All Chapters of 機械仕掛けの偶像と徒花の聖女: Chapter 11 - Chapter 20

69 Chapters

10話 森に似合わぬ救世主

 やがて視界いっぱいを覆い尽くした閃光が消え、露わとなった正体にキルシュは目を瞠った。    ──それは、齢二十に届くか届かないかという年端の青年だった。    滑らかなハリのあるショートヘア。その髪色は暗闇の中でも淡い色をしている事が分かる。装いは暗色を基調としたジレにシャツ、下衣に革製のブーツを合わせていて、洗練された雰囲気のあるものを召している。  上背もあり、ぱっと見た雰囲気は、鋭い目付きが印象的。髪の分け目から見える眉の印象もあるだろう。とても精悍な風貌をしている。 しかし、射貫かれた瞳は人間のものではない。 その瞳は暗闇の中、煌々とした光を放っているのだ。  まるで、真昼の陽光を絞り集めたかのよな眩い金色。  そんな瞳の奥底に真鍮色のギアがゆっくりと回っているのが見える。  更によく見れば、彼の首や手首の関節部位には不自然な継ぎ目があって……。 ふと連想するのは、機械科学の産物── 「機械人形(オートマトン)……?」  キルシュは呟くと、彼は何も答えずに視線を反らした。「走るぞ」    ぶっきらぼうに彼は言う。そして、彼はキルシュの手首を掴む獣道を駆け出した。 その一拍後、禍々しい咆哮を上げて異形の生き物は二人を追い始める。「**あああああ! 許さない、許さない、憎い……憎い!**」  のろのろとまどろっこしい、呪詛のような言葉が後方から響き渡った。 しかし彼の足は速すぎた。とてもでは追いつけず、さっそく足がもつれて転びそうになった瞬間だった。「仕方ないな」 痛い程に手首を引かれて、腰を掴まれた。そうして抱え上げられるなり、彼の肩に担がれる。   「──!」 咄嗟の事に驚いてしまった。  落ちないようにと片腕でがっちりと腰に腕を回し……思いきり、おしりを触られているが、それどころではない。 背後からこの世の生き物とは思えない恐ろしい奇声が聞こえてくる。  ふとキルシュが身体を少し起こして後ろを見ると、やはりあの恐ろしい生き物が涎を垂らして追ってきていた。「ねぇ。な、何なの……あれは。あの、貴方は!」 「今は喋るな、舌を噛むぞ!」  目もくれずに彼は答えた。  そうして、腰に回す手の力を強め、彼は加速する。  ついでにおしりの肉を強く鷲づかみにされて恥ずかしくなるが、本当に今はそんな事を考えて
last updateLast Updated : 2025-04-02
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11話 初めては甘やかで

 ……と、言っても近すぎるだろう。  キルシュは彼からぷいと顔を逸らす。「な、何?」 いくら顔が格好良くて、人のように感情を持ち自立し思考するように思えても、人ではない。何を考えいるのか当然のように分からなかった。キルシュは、彼を一瞥した途端だった。すぐに頤を摘ままれて、無理矢理彼の方を向かされる。「……!」 頭から湯気でも上がってしまいそうだった。キルシュは真っ赤になって彼から目を逸らす。  堪らぬ羞恥は、具象の花を手のひらから次々に芽吹かせる。薄紅の蕾が膨らみぱっと小さな小花を次々に咲く様はまさに感情現れ。いたたまれない羞恥にキルシュは追い込まれる。「俺は一つ、おまえに頼み事をしなきゃいけない」 ややあって言った彼の声は少し震えていた。  おっかなびっくりとキルシュが彼を見ると、光る目のせいでうっすら分かる彼の顔が紅潮しているのが分かった。「頼み事?」  訝しげにキルシュは見る。彼は頷いた。「俺に少しヘルツを……おまえの《心(ヘルツ)》をくれないか?」 「心(ヘルツ)?」  キルシュは眉をひそめて復唱した。 ──ヘルツとは、宗教学的に〝心そのもの〟を示す言葉だ。 『心が欲しい』それがいったい、何を示すのだろうか……キルシュは困惑し何度も目をしばたたく。「《心》は力の発動させる為の原動力だ。さっきおまえを助けた時に、殆ど使い果たした。あと数時間しないと、俺の《心》は回復しない。このままだと俺たちは安全な場所に逃げ切れないと思う」 ──おまえを守らなきゃいけない、だから頼みたいんだ。と付け添えて。彼は、キルシュを上に向かせた。    確かこんなシーンは、夜に部屋で一人密やかに楽しむ娯楽、恋愛小説で見た事がある。  男性に頤を摘まみ上げられて、上を向かされて……そう。作中のヒロインたちと、全く同じ状態に置かれている。ああ、きっと、そうに違いない。  これから、されるであろう事をキルシュは安直に想像できてしまった。  とはいえ、当然心の準備が必要なもので……。「ねぇ、ちょっと……まって、あの」 「時間がない」 「私が貴方に《心》をあげたら、あの亡霊を倒せるの……?」 キルシュの言葉に彼はやんわりと微笑んだ。「当たり前だろ? 出来損ないとはいえ、俺は強い」 「……分かった」  いいよ、だけど……と言葉を続けようと
last updateLast Updated : 2025-04-04
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12話 記憶の鍵はそこにある

