Semua Bab Soul Link ─見習い聖女と最強戦士─: Bab 81 - Bab 90

116 Bab

#80:尻尾は嘘をつかない

「エレン!?  聖堂騎士のあのエレンか!?」  ウルサスが目を見開き、驚愕の声を上げる。 「なんだ?  私のことを知っているのか?」  エレンは静かに問い返した。相手の反応は、単に名を知っているという以上の驚きを含んでいるように見えた。 「あんた、獣人族の中では聖女エレナと並んで、かなり注目されている存在なんだぞ」 「私が?  獣人族の間で?」  予想外の言葉に、エレンは微かに眉を寄せる。 「やはり、あんたはそういう人間なんだな」  ウルサスはどこか安堵したように息を吐き出した。 「どういう意味だ?」 「あんたは、差別をする側の人間じゃないということだ」 「要領を得ないな。確かに、私は誰かを迫害するようなつもりはないが」  エレンの言葉に、ウルサスは真剣な眼差しを向ける。 「前回の接続者選抜戦を覚えているか?」 「……ああ」 「あの時、俺の同胞が参加していたんだよ。あんたと当たったとも言っていた。だが、なにより驚いたのは、あんたがまるで『人と同じように』接してくれたことらしい」  エレンは顎に手を当て、記憶を辿るように思考を巡らせる。 (……獣人族。接続者選抜戦……。むっ) 『エレン、そういえば……。居たよね……?  ウルサスさんに、私たちはまるで初めて見たみたいな反応をしちゃったけど……』  精神の奥底で、エレナの柔らかい声が響く。 『……あ、ああ。そういえば居たな』  エレンは内心で同意しつつ、わずかに表情を崩した。 「おいおい……。その様子だと、忘れてたな?」  ウルサスが呆れたように肩をすくめる。 「……すまん」  エレンは短く謝罪の言葉を口にした。 「まぁ、それほどあんたの中で獣人族は気にならない存在だったんだろう。むしろ、それはありがたいことだ」  ウルサスの顔には、責める色ではなく、微かな笑みが浮かんでいた。 「それに、あんたとは一度会ってみたかったんだ!」  言い終わるや否や、ウルサスの逞しい尻尾がブンブンと激しく揺れ始める。興奮を抑えきれないように、口元が緩み、ハッハッと荒い呼吸が漏れ出した。まるで大型犬が主人を前にしたような、無邪気な喜びがそこにあった。 「……そ、そうか」  エレンは思わず一歩引きかけた。 「あんたの質問に答えよう。あの少女を狙った理由。それは依頼だったからだ」
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-02
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#81:夜中の報告会

その後、ミストは無事に戻ってきた。  シイナに首根っこを掴まれた状態で、引きずられるようにして連れ帰ってきた──というのが正確なところだろう。当の本人はと言えば、悪びれた様子もなく、両手を後ろに組んで宿の一室の床にちょこんと立っている。 「──って言うことでしたー!!」  ミストの手が、ぺちん、と自分のこめかみに当てられた。舌をちょろりと出し、片目をきゅっと閉じる。てへ、という擬音が背後に浮かんで見えそうな、絵に描いたような誤魔化しの仕草だった。  部屋の空気が、一拍、止まる。  エレナは安堵と困惑のあいだで、なんと声をかけたものか分からず、ただ胸の前で両手を握り合わせた。 「で、でも……ご無事で本当に良かったです……」  絞り出した労いの声は、しかし。 「いえ、エレナ様。俺としては、こいつにやられたもう二人のほうが心配ですよ」  すぐ隣から、ぴしゃりとした声に切り捨てられた。シイナである。腕を組み、見るからに疲れ切った顔で、ミストの後頭部を冷ややかに見下ろしている。 「ちょっと、ちょっとーっ!! それはシイナ君、薄情ってもんじゃあないですかっ!?」  ミストが目を剥いて、勢いよくシイナの肩へ飛びついた。短い両手がジャケットを掴み、その細い体が信じられない力で前後に揺さぶり始める。シイナの黒髪が、揺れに合わせて乱れる。 「うるさいッ!!」  怒声と同時──恐ろしく速い手刀が走った。  空気を裂く音すら遅れて聞こえるほどの速度で、シイナの右手が弧を描き、ミストの首筋へ正確に叩き込まれる。鉄属性の使い手らしい、無駄のない一閃だった。狙いは寸分違わぬ急所。ただし、加減は完璧に。 「ぐぇあっ!?」  ミストの体がぐらりと傾ぎ、糸の切れた人形のように床へ崩れ落ちかける。が、すぐにぴょこんと顔を上げて首筋をさすった。生命力は無事らしい。 「だいたいお前なァ──」  シイナが額を押さえ、低く唸るように言葉を続ける。 「二人中二人とも、痙攣してただろうが」 「……痙攣?」  エレナの口から、間の抜けた音が転がり落ちた。 「えっ……? け、痙攣……? 痙攣、ですか……?」  今しがた聞いた単語が、頭の中でうまく像を結ばない。痙攣。痙攣している人間が二人。先ほどまで彼女を狙ってきた、あの男たちが──。エレナの脳裏で、無機質な路地と、地面に転
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-05
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#82:聖女の告解

