All Chapters of あなたからのリクエストはもういらない: Chapter 51 - Chapter 60

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51.前世

尚には、思い出す度に死にたくなる記憶がある。いや、記憶があるというようなそんな曖昧なものじゃない。実際に目で見て、体験したのだ。気がつくと、自分がまだ小説家の如月尚として確立していない頃にいた。訳が解らず、自分の頭がどうかしてしまったのかと思った。未来視???そんなはずはない。あの絶望が!あの憎しみが!幻なんかなはずがない!ドンッ!!尚はギリギリと歯軋りして、パソコンの乗ったデスクに両拳を叩きつけた。その拍子に、傍にあったアイスティーの入ったグラスが倒れ、パソコンを水浸しにした。「!」見るも無残な状況だったが、それで尚もハッと気持ちを取り戻し、次に慌ててパソコンやその他の物の水分を拭き取った。まぁ、だが…結果的にパソコンは壊れ、中にあるはずの書きかけの原稿のデータもとんでしまった。彼女は落ち込んだが、ある事に気付いて途端にその瞳を輝かし、早速新しいパソコンを買いに出かけた。彼女は思った。そうよ。これから先で人気の出たものを書けばいいんじゃない!人のものを盗る訳じゃなし、早く書いたっていいじゃない!彼女は笑った。もちろん一字一句覚えてる訳じゃない。でも、何度も読み返しながら書いたのだ。また同じものが書ける!そう気がつくと興奮して、尚はアハハと笑った。何がなんだか分からないけど、つまり、私は生き直してるのよね!?この頃なら、美月だってまだ生きてる!まだチャンスはある!!彼女は美月の葬儀で泣き崩れる希純を見ていた。その隣には、当然のようにあの女が寄り添っていた。クソ野郎が!!尚は、爪が掌に食い込んで血が滲むほど、拳を握り締めた。涙に濡れる男を激しく睨みつけて、一瞬たりとも目を離さなかった。殺してやる…。自然とそう思っていた。義妹に手を出しながら妻も手放さないなんて、どんだけ畜生なのよ!尚の殺意を含んだ眼差しに、希純の近くに控えていた男が視線を向けてきた。「…?」そしてその眉が顰められるのに、彼女は冷たく微笑み、そのまま焼香もせずくるりと背を向け、葬儀場を後にした。復讐が済んだら会いに行くわ。尚は心の中で美月に言った。それまで待ってて、美月!彼女の顔には、強い決意を秘めた笑みが浮かんでいた。一方。「なんだ…?」あの憎しみに満ちた目は、希純に向いていた。中津は不安を覚えて希純を見たが、彼は自分で立って
last updateLast Updated : 2025-07-20
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52.当惑

「おい、中津…。本当にこのやり方であってるのか?」希純はデスクで肘をつき、目の前に立つ秘書に問うた。「さぁ…どうですかね……?」「おい!」バンッと手を叩きつけた。「お前が言ったんだろう!?SNS消させて、別荘とウェディングドレスを取り戻せって!」指を突きつけて、まるで断罪するかのように喚く希純に、中津は至極冷静に言った。「それはやって当たり前の事ですよ?それで奥さまのお怒りがまだ収まらないからって、私に当たらないでくださいよ」「……」今2人の関係は〝社長と秘書〟ではなく、完全に〝恋愛相談員と相談者〟だ。中津は希純のプライベートに踏み込みすぎている自覚はあったが、あまりにも彼が不甲斐ないので、口を出さずにはいられなかったのだ。「奥さまからは何の連絡も?」そう尋ねると、彼は力なく頷いた。「そうですか…」確かに、中津も少し意外だった。昨夜彼は美月に、奈月のことを報告した。彼女が一番怒っていたであろう要因を〝取り戻した〟と伝えたのに、帰ってきた返事は『だから何?』だけだった。何がいけなかったのか…?SNSを消した。別荘、ウェディングドレス、カード、全て取り戻した。別荘の庭と内装も、元通りにするよう手配した。……何が足りないんだ??もちろん、希純と奈月の曖昧な関係を完全になくすことが一番大事なのはわかっている。がー。それをどうやって証明する?言葉で何を言っても、信じてもらえなければどうしようもない。まさか破局宣言でもしろと?そこまで考えて、中津はぷるぷると頭を振った。あり得ない!〝破局宣言〟なんて、公に「不倫してました〜」て認めるようなものじゃないか!「……」希純はずっと黙り込んだまま、ああでもないこうでもないと頭を捻っている中津に、言った。「お前の方にも、何もないのか?」「はい…」今思えば、希純は自分が楽観視していたと後悔している。美月がどうして許してくれないのか、わからない。嬉々として中津に報告してもらったのに、反応が予想外に冷たかった。『だから何?』て、どういう意味だ?そんな事をやっても無駄だって言いたいのか?希純は、以前妻に会った時に向けられた、冷たく、軽蔑に満ちた眼差しを忘れることができなかった。美月!美月美月美月美月!希純は頭を抱えた。我慢していないと、大きな声を出してしまいそうだった。
last updateLast Updated : 2025-07-26
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53.憎悪

