All Chapters of 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた: Chapter 571 - Chapter 580

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第571話

言吾が行方不明になった後、あらゆる人脈を駆使して捜索したこと。慎也に救われたと知るや、すぐにでも駆けつけたかったこと。しかし、烈に屋敷に軟禁され、本港市にいる彼に会いに来ることすら叶わなかったこと。ようやく烈が監視の目を緩めた隙を突き、真っ先にこうしてお前に会いに来たのだ、と……宗厳は言葉巧みに、自分がどれほど言吾を息子として重んじ、大切に思っているかを語った。言吾こそが自分の宝であり、必ずや獅子堂家を奪い返し、お前の手に戻してみせる、と。言吾は、宗厳が獅子堂家の実権を取り戻したいと渇望していること自体は信じた。だが、自分が彼の「宝」であるなどという戯言は、一ミリたりとも信じてはいなかった。今の言吾にとって、獅子堂家の人間への期待や信頼など、もはや一片たりとも残ってはいないのだから。だが、彼はその不信感をおくびにも出さず、それどころか、心から信頼しているかのように振る舞った。つまるところ、今の自分と宗厳の利害は完全に一致しているのだ。まずは烈を当主の座から引きずり下ろす。法の裁きを受けさせるのは、それからだ。言吾のその態度にすっかり満足した宗厳は、しばらく親子水入らずの情を演じた後、諭すような口調で切り出した。「言吾、わかっているとは思うが……お前と桐生慎也は、恋敵の関係にあると言ってもいいだろう。だがな、肝心な局面では、使える駒はすべて使うべきだ」「くれぐれも、個人的な感情に流されて大局を見誤ることのないようにな。覚えておけ、烈が獅子堂家を握っている限り、お前の元妻……青山一葉の身も常に危険に晒され続けるのだ」恋敵であるという引け目から、言吾が慎也に協力を仰ぐことをためらうのではないか。宗厳はそれを懸念していた。以前、二人が手を組んだのは、あくまでも一葉を救うため。だが今回は、獅子堂家の内輪揉めに過ぎないのだから。「ご心配なく、父さん。プライドを優先して、大事を疎かにするような真似はしません」言吾のその言葉は、宗厳を取り繕うための、その場しのぎの嘘ではなかった。彼は本心からそう思っていた。宗厳の言う通りだ。烈が存在する限り、一葉の身は危険に晒され続ける。ならば、どんな手段を使おうと、烈は排除しなければならない。「うむ、そうか。それならいい」宗厳は満足そうに何度も頷いた。今回の一件を経て、言吾はより一層思慮深く
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第572話

真面目な話が終わり、言吾は慎也を見据えた。「ここまで俺に手を貸しておいて、返り咲いた後が怖くないのか。一葉を奪われるとは考えないのか?忘れるな、あいつの腹にいるのは……あんたの子じゃない、俺の子だ」言吾には、今目の前にいるこの桐生慎也という男をどう評すべきか、わからなかった。現在の彼の言動は、言吾がかつて抱いていた人物像とはあまりにもかけ離れている。甥の旭とどこか似たその問いかけに、慎也は穏やかに微笑んで答えた。「俺のものならば、君には決して奪えはしない。……そして、俺のものでないのなら、たとえ君が何もしなくとも、俺の手には入らないさ」慎也にとって、愛とは、ただひたすらに一葉の心と向き合い、その信頼を勝ち得ること。言吾や旭の存在を警戒し、牽制することなどではなかった。r慎也のそのあまりにも理性的な言葉は、以前の旭と同じように、言吾にも「この男は、本気で一葉を愛していないのではないか」という疑念を抱かせた。そう口走りそうになったが、ふと、この男が一葉のためなら命さえ投げ出す覚悟があったことを思い出す。これは、愛していないのではない。自分とは愛の形が違うのだ。彼の愛は、もっと成熟していて、もっと次元が高い。慎也の姿を見つめながら、胸を抉るような痛みが走る。だが、言吾はその痛みにただ耐えるしかなかった。自分の一葉は……もう、自分よりも優れた男を選んだのだ。生まれながらにして傲岸不遜で、常に自分が一番だと信じて疑わなかったこの言吾が、生まれて初めて、心の底から感服した。そして、自分では敵わない人間がいることを認めさせられたのだ。――桐生慎也という男に。一葉を、慎也のような男に託すこと。そこに、もはや悔しさはない。ただ、どうしようもない胸の痛みだけが、残っていた。……言吾が事故に遭ってからというもの、一葉は絶えず自分に言い聞かせていた。とにかく休まなければ。お腹には新しい命が宿っているのだから、心身をすり減らすような真似は許されない。過度な疲労も、感情の激しい起伏も、すべてが禁物なのだと。今度こそ、この子たちを絶対に守り抜く。その一心だった。だが、どれだけ強く念じても、言吾のことが頭から離れることはなかった。彼がこのまま永遠に目覚めないのではないかという不安が、不意に胸をよぎる。そのたびに、一葉の眠りは浅くなった。
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第573話

