All Chapters of 夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!: Chapter 191 - Chapter 200

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第191話

「怜、星ちゃん、これ食べな」星は笑みを浮かべながら「ありがとう」と言い、続けて冗談めかして言った。「最近甘いものを食べすぎちゃって、太ったりしないかしら」影斗はパリッとした皮を噛みながら、何気なく言葉を添える。「女性は多少ふっくらしていた方がいい。細すぎたら、むしろ見映えが悪い」怜が興味深そうに尋ねた。「星野おばさん、前は甘いもの食べなかったの?」「ええ、子どもを産んでからは、ほとんど口にしてないの」怜は一瞬きょとんとしたが、すぐに合点がいった。「もしかして翔太お兄ちゃんが乳糖不耐症だから、星野おばさんも甘いものを食べないの?」星は小さくうなずいた。影斗も何か思い当たったように口を開く。「こんなに長い間、自分を抑えてきたってわけか。雅臣と結婚して五年、あいつはお前が何を好きかすら知らなかったんだもんな」星は辛いものが大好きで、食卓に辛味が欠かせなかった。だがこの数年、雅臣や翔太の体を思い、彼女の作る料理はいつも薄味ばかりだった。「翔太に食べさせられないものは、私も口にしない。それが当然でしょう?自分は食べて、子どもにだけ我慢を求めるなんて、筋が通らないもの」その時、生意気盛りの怜が真剣な顔で言った。「星野おばさん、僕の前では好きなものをいくらでも食べていいよ。安心して。僕に食べちゃダメって言うものは、絶対ひと口も食べないから!」その様子を見ていた翔太は、冷たく吐き捨てる。「偽善だ」少し離れたところで、三人が楽しそうにアイスクリームを頬張る姿を見ながら、翔太はふと露店のアイスに視線をやり、無意識に喉を鳴らした。――僕も食べたい。けれど自分は乳糖不耐症。食べれば体に良くない。......やめておこう。そう自分に言い聞かせ、必死に欲を抑え込む。だが思い出すのは、清子の言葉。「今どきのアイスは添加物で作ってあるから、乳糖が入ってるとは限らないのよ。少しくらいなら大丈夫かもしれないわ」数口だけなら問題ないんじゃないか......?いや、だめだ。母さんが怜に禁止したものを、怜はきちんと我慢している。だったら、自分はもっと我慢できなくちゃいけない。怜なんかに負けるわけにはいかない。よだれを垂らしそうになりながらも、翔太は必
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第192話

「翔太がいなくなったって?」綾子の声が一気に緊迫し「ほかの子の誕生日会に行ったんじゃないの?」と問いただす。雅臣は低く答えた。「位置情報のついた腕時計も携帯も、家に置いていった。最初から見つけられたくなかったんだろう」綾子は慌てて続ける。「翔太は普段、清子に一番懐いているじゃない。彼女には聞いたの?」「まだだ。今すぐ清子に電話する」孫の翔太は綾子にとってかけがえのない存在だった。「わかったらすぐ知らせて......いいえ、私も雨音と一緒に探しに行くわ」電話を切った雅臣は、清子に連絡を入れる。清子は電話を受け、驚きの声をあげた。「翔太くんならうちにいないわ......何ですって、いなくなった?」清子もまた声を震わせたが、胸の奥では別の思惑が渦巻いていた。――もし本当に翔太に何かあれば、もう雅臣に近づく手立てがなくなってしまう。大人よりも、子どもを利用する方がずっと簡単なのに。しばらく考え込んだ末、ためらいがちに切り出した。「雅臣、もしかして星野さんが連れて行ったんじゃないかしら」雅臣は険しい眉を寄せる。「だが田口は翔太が自分から出て行ったと確認してる。誰かに連れられた形跡はない」清子は柔らかい声音で続ける。「携帯も腕時計も置いて出たってことは、自分の居場所を知られたくなかったからよ。もし本当に私たちのところに来るつもりなら、わざわざそんなことする必要はないわ。それに雅臣、あなた言ってたじゃない。星野さんは今、離婚を迫ってて、あなたも同意したって。だったら彼女、自分の立場が苦しくなって、翔太くんを連れ出したんじゃない。翔太くんが母親なしじゃいられないってことをあなたに見せて、子どものために離婚を思いとどまらせるために。それに翔太くんは、週末ならいつも綾子さんのところへ泊まりに行くのに、昨日は嘘をついたのよ。明らかに前から仕組まれていたに違いないわ。きっと星が翔太くんと事前に連絡を取って、家出をそそのかしたのね」雅臣は数秒沈黙したのち、短く答えた。「それはない」あの日、星が離婚を突きつけてきた時の揺るぎない眼差しを思い出した。あれは演技ではなかった。彼の胸には妙な確信があった。星は本気で離婚を望んでいる、と。清子の心に
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第193話

