All Chapters of 雪降り、雲深く我を渡さず: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

鬼塚は三日三晩、家でぼんやりと過ごした。何も食べず、飲まず、話もせず。ただベッドに横たわり、天井を見つめていた。頭の中は絢瀬のことでいっぱいだった。彼女の笑顔、怒りをこらえる顔。そして話しぶりも、料理をする姿も、すべてが美しかった。だが、どんな彼女も、もう彼のものではない。「もしもし、鬼塚様ですか?」知らない番号から電話がかかってきて、知らない男の声だ。「はい。何か用ですか?」「失恋ミュージアムの者です。奥様が2年前に預けられた品物がございまして。保管期間になりましたものの、奥様にどうしても連絡が取れなくて……」絢瀬の名前を聞き、鬼塚は飛び起きた。「失恋ミュージアム?」「はい。失恋されたお客様の思い出の品を預かる施設です。短期プランと永久プランがございますが、奥様は2年間のプランをお選びになりました」「場所を教えてください。今向かいます」「はい」鬼塚はすぐに車を走らせた。なぜか直感で、絢瀬が自分に関わるものを残したと確信していた。見ても悲しいだけかもと知りながら、彼は行かずにはいられなかった。何せ彼女はあまりにも残酷で、彼女を思い出されるものを一つも残していなかったから。だからたとえ残されたのは彼への呪いでも、彼も行くしかなかったのだ。そして、ミュージアムで店員に差し出された、色あせた日記帳とダイアモンドの指輪を見たとき、彼は堪らなく震えた。それは結婚式で渡した指輪だ。ずっとつけてないかと思ったが、ここに預けられたか。手を震わせながら日記を開く。そこには結婚直後の絢瀬の思いが綴られていた。【今日彼は白鳥さんを夕食に招いた。料理をたくさん作ったけど、なぜか怒られた。私は何をしても彼は怒ってばかりだ】【今日はうっかりして手が火傷をしちゃった。彼は長い間水で冷やしてくれた。心配してるように見えたけど……違うよね。白鳥さんが好きなんだから】【柳の綿にアレルギーの話をした翌日、街路樹が全て切り倒されていた。皆彼の命令だと言ったが、私のため?】【昨夜オークションで気に入った絵画が今朝届いた。彼が買ってくれたらしい。でも昨夜のオークションで落札してないはずだ……】【また彼に怒られた。千早しか愛さないからと言って、もう彼に媚びないでって言われた。でも私はまだこの家を離れてはい
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第12話

白鳥が退院した。鬼塚はわざわざ時間を割き、彼女を迎えに行った。 「隼人、どこに連れて行ってくれるの?」白鳥は抑えきれない興奮を顔に浮かべ、鬼塚の腕にしがみつくように寄りかかった。鬼塚は意味深な笑みを浮かべた。「すぐにわかるよ。きっと驚くから」白鳥の笑顔がさらに輝いた。彼女は鬼塚のことを好きではないが、彼のような男が自分に媚びへつらう様はたまらなく快感だった。心の中では、鬼塚など一生自分の奴隷でいいと思っていた。車が鬼塚グループ本社ビルに到着すると、白鳥は眉をひそめた。「ここ?一体どんなサプライズなの?」「すぐわかるよ。降りよう」鬼塚は王子が姫を導くように、彼女の手を取って車から降ろした。白鳥の胸は期待で膨らんだ。きっとプロポーズに違いない。だが、彼女は絢瀬のような安っぽい女ではない。簡単には承諾しないつもりだ。ところが、鬼塚がエレベーターで最上階のボタンを押した。二人は屋上に着いた。眉をひそめ、白鳥の心拍数が急に上がった。彼女は慌てお必死に隠して、作り笑顔で聞いた。「なんでこんなところに?隼人、何をする気なの?」鬼塚は薄笑いを浮かべながら問いかけた。「覚えてるか? この場所」「あなたの会社のビルでしょ? どうかしたの?」「どうかした?」鬼塚の笑みが消え、声が急に冷たくなった。「3年前、絢瀬の両親がここで亡くなった。覚えてないのか?」白鳥の体が小刻みに震えた。けど平静を装い、唾を飲み込んだ。