Home / 恋愛 / 永遠の毒薬 / Chapter 571 - Chapter 580

All Chapters of 永遠の毒薬: Chapter 571 - Chapter 580

750 Chapters

第571話

乃亜は電話を取ると、すぐに裕之の冷たい声が聞こえた。「今すぐ契約書を持って、安藤グループに来てサインしろ!」その口調は強引で、拒絶の余地はなかった。乃亜は唇を噛みながら、昨日直人が言ったことを思い出した。少し冷たく答えた。「安藤社長、すみませんが、私たち天誠は安藤グループとの契約を結ぶつもりはない」昨日、裕之はわざと直樹と陽子を呼んだのは、彼にもっと選択肢があることを見せつけたかったからだ。しかし、桜華法律事務所では彼にとって最良の選択肢ではなかった。直樹と陽子は長年桜華法律事務所にいるが、特に目立つ存在ではない。今の桜華法律事務所は、乃亜にとって十分な対抗力を持つ弁護士がいない。そのような桜華法律事務所がどうして彼女と競えるのか?安藤グループとの契約を結ばないことで、確かに収入が減るかもしれないが、それほど大きな問題でもないと気づいた。以前は悩んでいたが、今では気にしなくなった。電話の向こうで一瞬の沈黙があった後、再び裕之の声が響いた。「乃亜、お前は天誠の小さな弁護士に過ぎない。俺の提案を拒否する権利はない!今すぐ上司に電話して、お前を解雇させてやるぞ!」乃亜はその言葉を聞いて、思わず笑った。「今すぐ上司に電話してみなさいよ」そう言って電話を切った。裕之は天誠の上司が誰かすら知らないくせに、どうしてそんなことを言って脅すことができるのか。本当におかしい。安藤グループのオフィスで、裕之は怒りに満ちた顔で電話をデスクに投げた。乃亜という女が、どうして彼と対立できるのか!彼女は本当に、自分が電話して解雇させられると思っているのか?秘書が部屋に入ってきて、彼の怒りを感じ取り、慌ててファイルをデスクに置いた後、彼の後ろに回って、首に手を回しながら囁いた。「誰があなたを怒らせたのですか?教えて、私が代わりに怒りを晴らしてあげますよ」裕之は彼女をデスクに座らせ、指を彼女の唇に当てて、軽く笑いながら言った。「どうやって助けてくれるの?」「あなたが求めるなら、何でもします」彼女の声は甘く、柔らかかった。裕之はその声に惹かれ、思わず息を吸い込んだ。その後......オフィスの温度が上がった。しばらくして、裕之は椅子に座り、煙草を吸いながら静かに考え込んだ。その瞬間、彼は喜びを感じること
Read more

第572話

だが、すぐにまた同じ番号から着信があった。裕之は顔をしかめ、苛立ちを隠さず電話を取った。「莉子、今俺仕事中だってのに、何のつもりだ!」すると、冷たい声が返ってきた。「莉子は今日、亀田病院で中絶手術を受ける。夫のサインが必要だ。今すぐ来い」それは直人だった。裕之は思わず声を荒げる。「は?俺は手ぇ出してねぇっての!妊娠なんて有り得ねぇだろ。署名が欲しいなら、そのガキの父親を連れてこい!」莉子は、母親に無理やり押しつけられた女だった。裕之は初めから、彼女を好きになったことなど一度もない。結婚してからの数年間、酔った勢いで暴力を振るうこともしばしば。手を上げるのも珍しくなかった。あれで渡辺家のお嬢様なのか、と思うほど、莉子はいつも怯えていた。殴られても家族には何も言わず、ひとりで黙って耐えるだけ。だから、余計に酷くなっていって、どんどん手がつけられなくなった。泣いて許しを乞う姿を見ると、妙な快感が湧いてくる。上流家庭の娘だって、俺の前じゃ地面に頭をつけて懇願する。それが、たまらなかった。「裕之、俺は莉子じゃねぇ。口の利き方に気をつけろ」直人の声が、さらに低くなる。「莉子は手術を受ける。今すぐ署名に来い。てめぇが安藤家の社長だろうが、関係ねぇ。舐めてるとどうなるか、身をもって教えてやる」それだけ言って、電話は一方的に切られた。裕之の目が細くなった。その目には、薄暗い光が宿っている。チッ、今回は兄貴にチクったのか。家に戻ったら、どうなるか思い知らせてやる。そう思いながらも、彼はデスクに戻って書類をまとめ、そのまま病院へ向かった。その頃、亀田病院の一室。莉子はベッドに横たわり、顔色は真っ白だった。昨夜、裕之に腹を蹴られ、夜中からずっと腹痛が続いていた。朝になって病院で検査を受けたところ、妊娠が判明した。子どもは、まだ守れる状態だった。けれど、もう無理だ。裕之との結婚生活は、すでに終わっている。この先を考えたとき、子どもを産む理由なんて、どこにも見当たらなかった。この三年間で、莉子はまるで別人になってしまった。明るくて、よく笑っていた自分は、もうどこにもいない。これ以上、裕之と関わるなんて、考えただけで吐き気がする。だから、決めた。
Read more

