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骨髄を捧げて、死んだ日

骨髄を捧げて、死んだ日

By:  匿名Completed
Language: Japanese
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私・新田真綾(にった まあや)の骨髄移植の手術当日。 母から電話がかかってきた。 「また仮病?骨髄を提供するだけでしょ。そんなに大げさに『死ぬ』みたいなこと言って、誰に見せてるの?」 その傍らで、弟の新田翔真(にった しょうま)が低く吐き捨てるように言った。 「どうしてそんなに腐ってるんだよ。彼女に借りがあるなら、それくらい当然だろ。死ねって言われても仕方ないじゃないか」 そして、恋人の西園綾人(にしぞの あやと)までもが、怒りを抑えきれずに言葉をぶつけてきた。 「骨髄ひとつだろ!死ねって言ってるわけじゃない!どうしてそんなに自分勝手なんだ!」 ――誰も知らない。私の体は、骨髄を提供すれば命を落とすことを。 それでも、みんながそう望むのなら。私は、その望みどおりに死ぬだけだ。

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Chapter 1

第1話

小さいころから、私・新田真綾(にった まあや)は芹沢美怜(せりざわ みれい)に「二つの命の恩」があると知っていた。

幼い日の事故で、私を救ってくれたのは彼女の両親だったからだ。

発見されたときの私は傷ひとつなく、頬には血色さえ残っていた。

けれど美怜の両親はその場で命を落とし、病院に辿り着くことすらできなかった。

うちの両親は「体面」を何より気にするタイプのインテリだ。

世間の目を避ける名目で、美怜はそのまま我が家に引き取られた。

母は私の頭を撫でながら言った。

「真綾、これからは美怜の面倒をちゃんと見なさい。あれは、あなたが生かされた証でもあり、背負うべき恩よ」

そのときの母の眼差しは痛ましさで満ちていたのに、時が経つほど残ったのは嫌悪だけだった。

美怜はいつしか家でいちばん誇らしい娘になった。

中学の頃、母は美怜の世話を理由にほぼ毎日学校まで弁当を届けに通った。

私が幼くて何度か不満を漏らすと、平手打ち一発で床に転がされた。

「どの口がそんなこと言うのよ。美怜の両親を死なせたのはあんたでしょ。いつも彼女をいじめて、今体が弱いのも、全部あんたのせいじゃない!」

母は刺々しい顔で、怒りが募ると、私を蹴りつけてきた。まるで汚れ物でも見るような目で。

幼い私はなぜ両親が変わったのか分からず、膝を抱えて泣くしかなかった。

それからは「根暗」「性格が悪い」「恩知らず」「出来損ない」という言葉が、私の成長にまとわりついた。

「ご家族の方は?」

医師の呼び声に、はっと肩が跳ねた。

反射的に廊下の向こうを見た。誰もいない。待つ人も、気にかける人も。

胸の苦さを飲み込み、無理に笑ってみせる。

「私だけです……」

続きを言う前に、けたたましい着信音が割り込んだ。震える手でポケットからスマホを取り出す。

胃の奥がきりきりと捩れる。若い看護師が気を利かせて、スマホを耳元に当ててくれた。

母からだ。

「真綾、今度はどこで油売ってるの。美怜が痛みに耐えてるって分かってる?」

怒りと焦りが混じった荒い声が鼓膜を刺す。

「病院にいる!」

やっとそれだけ搾り出すと、受話口の向こうでさらに怒気が高まった。

「また仮病?骨髄を提供するだけでしょ。そんなに大げさに死ぬみたいなこと言って、誰にアピールしてるの?」

刺さる言葉がそのまま胸を撃ち抜き、涙がぼろぼろと零れた。

そばで父が堪えきれず口を挟む。

「あいつが恩知らずなのは、お前だって分かってるだろ。仮病なんて、俺たちを騙すための芝居だ」

母を一番よく分かっているのは父だ。短い一言で火に油を注ぎ、私を炎の中に放り込んだ。

「はあ、忘れてたわ。長年苦労して育てた結果が、この出来損ない。

真綾、いい?あんたが死ぬことになっても、美怜に骨髄は渡すのよ。

