All Chapters of 社長、早く美羽秘書を追いかけて!: Chapter 151 - Chapter 160

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第151話

月咲は小走りで駆け寄ってきた。「夜月社長、どうしていらしたんですか?中に入りましょうか?」月咲はパジャマの上にダウンを羽織っただけで、どこか心もとなかった。けれど、それだけ彼に会いたくてたまらなかった気持ちは伝わってきた。翔太は軽く顎で示した。「乗れ」月咲はすぐに助手席側へ回り、座り込んだ。「夜月社長」車はゆっくりと走り出し、住宅街をぐるりと回った。月咲は、なぜこんな時間に自分を呼び出したのか測りかね、もう一度声をかけた。「夜月社長……」翔太の声は感情を読み取りにくい。「美羽の友人の件、君がやったのか?ネットで美羽を中傷していたのも君か?」月咲は即座に否定した。「な、何のことですか?ネットって……夜月社長、何をおっしゃってるんです?」「知らないと?」「わ、私は……」「手がかりがなければ、わざわざ聞きに来たりはしない」似たようなことを、美羽にも言われたことがある。――証拠もなくここに来たわけじゃない。月咲はダウンの裾を握りしめ、複雑な気持ちになった。3年間付き合った恋人は、たとえ別れても親密さが残ってしまっている。彼女が一瞬ぼんやりしている間に、車は再びマンションのエントランス前へ。翔太が言った。「降りろ」その一言で悟った。――彼は彼女に自ら説明する機会を与えてくれていたのだ。だが、彼女は「否認する」という最悪の答えを選んだのだ。カチリとロックが外れる音。次の瞬間、月咲の目から涙がこぼれた。彼女は彼の腕を掴んだ。「夜月社長、私の顔を見てください」化粧をしていない肌には、まだ赤い傷跡が二筋残っている。「……社長が探してくださった医者でも、この程度までしか消せないって言われました。私を傷つけたのに謝りもしないで、挙げ句にやってもいないことまで押し付けてきたのは紅葉花音なんですよ。あの日泣きながら帰宅した私を見て、母が知ってしまって……また彼女にいじめられたって。それで母が私の代わりに怒りをぶつけただけなんです」翔太は無言のまま、車も動かさない。表情から感情は読み取れなかった。月咲は必死に訴えた。「母がそんなことをするなんて、知らなかったんです。知っていたら絶対止めてました。私はいつも社長の言うことを聞いてきました。『全部任せろ』っておっし
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第152話

美羽は反射的に振り返った。だが暗闇の中、走り去る車の背中しか見えなかった。慶太は彼女の足元に視線を落とし、「捻ったりしてない?」と訊いた。ちょうどゴミを捨てに降りてきた美羽は、心配になって授業帰りに様子を見に来た慶太と鉢合わせたのだ。声をかけに行こうとした時、運悪く小さな窪みに足を取られたが、彼が間一髪で支えてくれた。「大丈夫、高いヒールじゃないから」「友達のほうは?」「会社から辞めさせられたわ。警察も弁護士も決定的な解決策はなくて……本人はもう『仕方ない』って」慶太のメガネチェーンが夜に光る。「追及はしないの?」美羽は小さく首を振った。誰がやったのかは分かっている。けれど調べても相手に傷ひとつつけられない、ただ自分の力を浪費するだけだ。慶太は視線を落とし、彼女の目をまっすぐ覗き込んだ。「それでいいの?」美羽の瞳は冷ややかで、美しい。「よくはない。いずれは償ってもらうつもりだ」いつか必ず、帳尻を合わせる日が来る。……その頃。翔太は再び西宮へ戻った。哲也と恭介はまだ残っており、「どこに行ってた?」と尋ねた。翔太は答えず、ただ黙って酒をあおった。アルコールが炎を煽り、胸の奥の苛立ちはますます抑えきれない。その時、知らない番号からメッセージが届いた。開くと、写真が二枚。画質は粗い、数年前のものらしい。だが写っているのは一目で分かった。――月咲。彼女はある青年と、唇を重ねている。翔太の目が細められた。発信元はネット経由の仮想番号、折り返せない。彼は番号を恭介に転送した。「恭介、この番号の出所を調べろ」恭介は何も聞かず、ただ「了解」と言った。ちょうどその時、月咲からLineが届いた。【もう帰宅しましたか?】翔太は迷わず彼女をブロックした。……一方その頃。「もういい」なんて言いながらも、花音は未練を断ち切れず、翌日、優の会社に押しかけた。だが不思議なもので、この時代に秘密など存在しないのかもしれない。花音の写真が優の会社にも流出し、彼の同僚たちの間で出回ったのだ。花音は以前、明るくて美しかったから、優は彼女を同僚の前によく連れて行った。そのため、皆、その写真に写ってた女性が優の彼女だとすぐにわかっていた。そのことでわざと優に質問をぶ
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第153話