「……」通話を切って、暗くなったスマホの画面をじっと見た美月は、ふぅ…と一つ息をついた。尚は、その顰められた眉を人さし指でちょんっとつつき、ふふっと微笑った。「どうしたの?」小首を傾げてそう問う彼女の、細められた目は楽しげで、美月は鼻でフッと笑った。「明日、離婚の話し合いに行ってくるわ」そう言うと、尚は何かを考えるように瞳をキョロっと動かし、「一緒に行こうか?」と訊いてきた。美月はそれに「ううん」と首を振り、ニコッと微笑った。「大丈夫。終わったら、直接真田邸に行くわ」美月は明日で話し合いが終わるとは思っていなかった。なぜって、希純は結構しつこい男だから。離婚を切り出す前、まだ自分が彼に従順で大人しかった頃も、何かある度に「どうした?」「何があった?」「なんでそうなった?」「お前はどうしたい?」と、本当にしつこかった。きっと今回もそうなるだろう。あれだけ「別れたくない」と言っていたのだ。そんな簡単にいく訳がない。美月はこの離婚に関して長期戦を覚悟していたので、今やっとスタートラインに立てるという心境だった。まぁ、早く済めばそれに越したことはないんだけど…。明日の事を考えて、美月はじっと思考に耽った。一方、尚は。ふふっ。佐倉希純、ざまぁみろっ。心の中で思い切り嗤っていた。前世、尚は大学3年の途中で退学した。美月はそのまま4年に進級して卒業し、希純の支援を受けながらピアノのレッスンをしていたのだが、今思えばあの男は始めから、彼女にそれ以上の事をさせる気はなかったのだ。だいたいあの男は最初から美月に好意を持っているようだったし、卒業後も〝支援者〟という立場を盾に彼女をやれ食事だ、気分転換だとよく連れ出していた。あれはつまり、デートだったのね。姑息な男だっ。美月はお嬢さま育ちで、しかもピアノのレッスンに明け暮れていたから当然、異性との会話や接触に免疫がなかった。そこを上手く利用されたに違いない。あの男!尚は思えば思うほど、腹が立って仕方なかった。あの頃の自分は、希純を良い男だと思っていた。ハンサムだし、優しそうだし、お金持ちだし…なにより美月に惚れてそう!彼女の幸せを誰よりも願っていた尚は、2人のことを応援していたのだ。結婚が決まって、豪華絢爛な結婚式や披露宴をやって、美月はしばらくの間とても幸せそうだった。
last updateLast Updated : 2025-07-26
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54.目論見

