All Chapters of 夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!: Chapter 181 - Chapter 190

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第181話

そう言って、勇は翔太へと視線を向け、責任を押し付けようとした。「翔太くん、この勝負で負けたのは、主に君が足を引っ張ったせいだ。あの怜を見てみろ、どれだけ見事に演奏してたか。清子が0.1点減点されたのは、全部君のせいだぞ」その時もなお、翔太の脳裏には舞台に立つ母――星の姿が鮮烈に焼きついていた。あれは、今まで見たことのない母親の姿だった。眩しく、どこか別人のようで、それでも目を離せなかった。――あれが本当に、自分のママなのか?いつから、あんなにすごい人になっていたんだ?清子おばさんよりも、ずっと。音楽のことはまだ分からなくても、その幼い感覚でも分かった。母の演奏は、清子おばさんの演奏よりもはるかに美しかった。そして怜のことも......認めたくはないが、自分より上手だった。しかも母との息はぴたりと合い、ほとんど完璧な演奏だった。それに比べて自分の出来は。翔太は反論できず、うなだれて小さな声で言った。「ごめんなさい、僕が清子おばさんの足を引っ張っちゃった......」勇は頷きながら言う。「そうだろう。君がいなければ、清子はきっと満点だったんだ。だから清子は負けたことにはならない」その言葉に、綾子は烈火のごとく怒った。「馬鹿も休み休み言いなさい!そんなの、翔太みたいな五歳児しか騙せないわよ!本気で皆が耳も頭も悪いとでも思ってるの?!」勇は綾子の剣幕に気圧され、勢いを失った。彼自身も、綾子の前で「翔太が無能だった」などと言うのはまずかったと気づく。軽く咳払いし、取り繕うように言った。「綾子さん、そんなつもりはなかったんです。ただ星にいい気にさせたくなくて。翔太くんが優秀なのは、皆わかってます。でもご存知でしょう、さっき清子は星と賭けを......」綾子は冷たく遮る。「清子が賭けに負けただけ。翔太とは何の関係もないでしょう」勇は慌てて言い返す。「でも、清子は翔太くんと一緒に出たんですよ......結果的に一位を取れなかった。その一位を星が取ったんですよ。清子の負けを認めたら、それはつまり翔太くんの負けも認めることになる。「綾子さん、星がこの後、得意げにふんぞり返るのを見たいですか?しかも翔太くんは彼女の実の息子です
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第182話

星の瞳がかすかに揺れた。「――私に負けたのは、翔太?」勇は胸を張って答える。「そうだ。清子達とお前達の差は0.1点。その0.1点は翔太くんと怜の差なんだから、この勝負は清子の負けじゃない」星はすべてを理解した。「つまり、あなたたちは最初から約束を守る気がなかったのね?」その表情は水面のように静かで、怒りも驚きもなく、まるで慣れきっているかのようだった。その様子を見た雅臣の胸に、妙なざらつきが走る。そして初めて知った――勇がここまで屁理屈をこねる人間だったとは。勇はさらに声を張り上げる。「負けてないんだ!審査員だって言ったろ?0.1点は翔太くんが落とした分だって!」心の動揺を隠すため、勇はわざと大声を出した。「だいたいな!五歳児に勝って何が誇らしいんだ?しかも自分の息子に!」「そんなことで胸を張れるなら、勝手に言いふらせばいいさ。誰も止めやしない」星はゆっくりと視線を巡らせる。「皆さんも、同じ考えなのかしら?」雨音は視線を逸らし、目を合わせようとしない。綾子は顔を背け、硬い表情を崩さなかった。翔太は罪悪感に押し潰されそうになりながら、小さな声で呟く。「......僕が負けたんだ」清子は俯いたまま黙り込み、勇の言葉を否定しようとしない。――そして雅臣は。星は一瞥すらくれなかった。彼は「人」として数えられていなかった。勇は嘲るように口角を上げる。「ほらな?みんな同じ意見だろ」星の唇に、かすかな笑みが浮かぶ。「山田さんがそんなに必死で小林さんのために出しゃばるのは......彼女を庇いたいんじゃなくて、自分が私との賭けに負けた際の約束を守りたくないからじゃないの?」勇の顔色が一瞬で変わった。その言葉に、清子以外の全員が目を見開いて勇を見つめた。――誰も、賭けの存在を知らなかったのだ。勇は狼狽し、怒鳴り返す。「な、何をでたらめを!」言い逃れしようとした瞬間、星がスマホを取り出し、録音を再生した。勇の顔が一瞬ひきつり、歪んだ。それでもなお言い張る。「お前は清子に勝ってない!だからこの賭けは無効だ!」その時、休憩室の扉が再び開いた。彩香が数人を引き連れて入ってきた。「――恥を知りなさい!」
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第183話

