All Chapters of 機械仕掛けの偶像と徒花の聖女: Chapter 21 - Chapter 30

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20話 その瞳はあまりにも真っ直ぐで

「な、なんでよ……」  唇をわなわなと震わせて問いかけると、ケルンはニタリと、悪戯っぽく笑った。  二十歳前後の年端と思しいが、けれどその笑み方は悪戯小僧そのものだった。 「舐めたら甘そうな身体を無防備に見せてきたくせに。いいだろ、これくらい」  ──そのくらいの仕返し、させろよ。そう言い添える彼の笑みに、キルシュは顔を真っ赤にして睨みつけた。  ……確かに、油断していた自分が悪い。それでも、どこか納得がいかず、むっと頬を膨らませる。  しかし、「甘そう」って。  その言葉が頭を離れず、キルシュはますます頬を紅潮させた。 「……機械人形の癖に変態よ、不浄よ。ファオルと関わりがある時点で、貴方って一応は刻の偶像に関わりがある神聖な存在なんでしょ?」  むくれて言うと、ケルンは目を細めて、少し気まずそうに顎を掻いた。 「あのな、キルシュ。……さっきも言ったけど、俺は〝出来損ない〟で不完全だ。だから、人と同じように成長してるし……普通に〝男としての機能〟も残ってるんだよ?」  ──無防備なお前を見て、心配にもなるし……まあ、色々考えてしまうのは仕方ないだろ。  ふて腐れたように呟く彼は、どこまでも人間くさかった。  精悍な顔立ちに不釣り合いなほど、ころころと表情を変えるのが不思議で、キルシュは思わずシャツの裾をきゅっと握る。 「確かに貴方の事は、元が人間だって分かっているけど……」  自立し、思考し、自我を持つ。それは、もう人と何ら変わらない。  蘇った記憶の中にいた彼も、間違いなく人だった。  髪の色も瞳の色も違うが、確かに面影はあった。  きっと、今目の前にいる彼こそが〝大人になった姿〟なのだろう。  ……けれど、どうしてこんなふうになってしまったのか。  考えるまでもなく、そこにはきっと深い事情があるのだろうと察せられた。  記憶の中では親友。だが、今の自分たちは──まだ、昨日会ったばかりの他人だ。 「ごめんなさい、私、とても無神経だった」  キルシュはすぐに詫びた。  こんな発言、気分を害してもおかしくない事だ。キルシュは不安になってケルンを見るが、彼は首を横に振る。 「気にするな。事実だから。……確かに、俺は、元々は人間だった」  本当に何も気にしていないような、あっさりとした口調だった。 「そんな顔するなよ
last updateLast Updated : 2025-04-25
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21話 どう考えても同一人物で

『キルシュの力って本当に綺麗だなぁ……』 少年の感嘆とした声が脳裏に心地良く響く。  玻璃を貫く斜陽は赤や黄、青に緑に白と複数の光を落としていた。やがて映し出されるのは、昨晩見た景色と同じ、木造立ての礼拝堂の中だった。 聖母の美しいステンドグラスの正面の座席に腰掛けているのは〝人であった頃のケルンと思しい少年〟と幼い自分の二人だけ。  幼いキルシュは、自分の名と同じ桜桃の花を手にひらから萌やしては光に還す……と、自分の力で遊んでいた。『なぁ、キルシュって確か、見た事のある花は何だって、出せるんだよな?』 『うん、そうだよ?』    幼いキルシュは花咲く笑顔でふわふわと答えた。    ──キルシュの持つ能有りの力は、草花を芽吹かす力。  だが、これは〝キルシュ自身が見た事がある植物のみ〟という限定的な条件付き。    恐ろしい事があれば、蔓薔薇の茨となり身を守ろうとする事もあるが、これだって〝見た事があるもの〟だから具象できる。  しかし、能有りの力は感情に左右されるもの。  大袈裟に肥大し、実物を上回る恐ろしい大きさになる事もあるが、意図的に具象する分には普通の花の大きさと変わらない。  手のひらから出す事もできるが、地面に手を置けば、辺り一面を花畑にもできる。使いどころは不明でどこまでも無駄な力だが、確かに自分の力は〝綺麗〟とキルシュ自身も思っていた。  能有りになんて生まれたくなかった。  それは常に思うが、素直に花は好きだった。 どこまでも無害で、美しい。  その気持ちは幼い頃も変わらず同じだったのだろう。  幼いキルシュは得意になって今度は大量のかすみ草の花を芽吹かせて宙に散らしていた。  ふわふわと小さな花が降り注ぐ様は雪のよう。床に落ちると光に還り、キラキラと空間に漂った。  その光景を見て、ケルンだった少年は『すげぇ』なんて身を乗り出し、目を輝かせる。『なぁ! そうだ、キルシュ。おれさ、向日葵って花が見てみたい!』    前のめりになる彼に、幼いキルシュは首を傾げる。『ひまわり?』 『西の国の花みたい。おれの能有りの紋様に似てる花ってシスターが言ってたんだ』 そう言って彼は、壇上の机の中を漁って、そこから紙とペンを取り出すと、床にしゃがみ──自分の手の甲を見ながら絵を描き始めた。  その絵は子
last updateLast Updated : 2025-04-28
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22話 神に仕えるその役割

