All Chapters of 嘘が愛を縛る鎖になる: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

啓介はスマホを握りしめ、必死に問い詰めた。「はっきり言え、志保がどうしたって?今どこにいるんだ?」今すぐにでも彼女に会いたかった。今回は絶対に守り抜くと決めた。誰にも、もう二度と彼女を傷つけさせはしない。だが、次の瞬間、秘書の言葉が彼を奈落に突き落とした。「奥様は二時間ほど前に車で外出されましたが、その途中で車が爆発し……奥様は……亡くなられました。現在、残っているのはご遺骨だけです……」「ふざけるな!」啓介は怒鳴り声をあげた。「爆発ってなんだよ!?志保は昼間、ちゃんと俺の前にいたんだぞ!どうしてそんなことになる!?そうか。まだ俺のこと怒ってるんだな?お前もグルになって、俺に罰を与えるために……そうなんだろ?」「社長……」秘書は額の汗を拭いながら、戸惑い気味に答えた。「とにかく、南区の火葬場までお越しください。奥様のご遺骨は、そこにございます」啓介は呆然とスマホを下ろし、抜け殻のような足取りで家を出た。運転中も、自分に言い聞かせるように呟き続けた。「そんなはずない……志保、冗談はやめてくれよ……」だが、アクセルを踏み込む足には、抑えきれない焦燥が滲んでいた。火葬場に到着した瞬間、啓介は恐怖を振り払うかのように葬儀場へ駆け出した。すぐに、骨壺を抱える秘書と、司法関係者らしき人物たちの姿が目に入った。「石川様、奥様・石川志保さんは、本日16時20分に死亡が確認されました。ご愁傷様です……」耳元で何かが爆ぜるような音がした。啓介は骨壺を奪い取るように秘書の手から抱きしめ、そのまま胸元に押し当てて目を閉じた。掠れた声で、何度も同じ言葉を呟いた。「嘘だろ……そんなの……どうして、志保……俺を置いていくなよ……もう、ほんとにわかったからさ……」身長190センチ近い男が、骨壺を抱えてその場に崩れ落ち、子供のように泣き崩れた。その頃、玲奈も急いで火葬場に駆けつけていた。まさか、こんなにも簡単に宿敵を排除できるなんて。心の中の歓喜を必死に抑え込み、彼女は仮面を被るような顔で啓介のそばに歩み寄った。「啓介……今は本当に辛いと思う。私だって、志保にはこんな最期を迎えてほしくなかった……でも、もう戻ってはこないのよ。生きてる私たちは、前を向くしかない。私がいるじゃない。ねぇ、私を見て
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第12話

啓介は帰宅してからというもの、まるで魂が抜けたように何日も部屋に引きこもり、骨壺を抱いては謝り続けていた。そんなある日、彼は突然、秘書に指示を出した。「志保を囲んだあの日の記者たち、全員ここに連れてこい」ネット上で志保が炎上した当初、啓介は「レーナ」を守るため、全ての罪を「T.シホ」に押し付けた。だがその後すぐにT.シホの情報を徹底的に封鎖した。なぜなら彼女が特定され、追い詰められることを恐れたからだ。あの記者たちが短期間で志保の住所を突き止められるはずがない。裏で誰かが動いているに違いない。啓介は、真犯人をこの手で暴くつもりだった。捕えられた記者たちは、小さな密室に閉じ込められ、数時間も経たないうちに全員が白状した。「い、石川さん……全部、レーナさんの指示なんです!」「まさか奥さんがあんなことになるなんて……レーナさんは、記者一人一人に二千万円もばら撒いて、何がなんでも『T.シホ』を追い詰めろって……証拠も残ってます!」「ネットの炎上騒ぎも全部、レーナさんの演出でした。私たちに拡散させて、T.シホさんの立場を追い込むようにって……石川さんが二人の間でどっちを選ぶか、試していたらしくて……」「あと……浅倉先生の寿宴でT.シホさんがレーナさんを突き飛ばしたって話も……実はあの日、カメラを回したまま放置してしまって……映像には、最初に手を出したのはレーナさんで、しかも彼女がT.