初回の離婚訴訟から二度目を起こすまでには六か月の間隔が必要で、さらに調停やら数々の手続きを経なければならない。徹底的に離婚を成立させるには、最低でも二年はかかる。結婚はただ証明書を受け取るだけで済むのに――離婚となると、これほどまでに難しい。たとえ双方の合意があったとしても、離婚手続きをするには、しばらく時間がかかる。電話口で、数秒の沈黙が走った。「星、翔太はそっちにいるのか」星は眉をひそめた。「いないわ」雅臣はさらに問う。「本当に翔太は一緒じゃないのか」星はわずかに苛立ちをにじませた。「雅臣、あなたは一体何が言いたいの」「翔太がいなくなった」星の声は冷ややかだった。「いなくなったなら探せばいいでしょう。わざわざ私に電話して何の意味があるの。私が魔法で人を呼べるとでも?」雅臣の声は冷え切っていた。「お前、まるで驚いていないな。焦りも不安も感じられない」清子の言葉が、やはり彼の心に疑念を残していた。特に、星の反応には一切の驚きがなかった。星にはその含みが痛いほど伝わっていた。冷笑を浮かべる。「私が翔太のことで必死になっていた時、あなたとお義母さんはいつも大げさだ、神経質すぎるって笑っていたじゃない」雅臣は短く息をつき、静かに言った。「星、今は昔の話を蒸し返す時じゃない」「それで?」「お前は翔太の母親だ。もし連れ出したいのなら、一言そう言えばいい。隠れてコソコソする必要なんてない」星は鋭く言い返した。「そうよ、私は翔太の母親。連れて行くなら堂々と連れて行くわ。清子に聞いてみたらどう?翔太は彼女が大好きなんだから。もしかしたらこっそり会いに行ったのかもしれないわ」「もう清子には確認した。彼女のところにもいない」「じゃあはっきり言うわ。ここにもいない」そう言い切ると、星はそのまま通話を切った。怜が小声でたずねる。「星野おばさん、翔太お兄ちゃんに何かあったの?」「翔太の父親から電話があってね。翔太がいなくなったって」怜の瞳が揺れる。「どうして翔太お兄ちゃんが......僕たちも一緒に探した方がよくない?」「必要ないわ。たぶん清子に会いに行ったんでしょう」星は表情を崩さずに言っ
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第194話

