All Chapters of 【完結】青空と海と大地ーそらとうみとだいちー: Chapter 51 - Chapter 60

72 Chapters

051 行動

  日に日に衰弱していく大地を見かねて。 浩正〈ひろまさ〉に相談し、家に医者を呼ぶことにした。「かなり衰弱してますね。食事は摂れてますか」「いえ……口にする時もあるんですが、すぐに吐いてしまって……」「とりあえず点滴をしておきましょう。しばらくそれで様子をみます」 そう言われ、それから数日、点滴の処置が施された。 その効果あってか、顔色も少しよくなってきたように思った。 トイレにも自力で行けるようになっていた。 そんな大地の様子に安堵し、元に戻る日は近いのかも、そんな希望を抱くようになっていった。「元気、戻ってきたみたいね」 相変わらず、話しかけても返事はない。ただ最近、笑みを浮かべうなずくようになった。それが嬉しくてたまらなかった。 まだ道のりは遠い。でも確実に、大地は快方に向かっている。 そう思い、嬉しそうに浩正に報告するのだった。 しかし浩正は話を聞きながら、複雑な表情を浮かべていた。 海はそれに気付かなかった。  * * * ある日の昼下がり。 買い物から戻った海が立ちすくみ、荷物を床に落とした。 大地の姿がどこにもなかった。 ジャケット、そして靴も見当たらない。 散歩にでも行ったんだろうか。そんな甘い考えは浮かんでこなかった。 浮かんだのはひとつ。最悪の事態だ。 そう確信した海は、迷わずとまりぎに向かった。「浩正さん!」 海の様子に浩正が事態を察し、息を吐く。「大地が、大地がどこにもいなくて」「海さん、少し落ち着きましょう」「でも、でも!」「心当たりがいくつかあります。分担して探しましょう」 幸い客はいなかった。浩正は店を閉め、一枚のメモを海に渡した。「大地くんが行きそうな場所、リストアップしておきました。僕はこちらに向かい
last updateLast Updated : 2025-05-18
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052 見捨てない為の決断

  管理棟に入ってからも、大地の興奮は治まらなかった。壁に頭をぶつけ、ボールペンで喉を刺そうとした。 そんな状態に管理人は、大地の入院を勧めた。「それってつまり……そういう病院、ということでしょうか」「はい、そうなります」「……」「確かに入院となると、抵抗があるかもしれません。ですが勿論、プライバシーは守られます」「海さん、遅れました」 海の連絡を受けた浩正〈ひろまさ〉が入ってきた。「ご家族の方ですか」「兄です」 浩正が間髪入れずに答える。「それでしたら……先程の話、お兄さんにも相談してみてください」 管理人にそう言われ、海は浩正に経緯を説明した。「そうですか……」 浩正の目に、錯乱する大地が映る。「海さん。どうされますか」「私は……」 浩正の問いに答えられなかった。 今、どうすることが一番いいのか、判断することが出来なかった。「最終的には海さん、あなたの決断になります」「そう……ですね……」「入院となれば最低でも一か月、症状が長引けば数か月になるかもしれません。それに実際の話、回復するかどうかも分かりません」「……」 海にとって未知の世界。そういう病院があることは知っていたが、これまで関わったことはなかった。 しかし今、その決断をしろと言われている。どうするべきなのか、どの選択がいいのか分からなかった。「今の大地くんの状態を見ていると、家に連れ帰ったとしてもすぐ、こういう行動に出ると思います。そうすればまた、こうして探すことになってしまいます。それに今の大地くんを見ていると……」 そう言っ
last updateLast Updated : 2025-05-19
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053 隔離病棟

  女性看護師の先導で、海と浩正〈ひろまさ〉は大地の病棟に向かった。 エレベーターで最上階に着くと、扉の前で看護師がカードをかざし、解錠の音が響いた。 看護師が扉を開ける。すると中から一人の女が現れ、海とぶつかった。「ちょっと、そこにいると邪魔でしょ」「あ、はい……ごめんなさい」 海がそう言って、慌てて道を譲る。その女の腕を看護師がつかんだ。「何よ! 離しなさいよ!」 女が看護師を睨みつける。しかし看護師は動じることなく、平坦な口調で言った。「どこに行くんですか木村さん。こっちは駄目ですよ」 そう言って強引に中に連れ戻す。「早く入ってください」 抵抗する木村を押さえつけて、海と浩正にそう告げる。 二人が中に入ると扉を閉め、ロックされたことを確認し声を荒げた。「何やってるの! 木村さん、また出ようとしてたわよ!」 その声に、詰所から若い男性看護師が慌てて駆けつけてきた。「すいません、ちょっと目を離した隙に」「気を付けてよね。この人、もう何回も離設してるんだから」 男性看護師が何度も頭を下げ、抵抗する木村を中に誘導していく。「今のようなことがありますので、中に入る時は気を付けてください」 海たちの方を向き、女性看護師がうんざりした表情でそう言った。「道を開けるなんてこと、二度としないでください」「あ、でも……私、あの人が誰なのか知らなかったので」「ここでああいうことをするのは患者さんだけです。彼らは狡猾ですので、あの手この手で私たちを騙し、ここから出ようとします。ですのでどうか、騙されないようにしてください。入る時も出る時も、私たち以外は絶対通さないように注意してください」 厳しい物言いに怯えた表情を浮かべ、海は「……分かりました」そう答えたのだった。  * * *
last updateLast Updated : 2025-05-20
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054 人権の意味

