All Chapters of 悪役令嬢は愛する人を癒す異能(やまい)から抜け出せない: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話 アイゼル

 襲撃を受けた後、慌ただしく自室に戻ったアイゼルは、脱いだ上着をソファへ乱暴に叩きつけた。 脱ぎ捨てた上着をメイドが回収していくのを睨みつけながら、アイゼルは激しい怒りに身を震わせる。(またミカエラを傷付けてしまった!) 後悔が彼を苦しめるが、自室にいても密偵がどこに潜んでいるか分からない。 アイゼルは感情のままを表に出して叫ぶこともできず、奥歯を噛み締めた。(王宮は敵だらけだ。本音なんて出せない) 眉間にシワを寄せて険しい表情を浮かべるアイゼルに、幼馴染たちは気遣わしげな視線を向けた。 レクターがアイゼルの肩に手を置いて話しかける。「アイゼル。大丈夫か?」「ああ。大丈夫だ」「アイゼルは丈夫だもんね。どこからも血はでてないし。医師の見立てでも心配ないって言われたんだから安心だよ」 イエガーが明るく言っても、レクターはモゴモゴと何かを呟きながら未来の国王の体をあちらこちらから眺めている。「令嬢の力とはいえ、刃物を突き立てられたのに」「衣装の金具にでも当たって刃先がそれたんじゃないの?」「お前は軽いな、イエガー」「だってアイゼルが無事なんだからいいじゃん」 レクターに向かって、イエガーは不満げに唇を尖らせて見せた。 アイゼルは疲労の色を見せながら、2人にをたしなめた。 「揉めないでくれ。私は疲れたから、ちょっと1人になりたい」「あ、そうだな。気が回らなくてすまない」「じゃ、僕たちは行くね。お大事に」「ああ。今日はありがとう」 バツの悪そうな表情を浮かべるレクターの横で、イエガーは明るく手を振って部屋を出ていった。 アイゼルは1人になった。 とはいえ襲撃直後ということもあり、扉の前はもちろん、部屋の中にも護衛はいる。 アイゼルは大きな溜息を吐くと、ソファの上へ寝そべるようにして座って目を閉じた。(ミカエラを傷付けたくなんてないのに。いつもこうだ。どうしてこうも上手くいかないのか……) あの日。 初めて会った花咲き乱れて日差しがたっぷり降り注ぐ明るい庭で、アイゼルはミカエラに恋をした。 大人をそのまま小さくしたような令嬢たちのなかで、ミカエラだけが自然に笑っていた。 作り物だらけのなかで彼女だけが本物。 そう思った瞬間、アイゼルは恋に落ちていた。 アイゼルはミカエラの家柄も知らなかったし、異能のことも知らな
last updateLast Updated : 2025-06-18
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第12話 第二王子

「なんだ。失敗しちゃったんだね」 第二王子であるミゼラルは、自室のソファにゆったりと体を沈めながら平然と笑顔を浮かべて報告を受けた。 身長185センチの健康的な肌色をした男は襲撃失敗に動じることもなく、赤い瞳のはまった目に笑みを浮かべて面白そうにしていた。 窓から差し込む日差しは傾いて、今日という日は失敗のうちに終わっていこうとしている。 が、男の表情に失敗による重苦しさはなく、むしろ軽やかであった。 豪奢な部屋には大きなベッドにシックなソファセット、凝った装飾が施されたコンソールテーブルの上には華やかな花瓶と置時計などが置かれている。 しかし第一王子の部屋に比べたら、広さも、調度品の数々も、ことごとく劣る部屋だ。 だからといって第二王子であるミゼラルが、特段それを気にしている様子はない。「僕は別に兄上のことは嫌いじゃないからね。どっちでもいいよ」  ミゼラルは21歳。 王太子アイゼルよりも1歳年下である。 彼は王太子になれなかった。 だが王太子になれなかったのは年齢のせいではない。 母が側室だったからだ。 マリアの生家であるマグノリア伯爵家は、貴族として高い地位にいるとはいえず、政治力はもちろん財力にも乏しかった。 マリアの類まれなる美貌により側室となり男子を儲けたものの、正妃の産んだ男子には敵わない。 その結果、現在のミゼラルは王子という地位には居るものの、将来については不透明であった。「国王にならなくても、公爵になってもいいし、有力貴族や他国の王族の所へ婿にいってもいい。