《夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!》全部章節:第 1821 章 - 第 1830 章

2151 章節

第1821話

航平は、隠す様子もなかった。「もう明日香には渡した。ただ、株式の譲渡は普通の売買みたいに簡単じゃない。そんな短期間で手に入るものじゃないんだ。でも、あの女はかなり自信があるようだった。おそらく司馬家の中に協力者を見つけたんだろう。それに、あいつ自身も怜央の株を持っている。その分、動かしやすいはずだ」星はさらに尋ねた。「仁志は今、どうしてるの?」その瞬間、空気が凍りついた。いつも端正で穏やかな航平の顔が、一気に冷えきる。「星……お前、まだあいつのことを考えてるのか?」星はわずかに眉を上げた。「そんなに不思議?航平、私のことを知って一日二日じゃないでしょう。私がどういう人間か、あなたならよく分かってるはずよ」航平は無意識に拳を強く握った。その時、ひやりとした風が走る。航平はほとんど本能で、咄嗟に身を横へかわした。次の瞬間、星が手にしていたステーキナイフが、航平の肩に深く突き刺さる。航平の目に、信じられないという傷ついた色が浮かんだ。震える声で言う。「星……私を殺そうとしたのか……?」その一撃は肩を貫いたはずなのに、航平にとっては、まるで心臓を刺し貫かれたような痛みだった。彼はもう感情を抑えきれなかった。目を赤くし、声を荒げて問い詰める。「星、私はこんなにもお前を愛してる!頭の中はお前のことでいっぱいなんだ!なのに、どうして私を殺そうとするんだ?!」今の航平は、完全に狂気の淵に立っていた。「どうしてだ!なんで私にこんなことをする?!」肩の傷も顧みず、彼は激しく叫び続ける。「仁志みたいな嘘つきのどこがいいんだ?!どうしてあいつのすることは何でも許せる?どうしてあいつのことは好きでいられる?なのに、私が何をしても、お前は嫌うばかりなんだ!」だが、危機が深まるほど、星の頭はかえって冴えていった。判断も、いっそう鋭くなる。彼女はナイフを勢いよく引き抜き、全身の力を込めて、今度は航平の脚へ突き立てた。航平は、一撃を避け損ねたうえに、なおも攻撃されるとは思っていなかった。その目には狂気じみた光が揺れ、裏切られた者のような痛ましい表情が浮かぶ。「なんでだ……なんで私にこんなことをするんだ……?」星は当然、その場にとどまって彼とやり合うつもりなどなかった。食事を
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第1822話

星の一撃には、まったく容赦がなかった。航平はその場で意識を失い、床に倒れ込んだ。生きているのかどうかさえ、すぐには分からない。本棚の扉がまだ閉まりきっていないうちに、星はすばやく隠し通路へ滑り込んだ。足を踏み入れた直後、背後の本棚は音もなくぴたりと閉じる。通路は冷たく、狭く、息が詰まりそうだった。両脇の壁灯には、ぼんやりと黄色い光が灯っている。そのせいで、かえって不気味さが際立っていた。その時、星の目に入ったのは、まだ扉の閉まりきっていない一室だった。中の壁一面に、彼女の写真が隙間なく貼られている。最近のものもあれば、ずっと昔のものもあった。パーティーに出席した時の写真もあれば、普段の生活の中で撮られた写真もある。どれもこれも、すべて星だった。少し離れた机の上にも、彼女の写真が山のように積まれている。ただでさえ薄暗い部屋なのに、その光景が余計に陰気で恐ろしかった。部屋いっぱいに貼られた自分の写真を見た瞬間、ぞくりとした寒気が四肢の先から全身へ広がっていく。――だから航平は、あんな極端なことまで平気でできたのだ。あの男は、本当に正常じゃない。そう思った瞬間、星はもう一秒たりとも無駄にできないと悟り、足早に先へ進んだ。どれほど歩いたのか分からない。だが、やがて前方の空間が少しずつ明るくなっていった。同時に、視界も開ける。星は、出口らしき場所に差し込む光を見た。胸の奥がぱっと明るくなる。だが、そこまでたどり着いてすぐ、その希望は半分にしぼんだ。目の前にあったのは、例の扉と同じ、暗証番号、指紋認証、虹彩認証を必要とする厳重なロックだった。やはり航平は慎重だった。正面からここを抜けるのは、ほとんど不可能だ。星は目を細め、しばらく考えたのち、再びあの写真だらけの部屋へ戻った。さっきはあまりにも気味が悪く、詳しく見る余裕がなかった。だが今度は照明をつけ、部屋の中を隅々まで調べ始める。壁という壁には、彼女の写真がびっしりと貼られている。さらに奥へ進むと、そこには生活の痕跡が残るベッドがあった。机の上には書類まで置かれている。航平は、きっとここで頻繁に過ごしていたのだ。そう考えた時、星の視線が机の上に置かれたひとつのクリスタル製オルゴールに止まった。その
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第1823話

