All Chapters of 時を分けて、君と別れた: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

昨夜、彼はまる一晩かけてようやく――律が癌だという現実を受け入れた。彼女と、共に生きて共に死ぬ。その覚悟を、彼はすでに決めていた。律を愛したあの日から、彼は一度だって「自分ひとりだけが生き残る未来」を想像したことなどなかった。だからこそ今朝、継真を自分と律の養子として正式に迎えたのだ。せめて彼女の夢だった「家族三人の暮らし」を叶えてやりたかった。――けれど、まさか死が、こんなにも早く訪れるなんて。医者は確かに言っていた。きちんと療養すれば、あと五年は生きられると。「律……全部俺のせいだ。俺が、お前のことをちゃんと守れなかった」喉の奥に、尖った石のような塊が詰まっている。それを飲み込むたび、胸が裂けそうに痛い。彼は震える手で、律の手をそっと握りしめた。だが――その白い手首の下にある「異変」に、ようやく気がついた。ぐにゃりと、明らかにおかしい。目をこすっても、視界の涙は止まらない。気づけば、涙がいつのまにか頬を濡らしていた。「……お前なら、また子どもみたいに泣いてる俺を笑うんだろうな」苦笑を浮かべながら、彼は顔をそむけ、深く息を吸い込んだ。感情をどうにか抑えこみ、もう一度彼女を見ようと振り返ったその瞬間――目に映ったのは、血まみれで肉が裂けた、無惨な手のひらだった。一瞬で顔色が真っ青になった。信じられない、という感情が、彼の表情筋を小刻みに震わせる。「律……お前の手が……」かすれた声が漏れた。この手を――自分は誰よりも大事にしてきた。結婚前も、婚後生活も、たとえ一文無しの時であっても。洗い物すらさせたくなかった。彼女の手が荒れるのが、ただ怖かった。彼は思い出した。あの日――X大学の秋の黄昏。デザイン教室の窓際で、律がミシンを走らせ、赤いドレスを縫っていた姿。彼女がふと窓の外を見て、彼に小さく微笑んだ。その瞬間を、彼は一生忘れなかった。そして次にその教室を通りかかったとき。彼女は、完成したその真紅のドレスを身にまとい、軽やかに彼のもとへ歩み寄ってきた。秋風と、差し込む光に包まれた、繊細に光る指先。「ねぇ、ダンスしてくれない?」その笑顔は、自信に満ちていて――彼は断れるはずがなかった。そのとき、彼の鼓動はまるで打楽器のように
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第12話

「杉山は?連れ戻せ」誠司の声は、深く沈んでいた。待っているあいだ、彼は律のスマホを取り出し、ふたたびロック解除を試みた。エラー。――エラー。――またエラー。「……人が急にパスワードを変えるとしたら、理由は……何だ?」頭の中で、ある予感がぼんやりと形になりかけた。けれど、それを試すことが怖かった。しばらくして、ガードに押さえられた裕子が連れてこられた。その瞬間、誠司はなぜか安堵した。スマホをテーブルに置き、代わりに裕子の首を鷲掴みにした。「……お前、律に何を言った?なんで、あいつが急に倒れるんだ!」裕子は苦しそうに震えながら、涙をこぼして必死に言い訳をした。頬にかかる髪の毛が濡れて、彼女をいっそう弱々しく見せた。「ごほっ、東條くん、違うの……私、何もしてないよ……!如月さんが、自分で私を呼んだの」「……なんだと?」その一言に、彼の手がわずかに緩んだ。「如月さんって、元から頭のいい人じゃない?私たちの関係に、何か気づいたみたいで……こっそり、問いただされたの。だから説明したんだけど……どうも探偵を雇って調べてたみたいで、全然信じてくれなくて」――あの、知らない番号と不審なメッセージ。それを思い出した誠司は、裕子の言葉を少し信じてしまった。「私、この何年も、ずっとあなたの傍にいたじゃない……私は何も望まない。ただ、そばにいられるだけでよかった。