LOGIN契約の炎が消えたあとも、カインの身体はまだ熱を帯びていた。
紫の紋章は胸元で脈打ち、まるで魔力が直接、血肉を塗り替えているかのようだった。 地下牢の奥、崩れた壁の向こうに続く古びた階段。 カインが先導する形で、その道を二人はゆっくりと上っていく。 「……ああ、いい眺め。こんな場所でも、君の背中は綺麗よ」 リリスは後ろからカインにぴたりと身体を寄せ、くすりと笑う。 髪が肩に触れ、むき出しの背中をなぞる指先が艶やかだった。 「やめろ……」 カインは眉をひそめたが、声には力がない。 熱に浮かされるように、身体が重く、感覚が妙に敏感だった。 「魔契の直後はね、五感が過敏になるの。触れられるだけで、心までとろけちゃうくらいに」 リリスは唇を寄せて耳元で囁いた。 指先が鎖骨をなぞり、背筋をくすぐるように滑り落ちる。 カインは歯を食いしばりながら階段を上るが、息は徐々に荒くなる。 そして──階段の終点、小さな扉の前で、膝が崩れた。 「……っ、ぐあ……!」 胸の紋章が明滅し、紫の魔火が皮膚の下から噴き出す。 全身を駆け巡る疼き。熱く、甘く、焼けるような魔力の奔流。 それは、魂と肉体の接合部が暴れ出す“第一反動”だった。 リリスは微笑みながら、彼の頬に手を添えた。 「これが“魔契者”の第一反動よ」 リリスの声は、甘く冷たい。 カインの身体を包む紫炎は激しく揺れ、指先から髪の先まで、すべてが焼けるように熱かった。 膝をついた彼の背後に、リリスがぴたりと寄り添う。 その柔らかな腕がそっと背中を抱きしめ、熱を移すように身体を密着させる。 「落ち着いて。ほら……あなたの中の魔力、疼いてるでしょう?」 熱い吐息が耳元をくすぐる。 リリスの胸が押し当てられ、背中に伝わる感触が、灼熱の中で妙に鮮明だった。 紫炎のうねりがわずかに緩み、カインの理性が、かろうじて浮上する。 「くっ……なんで、こんな……ッ」 「魂と肉体がね、まだ馴染んでないの。 魔力は快楽にも反応するから──ああ、こんなに熱くなって……」 リリスの指がカインの胸元に這い、紫紋の上を優しく撫でる。 そこから魔力がぶわりと噴き出し、カインの全身を内側から揺さぶった。 「あッ……!」 思わず声が漏れ、カインは奥歯を噛んだ。 紫炎が爆ぜるように広がり、通路の石壁が砕ける。 「なるほど……君、相当、相性がいいみたいね」 くすくすと笑うリリスの瞳は、妖しく濡れていた。 「……ふざけるな……っ!」 反射的に腕を振り払おうとするが、逆にリリスの指が強く胸に食い込む。 「だめ。今は私なしじゃ、暴走を止められないのよ」 耳元の囁きに、背筋がびくりと跳ねる。 カインの体内を駆ける紫炎は、まだ荒れ狂いながらも、彼女の“触れ方”ひとつで鎮まりはじめていた──。 ようやく魔力の暴走が落ち着くと、リリスはカインの頬にキスを落としてから、ひらりと立ち上がった。 「うん、合格。君、いい器になりそう」 悪びれもせず言い放つ彼女に、カインは睨み返したが、もはや立ち尽くすしかなかった。 「……くそ……」 リリスは笑って、小さな扉を開ける。 その先にあったのは──地上だった。 夜の空気が、ひやりと肌を撫でる。 月と星が輝き、街灯の灯る帝都の路地。 眩しさに目を細めながら、カインは“自由な外”の空気を吸い込んだ。 だが、リリスはその余韻を一瞬で吹き飛ばす。 「さ、裸のままでいるつもり?」 指を鳴らすと、紫の炎がカインの身体を包み込む。 一瞬で“魔契者”としての衣が編まれ、ぴたりと肌に吸いつく漆黒の布地が全身を覆った。 紫の紋様が脈動し、彼の魔力に反応する。 胸元、腹、腰回り──布の下で魔力が直接、身体を撫でているような奇妙な快感が走る。 「……なんだこれ……!」 戸惑う声の直後、背後からリリスが身体を寄せる。 服の縁をそっと撫でる指先が腹筋をくすぐるように滑り、残滓となった魔力がぞわりと皮膚を這った。 「どう? 私の趣味だけど、似合ってるわよ」 背中には、柔らかな膨らみが押し当てられ、思わず息が詰まる。 だが次の瞬間、遠くから警鐘の音が鳴り響いた。 「急がないと……帝国の犬たちが、起きてくるわよ?」 リリスの囁きは、甘く、残酷だった。 