「写真を送ってきたのは君か?」翔太は開口一番、月咲のキス写真のことを切り出した。「写真?何のことですか?」美羽は逆に切り返した。「写真といえば、むしろ夜月社長にお願いしたいです。自分の女をきちんと律してほしい、と。悪い事をすれば、いつかは必ずばれる。葛城さんが自分のしたことを、証拠も残さず済ませられると本気で思っているんですか?」翔太は鼻で笑った。「証拠が残っていたとして、それで君に何ができる?」「彼女の背後に夜月社長がいるのは分かっています。どんな証拠も、夜月社長なら揉み消せるでしょう。でも、兎も七日なぶれば噛み付くものです。私にとって重要なのは、家族と友人だけです。もし誰かがやられたら……たとえ大きな代償を払っても、相手に痛手を負わせますよ」翔太の目が細められた。「俺はむしろ、君が大きな代償を払った挙げ句、痛手を負う羽目になるんじゃないかと心配だ」彼の冷ややかな表情には、一片の恐れもなかった。美羽の脅しなど、ただの戯言にしか映っていないようだ。「夜月社長はご存じないかもしれませんが――このところ、というより私が辞めてからずっと、碧雲の機密を買いたいと言ってくる会社は山ほどあるんですよ」翔太の表情は微動だにしない。「だから?君に売れる度胸があるのか?」――一文字でも漏らせば、彼女を牢獄に叩き込んでやる。そんな無言の威圧感があった。「今はもちろんできません。まだ大事な人がいて、生きていきたいから。でも、夜月社長と社長の取り巻きがこれ以上私を追い詰め、身近な人に手を出したら……生きる意味を失った私は、皆を巻き込んででも、道連れにします」彼女は冷ややかに言葉を継いだ。「これは夜月社長から教わったことですよ――追い詰めすぎれば必ず反撃を招く。人に逃げ道を残すからこそ、最悪の結果を招かないのです」街灯ひとつしかない薄暗い道。車内の翔太の表情は、はっきりとは見えなかった。「たとえそれで碧雲を倒すことができなくても、夜月社長を悩ませるくらいはできるでしょう。ビジネスの世界は一瞬で全てが変わります。今日と明日ですら違いますから。『一時的』な混乱でも、十分な脅威になり得ます。だからこそ、手加減してください。それは夜月社長にとって、取るに足らないことのはずです。後で私が招いた面倒ことを片付けるより
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第154話