僕は甘え上手だから、どこへ行ってもなんとかなると思うんだよね」 第二王子であるミゼラルを王太子に担ぎ出すほどの材料は、どこにもない。 だが伯父であるマグノリア伯爵家の現当主は、ミゼラルを国王にしてのし上がることを諦めてはいない。 第一王子を排除できればチャンスはあるとばかりに、アイゼル暗殺を何度か企てている。 成功はしていないが、尻尾もつかまれてはいない。「でも伯父上は諦めないだろうな。諦めが悪いもの、あの人」 ミゼラルはうっそりと笑った。 マグノリア伯爵家は母の実家ではあるが、ミゼラルにとっては特別に思い入れのある家ではない。 マグノリア伯爵に対しても、伯父という以上の思い入れがあるわけではないから、襲撃が成功してもしなくてもどうでも良か
last updateLast Updated : 2025-06-19
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第13話 傷

 痛い、痛い、痛い。 ミカエラは自室のベッド上で呻いていた。「大袈裟ですよ、ミカエラさま。明日の朝には治っているのですから、騒がないでください」 侍女はいつものように冷たく言い放つ。 だが。 それが分かっていたとして、何の意味があるのか。(いま痛いの。傷が、とんでもなく痛いの!) いまの痛みが事実なら、それ以上に重要なことなどミカエラには無いではないか。 ミカエラはそう思うが、彼女の感じている痛みは、ミカエラ以外にとっては意味がない。 侍女ルディアは冷たい表情で見下ろしながら傷口の包帯を取り換える。 その隣で、白衣を着た老人は苦笑いを浮かべていた。「まぁまぁ。いつもの事だといっても、痛みは取れないのだから大目に見てお上げなさい」「先生。今回のことは先生も悪いのですよ?」 侍女はそう言って医師を睨んだ。「はははっ。いや、面目ない。どうせ死なないと分かっているから、つい。一気に小剣を引き抜いてしまってな。だから血は噴き出してしまったというわけだ」「そんなことだろうとは思いましたが。王太子殿下が無事だとしても、ミカエラさまの異能のことは気付かれてはいけないのです。一応は王太子殿下の婚約者ですし、部屋に引きこもっているわけではないのですから狙われた大変ですよ? 他人の目は意識してください」 医師は真っ当な意見を侍女に言われて白髪の頭をポリポリとかいた。「ははっ。分かった、分かった。王太子殿下の傷から血が噴き出してしまっては困るが、違う場所で起きることまで気が回らなくてな。年かな?」「先生は……まぁまぁ御年を召していらっしゃいますが……秘密を守るためには頑張って頂かないと困るのですからね?」「分かっているよ、ルディア」 医師は罰が悪そうにコクリと頷く。 侍女は溜息を吐いた。「王太子殿下が国王になられても、コレは続くのでしょう? 秘密を守るためには、何十年とコレに付き合わなければなりませんのよ」「確かにそうだな。私の次の世代についても考えておかねばならんな」 侍女の言葉に、医師は顎に手をやって思案深げに頷いた。「何をおっしゃいますやら。まだまだ先生は大丈夫でしょう?」「それでもいつかは世代交代せねばならんしな。それに、私だって少しは老後を楽しみたいよ」「私もそれは同じですわ、先生。いつまでも、こんなお世話ばかりでは嫌です」
last updateLast Updated : 2025-06-20
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第14話 レクター・ニールセン

(王太子は……アイゼルは……何を考えているのだろうか……) 第一王子の幼馴染にしてミカエラの護衛騎士でもあるレクター・ニールセンは、今日も難問に悩まされていた。 黒い短髪に凛々しい黒い瞳。 二メートル近い高身長で、鍛え上げた体は鋼鉄のような筋肉をまとっている。 浅黒い肌をしたレクターは、騎士であり戦士でもある。 伯爵家の次男であるレクターが王太子婚約者の護衛騎士をしているのは、家柄が良いせいだ。 ニールセン家は爵位こそ伯爵ではあるものの商家や神殿との繋がりも強く、力のある家門の一員である。 次男であるレクターは家督を相続するわけでもないが、かといって戦の最前線に立つわけにはいかない。 