シホさんを道連れにして湖に飛び込んだ様子がはっきりと……」記者たちの証言を聞きながら、啓介の胸にはチリチリと焼けつくような痛みが広がっていった。玲奈は裏で、志保にそんなにも酷いことをしてしまったんだ。じゃあ、自分は……何をしていた?信じるべき人を疑い、何度も玲奈の肩を持ち、志保を裏切り続けた。彼女のまっすぐな愛を踏みにじり……自分なんて、人間失格だ……!「石川さん!お願いです、全部話しました!見逃してください!」「……黙れ」啓介の声は低く、冷たかった。まるで凍えるような殺気を纏いながら、秘書に命じた。「こいつらの口に入った金は一銭残らず吐き出させろ。それから、すべての記者クラブから除名しろ。二度とこの業界に足を踏み入れられないようにしてやれ」記者たちの哀願と泣き叫ぶ声を背に、啓介は拳を握りしめて部屋を後にした。もし
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第13話

慎吾は怒りに任せて啓介の胸ぐらを掴んだ。「おまえ……ぶん殴られたいのか?」だが、その拳を振り上げる前に、体が凍り付いた。啓介が再生ボタンを押したのだ。「啓介、いつになったら志保と離婚して私を選んでくれるの?あなたがずっと私のことを好きだったの、知ってるわよ。だから私、慎吾と別れてもいい。あの冷たい家に帰りたくないの……今夜だけでいいから、一緒にいてくれる?この病室で……同じベッドで、ね……」啓介はかつて玲奈に恋心を抱き、報われぬ想いに苦しんでいた。だからこそ、彼女と会うたびに、二人の会話を録音しては、彼女の声を何度も繰り返し聞き続けていた。まさかその録音が、今になって玲奈の化けの皮を剥がす切り札になるとは。玲奈は目を見開き、啓介の手から録音機をもぎ取ると、床に叩きつけて踏み潰した。「ちがうの!これ全部、啓介が誰かに作らせた偽物よ!信じて、お願い……私が慎吾を裏切るなんて、そんなわけないじゃない……!」だが、慎吾は愚かではない。こんなにも長い間、裏切られていたなんて、許せるわけがない。彼は振りかぶって、玲奈の頬に強烈な平手打ちを食らわせた。「お前……俺を裏切ってたのか!?ふざけんなッ!!」玲奈は地面に倒れ込み、純白のドレスに泥が跳ね、時間をかけて整えたメイクも乱れ果てていた。彼女が震える体を起こし、顔を上げると、参列者たちは皆、突き刺すような軽蔑の眼差しを向けていた。その中には、彼女のかつての恩師――浅倉先生の姿もあった。彼は何度もため息を吐き、深く首を振るだけだった。そのとき、再び啓介の冷えきった声が響いた。「こいつの罪は、それだけじゃない。俺がこいつに謝罪させたのは……志保に繰り返し卑劣な罠を仕掛け、彼女の作品を盗み、そして結果的に……志保と俺たちの子どもを死に追いやったからだ」啓介が手を叩くと、秘書が大型モニターを会場に運び込んできた。映し出されたのは、あの密室で記者たちが次々と玲奈の指示を暴露する映像だった。玲奈が志保にしてきた数々の悪行を振り返るたびに、啓介の奥歯は悔しさで鳴った。だが、そんな彼女を見過ごしてきた自分も、同じくらい罪深いのではないか?映像が流れるにつれ、玲奈の顔には次第に動揺の色が濃く浮かんでいった。画面を見た参列者の一人が堪えきれず、地面の土を掴
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第14話

「今すぐ離婚だ。お前みたいな倫理も良心もない毒婦が、浅倉家の嫁を名乗る資格なんてない!」突然の宣言に、玲奈は一瞬呆然とした。だがすぐに、震える指で涙を拭い、無理やり笑顔を作った。「……慎吾、何を言ってるの?冗談はやめてよ。あなたと三年間も連れ添ってきたのよ?あなたがどれだけ他の女とコソコソ会っていようが、私は一度だって責めなかった!外ではずっと、あなたの顔を立ててきたのよ。それを今さら、簡単に縁を切るなんて言わせない……!」その最後の言葉は、まるで歯を食いしばるように、絞り出すような声だった。だが慎吾は彼女を冷たく一瞥すると、啓介のほうへ向き直った。