽいじゃないか。おいおい、ウエスト細くなったんじゃないか?」

マネージャーが苦笑いを浮かべながらすかさず言った。「本日は麗子はお休みです。こちらは新人のディーラーですので」

「新人?そいつはいいね、俺、新人好きなんだよ!」

男が真奈の手に触れようと手を伸ばしてきた。彼女はわずかに眉をひそめ、反射的に手を引いた。

マネージャーがすかさず彼女を睨む。その視線に気づいた真奈は、ようやく頬に艶っぽい笑みを浮かべた。「お兄さんは、いつも麗子がお好みなんですね?じゃあ、麗子と交代しましょうか?」

声には甘さと柔らかさがほどよく混ざり合い、その一言に、男の肩の力がふっと抜ける。

「麗子なんかより、断然こっちの方がいいに決まってる!お兄さん、こういう子が大好きなんだよ!」

その品のない言葉に、真奈は内心げんなりした。

吐き気すら覚えたが、顔には決して出さない。

「では、お兄さん……次の一投、大にいたしますか?それとも小?」

「小だ、小!」

「お兄さん」という呼び方が、どうやら彼のツボだったようだ。

と、イヤホンの奥から立花の声が流れ込んできた。「一投目は大だ」

真奈は眉をひそめながらも、ゆっくりと蓋を持ち上げた。中に現れたのは……「小」

男が勝った。「お兄さん、小でしたよ!今日は本当にツイてますね。次は……200万でいってみませんか?」真奈は満面の笑みでそう勧める。

「いいぞいいぞ!美女がそう言うなら、間違いない!」

男はすっかり上機嫌で、再び「小」に賭けた。その間も、視線は終始、真奈の身体を這うように動いている。

真奈はまた微笑み、丁寧に蓋を開け
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 離婚協議の後、妻は電撃再婚した   第751話

    「立花っ!」真奈が駆け出したとき、広場の外の通りには黒いポルシェが停まっていた。彼女の叫び声がはっきり届いていたはずなのに、立花はまるで聞こえなかったかのように、無情にも部下に車のドアを閉めさせた。車内、運転手はバックミラーに映る真奈の姿を一瞥し、ためらいがちに声をかけた。「ボス、瀬川さんをお待ちにならなくてよろしいですか?」「走れ」立花は冷ややかに一言だけ返す。「……はい」エンジンが唸りを上げ、車は加速して走り去った。広場の真ん中に、真奈ひとりがぽつんと取り残される。真奈は眉をひそめた。この立花、本当に度量が狭い。だが、立花がいなくなったのは、ある意味で都合がよかった。彼がいなければ、立花グループのカジノ内部の動きを、もっと冷静に観察できる。そう思い直し、真奈は踵を返してビルの中へと戻っていった。その頃、車内では、運転手がしきりに気にしていた。「ボス、もうこんな時間ですし、瀬川さんはひとりで外に残されて……携帯もお持ちじゃありません。危ないのでは?」「……何が言いたいんだ?」「いえ、その……やはり、迎えに戻った方がよろしいかと。もし何かあったら……」洛城は雑多な人間が行き交う街だ。広場のような人の集まる場所なら、なおさら何が起きるかわからない。今夜だって、彼女の美しさひとつで、すでに大きな騒動が起きていた。立花は眉間に皺を寄せ、鬱陶しげにネクタイを引き下ろしながら吐き捨てた。「ボスは俺か?それともお前か?……さっさと走れ」「承知しました、ボス」そのころ、真奈はすでにカジノの中へと戻っていた。マネージャーの内匠は彼女の姿を見つけるなり、駆け寄ってきた。「瀬川さん、立花社長は?」「用事があって先に帰ったわ」そう答えた真奈は、周囲をぐるりと見回してから言った。「本当は謝るつもりだったの。でも、今のあの人はきっと怒りの真っ只中。私のことなんか、気にも留めてないと思いう」「……それは、まあ……」内匠は、立花の性格をよく知っているのだろう。どこか納得したようにうなずいた。「瀬川さん、あれだけ長い時間ピアノを弾かれてお疲れでしょう。よろしければ、2階の休憩室でひと息ついてください。のちほど、こちらで車を手配いたしますので」「それじゃあ、内匠さんに甘えさせていただきます」真奈はにこやかに礼