「その……話は聞いたことがあるわ。でも彼らの死と私に何の関係が?」「関係?」鬼塚が突然接近し、眼光鋭く睨みつけた。「人殺しの罪を忘れたか? 白鳥、全部知っているぞ!」「冗談はやめてよ!何の話かわからない!もう帰る!」白鳥が慌てて踵を返そうとした。でも鬼塚はそう簡単に逃すつもりがない。女の腕を掴んで引き戻し、そして強く振り払った。白鳥はバランスを失い、床に叩きつき、膝を擦りむいて血が滲んだ。怪我したところを見て、涙が溢れた。「隼人!一体どうしたの?どうしてこんな場所に連れて来て、変なこと言うの? 絢瀬さんに唆されたのね?私たち幼なじみなんでしょ?私より彼女のほうを信じるというの?」鬼塚は彼女の髪を掴み、無理やり頭を上げさせた。スマホの画面に映し出されたのは、あの日の監視映像だっ
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第13話

白鳥は殴られた上で白鳥家に送り返された。今は鬼塚のことを考えるだけで、恐怖で胸が締め付けられる。あの男の狂気は、何よりも恐ろしい。じっとしているわけにはいかない。自分で生き延びる道を見つけなければ。「おじいちゃん……」白鳥は家に入るなり、泣きながら源蔵の懐に飛び込んだ。源蔵は茶碗を手に、冷静に彼女を見下ろす。「どうした?そんなに泣いて」 「お願いがあるの……」 白鳥は震える声で、三年前の殺人を告白した。 源蔵の表情が一気に険しくなる。 部屋全体が重苦しい空気に包まれた。 白鳥は涙をこぼしながら、源蔵の足元にひざまずいて哀願した。「本当に後悔してる! あの時は魔が差したの!なのに今、あの動画は隼人に握られていて……お願い、助けて……!おじいちゃんしか頼れる人がいないの!」 白鳥が絢瀬の両親の写真を見せると、源蔵の目が明らかに揺れた。 「どうしたの?」 「何でもない」源蔵は胸中に沸き上がる熱い感情を抑え込み、無表情を保った。 「おじいちゃん、この件はもうずいぶん前の話だったのに、隼人はこれを私を脅かそうなんて、絶対助けて!」 彼女を静かに見つめて、深く考えた後、源蔵は告げた。「わかった。休みなさい。私が処理する」 白鳥の顔に笑みが広がる。「おじいちゃんが最高!」 白鳥が去ると、源蔵は秘書を呼んだ。「あの件を調査せよ。特に死亡した夫妻について」 「はい」 源蔵は眉をひそめた。先ほどの写真がどこかで見覚えがあるようだ。確かあの夫婦は、20年ほど前に白鳥家で使用人として働いていたはずだ。胸に漠然とした不安がよぎる。一方、白鳥は自室に戻ると、イライラしながら水野に電話をかけて、急用があると言って、白鳥家に来るように要求した。水野はすぐさま車を走らせた。「千早、どうしたんだ?」水野が部屋に入るなり、白鳥を抱き寄せ、手を腰に回そうとした。白鳥はむしり取るようにその手を払いのけ、鬼気迫る表情で言い放った。「バカなことしてる場合? 鬼塚に全部知られてしまったのよ!」水野の表情が一瞬で凍りついた。顔から血の気が引いていくのがわかった。「まさか、そんな……」「あの人のスマホに、私たちのオフィスでの映像があるの! 殺人のこともバレてる! 樹、どうすればいいの? あの人は絶対許してくれないわ
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第14話

白鳥は数日間拘留された。しかし警察がどんなに尋問しても、彼女は一言も口を開かなかった。狂ったように、ただひたすら笑い続けるだけだった。警察は水野の遺体を発見し、確かな証拠を掴んでいたが、白鳥の供述が得られずにいた。誰も気づいていないが、彼女の心は完全に狂い、絢瀬への憎悪で満ち溢れていた。全てはあの女のせいだ。あの女さえいなければ、こんなことにはならなかった。彼女は決して諦めない。何としても絢瀬を殺す方法を考え出すつもりだ。「白鳥千早、あんたは保釈された。市内から出るな。随時呼び出す可能性がある」白鳥は驚きを隠せなかった。「保釈? 誰が?」