あんたの型が一番合うから、仕方なく言ってるだけよ。本当なら、あんたみたいな自己中の血なんて、触れたくもないのに。

美怜の優しさまで、あんたの汚い血に染まったらどうするのよ!」

機関銃のように皮肉を浴びせられて、私は身をすくめた。

そうだね。美怜はいつだって「一番よくできた、優しい子」だ。

彼女が私の骨髄を欲しがるなら、私は感謝して差し出すべきなんだ。――少なくとも、みんなの目には。

私は、当然の報いを受けるべき人間で、気味が悪くて、罪人なんだ。

心臓がきゅっと握り潰されるように、波のような痛みが押し寄せてくる。

息を詰めるように思考を押し込み、受話器の向こうの声が別の人に変わった。

出たのは、私が育て上げた弟――新田翔真(にった しょうま)だった。

「どうしてそんなに腐ってるんだよ。彼女に借りがあるなら、それくらい当然だろ。死ねって言われても仕方ないじゃないか」

乾いた声で、最悪の呪いを突きつけられた。頭を抱えたまま、「死」という音だけが何度も耳の奥で反響する。

憎まれるのも、誤解されるのも慣れている――でも、翔真まで?彼は、すべてを知っているはずなのに。
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松坂 美枝
松坂 美枝
なんも残らない悲しい話だったわ
2025-11-16 11:43:32
1
0
ノンスケ
ノンスケ
自分の娘をここまで追い込む親ってどうなの?完全に虐待だよ。しかも彼氏にまで裏切られて、生きる意欲なくなるよね。救いようのない話だった。
2025-11-16 22:24:04
2
0
10 Chapters
第1話
小さいころから、私・新田真綾(にった まあや)は芹沢美怜(せりざわ みれい)に「二つの命の恩」があると知っていた。幼い日の事故で、私を救ってくれたのは彼女の両親だったからだ。発見されたときの私は傷ひとつなく、頬には血色さえ残っていた。けれど美怜の両親はその場で命を落とし、病院に辿り着くことすらできなかった。うちの両親は「体面」を何より気にするタイプのインテリだ。世間の目を避ける名目で、美怜はそのまま我が家に引き取られた。母は私の頭を撫でながら言った。「真綾、これからは美怜の面倒をちゃんと見なさい。あれは、あなたが生かされた証でもあり、背負うべき恩よ」そのときの母の眼差しは痛ましさで満ちていたのに、時が経つほど残ったのは嫌悪だけだった。美怜はいつしか家でいちばん誇らしい娘になった。中学の頃、母は美怜の世話を理由にほぼ毎日学校まで弁当を届けに通った。私が幼くて何度か不満を漏らすと、平手打ち一発で床に転がされた。「どの口がそんなこと言うのよ。美怜の両親を死なせたのはあんたでしょ。いつも彼女をいじめて、今体が弱いのも、全部あんたのせいじゃない!」母は刺々しい顔で、怒りが募ると、私を蹴りつけてきた。まるで汚れ物でも見るような目で。幼い私はなぜ両親が変わったのか分からず、膝を抱えて泣くしかなかった。それからは「根暗」「性格が悪い」「恩知らず」「出来損ない」という言葉が、私の成長にまとわりついた。「ご家族の方は?」医師の呼び声に、はっと肩が跳ねた。反射的に廊下の向こうを見た。誰もいない。待つ人も、気にかける人も。胸の苦さを飲み込み、無理に笑ってみせる。「私だけです……」続きを言う前に、けたたましい着信音が割り込んだ。震える手でポケットからスマホを取り出す。胃の奥がきりきりと捩れる。若い看護師が気を利かせて、スマホを耳元に当ててくれた。母からだ。「真綾、今度はどこで油売ってるの。美怜が痛みに耐えてるって分かってる?」怒りと焦りが混じった荒い声が鼓膜を刺す。「病院にいる!」やっとそれだけ搾り出すと、受話口の向こうでさらに怒気が高まった。「また仮病?骨髄を提供するだけでしょ。そんなに大げさに死ぬみたいなこと言って、誰にアピールしてるの?」刺さる言葉がそのまま胸を撃ち抜き、
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第2話
