東京の下町の商店街のはずれに一軒の小さな定食屋があった。そこは、静かな店内に美人店主がひとり。そしてその一角にはなぜか麻雀卓がある。そこでは様々な世代の麻雀好きが集まり食事と麻雀を楽しんでいた。 その店を偶然見つけた乾春人は次第にその定食屋の常連客となっていく。 店の名前は『あやの食堂』。通称『麻雀食堂』――
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その1『出会い 編』
第一話 唐揚げと麻雀の昼下がり
昼下がりの商店街、今日は初めて来たこの町のメシ屋で昼を食べようと思う。
(ここにするか……)
きれいに手入れされた暖簾をくぐりガラガラガラと扉を開くと、そこはなんとも不思議な空間だった。
店内にはカツ丼の油っぽい香りと、どこか懐かしい空気が漂い、カウンターの向こうでは艶っぽい美人がフライパンを振っている。
(暖簾には【あやの食堂】とあったな……。彼女が『あやの』なんだろうか)
壁にはメニュー表が貼られ、唐揚げ定食500円、カレーライス450円とある。コンビニ弁当より安いけど、こんな値段でやっていけるのだろうか。
店の奥に目をやると、どっしり構えた全自動麻雀卓が目に入る。
若い男性、年配の女性、カジュアルな服の30代くらいの女性、少し疲れた顔の中年男性。この4人が楽しそうにゲームをしている最中だった。
ボタンを押すと牌がジャラジャラと自動で混ざり、シャーッと配られる軽やかな機械音が響く。
始まる前に、中年男性が「俺、ラス半な」と軽く言ってから牌を手に取る。日曜の昼間から麻雀か、と内心驚きつつ、俺はカウンターに腰を下ろした。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか」
「唐揚げ定食で。ご飯大盛りとかできますか?」
「唐揚げ定食ごはん大盛りですね。かしこまりました」
厨房からジュウジュウと油が跳ねる音が聞こえてくる。麻雀卓からは全自動卓の牌がシャーッと配られる音が響く不思議な店内。
「ポン」とか「リーチ」なんて声が静かに聞こえてくる。
卓から聞こえる発声や牌の積まれる軽快な音がこの店のBGMみたいで心地いい。
しばらくして、唐揚げ定食が俺の目の前に置かれた。こんがり揚がった唐揚げに、シャキッとしたキャベツと味噌汁がついて、ご飯は確かに大盛りで茶碗から溢れそうなくらいだ。
「お待たせしました、唐揚げ定食ごはん大盛りです。ごゆっくりどうぞ」
一口食べてみると、唐揚げは外がカリッと中がジューシーで、シンプルだけど抜群に美味い。昔ながらの味がして、思わず笑みがこぼれる。山盛りになってるごはんも嬉しい。
────
──
「ロン! 24000」
「飛びだ、飛び。さて終わるかー」
どうやらゲームは終わったようだ。さっき「ラス半」と言った中年男性が静かに席を立ち、こっちに近づいてきた。
「お兄さん、初めて見る顔だなぁ。ここは麻雀好きなやつらが集まる店なんだ。お兄さんも一局どうだい?」
唐揚げを頬張りながら、俺は首を振った。
「モグモグ…… いや、ゲームは得意なほうだけど、麻雀はルール知らないっす」
「何だよ、残念だな。まあ、飯だけでも楽しんでってくれよ」
彼はニコッと笑ってカウンター席につくと「いつもの」と注文する。
すると「はい、お待たせ」と言ってすぐに瓶ビールと冷奴が出てきた。この組み合わせが彼の『いつもの』なのだろう。
全自動卓がまた牌をジャラジャラと混ぜ始めた。
「あやのさん。サンマ設定にしてー」 『あやのさん』を呼んで設定を変えてもらっている、どうやら3人麻雀を始めるようだ。そしてやっぱり彼女が店主で『あやのさん』であることを確認した。
俺は唐揚げをもう1つ口に入れながら、ふと思った。ここ、なんか落ち着くな。全自動卓の音、油の香り、美人店主『あやの』の声—— 全部が妙にしっくりくる。
食い終わって、500円玉をカウンターに置いた。
「美味しかった、ごちそうさま。また来ます」
「ありがとう。絶対よ、また来てね。麻雀覚えたら彼らと遊んであげてよ」
ガラガラガラ
扉を開け暖簾をくぐって外に出ると、商店街はまだのんびりした空気に包まれていた。
あの賑やかな温かさが少し心に残り(ここ、また来るかもしれないな)と思いながら、俺は歩き出した。
ここは定食屋『あやの食堂』 別名『麻雀食堂』。
