All Chapters of あなたからのリクエストはもういらない: Chapter 61 - Chapter 70

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61.予感

「先生ー」怜士に呼ばれて、美月が振り返った。彼女の瞳には、他の女たちのような媚びるようないやらしい光はなく、ただ純粋な〝生徒の保護者〟に対するフラットな感情がのっているだけだった。「真田さん、どうかしましたか?」准のレッスンが終わって後片付けをしていた彼女は、怜士が差し出した物に目を落とした。それは、手書きの楽譜だった。「これは、亡くなった妻が准に遺したものです。彼女はいつもあの子にこれを弾いてやりながら、楽しそうに教えてやってました」ああ…。美月は思った。これが、あの時の曲なのね。美月は初めて会った時、准が弾いてみせた曲を思い出した。やはりこれは、彼の母親が作ったものだったのだ。美月はしばらく楽譜を読んで、それから怜士に問うた。「これを准くんに教えろということですか?」「できれば」「……」怜士は簡単に頷くが、美月はすぐに引き受けることができなかった。けっこう難しいと思うけど…。もちろん、教えることはできる。でも、すぐに弾けるようになる訳じゃない。まだ彼は幼いのだ。今は母親が教えていたように主旋律をメインにするだけで精一杯だろう。おそらく、以前は母親と一緒に弾いていたのではないだろうか…?そう言うと、怜士も頷いた。「私は准やあなたが辞めたいと言わない限り、あなたを講師としてお願いしたいと思っています。ですから、いつまでに…という期限などありません。まさか、これさえ弾ければ大学に受かるわけではないでしょう?」「…まぁ、そうですね…」美月は、彼がそんなに長いスパンでこの仕事を考えているとは、思っていなかった。う〜ん…。そんなに長く考えてるなら、他の人がいいんじゃないかしら…?だって、自分は長生きできるとは限らないのだ。そんなに簡単に引き受けていいのか、わからない…。准は優しい子だ。自分が親しくしている人が、母親に続いてまたすぐいなくなってしまったら、傷つかないだろうか…。黙り込んでしまった彼女に、怜士もまた困惑してしまった。長く勤めてもらいたいと言われて、喜ぶどころか困ったように眉を寄せる人など、彼は初めて見たのだ。まぁ、いい。准が彼女を気に入っているのだ。怜士には彼女を諦める理由がなかった。「何か不安な点でも?」「あ、いえ…。その…そんなに長く考えていらっしゃるのなら、私ではなくちゃんとした、講師の
last updateLast Updated : 2025-08-02
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62.思惑

「先生、今日は食事をご一緒できますか?」そう言われて、美月は目をパチパチと瞬いた。今はまだ4時過ぎ。やっと夕方と呼ばれる時間だ。夕食を一緒にするなら、まだしばらくここにいることになる。美月は、尚をちらりと見た。尚はそれに気付いてにこっと微笑うと、頷いて言った。「いいんじゃない?ご馳走になりましょう?」「尚も一緒に?」その言葉に「もちろん」と頷くと、やっと美月が安心したように微笑った。「じゃあ、お願いします」ペコリと頭を下げる彼女に、怜士はフッと微笑った。まさか、俺を警戒しているのか?そう思うと、可笑しくて仕方なかった。彼の周りにいるのは、あの加護母娘のようになんとかして自分に近づこうとする奴らばかりだった。それなのにこの佐倉美月ときたら、食事に誘っただけで不安そうな顔をする。始めから、食事を共にすることをあまり歓迎していないことは、わかっていた。だから、無理強いをするつもりはなかった。だが今、怜士は彼女との食事を楽しみにしている自分に、気が付いていた。准の為…?いや…自分自身が、彼女と共に過ごしたいと思っているのだ。怜士はそう自己分析し、こっそりと苦笑した。なんてことだ。この俺が、まさか自分の息子をだしに女を誘おうとするなんて。彼は、彼の亡くなった妻のことを思い、当時の自分と比べてみた。「先生!今日一緒にご飯食べるの!?」自分の部屋に楽譜などを片付けて戻って来た准が、会話を聞いてパタパタと走って来た。そして顔を目一杯の笑顔にして、訊いてきた。美月はそれに微笑って頷き、准を促してソファに座った。「食事の時間まで、何する?」そう訊かれて、准は嬉しそうに言った。「お家の中を案内します!」「家の中を?」美月は首を傾げたが、当たり前のように准が言った。「尚さんがいなくても、先生が迷子にならないように!」「……」そうはっきり言われて、美月は戸惑ってしまった。私、大人なんだけど…。迷子になるほど、この邸って複雑な構造なの?彼女は、この邸の中をウロウロする気は全くなかったのでその必要はないのだが、せっかくの准の申し出なので受け入れることにした。「わかったわ。…じゃあ、ちょっと休憩してからね?」「はい!」そうしてニコニコと彼女の隣に座り、出されたジュースを口にした甥っ子を見て、聖人はやれやれと小さくため息
last updateLast Updated : 2025-08-06
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63.意図

