All Chapters of 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう: Chapter 31 - Chapter 40

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第0031話

ほんの一瞬、輝明は何か言いかけたように見えた。そのとき、ドアの外から司礼の声が聞こえる。「綿さん、スマホ見つかった?」輝明の指先に、細い指が絡んでくる。俯いたままの彼の視線の先には、嬌がいた。じっと彼を見上げている。不思議そうな目で。――何してるの?綿が来たからって、どうして急に離すの?「見つかった。行こう」綿は穏やかに微笑み、何事もなかったように司礼の隣へ歩いていった。嬌にはわかった。輝明の心は、ここにはなかった。それでもう、ゴルフを続ける気にもなれなかった。「帰りましょ」立ち上がると、何の未練もなくクラブを置いて歩き出す。顔にはっきりと、不満の色。その空気に気づいた輝明が、あとを追って声をかける。「嬌ちゃん――」嬌は振り返りざま、彼をぐっと押しのけた。目には、消えないような憂いがにじんでいる。せっかくのふたりの時間が、こんな形で台無しになるなんて。綿と顔を合わせてからというもの、輝明の目線は彼女ばかりを追っていた。さっきだって、綿が入ってきた途端に、自分を離すなんて。そんなの、意識してなきゃできない。無意識の行動ほど、人の本音が出る。好きだから、嬌はずっと我慢してきた。でも――自分にだって、限界はある。黙ったままの嬌に、輝明は一歩引いた声で言った。「……運転手に送らせる」その言葉を聞いた瞬間、嬌の足が止まる。ゆっくり振り返り、輝明を睨むように見つめる。目の奥には、怒りと呆れが入り混じっていた。「送らせるって、それで終わり?そのあとは、綿のとこ?」怒っていた。心の底から、怒っていた。ほんの少しでいいから、気遣ってほしかった。何か一言、慰めてほしかった。なのに「送らせる」なんて……まるで自分が面倒な荷物みたいな言い方じゃない。輝明は眉をひそめ、低い声で彼女の名前を呼ぶ。「……嬌ちゃん」「輝明……あんたの心に、あたしっているの?」嬌の瞳が、一気に潤んだ。次の瞬間、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。まわりの人たちが、ちらちらと視線を向けてくる。ふたりの名前を囁く声も聞こえた。輝明は、ただただ疲れていた。胸の奥に、じわりと重たいものがのしかかってくる。「……もういい、送るよ」そう言って、嬌の手を取ろうとする。だが、嬌はその手をきっぱりと
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第0032話

秋年は、輝明が何も知らないとわかるやいなや、すぐにスマホを取り出した。どうやら見かけたときに、すでにスクリーンショットを撮っていたらしい。その画面を見ながら、わざとらしく見出しを読み上げる。「韓井司礼、父親を連れて桜井家を訪問。高杉輝明と桜井綿、すでに離婚か?」輝明の眉がぴくりと動いた。そのままじっと秋年の顔に視線を向ける。咳払いひとつしてから、秋年は次のニュースを口にする。「韓井総一郎&司礼、桜井家に揃って登場。桜井綿との結婚発表間近?」言いながら、秋年自身も若干気まずい顔になる。……さすがにこれは盛りすぎだろ、と。写真一枚でここまで話を膨らませるか? 結婚間近って、どこ情報だよ。ちらっと輝明を見る。もともと冷たい空気をまとってる男なのに、この薄暗い個室ではさらに近寄りがたい。今の二本を読み終えた瞬間、室内の空気がまた一段、重くなった気がした。「三本目、えっと……」秋年は鼻先を指でこすりつつ、恐る恐る視線を送る。これ、本当に読む?と目がそう言っていた。だが輝明は、奥歯を噛みしめたまま、低い声で言った。「……続けろ」どこまでくだらないことを言ってるのか、全部聞いてやる。綿とは「すでに離婚」?そんな話、初めて聞いたけど。秋年はしぶしぶスマホを見直し、口元をゆがめながら読み上げる。「高杉輝明、結婚中に陸川嬌と不倫か。『永遠の愛』を誓う?」読み終えると同時に、秋年はススッと隣の席へ身を引き、スマホをさっとしまい込んだ。輝明の視線がじっと彼に突き刺さる。その目はどんどん暗く沈んで、まるで次の瞬間、スマホごと秋年をぶち壊すんじゃないかというほどの気迫。「……なぁ、高杉」秋年は乾いた笑みを浮かべながら、小声で言った。「前のふたつはさすがに盛ってるけどさ、三本目は……まぁ、うん、ほら……限りなく、実話……?」言ってから、自分で内心つぶやいた。――いや、今のフォロー、余計だったかもな。輝明は無表情のままスマホを取り出し、いくつかの芸能アプリをざっと開いた。注目されているのは、自分と嬌のことではなかった。どこを見ても映っているのは、綿と司礼の話題ばかりだった。――「なんか、ふたりお似合いじゃない?」――「綿って本当に高杉と離婚したの?前から彼の態度ひどかったし、別れ
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第0033話

