あなたからのリクエストはもういらない のすべてのチャプター: チャプター 71 - チャプター 80

126 チャプター

71.立場

「旦那さま、先ほど聖人さま、尚さまで佐倉さまをお送りして行かれたそうですが…。どうやら佐倉さまのお引き止めは、無理なようです」「……」それを聞いて、怜士は深くため息をついた。はぁ…、准が泣いてしまうな…。彼の気掛かりはそこだけだった。母親の不機嫌も、美月の身勝手さも、この際どうでもよかった。彼が気にするのは、妻が遺した唯一の愛する息子のみ。怜士は、准が幸せならなんでも良かったのだ。しかしー。「佐倉希純か…。想像以上に愚かだったな…」そう思わないか?と話を向けられて、控えていた井上は少し考え、言った。「あれはあれで、妻のことを考えての行動では?」その答えに、怜士はふんっと鼻を鳴らした。「あれのどこが?彼女の世間知らずは、彼女の生育環境によるものだ。慣れればなんとでもなる。それをできないから、慣れないからと〝傷つけたくない〟なんて名目で閉じ込めておいて、結局は彼女の妹をどこにでも連れ立ってまわってる。〝場に慣れさせる為〟だと言ってな。あいつの偽善者っぷりには反吐が出る」「……」怜士は幾分か興奮しているようだった。それだけ美月の境遇に憤慨しているのだろうが、井上が見るに、彼のこんな姿はほぼ初めてだった。いつもの彼なら、どういう結果になろうが、本人の決めたことならば口を出すことはない。自分には関係ない。その言葉は常に彼の中にあった。不利益を被らない限り、彼はそう言っていた。今回、確かに息子の願いを叶えるという至上の命題がネックにはなっているだろうが、それでも、彼なら無理だと言い聞かせることなど造作もないはずである。それをしないということは…。黙り込んだ執事に、怜士は問うた。「俺は間違ってるか?」「いいえ。私も、彼の態度には納得いきかねます」「だよな…」少し冷静になったのか、静かに相槌を打った。それから、ふと思い出したように、尋ねた。「母さんは?」「奥の自室にて、マッサージを受けていらっしゃいます」「そうか…気楽なものだな…」怜士はため息をつき、彼女のリフレッシュが終わるのを待つことにした。怜士には母親の考えがよく理解できなかった。彼の母親、英恵もあまり自慢にできるほどの名家の出ではない。ただ彼女の祖父が父、聖一の祖父と仲が良かったというだけで結ばれた縁で、真田の家格に合う気品を身に着けているかと言われれ
last update最終更新日 : 2025-08-13
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72.悩み

本当に、なんだっていうの!?皆して!ドスドスと、貴婦人らしからぬ足音をさせて英恵が自室に戻ると、しばらくして怜士から呼び出された。「ここへ来るように言ってちょうだい」英恵はもう動きたくなかった。気持ちを落ち着けたくて、マッサージ師を呼んでいたのだ。身体を解されてやっとリラックスしてきたというのに、また不快な思いをするのは御免だった。英恵は普段この本邸ではなく、別邸で夫と住んでいる。だがここには唯一の孫、そして跡取りの准がいるし、怜士に譲る前にはここに住んでいたので、彼女にとってとても居心地の良い場所なのだ。部屋だってそのまま残してあるし、実は英恵としては同居がしたいのだが、当時、怜士が准の母親に気を遣って別居を推し進めたのだった。准の母親は真田家に嫁ぐには家格が釣り合わず、自分たち夫婦があまりいい顔をしなかったことから関係がギクシャクしてしまい、結婚をやめたいと言い出した彼女に配慮した結果だ。それ以来、怜士は自分たちに冷たい気がする。もういい加減許してくれてもいいじゃない…。英恵は夫と2人きりの生活が寂しかった。静かでいいと言う友人もいたが、英恵は賑やかな方がいい。子煩悩な夫も、時々寂しそうにため息をついているのを知っている。英恵は考えるのを止めて、マッサージ師を下がらせた。「もういいわ。ありがとう」そう言うと、彼女はにっこり微笑って帰って行った。「母さんー」マッサージ師が帰って紅茶を飲んでいると、怜士がやって来た。英恵はそれをちらりと見て、つっけんどんに言った。「何か用?」「彼女に何か言ったのか?」それに対して特に腹を立てているようでもなく、ただ事実確認をするような口振りだった。「別に。何も変な事は言ってないわよ」「……」怜士は英恵の答えに納得がいかないらしく、くっと目を眇めて見つめてきた。その目に宿るほんの少しの威圧に、彼女は癇癪を起こした。「私が間違ってるって言うの!?彼女が失礼なのがいけないんでしょう!?」そう言うと、怜士がフッと嗤い、頷いた。「確かに。彼女は世間慣れしていないところがあるな。でもだからって、俺の客に対して取っていい態度じゃあ、ないんじゃないか?」「……」悔しそうに唇を噛む母親に、怜士はため息をついた。「それに今日連れて来た彼女、なぜ俺の許可もなく奥に連れて入った?」「それ
last update最終更新日 : 2025-08-13
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73.恨み