「先生、こっちですっ」准に繋いだ手を引っ張られて真田邸の中をあちこち歩いていた美月は、その広大さに驚いていた。彼女たちがいたリビングを出て、他の部屋も案内してもらった時は特にそうは思わなかったのだが、廊下の一番奥に頑丈そうな大きな扉があり、そこを潜るとその奥にまだまだ邸が続いていたのには、正直呆然とした。准が言うには、今までいた所は表向きお客さんも入っていい所で、ここからが家族だけの家なのだ…ということだった。それを聞いて、美月は准に「ここは自分が入っていい場所じゃない」と伝えたが、彼は全く気にせず、それどころか「先生はいいの」と言われ、戸惑っていた。そして一番わからなかったのが、邸の中や外、至る所にいる黒服の護衛のような男たちに、いちいち自分が紹介されることだった。「美月先生だよ。先生はどこに居てもいい人だからね」と。その度に彼女は微笑って会釈を繰り返したが、だんだん自分が首振人形にでもなった気がして、うんざりしてきた。「准くん、私の紹介はもういいわ。こんな奥まで来ることはないし」「……」それを聞いて准は少しの間考え込み、そして言った。「じゃあ、追々ね」追々……。子供の言葉だろうか…。美月はそう思って、急に可笑しくなって笑ってしまった。「ふふふっ…准くん、大人みたい」「?」准には、彼女が何に反応をしてこんなにも笑っているのか分からなかったが、とにかく楽しそうだったので「ま、いいか」とにっこり笑った。怜士はー。自身の部屋の窓から、中庭を囲んだ邸の中を准が美月を連れて回っているのを見て、フッと目を細めた。小さな男の子に手を引かれ、戸惑うようにボディーガードたちに頭を下げる彼女は、まったく世間知らずのお嬢さんのようだった。可愛らしいと言えば可愛らしいが、よくあれで誰にも騙されずに今までこれたな…と心配する気持ちも湧き上がってくる。おそらく如月尚が護ってきたのだろうが、その彼女が美月を託す相手を間違えた…という訳か。怜士は、始めから尚の意図を察していた。彼女は弟の恋人だから大目に見ていただけで、これがたぶん、ただの友人だったり知り合いからの紹介だったりしたら、速攻で排除していた。彼にはもう、誰かに心を預ける気持ちはなかった。亡くなった妻と、彼女が遺した息子。その2人だけが、彼のすべてだったからだ。だが久しぶりに目
last updateLast Updated : 2025-08-06
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64.不快感