第573話

直人の拳は、固く握りしめられていた。安藤裕之......このクソ野郎。絶対に許さない。来たら、タダじゃ済まさない......「兄さん、こわい......」怯えた声で、莉子がつぶやく。その姿を見ただけで、直人の胸は締めつけられるようだった。深く息を吸い、優しく語りかける。「大丈夫。兄さんが守る。もう二度と、誰にも傷つけさせない」けれど、莉子の心に刻まれた恐怖は、そんな言葉だけでは消えなかった。彼女は体を小さく丸め、沈黙したまま動かない。直人は悟った。今は何を言っても届かない。だから、それ以上は何も言わなかった。病室には静寂が満ちていた。時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえる。やがて、一時間が過ぎた頃......裕之が、ようやく姿を現した。ベッドに横たわる莉子を見るなり、怒鳴りつける。「また入院かよ!病院代、誰が払ってると思ってんだ!」莉子は反射的に頭を抱え、声を失った。裕之の怒鳴り声が、さらに響く。「お腹の中のガキが誰のかもわかんねぇのに、なんで俺がサインしなきゃなんねぇんだよ?恥さらしが!」ちょうどその時、直人が煙草を終えて戻ってきた。ちょうどその言葉を耳にし、怒りが一気に爆発した。ドアを閉めた直後、一直線に裕之の背後へと歩み寄り......容赦なく、一蹴りを叩き込む。「クソが......莉子にそんなこと言いやがって......殺すぞ、テメェ!」全力の蹴りを受けた裕之は、まるで人形のように吹き飛ばされた。「ドサッ」床に倒れ込み、頭がジンジン鳴る。怒りの収まらない直人は、すぐに駆け寄り、今度は腹へ強烈な一撃を食らわせた。裕之は呻きながら腹を押さえ、うずくまる。直人は莉子を怖がらせないよう、振り返って優しく声をかける。「怖かったら、布団かぶって。耳もふさいで。見ちゃダメ、聞いちゃダメ」莉子は震えながら、その言葉に従った。兄の怒る姿が、かつて裕之に暴力を振るわれたときと重なって見えたのだ。怖くてたまらなかった。けれど......兄の言葉には、素直に従いたかった。布団に隠れたのを確認すると、直人は再び裕之に向き直る。胸ぐらをつかみ、拳を振り下ろす。何度も、何度も。直人は、幼い頃から部隊で鍛えられていた。腕っぷしには自信
Read more