継真がちゃんとあなたたちの養子になったら、私……国を出るつもりだったの。……二度と、あなたたちの前に現れないって、決めてたのに」長い睫毛が涙に濡れ、裕子の目には「諦めのような愛」が浮かんでいた。誠司は眉をひそめた。……本当に、自分の思い違いだったのか?だがそのとき、視界の端に映ったもの。――律の、あの無惨な手。彼の手が、ふたたび締まった。「……じゃあ、なんで、律の手があんなことになってるんだよ」裕子は苦悶の表情で身をよじった。一語一語、しぼり出すように言った。「ちが……違うの、東條くん……如月さん、急に苦しみ出して……私、医者を呼ぼうとしたのに、腕を掴まれて――ベッドから自分で落ちたの!私はただ、振り払おうとして……!手を踏んだのは、ほんの……ほんの一瞬だけで……!」――違う
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第13話

メッセージ履歴を開くと、画面に並んでいたのは――明らかな挑発だった。【これからうちの子は「東條継真」になったよ!あなたと東條くんの財産は、いずれ私の子が全部もらうんだから】【残念だったわねぇ、三回も妊娠したのに、私の子どもひとりに勝てなかったわけ】【癌だって?それなら早く死んでくれたほうがありがたいわ】【どうせ子どもも産めないくせに、いつまでも居座らないでくれる?私たち三人家族の邪魔なのよ】画面を見つめる誠司の顔は、暗黒そのものだった。――今日の朝、ようやく養子縁組が終わったばかりだったのに。裕子は、その足で律の病室に行き、勝ち誇った顔で現れたのだ。あまつさえ、自分には平然と嘘をついた。律が探偵まで雇って、彼を疑ってたって――?……そういうことだったのか。やっと、全てがつながった。律が、どうして急に継真に冷たくなったのか。その理由は――最初から彼女は知っていたのだ。あの子が、自分と裕子の子どもだということを。思い出しただけで、胸が裂けそうだった。彼は、何をしていた?自分の子を三度も失った妻に、愛人の子どもを養子にして「実の子として育ててくれ」と頼んでいたのだ。鼻の奥がツンと痛んだ。――律は、どんな気持ちでこの日々を過ごしていたのか。想像するだけで、気が狂いそうだった。自分だったら……とても耐えられなかった。心から申し訳なく、悔しくてたまらなかった。誠司は、スマホを見たまま、ふと顔を上げた。思わず何かを伝えたくなって――でも、そのときようやく思い出した。もう、彼女はいないのだ。その目は、どこを見ても自分を映してくれない。彼が一生懸命に説明しても、後悔しても、もう届かない。――あの子を養子にする理由だって、ただ、彼女に子どもを与えたかったからなのに。何もかもが遅すぎた。きっと、彼女は――自分を恨んだまま死んだ。……それでも。彼は、なおもメッセージを上へ上へと遡っていった。自分のベッドで撮られた挑発写真。家族三人の幸せアピール。執拗なマウンティングと侮辱。――裕子は、まだ知らなかった。彼がいま手にしているのが、律のスマートフォンであることを。自分の計略が、完璧に成功したと信じきっていた。もう心に結婚式の準備を進
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第14話

裕子が悲鳴を上げて床に倒れ、頭から血を流した。床に散らばったスマホの画面には、彼女自身が送ったメッセージ履歴が映し出されている。それを見てなお、裕子は唇を噛み、あきらめきれないように言い訳を口にした。「東條くん、違うの……これ、私の番号じゃないわ!」「わ、わたし……何も知らないの!これはきっと如月さんが、私たちの関係を知って――わざと私を陥れようとしたのよ!」その被害者ぶった嘘に、誠司は笑い出しそうになった。だが、その笑いは怒りに裏返った歪なものだった。彼は泣きつこうとする裕子を足で壁際へ蹴り飛ばし、そのまま喉元を締め上げた。「証拠が揃ってんだ。まだ言い逃れする気か?