星煌市の社交界では、翔太こそが頂点だった。美羽が彼に干されたから、誰もが彼女を翔太の敵とみなした。彼女に不幸が起これば、翔太本人が何も言わずとも、取り入ろうとする者が競って彼に報告した。今日も同じだった。取引先との食事の席で、客の一人が唐突に口にしたのだ――「自分の部下が今日警察署で、夜月社長の元部下の真田さんと、彼女の友人を見かけました。何かの揉め事で警察沙汰になったらしいです」と。その場では翔太は何も返さなかった。だが食事が終わると、彼はまっすぐここへ向かっていた。車中、彼は携帯を取り出し、恭介にメッセージを送った。【半年前、美羽がどうやって流産したのか、調べろ】……一方その頃。花音は実家に帰る決意をしていた。2か月ほど身を隠し、年が明けて騒ぎが収まってから星煌市に戻り、改めて職を探すつもりだった。金曜、花音は荷物をまとめ、美羽は彼女を新幹線駅まで見送り、花音が改札を通るのを見届けてから、その足で碧雲へ向かった。翌日は滝岡市への出張を控え、関連する各社が碧雲に集まり打ち合わせを行う予定だった。慶太と碧雲の本社ビル前で会う約束をしていたが、車の中で彼から【急用ができた、碧雲には行けない】とのメッセージを受け取った。【分かった。じゃあ私一人で行きます】【三浦を向かわせようか?】【大丈夫よ。出張の確認だけだし、議事録をまとめて帰ってから渡すね】少し考えた慶太は、それならと承諾した。美羽は資料を手に碧雲へ足を踏み入れた。数歩進んでから、思わず振り返って碧雲のエントランスを見上げた。――かつて働いていた場所。今は研究チームの一員として、碧雲を訪問している。彼女は早めに来たため、社長はまだ不在で、大会議室には数人の社員が準備に追われているだけだった。そこへ、さらに数人が入ってきた。その中に、直樹の秘書の顔を見つけた。直樹の会社、久安グループもこのプロジェクトに参加している。視線が合い、軽く会釈を交わした――ちょうどその時。秘書の後ろに連れられていた女性に気づいた瞬間、美羽は思わず息を呑んだ。女性は堅苦しいビジネススーツではなく、赤いスクエアネックのニットを着ていた。すらりとした首筋と繊細な鎖骨がのぞき、下には黒のタイトスカートとショートブーツ。通勤スタイルの中に、ほのかな色気
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第155話

美羽は視線を落とし、目の前の資料をそっと閉じた。そのため気づかなかった――翔太が一瞬、眉をひそめて手を引っ込めたことに。「千早さん、どうぞ座って」そう言ったあと、彼の目はかすかに、しかし確かに、美羽の姿をかすめていった。美羽は研究者チームのメンバー、つまり技術系の人間だ。今回の出張も、主に記録係としての同行にすぎず、会議自体は彼女に関わることはない。3時間以上にわたる会議のあいだ、彼女は一言も口を開かなかった。解散したのは午後5時近く。資料を片づけて退出しようとしたとき、翔太の秘書加納清美(かのう きよみ)が近づいてきた。「真田さん、夜月社長が少しお待ちいただくようにと。プロジェクトについてお話があるそうです」「分かりました。社長室に伺えばいいですか?」「いまは鬼塚社長と話されていますので、応接室で少々お待ちください」そう言われ、美羽は頷いて応接室へ向かった。……だが、待てども呼ばれない。30分が過ぎても、呼ばれる気配はなかった。最初は気にも留めなかった。社長二人が長く話し込むのは当然だ。しかし、そのうちに紫音が社長室の扉をノックし、「どうぞ」という声とともに中へ入っていった。――そこから2時間。紫音は一向に出てこなかった。実は1時間経った時点で、美羽は直樹の秘書にメッセージを送った。【鬼塚社長はまだ碧雲にいらっしゃいますか?】返ってきたのは――【会議が終わってすぐに出ましたよ。何かありましたか?】……やっぱり。しかし、清美が自分をからかったとは思えない。清美が彼女に伝えたときは、直樹がまだいたのだろう。しかし彼女はその後直樹が退室したことに気づかず、彼がまだいると勘違いしたのだ。問題はそこではない。自分を待たせたのは翔太であり、彼自身は――彼女を呼ばずに、紫音と2時間もオフィスにこもっている。船上での夜、そしてさきほどの会議室での小さな仕草……今この時間、彼らが本当に「仕事」をしているのか、それとも――腹部に手を当てた。空腹で痛み始めていた。ここ数か月、規則正しく食事を摂っていたからこそ、胃は正直に「もう食事の時間だ」と告げてくる。美羽は唇を噛み、立ち上がった。「加納秘書、夜月社長に、いつ頃お会いできるか聞いていただけますか?」「真田さん
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第156話