嫡男である長男に、まだ子供がいないためだ。 完全に自由というわけにはいかない。 腕に自信のあるレクターは護衛騎士という仕事に不満があるものの、武官を辞めさせられて領地経営を手伝わされるよりはマシだと受け入れたのだ。 世の中には妥協しなければいけない事もある。 それは理解しているものの、アイゼルの態度とミカエラの置かれている状況には納得がいかない。(今日の襲撃にしたって、そうだ。アイゼル自身は服の下に付けた保護衣のおかげで無事だったから良かったものの。ミカエラさまは、心配のあまり倒れてしまったそうではないか。なのにアイゼルときたら見舞いにすら行かないで) 襲撃された後、ほどなくアイゼルは意識を取り戻した。 保護衣を付けていて傷は負わなかったと聞かされたし、彼に負傷した形跡はなかった。 血は流さずに済んだものの、刺された衝撃は防ぐことが出来ずにアイゼルは気を失ったらしい。(あんなに大袈裟に倒れた癖に。アイゼルときたらケロっとしてるんだもの。驚くよな) 王太子は無事だったものの、その婚約者は倒れた。 ミカエラが倒れたという知らせを受けても動じない幼馴染の冷徹さに、レクターは呆れた。 しかも。 執務に戻れる程度には回復したというのに、婚約者の所へは見舞いにすら行かなかったのだ。(婚約者なんだから普通は見舞いくらい行くだろう? ましてや自分が心配かけたせいなんだから、ちょっとくらい気を使えばいいのに。花くらい贈れよ) レクターは自分自身が逞しく丈夫であるだけに、日頃からミカエラのか弱さに庇護欲をそそられていた。 そのせいなのか。 アイゼルの彼女
last updateLast Updated : 2025-06-21
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第15話 イエガー・ポワゾン

 イエガー・ポワゾン伯爵令息もまた、悩める人間のひとりである。 薄茶の髪と瞳を持つイエガー・ポワゾン伯爵令息は、整った容姿を持つ、どこにでも居そうな貴族令息だ。 男性としては少し小柄なタイプではあったが、剣を持たない貴族としては珍しくもない容姿である。 ポワゾン伯爵家も、貴族の家としては普通であった。 財力も政治への影響力も、どうということのない普通の伯爵家だ。 特徴と言えば広い領地を持つことと、男性と女性という珍しい組み合わせの双子がいることくらいであった。 もちろん、それは表向きのことである。「お姉さま。今日のご加減は、いかがですか?」 イエガーは姉に声を掛けた。 返事はない。 双子の姉であるレイチェル・ポワゾン伯爵令嬢は、天蓋付きの可愛らしいベッドへ横になって眠っている。 その姿は、双子の弟であるイエガーとよく似ていた。 あえて違いを言うならば、レイチェルは儚げな美人であるということと、目覚めないということがあげられた。「エリー。お姉さまの様子はどうだった?」「はい。本日もお変わりなく。穏やかに眠っていらっしゃいます」 忠実なお世話係は頭を下げながら報告した。「そうか。目覚める様子はない、と?」「はい。ぐっすりと眠ったままでございます」「そうか」 イエガーは痛ましいものを見るように双子の姉を見下ろした。 レイチェルが寝たきりの植物状態になってから長い年月が経つ。 その事は秘密とされ、知る者は限定的だ。「レイチェルさまは、こんなにもお美しいのに。お労しいことですわ」 幼少の頃よりの長い付き合いである世話係のエリーは涙ぐみながら言う。「社交界にいらしたら、殿方が放ってはおきませんでしょうに」「そうだね、エリー。お姉さまの魅力に、みな目を見張ることだろうね」 実際そうなることだろう。 レイチェルの状態を知られぬよう、イエガーが女装して社交界にデビューした。 女装したイエガーであるレイチェル・ポワゾン伯爵令嬢の評判は上々だ。 実際に姉が社交界に出たのなら、もっと評判は上がるに違いない。 儚げな美しさを持ちながら、強く優しい女性であるレイチェル。 美しく淑やかな令嬢として、どんな男性でも手に入れることが出来るだろう。(そうさ。お姉さまには出来たはずだ。幸せな未来を手に入れることが……)  今からだって
last updateLast Updated : 2025-06-22