 「つまり……。そんな格好を、よりにもよってあなたが、してしまったと……」  シイナの声が、信じたくないものを無理やり咀嚼するような、嚙んで含めるような調子で落ちてきた。 「……ご、ごめんなさい……」  エレナの返事は、ほとんど吐息に近かった。  顔を覆っていた両手の指の隙間から、青い瞳がほんのわずかに覗く。それすらも合わせきれずに、すぐにまた指の奥へと逃げていく。 「……あの、あのマスターさんの、潤んだ瞳を見ていたら……。ど、どうしても、断ることが……できなくて……」  声が、後半に行くにつれ、消え入りそうな細さになっていく。  潤んだ瞳、と口にした瞬間に、エレナの脳裏では別の現実が再生されていた。あのウサギの耳、あの胸元、あの網タイツ、あの──視線。ありとあらゆる紳士諸氏の視線。それらが一斉に蘇り、彼女の肩を、首筋を、頬を、容赦なく熱くしていく。  白い指のあいだから、髪の生え際から、ほんのり朱が透けていた。膝の上に揃えた手も、所在なげに自分のスカートの裾を握ったり離したりを繰り返している。 「……」  シイナは、何も言わなかった。  言葉を発するための機能が、一時的に凍結したような顔をしていた。やがて、すっと半歩、よろめくように後ろへ下がる。立ちくらみを起こした人間の動きとよく似ていた。指先がこめかみを押さえ、目を伏せ、深く長い呼吸をひとつ。  その間にも、エレナの頭上には、目に見えそうなほどの湯気が立ち上っていた。 「…………」  無言の人物が、もうひとり増えた。  シオンである。  壁際に静かに立っていた長身が、ふっと前に出ることもなく、ただ片手をゆっくりと額へ運んだ。長い指が、艶やかな黒髪の生え際に触れる。それ以上の動作はない。ただ、額に手を当てたまま、彼は微動だにしなくなった。風そのもののように静かな彼が、それでも一瞬、息の置き所を見失った──そんな間だった。 「う、うぅ……」  エレナの口から、抗いようのない呻きが漏れる。  ぎゅっと、両手で頬を挟むようにして俯いた。指の腹に伝わる自分の頬の熱が、もはや恥ずかしさの度を越して、軽い物理現象に近づいていた。 「……未来の聖女が」  長い沈黙のあとに、シイナがようやく言葉を絞り出す。 「そのような格好をしていらしたと知れたら──信者たちの暴動が起こること、間違い
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-06
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#83:メモリア・アーカイブ