清子は無意識に拳を握りしめ、爪が掌に食い込み砕けるように割れても、その痛みすら感じなかった。――実力者であればあるほど、相手の力量を見抜ける。彼女には分かっていた。何度やり直そうと、自分が星に勝つことは絶対にない、と。銀歯が砕けそうなほど食いしばられ、星を見る目にはもう取り繕う余裕もなく、初めて怨念と悔しさがあらわになった。――自分が、星に負ける?どうして?「......清子」澄んだ男の声が不意に響いた。「賭けに出た以上、負けを認めろ」誰もが予想していなかった。星が本当に清子に勝つなどと。――彼自身でさえ、そうだった。音楽のことが分からなくても、どれほど清子をひいき目に見ていようとも。この時ばかりは、良心を裏切って「清子の方が上だ」とは言えなかった。まともな感性を持つ者なら、誰だって聞き分けられる。星の演奏の方が、圧倒的に心を打つと。清子は悔しさで震えた。帰国して以来、ずっと星を踏みつけにしてきた。過去に失態はあったが、そのたびに雅臣が後始末をしてくれた。だが今日は――雅臣すら庇ってくれない!星は、清子が動かないのを見て、冷ややかに言った。「自分で外せないの?それとも、私が外してあげましょうか」清子は目に涙をにじませ、屈辱を噛み殺しながらネックレスを外した。「......今回ばかりは、星野さんの方が上だったわ」大勢の視線がある中でなお居直れば、体面も信義も一気に失う。清子は深く息を吸い込み、どうにか気持ちを整えると、差し出した。「星野さん、どうぞ」彼女がこのネックレスを返したくなかったのは、毎日身につけて見せびらかすことで、星を逆なでするためにほかならなかった。返してしまうこと自体は構わない。だが――あの夏の夜の星だけは。清子の瞳に、陰険な光が閃いた。あれは必ず手に入れる。星は手のひらに収めた懐かしいネックレスを見つめ、目の奥に薄く涙をにじませた。その姿を見て、雅臣の瞳孔がかすかに縮む。――このネックレスが、彼女にとってそこまで大切なものだったのか?薄い唇が動きかけたその時、先に彩香の皮肉混じりの声が響いた。「やっぱり頼れるのは自分だけね。星が努力して勝ち取ったから、戻ってきた。でなきゃ、大事な物だって人の手
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第184話