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第16話 花咲く庭

(こんなにも花は綺麗に咲いているというのに……) 花々を見渡しても、ミカエラの心は晴れない。 よく晴れた早朝、ミカエラは庭園にいた。 辺りに人影はない。 そこに居るのは、ミカエラと護衛騎士だけだ。 庭園は、いつもの静けさを取り戻していた。 昨日は大混乱に陥ったガゼボも、今は誰もいなくて平穏そうに見えた。 王太子が襲われた辺りも綺麗に片づけられていて、争った形跡もなく平和そのものだ。(それはわたくしも同じね) ミカエラは一晩中、痛みに苦しんだ。 にもかかわらず、朝になって目覚めてみれば何事もなかったかのように治っていた。(まるで……呪いね) ミカエラは思った。 愛の為と言えば聞こえは良いが、ミカエラにとっては呪いも同然だ。 自分の意思など関係ない。 いや。 王太子への愛がある、という一点だけを見れば、それはミカエラの意思なのだ。 しかし。 愛したからといって、全てを捧げることに同意したかと言えば謎である。(わたくし自身、異能持ちだと知っていたら。もう少し、警戒したと思うの……) とはいえ事前にこうなると知っていたら愛さなかったか、と問われれば答えには悩む。 恋には落ちるものだ。 ミカエラの意思でもってどうにか出来るものではない。 愛もまた、生まれてしまうものだ。 ミカエラの意思で制御できるものでもない。(でも……苦しいだけの恋も、愛も、嫌なの) どうしようもないと分かっていても、ミカエラの心にはモヤモヤとしたものが湧いてくる。(愛は、もっと素敵でよいものだと思っていたのに……) ミカエラにとっての愛とは、痛み。 アイゼルへの恋心は、あっという間に痛みに化けた。 ミカエラが感じているのは、彼の受けた傷や毒の被害を引き受けることによる痛みだけではない。(令嬢方への嫉妬心も、わたくしには痛みだわ) 溜息をひとつ吐く。(王太子殿下は、わたくしの異能をご存じのはずなのに) 感謝しろ、というのではない。 せめて嫉妬心に苦しめられるような行動は慎んで欲しいのだ。 それをミカエラから言うのは憚られる。 察して欲しい、と思うのはいけない事なのだろうか? いけない事であったとしても、ミカエラはアイゼルに察して欲しかった。 (愛を返してくれ、とまでは言わないわ。わたくしを愛してと迫るのも違うと思うから。わたく
last updateLast Updated : 2025-06-23
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第17話 守護精霊たちは騒めく

 この王国には、守護精霊が存在する。 しかし人間の目に映ることは滅多にない。 人間の目に映る時。 それは守護精霊の選んだ人間が、守護精霊を受け入れた時だ。 ミカエラに見えなくても守護精霊たちは存在し、彼女の側で色とりどりの花が咲き乱れる庭園を飛び回っていた。 守護精霊たちはささやく。「ミカエラは、今日も悲しそうだね」「そうだね。昨日も悲しそうだったね」「何とかしてあげようよ。このままだと明日も悲しいままになっちゃうよぉ」 オレンジ色に光る守護精霊は不満げに頬を膨らめた。 薔薇の花よりも小さな体には透明な羽が生えていて、背中でパタパタと忙しく動いている。「ボクだって彼女のために何かしてあげたいよ」 青く光る守護精霊は空中をクルンと1回転した。「そうだね。ボクたちに出来ることは、もっとあるはずだ」 この王国には神殿があり、守護精霊が信じられていた。 そして実際、守護精霊たちは王国に存在する。 守護精霊たちは空中をクルンと1回転するごとにキラリと光って庭園に華を添える。「ミカエラは、せっかく異能を授かったのに。このままでは不幸になってしまう」 オレンジ色の守護精霊は、不満げだ。「あの異能は呪いみたいな面があるよね」 青い色の守護精霊は沈んだ表情を浮かべた。「それをいうなら、ボクたちだって呪いみたいなものじゃないか」「守護精霊なのに?」 オレンジ色の守護精霊が言うと、青い色の守護精霊は首を傾げた。「気付いてもらえない、なにも出来ない守護精霊をやるのなんて。呪いみたいなものじゃないか」「それはそう……なのかな?」 