「尚…?」「ー!」その声に、尚はハッと気が付いた。記憶の中の、希純への憎しみに囚われていた。「どうしたの?大丈夫?」心配そうに眉を寄せて自分を見つめる美月に、尚はホッと息をつき、頷いた。「平気。ちょっと…考え事してた…」「……」美月はまだ心配がなくならないのか、そっと尚の肩を撫でた。「聖人さんに連絡する?」そう言って小首を傾げるのに、尚は「ううん」と言った。「たぶん撮影中だから、いいわ」「そう…」未だに寄せられた眉を「えいっ」とぐりぐりしてやると、それで美月の顔にもようやく笑顔が戻った。「支度できた?ランチ行こ!」そう言ってソファから立ち上がると、美月も「うん」と立ち上がり、2人は揃ってホテルのレストランに向かった。「ところで、いつまでホテル暮らしするの?」「うーん、どうしようかな…」このあたり、美月は何も考えていなかった。でも今問われて「確かにそうだな…」と思い、悩み始めた。それを見て、尚は言った。「うちのマンション、今空きがあるわよ?ホテルにお金払うなら借りたら?」それを聞いて、美月は益々悩んだ。いいんだけど…。借りると家のこと、全部自分でやらないといけなくなっちゃうのよね…。美月は家事ができる。結婚をして、希純の為に覚えたのだ。でも、もうやる気はないし…。今世いつまで生きられるか分からないなら、どうせならダラダラしたい。だって、そんな生活楽しそうじゃない?余計な事に煩わされず、好きなことをやって毎日過ごすなんて…。なんて贅沢なのっ!美月はつい、自分がダラダラして過ごしている姿を想像して、ニヤけてしまった。「なぁに?楽しそうね?」「ん?ふふふ…」尚は、笑う美月にテンションが上がるのを感じた。「さぁ!なに食べようかしら〜」ちょうどエレベーターが止まって扉が開いたので、尚はそう言いながら美月の方を振り向いた。彼女はニコニコと笑いながら、学生時代に戻ったかのように言った。「太っても知らないわよ?」そうして尚の腕を取って、はしゃいだ様子で歩き出した。今世、尚は目醒めてから少しずつ前世と行動を変えてきた。希純と美月はもう既に出会ってしまっていたから、変えられない。じゃあ彼女には、あの男以外の男との出会いを仕掛けて、人生の選択肢を与えてやろう…。そう思った。無理かもしれない。でも、やる価値
last updateLast Updated : 2025-07-26
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55.対話Ⅰ

希純は、朝からそわそわしていた。実は、昨夜もあまり眠れなくて、頭の中では美月とどう会話をするか、シミュレーションばかりしていた。中津はそんな上司に苦笑し、お茶を差し出した。「落ち着いてください」「あぁ、わかってる」そう言いながらも指はトントンとデスクを叩き、その視線はチラチラとオフィスのドアへと度々向いていた。明らかに今日の希純は、いつもに比べてオシャレをしていた。チャコールグレーのジャケットは彼の整った体型にフィットし、中に着たサックスブルーのシャツとの相性も良い。ジャケットと同系色のネクタイも合わせて、首元からのVゾーンも完璧だった。全体的に落ち着いた大人なスタイルで、彼の魅力が引き立っていた。しかも、爽やか系のコロンもつけているようで、気合いが入った様子がわかる。社長…奥さまに会うの、よっぽど楽しみにしてたんですね…。でもオフィス内だから、ジャケットは脱いでほしいかなぁ。上司が初心すぎて、見ている方が恥ずかしい。中津は離婚に関しては美月の味方をすると決めていたが、できるなら、彼女には考え直してもらいたい。最近の希純の頑張りが彼の見方を変えたのか、今日のオシャレにしても、健気でつい微笑んでしまうのだ。中津はちらりと時計を見て、そろそろかな…と思った。過去、美月は午前中会社に訪れる時には、大体10時前後に現れた。彼女にとってそれが、〝ちょうど良い時間〟なのだろう。まぁ確かに、業務が始まってすぐは連絡事項の伝達で忙しいし、お昼前はランチミーティングや会議で席を外している事が多い。中津はこの、常に相手のことを考えて行動する美月の性格を好ましいと思いつつ、損な性格だなぁ…とも思っていた。本来対等であるべき関係において、片方が常に相手を立てている…というのは正常な関係ではないと中津は思っている。例えそれが愛情故であったとしても、無意識に片方が心理的負荷を負っている状態でいるというのは、その関係性が壊れた時に取り返しのつかない事になる可能性を秘めているからだ。彼らのようにー。コンコンコンッいろいろ考えて注意力がそれていたところ、ノックの音がして、中津はハッと顔を上げた。急いでドアを開けに足を踏み出した時、なぜか偉そうな「入れ」という希純の声がした。「……」なぜ彼はこうなのか……。素直じゃないにも程がある。中津として
last updateLast Updated : 2025-07-26
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56.対話Ⅱ