だが星は、勇の剣呑な視線にも一歩も退かず、淡々と告げた。「――それで、山田さん。覚悟はできた?」周囲で見物している人々の中には、山田グループと取り引きのある者も少なくない。だが同時に、敵対する家も多い。勇は普段から口の悪さで人を敵に回すことが多く、もしここで約束を反故にすれば、今日の一件は間違いなく大きく取り沙汰されるだろう。会社にすら影響しかねない。勇はなおも納得いかず、雅臣に視線を送った。――星は雅臣の言葉だけはよく聞く。彼が庇ってくれれば、どうにかなるはずだ。だが雅臣は一瞥すら与えなかった。暗い瞳はただ、星の姿を見つめている。その沈黙が答えだった。勇の顔の筋肉が引きつった。重圧に耐えきれず、ついにその場に膝をついた。「......わ、ワン......ワンワン!」間抜けな犬の鳴き真似に、見物人の間から忍び笑いが漏れ、やがてどっと笑い声が広がった。勇は羞恥と屈辱で顔が火照り、殴られたわけでもないのに頬が焼けつくように痛む。頭を上げずとも分かる。自分がどれほどの嘲笑の目にさらされているかを。彩香は、この千載一遇の瞬間をしっかり録画していた。――もう二度と、彼が星をいじめることは許さない。清子は顔を背け、見ていられないとばかりに嫌悪をあらわにした。雅臣の顔には冷淡な無表情が張りついている。だが綾子は、星が得意げな様子を見て我慢ならず、鼻を鳴らした。「下品だこと!たかが一度勝ったくらいで、ここまで増長するなんて。どうせ高校も出ていないくせに。中卒同然の学歴で、いくらヴァイオリンが弾けたところで何になるの?世に名を馳せる音楽家が皆、名門校を出ているのを知らないのかしら。英語ひとつ満足に話せないでしょうに」息子の嫁が大勢の前で大きな勝利を収めたというのに、神谷家の面々の表情は死人のように暗い。喜びのかけらもなく、むしろ哀悼のように沈んでいた。綾子の言葉は確かに酷かった。だが事実でもあった。どれほどの才能を見せようと、学歴という「傷」は消せない。もし彼女が今後名を上げれば、必ずそこを突かれ、過去の黒歴史として晒され続けるだろう。だが星は一歩も引かない。「学歴がどうであれ、勝ちは勝ちです。綾子さん、他人を貶める暇があるなら、
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第185話

「たとえ海外の名門校でも、ご希望さえあれば一年や二年の研修で卒業証書を取得するなど、造作もないことです。うちの音楽協会は規約も緩やかですし、商業演奏や広告契約に口を出すこともありません。ただ、お時間のある時に顔を出して、会員たちに少し教えていただければ十分です」瑞希の言葉は、綾子にとってはまるで痛烈な一撃だった。つい先ほどまで「学歴がない」と星を嘲っていたのに、その直後に瑞希が媚びへつらうように声をかけてきたのだ。綾子の顔は赤くなったり白くなったり、堪えきれず皮肉を吐き捨てた。「音楽協会の門戸もずいぶん低くなったものね。誰でも受け入れるなんて。中卒にまで媚を売るなんて恥知らずもいいところだわ」だが瑞希は、先日の神谷家を巡る騒動も耳に入れており、人材に飢えている彼女は綾子の嘲りなど意に介さなかった。「学歴なんてどうでもいいんです。星野さんのような人材の方が何倍も大切です。星野さんが会員になってくださるなら、私が跪いたって構いませんよ。それに比べて、綾子夫人......」瑞希は綾子を見て、にこやかに言った。「あなたは星野さんの姑だと伺いましたが?これほどの活躍を見せてくれたお嫁さんに、なぜそんな不機嫌そうなお顔を?」そして、あたかも答えに気づいたように声を弾ませた。「――ああ、分かりました。星野さんが家族を代表して出場したわけではなく、ご自身の力で勝ち取ったからですね。つまり、ご自分の見る目のなさを恥じていらっしゃるんでしょう」ここへ来る途中、瑞希は事情を大まかに聞いていた。世間でよくある「褒めたり貶したり」の構図にすぎない。だが、強さは強さ、実力は実力。他人の優秀さを素直に認められないのは、ただの嫉妬でしかない。綾子は悔しさに言葉を失った。星はちらりと綾子を見やり、瑞希に向き直った。「お招きありがとうございます。また今度、伺ってみますね」瑞希の顔はぱっと華やぎ、笑顔を咲かせた。「いつでも歓迎します!事前にお電話一本いただければ、それで十分です」そう言って名刺を差し出す。星はそれを受け取り、彩香に目を向けた。「そろそろ時間も遅いですし、帰りましょう」彩香は楽しげに笑い、影斗に向かって言った。「榊さん、うちの星と怜くんが一位を取っ
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第186話