階下へ降りる途中、星は思いがけず、航平の屋敷で働く使用人と鉢合わせた。上の階から降りてきた彼女を見て、使用人は一瞬、不思議そうな顔をした。それでも深くは考えなかったらしい。航平が招いた客人だと思ったのか、むしろ丁寧に挨拶までしてきた。そのうえ、何か手伝うことはないかと尋ねてくる。星も礼儀正しく応じ、そのまま門のところまで案内してもらった。航平の別荘を出た瞬間、星はまるで生き返ったような気分になった。さきほど時間を確認したところ、自分はおよそ一週間、あの場所に閉じ込められていたらしい。けれど、日の光も届かない薄暗い地下室で、自由もなく過ごしたその一週間は、島で過ごしたあの一か月よりも、ずっと長く、ずっと苦しかった。航平は、彼女に二度刺され、そのうえ頭まで強く打たれている。しばらくは目を覚まさないだろう。しかも今、あの男は隠し通路の中に倒れたままだ。救助が遅れれば、命を落としてもおかしくない。それでも星の心には、何の波も立たなかった。あそこで死ぬことこそ、むしろ航平にふさわしい結末なのかもしれない。別荘地は静かで、人通りも少ない。しかも星は今、スマホを持っていない。少し賑わいのある場所まで歩いて出て、そこから車を拾うしかなかった。だが、数歩進んだところで、黒いスーツ姿の男たちが彼女の前に立ちはだかった。先頭の男は、星を見るなり目を見開く。「奥様……?本当に奥様ですか?!」星は、目の前の男をすぐに思い出した。雅臣のもう一人の秘書、鹿島遥真(かしま はるま)だった。星は尋ねる。「どうしてあなたたちがここにいるの?」遥真は答えた。「雅臣さんは、今回の火災に航平が関わっているのではないかと、ずっと疑っていました。それで、私に密かに航平の動きを監視するよう命じていたんです。奥様、本当にご無事でよかった……!今すぐ雅臣さんに連絡します!」星は言った。「奥様じゃなくて、星さんでいいわ。私はもう、雅臣とは離婚してるから」遥真は気まずそうに頭を下げた。「申し訳ありません。つい癖で……」そう言って、すぐに雅臣へ電話をかけた。二、三言やり取りしたあと、遥真は携帯を星に差し出す。「雅臣さんです」星は電話を受け取った。受話器の向こうから聞こえてきた雅臣の声は、かすかに震えていた
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第1824話