十年前、事故の現場にいたのは私だけじゃなかった。中学に上がったばかりの翔真もいた。やんちゃで、家に隠れて外で仲間とつるんでいた。放課後、私はちょうどそこに出くわした。ピアスに煙草、誰にも媚びず、人を寄せつけない空気をまとった連中の中で、翔真はひときわ目立っていた。おどおどと菓子やスマホを差し出して取り入ろうとしている。いじめられてるんだと思って、私は迷わず飛び込んだ。私の動きが急すぎて、翔真は仰け反り、驚いて逃げ出した。事故を起こさせまいと、私は必死で追った。「翔真、逃げないで、戻ってきて!」荒い息を吐きながら、逃げる背中に向かって腕を伸ばした。それを面白がるように、翔真は車道の真ん中で、私に変な顔をしてみせる。ふざけることに夢中で、正面から来る乗用車に気づかない。私は狂ったように駆け出し、渾身の力で翔真を突き飛ばした。間一髪で翔真は難を逃れ、私は迫る車をただ目で受け止めるしかなかった。その刹那、美怜の両親が私の前に飛び込み、身ひとつで私を庇った。恐怖で意識が飛び、目を開けたとき、泣き腫らした目の美怜がいた。翔真は怖気づいて早々にその場から消え、すべての非難は私に降りかかった。悔しさに唇を開きかけた、そのとき――私の袖を掴んで制したのは、翔真だった。彼は両手を合わせ、怯えた目で許しを乞う。物心つく前から面倒を見てきた弟に、私はいつも甘かった。あの場で正否を言い立てても、泥仕合になるだけだ。そう思って、私は黙って罵声を受け入れた。憎しみが芽になり、美怜は家に来たその日から、私を追い出すように侮辱を重ねた。私のおもちゃを壊し、部屋を奪い、居場所を少しずつ隅へと追いやっていった。そのとき初めて、人生はこんなにも暗く、先がすでに見切れているのだと思った。食卓に着く資格を奪われた日のこと。嫌だと泣き叫ぶ私に、母は手近な棒を掴んで振り下ろした。「出来そこない!あんたさえいなきゃ、私たちが後ろ指さされることも、美怜が親を失うこともなかった!何の権利があって騒ぐのよ。あんたなんか、犬の皿で食べさせられても当然でしょ!」その言葉に、美怜の目がきらりと光り、そばの翔真はすぐに意図を悟った。彼はボロボロの器を取り出し、わざとらしく私の前に放り投げた。「美怜さんの優しさにでも感謝しとけよ。こ
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第3話
ああ、彼も自分が私に後ろめたいと分かってはいるんだ。いつからだったのだろう。綾人の目が、まっすぐ美怜を追うようになったのは。一年前か、半年前か。もう確かめる気も起きない。沈黙が、すべてを物語っていた。綾人は小さく息を吐き、ゆっくりと口を開いた。「真綾……まだ俺のことが好きなのは分かってる。でも、今の俺は美怜の恋人なんだ。俺は彼女が好きで、彼女も俺を好きで。愛されてないほうが、結局は第三者なんだよ。もう八年になるだろ。頼む、俺を解放してくれ。美怜を助けてくれ。そんな意地の悪いこと、やめてくれよ」言い切るころには息が上ずっていた。彼は取り乱し、美怜が死ぬことだけを恐れて、私がいちばん怖れている痛みのことは忘れていた。泣くまいと必死にこらえたのに、涙は音もなく頬を伝った。もう八年も経ったのか。綾人と出会った頃、彼は怖いもの知らずの不良だった。当時は「硬派」に憧れる風潮があって、彼もそれに倣い、界隈では名の知れた厄介者になっていた。私はいつも遠回りして避けた。悪い癖がうつるのが怖かったから。その逃げ腰が、かえって彼の執着に火をつけた。力がものを言う中学という小さな国では、女の子はみんな彼に憧れるはず――私はその例外であってはならない、と彼は思ったのだ。見せ場を作るみたいに、綾人は得意げに飴を押しつけ、私のまわりで「守ってやる」と言いながら振る舞っていた。少年の恋は、花火のように一瞬で燃え上がる。私の暗がりを照らす、ほとんど唯一の光だった。やがて受験の時期が来て、綾人は死に物狂いで勉強した。私と同じ大学に行くために。愛を形にしようとするかのように努力を重ね、結果的に、誰もが驚くような奇跡を起こした。想いは尊い――そう言う人は多い。けれど、その想いほど儚く、移ろいやすいものもない。大学に進んでから、私と綾人は離れた町で暮らすようになった。彼は私を抱きしめ、真顔で誓った。「遠距離恋愛が終わったら、必ずお前を迎えに行く」往復の切符と、夜ごとの長い通話が、その言葉の確かさを教えてくれていた。でも、約束というものは、口にした瞬間がいちばん強くて、そこから少しずつ、弱くなっていく。毎日の通話が週に三度になり、やがて、音沙汰のない日々へ――ほんの一年のうちに。綾人の世界は、もはや私を中心