彼女には到底理解できなかった。どうして世の中に、こんな母親が存在するのだろう、と。幼くして母を亡くした柚羽だが、記憶の中の母親は、世界で一番優しく、自分たちを愛してくれる人だった。ずっと、母親のいない自分たちは可哀想だと思っていた。母親のいない子ほど、可哀想な存在はない、と。だが今、一葉の実の母親のこの姿を見て、柚羽は悟った。母親のいない子よりも、母親がいない方がましな子の方が、よっぽど可哀想だ、と。その思いに、柚羽は一葉が不憫でならなくなり、思わず彼女の手を握った。一葉が何の表情も変えず、それどころか、嘲るような光でさえ瞳に宿して母の土下座を見つめていることに気づくと、柚羽の胸はさらに痛んだ。あれほど両親の愛を渇望していた少女が、どれほどの痛みを、どれほどの絶望を経験すれば、こんな風に変わってしまうのだろう。柚羽は一層強くその手を握りしめた。「叔母様。これからは私たちがいます。私たちが、この世界で一番、叔母様を愛する家族になりますから!」一葉は彼女の方を振り返った。握られた手は温かく、かけられた言葉は、それ以上に温かかった。桐生家の人間は、本当に皆、優しい人たちだ。一見、冷徹に見えても、その内には深い温もりと愛情を秘めている。一葉もまた、思わずその手を強く、強く握り返していた。「一葉!お願い……!お願いだから、優花を、あの子だけは見逃して……っ!」今日子はゴン、ゴンと鈍い音を立てて額を地面に打ちつけ続ける。無視しようにも、その音があまりに痛々しく響き、耳を塞ぐことさえできなかった。一葉の思考を追いかけるように、その音が脳内に鳴り響く。もはや、この女のために一秒たりとも時間を無駄にしたくはなかった。さっさと人を呼んで引きずり出させ、自分たちは予定通り買い物に行こう。そう考えかけた、その時だった。ふと、ある考えが一葉の脳裏をよぎる。彼女は、今日子を引き離すよう指示する代わりに、別の命令を下した。以前から用意させていた調査資料を、今日子に見せるように、と。今日子は資料に目を通そうとしなかったが、一葉の部下たちは有無を言わさず、彼女の頭を押さえつけて無理やり読ませた。今日子が全てを読み終えたのを車内から確認すると、一葉は、それまで握っていた柚羽の手をそっと離した。そして、車の窓を開け、窓枠に肘をつくと
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第574話

