Semua Bab Soul Link ─見習い聖女と最強戦士─: Bab 1 - Bab 10

116 Bab

#0:属性の起源

遥かなる古、万象が未だ若く、世界が静寂の中で息づいていた時代のこと── 人々は、ただ一柱の神に祈りを捧げていた。 その神の慈悲は、世界の隅々にまで行き渡った。乾いた大地には豊穣の約束を、日照りに苦しむ地には恵みの雨を、病に蝕まれた者には癒やしの光を。 生きとし生けるものすべてに、その愛は太陽のように等しく注がれていた。 人々は神の御業に心からの畏敬を捧げ、敬愛を込めてこう呼んだ。 「万象神様」 絶対なる庇護者。この世で唯一無二の完全なる存在として。 しかし、その永劫の平穏を破る者が現れた。 一人の男──彼にとって神とは、信仰の対象ではなく「研究対象」でしかなかった。 男は巧妙に神の信頼を騙り、聖域へと忍び寄る。その目的はただ一つ。神の奇跡の力を我が物とすること。 その心には、一片の敬虔さも宿っていなかった。 そして、純粋なる裏切りの果てに── 万象神は砕けた。 いかなる怒りも、いかなる悲しみも浮かべることなく。 まるで長き役目を終えたかのように、静かに音もなく崩れ落ちたのだった。 次の瞬間、天と地を覆い尽くさんばかりの凄絶な爆発が起こった。 神の聖なる身体から溢れ出た無尽蔵の**未知なる粒子**は、目に見えぬ風に乗って色鮮やかな光の雨となり、大地に染み込み、広大な海を渡り、蒼穹の果てまで届いて── やがて、世界そのものと不可分に混じり合っていった。 永い刻が流れ、世界が神の遺したマギアで満たされた後── その混沌たるエネルギーに適応し、神の破片と**接続**した者たちが歴史の表舞台に現れ始める。 彼らの血はマギアに触れて熱く滾り、その肉体は人ならざる強靭さを獲得し、魂の奥底には失われた神の記憶の欠片が微かに、しかし確かに宿っていた。 彼らは疑いようもなく”人”でありながら、同時に”人”という枠を遥かに超越した存在へと変容を遂げていた。 この世の理を超えた絶対的な力──属性を自在に操る者たち。 人々は、畏れと羨望、そして一抹の不安と共に、彼らをこう呼ぶようになる。 「接続者」 それは、神の力を受け継ぎ、新たなる時代を担う者たちの名だった。 マギアとは、砕け散った神の本質そのものであり、それは世界に十の明確な属性と
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#1:石人形に贈る鉄華

 ──ぎぃっ、と。  重苦しい蝶番の悲鳴が、静寂に沈んだ空間へと響き渡った。  明かりの落ちた屋敷。かつては豪奢な夜会でも開かれていたのだろうその場所は、今や濃密な闇と不穏な気配に支配されている。 「……さて、討伐対象を捜索するぞ」  短く鋭い声が落ちる。  深いフードを目深に被った人物──エレンが、滑るような足取りで屋敷の中へと足を踏み入れた。  月光を吸い込んだような白銀の髪が、フードの内側でわずかに揺れる。外套の下に隠された身体は、いかなる奇襲にも即座に対応できるよう、すでに臨戦態勢に入っていた。  闇に慣れた深紅の瞳が、油断なく周囲を一瞥する。  視界に飛び込んでくるのは、至る所に施された華美な装飾品だ。金糸の刺繍が施されたタペストリー、精緻な彫刻が施された柱、そして今は光を失った豪奢なシャンデリア。 「やれやれ。相変わらず貴族という生き物はよくわからんな」  エレンは呆れたように小さく息を吐いた。  その声には、実務を重んじる彼女(彼)ならではの冷笑が混じっている。 「煌びやかさが好みなのだろうが、結局のところ使わなくなれば、そんなものは無駄なだけだろうに」  戦場を駆ける者にとって、実用性のない飾りなど死重でしかない。機能美こそが全てであり、使えなければ意味がない。そんなエレンの合理的すぎる思考が、ぽつりとこぼれ落ちた。 『あはは……。でも、ほら見て。例の討伐依頼の魔物の痕跡が、こんなにたくさんあるよ』  意識の奥底。魂の共有領域から、春の日差しのように柔らかな声が響く。  エレンとは対極にある、慈愛に満ちたエレナの声だ。  そして、彼女の言う通りだった。  かつては真っ白に磨き上げられていたであろう壁や大理石の床には、無数の惨状が刻み込まれていた。  ボコボコに陥没した床。巨大な爪か刃物のような獲物で、乱暴に切り裂かれた壁面。それは明らかに、尋常ならざる何者かが派手に暴れ回った痕跡である。飛び散った染みや瓦礫の散乱具合が、この場所で起きた凄惨な蹂躙を物語っていた。  エレンは細く息を吸い込み、気配を探る。  空気の淀み。血と獣の匂い。  ──獲物は、まだこの奥にいる。 「ふむ。討伐対象は──ガーゴイルだったな」  周囲の気配を探りながら、エレンは低く呟いた。  その言葉に呼応するように、意識の奥からエレ
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#2:信じる心