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第4話
翔真がこっそり私を慰めてくれたことが、何度かあった。人目を忍び、私をそっと隅っこへ引っ張っていく。「姉ちゃん、あの時、姉ちゃんが呼び止めなかったら、俺はあんなに走り回らなかった。美怜さんの両親も死ななかった。父さんたちの言う通りにしなよ。美怜さんの病気は、あんたがいないと困るんだから。これが姉ちゃんが背負った借りなんだ」自分よりも背が高くなった弟を見上げる。まるで他人のようだ。「もし私が助けなかったら、あんたはもう死んでたはずよ」翔真の表情がたちまち険しくなる。俺の額に指を突きつけ、荒々しい声で言った。「いいか、その話を他に漏らすなよ。それに、今さら言っても無駄だ。父さんたちはもう、姉ちゃんが悪いって決めつけてるんだから」まったくもってそうだ。何年も経ち、こんなにも多くの屈辱を飲み込んできた。今さら何を言っても意味がない。翔真は目的を達成したのか、冷笑を浮かべて去っていった。子供の頃の、あの快活で可愛らしい面影は、もうどこにもなかった。私は力なく壁にもたれかかる。人に疎まれることにはもう慣れていた。しかし、その度に、癒えかけた傷口が引き裂かれ、血が滲み出てくるようだった。翔真は、こんな面倒なことをする必要はなかったはずだ。所詮、この家では、私の言うことなんて全部嘘だと思われているのだから。小さい頃、祖母は両親の不公平な態度に、何度も私をかばってくれた。結局は実の孫。祖母は明らかに私を可愛がってくれていた。しかし、その愛情も、生と死の前ではあまりにも取るに足らないものに見えた。美怜は、全ての愛情を手に入れるため、こっそり自分で下剤を飲んだのだ。泣きじゃくって息も絶え絶えのくせに、私の手から器を奪い取り、ためらいなく口へ運んだ。誰も自分の体を犠牲にしてまで、そんな真似はしない。特に美怜のように体が弱い子なら、なおさらだ。その一芝居は、あまりにも見事だった。薬を盛って人を陥れようとした孫娘と、理不尽な目に遭っても全く騒がない孫娘。どちらを選ぶかなんて、考えるまでもない。私は地面に膝をつき、頭を床に打ちつけんばかりに訴えた。違う、私がやったんじゃないと、声が枯れるまで叫んだ。祖母は一瞥をくれたきり、あの優しさを目から消した。祖母は私を叩きはしなかった。ただ
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第5話
彼らは私に、休んでいれば全てがうまくいくと安心させるように言った。私はなんとか笑みを絞り出し、傍にあったスマホを手に取った。画面は綺麗で、誰も私を気遣うメッセージなど送ってきてはいなかった。苦い感情を必死に抑え込み、ロックを解除する。電話が再び鳴り響いた。最大の「債」の相手からだった。美怜が私に電話をかけてくるのは、これが初めてだった。「真綾さん、全部私のせいなの。私が、本来あなたのものだった全てを奪ってしまった。両親の死は、あなたのせいだなんて思わないけど、でも私、生きていたいだけなの」彼女はとても悲しそうに聞こえた。声はか細かった。本当に気にしていないのなら、どうして四六時中口にするのだろう?議論する気にもなれず、私は黙っていた。美怜は私の返答を必要としていないようだった。何度か大きく咳き込むと、構わず話を続けた。「家族の皆があなたのことを嫌って、いつもいじめてた。そんな時、美味しいものも、楽しいことも、私が全部あなたに分けてあげたわ。私が家にいる間は、あなたの悪口なんて、誰にも言わせなかったのに。私なりに、あなたと真剣に向き合ってきたつもりよ。なのに、どうして私を憎むの?」美怜は堰を切ったように大声で泣きじゃくった。まるで、これまで溜め込んだ全ての苦しみを吐き出すかのようだった。私は必死に目を開き、天井を見つめた。空は徐々に暗くなり、屋根の色が入り混じる。白と黒が一体となり、どちらが正しいのか、もはや区別がつかない。彼女は確かに私に多くのものを与えてくれた。人前では私を守ってくれた。