その日、七海は家に帰るとすぐ、大学時代の友人にメッセージを送った。『浅野美月、覚えてる?今日、彼女に会ったんだけど、相変わらず嫌な感じだったわ』それは、当時一緒に美月のピアノの調律を狂わせた友人たちで、誰もが彼女の良い人ぶった言動にムカついていた。おまけに調律をわざと狂わせていたことがバレて、全員で学長に呼び出されてお叱りを受けたうえ、これまでに無駄にかかった調律師への費用を親元に請求されたのだ。その件で自主退学させられた友人もいた。彼女たちは皆、美月に対して思うところがあったのだ。七海のメッセージに対して、すぐに返信がきた。『マジで!?うわ、ムカつく〜。どこで会ったの?』『あの女、今結構惨めじゃん?笑えるよね〜』といった具合だ。七海はすぐに美月を『惨めだ』と言った友人に返信した。『惨めって?何かあったの?』そう送ると、簡潔に返ってきた。『旦那に浮気されてんだって!しかも、相手は妹!マジウケる〜』それを読んで、七海は驚いた。え!?あの女、結婚してたの!?なのに、怜士さんに手を出そうとしてるの!?「最低…」侮蔑的に呟いて、益々美月を嫌いになった。『あの女、誰と結婚したの?』情報収集は徹底的にやらなければならない。怜士と英恵にその事実を突き付けてやるのだ!七海の顔はいつしか口角がぐんと上がり、気分も浮き上がってきた。美月、あんたの乗り換え計画はここまでよ!彼女は一人でふふふ…と笑い、スマホの画面を見つめていた。ピロンー届いた!七海はすぐさまその答えを目にし、ハハハッ!と笑った。これは…旦那の方にもチクっちゃおうかしら…?そうしたら、慰謝料なしで捨てられちゃうんじゃない??七海は可笑しくて笑いが止まらなかった。いい気味ね!みてなさい、浅野…いいえ、佐倉美月!あんたはこれでお終いよ!!昏い目をして笑い続ける七海の手の中に、返ってきたメッセージの文字がまだ光っていた。『佐倉希純!佐倉グループの社長よ!』このメッセージを返したのは、あの事件で自主退学をさせられた友人だった。彼女は両親からこっぴどく怒られ、自身に価値を付けることがもう叶わないと判断されたのか、年を跨がずにある男の下へ嫁がされたのだった。それは彼女の家の事業にほんのちょっと融資をしてくれるという馬鹿みたいな条件と引き換えで、2つの離婚歴と生意気な
last update最終更新日 : 2025-08-13
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74.覚悟