 翌日。  メモリスには朝から細い雨が降り続いていた。空は低く、研究所支部の窓硝子にも、街路にも、銀の糸のような水滴が絶え間なく滑っている。整然とした記憶都市は雨音まで規則正しく受け止めているようで、その静けさがかえって、研究所の中に漂う緊張を濃くしていた。  エレナたちは、前日に保護した傷だらけの少女を、メモリスマギア研究所支部へと送り届けていた。  白い壁に囲まれた個室の中央には、治療用の寝台が置かれている。その上で少女は眠っていた。いや、眠っているように見えた。傷は塞がり、呼吸も安定している。それでも、閉じられた瞼が動く気配はない。  室内にいるのは、エレナとシイナ。そして説明役の科学者だけだった。  ただし、完全に三人きりというわけではない。奥の両扉の向こうでは、シオンと、朝一番で戻ってきたグレン、そしてミストが様子を窺っている。閉じた扉の隙間に、少しだけ人影が重なっていた。 「少女の外傷は、エレナ様のお力で無事に塞がっています。ですが、依然として意識が戻る兆候は見られません」  科学者は、寝台の脇に立ったまま静かに告げた。声は丁寧だったが、言葉の置き方には研究者らしい慎重さがある。 「そうか……原因は?」  シイナが短く問う。 「推測の域は出ませんが、こちらをご覧ください」  科学者が端末に触れると、壁面のモニターに細かな波形が映し出された。淡い青色の線がいくつも走り、規則的に揺れ、ところどころで不自然に沈んでいる。雨の筋と似ていた。けれどこちらは、命の内側をなぞる線だった。 「脳波そのものにも乱れはあります。ですが問題は、記憶痕跡――こちらで言うところのエングラム反応です。記憶野の活動が、通常の昏睡状態と比べても著しく弱い」 「脳に……損傷がある、ということですか?」  エレナの声が、わずかに硬くなる。 「な、なら私が治癒を――」  言いかけたエレナに、科学者は静かに首を横に振った。 「残念ですが、エレナ様。私が申し上げている損傷は、外傷や組織の破壊ではありません」  その一言で、シイナの目が細くなる。 「……記憶か」 「ええ。説明が分かりづらくなってしまい、申し訳ありません。メモリスでは、脳機能と記憶情報を同じ系統で扱うことが多いもので……つい、研究所内の言い方が出てしまいました」  科学者は困ったように眉を下
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-07
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#84:始まりの勇者

 扉の向こうには、真っ白な空間が広がっていた。  壁も、床も、天井も、ほとんど色を持たない。雨に濡れた外の灰色とは違う、磨かれた骨のような白さだった。足音が薄く響き、わずかな呼吸まで、館内の静けさに拾われていく。  その白いホールの壁面に、五枚の肖像画が並んでいた。  どれも実在の人物をそのまま写したものではない。伝承、壁画、古文書、地方に残る祭礼衣装、子どもたちの歌。そうした断片をもとに、メモリスの編纂班が再構成した姿だと、入口脇の案内板に記されている。  肖像画の下には、それぞれ小さな銀板が添えられていた。  ――始まりの勇者ロード。  ――賢王ケイネス。  ――拳士マールーシャ。  ――剛腕のガント。  ――賢者サリオン。  名前だけが、白い空間の中で静かに光っている。 「おお……なんだこれ。全員、勇者ってやつなのか?」  グレンが思わず前へ出た。  彼の視線は、まず武骨な槌を携えたドワーフの肖像に向かい、次に虎の獣人らしき拳士の姿でぴたりと止まった。描かれたマールーシャは、片腕を引き、今にも額縁の中から飛び出してきそうな構えをしている。蒼い瞳と縞模様の尾。その荒々しい輪郭は、白いホールの中でひときわ強い熱を放っていた。 「獣人の勇者……? しかも拳士ですか。これは珍しいですねぇ」  ミストが銀板に顔を寄せる。いつもの勢いで叫び出しそうになった声を、館内の静けさに合わせてぎりぎり抑えていた。 「現在では獣人族そのものがかなり希少ですし、伝承上でも武勲を残した個体は限られています。ふむふむ……出典は南方港湾伝承群、ヴェネスタ地方の闘技詩……なるほど、なるほどぉ……!」 「……観光だぞ、ミスト」  シイナが横から釘を刺す。 「分かってますよぉ。観光とは知的好奇心を満たす行為でもありますからね!」 「お前の場合、休憩という言葉の定義から確認した方がよさそうだな。なんて言っても、俺もなんだがな」  シイナはそう言いながら、視線は別の肖像へ向いていた。  黒い衣をまとい、片手に古い法典を抱えた王。賢王ケイネス。武器らしいものは持っていない。ただ、その背後には白い都市と、秩序正しく並ぶ人々の影が描かれている。  戦う英雄というより、世界に線を引いた者の肖像という例えがエレナの脳裏に浮かんだ。  シオンは、エレナの少し斜め後ろ
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-08
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#85:過去の投影