「あ、起きた」 片や、自分を覗き込む彼はしれっとした平坦な調子だった。  しかし、どうしてだ。先程までソファに座して二人で話していた筈なのに場所が変わっている。  背中に感じる柔らかさ、そして彼の顔の向こうに見える見慣れぬ絵は恐らく天蓋裏。視界の隅に透けた素材のレースを諄い程にたっぷりとあしらったベール……。  間違いなく、ここがベッドの上と悟ったキルシュは、かぁあっと頬を赤く染めてもげるほど首を振る。   「──ちょ、ちょ、ちょ! ちょっと待って!」 どうしてこうなった。  本当にこれでは、半裸の彼に組み敷かれているようで……。  あたふたとしたキルシュはプルプルと首を横に振って抵抗しようとしたが──「は?」    いったい何の事なのか……と、いった具合にケルンは神妙な面持ちで小首を傾げる。  それでも、キルシュの言いたい事を察したのだろう。  彼は、「くく」と喉を鳴らして笑い声を漏らしたかと思うと、途端に噴き出すように笑い出す。「……え?」 何が何だか。キルシュは横たわったまま訝しげに彼を見る。  そうして一頻り笑うと、彼は眦にほんのり滲んだ雫を拭ってキルシュを見下ろした。   「悪い。運んだ後、寝かせたらスカートの裾が乱れてたから直したんだ。何だかキルシュが苦しげな顔をしてたから心配になって覗き込んでたんだよ。確かに体勢が悪かった。しかし、想像力が豊かだな」 おまえが想像するような事はしていない。ときっぱり言うと、彼は身を引いた。  つまりは全部勘違いだったのか。  キルシュはホッとするが、自分の早とちりが恥ずかしく堪らない。   しかしだ。〝不完全だから厭らしい事を考える〟だとか〝ずっと好きな子〟だとか言われてしまうと、嫌でもそう考えてしまうだろう。変に意識をしてしまうのだって当たり前だ。  キルシュはケルンをジト……と睨み据える。  しかし、焦って恥じているのが自分だけだと思うと、本当に馬鹿馬鹿しく思えてきた。  キルシュは慌てて起き上がろうしたが、ケルンはやんわり微笑み首を振る。「無理に起きなくて良い。また何か見ただろ、大丈夫か?」 そう言って、彼はベッドの縁に腰掛けて、キルシュの前髪を撫でる。「……貴方の事、また少し分かっただけよ」    むくれたまま言って、キルシュは髪を撫でるケルンの手を
last updateLast Updated : 2025-04-30
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23話 役立たずになりたくない