「業界の友人たちがこぞって聞いてくるんです。この美人ヴァイオリニストは一体誰なのかって......ここ数日、私の電話は鳴りっぱなしですよ。小林さん、何か内情をご存じじゃありませんか?少しでもいいから教えていただけませんか?」――自分よりも上手い?清子のまぶたがぴくりと痙攣し、脳裏にふと星の姿がよぎった。なにしろ、国内で自分より優れた者など、数えるほどしかいない。「その人の名前は?」と清子は思わず口にした。「それが分からないから、小林さんに伺っているんです」清子はしばし沈黙し、やがて低く言った。「写真と動画を送ってちょうだい」ほどなくして届いた映像を再生すると――やはり、あの日のものだった。舞台の上で、星がヴァイオリンを奏でる姿。ここ数日、彼女の頭から離れなかった屈辱の光景。星に叩き伏せられたあの瞬間。そして――雅臣が、星の背中を見つめた時の、あの異様なほどのまなざし。心の奥底から、かつて覚えたことのない畏れと脅威が芽を吹いた。これまでずっと「何の取り柄もない女」と思い込んでいた星。だが彼女は違った。自分よりも強い。このレベルなら、たとえA大の中でも群を抜いた存在に数えられるはずだ。だが清子は確信していた――少なくとも在学中、A大で星を見かけたことは一度もなかった。A大の殿堂入りに名を刻むなど、あり得ない。そこは清子にとって、永遠に手の届かない、仰ぎ見る存在だったのだから。彼女は考えもしなかった。星の名を聞いたことがないのは、A大では全員が英語名を使っていたからだということを。ふと、清子の脳裏に稲妻のように閃いた。――あの時、勇が「星を失墜させる」と言って配信したはずだ。清子は顔色を変え、すぐに電話をかけた。電話口の勇は、慌ててネットを開き、トレンドを確認して――肺が潰れそうになるほどの怒りに襲われた。「ちっくしょう!たった五、六分しか配信してないんだぞ!しかも途中で切ったのに!なんで星がバズってんだよ!」星の勢いは凄まじかった。清子が人気を得た当初でさえ、彼と雅臣が資金を惜しみなく投入し、ようやくフォロワーが数千万に膨れ上がったのだ。それなのに星は、わずか数日で......勇は怒り狂い、今にも発狂しそうだった。「今す
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第187話

こうして清子は散々叩かれる羽目になったのだった。勇の説明を聞いて、ようやく清子も胸をなで下ろす。だが二人の思惑とは裏腹に――星に関するトレンドや関連タグは確かに削除されたものの、ネット上での話題はまるで収まらなかった。今のネットユーザーには独特の心理がある。「隠されれば隠されるほど気になる。見せないと言われれば、余計に見たくなる」しかも現代のネット民は、皆が探偵気取りだ。勇が必死にトレンドを抑え込んだことで、逆にユーザーたちは「何か裏がある」と勘繰り、星への好奇心はさらに燃え上がった。有志の名探偵ネット民たちが、全国の情報をかき集めて本格的な深掘りを始める。勇と清子が事の重大さに気づいた時には――すでに手遅れだった。幼稚園にて。最近の怜は、得意満面だった。どこを歩いても園児たちの羨望のまなざしを浴び、すっかり園内の有名人になっていた。「ねえ怜くん、君と一緒に演奏してたの、君のお母さん?すっごくきれいだった!まるでお姫さまみたい!」怜はちらりと、少し離れた場所で憎々しげに睨んでいる翔太を見やり、得意げに胸を張った。「まだ違うけどね」その言葉に、利口な子どもがすかさず聞き返す。「まだってことは......もうすぐそうなるってこと?」怜は大きくうなずいた。「星野おばさんは、もうすぐ離婚するんだ。その後は、僕のお母さんになるんだよ」園児の中には、両親がすでに離婚している子も多い。だから「離婚」という言葉の意味は理解していた。怜の言葉を聞いた数人の目が、きらきらと輝いた。「本当?僕もあんなお母さん欲しいな!」「ねえ怜くん、僕のお父さん今ひとりなんだ。きれいなお姉さん、紹介してよ!」「ばっかだな、お前のパパじゃブサイクすぎて、きれいなお姉さんに相手にされないって!うちのパパの方がカッコいいから絶対好きになるって!それで僕にかわいい妹を産んでくれるんだ!」「怜くん、この前欲しがってたミニカー、あげるから。代わりにおばさんを数日貸してくれない?」園児たちは怜を取り囲み、わいわいと自分の父親を売り込み始める。一方で、両親は離婚していないが仲が悪い家庭の子どもたちは、羨ましげに顔を見合わせていた。「......パパとママが離婚したら、僕
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第188話