まるで、頭の真ん中に雷が落ちたかのようだった。今日子の思考は完全に停止し、目の前が真っ白になる。このあまりにも残酷な真実を、どう受け止めればいいのか。何を考えればいいのか。何もかもがわからなくなり、ただ、耐え難いほどの虚無感に、その身を委ねるしかなかった。これまで一葉は、父があの人のためなら命さえ投げ出すほどの想いを抱いているのを見て、母は一体どんな気持ちで父と連れ添ってきたのだろうかと不思議に思っていた。だが、それは考えすぎだったのかもしれない。国雄は今日子を愛しておらず、ただひたすらに胸の中の「想い人」を追い求めていた。そして今日子もまた、国雄を全く愛してはおらず、ただ若い頃に焦がれた、手の届かなかった男性を想い続けていただけだったのだ。二人の結婚は、双方にとって妥協の産物でしかなかった。そんな打算的な関係の二人は、互いを単なる「生活を共にする相手」としか見ておらず、愛情などひとかけらもなかった。そんな二人の間に生まれた子供たちに対しても、深い情が湧くはずもない。ただ、哲也は男の子だった。この跡取りの誕生は、青山家だけでなく、今日子の実家にとっても後継ぎができたことを意味した。だから、二人は哲也をことさら大切にした。そうして大切にされるうち、哲也に対しては次第に本物の愛情が育まれていったのだろう。一方で、女の子である一葉は重要視されなかった。もとより愛情の薄い二人にとって、彼女の存在はますますどうでもいいものになっていく。――そして、優花という存在が現れてからは、特に。そして今日子に対しては、一葉は少しばかり感傷的な思い違いをしていたことに気づかされる。ずっと、こう信じていたのだ。母が最初から優花にそこまで肩入れせず、自分に辛く当たらなかったのは、十月十日お腹を痛めて産んだ実の娘に対し、わずかでも情があったからなのだ、と。後に母の態度が豹変したのは、全て父が仕組んだ誤解のせいなのだ、と。だが、違った。全く違ったのだ。今日子が当初、優花に冷たかったのは、決して一葉への愛情からではなかった。優花の父親・拓海が交通事故で亡くなったのは、優花のためにケーキを買いに行ったことが原因だと信じていたからだ。つまり、今日子、優花が彼を死なせたと考えていたのだ。だからこそ、彼の忘れ形見である優花を引き取りはし
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第575話

愛情の全てを注いで育てた相手が、想い人の命を奪い、その唯一の血筋まで絶った仇だったなどという事実を、今日子が到底受け入れられるはずもなかった。いっそ死んだ方がましだとさえ思うほどの真実。そのあまりの衝撃に、彼女の理性が悲鳴を上げる。理性では、これが偽造などではなく、紛れもない事実だとわかっているはずなのに、それでも彼女は頑なに、すべては一葉のでっち上げだと、自分に言い聞かせるように叫び続けた。耐えきれない苦痛のすべてを、罪のすべてを、再び一葉に押し付けなければ、彼女は正気でいられなかったのだ。もはや、その言葉が一葉の心を傷つけることはなかった。彼女はただ静かに微笑み、母を見つめる。「好きに思えばいいわ。どうせ、あなたがどう思おうと無駄なこと。私にはもう手出しできないし、あなたの大切な優花を救うこともできないんだから」一葉のその不遜な態度と、冷たく突き放すような言葉は、かろうじて平静を保っていた今日子を、再び狂気の淵へと突き落とした。「この、人でなしッ!こんな性根の腐った子だってわかってたら、生まれた時に、この手で絞め殺してやればよかった!」一葉は嘲るように唇の端を上げた。「それは残念だったわね。どうしてあの時、そうしなかったの?今さら殺したくても、もう無理でしょうけど」聞き慣れた罵詈雑言も、もはや一葉の心を揺らすことはなかった。かつては、この一言が鋭い刃物のように彼女の心を抉ったものだ。実の母親にさえこれほど憎まれている自分に、生きている価値などあるのだろうか、と。母がこの命を望むなら、いっそ差し出してしまおう。本気でそう思い詰めていた夜が、幾度となくあった。だが、今の彼女の心を占めるのは、絶望ではない。冷たく、そして静かに燃え盛る怒りの炎だった。なぜ、この命をくれてやらねばならないの?心の中で、一葉は問い返す。命を返すべきは私の方ではない。産んでおきながら、母親としての務めを何一つ果たさなかったあの人が、この私に、自分の娘に対して、一生をかけて償うべきことなのだから。愛してもいない相手との子供が欲しくなかったのなら、初めから産むべきではなかったのだ。「あなた……っ、あなたねぇ……!」あまりの怒りに言葉を失う母を、一葉は冷めた目で見つめた。これ以上、意味のない罵倒に付き合う気はない。彼女は軽く手を振
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第576話