──透き通るような青空の下、その街は水と光に祝福されていた。  ベルノ王国の王都、ベルステラ。  幾重にも巡らされた水路が陽光を受け、きらきらと細かな光を返している。石造りの街並みは美しく、窓辺には色鮮やかな花々が飾られ、行き交う人々の穏やかな笑い声が、風に乗って街角を吹き抜けていく。  けれど、その美しい街を囲むように、巨大で堅牢な円形の城壁がそびえ立っていた。  それは、この世界が今も魔物の脅威と隣り合わせにあることを、静かに伝える防壁でもある。人々の暮らしを閉じ込めるためではなく、今日も変わらない日常を守るために、そこにある壁だった。  そんな街の中心から、重厚で、それでいてどこか優しさを含んだ鐘の音が響き渡る。  ゴーン、ゴーンと、空気を震わせるその音は、「鐘が象徴の平和な国」と呼ばれるベルノ王国の鼓動そのものだった。  鐘の音が降り注ぐ大聖堂の奥深く。  ステンドグラス越しに差し込む色とりどりの光が、静寂に包まれた礼拝堂の床へ、淡い模様を描き出している。  その光の中央で、一人の少女が静かに膝をつき、祈りを捧げていた。  陽光をそっと梳いて紡いだような、艶やかな金色の髪。  伏せられた長い睫毛の下には、湖面のように澄んだ碧眼が隠れている。  彼女の周りには、春のうららかな日差しに似た、やわらかな空気があった。ただそこにいるだけで、張り詰めていたものが少しずつほどけていくような、不思議な温かさがある。  その少女の名は、エレナ・フィーレ・ヴィクトリアス。  ベルノ王国における第二百代目の聖女、その正統後継者。今はまだ「見習い」という立場に身を置いているが、祈りを捧げる横顔には、年若さの中にも静かな使命感が宿っていた。  伏せた瞼の向こうで、何を思っているのか。  それを知ることはできなくても、見ている者には自然と伝わるものがある。  この少女はきっと、この世界を愛している。  人々の営みも、何気ない日々も、誰かが笑って帰る場所も。ひとつひとつを大切に思っているのだと。  そんな彼女の祈りが、礼拝堂の静けさに溶け込んでいた、その時だった。  重い扉が乱暴に押し開けられる音が、聖堂の奥まで響いた。 「エレナ様、ご祈祷中失礼します」  エレナのすぐ後ろから声が届く。  同じように膝をつき、祈りを捧げていたはずの女が、静
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#3:聖女見習い、冒険者ギルドへ

