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第959話

Author: 似水
聡が軽く身を引くと、景司が先に室内へ入り、その後を賢司が続いた。

賢司はポケットに手を突っ込んだまま、気ままな様子でかおるを一瞥し、「まだ寝てないのか?」と気だるげに尋ねた。

「すっごく興奮しちゃって。だって明日、結婚するんだもん。眠れなくてさ」

かおるがそう言って笑うと、賢司は鼻でふっと笑って、「情けないな」と呟いた。

その言葉に、かおるの顔がみるみる曇った。

「賢司さん、その言葉、取り消したほうがいいよ。あなたが結婚する時だって、絶対興奮して眠れなくなるはずだから!」

結婚で眠れなくなるだと?

はっ、そんなバカな。

賢司はかおるの反論をまるで聞いていなかった。彼にとって、そんなことは起こり得ない、あり得ない話だった。

かおるもそれ以上言い返すのはやめ、踵を返してキッチンへ向かい、水を二杯注いで二人の前に差し出した。

「おじさんは?」

彼女は景司に目を向けて尋ねた。

「父は海外で重要な会議中でね。おそらく明日にならないと戻れない」

景司の言葉に、かおるは小さく頷いた。

「無理して来なくてもいいよ。時間が厳しいなら、おじさんが疲れちゃうし」

その気遣いに、景司は口元をほころばせた。

「わかった。そう伝えておくよ」

かおるの胸は自然と温かさで満たされた。これで式に参加してくれる身内が、また二人増えたのだ。

時間は静かに、けれど確実に過ぎていく。深夜になる頃には、さすがのかおるも眠気に襲われていた。時計を見ると、夜が明ける前には新郎が迎えに来る予定で、まともに眠る時間はもう残されていなかった。

「少し仮眠しなよ。時間になったら起こしてあげるから」

聡の優しい声に、かおるは大きなあくびをしながら頷いた。

「うん、そうする……」

少しでも眠っておかないと、体がもたなさそうだった。

だが、眠りにつけたのはほんの一時間半ほど。あっという間に起こされてしまう。

メイクアップアーティストが到着し、化粧が始まったのだ。

花嫁の衣装に袖を通すと、彼女の姿を目にした周囲の人々の表情がぱっと明るくなり、目を見張った。

「とても美しいよ」

景司は心からそう言って褒めた。

聡はスマートフォンを構えながら、「すっごく綺麗!記録しておかなくちゃ」と嬉しそうに言った。

だが、賢司だけは何も言わず、じっとかおるを見つめ続けていた。

そんな彼に
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