 「……」 帰宅した海が、玄関で深いため息をついた。「寒いな……」 エアコンをつけ、ベッドに腰掛ける。 この数か月。隣にはずっと大地がいた。 お前が死ぬまで傍にいてやる、その約束を守り寄り添ってくれた。 しかし今、大地はいない。 病院での彼を思い出す。 薬で眠らされ、呼びかけにも反応しなかった大地。 青空〈そら〉を失ってからの数日、ずっと苦しんでいた大地。 眠ってるのに、眉間には深い皺が刻まれていた。 大地。眠ってても苦しんでいるのかな。 そう思うと、やるせない気持ちになった。 今だけでもいい、安らかな眠りに包まれてほしい。そう願わずにはいられなかった。「はぁ……」 ベッドに横たわり、もう一度ため息をつく。「大地……」 大地の名を口にすると、自然と瞼が濡れた。 力が抜けていく。「なんで……なんでこんなことに……」 両親を失い、裕司〈ゆうじ〉を失い。 絶望の底に沈んだ私。 死に憧れた私。渇望した私。 それなのに私はあの日、大地と出会ってしまった。 大地は本当にデリカシーがない。 いつ死ぬんだ? そう何度も聞いてきた。 でも彼は、いつも私を尊重してくれた。 決めるのはお前だ、俺はお前の選択を尊重する、そう言ってくれた。 そんな彼と触れ合っていく中で、いつしか私は生きることを望んでしまった。 彼と共に生きる未来を。 そのはずだったのに。ゴールは目の前だったのに。 どうして神様は、こんな残酷な舞台を用意したのだろう。 何を望んでいるのだろう。 こんなことならあの時、迷わず電車に飛び込めばよかった。 大地に声なんかかけず、彼より先に
last updateLast Updated : 2025-05-21
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055 新たなる誓い

 「完全に……壊れる……」「薬物によって、抗う意欲を根こそぎ排除する。それは言い方を変えれば、絶望して全てを諦めることなんです。 すいません。煙草、構いませんか」 海がうなずくとライターを持ち、火をつけた。「……青空〈そら〉さんの煙草、まだ吸われてるんですね」「ええ……日常的に吸っている、というのではないのですよ。ただこうしてると、不思議と心が落ち着くんです。青空〈そら〉さんがすぐ傍にいるようで」「……」 浩正〈ひろまさ〉の言葉に海がうつむく。 大地のことがあって。自分のキャパが一杯で、すっかり失念してた。 ある意味、この人も絶望してるんだ。青空〈そら〉さんを失って。 この人があまりにも強いから。そこに思いを巡らせることが出来てなかった。「僕は別に、強くないんですよ」 心を読まれた、そう思った。「青空〈そら〉さんを失って……僕自身、進むべき道が見えなくなりました。どれだけ頑張っても、夢を実現したとしても。そこに青空〈そら〉さんはいないんですから」「……ごめんなさい……そんな当たり前のことも考えられなくて……」「いえ、海さんが自然に接してくれているからこそ、僕は正気を保ててるんだと思います。それにこう言ったら悪いですが、大地くんがこうなったことで、一人自問する暇もありませんので」 車内を煙草の煙が舞う。「ただ僕は……青空〈そら〉さんに笑われたくありませんし、失望されたくないんです。その思いがあるから、今もこうして踏みとどまっているんだと思います」「……」 一体どれだけの経験を積めば、ここまで強くなれるんだろう。 この人はこれまで、どれだけの
last updateLast Updated : 2025-05-22
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056 治す為に壊す