 扉が静かに閉まり切るのを見届けてから、エレナは踵を返した。 「エレナ様。どちらへ?」  マリアンの声が、背中を追いかけるように届く。 「私はこれから、冒険者ギルドの方へ足を運んでみます。なにか、情報があるかもしれませんしね」 「まさか、このような些事にエレナ様を煩わせると?」 「マリアン、些事なんてとんでもない」  エレナは振り返り、穏やかに、けれど言葉だけははっきりと告げた。 「あの方の仰っていたことは、たしかに突飛でした。ですが、決して嘘ではないはずです。仮に見間違いであったとしても、それはそれで良いことです。何もなかったと分かれば、それが答えになりますから」 「しかし……であれば、私が赴きます」  マリアンの声には、わずかな抵抗が滲んでいた。  表情はいつも通り整っている。けれど、その静かな立ち姿の奥に、どうしても納得しきれないものが残っているのが、エレナには分かった。  意識の奥で、エレンが小さく息をつく。 『マリアンめ。いつも口うるさく言っているのだがな』  呆れたような声だった。けれど、その響きの底には、弟子を見る者特有の、捨てきれない愛着も混じっている。 『答えを出す前に、一度立ち止まれ。自分の判断を、別の角度から見直してみろ、と。何度言っても、この癖だけは抜けんようだ』  マリアンは、エレンが弟子として鍛えた女性だ。  その鋭さも、冷静さも、たしかにエレンの教えを受け継いでいる。けれど、エレンが最も重んじている「答えに至るまでの手順」は、まだ少しだけ、彼女の中に根づききっていないのかもしれない。  目の前にある答えを疑うこと。  別の道筋を探すこと。  そして、自分が正しいと思った時ほど、もう一度立ち止まること。  それは、優しさとは違う形をした慎重さだった。 「マリアン、お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫です」  エレナはマリアンへ向き直り、静かに微笑んだ。 「私が直接足を運んだほうがいい場合というのも、ございますから」  マリアンは何かを言いかけて、口を閉じた。  エレナの瞳に宿る、柔らかくも揺るがない光を見て、それ以上の言葉を引っ込めたのだろう。 「マリアン、私の留守をお願いいたしますね」 「……はっ」  短い返答だった。  けれどその一言には、マリアンなりの了承が、きちんと
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#4:地下水路の白い影

  ドシュ、という乾いた音が、地下水路の暗がりに吸い込まれた。  宙を舞う首。  緑色の皮膚をした頭部が、汚れた水面に落ちて波紋を広げる。  ──商業区の地下。人目に触れることのない、忘れられた水路。  染み出した汚泥が石壁を黒く染め、腐敗と湿気が混ざり合った悪臭が通路全体に澱んでいる。遠くから聞こえるポタ、ポタという水滴の音だけが、この場所に時間の流れが存在することを辛うじて証明していた。  その中でエレンは、返り血ひとつ浴びていない。  剣先をゆるく下げ、転がった首を一瞥することすらせず、ただ静かに前を見据えていた。 『エレンの言う通り、まさか地下水路にいたなんて……』  エレナの声が、意識の奥から小さく届く。  彼女は思い出していた。昼間、受付嬢から手渡された依頼書を。白いグールの目撃情報、商業区、要注意。そう記されていたはずだった。  しかし今、エレンの前に広がるのは白ではない。  薄暗い水路の奥から、緑色の皮膚をした影が五つ、じりじりと間合いを詰めてくる。牙を剥き出しにし、喉の奥から絞り出すような、ギィ……ギィ……という低い威嚇音。一匹が首を持ち上げてケェッと甲高く鳴けば、残りも呼応するように身を低くし、爪を石畳に立てた。  群れとしての本能が、腐った肉体をひとつの影のように動かしている。 「隠れていた、というわけではなさそうだ」  エレンは静かに言った。感情の起伏など微塵もない、事実を読み上げるだけの声だ。 「本能に引きずられ、ここまで流れ着いた。そう見るべきだろうな」  最初に動いたのは、グールの方だった。  二匹が示し合わせたように身を沈め、次の瞬間には水路を蹴って突進してくる。バシャ、バシャ、バシャ──汚水が激しく跳ね上がり、薄暗い通路に水飛沫の白い軌跡が散った。  最初の一匹が右の爪を振り上げ、エレンの首筋を狙って薙ぎ払う。  その軌道を、剣が真横から弾いた。金属と骨が弾き合う甲高い音。腕ごと外へ流されたグールが体勢を崩し、その喉元を、エレンの剣はすでに通り抜けていた。  首が落ちると、水面が赤く染まった。  しかし、それでもなお二匹目は止まらない。  首を落とした直後の、エレンの無防備な左肩へ──牙が迫る。  エレンは剣を引く動作すら省いた。  軸足を一瞬で入れ替え、片脚を真上へ振り上げる。迫り来
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#5:濁った咆哮

