All Chapters of 夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!: Chapter 201 - Chapter 210

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第201話

「翔太お兄ちゃんが言ったんだ。僕のことがすごく嫌いで、星野おばさんと一緒にいるのも嫌だって。それで遊園地に来たのは、星野おばさんと仲直りするためだって。ママに甘えて謝れば、きっと言うことを聞いてくれて、僕なんか相手にしなくなるって。それに......それに......」そこまで言うと、怜の目尻が赤くなり、声もつまって震え出した。星は問いかける。「それに、まだ何か言ったの?」「翔太お兄ちゃんが......僕はただの代わりだって。星野おばさん、本当に僕は翔太お兄ちゃんの代わりなの?」怜の大きな瞳に涙が滲み、小さな捨て犬のように哀れで切なげに映った。星の胸に鋭い痛みが走る。同時に翔太への失望がいっそう深まった。――代わり?父親と同じだ。あの男も替えを作るのが得意だった。やはり親が歪めば子も歪む。「あなたは誰の代わりでもない。あなたはあなたよ」星は真剣に怜を見つめた。「安心して。おばさんは必ずあなたの味方になる」ひと呼吸置き、言葉を継ぐ。「謝ってもらうだけじゃ足りないなら、ほかに望みがあれば言って。私ができる限り叶えるから」怜はおそるおそる彼女を見上げ、不安げに答えた。「ほかには何もいらない。ただ、ずっとそばにいてくれればいいの」星の心は締めつけられた。出会って以来、怜は不運ばかり背負わされ、翔太にいじめられることもしばしばだった。それでも一度も恨み言を言わず、自分や翔太を責めることもなかった。星は大きく息を吸い込み、傍らで静かに立つ影斗に視線を向ける。「榊さん、あなたの望みは?何かあれば聞かせて」影斗はじっと彼女の瞳を見据えた。「星ちゃん、覚えておいて。子どもはお前ひとりの子じゃない。この責任を全部背負うのは間違いだ。子どものことをすべて自分で抱え込むから、雅臣は家や子に責任を持とうとしない。まるで子育てなんて簡単だと思っている。お前の努力が見えないからこそ、あいつはお前を軽んじるんだ」星は言葉を失い、しばし呆然とした。彼女はずっと、子どもに関わるすべてをひとりで背負ってきた。雅臣は大きな会社を切り盛りし、忙しく疲れている――そう思えば思うほど、雑事を彼に任せず、全部自分でやろうとしてきた。夫に一切
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第202話

雅臣の黒い瞳が鋭く沈んだ。――やはり清子の言った通りだ。すべて星に関わっている。翔太は父の口から予想外の言葉が飛び出し、数秒間呆けたあと慌てて言った。「ママに言わされたんじゃない!僕が、パパとママに離婚してほしくないって思っただけ......」言い終える前に、雅臣の冷ややかな声が遮った。「聞きたいのはそこじゃない。――お前がこっそり抜け出したのは、母親に会うためか」冷厳な気配をまとったその声に、翔太の心はすくみ上がった。うつむきながら答える。「......うん」雅臣の視線はさらに鋭さを増す。「遊園地にいると知ったのは、誰から聞いた」すでに部下に命じて翔太の携帯を調べさせていた。通話記録にもメッセージにも不審はない。つまり、直接伝えた者がいるはずだった。翔太は小声で答える。「......怜だよ」雅臣は思った通りだという顔をした。――やはり星が直接伝えたか、怜を通じて伝えたに違いない。子どもにまで手を伸ばすとは。不安げな翔太の目を見据え、雅臣は淡々と告げる。「安心しろ。お前の母親が俺と離婚することはない」ちょうどその時、病室のドアがノックされ、静かに開いた。入ってきたのは星だった。翔太の瞳がぱっと明るくなった。――ママが来てくれた!なるほど、怜がわざと怪我を装い甘えるのは効果的だ。母の心を惹きつける手段として、実に役立つ。翔太の胸には、新しい発見をしたような感覚が広がった。星は病室に入ると、じっと自分を見上げる翔太に目を留めた。眉根をわずかに寄せ、静かに声をかける。「具合はどう?まだどこか苦しい?」翔太は「もう大丈夫」と言いかけ、ふと怜が母の腕に縋って「苦しい」と訴えたときの光景を思い出す。母の優しい眼差しを――彼は言葉を飲み込み、慌てて口を変えた。「......まだ少し、苦しい」だが星は怜にしたように抱きしめて慰めることもなく、口にしたのは別の言葉だった。「翔太、どうして怜くんを突き落としたの?」翔太は呆然と母を見返した。自分を案じに来たのではなかった。怜のために、詰問しに来ただけだった。――また、あいつのために。胸にかかった期待は冷水を浴びせられたように消え失せ、残ったのは失望と抑えき
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第203話