美羽は心底感心していた。何度も正面から衝突してきたというのに、月咲は顔を合わせるたび、まるで何もなかったかのように振る舞える。だが、多少の手練れでなければ、翔太の相手など務まらないだろう。「美羽さん、どうしてここに?」月咲は笑顔を作って問いかけた。たしかに先に声をかけたのは美羽だったが、いざ彼女が入ってきても、美羽は一瞥すらせず、ただ黙々と食事を続けていた。その態度の意味を測りかね、月咲はさらに口を開いた。「退社時間になると、このオフィス街も人が少ないですね。美羽さん、こんな遅い時間にどうしてここに?」返事はなかった。唇を噛みしめ、月咲はもう一度探りを入れた。「今は、この辺りでお仕事されてるんですか?どこの会社ですか?」三言に一度は探りを入れてくる――碧雲がすぐそばだからだ。彼女は警戒している。美羽が翔太に会いに来たのではないか、と。美羽はようやく食べ終えると、ようやく彼女に目を向けて言った。「あなた、翔太に会いに来たんでしょ?早く行った方がいい。今行けば――ちょうど『見もの』に間に合うわよ」月咲は思わず問い返した。「……見もの、ですか?」美羽はそれ以上は答えず、ペットボトルの水を開け、口をつけた。月咲はスカートの裾をぎゅっと握りしめ、未知への不安に耐えきれず、ついに踵を返して駆け出した。まっすぐに碧雲へと向かった。美羽はわざとそう言ったのだ。いま月咲が行けば、間違いなく翔太と紫音がイチャつく場面に出くわすだろう。二人の女性と一人の男性、嫉妬や駆け引き……夜月社長はどう処理するか頭を悩ませるに違いない。これは、あの男が自分を2時間以上も待たせたことへの仕返しだと思えばいい。三人の間には清算すべき「借り」が山ほどある。ひとつでも先に片付けられるなら、それに越したことはない。水を飲み干し、ゴミを片づけると、美羽はコンビニをあとにした。歩きながら慶太に電話をかけ、会議の内容を簡単に報告した。そのままタクシーを拾おうと道路へ出たとき――視界の端に、翔太が碧雲から足早に出てくる姿が見えた。遠目で表情までは分からないが、まるで誰かを探しているようだった。だが、美羽は興味を示さず、電話口で慶太に言った。「じゃあ、明日空港で会いましょう」「荷物があるでしょう?タクシー
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第157話

美羽はちらりと彼を見上げた。――月咲がすでに全部説明したのか?慶太は訳が分からず、「見ものって何?」と聞いた。美羽は表情ひとつ変えずに答えた。「私も知らないわ」「……だといいけど」翔太は新聞を横に置いた。「昨日会議が終わって、君に電話をかけたのに、なぜ出なかった?」美羽はスマホを取り出し、わざと首をかしげたような顔をした。「すみません、着信に気づきませんでした。夜月社長は何時にかけてくださいました?確認してみます」――どうせ彼が夜の8時にかけたとは、言えるはずもない。予想通り、翔太はただじっと彼女を見返すだけだった。直樹は状況を掴めなかったが、二人の間に妙な緊張感を感じ取り、場を和ませようと声を張った。「一番遅れたのは千早さんじゃない?」「でも皆さんにタピオカミルクティーを買ってきましたよ。川原市のあの有名店をご存じですか?星煌空港にも店をオープンしましたわ。ちょうど通りがかったので、並んできたんです」紫音は赤が好きなのか、赤いニットワンピースを着ていた。深Vネックで成熟した色気を漂わせ、寒さも意に介さず、羽織っているのはオフホワイトのコート一枚だけ。美羽は慶太と並んで少し脇に避けた。紫音はテーブルにミルクティーを置き、それぞれの人に配ったが、翔太のところは飛ばした。「夜月社長はこれを飲まないのを知ってるから、買わなかったの」口ぶりは親しげで、翔太も軽くうなずいた。直樹も笑って、「俺もあまり好みじゃないので、若いお嬢さん方でどうぞ」と秘書に目配せした。秘書は紫音から受け取り、礼を言った。紫音はさらに一杯を手に取り、両手で美羽に差し出した。「これは看板メニューです。真田さんもぜひ」美羽も礼を言い、紫音はその動きを利用して、彼女を頭からつま先まで値踏みするように眺めた。薄化粧だが、顔立ちはどこから見ても整っていて美しい。搭乗アナウンスが流れ、一行はゆったりと飛行機に乗り込んだ。ビジネスクラスの座席は、美羽と慶太が同じ列になった。座るやいなや、紫音がやって来て慶太に言った。「相川教授、私と席を替わっていただけませんか?真田さんとお話したいんです」慶太は美羽の意見をうかがい、彼女がうなずくと席を替えた。紫音は堂々と座り、シートベルトを締めると、すぐに美羽へ
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第158話