  浩正〈ひろまさ〉と語り合ったことで。 心の靄が晴れていくような気がした。 海は過去を振り返るのをやめた。 今自分がするべきこと、それだけを考えていった。 一人部屋で過ごす夜は寂しい。 枕を抱きしめ、大地を感じ。 早く夜が明けてほしい、そう願った。 朝になればまた、大地に会いに行ける。 少しずつ、ゆっくりと回復していく大地に会える。そう信じた。  * * * 大地の拘束は一週間に及んだ。 若い男性看護師、村瀬の話によると、かなり落ち着いてきているとのことだった。 海は大地の頭を撫で、「早く元気になってね」そう囁くのだった。 そしてある日。 いつものように病棟に入った海は、村瀬に声をかけられた。「清水さん、拘束が解かれましたよ」 どれだけその言葉を待っただろうか。 この一週間、耐えに耐えていた涙がまた溢れていった。 涙で視界が歪む。その彼女の視界に、ホールのベンチに座る大地の姿が映った。「大地……」 隣に座り、抱きしめる。 抑えようとしても感情が昂り、嗚咽した。「大地、よく頑張ったね……偉いぞ……」 そう言って涙を拭い、照れくさそうに微笑んだ。「……」 しかしそんな海の感動は、一瞬にして凍り付いた。「大地……?」 大地は海の言葉に何の反応も示さず、虚ろな目で空を見つめていた。 手を握り、肩を揺さぶっても無駄だった。「看護師さん……大地、どうしちゃったんですか」 大地の口元から涎が落ちる。ハンカチでそれを拭い、村瀬に尋ねる。「心配ですよね。こういうのって、最初は混乱される方が多いんです。ですが安心してください。これ
last updateLast Updated : 2025-05-23
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057 何もかもが面倒臭い

  看護師の村瀬が言った通り、大地の状態は少しずつ安定していった。 海は毎日病院を訪れ、大地に寄り添った。 そんな海に対し、大地が反応を見せることがあった。 時折笑顔も見せた。その笑顔に涙し、「また明日、来るから」そう言って大地を抱きしめたのだった。  * * * 入院生活が一か月を過ぎた、ある日の夜。 消灯時間前。大地はホールのベンチに座り、煙草を吸いながらテレビを見ていた。 あの日、岸壁で死のうとした時からの記憶があまりない。 頭に靄がかかっているようだ。 どれだけここにいるのか、脳が判断出来ない。 時間の感覚もよく分からなくなっていた。 今が冬なのか夏なのか、それすら分からない。 何もない平坦な毎日。何の為に生きているのか、そんなことすら考えられないほど、ここには変化と呼べるものがなかった。 食事を提供されて初めて、今が何時なのかを認識出来る。「……」 白い息を吐き、ぼんやり天井を見つめる。 俺にとって、何よりも大切だった青空姉〈そらねえ〉。 その青空姉〈そらねえ〉が死んで、生きる意味を失った。 だから俺は死のうとした。そのはずだったのに。 今、青空姉〈そらねえ〉のことを思い出しても。 何も感じなかった。 寂しさも哀しみも、絶望すら感じない。 俺、どうなっちまったんだ? 青空姉〈そらねえ〉が死んで、俺の心も死んだってことなのか? そんな思いが脳裏に浮かぶ。しかしすぐに、それ以上考えることが面倒くさくなり、打ち消した。「おい、おい」 声に顔を上げると、無精ひげをはやした男が大地を覗き込んでいた。「煙草、煙草くれ」 この男、いつもこうしてねだってくる。他の患者たちにも見境なく声をかけ、「うるさい消えろ」とつまはじきにされていた。「……」「煙草、煙草やっ
last updateLast Updated : 2025-05-24
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058 安定の代償

  翌日。 顔を腫らした大地を見て、海が呆然と立ちすくんだ。「大地、何があったの」「ん? ああこれか、俺もよく分からないんだ。ははっ」 覇気のない物言いで、大地が答える。「笑いごとじゃないってば。どうしたのよ」 隣に座り、痣になってるところを撫でる。大地は「何でもないよ」と苦笑した。「お疲れ様です大地くん。具合はどうですか」 聞き慣れた男の声に顔を上げる。そこには色白の男が、笑みを浮かべて立っていた。「……俺に言ってますか」「ええそうです。お久しぶりです」 誰だ? 見覚えはある。それは間違いない。 久しぶりって言ったけど、親戚か何かか? 男の顔をまじまじと見つめ、大地が考える。 しかしまた頭に靄がかかり、面倒くさい、どうでもいいといった気持ちに支配された。「ちょっと大地、何ふざけてるのよ。浩正〈ひろまさ〉さんでしょ」「浩正さん……」 やはり聞き覚えがある。それにこの雰囲気、間近で感じてたような気がする。そう思った。「大地……本当に大丈夫なの……」 海が顔を覗き込み、心配そうな眼差しを向ける。その視線が申し訳なくて、大地は思わず目を伏せた。 そして次の瞬間、脳裏にひとつの言葉が浮かんだ。「とまりぎ……そうだ、とまりぎの人だ!」 明るくそう言い、嬉しそうに続ける。「知ってますよ、とまりぎ。何だっけかな……そう! 保育園の喫茶店! いいですよね、あの雰囲気。俺も何度か行ったことがあるんです」「……」 ふざけているようには見えなかった。大地の状態はここまで悪くなっているんだ。そう思い、涙ぐみ。海は浩正に頭を下げた。 そんな二人に動揺する素振りも見せず、浩正は穏やかに
last updateLast Updated : 2025-05-25
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059 帰還