育ての親である源蔵にさえ見捨てられた今、彼女を助ける者などいないはずだ。しかし警察は答えようとしなかった。意気消沈した白鳥が拘置所を出ると、車にもたれかかる鬼塚の姿があった。その瞬間、白鳥の世界に光が差した。「隼人! あなたが私を絶対理解してくれると信じてた!助けてくれて、ありがとう!」白鳥は勢いよく鬼塚の胸に飛び込み、甘えた声を出した。しかしすぐに容赦なく突き放され、露骨な嫌悪の眼差しを向けられた。車に乗り込むと、白鳥は運転手の存在など全く気にせず、さっさと上着を脱ぎ捨て、中のセクシーな下着を見せた。彼女は鬼塚の膝の上に座り、きれいな鎖骨をくすぐるように触れながら、妖艶な目線を送った。「隼人、やっぱり、あなたのあの冷たい態度は演技だったのね?本心では私を手放したくなかったんでしょ?今日のことは本当に感謝してるわ。今日だけは特別に、私をあげるよ。ずっと欲しがってたでしょう?」鬼塚の眉間の皺がさらに深くなって、ばしりと白鳥を押しのけた。白鳥は頭がドアに激突し、痛みで顔が歪んだ。なのに鬼塚の顔に嫌悪しかなく、声も極寒の氷のように冷たい。「自重しろ。お前を出したのは助けるためじゃない。まだ懲らしめ足りないからだ。十分苦しませたら、また牢屋にぶち込んでやるよ」白鳥の世界が崩れ落ちた。顔色がひどく悪い。彼女は荒い息を繰り返し、胸の内に怒りの炎が燃え盛っていく。拳を強く握り締め、爪が掌に食い込んでも痛みすら感じていない。「隼人、どうして私をこんな目に遭わせるの?どうして皆、私をここまで追い詰めるの? 私に何の罪があるというの?」彼女の
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第15話

絢瀬はヨーロッパでの日々はこれまでにない幸せを感じていた。独り暮らしとはいえ、もう誰の顔色もうかがう必要はないし。冷たい視線や陰口に耐える必要もなくなった。ただ、深夜の静けさに包まれる時だけ、ふと孤独を覚え、思い出すべきでないあの人のことを考えてしまう。そしてこの日、彼女は突然本国からの電話を受けた。「絢瀬若菜様ですか?あなたの叔母である絢瀬香織(あやせ かおり)さんが脳梗塞で緊急搬送され、危篤通知が出されています。親族として連絡が取れたのはあなただけです。至急病院に来ていただけませんか? 残り時間が……」電話を切り、絢瀬はすぐに帰国の航空券を手配した。渡欧前に二度と戻らないと決めていたけど。しかし両親を亡くして以来、叔母は彼女の唯一の身内だった。普段疎遠であっても、その血縁は消えない。空港からタクシーで病院まで駆けつけた。なのに一歩遅れて、彼女が目にしたのは既に息を引き取った叔母の姿だった。霊安室の前で遺体と対面した時、涙が自然と頬を伝った。三年前、両親を亡くした時の孤独と無力感が、鮮明によみがえる。叔母までこの世を去り、これからの道は、本当に独りぼっちになっちゃった。死亡診断書を手に廊下を歩く途中、ふと一つの診察室が視界に入った。何気ない一瞥の先に、懐かしい後ろ姿があった。鬼塚だ。帰国を決めた時、確かに彼と再会するかもしれないとは考えた。だが、こんなに早く会えたとは。思わず足を止め、診察室のドア越しに会話に耳を澄ました。「鬼塚さん、あなたのうつ病は進行しています。従来の処方薬では効果不十分と見えるので、新しい薬に変えました。しばらく仕事を減らし自然に触れることを強く勧めます」うつ病?絢瀬は鬼塚の背中を見つめて固まった。あの時はそんな症状などなかったはず。なぜ今? もしかして、自分のせい?この考えが浮かんだ瞬間、彼女の唇は自嘲的に歪んだ。勘違いも甚だしい。自分がいなくなった後、彼がきっと喜んだはずだ。そのために鬱病と?原因はきっと白鳥だ。だが、彼女は生きていると聞いたはず。ため息と共に首を振ると、その瞬間、診察室内の鬼塚が振り向き、視線が空中で交錯した。絢瀬の鼓動が一瞬止まり、心が乱れ、足が自然と速まり、その場を駆け出した。鬼塚もまた、呆