 変異したグールとエレンが、真正面から激突した。その踏み込みの一歩が、足元の床石を粉砕する。  それはただの魔物ではなかった。白く膨れ上がった巨体、濁った眼、垂れた肉と歪な骨格は、一見すれば鈍重な肉塊にしか見えない。しかし、その足運びは異様なほどに緻密だった。巨腕を振り上げる直前、腰がわずかに沈み込み、肩の傾きに合わせて重心が滑らかに移動する。次の攻撃軌道へと、肉体全体が淀みなく滑り込んでいくのだ。 (……私の動きを、追っているな。この図体で、この緻密さか) 「グォォォォッ!!」  濁った咆哮が水路の壁に叩きつけられ、反響する。変異グールの右腕が、頭上から鉄槌のように振り下ろされた。まともに受ければ、骨ごと潰されるだろう。  エレンは退かない。半身を捻り、足裏で濡れた床を噛むように踏みしめる。振り下ろされる巨腕へ、回転蹴りを合わせた。それは止めるための蹴りではない。力の芯を横へずらし、落下する軌道をわずかに逸らすための、精密な一撃。巨腕が水路の壁を深く抉り、土煙が舞った。  その一瞬、がら空きになった胴へ、エレンの剣が閃光のように走った。 「む……」  だが、斬った感触ではなかった。刃が肉へ届くより先に、分厚い表層がぶよりとたわむ。衝撃を呑み込み、押し返すような弾力。柔らかい。だが、脆くない。切り裂くはずの力が、ぬめった弾力の中で鈍く殺されていく。 (……表層は脂か。いや、ただの脂ではないな。弾力で刃を殺し、その奥の筋肉で止めている。面倒な身体だ)  白い皮膚がゴムのように歪み、その奥で太い筋肉がしなやかに躍動する。鈍い肉の塊に見えて、その構造そのものが斬撃を受け流すようにできていた。単純に斬り込むだけでは、届かない。そう判断するより早く、グールの腕がぬるりと伸び、白い指がエレンの足首を掴んだ。 「……!」  水路の景色が反転する。人間ひとりを石ころのように振り回す膂力。濁った水飛沫が弧を描き、壁が横から迫った。エレンは抵抗しない。身体を固めず、掴まれた足を軸に力の流れへ乗る。投げられる方向へ、あえて身を預けた。  衝突の寸前、靴裏が石壁に触れる。エレンは壁を蹴った。投げの勢いは殺さず、角度だけを変え、次の加速へとつなぐ。弾かれた銀の影が、水路の空気を裂いて戻った。 『エレン、大丈夫!?  あのグール、普通じゃないよ……! どうするの……
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#6:属性の外側

「本当にありがとうございました……!!」  ギルドの受付嬢は、カウンター越しに深々と頭を下げた。声音には安堵と恐縮が入り混じっていて、上げた肩がわずかに震えている。まるで、自分たちの見立てがどれほど危ういものだったのか、今になってようやく実感したようだった。 「いえ。お礼は、無事に討伐を果たしたエレンにお願いします。きっと、喜びますから」  エレナがやわらかく返すと、受付嬢は慌てたように顔を上げ、それでもすぐには表情を整えきれなかった。 「それはもちろんです……! ですが、その……私どもとしては、まさか本当にあれほどの特異個体のグールが存在するとは夢にも思わず……。しかも、街の中で発見されるなんて……」 「……そうでしょうね。私もエレンから聞いた時は、すぐには信じられませんでした。しかも、かなり強力な個体だったと報告を受けています」  エレナの言葉に、受付嬢は小さく息を呑んだのち、机上に用意していた書類へ視線を落とした。 「ええ。ですので、まずは解剖結果を共有させていただきます。昨夜、エレン様が討伐したグールですが……その血液から、極めて特異な細胞が確認されました」 「特異な細胞、ですか?」 「はい。解析の結果、あの個体には――我々が持つ属性の力が、通じない可能性があったのです」  その一言に、エレナの碧眼がわずかに揺れた。  属性。  万象神がこの世へと撒き散らした魂の粒子であり、人が世界の理へ触れるための鍵。一人につきひとつだけ宿るその力は、炎、水、雷、風、氷、土、鉄、闇、そして聖――この世に満ちる現象そのものを引き起こす源でもあった。  そして、その力と接続した人間は、この大陸エクリプシアにおいて《接続者》と呼ばれている。 「属性が……通じない?」  思わず問い返した声は、かすかに低い。 「でも確かに……エレンも言っていました。切ったことのないような弾力があった、と」 『ああ。あれはなかなかに切りごたえがあった』  不意に内側から届いた声音は、いつも通り落ち着いているのに、その内容だけはまるで獲物の感想でも述べるようだった。  エレナはほんの少しだけ目を細める。緊迫した報告の最中でなければ、もう少し呆れた返しもできたのだろうが、今はそれどころではない。  属性が効かないグール。  それが意味するものの重さは、受付嬢の青
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#7:王国が沸く日