まさかこんな写真、探偵がレンズ突っ込んできて撮ったって言う気か?」裕子の顔は、絞めつけられて赤黒く染まっていく。目を見開き、信じられないものを見るように誠司を見つめていた。「東條……くん……っ……」彼女の手は彼の手首を弱々しく叩いていた。「俺、何度言ったよな?律に、お前との関係がバレるなって――それなのに、継真を養子にしたばかりの日に、あいつの病室に行ってそのことを……――死にたいのか、お前」その瞬間、喉から空気が抜けるように、裕子の身体がぐったりと沈んだ。誠司はようやく手を離した。こんな女をただ殺すだけでは足りない。律があんなに苦しんで死んだというのに。「律……お前、目を開けたまま死んだのは、きっと俺がちゃんと復讐するのを見届けたかったんだよな。安心しろ、これから全部やり返してやる。お前が味わった苦しみ、ひとつ残らず」そう言って、彼は律の前髪をそっと整えた。その顔は、冷たい殺意と悲しみで歪んでいた。裕子は苦しげに咳き込みながら、膝をついて這い寄り、彼の腰にしがみついた。声は掠れ、喉は泣き叫びすぎて潰れていた。「東條くんっ、私たち、幼馴染じゃない?昔は、あの女が割り込んで来なければ、あなたはとっくに私を選んでたはずでしょ……!」「……お前なんかが、律と並べると思ってんのか?お前さえ、ゴミ箱漁って俺の……使用済みのゴムから精子盗んでなきゃ、そのまま俺の母親に泣きついて、黙って出産とかしてなきゃ――……俺がお前を手元に置く理由なんて、あると思ってたのか?」そう言って、彼は再び裕子を
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第15話

「父さん、母さん……どうしてここに?」誠司は眉をひそめ、戸惑う門番に軽く手を振って下がらせた。「なによ、聞いたわよ!子どもを産めなかった、しかももう死んだ女のために、杉山みたいないい子をそこまで虐めるなんて!それどころか、私たち唯一の孫を、その女の養子にするですって!?こんなの、黙っていられるわけないじゃないの!!」東條の母は、継真を連れながら裕子を庇うように抱き起こし、今にもその手に持った杖で律の遺体を叩きそうな勢いだった。それを見て、誠司はすぐさま前に立ちはだかり、冷たい声で遮った。「……裕子はわざと律を刺激して、流産させたんだ。殺しても当然だ」「なにバカなこと言ってるの!」母親は鼻を鳴らして話を遮った。「裕子もお前も、私たちが子どものころから育ててきたいい子なのよ!きっとあの律が、嫉妬して裕子に罪をなすりつけたんでしょ!そもそもさ、あの女が嫁に来たときから、ずっと偉そうな顔してたじゃない。自分で子ども産めないくせに、お前を縛りつけて……子ども作ることすら許さなかった。……誠司、母さん知ってる。あなたは情に厚い。でもね、律が死んだ今、むしろおめでとうって言うべきよ!金のためにあの女の顔色うかがって暮らす必要、もうないんだから!」「……俺が、金のために、あいつの顔色うかがってたって?」その言葉に、誠司の声が一段と大きくなった。母親は、白けたような目つきで彼を見返した。「最初、律を選んだのは何でよ?あの女が大金持ちの娘だからじゃないの?そうじゃなきゃ、お前と裕子が何年もコソコソ付き合う必要なんてなかったでしょ?」「……っ!」誠司は怒りと悔しさで胸が激しく上下し、息をするたびに鋭い痛みが走った。​自分がどれほど命を削って、律に子どもを授けようとしたか。どれほど愛していたか。――それらすべてが、外から見れば「金目当て」にしか見えていなかったのか。説明したかった。でも、その説明を誰にする?もう、肝心の人間は――いない。律は、もう死んでいるのだ。まるで喉を何かが締めつけるような痛みが襲い、全身に広がっていった。耳がジンジンと鳴り、視界がぐらりと傾いた。そのまま、彼の身体は後ろへ倒れていった。――まぶたが閉じる、最後の瞬間まで。彼の目
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第16話