「浅野美月?」美月は久しぶりに旧姓で呼ばれ、思わずキョロキョロと辺りを見回した。すると、真田邸の中の、奥の扉の向こうにあるもう一つのリビングの、その入り口に、どこかで見たことがあるような?女性が立っていた。「?」見たことがあるような?程度では到底名前など分かるはずもなく、彼女は首を傾げて「どちら様ですか?」と問うた。女性はそれがとても腹立たしかったのか、いきなりツカツカとヒールを鳴らして近づいて来て、目の前のテーブルをバンッ!と叩き、言った。「あなた、ここで何してるの?ここがどこだか、わかってるの!?」「……」またか…。正直、美月は内心呆れ気味にそう思っただけだった。どうせまた、怜士絡みの女性に違いない。はぁ……。ついてない。どうしていつもこういう手合の人に会ってしまうのか…。美月は、もう前の加護某さんの件で十分に理解していた。真田怜士はモテる。まぁ、それはわかる。だけど、どうやら彼は女性にだらしがないようだ…。美月ははぁ…と小さくため息をつき、とりあえず答えた。「ここが真田邸であることは知っています。私は今、こちらのご子息の准くんのピアノ講師として勤めさせていただいてますのでー」「は?」は?じゃない。最後まで言わせてっ。「ですから、ピアノ講師としてー」「なんですって!?」「……」もう、やだ。なんなの?美月は不快感に眉根を寄せた。何度も邪魔されて、もう口を開く気にならなかった。「何を黙ってるの?何か疚しい事でもあるんじゃないの?」「……」何言ってるの?自分が言わせないくせに!こっちこそ、「は?」よ!美月がずっと黙ったまま見ていることに苛立ったのか、その女性はいきなり叫び声を上げた。「キャーッ!…誰か!誰か来て!!」「………」またこのパターン…?美月は本当にもう、帰りたかった。准くんが来たら、やっぱり帰らせてもらおう…。美月は女性がどれだけ騒ごうが、ただじっと黙って座っていた。そして、前とまったく同じ。バタバタバタッと慌ただしい足音をたてて、使用人らしき人と、今日は執事ではなく、妙齢の御婦人がやって来た。「どうしたの!?」「奥さま!!」奥さま??美月は2人の三文芝居を見ながら首を捻った。彼女が言うところの〝奥さま〟が何を指しているのかわからないが、とりあえずその人がこの邸の関係者じ
last updateLast Updated : 2025-08-06
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65.混乱

「お祖母ちゃん、放して!!」英恵は、ほぼ初めて准に怒鳴られて、驚いてその手を離してしまった。「じ、准…?」そっと窺うと、彼は怒りに顔を赤く染めていた。英恵は知っていた。この子は普段とても優しいいい子だが、怒ると父親に似てとても恐いのだ。どうしてそんなに怒るの?ここに居た、あの女を追い出したから?あれは誰なの??「そんなに怒らないで?お祖母ちゃんが何をしたの?」宥めても、准は許してくれなかった。彼は地団駄を踏んで、全身で怒っていた。「お祖母ちゃんのバカ!」「!」そう言うと、准は泣きながらあの女の後を追って、走って行ってしまった。英恵は呆然とした。あの素直で可愛い私の孫が…。たかがあんな女の為に、自分に「バカ」だなんて!やっぱりあの女は追い出して正解よ!!英恵はギリギリと歯噛みして、側に立つ島田七海に言った。「私たちも行くわよ。ついでに、怜士にも紹介するわ」「はい、奥さまっ」七海はつい声を高くして、返事をした。彼女はこの言葉を待っていたのだ。真田怜士。彼の恋人になれたら…後々には彼の妻にだって、なれるかもしれないっ。再婚だって構わない。彼を初めて見た時、七海の胸はこれでもかというほどときめいたのだ。あの時だって既に子供がいたけれど、全然気にならなかった。だって、准は可愛らしいし、素直で良い子だと聞いている。さっきの感じだと孫バカの可能性はあるけれど、きっとそんなのはどうにでもなる。大した問題じゃあないわ。七海は内心、狂喜乱舞していた。怜士と恋愛をする自分を想像するだけで、彼女の頬はポ〜っと染まるのだった。一方、リビングでは。「先生、帰らないで!」泣きながらやって来た准に、美月が引き止められていた。彼女はそんな彼に申し訳なさそうな顔はするけれど、「帰らない」とは言わなかった。准はすごく焦っていたし、怒っていた。お祖母ちゃんのせいだ!お祖母ちゃんと、あの変なおばさんが先生を虐めたんだ!!彼は今日の為に、美月にプレゼントを用意していた。それを部屋に取りに行く為に、ほんの少しだけ待っていてもらったのだ。でも、それがいけなかった。その少しの間に、先生が虐められてしまった!准は激しく後悔した。パパが、「大切な人は泣かしちゃダメだ」て言ってた。僕は、大切な大切な、僕の〝女神さま〟を怒らせてしまった!
last updateLast Updated : 2025-08-06
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66.旧敵Ⅰ