 ──霞のかかった白の視界は次第に色が付き始めた。黄昏を連想させる金と茜が交じり合う……そんな光が空間いっぱいに満ちていた。 記憶に無いが、そこはどこか見覚えのある景色で……。唖然としたキルシュは辺りをぐるりと見渡した。  なだらかな曲線を描いて広がる木目調の高い天井に、高い場所にある窓には蔓草を象ったアイアンの窓飾り。どこかの礼拝堂だろうか。『なぁキルシュ!』 途端に呼ばれた少年の声にキルシュが、振り向くと壇上のステンドグラスの前に少年と少女が立っていた。年齢は十歳に満たない程で……。 その光景を見た瞬間にキルシュの側頭部はズキリと痛んだ。  そこに立っている少女は、紛れもなく幼い頃の自分自身。茜色の髪に、若苗色の瞳。そんな小さな自分の正面で手を差し出している少年は、真夏の陽光を束ねたかのような金髪だった。  しかし不思議と彼の顔ははっきりと見えなかった。  それでも大きな特徴が見えた、左手の甲にある火輪──まさに太陽を象ったかのような能有りの紋様がある。それをはっきりと見た瞬間にキルシュの胸は痛い程に爆ぜた。喉の奥が嫌に乾いて苦しい。(何なの、これは……私は確か真夜中の森に居たはずで)  どくどくと自分の脈が煩くなって、呼吸が苦しい。  身体が心が〝これ以上は見るな〟と拒絶している感覚もあるが、壇上の二人から目が逸らせない。 幼きキルシュは差し出された彼の手を取り、やんわりと微笑んでいた。  ……自然に普通に笑えている。今ではできない事に、キルシュは唖然としてしまった。『おれね、キルシュが大好きなんだ。大人になっても最高の親友でいよう。それでな、いつか……いつかは……』 顔の見えない少年は言葉を詰まらせる。そんな様子に幼いキルシュは首を傾げて彼を見上げていた。『なぁに?』 『──っ! いつか、おれの事を本当に好きになってくれたら、お嫁さんになってほしい!』 そう叫んだ彼に、幼いキルシュは繋いでいた手をぱっと外して彼に飛びこんだ。   『もちろんなの。ずっと傍にいて! だいすきよ、ケルン』 ケルン。  記憶にも無い名前だった。その名を聞いた途端、ぼやけて顔が見えなかった彼が次第に鮮明になる。ぱっちりとした、つり目。その双眸を彩るのは青空やネモフィラの花を思わせるよう……青い瞳で。 照れたように、はにかむ彼。微笑む幼い自
last updateLast Updated : 2025-04-07
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13話 思い出す事がただ怖い