「いいわ。本題に入って」希純はその言葉に眉を寄せた。「そんなに急いでいるのか?」そう言いながら、さり気なくソファの方へと導いた。彼女を座らせ、自分も正面に腰を降ろした。「この後、用があるの」「どんな?」美月は、自分の前に置かれたコーヒーカップに目を移した。確かこのブランド、奈月が好きなのよね…。そう心の中で嗤って、視線を上げた。「あなたに関係ないわ」「……」希純はぐっと喉に何かが詰まったように感じた。〝あなたに関係ない〟彼女とこんな感じになってから、よく言われる言葉だ。それは、酷く自分を傷つける言葉だった。「なぜだ…?何が関係ないんだ?俺は!お前の夫だぞ!?」「……」ドンッとテーブルを殴っても、美月は冷めた目で希純を見つめるだけだった。そうして、静かに口を開いた。「話し合う気はあるの?ないの?」「離婚などしない!!」怒りのあまりつい本音を叫んでしまった希純に、美月は傍らに置いたバッグを手に取り、言った。「もういいわ。協議書なんかいらない。離婚届にサインをして中津さんに届けさせて。あなたとはもう、関わりたくない」「!」そう言われた瞬間、希純は目を見開き固まった。美月はそれを見てもなんの感情も表さず、サッと立ち上がりオフィスのドアへと向かって歩いた。そして部屋を出るまで振り返ることもなく、立ち去って行ったのだった。「社長…」呆然としている希純に呼びかけてみたが、なんの反応もなかった見ると、その目にはうっすらと涙が滲み、口はぎゅっと固く閉じられていた。中津はとりあえず美月を引き留めねば…とひとまず希純の前を辞し、エレベーターへと向かった。「奥さま!」呼びかけると、彼女は立ち止まって待ってくれた。「中津さん」口調は優しい。でも、その瞳は冷めていた。おそらく、自分のことも信じていないのだろう。中津は彼女の前で一つ息をつき、言った。「このままでよろしいのですか?」「?」首を傾げるが、特に気分を害した感じはしない。なので、思い切って訊いてみた。「何が駄目だったのか、教えていただけませんか?」「なんのこと?」そう返されて、中津は尋ねた。美月の物は全て取り返した。奈月も追い出した。希純も、もうあんな曖昧なことはしないと言った。「それでも社長を許さないのは、許す気がそもそもない、ということです
last updateLast Updated : 2025-07-26
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57.断念

奈月は、自分の横を無言ですれ違って行く美月を振り返り、見送った。そしてその姿が完全に見えなくなると、思い出したように中津の方を見て、気まずさに俯いた。「こんにちは…」「……何をしにここへ?」まったく温かみのない声音に、奈月の肩がビクッと揺れた。「あの、違うんですっ…。私…」いかにも〝勇気を出しました〟というような表情でバッと顔を上げたけれど、そこには中津の冷めた目があるだけで、また意気消沈して俯いた。「私…謝りに来たんです……」小さな声でもじもじと話すけれど、彼の態度は変わらなかった。奈月は、今までずっと周りの人たちから、可愛い可愛いと甘やかされてきた。いけないと言われている事をしても、ちょっと悲しそうな顔でしゅん…と反省しているような態度を見せれば、許してもらえた。それが通じないのは美月と、この中津とかいう希純の秘書だけだ。奈月は別荘で希純の怒りに触れて、最初は怖くて、悲しくて、そのまま実家に戻って泣いていた。両親も心配してあれこれと構ってくれたけれど、奈月はいつものように希純からの連絡がほしかった。希純はいつも、自分が悲しい思いをすると、心配して連絡をくれた。例えその原因が彼からの〝怒り〟や〝お説教〟であっても、奈月から先に謝ったことはない。せいぜい2〜3日家に閉じ籠もって連絡を断てば、心配してメッセージが送られてきた。それを見てから、自分は動けばよかったのだ。でも、今回は今までと訳が違う。あんなに怒った姿は初めて見た。別荘の中はめちゃくちゃで、鍵も、カードも、彼から与えられたものは何もかも、取り上げられた。だから、今度ばかりは自分から動かなければならないだろう…。そう思って、こうしてお弁当まで用意して来たというのに。もうっ、ついてないったら!奈月は、中津がいるせいでエレベーターに乗れなかった。「あの…乗せてもらえませんか…?」そう言って上目遣いで見やると、ジロリと睨まれた。「なぜです?」「希純兄さ…あ、えっと…義兄さんの所に行きたいので……」「お約束のない方との面会はできません」「……っ」奈月は驚いて目を見張った。まさか、そんなただの〝面会希望者〟扱いされるなんて…。屈辱にパッと顔が赤くなった。「ひどいわ!私は義妹よ!」「……だから?」この対応にぐっと言葉を詰まらせると、中津が呆れたよう
last updateLast Updated : 2025-08-02
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58.未練