帝都の空に、紫の火が浮かぶ。 それは密やかな夜に突如走った、反逆の狼煙だった。 高塔の最上階。帝国の中央監視棟では、魔力異常の報告を受け、術士たちが次々と招集されていた。 「確認されたのは紫炎……魔女の痕跡、です」 「馬鹿な……魔女は滅んだはずだろうが!」 ざわめきの中心に立っていたのは、ひとりの男。 帝国軍上層部、カインの元上官──クラウスである。 男は冷たく笑った。 「面白くなってきたな。まさかあのガキが、生き延びていたとは」 その瞳には驚きではなく、狩りを楽しむ獣のような光が宿っていた。 一方その頃、街の外れ。 瓦礫の影に身を隠すようにして歩く二人。 カインの足取りはまだ重かったが、その瞳に迷いはなかった。 「……待ってろよ、クラウス」 ぼそりと呟くその横で、リリスが艶やかな笑みを浮かべる。 「私の目的はね、ただの復讐じゃないのよ。もっと高く、もっと甘美で……もっと、世界を焦がすもの」 言葉と共に、彼女の指がカインの首筋をなぞる。 熱い魔力の余韻が、ぞくりと背骨を這い──再び身体が疼いた。 「あら……まだ反応するのね。可愛いわ」 リリスの唇が、耳元をかすめて囁く。 その声音は、愛おしむようで、狂気じみていた。 カインは答えず、ただ夜の空気を吸い込む。 「……それでもいい。俺は、俺の喰らうべきものを、喰らうだけだ」 背徳の契約が始まりを告げた夜。 魔契の罪人と禁忌の魔女──その反逆の旅が、いま、静かに歩き出す。それから、さらに十年後――「おばあちゃん、お話して」小さな女の子が、老女に尋ねた。「『光の魔女』のお話」老女は優しく微笑んで、語り始めた。「昔々、この世界に一人の少女がいました」「その少女の名は、アリア・ヴァルスト」「彼女は、特別な力を持って生まれました」「光の魔法です」老女の声は、穏やかで温かい。「アリアは、幼い頃から、その力で人々を幸せにしたいと願っていました」「でも、特別な力を持つことは、簡単ではありませんでした」「怖がられることもありました」「管理されそうになったこともありました」「それでも、アリアは諦めませんでした」「なぜなら、彼女には愛があったから」「家族の愛、友達の愛、そして人々への愛」女の子は、目を輝かせて聞いている。「アリアには、四人の仲間がいました」「ユウキ、リナ、ミア、ケイ」「五人は『虹の約束』を交わしました」「違う力を持つ者たちが、手を取り合えば、美しい虹ができる」「その約束を胸に、五人は世界を旅しました」老女が遠い目をする。「東の国では、疫病に苦しむ村を救いました」「アリアの光が、人々を癒したのです」「西の国では、争いを止めました」「五人の力を合わせた虹が、人々の心を一つにしたのです」「北の国では、凍える人々を温めました」「南の国では、干ばつに苦しむ大地に雨を降らせました」「五人は、どこへ行っても、人々に希望をもたらしました」「特に、アリアの光は特別でした」「彼女の光は、ただ明るいだけではありませんでした」「人の心を癒し、悲しみを和らげ、希望を与える光でした」
十年後――アリア・ヴァルストは、十六歳になっていた。「おはよう」鏡の前で髪を整えながら、アリアは自分の姿を見つめる。あの頃の面影を残しながらも、すっかり大人びた顔立ち。長く伸びた漆黒の髪、凛とした瞳。そして、胸元には変わらず母からのペンダントが輝いている。「今日が、出発の日ね」部屋を見回すと、旅の荷物が準備されていた。十六歳になったアリアは、世界を旅することを決めた。自分の光で、世界中の人々を幸せにするために。「アリア、準備できた?」ドアをノックする声。リリスだった。「うん、ママ」リビングに降りると、リリスとカインが待っていた。二人とも、十年の歳月を経ても変わらず美しく、そして強かった。「本当に行くのね」リリスが少し寂しそうに言う。「ママ……」「でも、止めないわ」リリスが微笑む。「あなたには、やるべきことがあるもの」「ありがとう」「気をつけろよ」カインが娘の肩に手を置く。「世界は広い。危険なこともある」「大丈夫」アリアが笑顔を見せる。「パパとママが教えてくれたこと、全部覚えてる」「それに……」その時、玄関のチャイムが鳴った。