 本当にどうしてなのだろう。なぜ、こんなにも悲しいのか、切ないのか分からない。  嗚咽を溢して泣くキルシュに彼はしゃがんで手を伸ばす。そうして、優しく髪を撫で頬を撫でて……濁流のように溢れ落ちる涙を掬った。   「泣き虫は相変わらずなんだな。ほら行くぞ」 ──立てるか? と、優しく言って。彼はキルシュに左手を差し出した。  そこにある太陽を象る火輪の紋様はいびつに引き裂かれていて……それを見た瞬間にキルシュの瞳は余計に潤った。  ああ、間違いない。先程の幻視の中で見たものと違いない。彼はきっと〝元〟能有りだ。そして恐らく、人間だったに違いない。そう考えるのが自然だった。   「……ケルン」 キルシュが小さく呟くと、彼はどこか切なげに笑んでキルシュの手をやんわりと握る。   「俺の名前、思い出してくれたんだ」  そうだ、ケルンだ。と彼は言って、彼はキルシュを抱き寄せた。 男の人に抱き締められたのは、記憶上初めてだった。  無骨で胸板が固くて少し厚い。機械人形にしてはあまりによく、出来過ぎている。皮膚も人間の質感と何ら変わらなくて、首筋から感じる匂いが何だか、温かなお日様のようで。何だか不思議と懐かしい心地がする。「……ねぇ、どうして。私は貴方の事を何も知らないのに、どうして」    分からない事が怖い。けれど、知る事が怖くて堪らなかった。  忘れた記憶が今にも蘇りそうだ。キルシュがこめかみに手を当てた途端だった。  目を瞑って真っ暗な視界の中、ボーンボーン……と柱時計のような音が鳴り、胸の奥がたちまち凍てつくように冷たくなる。    ────怖い。嫌だ、忘れたくない。忘れたくないよ。 しゃくり上げるように嗚咽を溢し、懇願する幼い自分が浮かび上がる。目隠しをされているのだろう。視界は塞がれていて、何も見えない。  身動き一つ取れなくて、ただならぬ恐怖で身体が強ばった。 ひっ。と、キルシュが、目を瞠った瞬間に、彼は途端にキルシュを今一度抱き寄せた。  まるで、〝そちら側に行くな〟という
last updateLast Updated : 2025-04-09
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14話 目覚めたそこは

 パタン、と静かに扉が閉まる音がした。  暖かく、柔らかな陽の光に頬を擽られて、キルシュはゆっくりと瞼を持ち上げる。(……ここは) 思い浮かんだのは、昨晩の出来事。  喋る鳩に、自立し思考する機械人形──しかも、元は人間だったらしい。 どちらも現実離れしていて、まるで夢でも見ていたような気がしてしまう。けれど、見慣れぬ天井画とふかふかの寝具の感触が、ここが学院寮でも伯爵家の屋敷でもないと物語っていた。(……どこだろう) 疑問よりも先に、空腹が主張する。  どこからか、ベリーを煮詰めたような甘酸っぱい香りが漂ってくるせいもあるだろう。それがジャムなら、パンにたっぷり塗って頬張りたい。そんな事を考えながら、キルシュは寝返りを打った。 無理もない。最後に食べたのは、帝都の寮での朝食。あの晩、出された食事も口にできずじまいだった。  せめて夕飯だけでも食べておけばよかった……と、ぺったんこの腹を擦った瞬間だった。『ケケケ……起きたか、徒花の眠り姫』 ひょいっと光の渦が現れ、昨夜見た喋る鳩──ファオルが羽ばたいて現れた。(……夢じゃ、なかった) あまりに現実離れしていたせいで、幻でも見ていたのではと思っていたけれど……本当に目の前にいる。安堵と困惑が入り混じって、キルシュの唇は自然と緩んだ。 そんな表情を見かねたのだろう。ファオルはツンとキルシュの額を嘴で突いた。「いだっ!」 『なに惚けた顔してんだよ~ほんと、お気楽だよなぁ~』 見た目は可愛いのに声は憎たらしい。キルシュは額を擦りながら睨む。「何するのよ……痛いじゃない!」 『だってさぁ徒花見てるとなーんか、ムカつくんだもん。なんかこう、図太くて。面白いけど』 その言いぐさに絶句しかけるが、昨日から察していた。  ファオルは、こういう捻くれた性格なのだ。いちいち反応しても損だと、キルシュは無言で身体を起こす。 ──コン、と扉をノックする音がして、間もなく柔らかな声が届いた。「あらあら。声がすると思ったら、起きていたのね?」 現れたのは、キルシュより幾分も年上に見える女性。処女雪のような白く長い髪、深い菫色の瞳、レースの沢山あしらった黒衣のワンピース──その姿は、まさに物語から出てきたような“聖女”だった。 あまりの美しさに見惚れてしまい、声が出ない。「あら、体調が優れない
last updateLast Updated : 2025-04-11
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15話 その揶揄いは不快ではなく