「少し人手を借りてもいい?」啓介は無言で頷き、手を上げると数人の警備員が現れ、玲奈の腕を掴んで強引に引きずり出していく。地面を引きずられ、泥の跡を残しながらも、玲奈は必死に叫び続けた。「やめて!慎吾、お願い、私を捨てないで!啓介、あんたもだ!私を潰して志保が許してもらえる?あんたこそ、一番偽善な裏切り者よ!今さら愛してるなんて言っても、もう遅いのよ!志保は死んだの!あなたに見捨てられた夜に、絶望のまま事故に遭って死んだの!この偽善者!最低のクズ男!本当にあなたを愛してくれた唯一の人を殺したんだわ!一生その罪を背負って生きていけばいい!地獄で後悔しなさい!」玲奈の罵声がようやく遠ざかり、慎吾は眉をしかめ、啓介に向かって丁寧に頭を下げた。「……失礼しました。少々、家庭の後始末をしてまいります」「待て。帰っていいと言ったか?」啓介は冷たい目をして、ゆっくりと袖をまくりながら慎吾の前に立った。「志保を傷つけた奴らは、全員……死んで償え」その言葉と同時に、拳が振り上げられ、慎吾の顔面に叩き込まれた。避ける間もなく、慎吾は吹き飛び、地面に倒れ込んだ。そのまま啓介が馬乗りになり、容赦ない拳を何度も何度も振るう。啓介はもう、正気ではなかった。三年前、慎吾が志保を裏切らなければ、志保は自分と結婚することもなく、あの悲劇も起きなかったはずだ。そう思うと、彼の目は完全に血走っていた。慎吾が動かなくなっても、殴る手は止まらなかった。やがて警察が駆けつけ、ようやく二人は引き離された。もしあと数分遅れていたら、慎吾は命すら危なかったかもしれない。三日
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第15話

志保は慌ててスマホを伏せ、栄蔵をソファまでゆっくりと案内した。「おじい様に言われたくありませんよ。こんな時間まで起きていて、大丈夫なんですか?」栄蔵は微笑みながら彼女の頭を優しく撫でた。その瞳には深い慈しみが浮かんでいた。「明日、いよいよ手術の日だろう?心配でな……どうしても眠れなかったんだよ」志保の視界がじんわりと滲んだ。一ヶ月前、彼女は田辺家の使者によってこの地に連れ戻された。そして、再会した祖父と涙ながらに抱き合ったのだった。その後、栄蔵から語られた過去を通じて、志保は自分が幼い頃に仇敵に誘拐され、運命の悪戯で新桜市へと流れ着いたことを知った。両親はその事件が原因で心を病み、若くして命を落とした。今、この世に残された唯一の血縁者は、祖父ただ一人だった。祖父は志保の腕の怪我を知るとすぐ、セリオン国内の名だたる医師を招集して、彼女の治療にあたらせた。志保は積極的に治療を受け、保存療法を諦めて手術に踏み切る決意をした。その手術が、ついに明日に迫っていた。彼女は栄蔵の腕に軽くすがるようにしながら、明るく言った。「大丈夫ですよ、おじい様。先生たちも成功率は高いって言ってましたし、星也さんもサポートしてくれるんですから。きっと、うまくいきます」栄蔵は彼女の手を包み込むように握りしめ、大きく頷いた。「そうとも。わしの孫は運の強い子だ。きっと無事に、元通りになるさ」翌朝、鷹野星也(たかの ほしや)が迎えに現れた。「星也さん!」志保は白いワンピース姿で階段を降りながら、ふわっと手を振って声をかけた。化粧もせずラフな服装にもかかわらず、彼女の美しさは一瞬で星也の目を奪った。まるで初めて出会ったあの日のように。鷹野家と田辺家は古くからの友人関係だった。一ヶ月前、栄藏から突然の連絡を受けた星也は、ある少女の腕をどうしても治してほしいと頼まれた。急ぎ医療フォーラムを後にし駆けつけた彼の前に現れたのは、田辺家の長年行方不明だった孫娘。そして、自分のかつての許嫁・田辺志保だった。そのときの志保は、流産と裏切りで心身ともに疲弊し、三年前から悪化していた腕の怪我も限界に達していた。彼女の姿を目にした瞬間、星也の胸は痛んだ。その場で、医者としても、友人としても、彼女を必ず救うと誓ったのだった。志保が近づいてく