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第16話

叔母に葬儀を挙げた。絢瀬は黒いトレンチコートに身を包み、深い悲しみに沈んでいた。参列者のほとんどは叔母の元同僚や友人で、彼女とは面識がない人ばかり。形式的な慰めの言葉を交わすだけで、すぐに去っていく。「絢瀬さん、久しぶりだね」突然、聞き覚えのあるやや年老いた声が不意に彼女の鼓膜を震わせた。びっくりして、はっと顔を上げる。そこには白鳥のお祖父さんが立っていた。「白鳥様?どうしてここに?」絢瀬は唇を噛み、緊張した声を出さずにはいられなかった。頭は一瞬で思考の渦に飲み込まれた。まさか白鳥に毒を盛ったことがバレたのか?鬼塚よりも人脈と手腕に長けていたから、ここまで辿り着くのはさほど不思議ではない。どう切り抜けるか、頭をフル回転させながら、何とか冷静を装う。しかし源蔵の目は穏やかで、一片の非難も怒りもなかった。「ご愁傷さま。時間があれば、少し話を聞いてもらえないかね?」絢瀬は深呼吸して頷いた。「はい」近くのカフェで。向かい合って座る二人。絢瀬はうつむきがちに、源蔵の視線を避けている。なぜか、その視線が普通じゃないと感じたから。「若菜。そう呼んでもいいかな?」源蔵が真っ直ぐに見つめている。「ええ」「まずこれを見てほしい」源蔵は静かに書類を彼女の前に滑らせ、その瞳には曇りひとつなく、透き通っていた。絢瀬は眉を寄せ、訝しげにファイルを開いた。DNA鑑定書だった。最後のページまでめくった時、彼女の手は震えていた。「これは……」指先で結論部分を押さえ、言葉を失う。「わかるだろう?つまり……お前こそが、私の実の孫だ」「そんな……馬鹿な!」思わず舌を噛みそうになった。何度も書類を見返したが、どう考えても荒唐無稽だった。突然現れた老人がDNA鑑定書を持ってきて、お前は我が孫だなんて……まるで三流ドラマのようだ。さらに衝撃だったのは、この老人が白鳥千早の祖父だという事実。ということは、白鳥が自分の姉なのか?その可能性を考えた途端、彼女の眉間の皺はさらに深くなった。思考が混乱する彼女に、源蔵は静かに続けた。「若菜。知る由もないだろうが、お前の養父母は20年前、白鳥家の使用人だった。どうやら……お前と千早は入れ替えられたらしい」絢瀬の瞳がさらに見開かれる。「千早こそが、あ
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第17話

鬼塚は車中で窓の外を見つめながら、絢瀬のことばかり考えていた。「鬼塚社長、あちらは白鳥源蔵様です。葬儀に参列されたようです」源蔵の姿を見て、運転手は鬼塚に報告した。鬼塚は一瞥して、ただ「ああ」と短く答える。車が走り去った。次の瞬間、絢瀬がカフェから現れた。葬儀を終えた。絢瀬は翌日の飛行機を予約していた。出発する前に、高校時代の恩師である小川先生に会おうと思い立った。小川先生は叔母の親友でもあり、彼女が不在の時、いつも叔母の面倒を見てくれていた。小川先生が彼女の手を握ってこう言った。「若菜、しっかりしなさい。香織さんも、あなたが幸せになるのを願っているわ」「ええ、分かっています」絢瀬は微笑んだ。「随分笑顔が増えたね。この数年、私も香織さんもあなたの暗い表情が心配だったわ」小川先生は嬉しそうに言った。「心境の変化でしょうか」彼女は軽く肩をすくめる。執着を手放したからか、かつての苦しみは消えていた。小川先生は何かを思いついたように、ため息をついた。「鬼塚君とは?本当に離婚するの?」絢瀬の微笑みが一瞬に固まる。彼女は青空に浮かんでる白い雲を見て、静かに言った。「そうですね。離婚しますね」「そうなのか。あんなに似合いの二人だったのに……昔は教師の皆で、あなたたちならきっとうまく行くって賭けまでしてたけどね」「え?昔?」絢瀬の眉がひきつる。「高3の時だったよね。優等生のあなたと問題児の鬼塚君と付き合っていたの。教師たちは気づいていたけど、お互いを高め合っているようで、あえて注意しなかったの。