All Chapters of 人生を諦めた私へ、冷酷な産業医から最大級の溺愛を。: Chapter 11

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11.静けさ

 病室に静寂が戻ると、日比野先生はゆっくりと私の隣に腰を下ろした。 その動作ひとつさえ、やけに丁寧で、やさしさが滲んでいた。 何も言わずに、ただ私の顔を見つめる。じっと、静かに、熱を持たないはずの視線が、なぜだか胸の奥をじんわりと焼くようだった。 その視線が、あたたかい。 でも、それがなぜだか、痛かった。 先生は白衣のポケットに手を入れ、ひとつの小さな袋を取り出して、そっと私の手のひらに乗せた。「……はい、クッキー」 見ると、それはどこかで見覚えのある可愛らしいパッケージだった。 動物の顔がプリントされた、小さなひとくちサイズのクッキー。子どもの頃、よく食べたあのシリーズだ。 懐かしさがふわりと胸をくすぐる。「お見舞いってほどではないけど。甘いもの、あったほうがいいでしょ」 私は袋を開けて、そっと一枚を口に運んだ。 バターの香りがふわっと鼻腔を満たし、歯を立てた瞬間、さくりと軽い音が口の中に広がる。 優しい甘さが、乾いた心の隙間に染みていくようだった。「……美味しい」 ぽつりと、思わず零れたその言葉に、先生は少し驚いたように目を細めて、それからふっと微笑んだ。「それは良かった」 その笑顔を見た瞬間、胸の奥がぐしゃっと音を立てて潰れるようだった。 喉の奥がきゅっと締まり、目の奥が熱くなる。 気づけば、ひと粒、またひと粒、頬を伝って涙が零れていた。 張り詰めていた糸が、ぷつりと切れたのだ。 堰を切ったように、何かがこみ上げてきた。 先生は一瞬驚いたように目を見開き、それから、ゆっくりと私の手を取った。 私の手は震えていた。でも先生は、ためらわずその手を包み込み、やさしく握りしめてくれる。「黒磯さん……」「……わたし……」 嗚咽のように、小さな言葉がこぼれる。 ずっと言えなかった感情の残滓が、言葉になってようやく滲み出した。「……あの人が、嫌だった……」 口に出すことが、こんなにも難しいなんて。 でも言えた。確かに私は、加賀さんが怖かった。あの声も、目も、差し出された書類さえも。 思い出すだけで、息が詰まりそうだった。「会社の人が、嫌……仕事も……もう全部……」 声が震えた。言葉を重ねるたびに、心の奥に堆積していたものが音を立てて崩れていく。 先生は、そっと私を抱きしめた。 冷たいはずのワイシャツ越し
last updateLast Updated : 2025-06-09
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