しかし、彼女のその行動こそが、私がより多くの体罰を受ける原因となっていたのだ。母は私の頬を、幾度となく打ち続けた。「真綾、あんたもう十分服を持っているでしょう。なんで美怜のを奪うのよ?あの子が家に来たばかりで、まだ慣れていないこと、知らないとでも言うの?なんでいじめるの?どうしてあんたみたいなろくでなしを産んでしまったのかしら。あんたにはお父さんも、お母さんもいる。美怜はあんたのせいで家まで失ったのよ。ちょっとくらい譲ってあげてもいいじゃない」母の言葉は回を重ねるごとに辛辣になり、手の力も強くなっていった。美怜はいつだって、最もシンプルな方法で私をどん底に突き落とす術を知っていた。
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第6話
麻酔が体に打ち込まれ、私の意識はぼんやりと十年前へと戻った。その頃はまだ美怜はいなくて、母は私をとても可愛がってくれた。私にプリンセスドレスを買い与え、アイスクリーム、そして綺麗なキャンディまで。あのキャンディはとても甘く、私の心までうっとりさせた。母は私の体を抱きしめ、頭を撫でながら言った。「うちの真綾は一番良い子ね、神様からの最高のプレゼントだわ」だが、いつかプレゼントが腐り果てれば、ゴミ箱に捨てられる運命なのだろう。汚くて、醜い。私のような人間には、それがお似合いだ。まぶたがどんどん重くなる。熱い涙がぽろぽろと零れ落ちる。耳元では、鋭い警報と医師の呼び声が交錯する。「患者の命が危ない。生存の意思がない。急いで救急処置を!」人影がごちゃごちゃと乱れ飛ぶ。私はため息をついた。よかった、命の最後にまだ、必死に私を救おうとしてくれる人がいる。「新田さん、今日はとても良い天気です。外には眩しい太陽の光が降り注いでいます。まだ家族や友人がいるではありませんか。諦めずに、頑張ってください」医師は私を励まし続けた。私の喉が詰まる。あなたの最後の優しさに感謝する。そして申し訳ない。私にはずっと前から、もう家などないのだから。美怜が現れたあの瞬間から、私は何もかも失ってしまったのだ。希望のない人間は、助けられない。波打っていた線が次第に平らになり、鼓動が途切れる。医師がマスクを外した。目尻にわずかな涙が光り、どうしようもなさだけが顔に残る。傍らにいた数人の若い看護師たちは、すでに声を上げて泣いていた。その骨髄を介して、私は母の声を聞いた。彼女は驚きと喜びに満ちていた。「これ、真綾の骨髄で間違いないの?ならよかったわ。もしあの子が拒んでいたら、縛ってでも連れてくるつもりだったんだから」翔真は傍らで口を尖らせ、得意げな口調で言った。「母さん、やっぱ母さんはすげーよな。姉ちゃん、母さんの言うことしか聞かねーし。何日か前まで、あんなに嫌がってたくせによ」綾人は数秒間呆然とした後、同意書を手に取って見つめた。「これで美怜が助かる」私は彼らが安堵のため息をつき、リラックスするのをはっきりと聞いた。じゃあ、私は?どうして、私が痛いかなんて、誰も気にしないの?意識はますます沈んでいく。
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第7話
不意に電話が鳴り響き、母は眉をひそめた。母娘は心で通じ合っていると言うけれど、あれは私のことを悲しんでいるのだろうか。「もしもし、新田真綾様のご家族でいらっしゃいますか。誠に申し訳ございませんが、真綾様はご病気のため、治療の甲斐なく、二日前にご逝去されました。お手数ですが、できるだけ早く病院へお越しになり、ご遺体のお引き取りをお願いいたします」感情のこもらない声が聞こえ、母は驚きのあまりスマホを落とした。母は唇を強く噛み締め、長い沈黙のあと、やっと声を絞り出した。「また真綾の芝居でしょ? 彼女が死ぬなんてありえないわ」母の声は少し上ずっていた。信じないと言い張る口とは裏腹に、震える声が全てを物語っている。私はそっと近寄り、手を伸ばしかけたが、何の意味もないと悟った。お母さん、ほら、今、あなたが望んだ通りに私は死んだよ。少しは喜んでくれる?電話を切った後も母は長いこと立ち尽くしていたが、父のスマホが鳴り響いた。母は電話をひったくるように奪い取り、ほとんど怒鳴るような声で叫んだ。