これまでは、一葉の心に言吾という大きな山がのしかかっていた。慎也は、そんな彼女の心を慮ってか、その優しさを日常生活の細やかな気遣いの中にだけ留め、決してそれ以上の感情を見せることはなかった。だが今は違う。彼女を縛っていた重しが取り払われた今こそ、彼が、本格的に動き出す時なのだろう。叔父の言葉に、柚羽はわざとらしく頬を膨らませた。「『お姫様たち』なんて言わないでよ、もう。私はその『たち』に含まれてないもん。今まで私が何度、叔父様にお買い物付き合ってってお願いしても、全然ダメだったくせに。叔母様が来てるって聞きつけて、すっ飛んで来たんでしょう。ふん、叔父様の本当のお姫様は、叔母様だけでしょ!」柚羽の言葉は、慎也の株を上げ、彼にとって一葉がいかに特別な存在であるかを伝えようとする、健気な気遣いから出たものだった。だが、それは本当のことでもあった。これまで柚羽がどれだけ叔父に買い物を付き合ってほしいと頼んでも、彼は一度だってその時間を作ってくれたことはなかったのだ。とは言え、柚羽が本気で叔父に腹を立てているわけではない。叔父が以前、本当に多忙を極めていたことを彼女は知っている。十日や半月も顔を合わせないことなど、ざらだったのだ。慎也は、かつてあれほど病弱だった柚羽が、今ではこんなにも元気で溌剌としている姿に目を細めた。一葉の存在がもたらしてくれる温もりが、その愛おしい想いを一層深くさせる。彼は手を伸ばし、姪の頭を優しく撫でた。「今まではすまなかったな。これからは、この叔父さんにどう付き合ってほしいか、柚羽ちゃんの言う通りにしよう」「今日は欲しいものを、何でも好きなだけ買うといい!」柚羽はぱっと顔を輝かせる。「それじゃあ、叔父様、お言葉に甘えちゃおっかな!」そう言うと、彼女は一葉の腕に自分の腕を絡めた。「行こ、叔母様!今日は叔父様のカード、限度額まで使っちゃいましょう!」そのあまりに楽しそうな様子に、水を差す気には到底なれなかった。一葉もつられて笑顔になる。「ええ、そうしましょうか。彼のカード、限度額まで使ってしまいましょう!」腕を組み、楽しそうに商品を見て回る柚羽と一葉の後ろ姿を、慎也は言葉にならない感情で見つめていた。ただ、温かい。あまりに尊い。これからの人生、毎日がこうであればいいと、心の底から願った。
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第577話

獅子堂家……言吾は頭が切れる男だ。だが、烈もまた、愚かであるどころか、怜悧な男だった。獅子堂家を正式に掌握して以来、彼は言吾が仕込んだ内通者の存在に、少なからず気づいていた。しかし、烈はそれを問題にもしていなかった。かつて言吾を赤子の手をひねるように操れた成功体験が、彼の中から言吾という存在を、取るに足らないものへと貶めていたのだ。烈に言わせれば、もし慎也が言吾と手を組んでいさえしなければ、当初の計画を覆され、獅子堂家への遁走を余儀なくされるどころか、言吾など自身のアジトの門を潜る資格すらなかったはずだ、と。だからこそ、烈は傲慢にも、言吾が残した内通者をあえて泳がせていた。奴がどれだけ無駄な努力を重ねるか、高みから見物するつもりだったのだ。そのことを知った紫苑は、眉をひそめて言った。「言ったはずよ、烈さん。言吾を甘く見すぎないでって。それに、たとえ言吾本人が取るに足らない存在だとしても、今の彼は桐生慎也と手を組んでいるのよ!」「桐生慎也のことはどうでもいいとでも言うの?はっきり言わせてもらうけど、あなたはこの間、その男にしてやられて、尻尾を巻いて逃げ帰ってきたばかりじゃない!」烈の冷酷非情さを思えば、普段の紫苑であれば、このような口の利き方ができるはずもなかった。だが、烈がその傲慢さゆえに言吾を侮り、計画が完全に頓挫してしまうことを、彼女は心から恐れていた。紫苑は独自のルートで情報を掴んでいた。言吾が、彼女の腹の子が自分の子ではなく、あの夜二人の間には何もなかったという真実を知ってしまったことを。自分が仕掛けた偽りの一夜によって、言吾は自らが穢れたと思い込み、一葉との関係を断ち切らざるを得なくなった。一葉と結ばれる最後の機会を永遠に奪われたのだ。言吾が自分を骨の髄まで憎んでいることは、火を見るより明らかだった。一葉を想うあまり一夜にして白髪になるほどの男だ。その憎しみがあれば、たとえ烈に太刀打ちできなくとも、全力で自分を殺しに来るに違いない。だからこそ、何があっても言吾を勝たせるわけにはいかない。絶対に……彼の息の根を止めなければならないのだ!常に人の上に立つことに慣れている烈が、紫苑からの辛辣な言葉を許せるはずもなかった。その表情はみるみるうちに険しくなり、底なしの怒りが湛えられていく。次の瞬間、冷たい銃口が
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第578話