紫音は言った。「昨日、真田さんが葛城さんを碧雲の社長室に呼んで、私と夜月社長のところへ行かせたでしょう?危うくうまく収まらないところでしたわ」美羽は横顔に淡々とした表情を浮かべ、手を伸ばしてシェードを下ろした。紫音はまだ笑みを浮かべている。「……でもちょっと意外でしたわ。クルーズの件もありましたし、真田さんはもう碧雲をやめましたのに、それでも夜月社長に対してそんなに強い独占欲を持ってるなんて。……私が彼と少し昔話するのも、真田さんは邪魔するのですね」――邪魔?2時間あっても足りなかったってこと?美羽は、月咲があの時行ったら、事後の現場に鉢合わせするだけと思っていた。まさか、事中に割り込んでしまったの?その光景を脳裏に浮かべ、思わず眉をひそめた。そこへ客室乗務員がやって来て、丁寧に尋ねた。「お飲み物をいかがなさいますか?」「レモンウォーターをコップ半分でお願いします」――少し吐き気がしていた。客室乗務員が注いで渡し、美羽は飲み干した。紫音の声は、客室乗務員よりもさらに柔らかく、まるで鉤のように引っかけてきた。「真田さん、本当は私と夜月社長の関係が気になって仕方ないんじゃないですか?……それとも、嫉妬ですか?」美羽はビジネスクラス備え付けの使い捨てアイマスクを取り出し、ようやく彼女の方を向いて言った。「ごめんなさい、少し眠いです。休ませてもらいますね」紫音は一瞬きょとんとした。美羽はもうアイマスクをつけ、座席をリクライニングさせ、手を腹の上で組んで、すっかり安らかな寝顔のように見せかけた。紫音は呆れつつも笑みがこぼれた。これだけ話したのに、一言も相手にされず、やっと口を開いたと思えば「寝る」ときた。――見事なまでに無視しながら、暗に「黙って」と告げる態度。この人、静かにしていても高慢さが滲み出る。……3時間後、飛行機は滝岡市に到着した。空港外には送迎車が待機しており、荷物も係員が受け取ってくれた。美羽は慶太と並んで歩いた。慶太は携帯を機内モードから解除し、自然にアルバムアプリを開いて見せた。「ほら、見て」2、3メートル後ろを歩いていた翔太は顔を上げ、前を歩く二人を淡々と見やった。美羽は慶太の画面を覗き込んだ。写っているのは花台。そこに四、五鉢のミントが
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第159話