  • 離婚協議の後、妻は電撃再婚した   第750話

    金井が真奈を無理やり連れ出そうとしたそのとき、突然、強い力が彼を後ろへと引き剝がした。瞬間、会場にはまるで豚が屠られるかのような絶叫が響き渡った。「あ――っ!」金井の片腕は、立花の片手にがっちりと押さえ込まれ、骨がきしむような音が微かに聞こえた。「お許しをっ!立花社長、お許しくださいっ!」金井の顔面は真っ青。だが、立花の表情は一層冷え込み、その手には一切の容赦も見えなかった。次の瞬間、「バキッ」と生々しい音が鳴った。金井の手の骨が、無惨にも折られたのだ。「ああああああっ!」床に倒れ込み、手を押さえてのたうち回るその姿に、周囲は一瞬、息を呑んだ。マネージャーはすぐさま警備員を呼び、騒ぎの元となった男を引きずって退場させた。真奈は片手をピアノにかけ、頬杖をつきながらとぼけた声で言った。「立花社長、どうしてそんなことを?あんなのでも、私を支えてくれるお金持ちだったのよ?」立花は危険な光を帯びた目を細め、低く言い放った。「支えてくれるお金持ちが欲しい?いいだろう。望み通りにしてやる」そう言うや否や、彼は真奈を乱暴に引き寄せ、そのままの勢いで彼女を男たちの輪の中へと放り投げた。立花は冷ややかな声で告げた。「さあ、選べ。気に入った男に聞いてみろ。お前を家に連れて帰ってくれるかってな」真奈は眉をひそめながら、周囲の男たちをゆっくりと見渡した。だが、男たちはまるで時間が止まったかのように、誰一人として動こうとはしなかった。ついさっき、金井がどうなったか――目の前で見ていないとでも?あの女に手を出したら、自分たちの身にどんな報いが降るか――考えただけで足がすくんだ。「た、立花社長……家の用事を思い出しまして、そろそろ失礼します」「そうそう、母が晩ご飯呼んでるんで……」男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていき、最後には真奈と立花だけが、向かい合ったままその場に残された。真奈は眉をひそめて言った。「立花、面白いと思ってるの?私の目の前で堂々と値段の交渉をして、私が話をまとめたら今度は相手を殴って追い払う。どういうつもり?もしかして、私に興味でもあるの?」「興味がある?瀬川、ずいぶんと自惚れているようだな」「じゃあ、さっきの行動は何?金井会長はここのVIPでしょ?一人叩き出せば、それだけ店の損失

  • 離婚協議の後、妻は電撃再婚した   第749話

    一曲、また一曲――真奈は楽譜に従って、ただひたすらにピアノを弾き続けた。ここはカジノ。音楽など所詮、雰囲気づくりのためのBGMに過ぎない。誰も真剣に耳を傾ける者などおらず、人々はただ勝ち金の快感に浸っていた。「立花社長、瀬川さんが楽譜一冊分、すべて弾き終えてしまいましたが……」「では、もう一度弾かせればいい」立花は、そこに来てからすでに二時間が経っていた。その間、真奈の手は一度たりとも止まらず、弾き続けていた。周囲の客たちは、ピアノの音色よりも、むしろその奏者の美貌のほうに視線を注いでいた。まだたった二時間しか経っていないのに、立花に「値段」を尋ねる客はすでに十人を超えていた。「立花社長、ご存知の通り、私はこれといった趣味もありません。ですから――どうか、いくらならお譲りいただけるのか、教えていただけませんか」太鼓腹の男が、にこやかに声をかけてくる。立花は、まるでわざとであるかのように、真奈からほんの二メートルしか離れていない場所で、その男と値段交渉を始めた。マネージャーが横から口を挟んだ。「金井(かねい)会長、この方は当店の新人ピアニストでしてね。あくまで演奏だけをお願いしているんです。そういう目的の子ではありませんよ」それを聞いた金井会長は言葉に詰まり、立花を見た。すると立花は薄笑いを浮かべて言った。「内匠(たくみ)、その言い方は間違ってるな。この世に金が嫌いな人間なんて、いると思うか?」「さすが立花社長、見通しが深い!金を積めば、何だって話はつくってことですな」真奈はピアノを弾きながら、三人の男たちの下品なやり取りに耳を傾けていた。その瞬間、ほんのわずかに気が散り、一音を弾き間違えてしまう。もっとも、この場にいる客の誰もそんなことに気づくはずもない。気づいたのは、ただ一人。立花だけだった。彼は眉を上げて、金井に向かって言った。「いっそご自身で訊ねてみてはどうだ?彼女がいくらなら、売ってくれるか」「はい!ありがとうございます、立花社長!」まるで赦しを得た囚人のように、金井は喜び勇んで真奈へと向かって行った。酔いのまわった男が近づくにつれ、むせ返るような酒の臭いが彼女に押し寄せてくる。真奈は眉をひそめ、思わず身を引こうとしたが、男はがっちりと彼女の手首を掴んだ。その瞬間――ピアノの音がぴたりと止まった