 そして、時は瞬く間に流れた。  |接続者選抜戦《リンカーズセレクション》の開催当日。夜明けとともに、壮麗なファンファーレがベルノ王国の空へ放たれる。重厚でありながら高らかなその響きは、城壁を越え、石畳を伝い、街の隅々にまで染み渡っていった。  それはもはや、ただの開幕の合図ではない。  この国に生きる者にとって、その音は祝福であり、号砲であり、心の奥に眠る熱を無理やり引きずり起こす何かだった。耳にした瞬間、血が騒ぎ、名を上げたいという衝動が胸の内で膨らんでいく。長い年月をかけて繰り返されてきた祭典の熱が、民の気質そのものとして根づいているのだと、そう思えるほどだった。 (この音を聞くと、不思議と……私まで熱くなるんだよね)  聖女見習いであるエレナでさえ、そう感じる。  ならば、剣を握る者たちにとってはなおさらだろう。胸の高鳴りを自覚したエレナは、軽く首を振ってその余韻を追い払い、受付の列へと向き直った。 「はい。これで参加受付は完了です。どうか、力を存分に振るってくださいね」  書類を返された屈強な戦士は、思わずといった様子で背筋を伸ばした。 「あ、ありがとうございます。エレナ様にそう言っていただけると、身が引き締まりますなぁ」 「ふふ。ええ、応援していますよ」  やわらかな笑みで送り出しながら、エレナは心の中で小さく苦笑する。 (なんて言ってるけど……私の体は、参加する側なんだよね……)  わずかに芽生えた後ろめたさは、しかし今さらどうこうできるものでもなかった。表では聖堂の務めを果たし、舞台に立つのはその内に宿るもう一人。二人で一つの現実を、今さら切り分けられるはずもない。  そうして次々と参加者を送り出していると、不意に背後から穏やかな声がかかった。 「さて、エレナくん」  振り向いた先に立っていたのは、ベルノ大聖堂の頂に座す人物――教皇だった。 「はい、教皇様」 「もう、あとは私とマリアンで何とかなるだろう。君には君の準備がある。行ってくるといい」  その言葉に、エレナは一瞬だけ目を見開いた。  教皇。  この国において、国王と並ぶほどの権威を持つ大いなる信仰の象徴。その信仰心は深く、敬虔さにおいて並ぶ者はいない。エレナですら、その在り方には憧れに近いものを抱いている。  けれど同時に、この人物は特別だった。
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#8:炎の騎士グレン