翌日ー。英恵のスマホに一通のメッセージが届いた。それは昨日いつの間にか帰ってしまっていた島田七海からで、驚きの内容だった。昨日会った佐倉美月は既婚者で、夫は佐倉グループ社長の佐倉希純だ…というのだ。しかも彼は美月の妹と浮気をしていて、もしかしたら彼女は准を利用して、次の相手として怜士を狙っているのでは…?という推測まで付けられていた。「……は?」既婚者?次の相手?一体何を言ってるの?英恵はスマホをぎゅっと握り締めた。彼女の思い描く美月は生意気だが大人しやかで、決して男漁りをしているような下品な女には見えなかった。だが…。既婚者、ですって!?「だ、駄目よ!そんなの、絶対駄目!!」ついこの前までも、既婚者の女に付き纏われていたのだ。これ以上そんな女に側にいられたら、怜士の方がそういう女に手を出しているみたいじゃないか!?英恵はガバっと立ち上がると、今頃は庭を弄ってのんびりお茶でも飲んでいる夫に告げるべく、急いだ。「あなた!」予想通り、庭に作った東屋に夫の真田聖一(さなだせいいち)がいた。彼は午前中に気になる庭木の剪定をして、今やっと、ゆっくり落ち着いてお茶と菓子を嗜んでいたところだった。叫び声に近い妻の声に振り向いて怪訝な視線を据えると、英恵はハッと気がついたように走っていた足を止め、早歩き程度の足運びで彼の下へ近づいて行った。「どうした?」聖一の問いに、英恵は息を整え慎重に話し出した。「怜士に、また変な女が近づいて来てるの」「変な女?」ピクリ…と口元へ持っていっていた湯呑みを止め、聖一が英恵に続きを促した。そうしながら彼女に自分の前に座るよう示し、執事に彼女のお茶を用意するよう告げた。頭を下げて下がる執事を見て、彼は言った。「それで?今度はどんな女だ?」そうして彼は妻から、今度孫の准にピアノを教えるという名目で、あの佐倉グループの社長夫人である佐倉美月が来た、と聞かされた。「ほぉ…?」聖一は面白そうに目を細め、一口茶を口に含んだ。「で?彼女の目的が怜士だと?」「そうよ!」英恵は、ここぞとばかりに勢い込んで話し出した。自分の妹と浮気をした夫を見返す為に、夫より格上の怜士に目を付けたに違いない、という…纏めればこの程度の内容なのだが、英恵は興奮に耳まで染めている。聖一はそんな妻を見てふっ…と笑うと、いつの
last update最終更新日 : 2025-08-13
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75.感情

「そこへ座りなさい」ある日、仕事が一日オフだったので、今日は息子をどこかへ連れて出ようかと考えていたところ、父親からの呼び出しを受けた。また准との貴重な休みが削られるのか…。そんな風にうんざりして、ため息をつきながら別邸に向かうと、意外にも穏やかな雰囲気で迎えられた。聖一の愛する庭を眺めながら、東屋に用意されたお茶と菓子に目を留め、怜士は首を傾げた。「何か話しがあるのでは?」そう言うと、父親も「ああ」と頷き、静かに湯呑みを置いたのだった。「彼女を迎えるつもりか?」「……」いきなりの直球に、怜士も虚を突かれて一瞬言葉に詰まってしまった。それを肯定ととったのか、聖一は昔そうだったように、一言「相応しくない」と言った。怜士はその言葉に苦笑して、父親の勘違いを正すことにした。「わかってます。そんなつもりは、ありません」「ふむ…」静かにそう言った息子を、聖一はじっと見つめた。「では、なんの為に彼女をうちに入れた?」まだ疑わしげにそう尋ねる聖一に、怜士はふっと笑い、肩を竦めた。「准が望んだので」「……」聖一は、怜士の真意を図ろうとわざと皮肉げに言った。「彼女がどう思っているのか、分からんじゃないか?」だが怜士は、なんて事ないように言った。「彼女も、そんな事は考えてませんよ」「なぜ、わかる?」「……」怜士は、この言いたいことをはっきり口にしない父親にだんだん苛ついてきて、思わず強い口調で言った。「私も、おそらく彼女も、こんな煩わしい事は二度と御免だと思っているからですよっ」「……」〝煩わしい事〟と彼は言った。つまり、以前の結婚生活も煩わしかった…と?聖一は探るように尋ねた。「妻を愛してなかったのか…?」ではなぜ、自分の反対を押し切ってまで結婚した?今や隠すことなくはっきりと眉を顰めている父親に、怜士は盛大なため息をついた。「いいえ、愛してましたよ。でも、彼女に〝真田夫人〟の肩書きは重すぎました。あなたの言う通り、彼女は〝相応しく〟なかった」「ではなぜ、お前は彼女を選ばなかった?」つまり、この家を出なかった?怜士は一瞬、父親の頭を疑った。なんだ?一度病院で検査させるか?父親への疑いを胸に留めて、彼は答えた。「あの頃、私以外にグループを継げる者がいましたか?」「私がまだいたろう?」その言葉に、怜士は
last update最終更新日 : 2025-08-19
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76.裏切りの回収