51.第四話 メタの提案 その後、夕方の混む時間帯になるまでは来客がポツポツだったのでしばらくはあやのさんも混ざって麻雀をした。結果、俺はあやのさんに一度も勝てなかった。 俺も強くなったつもりだったが甘かった。それはそうだよな。一朝一夕にいくわけがない、相手は雀荘店長を経験したこともある人だ。 マキも20代の頃は御徒町の雀荘でバイトリーダーだったらしい(ちなみにマキがあやのさんと出会ったのもその雀荘。当時あやのさんは下っ端バイトだった)。 メタさんにいたってはトッププロしか参戦出来ないプロリーグ『プラスアルファリーグ』の元チームリーダーときてる。そりゃ、つい最近ルール覚えただけの素人が勝つわけがなかった。 でも、けっこう上手に打てたつもりなんだけどな、自分なりに。と思っていたら……「ハルトくん、ずいぶん上達したわね。びっくりしちゃった!」とあやのさんから言われた。「分かってくれます?」「分かるわよう。いつも厨房から後ろ見してるからね、最初の頃から比べるとすごく上手くなった」「判断するスピードもかなり速くなったしね。立派立派! アタシらは遅いのが一番苦手だからさ。ハルトが速く打てるようになって嬉しいよ」「リーチにもベタオリするわけでもなく、かと言って簡単に諦めるでもない、いいバランスの対応をしていたな。今日はたまたま巡り合せが悪かったがこの調子で続けていればいつか勝てる時も来る」 みんなして褒めてくれた。気分を良くした俺は仕事での疲れなど吹き飛んでいた。今日はいい日だ。やっぱり麻雀食堂に来て良かった。「ところでさ、ハルト君は次いつ時間あるのかな? 今度またデートしたいなって思うんだけど……」「ちなみにアタシならハルトに合わせられるからねぇ! いつ誘われても時間作るわよぉ♡」「うぐっ……。少し、考えさせて下さ
50.第三話 メタとあやのとハムチーズトースト「あのひとのアガった数え役満……あれのせいで私は人生めちゃくちゃにしちゃったよね。まさかあれと3回結婚して3回離婚するなんてさ。でも、カッコイイと思っちゃったんだよね~。あの時は」「どんなアガリだったんですか?」と俺が質問すると、あやのさんは牌をカチャカチャと並べ始めた。一二三④⑤⑥⑦⑧⑨12233「南3局で18000点持ちラス目の親番。ドラは2索だったわ」「これって……切り番ってことすよね。ドラ2索なら1索切ってリーチするかな」「そう思うわよね。私もそうだと思ったもの」「でも、違った。となると、⑨切ってのテンパイ取らずかな。強い形で復活しやすい」「その考えもあるわよね。わかるわ、私もそれ考えたから」「でも、これも違う……と」「そう」「なら打3かな。とりあえずツモれれば強引な満貫となる仮テンとして、良い変化をしたなら待ちを替えてリーチ。これじゃない? これ、メタさんぽいじゃん」「そうよね、それ全く同じことを私も思ったんだけど……」「打④だ。懐かしいな」 気付いたらそこにメタさんが来ていた。換気中で扉を開けっぱなしだから入ってきたことに誰も気付かなかった。「あ、おかえり」「よーメタ、おかえりぃ」「メタさん! こんにちは。って、えっ、ここから打④? 意図がわかりません。何で④筒なんですか?」「うん、おれはこの手が倍満級になると思ったんだ。ここからイメージ通りに進んだらの話だけどな」「メンピンイーペードラドラ……ツモっても跳満止まりですよ。倍満はちょ
49.第二話 あやのの思い出 東1局はあやのさんがダマのピンフを入れていて、俺はリーチしたが宣言牌で放銃。結果1000点で蹴られた。 俺はドラ3赤赤で良い手だったのに。でもまあ、それはつまり相対的に相手は安い手が来てるってこと。1000点で流されるのも仕方ないっていうか、当たり前なんだけどな。しかし悔しい! 東2局のあやのさんの親番は2900をあやのさんに放銃したが、次局は俺が1300をアガって少ない失点で抑えた。 緊張感のある攻防。少しの気の緩みで負ける気がする。 こんなに近くにいるのにあやのさんと俺は何の会話もしてなかった。 いや、その代わり牌で会話をしていた気がする。その選択、そのモーション、その押し引き、全てが会話だった。2人だけの世界で、麻雀という言語を使って、ある意味ものすごく深い所で繋がったような感覚だった。まだほんの数十分の攻防だけど、俺は確かな繋がりを感じていた。(これが、あやのさんの麻雀か) なんと表現したらいいのか、あやのさんの麻雀はあたたかい気がした。いつでもいらっしゃい。と言われてる気がする。さすが、雀荘の店長を経験しているだけはある。程よい緊張感と、俺を受け入れてくれるであろう優しさが混在するこの雰囲気は今まで経験したことのない感覚だった。 その後もツモロンと攻防は続き、俺はあやのさん相手に意外にもリードしていた。「ごちそうさまー! 美味しかった! 食器ここ置いとくね」 そう言ってマキはひょいと厨房に入り食器をタライに漬け込んだ。客が厨房に入るのは普通ありえない光景だが、マキは宣伝などのお手伝いもしてる身内みたいなものだと言っていたから特別なのかもしれない。「ありがとー。そしたら次からマキも参加しなよ。もうオーラスだから」「そうするね。久