第574話

朝、乃亜は咲良と一緒に被害者家のご近所や親戚を訪ね、事情を聞いてから桜華法律事務所に戻ってきた。ちょうど資料を整理しようとしていたとき......直人が、裕之を引きずるようにして、事務所に入ってきた。三人が向かい合っても、乃亜は終始落ち着いていた。逆に、裕之の表情はひどく歪んでいる。「今でも天誠......いや、創世グループはお前らを代理人にしてるんだぞ。乃亜、お前が莉子の離婚案件を引き受けたら、俺は訴えるからな!」乃亜は、穏やかな笑みを浮かべて咲良に言った。「咲良、契約書を持ってきて。裕之さんに見せてあげて」咲良はすぐに書類を探し出し、裕之に差し出す。「契約は昨日で満了です。更新がなければ、自動的に終了となります」契約書の日付を確認した裕之の顔が、見る見るうちに青ざめた。「わざとか?俺をはめる気だろ!」乃亜は微笑みを崩さず、静かに言った。「昨日の夜、私はちゃんと更新の話をした。けれど、断ったのはあなたよ」裕之は目を細め、低く唸るように言った。「乃亜......よく考えろ。俺と凌央は繋がっている。俺を敵に回すってことは、凌央を敵に回すのと同じだぞ」その言葉を聞いた瞬間、乃亜の笑顔はすっと消えた。「だから何?凌央を敵に回したって、別に困らないわ」そのあまりに強気な態度に、裕之は唖然とする。「......フン。後悔するなよ、乃亜。痛い目見るぞ」「どうぞ。やれるもんなら、やってみな?」乃亜は冷たく笑いながら言い放った。凌央の名前を出せば怯むとでも?冗談じゃない。私は、そんな簡単に脅される女じゃない。裕之は完全に言葉を失い、そのまま捨て台詞を吐いて部屋を出ていった。彼が出て行ったのを見届けると、乃亜は直人に向き直る。「じゃあ、詳しく聞かせて。まずは状況を把握したいの」直人は、昼休みの時間になるまで、ずっと事務所にいた。見送りを終えた乃亜は、ソファに腰を下ろし、こめかみを押さえる。......もし、直人が話してくれたことが本当なら......裕之は、最低な男どころじゃない。莉子さんは、そんな男と三年も一緒にいたなんて。三年も、地獄の中で生きてきたってこと......本当に、かわいそうすぎる。そんな中、咲良が資料を手に再びやって来た。「乃亜
Read more

第575話

「先にオフィスに戻ってて」乃亜は咲良にそう言った。「警察、呼ぶの?」その一言に、乃亜は思わず笑ってしまった。「大丈夫よ。そんなの必要ないわ。行ってきて」今の凌央は、そう簡単に動ける立場じゃない。乃亜には、それがわかっていた。「でも......何かあったら、すぐ電話して!すぐ駆けつけるよ!」「うん、わかってる」咲良の気持ちは、痛いほど伝わっていた。自分が傷つかないか心配してる。守ろうとしてくれてる。でも......乃亜は、もう昔のように弱い女じゃない。咲良が去ったあと、乃亜はゆっくりと歩き出し、凌央の前に立った。「蓮見社長、わざわざここまで来て、何の御用か?」まさか裕之の件じゃないでしょうね。もしそうなら、容赦はしない。「なんで息子に会わせないんだ?」凌央は怒りを隠そうともせず、声を荒げた。今朝、ひなた保育園まで迎えに行った。けれど、乃亜が事前に話をつけていたらしく、引き渡しは拒否された。自分は、晴嵐の実の父親なのに......息子の顔すら見せてもらえないなんて、誰が信じる?「その話なら、もう帰っていいわ」乃亜は髪をかき上げ、軽く眉を寄せて言った。「私は、あなたにあの子を会わせるつもりはない」あのとき、乃亜が妊娠を告げた瞬間、彼が何と言ったか......「堕ろせ」と。その一言で、すべてが終わった。命を守るために、彼女は桜華市を捨てて姿を消した。子どもが無事に生まれたのは、奇跡に近かった。「乃亜、俺とあいつは父子だぞ!お前が引き裂く権利なんて......」「何度言えばわかるの?あの子とあなたは、親子じゃない」乃亜の言葉は、冷えた刃のようだった。「血が繋がってようと関係ないわ。あなたは、私たちを捨てた。美咲の子を選んで、私とお腹の子を切り捨てたのは、あなた自身よ。その子が流産したからって、今さら私の子を奪いに来るなんて......ふざけないで」「黙れ!」凌央は怒鳴った。その顔は怒りに染まり、今にも噛みつきそうだった。でも乃亜は、一歩も引かない。「ここは私の職場よ。もう二度と来ないで」そう言い放ち、彼女は踵を返そうとした......そのとき、凌央の手が彼女の腕を掴んだ。「乃亜、待て!」振り返った乃亜の
Read more