 ……そうだ、キスしたのだ。  しかも初めてのキスで、舌まで絡められて──随分と官能的な口づけだった。 けれど、不思議と不快ではなかった。少し……いいや、びっくりするほど気持ち良かった。自分でも意味が分からない。  思い出しただけで身体中が熱くて、口腔内に舌の感触が蘇る。  キルシュは顔を真っ赤にして、唇を押さえた。 それに、あの記憶の中の少年が、もしや彼と同一人物──ケルンだとしたら。『いつか、おれのことを好きになってくれたら──お嫁さんになってほしい!』 そんな子どもらしい言葉が脳裏に蘇る。  あの頃から、ずっと好いてくれていたのかもしれない。あの日、初めて会った瞬間の「見つけた」も、偶然じゃなかった。 ファオルの事もある。  まるで彼は最初から、〝この日を待っていた〟ように思えてしまう。 だけど、あの過去視は現実感がなさすぎた。  ……あれも幻視か何か、都合の良い夢だったのでは? 変な力で誤魔化されていたのでは? 真っ赤な顔のまま黙考に沈んでいると──「キルシュちゃん、大丈夫? 顔、すごく赤いわよ」 シュネに心配そうに声をかけられ、はっと我に返った。「す、すみません。いろいろ思い出してぼーっとしてしまって」 「いいのよ。でも驚いたでしょう、彼……あんなに精巧な機械人形だなんて」 「……はい」 「私も最初は驚いたわ。確か五年くらい前だったかしら」 ──きっと私たち、似たような立場だから。話してもきっと問題ないわ。シュネは薔薇色の唇をわずかに綻ばせ、静かに語り出す。「私、北西部にあるシュトルヒ子爵領の牧師の娘なの。母は優しかったけど、父は私が能有りだって事を忌々しく思っていたみたい。二人は私のせいで喧嘩ばかりで……結局、母は私を置いて出て行ってしまったの。それで五年前、父に決められた婚約から逃げたくて、この森に死ぬつもりで入ったのよ」 聖職者の娘──つまり貴族ならば子爵と同じくらいの地位だ。  それにしては、彼女の語る過去はあまりに重い。けれど、どこまでも淡々としていて、顔色一つ変えずに続ける。「そして、森で《狂信者》に襲われて……あの子に助けられたの」 その瞳に、少しだけ影が差す。「ただ、ケルンは自分の事はあまり話さないの。でも──」 言い淀むような口ぶりに、キルシュはつい続きを促す。「でも?」 「実は……
last updateLast Updated : 2025-04-14
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16話 忌まわしきの象徴の名残

 昼食を終えると、シュネは「館内を案内するわ」と言い、キルシュを連れてゆっくりと歩き始めた。 ──こんな森の中に建物がある事にも驚いたが、それ以上に、その内装の絢爛さに目を奪われる。 月白の塗料で塗られた螺旋階段は優雅な曲線を描き、歩を進めるたびに軋んだ音を上げる。手すりの下には唐草を思わせる格子装飾が施され、廊下に敷き詰められた臙脂の絨毯や、壁に並ぶ燭台は煤けて黒ずんでいた。  どれも古びてはいるが、ひどく丁寧に手入れされている事が見て取れる。 まるで、数世紀前の貴族の屋敷のようだった。 どの部屋にも、天蓋付きの大きなベッドや、華美な調度品が設えてあり、奥には蜉蝣の羽根のようなベールを掛けた猫足のバスタブが置かれている。  楕円型の間取りに、窓までもが柔らかく丸みを帯びていた。    そして〝これでもか〟と言わんばかりの漆喰装飾の数々──。  あまりの煌びやかさに、キルシュは目眩を覚える。 そうして最後に案内されたのが、こぢんまりとした礼拝堂だった。 白と金を基調とした祭壇には、天使や聖人の彫像が左右対称に配置され、飾り柱にはびっしりと繊細なレリーフが刻まれている。  見惚れるほどの美しさに、キルシュは思わず天井を見上げ──息を呑んだ。 ──太陽が輝く雲の上で天使たちが歌う。  その対極、茜髪の聖女が闇の中、黄金の光を抱き茨の弓を引く絵が広がっていた。 色鮮やかな天井画は、荘厳でありながら、なぜだか、胸をざわつかせるような不穏さがあった。「綺麗でしょう? でもね……私も初めて見た時、なんだか不安な気持ちになったの。キルシュちゃんと同じ反応ね」 隣に立つシュネが、そっと声を落とす。 キルシュは天井画に目を戻し、眉をひそめた。  根拠は無いが──いや、手の甲の紋様がじんわりと温かく疼いた気がした。嫌な予感に似たその感覚を振り払うように、キルシュは言った。「シュネさん、外の景色も見てみたいです」 シュネは「ええ」と頷き、再び歩き出す。 エントランスホールは天井が高く、スノードロップの花を束ねたようなシャンデリアが煌めいていた。壁一面のステンドグラスから差し込む光が、床に七色の影を落とす。建物自体はかなりの古さを感じさせたが、本当に丁寧に管理されている様が窺えた。    シュネが扉を開けると、眩い光が差し込んでくる。 ──
last updateLast Updated : 2025-04-16
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17話 昨晩の鮮烈な記憶