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第16話

星也は看護師の声で飛び起きた。眠気など、一瞬で吹き飛んだ。すぐさま助手たちに指示を出し、志保の二度目の緊急手術の準備に入る。だが、彼女はまだ一回目の麻酔から目覚めていない。今また手術となれば、そのリスクは計り知れなかった。星也は眉をひそめ、助手に短く命じた。「……特効薬を持ってきて」助手は一瞬固まったが、すぐに星也の言っている薬が何であるかに気づき、青ざめた顔で慌てて言った。「ダメです、鷹野先生!先生がご自身の体調を顧みないことを心配して、当主様が特別に取り寄せた貴重な薬です。いざというとき、先生の命を救うためのものなんですから……!」「うるさい、薬は人を救うためにある。今使わずにいつ使うんだ、早く!」星也のあまりに切迫した表情に、助手はそれ以上逆らえず、急ぎ取りに走った。こうして始まった二度目の手術は、命を懸けた一戦となった。数時間後、志保の命は、かろうじて救われた。しかし張り詰めた緊張と高い集中力のため、志保の容態が安定するよりも先に、星也自身がその場で倒れてしまった。それから、丸一日が経過した。志保がようやく意識を取り戻した。その知らせを聞くなり、星也は病を押してすぐに志保の病室へ駆けつけた。志保は少し驚いたように目を見開いた。「……星也さん?どうして病衣を着ていて、もしかして、あなたも病気に……?」傍らで点滴の交換をしていた看護師が思わず口を挟む。「田辺さんのせいで倒れたんですよ、鷹野先生。しっかり回復してあげてくださいね、鷹野先生のためにも」志保は、ふと唇を噛みしめた。そんな彼女の手を、星也が優しく包み込むように握った。「大したことないよ、ちょっと疲れが出ただけ。それより、手術は成功だ。おめでとう、志保。これからは気持ちを楽にして、しっかり体を治すことだけ考えよう。僕も一緒に療養するから、ずっとそばにいるよ」彼の手から伝わってくる温もりに、志保の全身がふわりと解けていく。彼女はまばたきを一つし、にこりと微笑んだ。「……うん」──三ヶ月後。志保の腕は、重い物を持つことさえ避ければ、ほとんど元通りの状態にまで回復していた。その背景には、星也の献身的なサポートがあった。彼は三ヶ月間、毎日欠かさず志保の治療とリハビリに立ち会い、あらゆる手段で彼女の回
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第17話

栄蔵は志保を見つめながら、目尻に笑みを浮かべた。「それはもちろん本当さ。わしと忠兵衛(ちゅうべえ)は、生死を共にした戦友なんだ。親同士で話し合って、お前たちが将来、家族として結ばれれば最高だってな。でも今は、もうお前たちも大人だ。昔の婚約に縛られることなく、自分の気持ちを大切にしてほしい」志保はうつむき、小さく頷いた。自分の中に芽生え始めた感情が、いったい何なのか。彼女自身にも、まだ分からなかった。夕食が終わると、志保は軽く理由をつけて自室へ戻った。頭の中をぐるぐると回る思いを振り払うように、彼女はクローゼットからイーゼルと画材を取り出した。腕の状態はほぼ完治しているものの、彼女にはまだ、描き始める勇気がなかった。三年という空白のせいで、自分が元のレベルに戻れるのか、それさえ分からない。志保は頭の中で構図を練り、色のバランスを調整した。だが、いざ筆を持ち上げた瞬間、全身が凍りついたように動かなくなってしまった。汗が額をつたう。どこから描き始めればいいのか、まったく分からなかった。そのとき、部屋の扉がノックされ、星也の声が聞こえた。「志保、さっき夕食、あまり食べてなかったから。ホットミルクを持ってきたよ。入っていいかな?」「……うん、どうぞ」志保は慌てて返事をし、あわてて画材を片付けようと立ち上がったが、間に合わなかった。部屋に入ってきた星也の視線が、イーゼルと絵筆に向けられる。「描かないの?僕が邪魔しちゃった?」志保はふっと自嘲気味に笑った。