まさか数年経って、結局離婚するとはね」頭の中で何かが爆発するような衝撃で、笑顔が堅くなった。高校の時、鬼塚と付き合っていたと?絢瀬は思わずこめかみを押さえた。でもなぜ、何一つ思い出せないんだろう?ふと、鬼塚の携帯で見た昔の写真を思い出す。心の奥底で、長年眠っていた何かが蠢き始めたような感覚だ。「小川先生、ありがとうございます。急用ができたので、これで失礼します」「ええ、いってらっしゃい」彼女はタクシーに飛び乗り、昔住んでいた団地へ向かう。鬼塚家に嫁ぐ前、両親と暮らしていた古いアパート。都心にある老朽化した団地で、外壁は剥がれ落ち、鬼塚家の明るく広々とした邸宅とは比べものにならないほどみ
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第18話

絢瀬はアパートを出た。胸中は複雑な思いでいっぱいだった。歩道を当てもなく歩きながら、頭の中は混乱していた。突然、対向車線から一台の車が暴走し、彼女に向かって突っ込んできた。瞳が一瞬で見開かれる。咄嗟に身をかわそうとしたが、車はまっすぐ彼女を襲った。「ドーン!」衝撃音と共に、絢瀬の身体は数十メートルも飛ばされた。通行人たちの悲鳴が辺りに響き渡る。地面に倒れた絢瀬の頭部からは、鮮血が噴き出し、道路脇の植え込みに染み込んでいった。鮮やかなバラの赤と混ざり合い、痛ましい光景を醸し出していた。車のドアが開き、白鳥が狂気じみた笑いを浮かべながら降りてきた。絢瀬の惨状を眺めると、さらに高笑いを上げる。やっとの機会で倉庫から逃げ出した彼女は、鬼塚の車で源蔵を追跡していたが、思いがけず絢瀬を見つけたのだった。天も味方してくれて、この女を消すのを助けてくれた。そして絢瀬は病院に搬送された。知らせを受けた源蔵と怒りに満ちた鬼塚が駆けつける。鬼塚は全身を震わせながら、即座に部下に命じ、白鳥の足を一本潰した。白鳥は体が血に染めた。それは絢瀬の血か、自分の血か分からないぐらい血まみれだ。それなのに、赤く充血した目で鬼塚を睨みつけ、一切の後悔の色も見せなかった。「鬼塚!殺せるものなら殺してみな!でなければ、永遠に絢瀬を追い詰めるわ!あなたは彼女を愛してるでしょう?だったら彼女を殺すよ。あなたたちが悪いよ!なぜみんな彼女ばかりひいきするの?私のどこが悪いっていうの?」理性を失い叫び続ける白鳥を、鬼塚は冷たい目で見下ろし、額に青筋が浮かび、ぎりぎりと歯を噛み締めた。「舌を抜け」「かしこまりました」白鳥は悲鳴をあげてすぐ、痛みで地に転がり、のたうちまわっていたが、もう声などが出なかった。しかし鬼塚の怒りはまだ収まらない。もっと早く白鳥の本性に気づいていれば、絢瀬とこんなことにはならなかったかも。救急救命室の前で、源蔵はひどく動揺していた。ようやく見つけた実の孫娘。あれほど聡明で強い絢瀬がどうか無事でいてほしい。時間が過ぎる。そして、扉が開いた。医者は重苦しい表情で二人に向き直り、ゆっくりと告げた。「命に別状はありません。手術は成功しました。しかし衝突時の衝撃で眼球が損傷し、角膜に重大なダメー
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第19話

絢瀬はゆっくりと意識を取り戻した。だけどたちまち全、身の骨がバラバラに砕け再び組み立てられたかのような激痛が走った。少し動くだけでも冷や汗が噴き出した。それ以上に恐怖だったのは彼女の世界が完全な闇に包まれていたことだ。まぶたをパチパチさせても、光の存在はぼんやりと感じるだけで、何一つ形が見えない。「若菜!目を覚ましたのか!」耳元で聞き慣れた男の声。鬼塚の声だ。絢瀬は微かに眉をひそめ、現実感が湧かなかった。これは夢なのか?ここはどこ?なぜ何も見えない?鬼塚がどうして傍に?これは現実なのか?それとも夢なのか?夢だったらどうすれば目覚める?絢瀬が必死にもがいて、困惑に満ちた表情を見て、鬼塚の胸は無数の蟻に食い荒らされるような痛みに襲われた。