 痛みの森に入って一週間。キルシュはこの廃教会での共同生活に慣れようと奮闘していた。    養子とはいえ、物心付いた時からキルシュは伯爵令嬢だ。    これまでの暮らしは、食べ物を用意するのも部屋の掃除だって、何もかもが誰かにしてもらう事が当たり前だった。王都での学院寮での暮らしだって寮母がいる。    しかし、この共同生活で全部シュネのおんぶにだっこでは情けない。「……と、いう訳でシュネさん! 私に家事を教えて欲しいの!」 キルシュは懇願するよう、シュネに詰め寄った。    そんなキルシュが今纏う服はツァール帝国の民族衣装ディアンドル。  〝お嬢さん〟と呼ばれるこの装束は、貴族のキルシュに馴染みの無いものだが、内心ずっと憧れていたものだった。 ナイトドレス同様、服の換えが無いので、シュネから貰ったのだ。  しかし、まさかこんな形で「ディアンドルを着たい」という夢が叶うとは思わなかったが……。 そんな密かな夢を叶えてくれた(知りもしないだろうが)シュネの為にできる事は無いか?  そこで率直に浮かんだのは家事。キルシュは目を爛々と輝かせる。「え、えっと……そうねぇ。でもキルシュちゃんそんなに意気込まなくたっていいのよ?」 「でもでも、だって。私は何もしないで出されたご飯貰って寝て、何もしないなんてありえないもの。掃除も洗濯も、ご飯作りも!」 全部教えください! とキルシュが前のめりになるとシュネは困惑した顔で頬を掻く。「本当にゆっくりでいいのよ?  じゃあ一つずつ簡単な事から教えていくわ」 そう言って、シュネはその日からキルシュに家事を教えてくれるようになった。 ……しかし、キルシュの徒花はここでも発揮されてしまった。 掃除も洗濯も調理も、どれもこれもダメ。  螺旋階段の掃除で、ふらりと階段から転落しかけてシュネに慌てて助けられた。  雑巾を絞る為のバケツをひっくり返して、廊下を水浸しにした回数は五日間で三日。  洗濯に関しては、濡れた洗濯物を絞る力が足りず、水浸しのまま乾かない。  それに、食材を切るの事に関しては……シュネに一瞬で包丁を取り上げられた程。(こんな所まで役立たずで徒花だなんて……) キルシュが落胆したのは言うまでもない。逆に仕事を増やしてしまったのだから。  しかし、シュネは怒る事も無ければ面
last updateLast Updated : 2025-05-02
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24話 ほんのり酸っぱく甘ったるい

 ──昼過ぎ。キルシュは台所に立ち、腕を組んでいた。 目の前には、大きな瓶に詰められた砂糖漬けの苺。それに、ミルク、蜂蜜、卵、小麦粉。  キルシュは、まるで何かに挑むような真剣な表情で食材たちを見つめている。「キルシュちゃん、そういえば苺って好き?」 朝食の後、ふとシュネにそう訊かれて、キルシュは即座に頷いた。  苺は大好きだ。勿論、ブルーベリーもクランベリーもクロスグリも。あの甘酸っぱくて、口いっぱいに広がるベリーの香り──最高としか言いようがない。 なぜそんな事を訊かれたのかと思えば、「初夏にたくさん採れすぎちゃってね」と、シュネが砂糖漬けにして保存していた苺を消費したいとのことだった。   「楽しくなってつい収穫しすぎちゃったの。瓶詰めも街に出しても余るくらいで……。半年は持つけど、そろそろ一瓶は使い切りたいの」 そう言って、彼女は直径三十センチはありそうなガラス瓶をテーブルへと運んできた。蓋を開けた瞬間、ふんわりと広がる甘酸っぱい香り。幸せの香りだった。「試しに調理の練習に使ってみたらどう? 自由にしていいわよ」と、ウィンクしながら言い残し、シュネは街へ買い物に出かけていった。(さて……どうしよう) キルシュは頬に手を当て、真剣に考える。  調理は、今日が初挑戦。掃除や洗濯はずいぶん慣れてきたが、料理となると話は別だ。 目を閉じて思い浮かぶのは、帝都のカフェで食べた苺のケーキ。春先の限定メニュー、ふわふわのシフォンケーキに甘い苺クリーム、バター香るタルト。あれは本当に美味しかった。  ……美味しかったが、素人に再現できるような代物ではない。 では、パンケーキなら? けれど作り方も分からない。   (ああ、こんな事なら料理本も読んでおけばよかった) そうして、うんうん唸っていたところで、目の端で光が揺らぎ、手品のようにファオルが現れた。   『キールシュ。何、料理するの? 教会燃やすなよぉ~』 ……相変わらず一言余計だ。キルシュはうんざりしたように眉をひそめる。「しないわよ……何作るか悩んでるだけ」 そんな風に返しながら、ふと訊いてみた。「ねぇ、ファオル。あなたも食べ物って、食べられるの? 好きなものとかある?」 そんな風に訊くと、ファオルはよくぞ訊いてくれたと言わんばかりにつぶらな瞳を輝かせて嘴を開く。『
last updateLast Updated : 2025-05-05
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25話 赤面のキルシュ・トルテ