プンプンと怒るオレンジ色の守護精霊を眺めながら、青い色の守護精霊は首を傾げる。 そんな青い色の守護精霊に、オレンジ色の守護精霊はキラキラ光りながら詰め寄った。「そうだよ、加護を届けることが出来ない守護精霊なんて、呪いにかかっているようなものじゃないか。でもボクたちは守護精霊だよ⁉ それでいいわけないっ!」「そ……そうだね」 オレンジ色の迫力に、青い色はタジタジした。「なんとかしなきゃ!」「うん。なんとかしなきゃ」 オレンジ色は張り切って、青い色も同意したが、具体的な策があるわけではない。「ボクはミカエラに気付いてもらわないと」 オレンジ色の守護精霊は健康を守護する。「ボクに気付いてもらえたら、
last updateLast Updated : 2025-06-24
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第18話 お茶会

「お招きありがとうございます」 王太子婚約者であるミカエラにとっては、お茶会への出席も大事な社交のひとつである。(気分で出欠を決められるわけではないけれど、今日は来たい気分ではなかったわ) 軽く礼をとったミカエラは、チラリと周囲へと視線を投げた。 今日のお茶会はガゼボだ。 ミカエラは、あの日倒れたガゼボで開かれたお茶会に招かれている。 「まぁ、ミカエラさま。ようこそお越しくださいました。あの日から間もないのに、ありがとうございます。お加減はいかがです?」 賑やかに咲き誇る庭園の花のように、賑やかに飾り立てた貴族夫人が愛想よく出迎えてくれたからといって、ミカエラの気分が上がるわけではない。 しかしミカエラの立場では、断ることが難しい相手は沢山いた。「ありがとうございます、ヴァリーデ公爵夫人さま。おかげさまで元気になりましたわ。ご心配おかけして申し訳ございません」 公爵夫人は声高らかに笑った。「ほほほっ。たいしたことが無くて本当によかったわ。貴女は王太子の婚約者。未来の王太子妃であり、未来の王妃。元気でいてもらわなくてはいけないわね」「はい。承知しております」 王太子が襲撃を受けた日。 結果として貴族たちの噂になったのは、ミカエラが倒れたという話のほうだった。 当たり前の話である。 襲撃されても怪我ひとつ無かった王太子の話よりも、血を噴き出して倒れた令嬢の話の方が面白い。 理由はそれだけだ。 ミカエラが貴族たちの噂になるのは毎度のことであり、時には妙な話も混ざってしまう。 スキャンダルはどうでもいいし、ミカエラのプライドなどいくら傷つけてもよいと考えているからだ。 本当に都合の悪い事実を隠すためには、面白おかしい話が効果的である。 噂は否定するよりも、面白くてもっともらしい嘘とすり替えたらよいのだ。 今回も『何も無いのにいきなり血を噴き出した』という話から『溜まっていた月経血が溢れ出てドレスを汚した』という話に変わっていた。「体調が悪いときには、欠席する勇気も大切よ。断りにくいお誘いもあるでしょうけどね。特に前回のお茶会は、王妃さま主催のものでしたからね。断りにくかったのは分かりますけれど……」「はい……」 庭園でミカエラが倒れたという噂は、瞬く間に広がっていた。 つい一昨日のことであるのに、令嬢たちは皆、そのこと
last updateLast Updated : 2025-06-25
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第19話 アイゼルと守護精霊

 少し時は遡る。 襲撃を受けた夜。 アイゼルは、いつも通り天蓋から下がるカーテンを引いて自室のベッドへと潜り込んだ。 護衛はついているが、彼らだって全面的に信用できるかといえば否だ。 自分に関する情報は金になり、普段の様子程度であれば簡単に話してしまう者もいる。(襲撃を受けた夜だからといって油断できない。無傷では不自然だが、弱っていると見られれば絶好のチャンスとばかりに狙われる) 危険は常に側にある。 だが今アイゼルを一番苦しめているのはミカエラへの想いだ。(ミカエラを傷付けたくはない。そのためには、どうすればいい?) 悩みつつベッドの上で目を閉じれば、いつしかアイゼルは眠りに落ちていた。 闇だ。 夢の中でアイゼルは辿り着くべき場所すら分からずに闇のなかを彷徨っていた。