昨夜、彼はまる一晩かけてようやく――律が癌だという現実を受け入れた。彼女と、共に生きて共に死ぬ。その覚悟を、彼はすでに決めていた。律を愛したあの日から、彼は一度だって「自分ひとりだけが生き残る未来」を想像したことなどなかった。だからこそ今朝、継真を自分と律の養子として正式に迎えたのだ。せめて彼女の夢だった「家族三人の暮らし」を叶えてやりたかった。――けれど、まさか死が、こんなにも早く訪れるなんて。医者は確かに言っていた。きちんと療養すれば、あと五年は生きられると。「律……全部俺のせいだ。俺が、お前のことをちゃんと守れなかった」喉の奥に、尖った石のような塊が詰まっている。それを飲み込むたび、胸が裂けそうに痛い。彼は震える手で、律の手をそっと握りしめた。だが――その白い手首の下にある「異変」に、ようやく気がついた。ぐにゃりと、明らかにおかしい。目をこすっても、視界の涙は止まらない。気づけば、涙がいつのまにか頬を濡らしていた。「……お前なら、また子どもみたいに泣いてる俺を笑うんだろうな」苦笑を浮かべながら、彼は顔をそむけ、深く息を吸い込んだ。感情をどうにか抑えこみ、もう一度彼女を見ようと振り返ったその瞬間――目に映ったのは、血まみれで肉が裂けた、無惨な手のひらだった。一瞬で顔色が真っ青になった。信じられない、という感情が、彼の表情筋を小刻みに震わせる。「律……お前の手が……」かすれた声が漏れた。この手を――自分は誰よりも大事にしてきた。結婚前も、婚後生活も、たとえ一文無しの時であっても。洗い物すらさせたくなかった。彼女の手が荒れるのが、ただ怖かった。彼は思い出した。あの日――X大学の秋の黄昏。デザイン教室の窓際で、律がミシンを走らせ、赤いドレスを縫っていた姿。彼女がふと窓の外を見て、彼に小さく微笑んだ。その瞬間を、彼は一生忘れなかった。そして次にその教室を通りかかったとき。彼女は、完成したその真紅のドレスを身にまとい、軽やかに彼のもとへ歩み寄ってきた。秋風と、差し込む光に包まれた、繊細に光る指先。「ねぇ、ダンスしてくれない?」その笑顔は、自信に満ちていて――彼は断れるはずがなかった。そのとき、彼の鼓動はまるで打楽器のように
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