第576話

「午後は空いてないわ。代わりの人を手配するから」乃亜はそうきっぱりと言い放った。......とにかく、凌央と一緒にいるのが嫌だった。顔を合わせたくもない。「ふざけるなよ......」凌央は苛立ちを隠さず、彼女の手首を強く掴むと、力任せに中へ引きずろうとした。「やめなさい。ここは法律事務所よ。手を出さないで」乃亜は腕を振りほどこうとしたが、簡単には離れない。顔には明らかな不快感が浮かんでいた。彼女が自分との関係を必死で切ろうとしている姿に、凌央は胸の奥がざわついた。しかし、言葉を発する前に、乃亜はさっさとその場を離れてしまった。悔しそうに歯を食いしばりながら、凌央はその後ろ姿を追う。......社内の人間たちは、二人をちらちらと見た。まるで芸能人でも通ったかのように注目が集まる。......美男美女の組み合わせは、やはり目立つ。事務所に入ると、乃亜は静かに椅子に腰を下ろし、彼を見据えた。「で?何の話?」法務の依頼ってわけじゃないでしょ?まさか、入札関連?「今回の入札、譲ってもいい。それに......創世が進めてる案件、そっちの会社と提携してもいい」そこまで言って、彼は口を閉じた。乃亜はすぐに察して、薄く笑った。「入札なんて譲ってもらわなくても勝てるわよ。公平に競えばいい。それと、創世との提携には興味ないわ」彼女の目は冷たく、はっきりと拒絶の意思を示していた。「あなたは、拓海の会社と契約を切るために、いろんな手を使った。私はそれを1番近くで見ていたの。そんな人をどうやって信用しろって言うの?」そして......「だから、はっきり言っておく。盛世は、今後二度と創世とは組まない」その言葉には、微塵の迷いもなかった。ここ数日、創世が田中家との契約を全面的に破棄したというニュースで炎上していた。乃亜は普段、ゴシップを気にしないタイプだったが......今回は別だった。相手が拓海だったから、ちゃんと目を通した。彼が多忙だったのは、きっとこの件の対応だったのだろう。......そして、この件で田中家が被った損失は、少なくとも数億円規模だ。すべて、目の前の男......凌央の仕業だ。そんな人間が、よくもまあ「提携しよう」なんて言えたものだ。「乃亜。お前、
Read more

第577話

乃亜は反射的に手を上げ、凌央の頬を強く打った。「凌央、私はあんたの遊び相手じゃない!出て行って!」声は抑えられていたが、怒りが全身からあふれていた。そのアーモンドアイには、冷たく鋭い光が宿っていた。......一体、この男は私を何だと思っているのか。頬を押さえた凌央は、その瞳に射抜かれたまま黙っていた。心に湧き上がる怒りをなんとか押さえ込み、深く息を吐いてから言葉を紡ぐ。「......俺は本気で、お前と息子に戻ってきてほしいと思ってる。そんなに怒ることか?」彼女が自分の子どもを産んだ。それは、少なからず想いが残っていたからだと思っていた。なのに......なぜ、ここまで拒絶される?理解できず、ただ苛立ちだけが残った。乃亜は呆れたように笑った。「あなたが『戻ってこい』って言えば、私たちが素直に従うと思ってるの?そんなの、誰が受け入れるのよ?」子どもを育てられないわけでも、生活に困ってるわけでもない。わざわざ過去の苦しみに戻る理由なんて、どこにもない。「実の親と一緒にいた方が、子どもは幸せになれる。そのくらい、わかるだろ?」凌央はできるだけ穏やかに、冷静に話そうとしていた。だが、乃亜の目はもう彼を見ていなかった。彼女は無言で立ち上がり、ドアに向かって歩き出す。「もう一度言うけど、私は結婚してるの。子どもを連れて戻るなんて、絶対にない」彼女は振り向かずに言った。そしてドアノブに手をかけながら、少し語気を強める。「午後は予定が詰まってるの。これ以上時間を取らせないで。まだ邪魔するなら、相談料を請求するわよ」今、紗希が病院にいて、会社と事務所を行き来する毎日。一日48時間あっても足りないほどの忙しさ。無意味な感情論に時間を割く余裕なんてない。そのとき、凌央はポケットから黒いカードを取り出した。「......これ。前に渡したやつ。まだ使える。......何でも好きに使えよ」乃亜はドアを開けたまま、じっと彼の顔を見つめた。......あの頃と、何も変わってない。相変わらず整った顔立ち。スーツ姿も完璧。でも、今の彼を見ても、心はまったく動かない。あのときの感情は......もうどこにもない。「今の私は一ミリも、お金に困ってないの。そのカードは、
Read more

