霜村冷司は善人でもなければ極悪人でもなかった。ただ、権力と地位のためには手段を選ばなかったのだ。命を奪ったとは言わずとも、その手が血に染まったことは、一度や二度ではない。そんな男にとって、何十年という年月こそが、やがて訪れる人生の終着点だったのかもしれない。最期の時が迫っても、恨み言はなかった。ただ......霜村冷司は振り返って別荘を見つめ、窓辺に佇む影に視線を向けた。淡々とした瞳の奥には、一抹の未練が漂っていた。「もし私が約束を果たせなかったら、君が代わりに、一生お母さんの面倒を見るんだ」霜村冬夜は両親二人がどれほど愛し合っているか知っていた。それは、誰にも代わることのできないほどの強い愛だった。だから、父の言葉に簡単に頷くことはできなかった。「お父さん、自分がした約束は自分で守るべきだよ。僕に押し付けないで」口調では厳しいことを言うが、息子の心は優しいことを霜村冷司は知っていた。自分がこの世を去れば、息子が和泉夕子の面倒を見てくれるだろう。しかし、必要な手配は済ませてあったが、もし本当に自分がいなくなってしまった時に、和泉夕子が自暴自棄になってしまうのではないかと心配だった。「彼女はおとなしそうに見えて、実際は結構頑固なんだ。もし今後、彼女が何か馬鹿なことをしそうになったら、なんとしてでも止めてくれよ......」まるで遺言を聞かされているようで、霜村冬夜はなんだか居心地が悪かった。「お父さん、もう最終段階の演算は終わったんだ。あと2ヶ月、後2ヶ月で必ず完璧に仕上げてみせる!そのときには、父さんと母さんが、手を取り合って、穏やかな老後を迎えられるように、僕がなんとかしてみせるから」霜村冷司は、ふっと微笑んだ。その笑みはどこか寂しげで、静かに心の奥に染み込んでくるような優しさがあった。はっきりとした感情は読み取れないけれど、何かを受け入れたような、そんな穏やかさが漂っていた。それは、生きているのにどこか遠く感じられるような、手の届かない微笑だった。まるで、自分の役目を終えた人が、静かに歩き出すような、そんな印象を残していた。霜村冬夜はそんな父を引き止めることができない。まるで別れを告げる時間もないかのように、スーツのポケットから精巧な箱を取り出し、父に差し出した。「本当は誕生日に渡すつもりだったんだが、何故か今日、渡したくなった」
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