それでも――また会えば、きっと彼女は、何事もなかったみたいに笑って、こう言うのだろう。「ねえ、明くん」……そう思うだけで、胸の奥がきゅっと締めつけられる。まるで無数の蟻が心の中を這いまわるみたいに、落ち着かない。「綿ちゃんと韓井が婚約したらさ、俺も結婚式呼ばれたりして?」秋年は顎をさすりながら、わざとらしく言ってくる。「てかさ、お前と綿ちゃんが結婚したとき、俺、一滴も酒飲めてないからな。式すらなかったし。綿ちゃん、可哀想だったよな。嫁いだのに認められず、結婚式もなしってさ」もともと整理のつかない思考がぐるぐるしていた輝明の中に、その言葉がじわりと入り込み、苛立ちに火をつけた。隣で坊さんみたいに喋り続ける秋年の声が、耳の奥に重く響く。無言でジャケットを手に取り、立ち上がる。「おい、高杉!どこ行くんだよ?」秋年があわてて声をかけたが、輝明は何も言わずにバーを出た。外へ出ると、ちょうど森下がネット上の綿のニュースを処理していた。「社長、桜井さんと韓井さんの件……」森下が振り返って尋ねたそのとき、輝明はネクタイを緩めながらゆっくりと顔を上げた。車内は薄暗く、酒の匂いをまとった彼の横顔に、まつげの影が淡く落ちていた。「……何て言った?」低く押さえた声。だが、その奥には冷たいものが潜んでいた。森下は気に留めることなく、同じ質問を繰り返した。「桜井さんと……」「桜井さん、だって?」その瞬間、空気が一気に凍りつく。輝明の声音が低く沈み、鋭さを帯びる。森下は自分が何を間違えたのか、すぐには分からなかった。輝明はふっと笑った。けれど、その笑みに温度はなかった。「森下、俺と綿、まだ離婚してないよな?それなのに、もう『桜井さん』呼びか」かつては「奥様」や「奥さん」と、当然のように呼んでいたくせに。その変わりように、怒りよりも冷えた失望が滲む。森下はようやく事態を察し、おそるおそる言い訳を口にした。「それは……陸川さんのご指示で……呼び方を変えるようにと……」嬌の名前が出た瞬間、輝明の胸の奥がすとんと沈んだ。車内の空気が凍りついたように静まり返る。森下は慎重に様子をうかがいながら、息を潜めるようにして黙っていた。輝明はシートに体を預け、喉元がわずかに上下する。重い沈
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第0034話