  • 離婚協議の後、妻は電撃再婚した   第748話

    月収7桁――この給料は、確かに悪くない。真奈の胸には不安が渦巻いていた。立花が今、自分をどう扱おうとしているのか、それがまるで読めなかった。だが、ここまで来た以上、あとは一歩ずつ進むしかない。間もなく、真奈はマネージャーに案内されて、カジノの2階にある休憩ラウンジへと向かった。道すがら、あちこちから貪るような視線が彼女に注がれ、そのたびに身の内がざわついた。ラウンジでは、立花がビリヤード台の前に腰かけていた。「立花社長、お連れしました」マネージャーがそう声をかけると、立花は短く頷いた。室内には濃い煙が立ち込め、葉巻の鼻をつく匂いが充満していた。真奈は思わず呼吸を止める。立花は手にしていた葉巻を灰皿に置くと、ゆっくりと彼女を見つめた。頭から足先まで、隅々にわたるその視線は、まるで何かを測るような冷たさを含んでいた。「服が、少し大きいな」「これは楠木(くすのき)さんのドレスでして……明日、瀬川さんのために新しく何着か仕立てさせます」楠木さん?真奈は頭の中で洛城の楠木という人々を思い巡らせた。楠木……彼女はかすかに思い出していた。前の人生で、立花が娶った妻の姓はたしか「楠木」だった気がする。この「楠木さん」という女性が、未来の立花グループの社長夫人になる人物なのだろうか?真奈は静かに考えを巡らせた。今世ではまだ、立花の婚約についての話は聞いたことがない。ということは、今はまだこの「楠木さん」と交際の段階にあるのかもしれない。「瀬川!」突然の怒声が、まるで耳元で弾けたかのように響き、真奈の鼓膜を揺らした。はっとして顔を上げると、立花が険しい顔でじっとこちらを見下ろしていた。「立花社長、どうしたの?」そう尋ねると、彼は冷たく言い放った。「三度も呼んだ。お前の耳は飾りか?」「……すみません、ぼんやりしてた」真奈は無理に口元を引き上げ、なんとか笑顔を作った。すぐに非を認めた彼女に対し、立花は黙って立ち上がり、手にしていた葉巻の火を静かに消した。そして淡々と告げる。「これからの仕事は、2階のピアノの前に座って、ひたすら弾き続けろ」「どのくらい弾くの?」真奈が問い返すと、立花は一歩近づき、低く、ゆっくりと――まるで一言一言を打ちつけるように言った。「ひ・た・す・ら」その言葉は一