裕子と誠司の母の顔に、一瞬、焦りの色が走った。言い訳を口にしかけたその瞬間――誠司は、彼女たちに話す余地すら与えなかった。彼の隣にあるはずのベッドが――空だったのだ。律の遺体が、もう運び出されていた。全身の力を振り絞って立ち上がった。そのとき、視界の端に、見覚えのあるビーズが落ちているのが見えた。拾い上げたそれは、彼の手首に巻かれていた偽物のビーズブレスレットとまったく同じだった。――あの夜のうちに、もう気づいていたんだ。これは偽物だって。誠司は、そのビーズを手のひらで握りしめた。骨にまで食い込むような力で、爪が食い込む。彼は裕子を突き飛ばし、足早に病室を飛び出した。胸の奥に、わずかな希望が生まれていた。このビーズを、あの日からずっと身につけていたということは――もしかして、彼女は完全に自分を見限ったわけじゃなかったのかもしれない。――これはきっと、天国の律が与えてくれた「最後のチャンス」。絶対にそうだ。彼女が、俺に償う機会を与えてくれたんだ。今度こそ、ちゃんと見せなきゃいけない。火葬場に到着したとき、彼はすでにふたりの助手に肩を支えられていた。全身に広がる痛み。病が進行しているのは明らかだった。だが、律を思えば、痛みも霞んでいく。彼女のためなら、まだ歩ける――火葬場の扉をくぐった瞬間。そこにいたのは、冷たいステンレスの台に横たわる律だった。棺が、まさに炉へと送られようとしている――「待てッ!!」喉を裂くような叫び。一歩踏み出しただけで、血が口から溢れ出した。だが、止められない。職員たちは裕子に金を掴まされ、急ぎ作業を進めようとしていた。だが焦った手が棺を傾け、遺体が落ちかけた――誠司は、咄嗟に飛び込んだ。「っ……!」鋭い器具の先端が、彼の腰に突き刺さった。だが彼はそれすら気づかぬふうに、律の身体を抱き締め、その下に身を差し出した。「律……大丈夫か?どこか、痛くないか?」周囲の職員たちは、凍りついたように立ち尽くしていた。確認して、彼女の身体に傷がないと分かったとき、ようやく彼は安堵の息を吐いた。彼女をそっと抱き起こし、よろめきながらも立ち上がった。口元から垂れた血が、律の白い衣に滲んでいく。だが
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第17話

誠司は病院に戻らず、律との家に帰ってきた。律を抱いて寝室に入った時、ふと気がついた。いつの間にかベッドの頭上に掛けてあったウェディング写真が外されている。空白になった壁には、黄ばんだ跡だけが残っていた。胸がギュッと締め付けられ、慌てて部屋中を探しまわった。十年分の思い出が詰まった何冊ものアルバムも、これまで律へ贈った手紙やプレゼントも、すべて消えていた。スマホに裕子が無惨な最期を遂げた動画が送られてきたが、それを見ても誠司の心は少しも晴れなかった。彼はその動画を律にも見せた。しかし、律の目は黒く深い闇を映すだけで、何の感情も浮かんでこない。虚しさで胸がいっぱいになった誠司はそっと指で律の目を撫でたが、何度撫でても、彼女の目は大きく開いたまま動かない。まるで、もっと多くの悲しみを訴えかけているようだった。「律……どうして目を閉じてくれないんだ?」それは死後硬直の問題とは思えなかった。きっと律には、まだ果たせていない願いがあるのだ。だから、目を閉じてくれないのだと、彼は考えた。誠司は苦しげに律の冷たい指をさすり、ふとポケットに入っていたあのビーズを思い出した。「あれは、俺たち十年の思い出だった……盗まれたあの時、きっと何かの警告だったんだな。俺はバカだから、それを大事にできなかった」あの日、誠司は愚かなことをしたのだ。一度のサプライズで二人の女を喜ばせようとした。彼が裕子を抱きしめていた時、律は人混みのなかで、それをじっと見ていたのかもしれない。そのまま人波に飲まれ、少しずつ遠ざかり、最後には一人寂しく去っていったのだろう。