雅臣の顔色がさっと変わった。「......何だと?!」報告してきた部下の声は切羽詰まっていた。「翔太様が湖に落ちました。今、救急車で病院に搬送されています!」遊園地。星の晴れやかな気分は、雅臣からの一本の電話ですっかり打ち砕かれていた。怜が気を遣うように言う。「星野おばさん、翔太お兄ちゃんがいなくなったなら、僕たちも探した方がいいよ。じゃないと、このまま遊んでも楽しめないと思う」星の瞳は揺れる蝋燭の炎のように、かすかに揺らめいた。怜はさらに続ける。「僕と翔太お兄ちゃんは同じ幼稚園だし、普段だって仲のいい友達なんだ。もし本当に何かあったら、僕も悲しいよ」星は複雑な眼差しで怜を見下ろす。翔太は幼稚園でいつも怜をいじめていた。そのせいで、先生に呼ばれて二人の仲裁をしたことも二度ある。けれど怜は、そんなことなど気にも留めないかのように「友達だ」と口にする。その健気さが胸に迫る。影斗も口を開いた。「やっぱり探した方がいい。何にせよ翔太はお前の子だろう。もし幼稚園の別の子が迷子になったって知ったら、俺たちだって探しに行くじゃないか」普段は奔放に見える影斗の心根が、実はこんなにも優しいことに星は気づく。そして、だからこそ怜のような素直で思いやりのある子が育ったのだろう、とも思えた。しばし考え込んだのち、星は小さくうなずいた。三人が出口へ向かおうとした時、不意に怜が足を止め、ある方向を呆然と見つめた。星は異変に気づき、身をかがめて問いかける。「怜くん、どうしたの?」「な、なんでもないよ。パパ、星野おばさん、僕ちょっとトイレに行ってくる」「ついて行こうか?」「ううん、大丈夫。ひとりで行けるから」怜は自立心の強い子どもだ。こうしたことは、たいてい親の手を借りずに済ませる。「わかった。何かあればすぐ電話して」そう言って怜を送り出してから間もなく、星の携帯が再び鳴り響く。表示された名は、またしても――神谷雅臣。星は眉をひそめ、迷うことなく着信を切った。雅臣が自分に電話をかけてくることなど、滅多にない。昔なら、それだけで胸が高鳴っただろう。だが今はただ、苛立たしい。切ってわずか一秒。再び着信音が鳴る。執拗にかけ
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第195話

「神谷さん、聞くべき相手は私じゃなくて本人でしょう」星の声は、彼への嫌悪と苛立ちに満ちていた。「もし私に電話をかけてきた理由が、ただ私を問い詰めるためだというのなら、もう二度と出ないわ」雅臣の声は、氷の刃のように冷たかった。「その場で待て。もし翔太を連れて無理に出て行くなら、先にお前を拘束させてもらう」翔太が遊園地にいると聞き、最初は探しに行こうと思った星だった。だが、雅臣のその傲慢な物言いに、星も容赦しなかった。「神谷さん、あなた言ったわよね。人に頼むなら、それなりの態度が必要だって」雅臣は信じられないように息をのむ。「頼む?俺が頼んでいるとでも思っているのか」「じゃあ命令してるつもり?私があんたの言うことを聞く理由なんてどこにあるの」彼が返す前に、星は畳みかける。「雅臣、自分の立場をわきまえた方がいいわよ。私はあんたに好き勝手叱責される下女じゃないのよ」そう言い捨て、星は電話を切った。湖畔のベンチへ戻ると、待っていたはずの影斗の姿が見えない。怜が行ったトイレは、湖の奥の林のそばにある。星がそちらへ歩みかけた時――「ザブン」と水音が響いた。次の瞬間、湖畔にいた人々が一斉に叫び声を上げる。「子どもが落ちた!」「二人よ!まだ五、六歳くらいの子ども!」「親はどこにいるの!」「誰か泳げる人!早く助けて!」その声に、星の顔色が変わる。湖畔へ駆け寄り、人垣の隙間から湖をのぞくと――そこでもがいていたのは、怜だった。――まずい、怜は泳げない。星は血の気が引くのを感じながらも、人をかき分け、ためらうことなく湖へ飛び込んだ。水をがぶ飲みしながら必死にもがく怜を抱え、どうにか岸へ引き上げる。「怜くん、大丈夫!」星は焦燥の面持ちで、彼の胸を押して水を吐かせる。「げほっ、げほっ!」怜は咳き込み、大きく水を吐き出した。やがて、うっすらと目を開く。映り込んだのは、見慣れた美しい顔。その瞳に浮かぶ、隠しきれない深い心配。怜の目尻が一気に赤く染まる。彼は勢いよく星に抱きついた。「星野おばさん、僕......もう、もう会えないかと思ったよ」星は怜を抱き締め、必死に宥めながら、少し落ち着いたのを見計らって尋ねた。「
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第196話