彼女が呆然と立ち尽くす間にも、電話の向こうの腹心は新たな報告を受けたらしい。その声は、先ほどよりも明らかに震えを増していた。「お嬢様……!深水言吾と共同で進めていた複数のプロジェクトにも、次々と問題が発覚したと……」「これでは……我々だけでなく、ご実家そのものが……破産してしまいます!」どうして、こんなことになったのか、彼にも理解が追いつかないのだろう。あまりにも、全てが突然すぎた。つい昨日まで、これらは全て千載一遇の優良案件だったはずだ。莫大な利益をもたらしてくれる、金のなる木だった。それがなぜ、一夜にして自分たちの首を絞めるギロチンへと姿を変えてしまったというのか。先の衝撃からまだ立ち直れないでいた紫苑は、腹心からの追撃の報告に、今度こそ本当に雷に打たれたかのように立ち尽くした。何が起きているのか、まったく理解が追いつかない。紫苑は愚か者ではない。むしろ、怜悧で、自分以外の人間を決して信用しない女だ。だからこそ、慎也から受けたプロジェクトも、その後に言吾と進めた案件も、すべて念には念を入れて調査したはずだった。なのに、なぜ。なぜ、突然、足元の地面が崩れ落ちてしまったのか。彼女には、到底理解できなかった。紫苑の顔色が、先ほど銃口を突きつけられた時よりもさらに白く、険しいものに変わったのに気づき、烈は興味深そうに片眉を吊り上げた。「ほう、何があった」我に返った紫苑は、何かに思い至ったように烈の腕に強く縋り付いた。「言吾の反撃が始まったのよ!あいつのせいで、私の実家が破産寸前なの!お願い、助けて!」「このままじゃ……次は獅子堂家が標的になるわ!」紫苑から事の顛末をすべて聞き終えた烈の眼差しが、一段と深みを増した。どうやら、本当に深水言吾という男を見誤っていたらしい。紫苑の実家は、獅子堂家には及ばないものの、神堂市では指折りの名家だ。そんな大物が、これほど静かに、水面下で破産寸前まで追い込まれるとは。慎也の協力があったにせよ、本土でここまで隠密に事を運ぶには、獅子堂家の権力、すなわち、当時の言吾が自由に使えるはずだった力が不可欠だ。もし言吾が獅子堂家の権力を堂々と使って紫苑の実家を攻撃したというなら、話はまだ分かる。奴が真に恐ろしいのは、獅子堂家の実権をまだ完全に掌握しておらず、宗厳の目もかいくぐりながら、
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第579話