美月は荷物を片付けるのに、今日一日を費やした。ここ精華ホテルは真田家の経営するホテルだったので、今回の契約をした後ずっと宿泊料があちら持ちになっていた。別に美月に払えない訳ではなかったのでこのまま居ても良かったのだが、なんだかあの家との関わりを断ちたかったのだ。夕方。ここでの最後のディナーを食べに、美月はレストランに向かおうと支度をしていた。そこへーピンポ〜ンチャイムが鳴って、警戒しながらドアを開けると、そこには親友の如月尚が笑顔で立っていた。今日は一人のようだった。「どうしたの?」首を傾げると、彼女はニコッと笑って言った。「食事に行こう!あと、話もあるの!」「話?」美月は尚を部屋に入れ、鏡の前で服装のチェックをした。「おかしくない?」そう訊くと、彼女は親指を立てて頷いた。「完璧。ね、もう行こう!連れて行きたい所があるの!」「新しいお店、見つけたの?」尋ねても、尚は意味深に微笑うだけで教えてくれなかった。そしてー「ここは……」美月は尚の運転する車に乗って郊外の住宅街に入って行った時、懐かしさに胸を痛めた。それだけに「到着した」と告げられ、車を降りた時、目の前の建物を見た彼女の我慢は、もう限界だった。美月の大きな瞳から涙が溢れ出て、言葉もなく佇むその姿はとても痛々しかった。尚はそんな彼女の手を引き、マンションに入り、慣れた様子でエレベーターに彼女と共に乗り込んだ。「尚…どうして…?」「ふふ…」ぐずぐずと鼻をすすりながら問う美月に尚は優しく微笑んで、エレベーターのチンッという音と共に開いた扉を2人で潜った。そこに広がる景色は美月にとってとても懐かしく、そして祖父母に対する罪悪感を刺激するものだった。「どうぞ、入って」玄関ドアを開けて美月を促し、尚は早く早くと彼女を急かした。「懐かしい?」リビングに入り、そこで美月は崩折れた。「尚…尚…」「うん…」尚もつられて涙ぐんだが、すぐに気を取り直して言った。「ホテル出るんでしょう?ここに来たらいいわ」「でも…」美月は戸惑ったように尚を見上げた。ここは、美月が祖父母から贈られたマンションで、尚が大学を退学して家を出た時に、住むように言った部屋だった。その後尚がここを出て、美月が結婚をし、いつの間にか失くしていた場所だった。判明したのは、希純が美月に黙
last update最終更新日 : 2025-08-19
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77.計画

ぐぅ〜「……」美月が尋ねる前、ふいにお腹の音がした。今日は一日荷物の片付けで忙しくしていた為、実は朝昼とあまり食事らしい食事をしていなかった美月は、本当にお腹がすいていた。でもここへ来て感動のあまり忘れていた空腹感を、痛烈に感じた。尚も一瞬感動を忘れ、ぷっと笑った。「お腹すいたわよね。食べましょう!」「……うん」確かにいい匂いが漂ってきている。この匂いに刺激されてお腹が鳴ったのだ。美月が尚と連れ立ってダイニングに行くと、そこにはエプロンをして立つ真田聖人がいた。美月は思い切り泣いて化粧が崩れた顔を晒していることに気がついて、恥ずかしそうに俯いた。聖人はそれを見て、彼女が先日の講師の件で気まずく思っているのだろうと思い、苦笑した。「お二人の邪魔はしませんよ。ごゆっくり」「え…?」美月は慌てた。明らかにこのテーブルに乗る沢山の料理は、聖人が準備したものだ。以前、尚の家で冷蔵庫を見たからわかる。彼は料理が得意らしい。でも今、準備だけして立ち去ろうとしている聖人に、美月は駆け寄った。「あのっ!私は構いませんっ。ご一緒しましょう?」だって、絶対この部屋のこと、彼の協力があったでしょう?でないと、奈月に渡らなかった時点で希純が何も言ってこないはずがない。希純は基本強気で物事を推し進める人だが、格上の相手にもそうするほど愚かではない。だとしたら、やっぱり尚が彼、真田家の次男である聖人に頼んだとしか考えられない。美月がそう言うと、2人は苦笑して頷いた。「ありがとう。本当に…ありがとうございます」深く頭を下げる彼女に、聖人は思った。あの旦那、マジ、クズだな…。こんなにも、彼女がここを大切に思っていることを知らないはずがないのに、なぜ簡単に、身内とはいえ人に渡せるのか…。それから美月と尚、聖人は3人で食卓を囲み、楽しく食事をした。「必ずかかったお金は返すわ。すぐには無理だけど…」希純のカードを使えばすぐに返せるが、そうしたらここが美月に返されたことがバレてしまう。つまり、これからここに美月がいる事も、必然的にバレてしまうのだ。それだけは嫌だ!もうあの男とは関わりたくない!美月の願いはそれだけだった。前世も、両手の指を砕かれた時に、希純が自分ではなく奈月だけを心配して病院に急いだのを見て、彼女は離婚を決めたのだ。残
last update最終更新日 : 2025-08-19
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78.疑惑の芽