 キルシュがこの森に留まるようになって、早二ヶ月。  落葉樹は柔らかな金や朱に染まり、朝晩はすっかり冷え込むようになった。夜が長くなり、陽の光は遅れてやってくる。 そんな早朝、まだ薄暗い寝室で、キルシュは布団をそっと抜け出し、静かに着替えを始める。 白いブラウスに、焦げ茶の生地に小花模様が施されたジャンパースカート──ツァール帝国の民族衣装、ディアンドル。着慣れたはずなのに、胸の奥がふわりと浮き立つ。愛らしいこの服を選ぶたびに、心が温かくなるのだった。 その喜びように気づいて、シュネは新しい衣装を二着も揃えてくれた。彼女のおかげで普段の装いにも少しずつ彩りが増え、日々が嬉しくなる。 けれど、肝心なのはここから。リネンのエプロンをきゅっと結び、髪を包むように鍵編みの三角巾をかぶると、朝の支度は完了だ。 鏡の前でくるりと回り、ふわりと広がるスカートの感触に、自然と口角が緩む。あの屋敷で時折着せられていたドレスよりも、ずっと好きだった。  こんな素朴さの中に、自分らしさを感じられる気がして、嬉しい気持ちに満たされる。「さて、朝ごはんの支度に、お掃除に、お洗濯!」 頬をぱちんと軽く叩いて気合いを入れると、キルシュは、台所へと足を運んだ。 『ねぇ知ってる? 伯爵家のお嬢様が、失踪したらしいわよ?』 『駆け落ちでもしたのかしらね。お年頃の娘さんなら、自由を求めるのも無理ないわね』 『でもあのお嬢さん、孤児院の火災で唯一生き残った子って聞いたわ? 貴族社会には馴染めなかったのかしらね』 街に出たシュネからそんな噂話を聞かされたのは、数日前の事。 その〝失踪したお嬢様〟とは、他でもないキルシュ自身の事に違いない。 自分が養子だと、領民にも知られていた事をキルシュはその時初めて知った。  もっとも、街には馬車で通るばかりで人との関わりもないので、知らないのも当然だろう。  ──それでも、婦人たちは「早く見つかるといいわね」「無事だといいけれど」と心配していたらしい。 しかし、家出した当人、キルシュは伯爵家に帰る気なんて無かった。 あの暮らしは、ただ息苦しくて、自分を押し潰すようなものだった。  初めは罪悪感に胸が痛んだが、それでも今こうして、少しずつ自分の手で生活を築いていける日々は、何にも代えがたい宝物のようだった。 〝仕方ない〟と諦めてい
last updateLast Updated : 2025-05-07
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26話 機械仕掛けの王子様

 ……《狂信者》を倒すため、そして彼に力の源である《心》を渡すために、あの日、初めてのキスをした。『おまえら昨晩、会っていきなり熱烈なキスしてただろ?』    ファオルのあの発言を、シュネはきちんと覚えており── 『キルシュちゃん、ところであの件、どういう事なの?』  なんて訊かれたが、説明が非常に難しかった。 シュネの瞳には爛々とした光が躍っている。  間違いなく恋の話を期待されていると分かるが……本当にそんなものではない。多分きっと。    そもそも自分だって、よく分かっていないのだ。  こちらだって知りたい事が沢山あるくらいで……。    なので、キルシュは湖畔の木陰で昼寝していたケルンを叩き起こして、色々と事情説明を求めたのである。    それに対して、彼は堂々としていた。否、堂々とし過ぎていた。『あれは、ただの譲渡の行為だ。キルシュと俺の事か? 俺が人間辞める前は親友だった。そんで、俺がずっと好きだった子。今も好き。勿論、恋愛対象として』    ……と、ぶっきらぼうな態度ながらも、直球で告白されたのである。    シュネの反応は『まぁ』なんて夢見る乙女のよう。片やファオルは『ケッ』と煙たそうな反応だった。  言われたキルシュ本人は、本当にどう反応して良いか分からなかった。 別に迷惑と思わないし、潜在的に嫌な心地はしなかった。  ただ、照れくさくて恥ずかしくて堪らないだけ……。    彼は、自分の失われた過去を知る唯一の存在だ。  蘇った記憶の断片では、自分も彼を友人として慕っていたように思える節があった。  けれど『そうなのだろう』と理解できても、記憶は虫食い状態だ。 今、ケルンに対してどんな気持ちを抱いているのか、キルシュにはよく分からなかった。    彼は恩人だ。悪い感情は一つも無い。  暗闇で眼球が光ったり、関節や首に機械の継ぎ目が見えたりと、人ならざる姿ではあるけれど、素直にかっこいいと思う。性格も優しくて真っ直ぐだ。  だから、何だか少し気になってはいる。    ケルンとの時間は、居心地が良くて、ちょうどいい距離感だった。    昼間の森で木の実を拾う時、キルシュが籠を持つと、彼は自然と一緒に来てくれる。落葉樹の下で読書をしていれば、傍で静かに寝そべっているだけ。  キルシ
last updateLast Updated : 2025-05-09
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27話 心に燻るその想いは