「尚…?」聖人は、なぜか彼女の怒りが深いように感じて、そっと呼びかけてみた。すると彼女は、今度は反応してくれた。だが、それはとても厳しいものだった。「まさかこの女を美月の代わりにしようなんてね。ハッ!見る目ないのね」「なんですって!?」即座に反応した英恵にも、彼女は冷たい視線を向けただけだった。「何をもってこの女が〝優秀〟だなんて言ってるの?」その嘲るような言いように、英恵は目を剥いた。「どういう意味?彼女はね、あなたが退学した音楽大学を、優秀な成績で卒業してるのよ!」「へぇ~」尚は、益々馬鹿にしたような態度で英恵を見た。英恵はこんな態度を取られた事がなく、怒りにわなわなと震えた。そして、彼女がまた口を開こうとしたところを、尚が切っ先を制して邪魔をした。「ねぇ、先輩。あなた一体何番の成績で卒業したの?」「……」七海は黙った。彼女は英恵の言うような〝優秀な成績〟で卒業なんかしていない。真ん中から少し上、くらいだ。彼女が通った音楽大学は、〝優秀〟と言えば「首席」か「次席」で、甘く見ても5番くらいでないと、そんな評価は貰えない。だから七海は決して〝優秀〟なんかではなかった。良くも悪くもない、普通の生徒だった。けれど…。だからなんだって言うの?七海は開き直った。彼女は知っているのだ。彼女のような普通の人間が成り上がるには、人脈が必要なのだ。男は仕事の為に。女は、結婚の為に。七海はチャンスを得た以上、逃すつもりはなかった。「確かにうちの大学の基準で言う〝優秀〟ではなかったわ。でも何?私はちゃんと卒業したわよ?あなたは?あなたはどうだって言うの?」尚はそんな風に口撃されても、特にダメージは受けていなかった。卒業しなかったのは彼女の意思で、学校から追い出された訳ではないのだから。それに、今彼女はベストセラー作家の仲間入りをした「有名人」なのだ。以前 聖人の母親に紹介された時も、その一点のみを気に入られた自覚はあった。それで十分だ。ダメなら自分たちが別れるか、聖人が母親と別れるか、だ。その点で、尚はあっさりしていた。そんな自分に聖人は執着していたし、例え彼が真田の人間ではなくなっても、別に構わないと彼女は思っていた。「あなたの事だから、私の事なんて英恵さんから聞いた時点でとっくに調べてるんでしょ?わざわざ訊く
last updateLast Updated : 2025-08-06
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67.旧敵Ⅱ

確かに、自分は否定しなかった。でも、肯定だってしていないのだ。それなのに、この人は自分に一切の罪を被せようとしている…。七海は猛烈な怒りが湧き上がるのを感じた。「私が悪いって仰るんですか!?」「な…!」なんですって!?当たり前じゃない!他に誰が悪いって言うの!?まさか、私!?英恵も怒りに顔を染めた。「自分が〝優秀者〟かどうかはわかるでしょう!?だったら、私が勘違いしてる時点で言いなさいよ!」「なによ!〝怜士も紹介するわ〜〟て猫なで声で近づいて来たくせに!」「……」「……」呆れた…。彼女たちにかかったら、真田怜士ですら取引材料になるらしい…。尚と聖人はその恐ろしい発想に、互いに顔を見合わせて唇を捻じ曲げた。だが尚は、更に言った。「大学に問い合わせれば、彼女の成績と評価は教えてもらえたはずですけどね?」つまりは、どっちもどっち…ということだ。「!?」知らなかった…。英恵は自分の軽率さに顔を赤らめた。「まぁ、問い合わせたところで、彼女の成績は知らないけど、評価はほぼゼロだと思うわ」「え!?な、なぜ??」評価がゼロ!?そんな事ある!?英恵は愕然とした。七海も驚きながらも、訝しげに尚を見た。「どういうこと?どうして私の評価がゼロなのよ!?」「あら、覚えてないの?」尚はククッと可笑しそうに目を細めた。それは、どこか獲物を狙う肉食獣のようで、聖人ですらゾクッと震えた。尚は楽しそうに口を開いた。「あなた、4年生の時、1年の美月に何をした?」「!!」そう言われて、七海は一気に青褪めた。呼吸も速くなって、気分も悪そうだ。尚は続けた。「あの年、美月が【発表会】に出れなかったのは、あなた達のせいじゃない。あなたと、他の3人?だったかしら。美月の才能に期待してた大学側が、彼女個人にレッスン室を用意したのを聞いたんでしょう?」「あ……」七海は、無意識のうちに後退っていた。そうだった。自分たちは彼女に…。「思い出した?本当、卑怯よね。自分たちに才能がないからって、僻んじゃって!」「やめて……」力なくイヤイヤと頭を振る七海を無視して、尚は続けた。「あの頃、美月のレッスン室のピアノ、いつも調律が狂ってたの。調律してもしても、またすぐに狂っちゃうの。……あなた達の仕業よね?」「ち、違う…!」「あらあら、惚けちゃって
last updateLast Updated : 2025-08-06
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68.変化