  一か月ぶりに外の空気を吸った大地。 しかし病院の敷地から出るまでに、かなりの時間がかかった。 海が肩を貸し、「大丈夫、大丈夫だから」と何度も促す。だが大地は首を振って拒んだ。 僅か一か月の隔離が、ここまで大地を追い込んでしまったんだ。海の中に後悔が渦巻いた。 浩正〈ひろまさ〉がすぐ傍まで車を移動し、海と共に支えて乗せた。  * * *「ご飯、どうしますか? 大地くん、お腹が空いてるんじゃないですか」 運転しながら浩正が話しかける。しかし大地は足元を見つめ、怯えた様子で首を振った。「じゃあ大地、宅配にしようよ。早く家に帰りたいだろうし、その方が落ち着くよね」 微妙な空気をどうにかしようと、海が必要以上にはしゃいでみせる。「そうですね、その方がいいかもしれません。じゃあ、このまま真っ直ぐ戻りましょう」「お寿司なんてどう? 今の内に注文しておくね」 そう言ってスマホを操作する海の指は震えていた。  * * *「……」 久し振りの我が家。 大地は中に入ると真っ直ぐベッドに向かい、横になった。「疲れちゃった?」 傍らに腰掛け、そう言って大地の髪に指を通す。 かなり汚れてる。油分がたまってる、そう思った。「もうすぐお寿司も来るし、とにかく食べよ? それからお風呂に入ってさっぱりして、今日はゆっくりしようね」 しかし大地は壁を向き、何の反応も示さなかった。  * * * 結局大地は何も口にしなかった。海の声掛けにも反応せず、気が付けばいびきをかいて眠っていた。「浩正さん、その……色々ありがとうございました」「いえ、これぐらいのお手伝いはさせてください。それからとまりぎ、しばらく休んでもらって大丈夫ですよ」「本当、すいません」
last updateLast Updated : 2025-05-26
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060 混濁

  頭にずっと、靄がかかっている。 死のうとしたあの日から。もっと言えば、青空姉〈そらねえ〉が死んだあの日から。 俺の脳は正常に働くことを放棄した。  * * * 何も考えたくない。 何も思い出したくない。 そう思い、気が付くと。 俺は拘束されていた。 腕も足も動かない。 陰部に不快感がある。 後で知ったのだが、尿管を突っ込まれていたらしい。 コンクリートで覆われた、何もない部屋で一人。 季節も時間も分からない。 時折自分が誰なのか、どうしてこうなっているのか分からなくなった。 看護師が、物でも見るような目で俺を見ている。 点滴を刺し、俺を監視している。 少しでも動くと、「動かないでください」そう吐き捨てやがる。 俺、一体どうなっちまったんだ? ひょっとして、ここがあの世なのか? ここが地獄なのか? そんな馬鹿げた考えが浮かんだ。  * * * しばらくして、そこから解放されて。 俺は病棟の中を自由に動ける権利を与えられた。 有難いことに、煙草も支給された。 海が置いていってくれたらしい。 助かる。ありがとな、海。 …… 海って誰だっけ? よく思い出せなかった。 俺の中ではっきり思い出せる人。それは青空姉〈そらねえ〉だった。 そして。 あのクソ親と、学生時代に俺をいじめていたやつら。 思い出したくもないクズ共なのに、どうしてかそいつらの顔が離れなかった。 そういう時は男の看護師に頼み、注射を打ってもらった。 あの注射には本当、世話になった。 しかもこの看護師、若いのに注射がやたらとうまかった。 尻を出すと、筋肉の間にすっと刺し、あっと言う間に終わった。痛みも全くなかった。 そしていつも
last updateLast Updated : 2025-05-27
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