「今日は本当にありがとう。途中でちょっとしたハプニングがあったけど……司礼さん、ごめんなさいね」 桜井家の門の前で、綿は申し訳なさそうに頭を下げた。 司礼は車にもたれながら、軽く眉を上げて気負いのない声を返す。「楽しかったならそれでいいよ。それにあれくらい大したことじゃないし」 綿はふっと笑い、目元がやわらかくなる。「ありがとう」 「どういたしまして。余計なことで気分を落とさないようにね」 綿はこくりうなずく。「うん、またね」「うん」司礼は短く返して車に乗り、そのまま走り去っていった。 綿は門の前に立ったまま、車が見えなくなるのをじっと見送ってから、肩を軽く回して家に入ろうとする。 こんなにも紳士的で、品のある人って、そうそういない。でも、自分なんかじゃ釣り合わない。どうしようもなく、足りない人間だ。そう思いながら家に入ろうとした瞬間、不意に背後から声がした。「綿」 かすれたその声は、どこかあたたかくて、綿の胸の奥にじんと沁み込む。ぱっと振り向くと、黒いマイバッハが少し離れた場所に止まっていて、その前にもたれかかるようにして、輝明が立っていた。深い眼差しをそのまま彼女に向けている。 さっきは司礼とのやり取りに夢中で、こんなところにもうひとり人がいたなんて、まったく気づかなかった。 ――なんで、ここにいるの? 綿の顔から表情がすっと消え、わずかにうんざりしたような空気が滲み出る。 輝明はその変化を見て、何か言いかけたが、結局言葉にはしなかった。視線だけが、じわりと冷たさを帯びていく。 ――俺の顔を見て、その反応か。 さっき韓井の前では、あんなに楽しそうに笑ってたくせに。 「何か用?」綿の声は淡々としていて、まるで見知らぬ人に向けるような冷たさがあった。 そのひとことが、輝明の胸にじわりと染み込む。 本当に、自分はもう彼女にとって「無関係な人」なんだな――輝明は何も言わず、ただ綿をじっと見つめていた。 いつからだろう。こんなふうに彼女を見つめることすら、許されなくなったのは。 輝明の視線に、綿はじわじわと背筋がこわばるのを感じていた。 まるで全身を見透かすようにじっと見つめられて、落ち着かない。――私のことなん
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第0035話

……何なの、これ。わざわざ来て、酔っ払って八つ当たり?綿は静かに唇を引き結び、そっと顔を上げた。けれど、その瞳にはもう光がなかった。「これは私のプライバシーよ。答えるかどうかは、私の自由でしょ」手を払おうとしたが、輝明はその手首を壁に押さえつけた。逃げ道を塞ぐように、力強く、ためらいもなく。「高杉輝明、これ以上やるなら警察呼ぶから」綿は眉をひそめ、声を少し張った。はっきりとした拒絶の意思がそこにあった。「……ああ、呼べば?」輝明は低く睨みながら言った。その目の奥で、何かが静かに燃えている。――まだ正式に離婚してない。手を上げたわけでもない。ただ話してるだけだ。警察に何ができるっていうんだ。綿はその顔を見て、胸がきゅっと痛くなるのを感じた。……わかってる。彼は自分を愛してなんかいない。ただ、まだ籍が抜けてないうちに、他の男と関係を持ったことが男としてのプライドを傷つけた、それだけ。鼻の奥がつんとして、綿は息を吸い込んだ。それから、まっすぐに彼を見て、ふっと笑ってみせた。「うん。私、司礼さんのことが好きになった」その瞬間、輝明の動きが止まった。「たぶん、離婚したら司礼さんと付き合うと思う」綿の声は静かだった。「私、昔から人を見るのが下手で。でも、司礼さんはお父さんが選んでくれた人。今は、それで十分だと思ってる」言葉は淡々としていたが、輝明の胸に刺さっていく。人を見るのが下手って、それはつまり、自分のことだろう。「離婚したら、あなたもすぐ嬌と結婚するんでしょ?お似合いだと思うよ」そう言って、綿はもう一度彼を見た。視線がぶつかる。綿の瞳は赤く潤んでいた。彼にはきっと、わからない。自分がいま、どれだけ無理して言葉を口にしているか。綿は、自分が思っていたよりもずっと未練がましい人間だと知った。何年も愛してきた。そんな気持ちが、簡単に消えるわけがない。「……この三年、ずっと綱引きみたいだった。あなたは嬌に向かって進んでて、私は後ろから必死に引き止めて。でも、どれだけ引っ張ってもダメで 最後は自分だけがボロボロになった」力なく笑いながら、ぽつりと続ける。「手を離して、初めてわかったの。あ、こんなに軽くなるんだ、って」綿は顔をそっと上げた。そのとき、輝明が少し体をずらしたこと
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第0036話

