美術館前を出発してまもなく、泉が「着替えを取りに帰りたい」と言い出したことで、音川も自分のクルマにPCを置いたままなのを思い出した。特に仕事があるわけではないが、遠出する場合の習慣で持ってきている。職業病というよりマシン依存に近い。タクシーの行き先を泉のマンションに変更し、そこから音川の無骨な愛車に乗り換えてホテルに向かうことになった。長距離運転の後で車体に多少の汚れはあるが、高級車の部類に入るので、行き先が五ツ星ホテルであっても見劣りすることはないはずだ。見栄とは正反対にいるような音川だが、泉を——大切な人を連れて行くのだから、多少は気になる。ああいう場所には、行動や持ち物で人の扱い方を区別する人間が必ずいるからだ。——要するに音川は、自分を『泉の所有物である』と対外的に見せたかった。事実、深層心理では、いつか上司と部下の枠を外した時——そう、なっていたいと願っている。所有欲のない人間だが、所有されたい願望はあったようで——泉との時間がそれを気付かせた。助手席をちらりと横目で見て、音川は「出向に送り出した日……」と語りかける。「駅からの帰り道に、その背もたれにマックスの毛が数本着いているのに気がついたんだ」泉は申し訳無さげに「すみません、僕の服からですよね。あの日はうっかりして」と無意識に自分の服を見下ろす。もうそこにマックスの名残は無いと分かっていても。「いいんだ。……それから家に着いて、コーヒーを入れにキッチンに行ったらきみと選んだ家電と食器たちがあって。ソファではマックスがずっと玄関の方を向いたまま箱座りだ。……今日、東京に来る道中ね、もしきみが少しでも困難な状況にあるのだとしたら、問答無用で連れ戻そうと考えていた」「音川さん……」「会いたかったよ」「僕も、です」泉はうつむきそうになる顔を懸命に運転席へ向けた。音川からこぼれた言葉が、どれほど泉に喜びをもたらすのか知って貰いたかった。「うん。ありがとう。激務の中でも、そう思ってくれて」「激務……確かに周りを見ているとそうですね。要求レベルがかなり高いと感じています。全員が多言語を話す中、僕だけが英語すら話せないのも辛い。でも、音川さんに少しでも追いつく手段だと思えば、とても楽しいんですよ。仕事を頑張れば頑張るほど評価されますが、僕にとってはまるで、音川さんとの距離が縮まる毎に評
Terakhir Diperbarui : 2025-10-03 Baca selengkapnya