  • 離婚協議の後、妻は電撃再婚した   第747話

    曲が終わった。けれど、立花は結局、ひとつの音も弾かなかった。マネージャーは、そのことに気づかれる前にと慌てて警備員に指示を出し、広場に集まった見物客を速やかに解散させた。真奈は隣に座る立花をちらりと横目で見て、軽く尋ねた。「立花社長、これで条件は達成だよね?」彼が出した条件は「千人を集めること」けれど、さっき集まっていた人々は、明らかにそれ以上だった。立花はしばらく彼女を無言で見つめていた。その視線に、真奈は思わず眉をひそめる。「……立花社長?」彼はようやく我に返ると、立ち上がり、淡々と告げた。「合格……ということにしておこう」ということにしておこう?間違いなく、ノルマ以上の結果を出したはずなのに。「話題の作り方を心得ている。必要なときに、使える人間をきちんと使う……どうやらお前は、ただの小賢しい女ではなさそうだな」「それはもちろんよ」「褒めているつもりはない」「……」立花はマネージャーの方へ向き直り、命じる。「作業服に着替えさせて、俺のところに連れてこい」「かしこまりました、社長」「ちょっと待って。私、ディーラーはやらせてもらえないの?」真奈は眉をひそめた。せっかく条件を達成して、ようやく立花の中核事業に近づけると思ったのに。ここで外されるなんて、これまでの努力がすべて無駄になる。「お前のその三流の小手先じゃ、ディーラーを任せたら立花グループごと沈められかねん」「あなた……」「連れて行け。見ていると鬱陶しい」そう言い残して、彼は踵を返し、去っていった。マネージャーは一部始終を見ていたからか、先ほどまでとは打って変わって丁寧な口調になっていた。「瀬川さん、こちらへどうぞ」真奈は内心まだ釈然としなかったが、ここに残れるだけでも十分だと自分に言い聞かせた。マネージャーに案内され、彼女はカジノのバックヤードへと足を踏み入れた。「社長が新人を直々に連れてくるなんて初めてです。どうやら瀬川さんのこと、本当に気にかけていらっしゃるようですね」「……気にかけて?」気にかけて、ね。たしかに、わざわざ海城まで足を運び、彼女を洛城まで連れてきた。黒澤への牽制に使っているとはいえ、何も知らない人が見れば、まるで彼女に気があるかのように思えるかもしれない。だが今や、それを知っているのは彼

  • 離婚協議の後、妻は電撃再婚した   第746話

    真奈はゆっくりと歩み寄ると、手首につけていたダイヤモンドのブレスレットを、何のためらいもなく男に差し出した。男はそれをひったくるように受け取ると、そそくさと人混みに紛れて逃げていった。その様子を見届けた真奈は、周囲を取り囲む人々の視線を一身に浴びながら、くるりと立花のほうを向き、片眉を上げて微笑んだ。「立花社長、成功したよ」彼女がピアノの前に立ってから、まだ一時間も経っていなかった。それでも、目の前には千人を超える人々が押し寄せていた。「……俺を利用したのか?」立花はすぐに気づいた。今の出来事は、すべて彼女の仕組んだ芝居だったのだ。真奈は答えた。「洛城で、人の目を集めるのに――立花社長の名ほど効果的なものが、他にないでしょ?」周囲の通行人たちは次々にスマートフォンを取り出し、立花にカメラを向けてシャッターを切り始めた。その様子に立花は眉をひそめ、冷たく言い放つ。「お前に与えた任務は、千人にピアノを聴かせることだった。見世物で人を集めろとは言っていない」「でも千人、もう集まったよ?あとは演奏を聴かせるだけ。簡単でしょう?」そう言うなり、彼女は立花の傍へすっと近づいた。彼に考える隙を与えることなく、その手を取ってピアノの前へと連れて行く。「助けてくれたお礼に、立花社長と連弾したいけど。ご一緒していただけるかしら?」その言葉に、周囲の野次馬たちもすぐさま反応した。「弾けー!」「連弾だー!」と、どこからともなく声が上がり、場の雰囲気は一気に高まった。立花は顔を曇らせ、低く呼びつけた。「瀬川!」「ご協力いただき、ありがとう」真奈はさらりと言ってのけ、ピアノの前に腰を下ろした。椅子の半分を空けて、立花のためにスペースを残す。「連弾にしましょう。お好きな曲はある?」言葉は丁寧だが、すでに彼女の手元の楽譜は『夢の中のウェディング』に開かれている。初心者でも弾けるほど簡単な一曲だった。立花の腕前がどの程度かは分からない。ならば、無難な選択が最善――そんな判断だった。真奈はすでに両手を鍵盤に添えていたが、隣の立花はというと、身体をこわばらせたまま、手の置き場にすら困っている様子だった。その姿に、真奈は思わず顔をしかめた「……うそでしょう、立花社長。まさか、ピアノ弾けないの?」真奈は前々から聞いていた

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status