綿が驚いて振り返ると、輝明が地面に倒れ込んでいた。片手でみぞおちを押さえ、顔は見る間に真っ青になっていく。明らかに様子がおかしい。綿の胸が一気にざわつく。思わず駆け寄って、膝をついた。「輝明……!」呼びかける声には、抑えきれない焦りが滲んでいた。けれど、ふと我に返る。今の自分はもう彼の妻じゃない。関係なんて、何もない。伸ばしかけた手を、綿はそっと引っ込めた。……森下がいる。彼がいれば、大丈夫。綿はうつむき、湧き上がった不安を胸の奥に押し込んだ。そして、何事もなかったように立ち上がり、踵を返そうとする。そのとき、森下が慌てたように呼び止めた。「奥様!」綿は振り向かず、静かに答えた。「お酒が原因の胃痛でしょ。病院に連れて行ってあげて。嬌にも連絡して」その言葉に、森下は思わず目を見張った。昔なら、社長に何かあったとき、一番にそばにいたのはいつだって綿さんだった。綿がその場を離れようとした瞬間、ひやりと冷たい指先が彼女の指に触れた。「綿ちゃん……」かすれた声に、綿は思わず振り向く。輝明は苦しそうに眉を寄せ、呼吸も浅い。その姿に、綿の心臓がドクンと大きく跳ねた。言葉が喉まで出かかったところで、森下がすかさず口を開いた。「奥様、恐れ入りますが、一緒に病院へ……お願いします」輝明が胸元の服をきつく握りしめている。もう、迷っている時間はなかった。綿は小さく頷くと、森下と共に彼を支えて車に乗せた。後部座席で綿は輝明の肩を支え、彼はそのまま彼女の肩にもたれかかった。体は熱っぽく重く、意識もあやふやだった。森下はルームミラー越しにちらちらと後部座席の様子を見ながら、車を出した。だが、スピードは控えめだった。「……接待だったの?」綿が静かに尋ねる。「えっ、あ、はい……今日の取引先、かなり酒が強くて……ずっと社長に飲ませてました」綿は輝明の顔を見下ろし、指先でそっと頬に触れた。――今だけなら、触れてもいいよね。彼が正気に戻ったら、もう触らせてくれない。目に浮かぶ、あの冷たい表情。見るたびに、胸が締めつけられるようだった。「今後、接待に行くなら、先に何か食べさせてからにして。相手が酒に強いなら、できるだけ代わりに飲んであげて」綿の声は淡々としていた。「もう
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第0037話

車が救急外来の前に停まると、綿はすぐに輝明をストレッチャーに移した。終わったらすぐ帰るつもりだった――のに、彼はずっと彼女の指を離そうとしない。綿は眉をひそめ、そっと手を外そうとしたけど、指はしっかり絡められたまま。仕方なく、小さくため息をついて、そのままそばに残ることにした。「先生、容体は?」綿は当直の医師に尋ねると、「問題ありません。点滴を打てば落ち着きますよ。しばらくは胃に負担をかけないようにしてくださいね」と、あっさり言われた。森下は処方を取りに受付へ向かった。綿はベッドに横たわる輝明の顔を見つめたまま、ふと眉をしかめる。軽く彼の腕を叩いて、小さな声でぶつぶつと文句を言った。「高校の頃からそう、自分の身体のこと全然気にしないんだから……もういい歳なのに、ほんと手がかかる」文句を言いながらも、彼の顔色の悪さに、綿はまたそっと息をついた。ベッド脇の椅子に腰かけ、腕を組んで、じっと彼の顔を見つめる。――こうして彼のそばにいるのも、これが最後かもしれない。そう思うと、なんだかおかしくなってきた。「……輝明、私ってほんと『できた』元妻よね」苦笑まじりにぽつりとつぶやく。こんな夜中に、元夫を病院に運んで、付き添いまでしてる。これってもう、ちょっとした「徳積み」ってやつじゃない?その時、看護師が来て、の準備を始めた。綿はベッドの足元に立ち、様子を見守る。すると、不意にスマートフォンが鳴った。森下からだった。「奥様、すみません!会社で急用が入って、僕、先に戻ります!」「えっ、森下くん……」返そうとしたその瞬間、電話はぷつりと切られた。「……」綿は思わず口を開けたまま、しばし沈黙した。再び視線をベッドの男に向ける。心の中で小さな自分が、思いっきり悪態をついていた。――なんなのこれ……ふざけてるの?看護師が点滴を済ませて部屋を出ていくと、綿は仕方なく椅子を引き寄せて、その場に腰を下ろした。頬杖をついて、ベッドに横たわる男の顔をじっと見つめる。どこか落ち着かない目つきで、ため息がひとつ、こぼれる。やがて綿は両腕を枕にしてベッドに突っ伏すように身を傾けた。その肩は少し落ちていて、表情もどこか沈んでいる。ふと、男の手がわずかに動いた。綿が顔を上げると
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第0038話