また激しく咳き込みはじめた。彼は床に崩れるように跪き、二分ほど咳き込み続けてようやく止まった。無力にベッドにもたれて座り込んだその時、ふとあの夜に誰かがぼやいていた言葉を思い出した。『くそっ、誰だよ!ビーズを散らかしやがった野郎は!足捻りそうになったじゃねえか!』あの時は気に留めなかったが、今考えれば、きっとその時に手首のブレスレットが切れたのだろう。虚ろだった誠司の瞳に、ようやく光が戻った。「律……今すぐ……俺たちの思い出を……取り戻してくる」たったそれだけの言葉も、口にするのが非常に苦しかった。背中を丸め、一歩一歩、荒い息を吐きながら歩く。
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第18話

誠司が目を覚ますと、自宅の寝室だった。助手は彼の意思に従い、律を遺体冷蔵用の棺に安置して、彼のすぐ隣に横たえていた。五年も海外に行ったきりだった友人が、ため息をつきながら側に座り、そっと一連のビーズブレスレットを彼の手のひらに置いた。「ほらよ、最後の一粒、やっと見つけてきてやったぞ」「……ありがとう」誠司は弱々しい声で礼を言い、もう一度身体を起こそうとした。もっと近くに寄りたい。律の側に、少しでも近づきたい。仕方なく友人が彼の身体を支え、手伝って律の腕にそっとブレスレットをはめてやった。その時、誠司は律がようやく目を閉じていることに気がついた。その姿を見て、彼の心にようやく穏やかさが戻ってきた。――彼女はやっと、安らかになったのだと。「お前がビーズ探しのために街を封鎖した写真、ネットで大騒ぎになってるぞ。みんなお前のことを『愛情深い』と褒めてる」友人はスマホのコメントを見せながら、彼がこれ以上無茶な真似をせず、病院でちゃんと治療を受けるよう説得しようとしていた。誠司はそれをちらりと見ただけで、すぐに興味を失った。自分がそんな褒め言葉に値しないことは、誰よりもよく分かっている。本当にいい男なら、律は彼を置いて去ったりしなかった。これはすべて、自分が犯した過ちへの償いにすぎない。人から同情される必要などない。律のためなら、何でも喜んでやる。ただそれだけだ。「女一人のために、ここまで自分を傷つけるなんて……本当にそれでいいのか?」誠司は律の冷たい指を、一本一本、ゆっくりと握りしめた。「律のためなら」友人はもう何も言えず、ただまた大きなため息をついた。しばらくして、誠司はゆっくりと顔を彼の方に向けた。「……ひとつ頼みがある。葬儀を……手伝ってくれないか?俺を、彼女と一緒に埋葬してほしいんだ」友人は信じられないという顔で声を荒げた。「お前はまだ生きてるんだぞ!それは合葬じゃない、ただの生き埋めだ!」だが誠司は、懇願するように彼を見つめた。律以外に誰かに何かを頼んだことなど、一度もなかった彼が。友人はとうとう折れて、仕方なく頷いた。誠司は、まるで結婚式を準備するかのように、自分の手で全てを整えようとしていた。律が一番好きだったドレス、一番好きな花、彼女
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第19話

「俺が勝手に一緒に埋葬されようなんて言ったら、彼女……怒るかな?」「昔付き合ってた時、冗談でよく言ってたじゃないか。死ぬ時は一緒だって。」友人は呆れたように彼を睨んだ。「でも、俺は浮気した……」友人はとっくにその事を耳にしていたようで、肩をすくめて言った。「お前、もう自分を生き埋めにしてまで、彼女に付き合おうとしてるんだぞ。これでまだ足りないってのか?」――足りるのだろうか。誠司にはわからなかった。彼と律は、「浮気」という話題を一度もしたことがなかった。二人とも、相手は絶対に浮気しないと、生涯を通じて信じ切っていた。彼女が寄せてくれた信頼を思えば思うほど、自分がどれほど彼女を裏切ったかを強く感じ、言葉を失ってしまった。