「僕は、華菜よりも、華菜のことを大切にし愛するよ」 僕はさっき閃いたことを早速言葉にした。 僕は、言葉にするスピードも前の僕に比べたら早くなったと自分で感じることができた。 もちろん、聞いた相手が嫌な思いをしないかはまずしっかり考える。 でも、華菜についてたくさん考えたことで、スピード感が身についたのかもしれない。 自己成長をしっかり確認できた自分を、心の中で褒めた。自分自身を褒めることは、おかしなことじゃないから。それは、他者だけができることではない。 そして、褒めることのハードルが、多くの人は高すぎる気がする。 小さくても、大きくても、あることができたことに変わりないのにわざわざ褒めない理由を作らなくていいと僕は思う。 一方で、たとえ人を救う力がなくても、『言葉』の力を信じたい気持ちがどうしても僕の心の中にあるようだ。 『自分の考え方や生き方を変えることは、簡単にはできなくてもっと難しいことだよ』と前に彼女が話していたことが、今ならよくわかった。 でも、難しいだけで、できないわけではきっとない。 時間がかかっても、僕は彼女のために変わる。「私よりも??」 彼女を見つめると、少しどういう意味かわかっていない感じをしていた。 まだ僕は順序立てて話すことは、課題が多いようだ。 でも、いつも『完璧』である必要性はないと思った。僕たちは『完璧』でないからこそ、もっと頑張ろうと思えるのではないだろうか。また、足りないところがあるからこそ、人は誰かと補い合いたいと思うのだと思う。それを行動に移すかはその人次第だけど、一度は助けてもらいたいと思ったことがある人がほとんどではないだろうか。「うん。まずは、今更だけど僕は話すのが下手でごめんね。どういう意味かというと、僕が僕に向ける思いや愛情と同じ分だけ、華菜に注ごうと僕は思った。その量には、意味がちゃんとある。まず、自分を愛することをできない人は、愛するということはどんなものかわからなっていないのかもしれない。わからないから他人も愛することができない。一方、自分以上に誰かを愛することは、無理をしていると僕は思った。さらにその思いの大きさに、相手も申し訳なく感じると思う。『愛』を簡単に言葉で表現することはとてもできないと思う。『愛』は、様々な形があるから。きっと正解はない。ただ自分の愛の形を客観的に
Last Updated : 2025-06-30 Read more