滝岡市に着いてから、美羽は星煌市よりも気温がずっと低いことに気づいた。持ってきた服では足りず、近くのデパートにダウンを買いに行こうと思った。ちょうどホテルのロビーで慶太に会い、彼も服が足りないことが分かり、二人は互いにからかい合いながら連れ立って出かけた。美羽はベージュのダウンを、慶太は同じデザインの黒を選んだ。慶太がほかの服を見に行っている間に、彼が支払おうとするのを避けるため、美羽は先に会計を済ませた。「美羽」背後から慶太に呼ばれ、振り返ると、彼はマフラーを彼女の首にかけてくれた。「マフラーもあれば、もっと暖かいよ」彼が整えてくれる間、美羽は髪が少し乱れた気がして、ゴムを解いて結び直した。その様子は自然で親密、まるで恋人同士のように見えた。そして、その光景を、偶然同じデパートに来ていた翔太と紫音が目撃していた。二人はしばらく眺めてから、紫音が笑みを浮かべて口を開いた。「これは相川社長をからかえそうね。兄として、恋愛の面では次男に及ばないだけじゃなくて、今では三男にも追い抜かれてしまったみたい」美羽と慶太も視線を外に向けた。赤いワンピースにスーツ姿。男がカートを押し、女がその腕にしなだれかかっている。慶太は微笑んで声をかけた。「奇遇ですね。夜月社長と千早マネージャーもお買い物ですか?」美羽は私的に翔太と関わりたくなかった。礼儀正しく笑みながら、「私たちはもう買い終わりましたので、先に失礼しますね」と言った。「一緒に行きましょうよ。私たちも買い終わりましたわ」紫音にそう言われてしまっては、美羽も断れず、共にレジへ向かうことになった。紫音のカゴには日用品やお菓子が並んでいる。翔太のような人物がこうして買い物をしていること、そして彼と紫音の関係は、なにやら含みを持たせる光景だった。レジ横の棚には避妊具が置かれていて、紫音が肘で翔太をつついた。「ねぇ、翔太くん、それ買わない?」翔太は冷ややかに彼女を一瞥しただけだった。その「翔太くん」という呼び方は、どこかで女が男を「パパ」と呼ぶ時のように妙に艶めいていた。さらに紫音は振り返って、二人に笑いかけた。「相川教授と真田さんも、備えておいた方がいいんじゃないですか?」慶太はメガネを押し上げ、淡々とした表情を崩さなかったが、それは彼
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第160話

「じゃあ、誰だと思った?」翔太は鋭い眼差しで言った。「ここでメッセージを送っていただけだが……それも真田助手の邪魔になるのか?」「……」――おかしい。直樹と彼の秘書は20階、翔太と秘書の清美、それに紫音は19階。慶太と自分は17階。なのに、どうして彼がここに?慶太を探しに来た?まさか自分を?美羽の目がわずかに揺れた。だがそれより先に、彼女は今の二人の体勢があまりに不自然だと気づいた。しかも、彼の身体から強い酒の匂いがした。デパートから戻ったあと、さらに飲みに出たのか?「夜月社長、放してください」美羽はすぐに言った。だが翔太は、彼女の首に巻かれたマフラーを見ていた。慶太がかけてくれたものだ。彼の視線は、冷たく深まっていった。思い出しているのは、このところ彼女と慶太のあれこれだ。さらに床に目を落とすと、彼女が落とした袋の中身が散らばっていた。一番上には――ブラジャー。淡いピンク。レース付き。彼の視線に気づき、美羽は歯を食いしばり声を荒げた。「夜月社長!放してください!」彼はゆっくり顔を上げて彼女を見た。「もう大きくなったのに、こんな少女趣味のを。……まあ、センスは悪くない」その「大きい」という言葉には、別の含みがあった。美羽は赤面などせず、怒りだけを抱いた。「夜月社長、言葉のセクハラも立派なセクハラです。自重してください!」「セクハラ?褒めただけだろう。……他のやつが褒めれば褒め言葉、俺が言えばセクハラか?」声音には冗談めいた色はなかった。だが語気はどうしても悪意を帯びた。意味が分からない。美羽がもがいても、彼は放さなかった。「慶太とカップルみたいな服を買って、下着まで?それで3時間も部屋に一緒?」美羽は唇を固く結んだ。――違う。下着を買ったのは、寒さで洗濯物が乾きにくいと思ったから。替えを用意しただけ。しかも、買っていた時には慶太は別の物を見に行っていた。だが――そんなことを、わざわざ彼に説明する必要はない。彼女は突然、彼の背後に向かって声を張った。「相川教授!」一瞬、翔太の注意が逸れた。美羽はその隙に腕を振り解き、散らばった服をかき集めて立ち去ろうとした。彼女の顔は氷のように冷え切っている。もともと彼と月咲、紫音の関係に
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