「もういいよ。星也さんにだったら、笑われてもいいかなって。小さい頃から絵を描くのが大好きで、ずっと絵を人生の中心にしてきたの。でも、三年も筆を持たなかったせいで、今じゃ構図一つ決めるのも怖いの」星也の目が少しだけ真剣さを帯びた。「何を描こうとしてたの?」「……ひまわり」向日葵。それは、彼女がいちばん好きな花。太陽に向かって咲き続けるその姿は、志保にとって希望そのものだった。星也は頷くと、後ろから彼女の手をそっと取って、一緒に筆を握った。キャンバスに、手早くひまわりの輪郭を描き出していく。そして手を放し、彼女に画布を託す。「ほら、最初の線を引くなんて、怖がることじゃない。続けてごらん」志保は、星也の手の中で描き出
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第18話

啓介が「志保」という名前を口にした瞬間、画家からの返信はぴたりと止んだ。五分ほど待っても音沙汰はなく、啓介は控えめに再度メッセージを送ってみた。しかし、送信後も相手のオンライン状態や「既読」マークは一向に表示されない。不審に思い、画面右上の音声通話ボタンを押すと、次の瞬間、「応答なし」の表示が現れた。──ブロックされたのだ。啓介は深く眉をひそめた。半年前、志保が亡くなって以来、彼は苦しみと罪悪感の底に沈み、何度も死を考えるほどだった。そんな中、偶然この志保の絵に酷似した作風のアカウントを見つけた。彼はそのアカウントの更新を心の支えに、生きながらえていた。まるで彼女がいまもネットの向こう側で絵を描き続けているようで、この世から、完全にはいなくなっていない気がした。なのに、どうしてだ?志保の名前で家族の絵を描いてほしいと頼んだだけで、あの人にブロックされたんだ?啓介は唐突に顔を上げた。ありえないはずの思考が、脳裏に浮かぶ。そして、唇が小さく震え始めた。まさか……志保はまだ、生きているんじゃないか?その迷いなくブロックしたあの絵師こそ──志保なんじゃ……?啓介はすぐさま秘書に電話をかけた。「今すぐすべての仕事を止めろ。調べてほしい人がいる」一方その頃。星也が志保の部屋を訪ねると、彼女は蒼白な顔でパソコンの画面を見つめたまま、完全に固まっていた。「どうした?」星也の声に、志保はびくりと肩を震わせた。ようやく意識が戻ってくる。死を偽って新桜市を去った以上、もう二度と啓介と関わることはないと思っていた。ネットの中で、こんなかたちで再会するなんて。しかも、あの男が「亡妻」に対し、あんなにも悔やみ、哀しみを抱いていたなんて。志保はそっと目を閉じ、心を落ち着けると、星也の方を見つめた。「……なんでもないよ。ちょっとぼーっとしてただけ。星也さん、どうかした?」星也は少しだけ神妙な顔になって、言った。「この前、僕が趣味で絵を描いてるって言ったの、覚えてる?」「もちろん」「実はね、15日に展覧会を開こうと思ってるんだ。でも作品数が足りなくて……一緒にやらないか?君の絵も並べて、合同展って形で」「15日……?」どこかで聞いた日付だ、と志保は首を傾げたが、すぐに表情を
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第19話

啓介は志保の姿を目にした瞬間、目尻が赤く染まり、感情が抑えきれないようだった。そして今、彼女を抱きしめる腕にさらに力がこもる。まるで、少しでも気を緩めたら、また彼女が自分の世界から消えてしまうのではないかと恐れているかのように。彼は焦燥と安堵の入り混じった声で、腕の中の人に想いをぶつけた。「あのアカウントを見たとき、最初に思ったのは『お前にそっくりだ』ってことだった……俺が馬鹿だった。お前はもうこの世にいないって、自分に言い聞かせて、その考えを否定してしまった。だから……お前を見つけるのにこんなに時間がかかってしまったんだ……」志保は彼の腕の中で息苦しさを感じ、静かに言った。「……離して」その声には、確かな距離感が滲んでいた。啓介は慌てて腕を解く。