怜は、翔太が魂を抜かれたようにぼんやりしているのを見て、口元の笑みをいっそう深めた。そして誇らしげに、星のことを園児たちに語り出す。「星野おばさんはね、美味しいものをたくさん作れるだけじゃなくて、薬膳料理まで作れるんだ。薬膳って知ってる?僕ね、お腹が弱くて手足も冷えて、寒さにすごく弱いんだ。だから星野おばさんは、毎日僕のために薬膳を作ってくれて、体を整えてくれるんだよ。それに、まるで何でもできる神様みたいにすごいんだ。どんな食べ物が体に悪いか、どんな食べ物が体を元気にするか、全部知ってるの」そう言いながら、怜は手にした保温ポットを掲げ、満面の笑みを浮かべた。「これね、星野おばさんが僕のために作ってくれた薬膳スープだよ。今は体の調子を整えている時期だから、外の食べ物はあんまり食べちゃいけないって。幼稚園のご飯も美味しいけど、体の回復に良くない食材が多いからって、わざわざお弁当を持たせてくれるんだ」子どもたちは目を丸くして聞き入り、視線は怜の手のポットに釘づけになった。「わぁ!本当にすごいね!そんなのまでできるなんて、星野おばさんはスーパーマン?」「いいなぁ......僕なんか幼稚園のご飯嫌だって言ったら、ママにうるさいって怒られるんだ」別の子が鼻をしかめて言った。「僕、薬膳食べたことあるけど、苦くて不味いんだ。いつも吐きそうになる」怜はさらに得意げに胸を張った。「それは昔ながらの薬膳だよ。星野おばさんは工夫して作ってくれてるから、すっごく美味しいんだ」そう言って、保温ポットのふたを開けた。ふわりと、ほのかに薬草の香りが漂い、同時に食欲をそそる匂いが部屋中に広がった。「いい匂い!」子どもたちは思わずごくりと唾を飲み込み、朝ご飯を少ししか食べてこなかった子達はお腹が「ぐう」と鳴ってしまった。皆の目は一斉に怜のポットの中へ。彩りの美しさも、漂う香りも、まさに「色・香り・味」そろった逸品。怜は惜しげもなく、小さなカップとスプーンを配って誘った。「信じられないなら、味見してごらん」子どもたちは次々に口に運び――「わぁ!美味しい!」「こんな薬膳初めて!体にいいのに、こんなに美味しいなんて......毎日食べたい!」「怜、もう一杯ちょうだい
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第189話