雅臣はそのまま星を連れ、別荘の中へ入っていった。「仁志は、しばらくここにいる」その言葉に、星の胸は強く締めつけられた。雅臣は、彼女が戻ってきたと知って門の前で待っていた。それなのに、仁志は現れなかった。つまり、来たくても来られない状態なのだ。別荘の中へ入るとすぐ、ちょうど階段を下りてきた雅人の姿が目に入った。彼はすでに事情を聞いていたのだろう。無事な星を目にした瞬間、心底ほっとしたように大きく息をつく。「星野さん……本当に、よかった。ご無事で。もし何かあったら……」星は足早に彼のもとへ向かった。「仁志は今、どういう状態なの?」雅人の表情は重かった。「……あまり良くありません。あの日倒れてから、仁志さんはまだ一度も目を覚ましていません」それから雅人は、ここ数日で起きたことを星に話した。「数日前、謙信が司馬家の株式に動きがあることに気づいて、確認のためM国へ向かいました。そして今朝になって、ようやく分かったんです。あの株式譲渡書にサインしたのは、星野さんだった。つまり、星野さんは死んでいなかった。それから、もうひとつ……」雅人は彼女を見た。その目には、言葉にしにくい複雑な感情が滲んでいた。「怜央の株式は、現在凍結されています」星は眉を上げる。「凍結?」雅人は頷いた。「ええ。星野さんが署名した時点で、怜央の株は一年以内は放棄も再譲渡もできないようになっていたんです。もしそれを破れば、半年間凍結される仕組みでした」星自身も、その事実を知らなかったらしい。それを見て、雅人は言った。「怜央は、最初から保険をかけていたんでしょう。今回、明日香は結局、何ひとつ手に入れられなかった。そのうえ、星野さんが生きていることまで表に出してしまったんです」たとえ星が自力で逃げ出せなかったとしても、彼女が生きていると確定した以上、雅人たちはすぐにでも救出の準備を進めていただろう。星の足が、一瞬そこで止まった。だがすぐに、彼女は問う。「仁志は……この件のおかしさに気づかなかったの?」この一件はたしかに急だった。それでも、綻びや疑問点がなかったわけではない。仁志ほどの頭脳があれば、本来なら見抜けないはずがなかった。雅人が答える前に、階段のほうから冷ややかな女の声が響いた
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第1825話

星は仁志を見つめ、問いかけた。「彼が忘れてしまったことって……一体、何なの?」美咲は首を横に振る。「私にも全部は分からない。ただ言えるのは、催眠を受ける前の仁志の状態は、本当にひどかったってこと。現実と幻想の区別すら、つかなくなりかけていたの。あのまま放っておけば、完全に壊れていたはずよ」星は思わず、仁志の手を強く握りしめた。「じゃあ、今は……?」美咲は彼女を見つめる。その眼差しは、これまでになく複雑だった。しばらくして、ようやく口を開く。「星。私は、あなたに彼から離れてほしい」星のまつげが震えた。何か言いかけるが、美咲がそれを遮る。「星、どうして今回、仁志があんなにも簡単に騙されたのか、考えたことある?」「……どうして?」美咲の声は冷ややかで、一語一語がはっきりしていた。「最初から最後まで、彼の病状は良くなってなんていなかったからよ。彼は医者も周りの人間も欺いて、回復したふりをしていただけ。ずっと自分を押し殺していたの。今回の出来事は、ただの引き金にすぎない」星は呆然とした。「仁志、良くなってなかったの?どうして医者を騙したの?」「治療には協力していたはずよ。でも、その方法では効果が薄いと分かったんでしょうね。仁志は頭がいい。効かないとなれば、次は催眠になると理解していた」美咲はまっすぐ彼女を見据えた。「彼は、あなたを忘れたくなかったの。だから、ずっと良くなったふりをしていたのよ」星の瞳が激しく揺れる。思わず口にした。「たとえ催眠にかけられても……私がそばにいれば、また一からやり直せる……」美咲は静かに言った。「星。今のあなたが仁志にとって何を意味しているか、分かってる?」「……何?」「弱点よ。致命的な弱点」彼女は続けた。「誤解しないで。あなたが弱いと言っているわけじゃない。ただ、仁志の敵は、あなたを利用して彼を攻撃してくるということよ」そして、少し声を低くする。「今回みたいにね。彼にダメージを与えられるものは、もう他にない。だからあなたを使って彼を刺激し、狂わせようとする。それに、仁志はあなたが思っている以上に、感情への依存が強い。彼は、全身全霊で自分を愛してくれる相手を求めている。彼の心には、あなたしかいない。でも、あなたの心には
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第1826話