 晴天の下、コロッセオの石壁が白く焼けていた。  円形に広がる観客席は、すでに熱を帯びている。歓声、足踏み、誰かの野次。試合前のざわめきが幾重にも重なり、闘技場の中央へ降り注いでいた。  その中心で、赤毛の騎士が胸を張る。 「オレはベルノ王国、天征騎士団・|空《ソラーレ》所属、グレンだ!」  叫びは、宣誓というには荒々しかった。けれど、ただの自己紹介でもない。代々騎士団に受け継がれてきた名乗りの型を、意味の半分も噛み砕けていないまま、勢いだけで真正面から叩きつけてくる。  それがグレンという男には、妙に似合っていた。 「グレン。噂は聞いている。天征騎士団所属の優秀な炎使いだと」  エレンは静かに応じた。  天征騎士団。天より征伐の鐘を鳴らす、ベルノ王国の精鋭部隊。その中でも|空《ソラーレ》は、|陸《テラ》、|海《マーレ》と並ぶ三つの中核部隊のひとつだ。  ベルノ王国において、鐘はただの象徴ではない。国の歴史そのものに刻まれた音であり、騎士団の名にも、その誇りは深く根を張っている。 「へへ、アンタの噂も聞いてるぜ! 天征騎士団とは別に、唯一騎士の称号を得た人物だってな!」 「はっ。だが、私は騎士などという、お行儀のいい戦い方はしないぞ」  エレンが口元だけで笑う。  その手にある剣は、確かに武器だった。だが、エレンにとって剣とは戦うための手段のひとつでしかない。腕を使う。足を使う。間合いを使い、視線を使い、ときには声すら使う。  勝つために使えるものなら、何でも使う。  そこに騎士の美学はない。ただ、戦士として積み上げてきた理だけがある。 「ああ! 知ってるぜ!」 「……なに?」  エレンの眉がわずかに動いた。 「アンタ、前回の|接続者選抜戦《リンカーズ・セレクション》に出てたろ! オレは見てたんだ、あの時! アンタの戦いぶりを! 無駄のねぇ動きを!」  グレンの声が、さらに熱を増す。 「だからオレは、ずっとアンタと戦ってみたかったんだ!」 「……ふむ」  エレンは、ゆっくりと構えを解いた。  警戒を捨てたわけではない。むしろその逆だ。剣先をわずかに下げただけで、身体のどこにも隙は生まれていない。観客席から見れば気を抜いたように見えても、闘技場の中央に立つグレンだけは、その意味を肌で理解していた。 「オレは、前回のアン
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#9:紅蓮剣

(に、逃げようにも逃げようが……ねぇ……っ!)  もがいても、無駄だった。  腕を引こうとすれば、関節が悲鳴を上げる。身体を捻ろうとすれば、重心がさらに崩れる。抵抗するたびに痛みが増すのは自分だけで、押さえ込んでいるエレンは、何ひとつ乱れていなかった。涼しい顔で、ただそこにいる。まるで、これが当然の帰結だと言わんばかりに。  観客席が、静まり返っていた。  歓声も怒号も、いつの間にか消えていた。何が起きているのか理解できないまま、数万の目が闘技場の中央に注がれている。しんと張り詰めた空気の中に、砂を踏む音ひとつ立たない。  その沈黙を、一つの声が破った。 「グレン!! なんだその情けない姿は!!」  観客席の一角から、よく通る怒声が降ってきた。甲冑を纏った青紫の髪の男が、身を乗り出すようにして立っている。傭兵崩れのような荒削りな体格に、場慣れした眼光。騎士団の型を身につけながらも、どこか戦場の泥を引きずったような、そういう男だった。  観客の視線が、一斉にそこへ向く。グレンの目も向く。そして、エレンの赤い瞳も、ゆっくりとその男を捉えた。 「……だそうだ。グレン」 「だ、団長……っ!」 「情けないにも程がある!! たったの数度の攻めで、そんなどこの馬の骨ともわからん奴に組み伏せられるなどと!!」 「ほぉ? 言うじゃないか」  エレンの口元が、わずかに動いた。  その一言が、グレンの中で何かに火をつけた。 「こ、こんのぉぉぉぉぉ!!!!」  腕に力が集まる。折られないよう角度を保ちながら、それでも強引に身体を起こす。関節が悲鳴を上げるのも構わず、グレンは地面を蹴った。 「……これは驚いた」  エレンが、素直にそう言った。拘束を外されたことへの驚きではない。その意地の力に対する、純粋な評価だった。  立ち上がったグレンの手が、今度はエレンの腕を掴む。 「おらぁぁぁ!!」  逆に叩きつけてやろうという意図は、明確だった。空中へ引き上げ、そのまま床へ叩き落とす。単純で、力任せで、だからこそ速い。  だが、空中は、エレンの庭だった。  不安定な力場の中で身体がどう動くか、どこに重心が生まれ、どこに隙が走るか。それをエレンは熟知していた。引き上げられた勢いを殺さず、むしろ乗り換えるように軌道を変える。次の瞬間、砂の上に叩きつけられてい
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