「もう、結構ですわ…」英恵はハッと顔を上げて、美月を見た。彼女は静かな瞳で英恵を見返し、そこにはなんの感情も浮かんでいなかった。「私もこの仕事に固執しているわけではありません。彼女…島田さんがやりたいと仰るなら、それで良いです」そう言った。彼女はまた、自分の席を譲ろうとしているのだ。でも、その瞬間ー。「ダメ!!」准が叫んだ。「僕は美月先生がいい!美月先生じゃなきゃ、嫌だ!!」「准……」目に涙を浮かべて叫ぶ孫に、英恵の胸が痛んだ。自分のせいだ。自分が、孫に良い顔をしようと思ったばっかりに、こんなに悲しい思いをさせてしまった…。そう思うと居ても立ってもいられず、彼女は美月の手を握り締めた。「先生、お願いします。准の願いを叶えてやってください」「でも…」美月は、ちらりと七海に視線を向けた。七海は、もう自分の出る幕はないと心底思っていたので、まだ自分を気遣おうとする美月に、一瞬殺意を覚えた。なんなの!?こんな状況で、私が受け入れられる訳ないじゃない!馬鹿にしてるの!?その気持は明確に彼女の表情に表れ、それを見た美月は困ったように眉を顰めた。その時ー。「今度は一体、なんの騒ぎなんだ?」「パパ!」気怠げに現れた真田怜士に、准が飛びついて行った。彼の後ろには執事と、先ほど美月をここまで案内してくれた、使用人の女性が控えていた。「准、どうした?ん?」怜士は息子を抱き上げて、優しく尋ねた。その瞳には慈愛が滲み、彼が本当に准を大切に思っていることを教えていた。「あのねっー」准は怜士の腕の中で、必死になって伝えた。美月がお祖母ちゃんとおばさんに虐められたこと。お祖母ちゃんが、美月の代わりにおばさんを自分の先生にしようとしていること。それで美月が帰ろうとしていること。そして、きっと美月は自分に怒っていること。「……」彼が話し終えるまで、怜士は黙って耳を傾けていた。一方、美月は、気まずい思いをしていた。確かに自分は怒っていた。それはこの状況にであって、決して准にではなかった。けれど、准に八つ当たりのように冷たい態度をとっていたのも、事実だ。それで彼をこんなにも哀しませていたなんて、想像すらしていなかった。美月は反省した。自分は子供に対して、大人げない態度をとってしまった。本当に申し訳なかったと思った。「
last updateLast Updated : 2025-08-06
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69.疑い