第578話

咲良は、凌央のあとを少し距離をとって歩いていた。ビルの前まで来たところで、彼が突然立ち止まる。咲良はびくりと肩を揺らし、慌てて足を止めた。「蓮見社長?」凌央は振り返り、短く告げた。「乃亜に伝えてくれ。もうすぐ期限だ。早く決めろってな」そう言い残して、無言で車に乗り込んだ。......待つのはここまで。期限が過ぎたら、手段を選ばず、あいつと晴嵐を連れてくる。恨まれてもかまわない。妻と息子は、俺のそばにいるべきなんだ。咲良はその場でぽかんと立ち尽くした。今のって......なんて言ってたんだっけ?頭が混乱してよく思い出せない。とにかく上の階に戻ろう。乃亜に伝えなきゃ......ドアを開けると、乃亜は昼寝の真っ最中だった。咲良はそっと引き返し、静かに扉を閉めた。......起きてからにしよう。目を覚ました乃亜は、気分も軽やかにパソコンを立ち上げ、仕事に取りかかる。しばらくすると、咲良が再びやって来た。乃亜は彼女の表情を見て、ふっと微笑む。「何かあった?」咲良は少し戸惑ったあと、凌央からの伝言を淡々と伝えた。そのあと、口実をつけて部屋を出ていく。乃亜は閉まったドアを見つめたまま、眉をひそめた。......あれ、冗談じゃなかったの?あいつ、本気で来る気なのね。......急がなきゃ。何か手を打たないと。一方その頃、凌央は病院の応接室で椅子に腰を下ろしたところだった。そこへ山本が入ってきた。「社長。璃音の実のご両親、連絡が取れました。こちらに呼びますか?」その言葉で、凌央は思い出した。たしか、璃音の実親を探すように指示していた。だが今、璃音を見るたびに胸の奥がざわつく。まるで、自分の子供のような気がしてならないのだ。でも、乃亜がいなくなってから、誰とも関係なんて持ってない。じゃあ......どうして?もし本当に自分の子なら、母親は誰なんだ?まさか、出産後すぐ亡くなった、とか?「社長?」山本の声が、思考を引き戻す。「今はいい。璃音の手術が終わってからで構わない」彼は心に決めていた。この数日中に渡辺家の病院で、璃音と晴嵐、両方とのDNA鑑定をするつもりだ。山本は続けた。「それと......高鉄のプロジェク
Read more