初めの頃、翔太は母の言葉をそれなりに聞いていた。けれど成長するにつれ、次第に彼女の言葉を軽んじ、耳を貸さなくなっていった。「僕を陥れるために、あいつが自分から飛び込んだんだ!」翔太の怒鳴り声が、星の思考を断ち切った。「そいつはわざと僕に見せつけたんだ。ママと一緒に遊園地で楽しそうにして、それから僕の前に来て君のママを奪った気分は最高だ、もう君にママはいないって言ったんだ!そして僕がママを取り戻すのを恐れて、自分から湖に飛び込んだんだ。あいつが飛び込むなら、僕だって飛び込むよ!負けるもんか!」翔太は赤く潤んだ瞳で星を見上げた。「僕とあいつ同時に落ちたのに、ママは先にあいつを助けて、僕を放っておいた。ママ、本当に僕のこといらなくなったの?」星はしばし黙し、やがて静かに答えた。「あの時、私はあなたに気づかなかったの。落ちたのが怜くんだけだと思っただけよ」冷え切っていた翔太の胸に、わずかな熱が戻る。「じゃあ......僕とあいつ、どっちの言葉を信じるの。ママは僕を信じてくれるの?それともあいつを?」星は落ち着いた声音で言った。「私は、自分の目で確かめた事実だけを信じる」「どうして!」翔太は信じられないというように目を見開く。「僕はママの子どもだよ?なら、ママは無条件で僕の味方になるべきじゃないの?」星は問い返した。「母親だからといって、必ずしも子どもの側につかなければならないの?」「そうだ!」翔太は言い切った。「ママは僕の母親なんだから、僕の言うことを無条件で信じるべきなんだ!」星はじっと彼を見つめ、静かに告げる。「私はあなたの母親。でもあなたは、私を無条件に信じたことがある?忘れたの?あなたは私が清子を突き落としたって証言して、私に謝らせたでしょう」「そ、それは......その時よく見えなかっただけで」翔太の声は弱まりつつも、必死に言い張る。「でもママは僕の母親なんだから、細かいことを気にする必要なんてないだろ」星の声は冷ややかに響いた。「母親であることは、子どもより劣位であることと同じじゃない」「翔太、信頼はお互い様なの。あなたが見えなかったというなら、今回は私がはっきり見ていた。だから私は間違っていない
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第204話