「冗談でしょ!真綾は元気にしているわ。骨髄だって提供したばかりよ!」相手は困惑し、電話を切った。その場の空気は一気に重くなり、美怜は目を赤く腫らしていた。「お父さん、お母さん、真綾が私のせいにしてるの?そんなの、嘘よね?だって、あんなに元気だったのに……急に病気だなんて、ちょっと変じゃない?心配だし、一度見に行ってあげて?きっと痛いのを大げさにしてるだけだと思うの」美怜は必死に恐怖を抑え込もうとしていたが、それが父の眉をひそめさせた。「仕方ない、とにかく一度見てくるか。万が一、本当だったら困るからな」吸いかけの煙草が床に捨てられ、父は母の肩を抱き、そのまま家を出ようとした。誰も口にはしなかったが、その口ぶりは明らかにいくらか信じているようだった。美怜は焦った。可哀そうに顔を上げ、その両目には涙が浮かんでいた。「私、まだ誰かにそばにいてもらわなきゃだめなの、お父さん」母は穏やかな足取りで外へ向かった。その口調には、一切の拒絶を許さない響きがあった。「綾人が一緒にいてくれるんでしょ? 美怜、わがまま言わないで。真綾だって、私の子供なのよ」何年もの時を経て、私が再び「私の子供」と呼ばれるのを耳にした。美
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第8話
あの日は、いつも私を憎んでいた両親が、泣き崩れていた。彼らはきつく抱き合い、私を呼び戻そうとした。しかし、最終的には運命を受け入れざるを得ず、私の遺体を引き取って去っていった。家に着いたその日、美怜は青ざめた顔で、私の祭壇を整えた。彼女は震える体で、ひどく苦しんでいるように見えた。母は彼女を一瞥しただけで、有無を言わさず跪くよう要求した。美怜は納得できないというように、強張った顔で問い返した。「私、真綾に何の借りもないわ。彼女は私のために死んだわけじゃない」どうやら彼女は、私の死の真相を知り、それを盾にしているらしい。母は体を強ばらせ、一言ずつ噛みしめるように返した。「もしあんたに骨髄をあげるためじゃなかったら、真綾は死ななかった。あと二年は生きられたはずよ。――私が、私があの子を殺したの。どうして忘れてたんだろう。あの子は、私がずっと待ち望んでいた娘だったのに」人は、失ってからしか、その大切さに気づけないものらしい。しかし、誰も理解していない。失ったものは二度と戻らない。残るのは、ただただ痛ましい心の傷だけなのだと。美怜は顔を真っ青にし、仕方なく跪いた。長年一緒にいたのだから、私は誰よりも彼女のことをよく知っていた。どうにもならなくなった時、彼女は最も柔軟に対応する。翔真は呆然と立ち尽くし、どうしていいか分からない様子だった。私が死んだと知らされてからというもの、彼はひどく様子がおかしかった。母は異変に気づき、訝しげに彼を見つめた。「翔真、何を恐れているの?」普段、何の恐れも知らぬ彼が地面に跪き、必死に頭を擦り付けた。「母さん、悪かった。十年前の交通事故、俺も関わっていたんだ。姉ちゃんが死ぬなんて、本当に知らなかったんだ」翔真はあの誰もが知る交通事故を、口ごもりながらも語った。母は地面に倒れ込んだ。彼女は必死で翔真の体を蹴りつけ、悲痛な声で叫んだ。「どうして今になって言うの!どうして!」この葬儀は、どこか滑稽で、悲しい出来事の連続だった。けれど、その多くは私への同情で彩られていた。母は、私のわずかな遺品を自分の手で丁寧に整理し、一つひとつを確かめながら、まるでそこに私がいるかのように語りかけていた。「うちの真綾はきれい好きだったわね。大丈夫、お母
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第9話