 奥の通路を抜けると、そこには何もない空間が広がっていた。  白いホールとは違い、壁も床も淡い灰色で統一されている。展示物らしいものは見当たらない。絵も、台座も、説明板もない。ただ、円形の床だけが中央に敷かれ、その周囲を囲むように細い銀の線が幾重にも走っていた。  エレナたちは、思わず足を止めた。  グレンは天井を見上げ、ミストは壁際へ近づき、シオンも静かに室内の隅々へ視線を巡らせる。何かが隠されている気配はある。だが、目に見えるものは何もない。 「あれ……? 何もありませんね……?」  エレナが小さく首を傾げた。 「エレナ様。今回の展示は、どうやらこちらから作動させる仕組みのようです」  シイナだけは、入口脇の案内表示に目を通していた。  彼は迷いなく中央へ進み、床に組み込まれた小さな魔導盤の前で足を止める。そこには、掌ほどの大きさの起動紋が淡く浮かんでいた。  シイナが指先でそれに触れる。  かちり、と硬質な音がした。  次の瞬間、足元の銀線に光が走った。円形の床がゆっくりと脈打つように輝き、細い溝の隙間から白い霧が湧き上がる。  自然の霧ではない。粒の細かすぎる光が、水の形を借りて床から立ちのぼっている。人工的で、滑らかで、どこか舞台装置めいた霧だった。  やがて、軽快な声が室内に響く。 「|記憶編纂館《メモリア・アーカイヴ》へようこそ!」  声と同時に、霧の中心で光が弾けた。  そこに、人影が浮かび上がる。  年老いた男性だった。背は高く、長い外套をまとい、片手には古びた杖のような指示棒を持っている。顔には深い皺が刻まれているが、目だけは妙に若々しい。いかにも語り好きの老人といった風貌で、彼はエレナたちの前に、まるで本当に立っているかのように現れた。 「わっ……!」  エレナが小さく身を引いた。  それから、浮かび上がった老人へ向かって、戸惑いながらも丁寧に頭を下げる。 「こ、こんにちは……?」 「ははっ、エレナ様。そちらはホログラム――立体投影ですよ。実際に人が目の前にいるわけではありません」  シイナが少し笑って説明した。  ところが。  老人の投影が、ぱちりと片目をつむった。 「はっはっ。たしかに私はここにはいない。何しろ私は、かつて勇者伝説を掘り起こした第一人者だからね。とっくにこの世を去っていると
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-09
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#86:光と影のおとぎ話

 霧の中から現れた少年は、まだ何者でもなかった。  勇者でも、王でもない。伝承の中で語られる名ではなく、村の小道を歩くひとりの少年。ただ、朝の光を受けた金髪と、穏やかな目元だけが、どこか遠い未来の面影を薄く宿している。  その時、幻灯の奥から声が響いた。 「おーい! ロードォ!」  村の坂道を、一人の少年が駆け下りてくる。  栗色の髪を風に跳ねさせ、泥のついた靴で草を踏み、こちらまで転がり込んできそうな勢いだった。年頃はロードと同じくらい。笑う前から笑っているような顔つきで、肩から古い布袋を斜めに掛けている。 「やぁ、ゲフェル。どうしたの?」  ロードが振り返る。  ゲーフェルテと呼ばれた少年は、息を弾ませたまま、ロードの前でぴたりと止まった。 「今日、いよいよ村で選ばれし者を選定するみたいだぜ!」  その言葉に、ロードの表情が少しだけ変わった。  驚きではない。待っていたものが、本当に目の前まで来てしまった時の静けさ。村を包む朝の光の中で、彼は一度だけまばたきをした。 「……そっか。いよいよなんだね」 「ああ! 俺が選ばれても……」 「僕が選ばれても、恨みっこなし……だろ?」  ロードが先に続けると、ゲーフェルテは満足そうに歯を見せた。 「そうそう! ほら、行こうぜ!」  ゲーフェルテはロードの腕を掴み、半ば引っ張るようにして走り出す。ロードは少しだけ苦笑して、それでも抵抗せずに歩幅を合わせた。  二人の背後で、村の景色がゆっくりと広がっていく。  小さな畑。石を積んだ低い塀。朝餉の煙がのぼる家々。井戸端では老婆たちが手を止め、走っていく少年たちを見送っていた。鶏が慌てて道を横切り、幼い子どもたちが真似をして駆け出す。  まだ天蓋樹はない。  村の中心にあるのは、古い広場と、そこに立つ一本の若木だけだった。 「これは、少年ロードが選定される日の出来事だよ」  老人の声が、風景の外側から柔らかく重なった。  姿はもう見えない。だが声だけは、エレナたちのすぐそばにある。霧と光で作られた村の空気に混じり、古いおとぎ話の語り部のように響いていた。 「のどかな雰囲気で、とても素敵ですね」  エレナが小さく言った。  その声に応じるように、幻灯の中で風が吹く。森の葉が揺れ、遠くの山並みが淡く浮かび上がった。高く、青く、雪を
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-10
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#87:救いの輪の外