翔太は幼い頃から英才教育を受けてきた。水泳のような生存に直結する技能は、すでに二、三歳の頃には習得済みだ。幼稚園でも水泳は必修科目であり、命を守るために欠かせないとされている。学期末には水泳大会まで開かれるほどだった。一方、怜がいまだに泳げないのは、昨年うっかり海に落ちて以来、水に強い恐怖心を抱くようになったからだ。それでも怜自身、泳げなければならないことは理解しており、期末までには克服しようと決意していた。星もそれを聞いて、励ましてくれたことがある。翔太ははっとして呼吸を乱した。そうだ、自分は泳げるのだ――そのことを一瞬忘れていた。少し前、こっそり尾行していた時、怜に見つかった。「翔太くん、まさかここまでついてくるなんてね。ずっと後をつけてきて、どんな気分?」翔太は、怜と星が仲睦まじくしている様子に、ずっと苛立ちを募らせていた。言葉もとげとげしくなる。「僕がママの息子だ。ママがどんなにお前に優しくしても、その立場は絶対に変わらない。僕はママって呼べる。でもお前は星野おばさんとしか呼べない。それが僕らの違いだ。ママが今僕を無視してるのは、ただ怒ってるだけ。お前なんて所詮、代わりにすぎないんだ。信じられる?僕がママに謝って甘えれば、すぐまた僕のところに戻ってくる。お前なんか見向きもしなくなるさ」怜の瞳がかっと見開かれた。これまで翔太に挑発して、星にかばわれることもあったが、怜は心のどこかで知っていた。星の心の中で翔太の存在は、自分よりも確かに大きい。それでも焦りはなかった。時間をかけて誠実に向き合えば、いずれ自分の方が大切に思われると信じていたからだ。だが、まだ子どもである怜には、大人のように感情を抑え込む余裕はなかった。頭では理解していても、翔太の言葉を聞かされると、思わず心がざわついてしまう。――もし本当に翔太が星のもとに駆け寄り、甘えるように抱きついたら?まだ自分の存在感が足りない今なら、星は翔太を選んでしまうかもしれない。絶対に、それだけは許せない!怜は視線を横に向け、湖面を見つめた。ふと脳裏をよぎったのは、清子がわざと階段から落ちて、星を陥れようとしたあの時のこと。もし自分が動画を撮っていなければ、星は翔太と雅臣に誤
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第197話

怜は確かに水を恐れていた。けれど父親が数多くの心理士を探してくれたおかげで、その恐怖はずいぶん和らいでいた。怜は近いうちに、星に水泳を教えてもらおうとさえ思っていた。翔太は岸に立ち尽くし、怜の姿を見つめる。ふと脳裏に浮かんだのは――怜がわざと転んで自分を巻き込み、母が心配そうに駆け寄ったあの時の光景。「ふん!みじめに見せかけるくらい誰にだってできる」翔太は吐き捨てるように言い放つ。「お前が飛び込むなら、僕も飛び込んでやる!最後にママがどっちを選ぶか、見ものだな」そう言って翔太も湖に身を投じた。だがすぐに気づく。――自分は泳げるのだ。水面に立ちすくむようにして、どうしていいかわからず戸惑う。胸の奥を突き上げた怒りは、冷たい湖水に一気に冷まされてしまった。その時、怜の弱々しい声が星の耳に届いた。「星野おばさん......苦しいよ」「大丈夫、もう少し我慢して。救急車がすぐ来るから」星は必死に声をかける。怜の小さな手が彼女の袖を握り締めた。「行かないで......怖いよ」星はすぐに怜を抱き寄せた。「ええ、おばさんはどこにも行かないわ。ずっとそばにいるから」その言葉に怜の表情がゆるみ、次の瞬間、力尽きたように意識を失った。星の顔に、慌てふためく色が浮かぶ。翔太はその様子を睨みつけていた。――こいつ、また哀れっぽく振る舞って。いつだってそうやって同情を買うんだ。怒りに震えながらも、翔太にはどうすることもできなかった。そして、負けじと自分もその場に崩れ落ちる。「弱ったふりなんて、僕だってできる!」――お前が気を失うなら、僕も気を失ってやる!翔太までが倒れ込み、星は息をのんだ。翔太はまだ幼い。泳げるとはいえ、水の中で何かにぶつかっていないとも限らない。怜を抱きしめながら、翔太の様子も気にかかり、星はどうしていいかわからず焦りに駆られた。その時、影斗が戻ってきた。彼は素早く怜を抱き上げ、星の腕を解放する。ようやく翔太のもとへ駆け寄り、状態を確かめると――大事には至っていなかった。ただ気を失っているだけだとわかり、星は胸をなでおろした。やがて救急車が到着し、二人の子どもを乗せて病院へと運んだ。病院に到着すると、雅臣は
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第198話