あの石川財閥の若き総帥としていつも冷静沈着だった彼が、まるで叱られた子どものようにしおれた。「ごめん……志保、つい取り乱してしまって……怪我はしてないよね?」そっと彼女に手を伸ばそうとするが、その手は無情にも志保に避けられた。彼女の拒絶をはっきりと感じた瞬間、啓介の心は音を立てて崩れ落ちた。旅の疲れもあってか、その姿には今までの威厳がすっかり影を潜めていた。かつて、志保はそんな彼の姿を見たことがあった。まだ結婚前の数年間。啓介は浅倉家の運転手の息子であり、慎吾とは幼馴染で兄弟のような関係ではあったものの、身分の壁は決して越えられなかった。ある日、十代の志保が庭で絵を描いていた時、ふと物音に気づいた。近づいてみると、啓介が重たそうな箱を持って、玲奈にプレゼントしようとしていた。だがそれを玲奈に叩き落とされ、挙句の果てには「身の程知らず」と罵倒されていたのだ。志保はすぐに間に入って玲奈の言動を止めた。当時、玲奈はまだ志保を親友だと思っていたため、それ以上は責めず、ただ啓介を軽蔑する目で一瞥しただけで立ち去った。啓介はその場に立ち尽くし、玲奈を見つめる目には劣等感と挫折が色濃く浮かんでいた。その姿が忘れられず、志保は必死に彼を励まそうとした。だが啓介はただ彼女を一瞥し、何も言わずにその場を去った。数年後。志保が慎吾に裏切られた夜、啓介はプロポーズしてきた。あの日から、志保を好きになったと。彼女はそれを信じた。そして心に誓った。啓介
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第20話

「石川啓介」と名乗るのを聞いた瞬間、星也の目に怒りが宿った。志保の元夫――かつて彼女に非道な仕打ちをした張本人。その名を、星也は決して忘れていなかった。まさか、そんな男が、何事もなかったような顔でここに現れ、彼女を取り戻そうとするなんて。怒りが込み上げ、星也は啓介の胸ぐらを強く掴み上げた。「お前が石川啓介か?──このクズ野郎!ずっとお前をぶん殴ってやりたかった。まさか自分からのこのこ現れるとはな!」星也の拳は今にも啓介の顔面を捉えそうだったが、啓介は一歩も引かず、睨み返す。ちょうどその時、周囲に取材をしていた記者たちも事態に気づき、カメラを構えて騒ぎ始めた。これは、星也が「蒼井一星」の名で初めて開いたオフライン個展。志保は、それが啓介のせいで台無しになるなんて、絶対に許せなかった。彼女は慌てて間に入り、今にも取っ組み合いになりそうな二人を引き離した。そして星也にそっと首を振り、小さく告げた。「星也さん、これは私に任せて。あなたは手を出さないで」そして、啓介に鋭い視線を向け、冷たく言い放つ。「ここはあなたが暴れる場所じゃない。外で話そう」画廊近くのカフェに場を移し、ふたりは向かい合って座った。志保は啓介に一瞥もくれず、氷のような声で告げた。「言いたいことがあるなら今ここで全部言って。今日限り、あなたとは完全に縁を切るつもりだから」志保と再会して以来、彼女の冷たい言葉の数々に、啓介の胸は何度も締めつけられた。あの頃の、あたたかな微笑みを見せてくれた志保は、もうどこにもいなかった。彼は苦しげに口を開いた。「お前が死んだって聞いてから、毎日後悔の中で生きてきた。お前を傷つけた奴らには全部報いを受けさせた。でも最後に気づいた。一番罪深いのは、俺自身だったってことに。でも、神様は俺にもう一度チャンスをくれた。お前にこうして再び会わせてくれたんだ。今までのことはすべて俺が悪かった。許してくれなんて言わない。ただ、もう少しだけ俺に優しくしてくれ。これからの人生、お前が受けた傷すべて、俺が責任を取らせてほしい」そして、彼はふと目を伏せて語った。「……子どものことも、よく夢に出てくるんだ。『パパ』って泣きながら呼ぶ声が頭から離れない。お前だって、あの子のことを思い出すことがあるだろ?俺はあの子に
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