48.ここまでのあらすじ 乾春人は仕事が多忙を極めていた。余裕が無かったこともあり、髙橋彩乃とも犬飼真希とも関係を深めることもなく過ごしていた。ハルトは2人の自分に対する気持ちを知っていながら、この数週間は何も出来ないでいるのだった。 ただ麻雀だけはアプリゲームで研究していた。その上達ぶりを見せたいと思い、久しぶりに麻雀食堂へと足を運ぶとちょうどマキもやってきて――【登場人物紹介】乾春人いぬいはると 主人公。ごく普通のサラリーマン(26)。営業職だが最近は後輩の教育も任されており忙しい。ひょんなことからあやの食堂と麻雀を知り、あっという間に虜になった。食堂に行く時間がない時でもアプリゲームの麻雀『雀ソウル』を使って研究などしている。髙橋彩乃たかはしあやの 店内に麻雀卓のある風変わりな定食屋『あやの食堂』の店主。 髙橋幸太郎との間に娘がいるが現在は離婚しており、独身子持ちの37歳。 一人娘の髙橋祈(たかはしいのり)を女手一つで養っている。 乾の事を好きになってしまったが、親友で店の手伝いもしてくれたりする犬飼真希も自分と同じ気持ちなので少々参っている。犬飼真希いぬかいまき あやの食堂の付近にあるカラオケスナックのオーナー。気さくな性格でとても歌が上手くて世渡りも上手。 45歳だが、全くそんな風に見えない健康的な若々しさがある美女。バツなしの独身。乾春人を純粋に好きになってしまい、日に日にその気持ちを膨らませているが親子ほどの年齢差に悩んでいる。髙橋幸太郎たかはしこうたろう
47.第九話 常識破りのしょうが焼き 今日は教育している後輩が病欠ということで、久しぶりに仕事が早上がりできた。 ダウンしてる後輩には悪いが、多忙な時期にこれは千載一遇のチャンスと思い、俺は麻雀食堂に寄ってから帰ることにした。できれば少し麻雀がやりたい。俺が最近上達したところを彼らにも見せてやりたいと思ったのだ。あと、肉が食べたいかな。────ガラガラガラ「こんにちは」「あら、ハルト君。いらっしゃいませ! 今日は何にする?」「ん~~……。しょうが焼き定食にしようかな。ここでしょうが焼きはまだ頼んだことない気がする」「ウチのしょうが焼きは人気メニューよ。それじゃあ腕によりをかけて作っちゃおうかなっ!」 俺はあやのさんが手際よく料理をしてる様子を眺めてた。手順がいい。火から少し目を逸らしていいタイミングになったらサラダを作ったり洗い物をしたり、とにかく1人で店を回すことのプロなんだなと思った。「……! な、な~に? じーっと見つめて」「いや、ちょっと見てただけ。テキパキ働くなーって」「どうせなら『見てた』じゃなくて『見惚れてた』って言ってよね♡ でもあんまり見つめられると恥ずかしいからケータイでもいじって待ってて。私だって見られて緊張することはあるんですからね」「そうなの?」「そうよ、完璧にしたいからこそ緊張するの。緊張感を支配してこそプロなんだけどね、なかなかそうは……いかなくて」 喋りながらも厨房をあちらこちらと移動する。その移動歩数、動き方、全てが最少の動きになってることに今気付いた。 この人はこの空間を完全に理解してて、移動の順番、歩幅、間隔、それら全てでベストを選んでるんだ。(すごいな&helli
46.第八話 こんな日常でいい 俺はその後もあやのさんともマキとも曖昧な関係のまま、いつも通り仕事をしていた。 そもそもが、休みが少なくたまの休みもヘバッて家で寝てることも多い俺だ。彼女を作るとか、デートするとか、そんな余裕は無かったのかもしれない。ただ、美味いごはんを食べに行く。そこで彼女たちの笑顔を見る。そのあと麻雀をする。それで充分過ぎる幸せを感じていたし、それ以上進展させる必要もないかなって。……これは俺が変なのかな。 少し変化があったのは家で俺が料理することが増えたこと。餃子の焼き方もマスターしたし、出来るようになるとやりたい気持ちが増えてくるな。 それは麻雀も同じで、最近麻雀に対する理解が深まったのもあり面白くて仕方ない。美咲相手にもいい勝負が出来るようになってきた。まぐれ勝ちしかしてなかった以前の俺とは違う。ベストを尽くしたから勝てた、というその満足感を体験していた。 そして、今日は久しぶりに美咲と一緒の休み。昼ご飯は焼きそばにするつもりだ。「美咲〜。お昼は焼きそばでいいかー?」「イイヨ〜」 最近思い付いたおいしい焼きそばの作り方を実行する日が来た。よーし、やってやるぞ。────── できた!「よし、完成だ。――美咲ー!ごはんできたぞー!」「あーーい」「濃い味焼きそば! ソース味を強くして麺の量を増やした。どうせ一人前じゃ足りないだろ。1.5人前ずつ食べようぜ」「そんくらいが丁度いいよねー。じゃ、いただきます!」「俺も、いただきます」 パクッ モグモグモグモグモグモグ「美味しい! 明らかに味が濃い」「な、濃くて美味しいだろ? イメ
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