 先程の事が気がかりなままだが、あまり悠長にしていられない。お日様は沈むのを待ってくれない。洗濯をしなくては……。  一息をついたあと、キルシュはすぐにバスケットを持って湖に向かい──洗濯を始めた。 あの時は、あんなにも苦しかったが、嘘のように元通り。体調に変化は無かった。しかし本当に何だったのか……だが、思い返してまた同じようになったら怖い。  今はじゃぶじゃぶと洗われる、たらいの中の洗濯物に集中した。  泡ぶくを落とし、すすぎを終えて一つずつ丁寧に絞る。しかし三人分の洗濯量はなかなかに多い。一度手を止めると、息を飲む程に美しいこの景観を暫し眺めた。    ──教会裏手側のこの湖は透度が高い。青々と清みきっていて、魚が泳いでいるのがよく見える。向こう岸は針葉樹林が生い茂り、この青と濃厚な緑のコントラストは、いつ見たって素敵だった。しかし今は冬目前でなかなかに寒い。  自分たちの住まう教会側にある落葉樹はすっかり葉を落とし、冬の姿になり始めていた。    しかし、日中のこの森は存外賑やかだった。湖や森で鳥たちが楽しそうにお喋りをしている。中でもよく聞くのはキジバトが低く鳴く声だ。明るい森にホーホーとこだまする、この鳴き声を聞くだけで何だか穏やかな気持になる。 そう思えるのは、自分の身の回りに居る鳩……否、ファオルがなかなかに甲高い声幼児の声で、毒舌で生意気だからだからだろうか。キルシュはファオルの事を思い浮かべつつ苦笑いを浮かべた。  けれど、ファオルは見た目が可愛い。脚をしまってベッドで寛ぐ姿や、羽繕いをする姿、ガツガツと豆を食べる姿を思い出すと、何だかほっこりとして、先程の得体の知れない畏怖が嘘のように緩和された。 ああ、長閑だ。ほっとした気持ちに浸りつつ、キルシュは森の景色を眺望する。    だが、昼間はこう長閑でも、この森には事実〝夜の顔〟がある。  主に新月付近。夜半を過ぎると、どこからか不気味な呻き声や禍々しい奇声が響く事がある。間違いなくこの声の正体は、あの異形の生き物──《狂信者》のそのもので。 キルシュは一度襲われているので、心的外傷になりかけている。森にきたばかりの頃……先月までは、この恐ろしい声を聞く都度、シュネの部屋に駆け込み、彼女に抱き締められ、一緒に眠った事が何度かあった。  もう十七歳。いい歳をして恥ず
last updateLast Updated : 2025-05-12
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28話 デートのお誘い