誠司は慎重に身体を横たえ、律のすぐ側に寝そべった。巨大な棺の中、二人は小さな隅に身を寄せ合い、まるで絡まり窒息寸前の魚のようだった。棺の縁に掴まった友人は、どうしても最後まで納得がいかない様子だった。「……本当にいいんだな?もう、棺を閉じるぞ。」誠司は動かなかった。彼は律の首筋に親しげに頭を寄せ、生前のように、片腕で優しく彼女の腰を抱いていた。友人は何か言いたそうだったが、結局は彼の意思を尊重し、離れた。腕を上げ、声を震わせて叫んだ。「――棺を閉じろ!」少しずつ、光が遠ざかり、二人は暗闇に包まれていく。誠司は、より強く律を抱き締めた。「律、怖いか?実は俺……少し怖いよ……」もし律が生きていたら、きっとまた彼のことを『弱虫』『子供みたい』と笑うだろうな――。誠司はどこか照れくさそうに唇の端を上げ、静かに目を閉じた。……どれほど時間が過ぎただろうか。ふと、棺がカタンと音を立てて開いた気配がした。薄く差し込む光。誠司は、誰かが律を奪い去ろうとしているのを感じた。必死にまぶたをこじ開けるが、視界はぼやけて見えない。静かな空間に、男の声が微かに響いた。「律、迎えに来たよ。家に帰ろう。」……X大学の寮で、誠司ははっと目を覚ました。目の前に広がる懐かしい大学の寮の光景に、一瞬呆然とした。周囲の騒々しい物音が少しずつ近づいてきて、ふざけ合うルームメイト達の姿が目に映った時、彼はようやく自分が過去に戻っていることに気づいた。
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第20話

誠司は服を選び始めた。その姿を見て、普段は落ち着いて穏やかな彼の意外な一面に、ルームメイトは驚いた様子を見せた。「おっ、万年に一度しか恋愛スイッチが入らない東條が、珍しくデートの準備か?」誠司はただ微笑んで、否定もしなかった。彼は前世で選んだ服装ではなく、律のスタイルに合わせた服装を選んだ。今日は律が初めて出会った時の、あの赤いドレスを着てくることを知っていたからだ。だから彼もそれに合わせ、赤いネクタイを締めた。安物で少しゆったりとしたスーツを羽織ると、鏡には再びビジネス界を席巻していた「東條社長」の面影が映し出されたように感じられた。「どうだ?」誠司は必死に平静を装っていたが、それでもルームメイトは彼の顔に浮かぶ微かな緊張を見逃さなかった。珍しそうに誠司の肩に手を回そうとしたが、彼は敏感に避けた。「せっかく整えたんだから、乱すなよ」その言葉に、ルームメイトの表情は本気で驚きに変わった。「マジかよ!本当にデートに行くのか!?杉山と?」ルームメイトは面白そうに探りを入れた。前世で裕子が散々引き起こしたトラブルを思い出し、誠司は真剣な表情で否定した。「違う。彼女とはもう何の関係もないから、二度とその名前を出すな」そう言うと、もう一度鏡を確認して満足げに部屋を出ていった。残されたスマホを机の上に見つけたルームメイトは、腕を組んで笑いながら待った。案の定、すぐに誠司は澄ました顔で戻ってきて、慌ててスマホを取った。ルームメイトが吹き出して笑うと、彼の表情には一瞬のバツの悪さが浮かんだ。「早く戻れよ、夜には投資を取るための飲み会があるからな」しかし、誠司はスマホの中に記された律との約束の場所を見つめ、心ここにあらずのまま頷いただけだった。大学裏山の銀杏並木に着くと、誠司は緊張でそわそわし、風で乱れた髪を何度も整えながら、律が現れる時間をじっと数えた。3、2、1……期待を胸に微笑みながら顔を上げると、小道の奥から赤い服の影が現れた。木漏れ日にその美しいシルエットが揺れ、まるで夢の中の幻のように綺麗だった。誠司は我慢できず、彼女に向かって歩み寄った。「りっ――」だが彼の笑顔はすぐに固まった。近づいてきたのは、律ではなかった。なぜだ?どうして裕子なんだ……!?「東條
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