――怜の背後で、誰かが指示しているのではないか。雅臣はそう考えていた。近ごろ彼は影斗を密かに監視させていたが、影斗は仕事で多忙なうえ出張も多く、子どもは大抵、星に預けられていた。綿密に調べさせても、影斗と星との間に不自然な親密さは見つからなかった。口調こそ親しげだが、一線を越えるようなことは一切なく、日常的な連絡すら少ない。だからこそ、雅臣は影斗に手を出さなかった。それでも翔太が怜に翻弄される姿を見ても、彼は星を疑わなかった。怜が子どもらしい無邪気な一言を言い、翔太が星との関係に敏感になって、誤解しているのだろうと。だが――星が翔太を唆して家を飛び出させたのだとしたら。それは雅臣の逆鱗だった。五歳の子どもにもしものことがあれば、取り返しがつかない。星は一目で、雅臣が自分を疑っているのを感じ取った。そして翔太に向き直る。「私が怜くんにこっそり知らせて、あなたを抜け出させたって言ったの?」翔太は首を振った。「違うよ。ママじゃない。僕が自分で確かめたくて......あの悪ガキが言ったことが本当かどうか知りたくて、こっそり出ただけ」彼はまだ気づいていなかった。父の問いにはもっと深い意味が込められていたことに。翔太はただ、自分が家を抜け出したことを咎められていると思ったのだ。雅臣の目は冷たく光る。「大人が関わっていないのなら、なぜ怜はお前にそんなことを教えた」翔太ははっとして、星を見つめた。「ママ......ママが怜に言ったの?」星は思わず笑い出す。「雅臣、あなたっていいことは決して私に結びつけないのに、悪いことは全部私のせいにするのね」彼女は翔太の前で言い争うつもりはなかった。淡々と告げる。「出て。話があるわ」雅臣もまた、ここで子どもに聞かせるべきではないと理解し、立ち上がってドアへ向かった。その時、星が思い出したように振り返り、翔太に言った。「遊園地のことは、私が怜くんに教えたんじゃない」翔太が信じるかどうかは別だ。だが彼女は、ぬれぎぬを着せられたくはなかった。星はドアノブをひねり、部屋を出ようとした。その背後から、翔太の声が震えながら響いた。「ママ......もし僕と怜が同時に溺れたら、どっちを助ける?」星の足が止ま
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第205話

「翔太がそんなに簡単に言いくるめられる子なら、むしろあなたが反省すべきね。どうして自分の身を守れるような子に、育てられなかったのかって」星の声は鋭かった。「そのうち本当に誘拐でもされたら、後悔してもしきれないでしょう」言い終えると、彼女はふっと言葉を切り、雅臣を見やった。その目には冷たい嘲りが浮かんでいた。「――ああ、忘れてた。あなたは後悔なんてしない人だったわね。ただ全部、他人のせいにするだけ。自分は一切汗もかかず、他人の努力にだけ口を出す。雅臣、あなたって本当に思い上がりの塊」雅臣は言い返せず、冷ややかに吐き捨てる。「星......俺はてっきり、悔い改める気があるのかと思っていた。もし戯言を並べるために呼び出しただけなら、無駄だ」星は、虚しいと悟っていた。――自分の世界に閉じこもる人間は、決して過ちを認めない。目の前に事実があろうと、無限に言い訳を編み出すだけだ。だから核心を突いた。「私がここに呼んだ理由は二つ。まず一つ。翔太は怜くんを湖に突き落とした。証拠は揃っているから、翔太本人が怜くんに謝罪すること。そしてあなたも怜くんの保護者に謝罪すべきよ」雅臣の唇が動きかけ、しかし言葉は続かなかった。監視映像を見れば、翔太と怜がもみ合ううちに怜が落ちたことは明白。そして翔太自身は――映像の通り、自分から飛び込んでいた。責任を逃れる余地はなかった。雅臣は影斗と怜を良く思ってはいない。だが、自分の子を盲目的にかばう男でもなかった。「医療費はすべて俺が負担する。必要な賠償も一切惜しまない」淡々と告げる声に、甘さはなかった。星の表情には、驚きも喜びも浮かばなかった。翔太は清子ではない。証拠がある以上、雅臣が庇い立てすることはない――そのことを、星はよく理解していた。それを喜ぶべきなのか、それともただ安堵すべきなのか、答えは出なかった。「もう一つあるわ」星は雅臣をまっすぐ見据える。「――財産分与なしの条件、受け入れるわ。雅臣、いつ離婚届を出しに行く?」雅臣は一瞬呆け、すぐに冷笑を浮かべた。「離婚だと?本気か」星は彼の目に浮かんだ猜疑を見抜き、口元に小さな笑みを刻んだ。「本気よ」雅臣の眉が挑むように跳ね
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第206話