コンコンッ軽いノックの音に続いて、自分が返事をする前にドアが開けられたことから、希純は入って来たのが中津だと思った。なので、顔も上げずに問いかけた。「美月は帰ったのか?」「うん。そうだと思うわ」「!?」だが返ってきた声に驚いて、希純はガバっと顔を上げた。「奈月!?ここで何してる!?」「え…?」「?」彼女の表情から、〝意味がわからない〟という思いを読み取った希純も、まったく同じ思いで、一瞬2人して首を傾げてしまった。だが希純はハッと我に返り、彼女に改めて問うた。「何をしに来たんだ?」「……謝りに来たの。それと、これ…」そう言って掲げたのは、いつかのランチボックスだった。「そういう事はやめろと言ったはずだが?」「……でも」もじもじと指を弄る姿が、希純の癇に障った。「持って帰れ!ここにももう来るなと言ったろう!!」「…っ」途端に、奈月の目に涙が滲み始めた。希純は、それにもうんざりして、はぁぁ…っとあからさまなため息をついた。すると、彼女の涙声が彼を責め始めた。「ひどいわ…私、ちゃんと受付の人に言ってもらったのに…あ、謝りに来ただけだって、言ったじゃないっ」「……」確かに何か電話を受けた気がする…。美月のことで呆然としていたから、正直何も考えてなかった。というか、覚えてない。無意識の内に答えていたらしい…。はぁ…また中津にやいやい言われそうだ…。希純は、中津のあの、軽蔑に満ちた視線が我慢ならなかった。普段は敬ってくれるのに、こと奈月が絡むと、奴はしらけた目で自分を見てくるのだ。「……そうだ。中津には会わなかったのか?」「……会った」希純の問いに、彼女は渋い顔で答えた。奈月は、先ほどの中津の態度が気に入らなかった。なぜ彼は自分を気に入らないのか?なぜ、あんなに冷たい目で見るのか?なぜ、自分と希純のことを邪魔するのか…?この前会った感じだと、姉と希純は仲違いをしているようだったし、こんなに拗れてるってことは、もしかしたら離婚話すらでているのかもしれない。もしそうなら、希純は自分を選んでくれるだろうか?そう考えて、奈月は態度を和らげた。「義兄さん…お姉ちゃんとは、まだ喧嘩してるの…?」「……関係あるか?」「もちろんよ!」勢い込んで答えてしまって、奈月はハッとした。そして慌てて取り繕うように手を振
last updateLast Updated : 2025-08-02
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59.諦め