輝明はうっすらと目を開け、喉を動かしながら息を吸い込んだ。「……俺……」その瞬間、病室の入り口から声が飛び込んでくる。「明くん……」嬌の声だった。綿は反射的に彼を押しのけ、すっと身を起こしてドアの方へ視線を向けた。嬌は唇を噛みしめ、右手には弁当箱を持っている。その目には、隠そうともしない敵意が浮かんでいる。綿は二歩ほど下がって、淡々とした声で言った。「嬌、誤解しないで。彼が……私のこと、あなたと間違えただけ」「そうなの?」嬌は冷たく目を細め、綿を見つめる。――そんなの信じるわけ無いでしょう?彼女はベッドに目をやり、にこりと笑った。「明くん、あたし、来るタイミングが悪かった?」「冗談はやめて。胃を痛めて倒れてたから、たまたま通りかかって病院に連れてきただけ」綿は面倒を避けたくて、そう説明した。嬌は二人の様子を見て、内心で怒りを噛み殺した。――まだあたしに嘘をつくつもり?誰からも連絡があったわけじゃない。それでも、あたしはここに来た。輝明のことは、ずっと人を使って見張らせてる。だから知ってる。酔っ払った彼が、最初に向かったのは――私のところじゃなくて、桜井家だった。……どういうつもり?あたしのことなんて、もうどうでもいいってこと?怒りがこみ上げる。けど、それを表に出すわけにはいかない。輝明に監視のことがバレたら、すべてが終わる。嬌は笑みを浮かべたまま言った。「ありがとうね、綿ちゃん。明くんって、昔からそう。胃が弱いくせに、全然気にしないんだから。あなたがいてくれて助かったわ」綿は軽く首を振り、もう一度輝明を見てから、何も言わず病室を出た。輝明はその背中を目で追い、まるで空気が抜けたように体を沈める。綿がドアに向かったところで、嬌が声をかけた。「綿ちゃん、送るわ」弁当箱をベッドサイドに置き、彼女は綿の後を追った。二人は並んで歩き、無言のまま病院の階段を降りていく。外に出て、ようやく嬌が口を開いた。「明くん、あんたに会いに行ってたみたいね」綿は彼女を見て、続きを待つ。「……もう離婚してるのよね。だったら、いい加減にしてくれない?いつまでもしがみついてたら、安い女に見えるだけ」その言葉に、綿はふっと目を細めた。「……もしかして、怖いの
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第0039話