(私はどこへ行くべきだ? どうするべきだ?) うなされながらアイゼルは夢の中を歩く。 闇は濃くなっていくが、周りが暗くなればなるほど目立つものがアイゼルの視界に入った。「【あれ】は?」 それは小さな光。 青く小さな煌めきが、ひらひらと闇の中を舞っている。「【あれ】か?」 アイゼルは【あれ】と言いながら、自分が言っている【あれ】が何なのか分からないまま光を追いかけた。 青い光はふわふわとゆっくり動いているように見えて素早い。 その距離はなかなか縮まらず、アイゼルは汗を流す。 だらだらと寝汗をかきながら唸るアイゼルの姿はベッドの上にもあった。 小さな青い煌めきが、そのベッド脇にあるのと同じように。 現実の世界と夢の世界は交錯する。 それはアイゼルの手しか届かない場所で重なり合い、彼の手の届くところへと来た。(この光は私が求めているもの!) アイゼルは必死に手を伸ばす。 闇は闇でしかないのに、妙に重く体に絡みつき、風は感じないのに嵐の中で揉まれているかのような感覚がアイゼルの行く手を阻む。(でも私は【あれ】を掴む!) 実体のない夢の世界は、必死に前へと進もうとしても進まない。 鍛え上げた逞しい体の力を借りることはできないが、アイゼルは精神力で光を目指した。 手を伸ばして。 体全体を伸ばして。 全身全霊をかけて欲する。 (ミカエラのために! 自分自身のために! 【あれ】が欲しい!) 伸ばした手のひらが光をとらえた。 青く小さなその煌
last updateLast Updated : 2025-06-26
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第20話 守護精霊はアイゼルに呆れる

 アイゼルは守護精霊が見えるようになって、秒で馴染んだ。 もともと神殿との繋がりが深く信心深い王族であるアイゼルにとっては、守護精霊を信じないという選択肢はない。(心の底から安心して相談のできる相手が、初めてできた。しかもそれが守護精霊さまだなんて。私はなんて運が良いのだろう!) アイゼルは心の底から喜んだ。 しかし謙虚な心で守護精霊ラハットに対応できた期間もわずかなものだった。 なにしろラハットは精霊で、体はとても小さく、マスコットのお人形のように可愛らしい容姿をしている。 しかもフレンドリーだ。 堅苦しく敬い続けることのほうが難しい。 ベッドサイドへ腰を下ろしたアイゼルとラハットは、他人には知られぬように会話を続けていた。「ラハットさま」『堅苦しいよ。【さま】なんていらない。ただ【ラハット】って呼んで』「そんな守護精霊さまを呼び捨てなんて」『いいって、いいって。これから長い付き合いになるんだもの。そもそもアイゼルから見えるようになったのが今のタイミングってだけで、ボクはアイゼルが赤ちゃんの時から側にいたよ?』 アイゼルは驚いた。「本当ですか? ラハットさま……いえ、ラハット」『本当だよ~。だからアイゼルが大変な立場にいるのも知ってる~。ボクに出来ることなんてあまりないけど、愚痴くらいなら聞いてあげられるから遠慮しないで』「えっ? 守護精霊さま相手にそんな……」 最初は遠慮がちだったアイゼルだったが、身支度前のわずかな間に長年の親友のような関係を築いた。 お悩み相談は愚痴大会になり、悪口大会の様相を見せ始めた頃。 ラハットの絶妙な話題の切り替えによって恋愛相談となった。 ずっと2人を見守っていたラハットにとってはお見通しの内容ではあったが、アイゼルは真剣にミカエラへの想いと現状とを伝えた。『それ、アイゼルが悪いよ』「ラハットは容赦ないな」 そんな会話をする頃には、敬称のとれた呼び方も様になっていた。『確かにアイゼルは狙われているから、ミカエラの秘密がバレたりするのはマズイよ? でもさ彼女への想いについては、かえってミカエラを守る役割も果たしてくれると思うんだ』「えっ? そうなの?」 本気で驚いているアイゼルを、ラハットはジト目で見つめた。『アイゼルは変なところで鈍いから。ミカエラがアイゼルの想い人であることを
last updateLast Updated : 2025-06-27
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