雅臣の視線が不可解に星をとらえる。「まずは自分が急に予定を変えて、当日になってすっぽかさないかどうか、確認すべきだな」星は唇の端をわずかに吊り上げたが、瞳の奥には冷ややかな光が宿っていた。「心配なのはそっちでしょう。――あなたが突然用事で来られなくなること」翔太の落水、そして雅臣の疑念と詰問。それらが星の忍耐をとうに限界へ追い込んでいた。もはやこの奇妙な一家と縁を繋ぎ止めるつもりはない。――今日だって、実の母親が自分の子を誘拐したと警察を呼ぶ有様。明日にはまた別の難癖をつけてくるに決まっている。五年の結婚生活の中で、星は綾子をそれほど深く知らなかった。表向きは従順を装い、彼女の機嫌を損ねぬよう振る舞ってきた。それで何とか体面だけは保たれていたのだ。だが一度仮面が剝がれ落ちれば、その本性はあまりにも非常識で、滑稽ですらあった。――こんな地獄のような環境なら、早く抜け出した方がいい。星はすでに、清子が雅臣と結婚した後の生活を、心の底から期待していた。静寂を破るのは、男の冷え切った声。月下のせせらぎのように清冽で、同時に冷ややか。「時間は」星の長い睫が震え、漂っていた思考が現実に引き戻される。――答えた。「明日の午前十時、役所の前で。異論は?」「ない」雅臣の声は低く冷たかった。彼は信じていなかった。星が本当に離婚するつもりだとは。その頃。清子と勇が連れ立って病院に現れた。翔太が見つかったと聞き、ふたりで見舞いに来たのだ。最愛の清子おばさんとして慕われる彼女が、翔太の一大事に顔を出さないはずがない。しかし病室に入ると、そこにいたのは翔太ひとりだった。「翔太くん、お父さんは?どうして付き添っていないの?」清子が辺りを見回す。翔太は悔しげに顔を歪め、ぽつりと言った。「パパとママ、ふたりで出て行った」清子の目がきらりと光る。「星野さんも来ていたのね」ママの名を思い出すと、翔太の顔は曇り、落ち込んだようにうなずいた。清子はベッド脇に腰を下ろし、声を和らげる。「翔太くん、今日はどこへ行っていたの?お父さんや私がどれほど心配したか、わかってる?」横にいた勇も相槌を打った。「そうだぞ。お前が家を抜け出したって聞
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第207話

勇は聞いた話をさらに誇張して、翔太に吹き込んだ。翔太の顔には、傷ついた怒りが浮かんでいた。――ママは本当に怜に惑わされてしまったんだ。やっぱり、ひどい母親だ。勇は畳みかけるように言う。「前にお前の母親が清子に勝てたのも、偶然の産物だ。ジュースを浴びせかける卑怯な手を使った上に、あの世界的名楽器、夏の夜の星まで使ったんだぞ。有利な条件をあれだけ揃えても、清子との差はたったの0.1ポイント。威張れるほどのことか?」翔太の瞳が暗く沈んでいく。――ママはすごいんだと思っていたのに。でも清子おばさんや山田おじさんの言葉を聞くと、ただの運にすぎなかったのかもしれない。なぜなら、母が清子にジュースを浴びせた場面を、この目で見ているのだから。清子はそんな翔太の心の動きなど意に介さず、やわらかな声で問いかけた。「翔太くん、お父さんとお母さんは......どこに行ったの?」翔太は首を横に振る。「知らない」「じゃあ翔太くん、お父さんとお母さん......本当に離婚するの?」清子の声がひそやかに揺れる。「そんなわけない!」翔太は即座に大声で否定した。「さっきパパに聞いたんだ。ママは絶対にパパと離婚しないって!」清子の瞳に、不安の影がさっと走った。勇は彼女の肩に手を置き、安心させるように笑った。「清子、俺が雅臣を連れてくる」清子はしとやかな笑みを浮かべ、うなずいた。「ええ。私はここで翔太くんを見ているわ」病院へ来る道すがら、清子は意図的に、雅臣の星に対する態度が変わりつつあることを勇に漏らしていた。それを聞いた勇は、自ら名乗り出た。「清子、雅臣が星なんていう中卒女を選ぶはずがない。安心しろ、俺がいる限り、絶対にそんなことは許さない。どうせ駆け引きの小細工だ。雅臣が本気にするはずがない」和解させるのは難しい。だが壊すのは、いとも容易い。――あの日、大勢の前で犬の真似をさせられ、笑い者にされた。この恨み、忘れるものか。今度こそ、星に報いを受けさせてやる。雅臣と星?そんなもの、絶対に許さない。勇は病室を出て、雅臣を探しに向かった。実際には、ふたりの関係を壊すつもりで。あの演奏会で星が勝てたのは、たまたまの幸運。それでも、
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第208話