「この幻灯は、ゲーフェルテという人物の影を落とすところで止まるように設定されている」  案内人の声が、止まった焚き火の上に静かに重なった。 「さあ、次に進むといい。光が強くなるほど、影もまた濃くなる。その先に何があったのか――続きを見てみよう」  凍りついていた火の粉が、ふっとほどける。  焚き火も、眠る仲間たちも、闇の中で膝を抱えるゲーフェルテの背も、白い霧に呑まれて消えていった。  エレナたちは案内人の言葉に従い、次の部屋へと進む。  そこも、先ほどとよく似た空間だった。灰色の壁。円形の床。床に刻まれた銀の線。展示物らしいものは何もなく、ただ中央の起動紋だけが淡く浮かんでいる。  シイナが一歩前へ出て、先ほどと同じように魔導盤へ指を触れた。  かちり、と音が鳴る。  床の銀線に光が走り、人工の霧が足元から立ちのぼった。今度の霧は、どこか重い。白いはずなのに、薄い灰を含んでいるように見える。  やがて空間の中央に、二人の青年が浮かび上がった。  一人はロードだった。  少年の面影は残っている。だが、背は伸び、肩には旅の年月が乗っていた。古びた外套には幾つもの傷と継ぎ跡があり、腰の剣も使い込まれている。優しげな顔立ちは変わらない。それでも、そこに立つ姿はもう、村の広場で選ばれたばかりの少年ではなかった。  もう一人は、ゲーフェルテ。  かつてと同じ栗色の髪。けれど笑ってはいない。旅の埃をまとった外套の下に、黒い鎧の一部が覗いていた。人間のものにも、魔物のものにも見える、不自然に鋭い形の鎧だった。  背景は荒れた街道だった。  焼け落ちた荷車。倒れた旗。遠くには、魔王軍のものと思しき黒い軍旗が揺れている。 「ゲフェル!!」  ロードの声が響いた。 「どうして……どうして魔王軍なんかに……!?」  ゲーフェルテは振り返らなかった。 「お前には分からないさ、ロード。人間ってものが、どれだけ救われたがる生き物か」 「……何を言ってるんだ」 「見てきただろう。俺たちはずっと見てきたはずだ」  ゲーフェルテの声は、低かった。 「魔物から救えば、次は食料をくれと言う。食料を渡せば、次は家を建ててくれと言う。家を建てれば、今度は守ってくれ、裁いてくれ、導いてくれ。昨日まで泣いていた連中が、今日にはもう次の救いを探している」  ロー
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-12
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#88:イェレナの面影