第579話

凌央は眉をひそめた。「いつの話だ?」直人と乃亜が、提携の打ち合わせでも?最近、直人は案件の話なんてしてなかったはず。「今朝だよ」裕之はため息をつきながら答えた。「俺、乃亜と法務の件を話す約束してたんだ。でも、『忙しい』って言われてキャンセル。で、目の前で直人と楽しげに話してたんだ。笑いながら......仲良さそうだったよ。まぁ、勘違いかもしれないけどね」その一言に、凌央の顔色は瞬時に曇った。......乃亜、本当にすごいな。どんな男にも気を惹くタイプのか。「分かった」凌央は低くうなずいた。「いいか、彼女には直人に近づくなと言っておけ。直人は俺の義兄だが、あれはどうしようもない男だぞ」裕之は得意げに言った。三年もの間、莉子との結婚を支えつつも、直人の冷酷なやり方を誰よりも知っていた。凌央は黙って裕之の言葉を聞き流すだけだった。「それで、用はそれだけか?」すると裕之は気まずそうに笑い、「じゃあな」と電話を切った。凌央は携帯を置き、煙草に火をつけた。揺れる煙の中に、乃亜の面影がぼんやり揺れる。昔のあの子とは、もう違う。強く、清々しい......なのに......他人のように遠く見える。煙が消えると、時刻は夕方に近い。書類をまとめると、凌央はオフィスを出た。玄関で山本とすれ違った。「どうしました?」「『奥様』が来社されました」「奥様?」鹿鳴のように皺を寄せて、凌央が眉を上げる。「何の用だ?」「わかりません。入ってすぐ、受付を通って......」話を聞いていると、真子が早足でやってきた。「凌央、話があるの!」顔色ひとつ変えず、彼は答えた。「病院へ行くから。急いでるんだ」「じゃあ一緒に行こうよ!璃音にも会ってないし、会いたいの!」真子の笑顔はいつもとは違って、どこか期待に満ちていた。凌央はわずかに眉を顰める。「璃音と向き合いたい。お前と食事する暇はない」真子は頷くと続けた。「一緒に食べるだけだから......お願い!」喉が詰まる思いで凌央は問いかけた。「誰と約束したんだ?」会社にまで来て、わざわざ一緒に食事しようというのは。真子はしばらく目を伏せ、申し訳なさそうに答えた。「あの......実は..
Read more

第580話

「晴嵐、ママはここだよ!」乃亜の声は、賑やかな園庭のざわめきにかき消されそうだった。それでも、晴嵐はすぐに気づいた。目を輝かせて、笑顔のまま駆け寄ってくる。「ママ!会いたかったよ!」その小さな体が、乃亜の胸に飛び込んだ瞬間。彼女の世界は、たった一つの温もりに満たされた。「ママも、すごく会いたかったよ」乃亜はそっと身をかがめて、晴嵐を抱き上げた。顔にはやわらかな笑みが広がっている。「お母さん、晴嵐くん、今日とてもがんばってくれたんですよ」近くにいた先生が、優しい声で話しかけてくる。「お友達を手伝ったり、給食のあとに机を拭いてくれたり。まだ3歳とは思えないほど、気配りができるんです」先生の目には、本気の感心がにじんでいた。確かに、同じクラスの子たちはまだミルクを飲んでいたり、泣いてばかりだったりする。1人が泣けば、次々に泣き出して大騒ぎになるのが日常。だけど晴嵐は違った。泣かず、騒がず、整然と行動し、おもちゃ一つで何通りもの遊び方を見せる。10年この仕事をしていて、こんな子は初めてだ。乃亜は少し驚いた顔をしたあと、晴嵐のおでこにキスをした。「晴嵐、本当にすごいね。ママ、感動しちゃった」正直、彼の知能の高さを考えると、園で友達と打ち解けるのは難しいと思っていた。でも、実際は予想以上に順応していた。「だって僕、ママの子どもだもん」晴嵐は得意げに乃亜の首に腕を回す。それを見た先生の目が、ほんの少し潤んだ。こんなふうに子どもが育つのは、きっと母親の教育の仕方が上手だからだ。そう思わせる、あまりにあたたかい光景だった。乃亜は鼻先で晴嵐のあごをつんと突いて笑った。「じゃあ、先生にごあいさつしよっか。もう帰る時間だよ」「先生、さようなら!」「はい、また明日ね~」先生は明るく手を振った。乃亜も軽く会釈をしてから、晴嵐を抱いたまま駐車場へ向かう。夕暮れの陽射しが、母子の影を長く伸ばしていた。車に着くと、乃亜がドアを開け、晴嵐がぴょんと乗り込む。そのあとに彼女も座り、シートベルトを締めようとしたそのとき......「ママ、これ」晴嵐がそっとカバンのポケットからパンとミルクを取り出した。パンはまだほんのりあたたかく、ミルクはしっかり密封さ
Read more
PREV
1
...
5657585960
...
75
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status