雅臣がふと振り返り、近くに立つ勇の姿を見つけた。眉間に皺を寄せ、低く問う。「勇、何をしている」だが勇は厚顔無恥で、見咎められても一切動じない。にやりと笑い、答えた。「翔太くんが見つかったと聞いたから、清子と一緒に見舞いに来たんだ」勇が近寄ってきたのを見て、星はそれ以上口を開かず言い残す。「私は先に戻るわ。忘れないで、あなたが約束したこと。明日の十時、必ず」勇には一瞥もくれず、颯然と背を向け去っていく。勇は鼻で笑い、雅臣に顔を向けた。「雅臣、明日って何の予定だ?」「余計な詮索はするな」雅臣の端正な顔には淡々とした色が浮かんでいる。勇はさらに踏み込んだ。「もしかして......デートか?」デート――雅臣の歩みが止まり、黒い瞳が深い闇をたたえる。星が本当に離婚する気などあるはずがない。子どもを焚きつけたのも、結局は駆け引きの一環だ。ならば勇の言うとおり、離婚を口実に自分を呼び出そうとしているのかもしれない。雅臣が無言でいるのを見て、勇は確信めいた顔をした。「ほら、やっぱり。あの女が離婚するはずない。全部お前の気を引くための小細工だ。きっと明日会おうなんて口実を作ったんだろう。病気のふりだの、誘拐の芝居だの、そんな三流手口ばかり繰り返して。雅臣、騙されるなよ!」雅臣は返事をしなかった。その瞳は暗く沈み、底の見えない深井戸のよう。――昔なら、星の小細工など一笑に付していただろう。だが近ごろの彼女の変化は、確かに彼の心を捉え始めていた。自分の妻は、つまらない女ではなかった。もっと知りたい、という衝動さえ覚える。ならば、約束に応じてみてもいい。彼女がどんなデートを仕掛けてくるのか、この目で確かめたかった。どうやって自分に歩み寄ろうとするのか――星が家を出てから、雅臣は初めて子育ての大変さを思い知った。正直に言えば、これまでの星が自分の家庭をどれだけ支えてきたか、ようやく理解し始めてもいた。もし彼女が本気で過ちを認めるなら――翔太のために、もう一度だけ機会を与えてもいい。勇は雅臣が以前のように突き放さないことに気づき、背筋が凍った。沈黙は、即ち容認。――まさか。本当にあの女とデートするつもりなのか。絶対に
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第209話