仁志は、ゆっくりと目を開けた。美咲が歩み寄り、不安そうに問いかける。「仁志。大丈夫?」仁志は彼女を一瞥しただけで、すぐに傍らの星へ視線を向けた。その瞳に、かすかな光が宿る。「星……」星はすぐに彼の前へ歩み寄った。「仁志、大丈夫?」仁志はそっと彼女を抱きしめた。「大丈夫だ」「どこか具合悪くない?」星はさらに尋ねる。仁志の目が、わずかに揺れた。「少し……頭が痛むくらいだ」星は彼の顔色をじっと観察した。表情は穏やかで、特に異常は見えない。だが胸の奥に、言いようのない違和感と不安が浮かぶ。前に彼女がただ行方不明になっただけの時ですら、再会した仁志はひどく取り乱していた。それなのに今回は、あまりにも落ち着きすぎている。なぜ、こんなにも冷静なのか。彼女は美咲に目を向けた。美咲もまた、同じ違和感を覚えているようだった。星は静かに口を開く。「航平と明日香が手を組んで……今回の偽装死を仕組んだの。それに、綾子の事故も航平の仕業。私たちをZ国におびき寄せるためだったみたい」自分の知っていることを一つずつ話しながら、星は仁志の表情を観察した。しかし――彼の目には、彼女が想像していたような混乱も揺らぎもなかった。むしろ、どこか鋭く、冷ややかですらある。黒曜石のような瞳は底知れず、深く沈んでいた。――何かが、違う。星の視線に気づいたのか、仁志は長いまつげを伏せ、目の奥の感情を隠した。そして彼女を抱く腕に、無意識に力を込める。低く掠れた声で言った。「星……すまない。お前を守れなかった」星は小さく息をついた。「あなたのせいじゃないよ。誰も、航平がここまで残酷だなんて思わなかった。綾子だけじゃなく、あんなに多くの人の命まで……」仁志はこめかみを押さえ、軽く眉をしかめた。頭痛があるようだった。「雅人はいるか?」「いるよ」「星、悪いけど……あいつを呼んできてくれるか?」星に断る理由はなかった。「うん、分かった」星が部屋を出ると、美咲も後を追って外に出た。ドアが閉まった後、美咲は小声で言う。「……何か変だと思わない?」星は眉を寄せた。「少し……でも、さっき大きな刺激を受けたばかりだし、多少は仕方ないんじゃない?」美咲は黙り込み、考
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第1827話

仁志は言った。「Z国に来てから、何があった?」その一言で、雅人の顔色が変わった。――Z国に来て以降の記憶を、すべて失っている。だからこそ仁志は星をそばに置かず、自分に詳細を確認しようとしたのだ。胸のざわめきを押し殺しながら、雅人はこの間に起きた出来事を、一つひとつ丁寧に説明していった。しばらく沈黙したあと、仁志が口を開く。「星は……いつ戻った?」雅人は答えた。「おそらく、脱出してすぐです。時間にして……前後一時間も経っていないはずです」「航平……」仁志はその名を静かに繰り返し、意味ありげにかすかに笑った。「俺もどうかしていたな。あんな男を、これほど長く好き勝手にさせていたとは」雅人は呆然と仁志を見つめた。たしかに――仁志はもともと、情けをかけるような人間ではない。星と出会ってから、彼は大きく変わった。かつての残忍さや嗜虐性は影を潜めていた。その時間が長すぎて、雅人は以前の彼を忘れかけていたのだ。思考に沈みかけたその時、男の澄んだ低い声がそれを断ち切った。「星が逃げ出して間もないなら、航平はまだ自宅にいるはずだ。火を放て――今後、あの男の姿も、鈴木家の存在も、俺の前に現れる必要はない」なぜか、雅人はわずかな違和感を覚えた。だが、よく考えれば――それはまさしく、仁志本来のやり方でもある。しかも今回は、偽装死などという手段まで使われている。完全に逆鱗に触れた以上、見逃されるはずがない。「かしこまりました。すぐに手配します」雅人が退出しようとした、その時。「雅人」呼び止められ、彼は振り返った。仁志の漆黒の瞳が、まっすぐに彼を射抜いている。「口の軽い秘書は好まない……分かっているな?」その一言に、雅人の心臓が強く跳ねた。なぜか視線を合わせることができず、思わず頭を下げる。「……承知しております」指示を終えると、仁志は立ち上がり、部屋を出て星のもとへ向かった。階段を下りようとした瞬間、ふと足が止まる。視線の先――星が一階で、雅臣と何か話していた。彼女の口元には、淡い笑みが浮かんでいる。その視線にも、以前のような冷たさはない。雅臣は静かに話を聞き、ときおり頷いて応じている。穏やかな眼差しで星を見つめていた。航平のように露骨ではない。だが同
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第1828話