「揃いも揃って騒がしいなぁ……」 欠伸を混ぜた間延びした声が、葉擦れの音とともに落ちてくる。  ストン。音もなく枝から降りてきたのは、昨晩出会った灰金髪の青年──ケルンだった。 その姿は目を惹く。彼はなかなかの長身だ。なのに、誰も気づいていなかったのが不思議なくらいだ。  けれど、驚いたのはキルシュだけ。他の二人──シュネとファオルにとっては日常の事らしい。「もう、ケルンってば。寝るなら部屋で寝ればいいのに……木から落ちたら危ないわ」 肩を竦めて呆れ気味に言うシュネにケルンは、伸びをしながら欠伸を一つ。「天気が良いから、昼寝は外の方が気分が良いんだよ」 …………機械人形も寝るんだ。と、どうでも良い感想が頭に浮かんだ。  だが、彼は間違いなく後天性。だから、別にそれが普通なのだろうと納得する。  しかし彼の顔を……薄くも形の良い唇を見た瞬間に、キルシュの脳裏には昨晩の事が蘇った。 《心(ヘルツ)》をくれ。そう頼まれて。上を向かされて、大人のするような、随分と情熱的で官能的なキスをされた。それも初めてのキスで……。 その唇は温かみがあった。食まれ、貪られるように何かを絡め取られ……と、生々しい程に鮮明な感触が途端に口の中に蘇り、キルシュは慌てて唇を押さえた。   (普通なら嫌な筈なのに。ファーストキスなのに。なんで私……)    キスは心を通わせて両思いになった愛し合う男性とするもの。  そういう常識があるのに。そうが良かった筈なのに、あんなに無理矢理……。  それなのに、ただ恥ずかしいだけで、決して嫌な心地が無かった自分にキルシュは戸惑った。(恥ずかしい……私、はしたない子みたい) 顔面が熱くて堪らなかった。キルシュは真っ赤になって俯いてしまう。  そんな様子に見かねたのだろうか──彼は赤くなって震えるキルシュに近づくと、背を折り曲げて視線を合わせる。「キルシュどうした?」    彼の瞳は夜とは違い光を放っていなかった。  それでも、その瞳の奥にはやはり真鍮色のギアがゆったりと回っているのが見える。  そんな瞳の際──よく見ると、彼の右目の際には機械の繋ぎ目のようなものがあった。その側には装飾のように鈍色のビスが二つ埋め込まれていて……。やはり人ではないのだと思わせる。 陽の光の下で初めて見た率直な感想は、ただ美し
last updateLast Updated : 2025-04-18
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18話 悩める少女の眠れぬ夜