勇がさらに声を潜めて言った。「そうだ、あいつら明日デートするつもりなんだ!」清子の表情が一変する。「デート?どこで会うっていうの?」「場所までははっきり聞き取れなかったけど......星が明日の午前十時って言ってた。清子、絶対にあの女をのさばらせるなよ!」清子の瞳に鋭い光が閃いた。「わかっているわ」その頃、彩香は怜が落水して入院したと知り、慌てて病院へ駆けつけた。無事だとわかってようやく胸をなで下ろす。ふと思い出したように、彼女は星に声をかけた。「そうだ、星。今月末、あなたと奏がチャリティ演奏会に出るでしょう?ちょうど明日、彼に空きがあるから、新しく整えたスタジオでリハーサルできるって」「明日......」星は一瞬考え込み、すぐには答えなかった。彩香は不思議そうに目を瞬く。「どうしたの?明日、都合が悪いの?」昼間は怜が幼稚園に行っているので、普段の星は比較的自由なはずだった。星は少し考えたあと、率直に打ち明ける。「明日は雅臣と一緒に、役所へ離婚届を出しに行くの」「本当に......本当に離婚するの?」彩香は思わず声を張り上げた。話していた影斗と怜も、その声に驚き同時にこちらを見た。星は静かにうなずいた。「ええ」「雅臣が、本当に離婚に同意したの?」星の唇には、かすかな皮肉が浮かんだ。「財産は一切持ち出さないって条件を出したんだもの。反対する理由がある?」彩香は鼻で笑った。「前に離婚を切り出した時は、雅臣はあなたを信用してなかった。手口だと思って相手にもしなかったでしょう。結局、あの人はタダで済ませたいだけ。あなたに何も渡さず、離婚だけ成立させたいって魂胆よ」星は肩をすくめ、淡々と言った。「手続きで離婚するとなると、あの人が協力しなければ最短でも二年はかかる。けれど同意してくれるなら、一ヶ月もかからないの。離婚できるなら財産はいらないわ」彩香も同意するようにうなずいた。「早く離れた方がいいわ。長引けば長引くほど厄介になる。二年も経てば、雅臣の気が変わって離婚できなくなる可能性だってあるんだから。だいたい、清子なんてあと数ヶ月の命でしょ。彼女が死んだら、またあなたに戻って来かねない」「数
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第210話

「そうだよ」怜は真剣に言った。「神谷おじさんは星野おばさんに優しくないし、星野おばさんも幸せそうじゃない。だから僕は、星野おばさんにそんな人と一緒にいてほしくないんだ。もっといい人と、もっと幸せな生活をしてほしい」星は思わず苦笑する。――数えるほどしか雅臣に会ったことのない怜ですら、彼が自分に冷たいとわかるのか。彩香が言った。「じゃあ明日は無理ね。奏には別の日にしてもらう?」「大丈夫」星は答えた。「午前中に離婚の熟慮期間の手続きがあるけど、三十分もかからないはず。彩香、先輩には午後からなら大丈夫って伝えて」「了解」彩香は携帯を取り出し、すぐにメールを送った。怜が目を輝かせて尋ねる。「星野おばさん、川澄おじさんとどこで演奏するの?」星は葛西先生の言葉を思い出しながら答えた。「たぶん老人ホームとか、そういう場所ね」「僕も一緒に出たい!」怜の声は期待に弾んだ。「最近ずっと練習してるから、絶対足を引っ張らないよ!」星は少し逡巡した。もし自分が決められる演奏会なら、怜を舞台に立たせてもいい。だが、これは葛西先生が主催する演奏会。勝手に決めるわけにはいかない。怜は彼女のためらいを敏感に感じ取り、必死に訴える。「本当に毎日頑張って練習してるんだ。信じて!」星は柔らかく微笑んだ。「これは私だけでは決められないの。でも明日、葛西先生に聞いてみるわ。その後でね」怜の顔が一気に輝いた。「うん!」星と一緒に演奏するあの感覚――初めての誇らしさと、母親のぬくもりを思わせる安心感。怜はますます彼女を手放したくないと感じた。心の中で、密かに誓う。――必ず星野おばさんを自分のものにする、と。翌朝。遅れまいと、星は早々に起き出した。必要な書類を繰り返し確認し、忘れ物がないのを確かめてから家を出る。雅臣は時間に厳しい男だ。清子以外の誰をも、待つようなことはない。渋滞を避けるため、早めに家を出た星が役所に着いたのは、午前九時十分。約束の一時間前。星は建物の前で静かに待った。同じころ。午前九時ちょうど。雅臣は車のキーを手に、出かけようとした。その時、電話が鳴る。「雅臣、大変だ!清子が家で入浴中に転
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