雅臣がなおも何か言おうとした、その時だった。星は何かを感じ取ったように、ふいに顔を上げた。二階の手すりのそばに立つ仁志の姿が目に入る。男の黒い瞳は、墨を流したように深く、静かにそこに佇んでいた。どれほど前から見ていたのかは分からない。星の意識は、すぐに彼へと引き寄せられた。「仁志、雅人との話、終わったの?」仁志は軽く応じ、ゆっくりと階段を下りてくる。「ああ、終わった」やがて彼は星のそばまで来ると、自然な仕草で彼女の腰に腕を回し、そっと自分の胸へ引き寄せた。星は一瞬戸惑ったが、抵抗はしなかった。仁志は雅臣を見て、微笑みながら言う。「ここ数日、いろいろ協力してくれて、ありがとう」雅臣は軽く眉を上げたが、あえて彼を刺激するようなことは言わなかった。「礼を言うべきはこちらのほうだ。翔太を助けてくれて、ありがとう」星はまだ仁志に聞きたいことが山ほどあった。状況を見て、雅臣に向かって言う。「先に帰って。明日、私と仁志で翔太のお見舞いに行くから」雅臣も長居はしなかった。「分かった。じゃあ、先に失礼する」別荘を出たところで、ちょうど電話を終えたばかりの美咲が、門の外に立っているのが目に入った。美咲は雅臣と親しいわけではない。軽く会釈するだけで中へ戻ろうとする。雅臣は彼女を呼び止めた。「美咲さん」美咲は振り返る。「雅臣さん、何か用?」雅臣は問いかけた。「仁志は……大丈夫なのか?」彼女は分かっていた。先ほど星たちが来た時、自分が口にしたあの言葉を、彼に聞かれていたことを。美咲は雅臣を見据える。「何が言いたいの?」雅臣の目は深く沈んでいた。「かつて俺は星を傷つけた。だから彼女が仁志と一緒にいたいと言うなら、止めるつもりはない。だが、だからといって――誰でも彼女を傷つけていいわけじゃない」一拍置いて続ける。「美咲さん、あなたは部外者だ。他人の恋愛に口を出す資格はない」その言葉に、美咲の表情にわずかな驚きが浮かんだ。目の前の男が星の前夫だということは知っていたが、これまでまともに見たことはなかった。彼女の中では、この世のどんな男も、仁志には遠く及ばない存在だったからだ。だが今、ようやく彼を正面から見る。美咲は言った。「まだ星のことが好きなんだ
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第1829話