「驚いたよ」  案内人の声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。 「これは私が生きていた頃の知識だが――君はまるで、聖女イェレナ様と同じことを口にするんだね」  エレナは、わずかに目を見開いた。  初代聖女。  その名は、聖女の系譜を語る上で必ず最初に置かれる。遠すぎる過去の存在でありながら、今もなお、聖女という言葉の根元に立ち続ける人。 「……光栄です」  エレナは静かに答えた。 「初代聖女様も、そのようなお言葉を口にされたのですね」  案内人は、すぐには返事をしなかった。  見えないはずの視線が、エレナを観察するように向けられている。黒い霧の幻灯が薄れ、凍りついていたロードとゲーフェルテの姿も、少しずつ白い光の中へ溶けていく。 「……そうか。なるほど」  案内人が呟く。 「よく見れば、君は彼女に似ているね。姿だけではない。声の運び方も、ふとした仕草も」 「それはそうでしょうッ!!」  ミストが勢いよく一歩前へ出た。 「彼女こそ、その初代聖女様の血を継ぐお方なのですからっ!!」 「……ミスト」  シイナの声が低く落ちた。 「今は周りに誰もいないからいいが、それ、人前で絶対に言うなよ」  ミストは、しまったという顔をしたあと、誤魔化すように笑った。 「えへへ」 「えへへ、じゃない」  シイナがこめかみを押さえる。  そのやり取りの間にも、案内人は静かにエレナを見ているようだった。記録された人格。すでにこの世を去った研究者の影。それでも、その沈黙には、何かを照合しているような間があった。 「……やはりね」  やがて案内人は言った。 「なら、君は聖女様なんだね」  エレナの指が、また少しだけ袖口に触れる。 「……いえ」  その返事は、ゆっくりだった。 「実は、訳あって……私はまだ、聖女にはなれていないのです」 「おや? そうなのかい?」  案内人の声には、純粋な疑問だけがあった。 「イェレナ様は、君と同じくらいの歳には、すでに聖女として活動されていたはずだけれど」 「そこまでです」  シオンが、静かに言葉を挟んだ。  強く遮る声ではない。だが、それ以上踏み込ませないための線が、はっきりとそこに引かれていた。 「この方には、この方の事情があります。それに、あなたの時代と今の聖女では、担う役割こそ同じで
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-13
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#89:勇者の日記

展示室の奥へ進んだところで、ミストがふと足を止めた。 「おや? シイナ君、あれはなんですかね?」  彼女の視線の先には、他の魔具とは少し離れた展示台があった。  硝子の内側に収められているのは、剣でも杖でもない。黒ずんだ革片と、焦げた紙束。かつては一冊の本として綴じられていたのだろうが、今は形を保っていること自体が奇跡に近い。 「……本?」  シイナが目を細める。 「ああ、あれはね」  案内人の声が、静かな展示室に落ちた。 「日記と思われるものだよ」 「日記?」  シイナの眉がわずかに動いた。 「八千年も前のものが見つかったのか?」 「見つかった、という表現なら正しい」  案内人は淡々と答える。 「それは、生前の私が発掘したものだ。曖昧な伝承資料ではない。少なくとも、私自身が遺跡層から掘り起こした現物だよ」  硝子の中で、黒ずんだ紙片が淡い光を受けている。 「ただし、ロード本人の筆であると断定はできない。年代、素材、記号体系、残留魔力、いくつかの伝承記録との照合から見て、彼に極めて近しい人物の記録、あるいはかなり高い確度でロード本人の私的記録と考えられている」 「……それ、相当な発見じゃないですか」  シイナの声から、わずかに軽さが消えた。 「もちろん」  案内人はあっさりと認める。 「だからこそ、ここに展示されている」 「シイナ君」  ミストが硝子の前で身を乗り出す。 「見てみてもいいですか?」 「ああ。俺も気になる」  二人は並んで展示台の前へ進んだ。  近くで見ると、日記は想像以上に傷んでいた。表紙らしき革は裂け、角は炭のように崩れかけている。紙面の半分以上は欠落し、残った文字も滲み、擦れ、ところどころ光の角度を変えなければ見えないほど薄い。 「……ボロボロだな。さすが年代物と言ったところか」 「ふふ、年代物なんて言葉で片づけられる代物ではありませんよ」  ミストは目を輝かせたまま、硝子越しの日記を覗き込んだ。 「八千年です。八千年という途方もない時間を越えて、今こうして目の前にあるんですから」 「そうだな」  シイナも、少しだけ口元を緩める。 「本当に、メモリスには学びが多い。もっと早くから観光しておけばよかったよ」 「その前にシイナ君は、所長からの仕事を断るという技術を覚える必要がありま
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-14
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