All Chapters of 恋人未満の彼と同棲生活(仮)始めます: Chapter 51 - Chapter 55

55 Chapters

10.ちゃんと、欲しい②

 朝食を終え、それぞれ食器を片付ける。「洗い物、私やりますね」 「じゃあ拭く」 いつものように役割分担を決めて、二人でキッチンへ立つ。  食器の触れ合う音と、スポンジが陶器の上をすべる音。それから梅本先生が私が洗い終えた食器を拭く音、水道から流れる水音……。そういう音たちが静かにキッチン内に響いている。 うなちゃんは少し疲れちゃったのかな? リビングで寝そべっていた。 こんな何気ない時間なのに、今日は隣に梅本先生がいると意識しただけでなんだか落ち着かない。 食器を洗い終え、水を止めたところで。「穂乃」 「は、はいっ」 また、下の名前。 反射的に振り返ると、梅本先生が布巾を持ったまま不思議そうにこちらを見ていた。「もしかして……緊張してる?」 「えっ。あの……少しだけ……。なんかすみませんっ」 「別に謝ることじゃねぇけど」  ふっと笑う。  その笑顔だけで、また胸が忙しくなる。 「なぁ」 「はい?」 「それってさ……俺のこと、少しは意識してくれてるって思っていい?」 「えっ……!?」 「違うの?」 「あ、えっと……違……わない、です」  私がしどろもどろに言ってうつむいたら、梅本先生が「だったら……」ってつぶやいた。  何を言うつもりだろう?って思ったと同時。 「穂乃もさ、俺のこと、下の名前で呼んでよ」  まるで名案を思い付いたみたいに梅本先生がニヤリと笑う。  私はそんな彼の顔を見上げて言葉に詰まった。 「ほら、俺はずっと穂乃って呼んでる。だからさ……穂乃にも同じようにして欲しいんだけど」  当たり前のように言われて、また心臓が跳ねた。 「俺だけ『梅本先生』って……なんか距離感じて寂しいじゃん?」 「そ、それは……」 「家にいるのに職場か! って思うんだけど」 「うっ……」  確かにそんな風に感じてしまったら、帰宅しても寛げないかもしれない。  でも……私にとって梅本先生は梅本先生だし……。  今さら学校と違う呼び方なんて出来ないよ。 何より――。「急に下の名前でなんて……」 「恥ずかしい、とかいうつもりだろ。これはもう慣れるしかねぇから諦めろ」 「……でも……」 「プライベートん時くらい、別にいいだろ?」 何を言い募ってみても、梅本先生には譲る気はないみたい。  そ
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10.ちゃんと、欲しい③

「こんなん、慣れだ。何度も呼んでりゃ自然と照れもなくなる。ほら、一臣って呼んでみ?」 「……」 「かーずーおーみ! はい、プリーズ・リピート・アフター・ミー?」  わざとらしく日本語読みな感じで、英語の授業でよく聞いたフレーズを言う梅本先生を、私は弱り顔で見上げる。 「そ、そんな英会話教室みたいに言われてもっ!」 「似たようなもんだろ」 ――全然違います! そう言い返したいのに、真面目な顔で言うものだから余計に困る。「ほら」  梅本先生が顎をしゃくる。 「一回」 「えぇぇ……」 「一回だけ」 「…………」 「ほら。ホント一度声に出したら吹っ切れるから」 逃がしてもらえない。 私はぎゅっと服の裾を握り締めた。 落ち着け、私。  ただ名前を呼ぶだけ。  それだけ。 そう思うのに……どうしてこんなに緊張するんだろう?「かっ……」 声が裏返る。  梅本先生は急かさない。  ただ静かに待っている。「かず……」 そこまで言って、顔が熱くなった。(む、無理っ!)「……梅本先生」 「戻ったな」 くすり。  低く笑う声が聞こえた。「笑わないでください……」 「悪い」 そう言いながらも全然悪いと思っていない笑い方だった。  恥ずかしくてうつむく私の頭へ、ぽんっと大きな手が軽く乗る。「焦らなくていい」 優しい声だった。「けど……いつか呼んでくれたら嬉しい」 頭を撫でられたわけじゃない。  本当に軽く触れただけ。  それだけなのに、胸の奥がじんわり温かくなる。「……でも」 梅本先生が少しだけ口元を緩めた。「家では『先生』呼びは禁止な?」 「えぇっ!?」 「ここ、学校じゃねぇし」
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10.ちゃんと、欲しい④