星は思いもよらなかった。まさか綾子が本当に警察を呼ぶなんて。振り返ると、綾子はその場に立ち、得意げな表情で星を見下ろしていた。星は雨音に視線を向ける。「あなた、止めなかったの?」雨音は口ごもりながら答える。「わ、私だって止められなかったのよ......」星が清子を打ち負かしたあの日から、雨音の心中は複雑だった。この義姉は何もできない女ではなかった。思っていた以上に――強い。かつては清子の方が兄にふさわしいと考えていた。確かに清子は計算高い女だったが、実力も確かに備えていた。でなければ、どうして兄の「愛人」になれただろう。どうして兄の心を掴んで離さなかっただろう。兄と同じく、雨音もまた芸術的な才気を持つ女性に惹かれる性分だった。かつて琴棋書画を学んだが、才能に恵まれず、ものにならなかった。綾子は冷ややかに鼻で笑う。「どう、怖くなった?もう遅いわよ。牢屋で頭を冷やしてくることね。いくらバイオリンが上手くたって無駄よ。前科持ちなんて、誰が欲しがるのかしら」星は少しの間沈黙し、やがて雅臣に目を向ける。「彼女は年寄りで物忘れもあるのかもしれないけど、あんたたちまで一緒に愚かな真似をするの?」雅臣はずっと翔太の検査に付き添っていて、綾子が本気で警察を呼んだことを知らなかった。「母さん、どうして通報なんかしたんだ」雅臣の眉間に深い皺が寄る。だが言葉を言い終える前に、綾子が横から押し切った。「雅臣、これはあなたが口を出すことじゃないのよ。悪事には代償を払わせなきゃ、また孫を誤った道に導くに決まってる!」「愚かにもほどがあるわ」星は冷然と吐き捨て、警官へと向き直った。「すみません、この子は自分で家を出ただけで、私が連れ去ったわけじゃありません。それに――」星は一呼吸置き、一語一語はっきりと告げた。「彼は私の息子です。母親が実の子を誘拐するなんて、道理に合いません」警官は一瞬目を見開いた。「何ですって?あなたがこの子の母親?」星はうなずく。「実の母親、ですね?」「ええ」警官は眉をひそめ、半信半疑の面持ちで言った。「身分証を確認させていただけますか」「どうぞ」星は素直に身分証を差し出した。装置で読み取る
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第199話