 もう声だけで、誰かは分かる。それに、どうして今のタイミングで現れたのかと思えてしまい、キルシュは半眼になって振り向いた。 「何でもないわ。ただの独り言よ」  言ってすぐ、キルシュはそっぽを向く。 今は本当に会いたくはなかった。助けられたあの日から彼の事ばかり考えてしまっている自分が恥ずかしい。悶々として紅潮したキルシュに彼は〝何が何だか〟とでもいった面で小首を傾げていた。 「それで、私に何か用なの?」 洗濯物を絞りつつ、とりあえず訊いてみる。 彼はそんなキルシュに歩み寄り、隣でしゃがんだ。「もう昼の家事は終わるのか? 終わったら暇かって聞きに来た」「ええ。あとはこれを干すだけよ……どうしたの?」 彼からこんな事を訊かれるのは初めてだ。何だか改まった感じがして、不思議に思えてしまう。キルシュは彼の方を向くと、ケルンは恥ずかしそうに頬を掻いて視線を逸らした。「あー、えっと。キルシュが昼飯を食べてからでもいい。少し出かけないか?」  緊張しているのか、困惑しているのか、それでいて恥じるような言い方だった。 そんな態度は、記憶から葬り去りたい〝シュミーズ一枚事件〟以来だ。照れた態度が珍しい。キルシュは首を傾げた。 「……出かけるって? 私も貴方も多分森の外には出られないでしょう?」「うん、だから森の中。天気が良いし、シュネも夕方帰りだろうし。それまで。少し遠出しないか? 俺良い所知ってるんだ」「それは構わないわよ? 木の実かしら、それともきのこ?」  いつも通りに何か一緒に森の恵みを探しに行くのだろう。そう思ったが──彼は首を横に振る。「今日は栗拾いでもきのこ探しでもない。デートの誘いなんだが。キルシュは俺と……機械人形なんかとデートするってやっぱり嫌か?」  そう言ったケルンは蒸気が出そうな程、耳まで真っ赤だった。片や、キルシュはポカンと口を開いていた。 
last updateLast Updated : 2025-05-16
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29話 ともに歩む晩秋の森

 時刻は十二時半直前。  朝の身支度の時のように一頻り自分の姿を確認した後、部屋から出たと同時、丁度一つ、鐘の音ボーンと響く。 三十分だ。しかし、鐘の音を聞いてふと思い出す。  ……今朝のあの記憶は、何だったのだろう。  しかし不思議と、どんな内容だったのか、キルシュの頭の中で既に靄がかかってはっきりと全貌が掴めなかった。 思えば、彼に出会ったあの晩も、過去の自分自身とケルンの記憶を見るのとは違うものを見た気がする。だが、それももう〝不快、或いは怖い記憶〟程度でしか思い出せない。    今朝の件は、苦しい思いをした事だけは、はっきりと覚えている。内容はもう虫喰いで──だが、忘れた方がいいだろう。わざわざ不快で怖い事なんて思い出す必要も無い。キルシュはそう思い正し、正面扉を恐る恐る押し開く。    扉を開いてすぐ、正面の石柱に背を預けていたケルンの金の瞳と視線が交わった。「来たか」 朝とは打って代わり、彼は落ちついた様子だった。  デートとは言うが、お互い朝の服装と変わらなかった。彼もいつもの鉄黒のシャツに焦げ茶のジレを合わせている。  しかしもう十一月の晩秋だ。ここ最近見かける都度思っている事はある……。「ケルン寒くないの?」  思わず聞くと「全く」と彼は首を振る。 「俺さ、暑いのは分かるけど、寒さは微塵も感じないんだ」なんて、彼は苦笑いで付け添えた。 ……その身体の内側殆どが金属質に侵されているからだろうか。何となく想像できてしまったが、それ以上聞くのも失礼だろう。キルシュは話題を切り替える。   「それで、遠出って?」 「行ってからのお楽しみ。俺のとっておき」 相変わらず、ぶっきらぼうな口調だが、何だか嬉しそうだった。  そうして彼はスッとキルシュの右手を取ると、指を絡め──手の甲にある能有りの紋様を包むように握る。「行くか」そんな風に行って、彼はゆったりと歩み出す。  しかし、まさかいきなり手を繋がれるなんて思ってもいなかった。キルシュはドッと赤くなる。   「ね、ねぇ。ファオルに見られちゃうよ……」 「ああ。見てるだろうけど、別に見られて困る事じゃないだろうし。キルシュが嫌じゃないなら繋いでたい」 嫌なはずがない。手を繋いで分かったが、何だか不思議と手が馴染むのだ。温かで、心地が良い。キルシュが「嫌じゃ
last updateLast Updated : 2025-05-19
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