心が冷えるのは、一日で起こることじゃない。父はついにこらえきれず、嘆き叫んだ。彼らの目には、私は醜く、忌まわしく、罪の報いを背負った人間に映っていたのだろう。だが、真実を前にした私は、あまりにも無垢だった。全てを知った両親は、メモを美怜の前に投げつけ、彼女を家から追い出した。彼らは、美怜が一人で生きていけるようになるまで面倒を見ると約束した。けれど、できたのはそれだけだった。美怜は泣きながら何度も懇願したが、翔真に冷たく突き放された。どうしようもなくなった彼女は、綾人を頼るしかなかった。その頃、綾人は私の写真を抱きしめたまま、酒に溺れていた。何度も私の名を呼び、出会った日、分かり合い、愛し合った時間を思い返していた。美怜は怒りに任せて彼の襟を掴み、問い詰めた。「私があなたの彼女でしょう?」「違う、君じゃない。俺の彼女は真綾だけだ」綾人は魂が抜けたように空を見上げ、その瞳からは光が失われ、無限の闇だけが残っていた。酔ったふりをしている人間を起こすことは誰にもできない。美怜は罵りの言葉をいくつか吐き捨て、長く続く部屋探しを始めた。彼女には金があまりなく、結局、古びた路地裏に引っ越すしかなかった。そこには、かつての綾人のような不良たちが大勢いた。お嬢様として育った美怜にとって、彼らは抗いがたい魅力を放っていた。彼女はようやく、息をつける場所を見つけたのだ。かつて私を踏みにじっていた美怜は、まるで魂だけを残して死んだようだった。腐った心だけが、彼女の中にかろうじて息づいていた。やがて彼女は新しい恋人を作り、過去の出来事を笑い話のように語るようになった。社会の荒波に生きる男たちは、愛する女が誰かに苦しめられた話ほど我慢ならない。深夜、美怜はその新しい恋人を連れて、綾人のもとを訪ねた。割れた酒瓶の破片が、綾人の胸にまっすぐ突き刺さった。美怜は罵りの言葉を吐きながら、止まることなく叫び続けた。「あなたには私を捨てる資格なんてないのよ。まだ真綾のことを引きずってるの?言っとくけど、あの子は私のために生まれたのよ。事故の数日前、私と真綾は一緒に健康診断を受けたの。私は白血病だって診断されたのに、あの子だけが何の問題もなかった。うちの両親は毎日泣いてた。私を助けてくださいって病院にすがっ
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第10話
翔真の口数はますます減っていった。彼はいつも私の部屋に向かって、人知れず涙を拭っていた。その顔は、幼い頃に傷ついたときの面影をそのまま映していた。私は彼の傍に静かに座り、見つめていた。恨みがないと言えば嘘になるが、死者は煙のように消え失せ、私には何も変えられない。私が死んで一ヶ月後、翔真は警察署から出てきた美怜を待ち伏せた。彼は何も言わず、美怜を何度も刺した。鮮血が彼の全身に飛び散った。いつも臆病で事なかれ主義だった少年は狂ったように笑い、美怜の耳元で叫んだ。「姉ちゃんに借りた分は、地獄で返せ!俺もだよ。俺はクズで、最低で、姉ちゃんを傷つけた弟だ。姉ちゃんに悪かった、本当に悪かった……だから――一緒に地獄へ行こう」その日も太陽は燦々と輝いていた。翔真は美怜が息絶えるのを見届けると、刀を振り上げて自ら命を絶った。彼の動きは素早く、助かる余地など微塵もなかった。両親は衝撃に耐えきれず、その場で意識を失った。子どもを二人同時に失うなど、どんな親でも耐えられるはずがない。私の身体は次第に透けていき、もう行かなければならない時が来た。けれど不思議なことに、弟と美怜の姿はどこにも見えなかった。まるで一握りの土になって、炎の中で消えてしまったかのように、何も残さなかった。病院で目を覚ました母は、すでに正気を失っていた。会う人ごとに、泣き叫ぶように問いかける。「真綾……どうしてお母さんに会いに来てくれないの……?」私は振り返らず、ただ前へと歩き出した。そこには、ずっと憧れていた山や川が静かに広がっている。さっきまで狂ったように笑っていた母が、今度は泣き叫びながら私を追ってきた。何度も転び、そのたびに立ち上がって。「真綾、お願い、振り向いて。お母さんが悪かったのよ……真綾……真綾……」何度も繰り返される「真綾」という声には、愛情が溢れていた。彼女はようやく私を愛してくれた。だけど、私はもう死んでしまった。人の死とは、灯りが消えるように、すべての因果を断ち切るもの。私はそっと涙を拭い、足を止めずに歩き続けた。胸の奥には、言葉にならない許しだけが残っていた。痛みも、愛も、憎しみも――たしかに真実だった。だからこそ、過去の自分を裏切ることはできない。……お母さん、さようなら。もう
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