「来たわね」アリアが嬉しそうに駆け出す。玄関を開けると、四人の仲間が立っていた。ユウキ・カミジョウ――十六歳。黒髪に知的な眼鏡をかけた青年。機械工学の天才として、すでに複数の発明で名を馳せている。「おはよう、アリア」ユウキが笑顔で言う。「準備万端だ」リナ・シルヴィア――十六歳。銀髪を風になびかせる、優雅な美少女。風の魔法の使い手として、魔法学院でも一目置かれている。「久しぶり、アリア」リナが抱きつく。「やっと、この日が来たわね」ミア・フレイムハート――十六歳。赤い髪に活発な笑顔。炎の魔法を完璧に制御し、今では料理人としても腕を上げている。「アリア、待ってたよ」ミアが元気よく言う。「さあ、冒険の始まりだ」ケイ・グリーンウッド――十六歳。茶色い髪に穏やかな表情。植物魔法の専門家として、環境保護の活動にも参加している。「おはよう、アリア」ケイが優しく微笑む。「行こうか、僕たちの旅に」十年前に交わした約束。「虹の約束」を守り続けた五人は、今もなお最高の仲間だった。「みんな……」アリアが感動で涙ぐむ。「ありがとう」「何言ってるの」ユウキ
春休みの最終日。明日から、新学期が始まる。アリアは、一人で庭に座っていた。「ママ、パパ」リリスとカインが隣に座る。「どうしたの?」「ちょっと、かんがえごと」アリアが空を見上げる。「この一年のこと」「楽しかった?」カインが尋ねる。「うん。とっても」アリアが微笑む。「ともだちができて、がっこうに、かよって」「たくさんの、けいけんをした」「良かったわ」リリスが娘を抱きしめる。「でも、ママ」アリアが真剣な顔になる。「アリア、おもったの」「何を?」「しあわせって、むずかしい」その言葉に、両親は驚いた。「どうして、そう思うの?」「だって……」アリアが説明する。「みんなを、しあわせに、するのって、たいへん」「ひとりひとり、ちがう、しあわせが、あるから」六歳の少女の、深い洞察だった。「その通りね」リリスが頷く。「みんなを幸せにするのは、簡単じゃない」「でも、アリアは、それでも、やりたい」アリアが決意を込めて言う。「すこしずつでも、いい」「ひとりずつでも、いい」「しあわせを、とどけたい」カインが娘の頭を撫でた。「お前は、本当に優しい子だな」「でも、無理はしないでね」リリスが付け加える。「あなたの幸せも、大切なのよ」「わかってる」アリアが微笑む。「アリアは、もう、しあわせだから」「ママと
冬が終わり、春が訪れた。統合教育実験校の一年生も、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。「もう、いちねんせいも、おわりだね」アリアが桜の木の下で呟く。「早かったね」ユウキが隣に座る。「色々あったね」「うん」二人は、この一年を振り返っていた。初めて学校に来た日。友達ができた日。学園祭で虹を作った日。クリスマス会で劇をした日。たくさんの思い出が、走馬灯のように浮かんでくる。「たのしかった」アリアが微笑む。「うん。僕も」ユウキも笑顔だ。「来年も、一緒だね」「うん。ずっと、いっしょ」そこに、リナ、ミア、ケイも加わった。「何話してるの?」「この一年のこと」「ああ、色々あったよね」ミアが懐かしそうに言う。「最初は、アリアちゃんが有名人だから緊張したけど」「でも、すぐに友達になれた」リナが続ける。「今じゃ、一番の親友」「僕もです」ケイも頷く。「アリアちゃんたちと出会えて、人生が変わった」「おおげさだよ」ユウキが笑う。「でも、本当だよ」ケイが真剣に言う。「僕、前はすごく内気だったんだ」「今は、全然そんなふうに見えないけど」「それは、みんなのおかげ」五人は、改めてお互いを見つめ合った。この一年で、みんな大きく成長した。「来年も、よろしくね」アリアが手を差し出す。「もちろん」四人が手を重ねる。「ずっと、友達」春休みに入る前日、エリカ校長が特別な発表をした。「みなさん、素晴らしい一年でした」校長が全校生徒の前で語る。「この学校は、実験校として始まりました」「魔女と人間が、本当に共存できるのか」「多くの人が疑問を持っていました」エリカ校長が微笑む。「しかし、あなたたちが証明してくれました」「違いを認め合い、助け合い、共に成長できることを」会場から拍手が起こる。「特に、一年生の皆さん」エリカ校長がアリアたちを見る。「あなたたちの『虹の約束』は、この学校の象徴となりました」「違う力を持つ者たちが、手を取り合えば、美しい虹ができる」「そのメッセージは、社会全体に広がっています」さらに大きな拍手。アリアたち五人は、少し照れくさそうに顔を見合わせた。「来年度、この学校は正式な学校として認可されます」エリカ校長が嬉しそうに発表する。「実験は成功です。これからは、さらに多くの