 その日の夕方。  土曜日だから、今日は二人とも仕事は休みだった。  終業式まであと少し。 来週に入ると、梅本先生……じゃなくて梅本さんは個人懇談が始まって忙しくなる。私も図書室の夏休み前の準備や、蔵書整理で慌ただしくなる予定だ。 だからこそ、こうして二人でゆっくりうなちゃんのお散歩へ行ける休日が、なんだか少しだけ特別に思えた。 昼間の暑さがようやく和らいできた頃、私たちはうなちゃんを連れて、近所の川沿いの遊歩道を歩いていた。 梅雨明けの空は、まだ昼の青を少し残していた。地平線の向こうだけが淡い金色に染まり、夜がゆっくりと近づいてきている。  吹き抜ける風は生温かいけれど日中ほど熱風ではない。 うなちゃんは嬉しそうに尻尾を振りながら、あちこちの草むらへ鼻を突っ込んでは夢中で匂いを嗅いでいた。「今日のうなちゃんはすっごくご機嫌です」 「そうなのか?」 「はい。きっと、梅本せ……さんが一緒なのが嬉しいんだと思います」  なかなか〝梅本さん〟呼びが馴染まない。無意識に〝梅本先生〟と言いそうになるのを訂正した私を、彼がクスクス笑いながら見つめてきた。 「特訓が足りてねぇようだな?」 「そ、そんなことっ」 「ないって言い切れるか?」  にやりと凶悪なお顔で笑われて、グッと言葉に詰まる。  散々「梅本先生」と呼びかけそうになっては軌道修正を図っているのだ。とても「ない」とは言い切れない。 「ほら、呼んでみ?」 「梅本……さん」 「もう一度」 「梅本さん!」  何度も繰り返される応酬に、私は真っ赤になりながらちょっぴり大きな声になってしまう。  そんな私をうなちゃんが、舌をのぞかせたヘラリとした顔で見上げてくる。 「ほら、うなぎもまだまだだって言いてぇみたいだ」 「そんなことありません!」 「あるよなー、うなぎ!」 「ワン!」  肯定とも否定とも取れないうなちゃんの鳴き声に、梅本……さんがニヤリと笑う。 そうして不意に立ち止まると、「穂乃」と少しだけ低音な声で呼び掛けてきた。 「な、んで……しょう?」 「いや、楽しいなって思って」 「……もう!」 「ワフ!」 二人と一匹で、そんな他愛もない会話(?)を交わす。  不思議だった。  少し前までの私は、沈黙になると何か話さなきゃと焦ってい
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10.ちゃんと、欲しい⑤

 優しい横顔。 穏やかな声。 あの日、孝夫さんに襲われかけて知らない間に男性に対して苦手意識を芽生えさせてしまった私に、梅本さんは同じことを言ってくれた。 急がなくていい。 少しずつでいい。 ちゃんと待つから。 思い出すと、胸の奥がじんわりと温かくなる。「あらあら」 突然、後ろから声を掛けられた。 振り返ると、散歩中らしい年配のご夫婦がこちらを見て微笑んでいた。「仲良しねぇ」 私たちを見比べて、にこりと笑う。「新婚さん?」「ち、違いますっ!」 思わず大きな声が出た。「わ、私たちは、その……!」 必死に否定しようとする私の隣で、梅本さんは困ったように笑うだけだった。「あら、違ったの?」「ち、違います!」「そうなの? お似合いだったから、てっきり。……ねぇ、あなた」「ああ。わしらの若いころを思い出す」 そんなことを言うご主人を見つめて、おばあさんが「いやですよぅ」と照れたようにはにかんだのが、ちょうど打ちあがった花火の光に照らし出される。 ご夫婦は楽しそうに笑い合いながら、手を繋いで歩いて行った。 私は恥ずかしさで穴があったら入りたい気持ちになる。「も、もう……」「何だよ」「梅本さんも否定してください……」「いや、何か否定するのもな……って思ったから」「へ?」「夫婦に見られるの、そんなに悪いことじゃねぇだろ」「でも私たちまだ……」 恋人ですらないのに……。 そう言い募ろうとしたのに、うなちゃんが「ワフッ」と鳴いて動き出すから……色々有耶無耶のまま歩き出す羽目になる。 私はうなちゃんに引っ張られ
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11.私は全部知っている①

 始業式から数日。 夏休みの間は静かだった図書室にも、ようやく子どもたちの声が戻ってきた。「桃瀬先生、返しに来ました!」 学期末、夏休み向けとして貸し出していた本を抱えた子どもたちが、カウンター前へ一列に並ぶ。 私は学校図書館管理ソフトの返却画面を開き、一冊ずつバーコードを読み取りながら、画面へ目を走らせる。 電子音が鳴っても、読み込みに失敗していることがある。 だから最後に頼れるのは、自分の目だった。 ピッ、ピッ……と電子音が鳴るたび、夏休みの間、子どもたちと一夏を過ごしてきた本たちが図書室へ帰ってくる。「はい、いいよ。……次に借りる本、もう決めた?」「うん!」 返却を終えた子は、そのまま本棚へ散っていく。 うちの図書室では、場所が分かる本は自分で棚へ戻してもらい、返す場所が分からなくなった本だけ返却棚へ置く、というシステムを取っていた。 中・高学年の子たちはもちろん、春には返却棚へ置くだけだった一年生たちも、今では少しずつ自分で本を戻せるようになっている。(みんな、二学期もたくさん借りてくれるといいな) 子どもたちが嬉しそうに図書室へ散らばっていく姿を見ていると、自然と頬が緩んだ。 「先生すみません! 遅くなりました!」 図書委員の子が来てくれて、私はパソコン前をその子に譲る。「じゃあ、カウンター、お願いね」「はい!」 貸出返却作業を図書委員に任せた私は、カウンター後ろへ積みあがった箱の開封に掛かった。 カウンターの片隅には、一学期末に業者へ注文した本たちが、段ボール箱に数箱分積みあがっていたのだ。 私が箱を開けているのを目ざとく見つけた常連の男子児童が、「先生、俺が頼んだの、入った?」と聞いてくる。「うん。入って来たよ。対決シリーズ、早めに出して欲しい?」 箱の方を見やりながら、私が答えると、その男の子は「うん!」と嬉しそうに微笑んだ。「分かった。じゃあ対決シリーズを優先して貸し出しできるよう頑張るね」「約束だよ!」「任せといて!」 私が微笑んでサムズアップして見せると、他の子たちも自分たちのお目当ての本を口々に告げてきた。 私はそれらを頭の中へ刻みながら、受け入れ作業に思いを馳せる。 図書室へ入ってきた本は、まず書誌データーを学校図書館管理ソフト内へ取り込む必要がある。 パソコンがイン
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