「理事長、特許を国に提出し、医科学研究所に入る決意をしました」言葉を聞いた理事長は思わず立ち上がった。「素晴らしい決断です、白河さん。この特許は、何百、何千という患者の命を救えるでしょう。ただ、これは国家機密級の研究機関での任務です。少なくとも三年は表に出られません。十日後には出発ですが……ご家族や恋人には、相談しなくて大丈夫ですか?」「必要ありません」白河澄月(しらかわすみづき)は、淡く苦笑した。——どうせ、あの家に私の居場所なんて、もうとっくになくなっていたから。去年、家でずっと支援してきた貧困家庭の少女・三条陽菜乃(さんじょうひなの)が、両親の事故死をきっかけに、父に連れられて白河家に住むことになった。何でもそつなくこなす澄月とは違い、陽菜乃は人の懐に入るのが上手だった。白河家に来てまだ一年も経たないうちに、彼女はすっかり家族の中心になっていた。父は彼女を宝物のように扱い、澄月の幼なじみであり婚約者の相馬慶悟(そうまけいご)、そして弟の白河凜士(しらかわりんじ)までもが、彼女に心を奪われた。亡き母の遺影が陽菜乃によって割られても、父は「過去は過去だ、忘れろ」と言い、仏壇そのものを片付けてしまった。澄月が母を偲んで研究し完成させた心臓ステントの特許まで、陽菜乃は奪おうとした。それを譲れと言ってきたのは、幼なじみで恋人でもあった慶悟。彼は「もし譲らないなら別れる」とまで言い放った。血のつながった家族も、長年育んできた恋も——甘い言葉に勝てなかった。もう疲れた。争うことに意味なんてない。——もう、行こう。自分を、これ以上苦しめないために。家に戻ると、ダイニングは賑やかだった。白河家に新しい「家族」として迎えられて一年——陽菜乃の「新生活一周年記念パーティー」の真っ最中だった。だれも気づかない。今日は、澄月の誕生日でもあるということに。母が亡くなってから、誰も彼女にプレゼントを贈らず、誕生日を祝う者もいなかった。テーブルには慶悟と凜士が陽菜乃の左右に座り、微笑みながらプレゼントを手渡していた。その様子を冷ややかに見つめながら、澄月は無表情のまま通り過ぎようとした。だが、父・白河誠一(しらかわせいいち)が彼女を呼び止める。「理事長に言って、特許を陽菜乃に譲るように頼んだか?」
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