星の胸の奥が、ひやりと冷えた。まるで、美咲の言葉とぴたりと重なったかのようだった。正直なところ、彼女の話をすべて信じていたわけではない。星には分かっていた。美咲の心には、今もまだ仁志がいる。だからこそ、思ってしまう。あの言葉は――わざと、自分を彼から引き離すために言ったのではないか、と。星は尋ねた。「……何を思い出したの?」仁志はさらりと答える。「大したものじゃない。昔の……血なまぐさい出来事を少しな。お前に聞かせるような話じゃない」星はどこか納得できなかった。「仁志、本当に?」仁志は彼女の手を握り、静かに言う。「俺が、お前に嘘をついたことがあるか?」その視線が、彼女の手元へ落ちた。見慣れない指輪が、そこにはめられている。「それは……?」星は慌てて説明した。「航平が、位置情報チップ入りの指輪を外して……あなたを騙すために仕組んだの。逃げる時、この指輪のことを忘れてて……外しそびれたの」そう言って、星は中指の指輪を外そうとする。だが、きつくはめられていて、まったく抜けない。実は逃げる時にも、一度外そうとした。しかし航平は最初から、外せないよう一回り小さく作っていたのだ。何度か試して、あの時は諦めた。そんなことで時間を無駄にしたくなかったからだ。だが今回は違う。指が赤くなるほど力を込めても、やはり外れない。仁志の、古井戸のように深い瞳を見つめた瞬間――星の胸に、細い不安が芽生えた。前とは違う。今回の彼は、あまりにも冷静すぎる。一瞬、自分が望んでいるものが何なのか分からなくなる。彼が穏やかなほうがいいのか。それとも、取り乱してくれたほうがいいのか――その時、仁志が彼女の赤くなった指をそっと掴んだ。「星、もういい」長く白い指先が、何気なくその指輪をなぞる。「無理に外すのは難しそうだ。明日、溶かさせる」星は言った。「じゃあ……今日、すぐに頼めない?」長くつけていたのだから、あと一日くらい増えても構わない。ただ――彼がそれを見て嫌な思いをするのではないか。それが気になった。彼はその気持ちを察したように、低く言う。「いい。今日はゆっくり休め」そう言うと、彼は顔を寄せ、彼女の唇を塞いだ。星は拒まなかった。むしろ自分から腕を回し、彼の首に
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第1830話

仁志は彼女を一瞥した。「お前には関係ない」美咲はほっと息をついた。だが同時に、胸の奥にかすかな失落が広がる。「仁志、あなたの状態は良くないわ。従来の治療じゃ、もうあまり効果は期待できない」彼女は真剣な声で続けた。「催眠療法を受けるべきよ。でないと、どんどん悪化して――」しかし、言い終える前に冷たい声が遮った。「催眠は受けない」仁志の深い瞳の奥で、血のような赤が一瞬だけ閃く。「美咲、俺のことに口を出すな。裏で星にくだらないことを吹き込むのも、二度とやるな」その声は低く、氷のように冷たい。「俺の邪魔をするなら……お前も殺す」美咲の顔が一気に青ざめた。胸を強く打ちつけられたように、心臓が激しく揺れる。まつ毛が小さく震えた。「……じゃあ、治療は受けないつもり?」歯を食いしばり、なおも言葉を続ける。「今回の件で、あなたの異変に気づいた人は多いわ。弱点はもう露呈している。みんな星を利用して、あなたを揺さぶり続けるはずよ――」だが、その言葉も途中で断ち切られた。「心配はいらない」仁志は淡々と言う。「もう、最適な治療法は見つけている」美咲は思わず問い返した。「……どんな方法?」「お前が気にする必要はない」仁志は立ち上がり、彼女に告げた。「星を探すのに手を貸してくれたことは感謝している。今回はそれで帳消しだ。だが、次はない」そう言い残し、ゆっくりと部屋を出ていった。その背中は冷たく、殺気を帯びていた。美咲はその後ろ姿を見つめながら、ふと――何年も前の光景を思い出す。あの時も、彼は今と同じように、ゆっくりと一歩ずつ……奈落へ踏み込んでいった。思わず声をかける。「仁志……星は、今のあなたを好きにはならないわ」仁志は足を止め、振り返った。美咲の瞳に、わずかな期待の光が宿る。だが次の一言は――「他人に邪魔されるのは嫌いだ。今日中にここを出ていけ」その言葉に、美咲の心はゆっくりと沈んでいく。まだ何か言おうとした。「仁志、やめて――」返ってきたのは、無情に閉まるドアの音だった。美咲の体から、力が抜け落ちる。……星は、携帯の振動音で目を覚ました。雅臣の秘書・遥真もまた、非常に優秀だった。彼女を仁志のもとへ送る道中で、すでにS
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