LOGIN私・新田真綾(にった まあや)の骨髄移植の手術当日。 母から電話がかかってきた。 「また仮病?骨髄を提供するだけでしょ。そんなに大げさに『死ぬ』みたいなこと言って、誰に見せてるの?」 その傍らで、弟の新田翔真(にった しょうま)が低く吐き捨てるように言った。 「どうしてそんなに腐ってるんだよ。彼女に借りがあるなら、それくらい当然だろ。死ねって言われても仕方ないじゃないか」 そして、恋人の西園綾人(にしぞの あやと)までもが、怒りを抑えきれずに言葉をぶつけてきた。 「骨髄ひとつだろ!死ねって言ってるわけじゃない!どうしてそんなに自分勝手なんだ!」 ――誰も知らない。私の体は、骨髄を提供すれば命を落とすことを。 それでも、みんながそう望むのなら。私は、その望みどおりに死ぬだけだ。
View More翔真の口数はますます減っていった。彼はいつも私の部屋に向かって、人知れず涙を拭っていた。その顔は、幼い頃に傷ついたときの面影をそのまま映していた。私は彼の傍に静かに座り、見つめていた。恨みがないと言えば嘘になるが、死者は煙のように消え失せ、私には何も変えられない。私が死んで一ヶ月後、翔真は警察署から出てきた美怜を待ち伏せた。彼は何も言わず、美怜を何度も刺した。鮮血が彼の全身に飛び散った。いつも臆病で事なかれ主義だった少年は狂ったように笑い、美怜の耳元で叫んだ。「姉ちゃんに借りた分は、地獄で返せ!俺もだよ。俺はクズで、最低で、姉ちゃんを傷つけた弟だ。姉ちゃんに悪かった、本当に悪かった……だから――一緒に地獄へ行こう」その日も太陽は燦々と輝いていた。翔真は美怜が息絶えるのを見届けると、刀を振り上げて自ら命を絶った。彼の動きは素早く、助かる余地など微塵もなかった。両親は衝撃に耐えきれず、その場で意識を失った。子どもを二人同時に失うなど、どんな親でも耐えられるはずがない。私の身体は次第に透けていき、もう行かなければならない時が来た。けれど不思議なことに、弟と美怜の姿はどこにも見えなかった。まるで一握りの土になって、炎の中で消えてしまったかのように、何も残さなかった。病院で目を覚ました母は、すでに正気を失っていた。会う人ごとに、泣き叫ぶように問いかける。「真綾……どうしてお母さんに会いに来てくれないの……?」私は振り返らず、ただ前へと歩き出した。そこには、ずっと憧れていた山や川が静かに広がっている。さっきまで狂ったように笑っていた母が、今度は泣き叫びながら私を追ってきた。何度も転び、そのたびに立ち上がって。「真綾、お願い、振り向いて。お母さんが悪かったのよ……真綾……真綾……」何度も繰り返される「真綾」という声には、愛情が溢れていた。彼女はようやく私を愛してくれた。だけど、私はもう死んでしまった。人の死とは、灯りが消えるように、すべての因果を断ち切るもの。私はそっと涙を拭い、足を止めずに歩き続けた。胸の奥には、言葉にならない許しだけが残っていた。痛みも、愛も、憎しみも――たしかに真実だった。だからこそ、過去の自分を裏切ることはできない。……お母さん、さようなら。もう
心が冷えるのは、一日で起こることじゃない。父はついにこらえきれず、嘆き叫んだ。彼らの目には、私は醜く、忌まわしく、罪の報いを背負った人間に映っていたのだろう。だが、真実を前にした私は、あまりにも無垢だった。全てを知った両親は、メモを美怜の前に投げつけ、彼女を家から追い出した。彼らは、美怜が一人で生きていけるようになるまで面倒を見ると約束した。けれど、できたのはそれだけだった。美怜は泣きながら何度も懇願したが、翔真に冷たく突き放された。どうしようもなくなった彼女は、綾人を頼るしかなかった。その頃、綾人は私の写真を抱きしめたまま、酒に溺れていた。何度も私の名を呼び、出会った日、分かり合い、愛し合った時間を思い返していた。美怜は怒りに任せて彼の襟を掴み、問い詰めた。「私があなたの彼女でしょう?」「違う、君じゃない。俺の彼女は真綾だけだ」綾人は魂が抜けたように空を見上げ、その瞳からは光が失われ、無限の闇だけが残っていた。酔ったふりをしている人間を起こすことは誰にもできない。美怜は罵りの言葉をいくつか吐き捨て、長く続く部屋探しを始めた。彼女には金があまりなく、結局、古びた路地裏に引っ越すしかなかった。そこには、かつての綾人のような不良たちが大勢いた。お嬢様として育った美怜にとって、彼らは抗いがたい魅力を放っていた。彼女はようやく、息をつける場所を見つけたのだ。かつて私を踏みにじっていた美怜は、まるで魂だけを残して死んだようだった。腐った心だけが、彼女の中にかろうじて息づいていた。やがて彼女は新しい恋人を作り、過去の出来事を笑い話のように語るようになった。社会の荒波に生きる男たちは、愛する女が誰かに苦しめられた話ほど我慢ならない。深夜、美怜はその新しい恋人を連れて、綾人のもとを訪ねた。割れた酒瓶の破片が、綾人の胸にまっすぐ突き刺さった。美怜は罵りの言葉を吐きながら、止まることなく叫び続けた。「あなたには私を捨てる資格なんてないのよ。まだ真綾のことを引きずってるの?言っとくけど、あの子は私のために生まれたのよ。事故の数日前、私と真綾は一緒に健康診断を受けたの。私は白血病だって診断されたのに、あの子だけが何の問題もなかった。うちの両親は毎日泣いてた。私を助けてくださいって病院にすがっ
