蓮はスマートロックをしばらく見つめると、なぜか笑った。
「はいはい。家主様がお怒りってわけね」
そう言いながら靴箱の一番下から予備のスリッパを取り出し、足元へ放る。
「とりあえず履き替えなよ。今日一日、サンプル選びに建材屋を回ってたんだろ。
足、痛くないか?」
あまりにも自然な口調だった。
私の靴のサイズも、胃薬をどこにしまっているかも、カフェラテには砂糖を入れないことも、蓮は全部覚えている。
それなのに――そんなことを全部覚えたまま、別の女を私たちの新居に住まわせることもできるらしい。
莉奈は目を赤くしながら、慌ててキャリーケースに手を伸ばした。
「美月が嫌なら、私ホテルに戻るよ。本当は美月をびっくりさせたかっただけなの。
でも、まさかこんな空気になるなんて思ってなくて……」
蓮が彼女のキャリーケースの持ち手を押さえた。
「こんな重い荷物持って、また移動する必要ないだろ」
私は蓮を見た。
「帰ってもらって」
蓮の笑みが少し薄れた。
「美月、莉奈は婚約破棄されたばっかりなんだぞ」
「だから?」
「だから今、莉奈はかなりつらいんだよ」
「それは彼女の問題でしょ」
蓮の眉間に一瞬でしわが寄った。
私がそこまではっきり言うとは思っていなかったらしい。
先に口を挟んだのは、兄の悠真だった。
「子どもの頃、莉奈の両親が喧嘩するたびに、お前の部屋に泊めてやってただろ?
大人になった途端、数日泊めるくらいでそんな他人事みたいな言い方をするのか?」
花乃も私の腕を引いた。
「莉奈はもともと、美月の結婚式のために帰ってきたんでしょ?少しくらい早く入居したっていいじゃん。新居も賑やかになるし」
私は莉奈を見る。
「いつからここに泊まってる?」
「……五日前」
「誰が泊まっていいって言った?」
莉奈の視線が反射的に蓮へ向いた。
蓮はもう隠そうともしなかった。
「俺」
私は笑った。
「この半月、ずっと仕事が立て込んでるって言ってなかった?」
「仕事はちゃんとやってるよ」
「マットレスは?」
蓮が一瞬黙った。
「……ついでに付き合っただけ」
「カーテンは?」
花乃が小さな声で答えた。
「それは……私が一緒に選んだ」
最後に兄を見る。
悠真は観念したように口を開いた。
「俺の何回かの出張も……莉奈の前の部屋を引き払って、引っ越しを手伝うためだった」
三人。
三つの「用事」。
そして――三つの嘘。
この半年間、私は一人で建材屋を回った。
タイルのサンプルを抱えたまま電車に乗って、夜中までの棚の色を悩み、グループチャットに写真を送った。
翌朝になって、ようやく返ってきた蓮の言葉はいつも同じだった。
「美月の好きなのでいいよ」
忙しくて時間がなかったわけじゃなかった。
三人の時間は――全部、莉奈に使われていただけだった。
莉奈はまだ言い訳を続けていた。
「私が言わないでって頼んだの。美月はもうすぐ結婚するし、私のこんなことで余計な心配かけたくなかったから……」