「ところで、これから何かあるの?」英恵は、准がやたらと美月を帰すまいとするのが気になって、怜士にそう訊いた。この時、七海は執事の井上によってとっくに玄関へと送られていたのだが、英恵は気付いていなかった。「えっとね、皆でご飯食べようってお約束してたの」准が答えるのに、英恵が目を見開いた。「あら、まぁ…そうなの」ということは、この騒動で美月がそれをやめて帰ろうとしている…ということか。なるほどね。それなら、今度こそ私が力にならなくちゃ!英恵はわざとらしいくらいの笑顔で、美月に言った。「この騒動で居づらくなっちゃったのね。ごめんなさい。気にせずに食事を楽しんでちょうだい。あ、私もご一緒してもいいかしら!?」「……」「……」美月は困ったように微笑み、怜士は冷めた視線を母親である英恵に向けていた。「ね、いいでしょう、怜士?」美月の手を取りながら振り向いた英恵は、息子に上目遣いでそう言った。「好きにすればいい」「……」なによ、協力してあげてるのに!英恵はふんっと鼻を鳴らした。准はお祖母ちゃんの言葉に押されて、元気に言った。「先生!ほら、もうすぐご飯の時間だよ?もう帰らないで!」そのうるうるとした瞳に縋るように見つめられて、美月は苦笑した。「わかったわ」「本当!?やった〜!」准はその場でぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んだ。それを見て、美月は淡く微笑みながらも、胸の内は複雑な心境だった。その頃、七海は。バタンー。執事に「ご足労いただきまして、ありがとうございました」という言葉と共に、〝お車代〟として封筒を渡され、あれよあれよという間に外へ出されていた。「ちょっと!」振り返って文句を言おうとしたが扉は既に閉じられており、七海は悔しさに一度その場で足を踏み鳴らしてから、くるりと振り返って邸を出て行った。門扉を開けてもらい、完全に敷地外に出た所にタクシーが停まっていて、これも執事の采配なのかと皮肉げに嗤った。まぁ、確かに、ここから歩いて帰るわけにもいかないし、タクシーだってすぐにつかまるか分からないんだから、よしとしよう…。七海は奮然と、ドアを開けて明らかに自分を待っているタクシーに乗り込み、疲れたように自宅の住所を告げた。まったく、なんだってのよ…。やっとチャンスを掴んだと思ったのに、あっという間に失くしてしまった。あ
last updateLast Updated : 2025-08-13
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70.対面

「美月!」真田邸を出る前に尚から呼び止められ、美月はゆっくりと振り向いた。彼女の後ろには聖人もいる。「尚、ごめんね。せっかく良い仕事を紹介してくれたのに…」そう言うと、彼女はニコッと微笑んで「ううん」と首を振った。「無理をすることないわ。嫌なら嫌で、我慢するなんて事、しなくていいの」優しく言う親友に、美月も微笑って言った。「とりあえず、離婚を急ぐことにするわ。仕事はそれから探してもいいし」「そうよ!それまで私といっぱい遊びましょう?」尚は美月の腕に自らの腕を絡め、2人で外に向かって歩き出した。「尚!」聖人が呼び止めると、2人が同時に振り向き、首を傾げた。その双子のような仕草に彼はふっ…と笑い、言った。「送って行くよ」それに尚が笑顔で頷いた。「美月、バスはまただねっ」「ふふっ…そうね。楽しみにしてるわ」2人の会話に聖人は「マジで乗るつもり!?」と目を見開いたが、どちらも微笑うだけで答えてくれなかった。やれやれ…一生、美月さんには勝てそうにないなぁ…。聖人はこっそり苦笑して、車を取りにガレージへと向かった。「表で待ってて。車まわしてくる」「OK〜」手を振る恋人に微笑って、彼も手を振った。怜士はー。自分がいなくなった後、何があったのか報せを受けてはいたが、ひとまず目の前の客人から片付けることにした。「何度もご連絡をいただきましてー」「妻を返してください」「……」軽い挨拶すら最後まで言わせないつもりか?若造が…。ピクリ…と片眉を上げ、自分の前に座る佐倉希純に視線を据えた。「人聞きの悪いことは、言わないでいただきたいのだが?」そう言うと、希純はドンッとテーブルを拳で叩いた。「ここにいる事は分かってるんです!」「……」その血気盛んな様子に、怜士はニヤリと嗤った。それを見た希純は額に青筋をたてて、怒りを抑えるようにギリギリと歯を食い縛っていた。「何が可笑しいんですか?」「いや、別に可笑しくない」「…っ」世間では〝冷徹に仕事を推し進めている〟と言われる希純が、悔しそうに自分を睨みつける姿に怜士は鼻白んだ。まだまだだな。彼はフッと笑うと、若干申し訳なさそうに言った。「確かに、先ほどまでいらっしゃいましたが…。既に帰られたようですね」「……は?」一瞬、間抜けな顔を晒した希純だったが、すぐにその口を
last updateLast Updated : 2025-08-13
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