あの日は、いつも私を憎んでいた両親が、泣き崩れていた。彼らはきつく抱き合い、私を呼び戻そうとした。しかし、最終的には運命を受け入れざるを得ず、私の遺体を引き取って去っていった。家に着いたその日、美怜は青ざめた顔で、私の祭壇を整えた。彼女は震える体で、ひどく苦しんでいるように見えた。母は彼女を一瞥しただけで、有無を言わさず跪くよう要求した。美怜は納得できないというように、強張った顔で問い返した。「私、真綾に何の借りもないわ。彼女は私のために死んだわけじゃない」どうやら彼女は、私の死の真相を知り、それを盾にしているらしい。母は体を強ばらせ、一言ずつ噛みしめるように返した。「もしあんたに骨髄をあげるためじゃなかったら、真綾は死ななかった。あと二年は生きられたはずよ。――私が、私があの子を殺したの。どうして忘れてたんだろう。あの子は、私がずっと待ち望んでいた娘だったのに」人は、失ってからしか、その大切さに気づけないものらしい。しかし、誰も理解していない。失ったものは二度と戻らない。残るのは、ただただ痛ましい心の傷だけなのだと。美怜は顔を真っ青にし、仕方なく跪いた。長年一緒にいたのだから、私は誰よりも彼女のことをよく知っていた。どうにもならなくなった時、彼女は最も柔軟に対応する。翔真は呆然と立ち尽くし、どうしていいか分からない様子だった。私が死んだと知らされてからというもの、彼はひどく様子がおかしかった。母は異変に気づき、訝しげに彼を見つめた。「翔真、何を恐れているの?」普段、何の恐れも知らぬ彼が地面に跪き、必死に頭を擦り付けた。「母さん、悪かった。十年前の交通事故、俺も関わっていたんだ。姉ちゃんが死ぬなんて、本当に知らなかったんだ」翔真はあの誰もが知る交通事故を、口ごもりながらも語った。母は地面に倒れ込んだ。彼女は必死で翔真の体を蹴りつけ、悲痛な声で叫んだ。「どうして今になって言うの!どうして!」この葬儀は、どこか滑稽で、悲しい出来事の連続だった。けれど、その多くは私への同情で彩られていた。母は、私のわずかな遺品を自分の手で丁寧に整理し、一つひとつを確かめながら、まるでそこに私がいるかのように語りかけていた。「うちの真綾はきれい好きだったわね。大丈夫、お母
不意に電話が鳴り響き、母は眉をひそめた。母娘は心で通じ合っていると言うけれど、あれは私のことを悲しんでいるのだろうか。「もしもし、新田真綾様のご家族でいらっしゃいますか。誠に申し訳ございませんが、真綾様はご病気のため、治療の甲斐なく、二日前にご逝去されました。お手数ですが、できるだけ早く病院へお越しになり、ご遺体のお引き取りをお願いいたします」感情のこもらない声が聞こえ、母は驚きのあまりスマホを落とした。母は唇を強く噛み締め、長い沈黙のあと、やっと声を絞り出した。「また真綾の芝居でしょ? 彼女が死ぬなんてありえないわ」母の声は少し上ずっていた。信じないと言い張る口とは裏腹に、震える声が全てを物語っている。私はそっと近寄り、手を伸ばしかけたが、何の意味もないと悟った。お母さん、ほら、今、あなたが望んだ通りに私は死んだよ。少しは喜んでくれる?電話を切った後も母は長いこと立ち尽くしていたが、父のスマホが鳴り響いた。母は電話をひったくるように奪い取り、ほとんど怒鳴るような声で叫んだ。「冗談でしょ!真綾は元気にしているわ。骨髄だって提供したばかりよ!」相手は困惑し、電話を切った。その場の空気は一気に重くなり、美怜は目を赤く腫らしていた。「お父さん、お母さん、真綾が私のせいにしてるの?そんなの、嘘よね?だって、あんなに元気だったのに……急に病気だなんて、ちょっと変じゃない?心配だし、一度見に行ってあげて?きっと痛いのを大げさにしてるだけだと思うの」美怜は必死に恐怖を抑え込もうとしていたが、それが父の眉をひそめさせた。「仕方ない、とにかく一度見てくるか。万が一、本当だったら困るからな」吸いかけの煙草が床に捨てられ、父は母の肩を抱き、そのまま家を出ようとした。誰も口にはしなかったが、その口ぶりは明らかにいくらか信じているようだった。美怜は焦った。可哀そうに顔を上げ、その両目には涙が浮かんでいた。「私、まだ誰かにそばにいてもらわなきゃだめなの、お父さん」母は穏やかな足取りで外へ向かった。その口調には、一切の拒絶を許さない響きがあった。「綾人が一緒にいてくれるんでしょ? 美怜、わがまま言わないで。真綾だって、私の子供なのよ」何年もの時を経て、私が再び「私の子供」と呼ばれるのを耳にした。美
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