怜は言った。「じゃあ君の小林おばさんのどこがいいのか、言ってみてよ」翔太は怒りを込めて反論した。「清子おばさんは僕に美味しいものをたくさん買ってくれる!」怜はうなずいて、わざとらしく言った。「へえ、それで君はアレルギーを起こしたんだよね」翔太は顔を赤くして続ける。「清子おばさんが自分で作ってくれることだってある!」怜はすかさず切り返す。「ふうん、海鮮粥?危うくまたアレルギーで倒れるところだったね」「清子おばさんは......ヴァイオリンだって弾ける!」「まあ、星野おばさんに負けたけどね」「......」翔太は口を開いたが、次の言葉が出てこない。怜は追い打ちをかけるように言った。「小林おばさんって、泣くのと、人を陥れるのと、人の物を横取りするのが得意なんでしょ?ほんと、すごいアピールポイントだね!でも感謝はしてるよ。君とお父さんの見る目がないおかげで、僕とパパは最高の星野おばさんに出会えたんだから。そうだ、言い忘れてた。今度の週末、僕は星野おばさんとパパと一緒に遊園地に行くんだ。君も行きたいでしょ?でも残念、君は仲間はずれだよ」怜は翔太を見据え、心の奥をえぐるように言い放つ。「人のママを取っちゃうって、ほんと気分がいいね」翔太の目が真っ赤になり、思わず飛びかかろうとした。しかし怜は少しも怯まず、逆に勝ち誇ったように笑った。「殴ってみなよ。そしたら星野おばさんに告げ口して、君に謝らせるから」翔太もまた賢い子だった。挑発に乗りながらも、どこかで冷静さを保っていた。「ふん、殴って謝るだけで済むなら安いもんだ!」怜はにやりと笑う。「殴られてもいいよ。その分、星野おばさんが僕をかわいがってくれるし、君のことを嫌いになる。親子なのに、それってすごくない?結局、僕と同じくらいの扱いしかされないんだから」その言葉に翔太の表情が固まり、振り上げた拳は空中で止まってしまった。怜はいつも「かわいそうな子」を演じ、同情を買ってきた。今では幼稚園の先生も園児たちも、みんなが怜をかばう。好きだと言ってくれる女の子たちもいて、翔太には「もう怜をいじめちゃダメ」と何度も釘を刺された。けれど怜が来る前は、翔太が一番人気で、先生にも友達に
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第190話

それは、あの嫌な子どもと、その父親。そして......自分の母親だった。母は怜の手を引き、時折何かを話しかけては、柔らかく温かな笑みを浮かべていた。自分に向けられる冷たく無表情な顔とは、まるで別人のように。翔太はふと、母がかつて自分に微笑みかけてくれていた日々を思い出す。いつからだろう――母の視線から、温もりが消え、冷え切ったものしか残らなくなったのは。彼は遠くから三人のあとをつけながら、観覧車やメリーゴーランド、バイキングに乗る姿をじっと見ていた。さらには射的まで楽しんでいる。怜は景品のぬいぐるみを手に入れ、大はしゃぎしていた。そしてその戦利品を星に差し出すと、星は嬉しそうに受け取り、親指を立てて褒めた。それを見た翔太は、思わず鼻で笑う。自分の方が射撃はずっと上手い。――なのに、母のあの笑顔は、やけに胸に突き刺さった。「おばあちゃんの言う通りだ......ママはやっぱり世間知らずなんだ。ただの安物のぬいぐるみで、あんなに喜んで......僕なら、もっとすごい物を取れる。きれいなクリスタルのオルゴールだって手に入れられるんだ。あれをあげたら、きっと舞い上がって喜ぶに違いない......」そう思った瞬間、はっと気づく。――そのオルゴールは、もう清子おばさんに渡してしまったのだ。清子おばさんはそれを受け取ったとき、にっこり笑って「ありがとう」と言っただけで、母のように心から喜ぶことはなかった。母は、本当はそんな簡単なことで笑顔になってくれる人だったのか。それなのに、自分は景品だけじゃなく、誕生日プレゼントまで清子おばさんに渡してしまった。胸の奥に、得体の知れない後悔がじわじわと広がっていく。――自分も、母のあんな笑顔を見てみたかった。翔太は黙って三人の後を追い続ける。すると気づいた。水を買ったり、食べ物を買ったり、荷物を持ったり――そうした雑用は全部、影斗が引き受けていた。母と怜は、ただ並んで楽しそうに笑い合っているだけだった。だが、父や清子おばさんと一緒に出かける時、そうした役割はいつも母が担っていた。母は汗だくになりながら動き回り、笑顔ひとつ見せなかった。しかも自分が一番楽しいときに限って、母は必ず口を挟んでくる。「あれは食べちゃだめ」
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