なおも口を開こうとした綾子を、雅臣が制した。「母さん、翔太はまだ病室でひとりだ。雨音と一緒に見てきてくれ」綾子は怒りを収めきれなかったが、雅臣の言葉に反論できず、ただ星を鋭く睨みつけてから翔太のもとへ向かおうとした。その時、星の声が響いた。「待って」一同の視線が彼女に集まる。星はゆっくりと言葉を継いだ。「この方は私が子どもの実母だと知りながら虚偽通報を行い、私の名誉を傷つけただけでなく、軽犯罪法にも違反しています。お巡りさん、このままでは済ませられません。罰を与えなければ、私の大切な演奏会の最中にまた虚偽通報で妨害されるかもしれないでしょう」警官が確認するように問う。「星野さん、この件を正式に追及なさるおつもりですか」この種の虚偽通報は、当事者が追及しなければ不問に付される。だが追及されれば、処罰は免れない。「はい」星は淡々と答える。「私への中傷に対して、公に謝罪していただきます」その言葉を、綾子が烈火のごとく遮った。「星!夢でも見てなさい!」星は一瞥もくれず、静かに続けた。「謝罪に応じないのなら、私は法的措置を取ります。この方を名誉毀損で訴えるつもりです」警官がすぐに口を挟んだ。「奥様、謝罪された方がいいです。もしこの方が公的に知られた人物であれば、事態は重大と見なされ、拘留の可能性もあります。裁判になれば、当事者が和解に応じない限り、勝ち目はまずありません」綾子は打ち据えられたように息を荒げる。「私はあの女の姑よ、彼女の義母なのよ!その私が謝罪する?あり得ない、絶対に!」星は冷ややかに告げた。「綾子さん、先ほど自分で言ったじゃないですか。私は雅臣と離婚の最中だと。離婚すれば赤の他人です」雅臣は堪らず口を挟む。「星、正式に籍を外すまでは、母さんはまだお前の母親でもある。どうしてそこまで敵対する必要がある」星は薄笑いを浮かべた。「雅臣、彼女はあなたの母親であって、私の母親じゃない。あなたの母が私を警察に突き出そうとした時、あなたは何も言わなかったじゃない。今になって庇うなんておかしいでしょう。それに、あなたの母は過ちには代償が必要と理解している。私はその言葉に従っているだけ。どこが間違いか
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第200話

雅臣の整った顔が陰りを帯びる。「星、いい加減にしろ!」だが星の目元は微動だにせず、その態度は揺るぎなかった。「あなたの母親が私を誘拐犯に仕立て上げた。それは行き過ぎじゃないの?私が行き過ぎるのが嫌なら、最初から止めておけばよかったのよ。マザコンみたいに、黙って突っ立ってるだけじゃなくてね」彼女の望みはただひとつ――綾子の謝罪だった。二度も三度も侮辱を受けるわけにはいかない。見下している相手に頭を下げさせる。どれほど受け入れ難くても、それが必要だ。この騒動が大きくなれば、神谷家や神谷グループにとって不利益でしかない。綾子は強情だが、利害の計算には長けていた。今日ばかりは――彼女の負けだった。綾子の顔がひきつり、頬の筋肉が痙攣する。この時ようやく理解する。星はもう、昔のように罵られても黙り込み、誰からも好き勝手に扱われる女ではなくなったのだと。これから先は、彼女に向ける一言一句を慎重に考えなければならない。胸の内には憎悪が渦巻く。雨音は母の歯ぎしりを聞き、衝動で暴走しないかと慌てて口を挟む。「お母さん、お兄さんに代わって謝らせるなんて絶対だめ。そんなこと広まったら、お母さんもお兄さんも顔をつぶすだけよ。それに......」雨音は星をちらりと見やる。「星は翔太のお母さんなの。誰が聞いても、母さんのやり方には理がないわ」綾子もその理屈をわかってはいた。けれど星を痛い目に遭わせたい一心で、どうしても受け入れられない。本当なら警察に「星は翔太の母親ではない」と突っぱねて、彼女を焦らせ、謝罪させるつもりだった。だが結局は、自らの仕掛けた罠に足を取られる羽目になった。――どうしても謝りたくない。昔の星なら呼べば素直に従い、追い払えば何も言わずに去っていく。けれど今の星は違う。徹底的に事を荒立てる覚悟を持っている。その影響は星本人よりも、神谷家や神谷グループに及ぶ。綾子は奥歯を噛みしめ、ついに屈辱を飲み込んだ。「......星、ごめんなさい。私が......誤解していたわ」星は深追いせず、淡々と応じた。「では今回の件はこれで終わりにしましょう。ただし綾子さん、今後はよく考えてから行動してください。さもないと、神谷家も神谷グ
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