彼は紫苑に冷ややかな視線を向けた。「お前は言吾と桐生慎也にしてやられすぎた。今のお前の実家は底なし沼だ。俺が少し手を貸したところで、どうにかなる問題じゃない。実家のことは諦めて、腹の子のことだけ考えていろ」今や紫苑の実家は、まさに底なし沼だった。獅子堂家の資産の半分を注ぎ込んだとて、水泡に帰すのが関の山だろう。平時であったとしても、こんな状況の実家など見捨てる。ましてや、今のこの状況では尚更だ。今、奴らに手を差し伸べることこそ、共倒れへの最短距離に他ならない。紫苑は烈に懇願したかった。狂ったように、なりふり構わず。だが、冷静さを取り戻した彼女には分かっていた。この状況で、どれだけ自分が泣き喚こうと、烈が手を貸すことは万に一つもない、と。いや、考えれば考えるほど、紫苑自身、烈に実家を救ってほしいとは思えなくなっていた。今の実家を救うのに必要な金は、莫大という言葉では生ぬるい。獅子堂家の根幹を揺るがしかねないほどの、巨額の資金だ。言吾と慎也の挟み撃ちに遭っている今の烈は、味方を探すのでさえ手一杯のはず。ましてや、自分の実家のために獅子堂家を傾かせるなど、論外だ。烈を窮地に追い込むことも、ましてや負けさせることなど、絶対にできない。実家がなくなれば、彼女は全てを失う。だが、命と……このお腹の子は残る。もし烈が負ければ、言吾は決して自分を許さないだろう。その時こそ、命さえも奪われるに違いない。命以上に大切なものなど、何もないのだから。あれほど必死に、緻密に練り上げてきた計画が、今、目の前で音を立てて崩れ去ろうとしている。だというのに、手を差し伸べることすらできず、ただ呆然と見ているしかない。長年の心血が、すべて水の泡と化していくのを。費やした全てのものが、虚空に消えていくのを。たまらなく、たまらなく惨めで、どうしようもなく、どうしようもなく悲しかった。その悲しみに耐えきれず、紫苑の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。分からない。神様はなぜ、私にだけこんな仕打ちをなさるというのか。ただ、少しでも良い暮らしがしたいと、必死に努力してきただけなのに。なぜ、こうも私の邪魔をするの。他の誰かの人生はあんなにも楽そうなのに、なぜ私だけがこんなにも苦しまなければならないの。私が、一体何をしたというの?なぜ?なぜ、私
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第580話

「ある意味、今の様は自業自得だ。お前の策略が甘かっただけの話。神様がお前を見放したわけでも、皆がお前を陥れようとしたわけでもない。いつまでも惨めな顔をするな」烈は紫苑を慰めようとしているのかもしれないが、その言葉はあまりにも辛辣で、心を抉るには十分すぎた。だが、事実、彼の言う通りだった。神が紫苑の幸せを妬んだわけでも、万人が彼女を陥れようとしたわけでもない。この結末は、全て彼女自身が招いたこと。誰を恨むこともできないのだ。烈という男は善人ではないが、自分が悪であることを自覚している。どんな結果になろうと、どんな末路を迎えようと、全ては己の「力が及ばなかった」せいだと受け入れる覚悟があった。神を呪ったり、他人のせいにしたりはしない。彼の言葉は、紫苑の中から悲しむ権利も、神を呪い人を恨む権利さえも奪い去っていくようだった。まるで追い打ちをかけるように、烈は言葉を続ける。「俺たちのような悪党はな、常に最悪の結末を覚悟しておくべきだ。悪事を働きながら、いざという時に脆い。負けを受け入れる覚悟もない。そんな半端者にはなるな」「……」紫苑は黙って烈を見つめた。いつかこの男が言吾に敗れ、全てを奪われた時、それでも同じように、これほど達観したような、綺麗な言葉を吐けるのだろうか、と。だが、彼が負ければ、自分はもっと悲惨な目に遭うのだ。そう思うと、どうしようもない虚しさがこみ上げてきた。自分は、こんな扱いを受けるために、あんなにも細心の注意を払い、必死に生きてきたわけではないはずだ。幼くして母を亡くし、継母に虐げられて育った。本当に、本当に、楽な道など一つもなかった。ただ、少しでもマシな人生を送りたいと願っただけ。それが、どうしていけないの?私には、幸せになる資格もないとでも言うの?烈は、悪人なら悲惨な末路を覚悟しろと言った。そんなのは不公平だ。彼の言葉は間違っている。私は悪人なんかじゃない。ただ、生きるために、そうするしかなかっただけ!誰だって、穏やかで憂いのない人生を送れるのなら、わざわざ策を弄したりなどしない。これまで、誰も私を守ってはくれなかった。自分の力だけで、少しでも良い暮らしを掴もうと必死にもがいてきた。それがなぜ、間違いで、悪だと言われなければならないの?もし私が一葉のように、最初は言吾に、そ
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