美月は考えた。さっきまでは、自分がこのマンションにいる事を希純に知られたくない、と思っていた。でも今は、〝ここにいるのだろう〟と思わせておくのもいいかもしれない…と思った。このマンションのセキュリティは完璧なので、例え希純であろうとも勝手に入って来る事は出来ない。だから離婚後もここに自分がいると思わせておけば、安心して他を探すことはしないだろう。ひとまずは。美月はここを離れるつもりだった。尚と離れるのは寂しいけれど、もうこれ以上、希純や奈月に関わりたくなかったのだ。あの2人がどんな関係になろうと、知ったことではなかった。美月は、久しぶりに希純の秘書、中津にメッセージを送った。ピロンー携帯に、メッセージの通知を知らせる音が鳴った。中津が恋人の井藤花果に断ってスマホの画面を確認すると、そこには美月の名前が表示されていた。「誰から?」中津の腕を支えに、ひょいと爪先立って画面を覗く花果に、中津は柔らかく微笑んだ。「社長の奥さま」「?なんだって?」なんの用だったのか訊くのは、もしかして嫉妬してくれているのだろうか…?彼は花果の額をチョンとつつき、言った。「社長の予定確認だった」「夫婦なのに知らないの?」不思議そうにそう言う彼女に、中津も苦笑して頷いた。そしてちょいちょいと花果に合図して、彼女の耳にコソコソと囁いた。「離婚間際なんだ」「あぁ、なるほど…」2人は一緒に食事を楽しみに出て来ていたので、こんな公共の場で希純のプライベートをペラペラと喋る訳にはいかなかった。だからこっそりと簡潔に言ったのだが、花果はそれだけで察してくれたようで、あぁ…と頷くと、何でもなかったように笑顔になり、言った。「お腹いっぱい!デザートの前に少し散歩しない?久しぶりだしっ」「ああ、いいよ」今日は花果のデザートリベンジなのだ。この前、彼女が食べたがっていた苺のパフェを、中津が一人で楽しんだ事に対する報復なのだった。中津は、なかなか予約の取れないレストランでの食事を彼女の為に用意し、あとは彼女の食べたいデザートを食べさせてやるだけだった。例の、会社前のカフェにあるパフェはまた今度として、彼女は何やら新しいお店を開拓したらしく、今夜はそこに行くのだと張り切っていた。あぁ~、可愛いなぁ…。中津は自分の前をスタスタと歩く花果を見て、胸中に呟い
last update最終更新日 : 2025-08-19
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79.拒絶