「若菜、大丈夫か? どこか痛む? すぐ医者を呼んでくる」しかし絢瀬は彼の手をぎゅっと掴んだ。鬼塚は握られた手に視線を落とし、心が痺れるほど痛んだ。絢瀬に異常を悟らないように、彼は必死に平静を装った。「ここはどこ?どうして何も見えないの?」絢瀬は聞いた。「ここは病院だ。お前は交通事故に遭った。覚えているか?目は一時的に網膜を損傷している。心配するな、安静にしていれば回復するよ」絢瀬はゆっくりと手を離した。しばらくして、彼女は口を開けた。「なぜあなたがここに?」「医者が……連絡をくれた。若菜、もう二度とお前を傷つけない。約束する」彼は絢瀬の瞳を必死に見つめた。でもそこにはもはや何もなかった。彼はゆっくりと話を続けた。「若菜、お前が俺を嫌ってるのは十分わかってる。でも、どうしても伝えたいことがある。これまでのことは全部俺が悪かった。全ては俺の責任だ。白鳥のことなんて、全然好きでも何でもない。最初から愛したのはお前ひとりだけだ。あの頃の俺は頭がおかしかったんだ。だからお前を傷つけるようなことばかりしてしまった。けど信じてくれ、あんなことは絶対に二度としない。絶対だ」鬼塚ははっきりと見ていた。絢瀬の頬を一滴の涙が伝い、彼女の顔をさらにやつれたように見せた。胸が鋭く疼き、その痛みは一瞬で全身を駆け巡った。彼はうつむき、自分の靴先を見つめながら、言葉を続けた。「若菜、お前に嫌われてるのはわかってる。でも今お前は病気なんだ。俺が看病しないと。治ったら考える時間をあげ
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第20話

鬼塚は24時間病院に張り付いていた。絢瀬から目を離そうとしない。起きてからずっと無言を貫いていた絢瀬が、ついに口を開いた。「ずっとここにいなくてもいい。一人で大丈夫」鬼塚はしばらくして、やっと自分に話しかけているのに気づく。しばし沈黙し、無理やり笑みを作って答えた。「ただ心配で。大丈夫よ。仕事は部下がやってくれるから」「ここでは食事も睡眠も満足に取れてないでしょ?事故はあなたの責任じゃないんだから、帰ってよ」絢瀬はゆっくりと言った。目が見えなくても、医師や看護師の話は筒抜けだった。今朝もトイレで看護師たちの噂を耳にした。「316号室の旦那様、本当に素敵ね。奥さんのために一日中看病して、もう10キロも痩せたそうよ。あんなにお金持ちでイケメンの上に妻にも優しいなんて、奥さんは幸せ者だわ」「そうだよ。本当に奥さんを愛しているのね。羨ましいわ」「……」 絢瀬は唇を歪めた。外からはそう見えたのね。 でも本当に幸せかどうかは、彼女にしかわからない。 だけど鬼塚は続けて言った。「駄目だ。一人にさせるわけにはいかない」 「鬼塚、そんなことをしても無駄よ。いまさら何をしても、私たちもう戻れないの」絢瀬の声には一切の温度がなかった。 彼女は冷たい声で、無情に告げる。 鬼塚の心臓が激しく揺れた。喉仏が上下し、かすれた声で言った。「わかってるよ。もう許してもらえないのわかってる。ただ償わせてくれ。そうでないと俺は本当にどうすればいいか分からない」 絢瀬は深く、深く息を吐いた。うつむいたまま、自らの指先をそっと揉むように触れ、何かをためらっていたようだった。やがて、彼女の唇端に柔らかな弧が描かれた。「鬼塚、知ってる?私、記憶が戻ったの」鬼塚の身体が微かに震える。目を見開き、絢瀬の顔をまじまじと見つめた。彼女が続けた。「事故で目が覚めた時、六年前のすべてを思い出したの。あなたを忘れてしまったこと本当に悪いと思ってる。あなたが私を恨んだのも納得できるよ。ただ、この数年で、私たちにはいろいろあり過ぎたね。もうあの頃のように、純粋な気持ちで愛し合うなんてできないの」言葉を切り、絢瀬はこぼれ落ちる一滴の涙を拭った。声はかすれていた。「何より、私たちの愛は、とっくに穢れてしまったじゃない。愛しているかどうか、忘れてい
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