「……雪蓮草のブラックマーケットでの動向、見てみる」綿がそう言うと、雅彦は「お」と返事して情報室へついていった。巨大なスクリーンには、雪蓮草に関する投稿が延々と流れ続けていた。すでに話題数は二十万件を突破し、閲覧数は二十億に届いている。だが本当に驚くべきは、その値段だった。それだけでなく、価格も天井知らずに上昇していた!画面右上の価格表示は、すでに200億円。「今のところ、誰も雪蓮草を手に入れたって情報はない」雅彦が言った。綿は腕を組みみながら、画面を見つめて眉をひそめる。「なぁ、ボス。ほんとに手元にないのか? 雪蓮草」雅彦はちらりと彼女を見る。綿がずっと黙ってるもんだから、正直ちょっと疑っていた。綿はふと雅彦を見て、眉をひとつ上げて言った。「さっき、嬌に会った。雪蓮草、手に入れたって言ってた」「はぁ? ありえねぇだろ。今まで一度も出てきてないのに。どうせ偽物か、テキトーに吹いてるだけじゃねえの?」雅彦は顎に手を当てながら言うと、綿は背を向けて一言つぶやいた。「雪蓮草、市場から外して」「……は?」雅彦は目を見開いた。市場から外す――ってことは、本物がもう手元にあるってことじゃねぇか!?綿は振り返り、ふっと笑うように眉を動かした。「見てみたい?」「えっ……おいマジで!?ほんとに持ってんのか!?」綿は何も言わず、スタスタと歩き出す。雅彦も慌ててついていった。二人が向かったのは、地下の保管庫。完全自動化された空間で、綿が指紋認証を済ませると、宝物を収めた個別ロッカーが順に開いていく。中には希少価値の高いアイテムがぎっしり。雅彦はここに何度も来たことがあるが、それでも毎回圧倒される。世間じゃ、高杉輝明が「雲城で一番金持ってる若手」って言われてるけど――ほんとの金持ちは、たぶん綿だ。並んだロッカーを眺めながら、雅彦はぼそっと言った。「つーか、僕今まで雪蓮草なんて見た記憶ないぞ……」綿は黙ったまま、どんどん奥へ進んでいく。「おいおい、これ以上行くと、Aランク以下のとこだぞ?」この倉庫ではアイテムの価値によって、SSS・SS・S・A……と分類されている。Aランクなんて、もうほとんど「ガラクタ」扱いだ。だが綿は、Aランクすらスルーして、そのさらに奥
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第0040話

綿は雪蓮草をホールへ持ち出した。ロボットがすぐに駆け寄り、雪蓮草をスキャンすると、嬉しげな声を上げる。「わぁ、ブラックマーケットで話題の雪蓮草です!」綿は軽く手を叩き、腕を組んだ。ロボットが尋ねる。「M様、この雪蓮草はどこで手に入れたのですか?」「廃棄予定のゴミの山だよ」雅彦が笑いながら答えた。ロボットは沈黙した。雅彦は画面を見ていると、ロボットのモニターがいきなり星のようなノイズで埋まり、次に心電図のような線が映った。……は?フリーズした?何年もこの基地にいるけど、ロボットが固まったのは初めてだ。壊れたのかと心配していると、ロボットが再起動。目がキラキラした大きな瞳に変わり、明るい声で喋り出す。「びっくりして意識飛びました~! 雪蓮草がM様の手元にあったなんて!」雅彦は苦笑した。ロボットまで落とすとか、どんだけだよ。「で、これ……どうするつもり?」雅彦が聞くと、綿はふっと笑った。その意味が読めず、雅彦はは目を細める。売るってことか?「やった!大儲けだ!」その場でぴょんぴょん跳ね始める。200億円だ。これだけあれば、面白い研究がいくらでもできる。「売らないよ」綿が言った。ガツンと頭を殴られたような気分になる。「……は? 捨てかけてたやつだろ? 売らないでどうすんの」「使うのよ」綿はスクリーンの方を見ながら、落ち着いた声で言った。「雪蓮草、封鎖して」ブラックマーケットで「封鎖」とは、その品が誰かの所有物になったことを意味する。このタイミングで封じるなんて、騒ぎになるに決まってる。雅彦は息を呑み、即座に操作に取りかかる。 ――了解。ボスの命令だ。十分も経たないうちに、雲城はざわめきに包まれた。「速報!雪蓮草が手に渡った模様!」「200億元まで高騰した雪蓮草が封鎖!持ち主は一体誰だ!?」*病院の待合室で、嬌はそのニュースを見た瞬間、立ち上がった。……取られた? 雪蓮草が?「明くん……」スマホを置いて、輝明を不安げに見つめる。輝明は目を閉じたまま休んでいたが、呼ばれてゆっくり目を開けた。陸嬌の目は真っ赤で、次の瞬間、ぽろりと涙がこぼれた。「終わったわ」輝明は眉を寄せる。何がだよ。突然泣
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