あぁぁ…くそ!イライラするっ。希純は読んでいた書類をぐしゃっと握り締め、デスクの上に放り投げた。そして、秘書課へ電話をした。『はい』相手の声が聞こえた途端、彼は怒鳴った。「中津はどこへ行った!?」『え…?あ、中津なら、外出しております』「なに?外出だって!?聞いてないぞ!」希純は苛立たしげに通話を切り、ぐしゃぐしゃと頭をかき乱した。くそっ、なんでこうなるんだ!?希純は別荘での事を思い出し、胸の中のイライラをため息にして吐き出した。彼にはなぜ、奈月があれほど自分に怒鳴られ、全ての物を取り上げられたというのに、たった一日にして普通の顔をして自分に接してくるのかわからなかった。しかも、今なぜ中津がいないんだ!?あいつはいつも、あんなに奈月のことを警戒していたのにっ。たまたま上手い具合にすれ違ったのか?いやいや、そんなはずはないっ。希純は一人でぐるぐると考えてー。「めんどくさ…」やがて、すべてを放り出した。一方、会社を出て来た中津は、一人カフェで寛いでいた。「美味っ…」彼は恋人の井藤花果が言っていた「甘い物は正義。食べるとイライラが収まる」という言葉に従って、佐倉グループ本社ビルの真向かいにあるカフェに来ていた。彼の目の前には花果お勧めの〝いちごパフェ〟が置かれ、周りの女性客からの視線も気にせずパクついていた。実際、それは本当に美味しくて、甘さ控えめなクリームと甘酸っぱい苺がたっぷりと乗った、シャリシャリ食感の不思議なバニラアイスといい、間に挟まったジャムといい、普段こういうものは全く口にしない中津の味覚を良い意味で刺激していた。彼は食べかけだがパフェの写真を撮り、花果にLINEを送った。『めっちゃ美味い!』すると、すぐに返信があり、『ずるい!!』という言葉と、怒った顔のスタンプが送られてきた。中津はそれを見て、あぁ~、癒される…。とニヤついて、アイスを口に入れたのだった。そして美月はー。迎えに来ると言う尚を待って、ビルを出た所に立っていた。そして、間もなく出て来た中津が向かいのカフェに入り、堂々とサボっている?姿を見て目をパチパチと瞬いていた。あの人、なにしてるの?まさか、サボってる??え?さっき奈月来たのに?もういいの?放置??頭の中でいろいろ疑問が湧き上がってぐるぐる回っていたが、それも、彼の前に
last updateLast Updated : 2025-08-02
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60.想い

「美月先生!」真田邸に到着すると、なぜか物々しい雰囲気になっていて、驚いた。奈月は知っていたのか、平然と、門扉前に立つ黒服の男たちに挨拶をして、車を中に入れた。「准くん、こんにちは」玄関で迎えてくれた真田怜士の息子、准に目線を合わせて微笑んで挨拶をし、ほんのりと頬を染めた彼と手を繋いでリビングへと向かった。その後ろ姿を見て、尚は密かに胸の内で呟いた。まるで親子ね。その顔はとても満足そうだった。前世彼女は、希純が美月に会いに来た【発表会】で、2人の出会いを喜んだ。でも、それは失敗だった。彼女の夫となるべき男は、あんな奴じゃない。実はあの時【発表会】が終わって、もう一人、彼女に会いに来た男がいた。それが、真田怜士だった。彼は小さな男の子を連れて、とても丁寧に面会の許可を取ろうとした。紳士的だった。だけどー。男の子はとても緊張しているようで、頬を赤く染めていて、とても可愛らしかった。その時美月は、ちょうど講師に呼ばれて控室にいなかった為、自分が対応したのだが、彼が子持ちだったことに引っかかりを覚えて、勝手に断ってしまったのだった。今思えば、バカなことをした。あの時の、希純の見た目に騙された自分を殴ってやりたい!尚はその時のことを思い出して苦み走った顔をしたが、振り返った美月に呼ばれて瞬時に笑顔になり、彼らの後を追った。リビングにて。「先生、僕はピアノを上手に弾けてますか?」准が尋ねた。美月は少し首を傾げて、言った。「とっても上手よ。どうしたの?誰かに何か言われたの?」「……」准はもじもじと下を向いていたが、小さな声で答えた。「教室の先生が、〝やっと少し弾けるようになったのに〟て怖い目で言ったの…」「……」美月はそれを聞いて胸を痛めた。准は年齢の割に良く弾けている。それは多分、彼の母親が家で丁寧に教えていたからだろう。美月の聞いた限りでは、基礎的な事はほとんど出来ているようだった。ただ、子供であるが故にまだ手が小さく、力も弱い為、強く音が出せないだけだ。それの何がいけないというのだろう…。美月自身にも経験があることだった。こんな小さい内に、そんなに強く鍵盤を弾かないといけないような曲、やらなきゃいいじゃない?それに、彼は実際に上手く弾いている。美月はその教室の講師の人となりを疑ってしまった。「大丈夫。
last updateLast Updated : 2025-08-02
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