六歳になって一週間。アリアは、新しい力に戸惑っていた。「また……」朝、顔を洗おうとすると、水が光り始める。アリアの魔力が、意図せず発動してしまうのだ。「ごめんなさい」リリスが駆けつける。「大丈夫よ。まだ慣れてないだけ」「でも、こまる」アリアが困った顔をする。「なにも、してないのに、まほうが、でちゃう」「それは、魔力が強くなった証拠よ」リリスが説明する。「今まで以上に、繊細な制御が必要なの」学校でも、同じ問題が起きていた。「アリアちゃん、また光ってる」リナが指摘する。「え?」アリアが自分を見ると、体が微かに光っている。「とまって」必死に魔力を抑えようとするが、すぐには止まらない。「だいじょうぶ?」ユウキが心配そうに尋ねる。「だいじょうぶ……じゃない」アリアが弱々しく答える。「どうしたらいいか、わからない」その様子を見ていたミカエラ先生が、近づいてきた。「アリアちゃん、少し保健室で休みましょうか」「すみません……」保健室で横になりながら、アリアは考えていた。このままじゃ、みんなに迷惑をかけてしまう。どうすれば、この力を制御できるのだろう。放課後、セラ先生の特別授業が行われた。「アリア、調子はどう?」「よくない……」アリアが正直に答える。「まほうが、とまらない」「そうね。でも、それは当然のことよ」セラが優しく言う。「あなたの魔力は、急激に成長した。体がまだ慣れていないの」
冬休みが明けて、一月も半ばを過ぎた頃。アリアの六歳の誕生日が近づいていた。「もうすぐ、六歳だね」リリスが朝食の席で言う。「うん」アリアが嬉しそうに頷く。「ろくさいになったら、どうなるの?」「少し大人になるわね」リリスが微笑む。「でも、アリアはアリアのまま」「そっか」学校でも、友達がアリアの誕生日を楽しみにしていた。「アリアちゃん、誕生日パーティーする?」リナが尋ねる。「うん。おうちで、ちいさいパーティー」「僕たちも呼んでくれる?」ユウキが期待を込めて聞く。「もちろん」アリアが笑顔で答える。「みんなに、きてほしい」誕生日の前日。アリアは何となく、体の中に変化を感じていた。魔力が、いつもより強く脈打っている。「ママ……」「どうしたの?」「なんだか、へん」アリアが自分の手を見つめる。「からだの、なかが、あつい」リリスは、すぐに理解した。「セラ先生を呼びましょう」リリスが急いで連絡を取る。三十分後、セラが到着した。「見せてください」セラがアリアの手を取り、魔力を調べる。「……なるほど」「どうですか?」リリスが心配そうに尋ねる。「心配いりません」セラが微笑む。「これは、魔力の成長期です」「成長期?」「ええ。魔女は、特定の年齢で魔力が急激に成長することがあります」セラが説明する。「アリアちゃんの場合、六歳がその時期のようです」「それって、だいじょうぶなの?」アリアが不安そうに聞く。「大丈夫よ」セラが優しく言う。「ただ、数日間は魔力が不安定になるかもしれません」「どうすれば?」「安静にして、無理に魔法を使わないこと」セラが助言する。「そうすれば、自然と落ち着きます」その日の夜、アリアは早めにベッドに入った。体の中の熱は、まだ収まらない。「こわくない、こわくない」アリアが自分に言い聞かせる。ペンダントを握ると、少し落ち着いた。「ママとパパの、あい」そう呟くと、不思議と安心した。しかし、夜中に異変が起きた。アリアの体から、突然強い光が溢れ出したのだ。「きゃっ!」アリアが驚いて目を覚ます。部屋全体が、眩い光に包まれている。「とまって、とまって」アリアが必死に制御しようとするが、光は止まらない。「アリア!」リリスとカインが部屋に飛び込んできた。「大丈