 その日の夕食は、穀物が練り込まれた黒いパンに、キノコのスープ。焼いた魚と腸詰め肉に、甘酸っぱいベリーソースが添えられていた。  シュネは基本的に自給自足と物々交換の生活をしているらしい。  森で採れたキノコやベリーをレルヒェの市場で小麦や肉、衣類と交換し、魚は夕方前になると台所に置かれているそうで──恐らく、ケルンが湖で釣ってくるのだろう、と言っていた。  ケルンの生活については、五年半もともに暮らすシュネでさえよく分からないそうだ。  ただ、晴れた日中は教会の近くでああして外で眠っていて、夜になると動き出す。まるで野生動物のような暮らしぶりらしい。  だが、ケルンは動物とは違う。無機物だ。  だから、食事は必要ないという。それでも全く食べられない訳では無いそうだが、基本的には要らないと。  シュネも彼が何かを食べる場面は、五年間で一度も見た事がないらしい。  確かに、身体の中身が機械仕掛けになっている以上、食べ物からのエネルギーで動いているとは考えにくい。  何が彼を動かしているのか……不思議な疑問が浮かぶ。  けれど、思い出すのは──あの時、力を解放するために、彼はキルシュの《心》を喰ったという事。  その時、確かに「回復するのに」と口にしていた。  つまり、普段は眠る事で自然に力を蓄えているのだろう。  そもそも、彼が「機械仕掛けの偶像になり損ねた」と語っていた事や、ファオルという神秘の存在との繋がりを思えば、きっと彼の動力もまた、人知を超えたものに違いない。  ──けれど、これ以上は考えるのを止めた。  やはり、キスの事ばかり思い出して胸がムズムズしてしまうのだ。  湯浴みを終えたキルシュは、与えられた部屋のベッドで、お気に入りの古書を開いた。  今身につけているのは、シュネが貸してくれた卵色のナイトドレスだった。  森に咲くホタルブクロの花のようなデザインで、胸や腰はぴったりとしているのに、裾はふわりと何重にも重なったフリル。可憐でありながら、大人の魅力もある──そんな夜着だった。  厚手の長袖で、今着るには少し早いけれど、季節が進めばきっと重宝するだろう。  聞けばこれは、シュネがこの森に来たばかりの頃に着ていたものだという。当時の年頃なら、ちょうど今のキルシュと同じくらい。  ただ、背の高いシュネの夜着は、キ
last updateLast Updated : 2025-04-21
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19話 暗闇に光る金の双眸

 午前二時過ぎ。キルシュは静かに部屋を抜け出し、手燭を手に台所へ向かった。 夕食の時、「ベリーのジャムと黒いパンは作り置きが沢山あるから、いくらでも食べて」とシュネが言っていたのを思い出したのだ。 たぶん、糖分が足りていないせいで、こうも暗い気分に呑まれるのだろう。  一人で納得しながら、軋んだ音を立てぬよう螺旋階段を足早に下りていく。 この教会は、過剰な装飾に反して構造自体は単純だ。二階には部屋が四つ、下には台所と礼拝堂、あとは長い廊下があるだけ。  だから一度案内されただけで、すべての配置を把握できた。 台所に辿り着いたキルシュは扉に手をかけ、真鍮のノブを捻って引く。  その時──闇の奥で〝何か〟が、ゴソリ、と蠢いた。 何事か。まさか、《狂信者》だろうか?  だが、彼らはこの教会近辺にまず近づかないとは聞いた。  手燭を握る手はカタカタと震え、手のひらから手首を這ってゆっくりと蔦が萌え始める。   「……誰かいるの?」 恐る恐る声をかけると、闇の中にふたつ、ぽっと灯る金色の光が浮かんだ。 目、だ。 それに気づいた瞬間、「ひっ」と悲鳴をあげかけた。  その瞬間──〝それ〟は目にも留まらぬ速さでキルシュの背後をとった。 羽交い締めにされ、唇を塞がれる。「──ん!」 悶えながらキルシュは上を向くと、間近で黄金に光る瞳と視線が交わった。  整った顔には明らかな焦燥が滲み出ていて……。   (ケルン?) 間近で見る彼の顔。精悍な輪郭と神秘的な光を宿す瞳に、自然と胸の鼓動が高鳴った。   「……騒ぐな。シュネが起きる」 何かを口に含んでいるようなモゴモゴとした喋り方。その時、ベリーの甘酸っぱい香りが掠め、キルシュは首をかしげる。   「何、してるの……」    向き直って訊けば、ケルンはばつが悪そうに視線を逸らす。  その頬には赤みが差し、唇の端には……赤い何かが付着している。    間違いなく、ジャムだ。  その手には木製のスプーン、テーブルには開いた瓶が置かれているのだから。   「その。身体が身体だから腹は減らないけど、口寂しくなる事はある。あと味覚は普通にある。甘いものが好きで、だからその……」    ……つまみ食いしていた。  と、視線を反らした彼は語尾に行く程に弱々しく言う。  
last updateLast Updated : 2025-04-23
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