「どうしたの?」奈月は自分を見つめる希純に頬を染め、上目遣いで尋ねた。「お前…」「?」彼女が首を傾げるのに一言言ってやろうと口を開きかけて、その時感じた会場からの視線に、希純が顔を上げた。「……」そこには真田怜士がいた。彼は、彼とお近づきになりたい各界の名士や令嬢たちに囲まれていたが、その視線はひたり…と希純に据えられていた。途端に、希純は己が恥ずかしくなった。あんなにはっきり「妻を返せ」と言った自分が、妻以外の女性を連れている。例えそれが義妹であっても、それがとても不誠実な自分を証明しているような気がしたのだ。希純はサッと奈月の手を腕から外し、彼女と距離をとった。だがそれを見て、怜士はバカにしたように嗤った。「なんなの、あの人…っ」奈月も怜士を見た。瞬間、素敵…と少し見惚れたのだが、そのこちらに向けた視線と嗤いに、ムカついて口を尖らせた。希純から急に距離をとられたのにも驚いて、奈月の顔色は悪かった。「希純さん…」「あ”?」つい他所で口にしている呼び名を言ってしまい、振り向いた希純にギロリと睨まれてしまった。「今、なんて言った?」「え…と…」口籠る彼女に、希純は冷めた視線で問い詰めた。「まさかと思うが…。お前、他所で俺をそんな風に呼んでいるのか?」「あ…」答えられない奈月に、希純は嫌悪の表情で言った。「お前、やっぱりわざとだったんだな?」「……」「わざと、俺たちの仲を誤解させるように振る舞ってたんだな!?」「ご、ごめんなさい……」「…っ」その瞬間、希純は奈月をドンッと突き飛ばした。「きゃー!!」ガッシャーン!!!!よろけた所に、ちょうど酒を給仕する為に歩いていたウェイターがいて、奈月は彼共々倒れ込み、沢山のお酒に濡れてしまった。周りには割れたグラスの欠片もあり、誰も助け起こしに近寄れなかった。「何するー」「……」床に倒れ込んで希純を見上げると、その氷のような眼差しに奈月はビクリと震えた。「義兄さん……」「……」ついさっきまでざわざわとしていた会場が今やシーン……と静まり返り、周りからの心配げな視線や、面白そうなものを見つけたという嘲笑に、奈月は青褪めた。「ひどいわ…」ポツリと呟く彼女はとても儚げで、人々の同情を誘っていた。奈月は掌から滲む血をわざと見せるように涙を拭う仕草をし、そ
last update最終更新日 : 2025-08-19
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80.次へ

なに…?奈月はじりじりと後退りながら、お酒で濡れて滑りやすくなっている床を気にしていた。ここで転ぶ訳にはいかない。もうこれ以上、恥の上塗りは御免よ!それならいっそー。奈月は近づいて来る男の足運びと、自分との距離を見てタイミングを計り、足を滑らせたふりをして一気に倒れ込んだ。「きゃあ!」そうして計画では、男の胸に抱きとめられるはずだった。でも、結果はー。「おっと…」男は見事に奈月を避け、抱きとめるどころか手で払い除けたのだった。再び床に手をついた彼女に、彼は言った。「危ないな、お嬢さん」「……」奈月は呆然と男を見上げた。こんな事は初めてだった。今まで同じようにして知り合った男たちは皆、自分を優しく抱きとめて、「大丈夫か?」と心配してくれた。それなのに…。信じられない!こんなの、あり得ないわ!例えどんな状況であれ、倒れ込んで来る人を…特に女性を、避けられるものなのか!?奈月は驚愕に目を見開き、唇を震わせた。するとそれを見て、男は肩を竦めた。「わざと倒れて来たくせに、避けたら驚くのか?」「!」男の深い声が奈月の耳を心地よく震わせた。素敵…。そのからかうような言葉と目つきに、奈月は受けた屈辱も忘れて見惚れてしまった。わかってる。この人は自分に好感を抱いてない。でも…。こういう男こそ、惚れさせたら一気に溺愛モードに入るのよね…。奈月は素早く計算し、サッと立ち上がった。「そりゃあ、驚くわよ。普通支えるでしょ?」今までと路線を変更して、急にサバサバとした態度になった彼女に、怜士は内心で呆れていた。なるほど?ギャップ狙いか…?奈月は知らなかったが、怜士という男は、今までありとあらゆる女たちから誘惑を受けてきたのだ。か弱い系、強引系、才女系、ドジっ子系、小悪魔系…。これ以上あるのか?というくらい、いろいろだ。つまり 奈月が今装おうとしているギャップ系など、基本中の基本で、もう何度こんな女につきまとわれたか分からない程だった。だから、彼はそう言った。「俺にそういう手は効かないぞ。ギャップ系なんて、今どき古くないか?」「!!」一瞬にして、奈月の顔が真っ赤になった。それを聞いた周りの人々は声を立てて笑い、彼女を恥かしめた。「まったく…。あの真田怜士に仕掛けるとは、命知らずだな」「他の男に捨てられたばかりで
last update最終更新日 : 2025-08-19
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