All Chapters of シャレコウベダケの繁殖: Chapter 21 - Chapter 30

89 Chapters

最悪な事態は、いつも軽い気持ちから

   ※気付いた時には密閉された空間の中にいた。淀んだ空気の中に含まれるムンとした臭いが不快で目を覚ました。ここはどこなのか。視界がぼやけて分からない。長い間眠っていたようだ。その間にどこかへ連れて来られたようだ。頭がはっきりして来ると一人で車の後部座席で横になっている事実に気付いた。重たい体を動かすため、上半身を持ち上げようと右手を動かした。後頭部に地獄のような痛みが走った。起き上がることを諦めた。体を動かすと痛い。痛みを感じることが怖くて何もできなくなった。視線を動かし窓の外を確認した。横になっていたため、真っ黒い空しか見えなかった。ここはどこか。成子が目の前に現れた瞬間に不思議な感覚に襲われた瞬間を思い出した。成子が待ち伏せしていたことを思い出した。だが、どうして自宅の場所を知っていたのか。どうして自分が外出していると知っていて帰る時間も知っていたのか。意識が明瞭になると同時に疑問が次々と沸き出た。電柱の陰に何時間もいると近隣住民から怪しまれる。自分が帰って来るタイミングを知っていたはずだ。そもそも出かけていることを何故知っていたのか。「まさか」寝ながら絶望した。清江が今日呼び出したのは成子に頼まれたからではないのか。彼女の様子から何か用があった訳ではなさそうだった。きっと由樹を呼び出すこと自体が目的だったのだろう。自信なさそうな清江の顔を思い出して腹が立った。あんな女に騙されるなんて。痛む後頭部を手で抑えながらゆるゆる慎重に体を起こした。後部座席に座って窓の外を確認した。衝撃だった。場所はどこかの山か森の中。外には成子と明美、アンジェラ、清江が立っていた。クヌギの木があり、そこに一人の男が磔のようにされていた。両腕を布か何かで縛られ木の枝から吊り下げられていた。高さは丁度男が爪先立ちをして地面に届くくらいだ。両足首も布で縛り付けられて動かせなくなっていた。あの男が明美の旦那の浩司だろうとすぐに理解できた。遠くからでも胸板の厚い体の持ち主だと分かった。窓の外から視線を逸らした。どうすべきか。金輪際関わらないと決めた殺人計画に巻き込まれた。逃げ出したいが外には四人が立っている。しかもここがどこなのか分からない。スマホも取られたらしく、ジーンズのポケットの
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これは全人類のための儀式

結局、逃げられなさそうだ。足を縛る布を取ってくれないし、両脇に男が一人ずつ立ったからだ。一人は赤ん坊に似た幼い顔立ちの男で、もう一人は東南アジア系の濃い顔だった。「では明美さん」成子に言われると、明美は浩司の方に近付いて行った。彼女の手にはスタンガンが握られていた。彼女の目は版画みたいに空洞だった。浩司は口にも布を巻かれているらしく声が出せない。呻き声が聞こえる。学生時代に野球部に入っていたような浅黒くてガタイの良い男だ。彼はまさか自分が今まで暴力を振るっていた妻に暴力を振るわれるとは思っていなかったのだろう。恐怖がこちらにまで伝播して来た。バチッという破裂音に近い音が響いた。浩司の呻き声は大きくなった。岩のようなゴツゴツした質感の恐怖が伝わって来て由樹も痛かった。「明美さんはいつもこれで殴られていたんでしょ」成子が何か細長いものを明美に渡した。目を凝らして見るとゴルフクラブだった。ドライバーのようでヘッドの部分に厚みがあった。「思う存分やっちゃって」明美はゴルフクラブを野球のバッドみたいに構えてから、勢い良く振って浩司の肉厚な鼻を打った。「ンッゴー、ンッゴー」 浩司はあまりの痛みに両腕を縛られながらジタバタした。爪先が地面から離れたり着いたりした。「もっと」成子が明美に命令する。明美は再び浩司の顔面をゴルフクラブで打った。クルミの殻が割れる音に似た音が響く。「明美さん、その調子ですよ。貴方が受けて来た苦痛はこれくらいのものですか。違いますよね。今旦那さんが感じている痛みの数百倍の痛みを感じて来たのですよね。ならば数百回殴らないといけないのです。これは明美さんのためだけではないのです。全人類のためなのです。他人に及ぼした害は、必ず自分に返って来ることを証明しなければいけないのです。そうなれば、人々は平和に暮らすことができるでしょう。自分は危害を加えられたくないのですから。だから明美さん。もっとやって下さい」明美は成子の言葉に従って、クラブで旦那の顔面を滅多打ちにした。直視できなかったが浩司の顔は原型を留めないほどに歪んでいる気がした。「一旦やめて下さい」成子は明美に静かに言った。明美はクラブで打つことをやめた。手からクラブは落ちて、明美自身も地面にしゃが
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人生の転機へと。最高で最悪な景色に。

「ほおら。 ポコチンだぞお。 美味しいだろお。 美味しいって言えよ」 どうやらディルドを口に入れているようだ。 どうして成子がそんなことをやり始めたのかは分からない。 「実はこのポコチンには細工がしてあるんだ。 私の夫が作ってくれたの」 静寂が訪れた。 全員が一心に成子と浩司を観察しているようだ。 ウッガー、 という声で浩司が叫び出した。 彼は半透明の液体を口から吐き出した。 何があったのだろうか。 「このポコチンに付いているボタンを押すと濃度三十パーセント以上のアンモニア水が出て来るんだあ」 彼は成子を睨み付けながら足元に嘔吐した。 成子は何のためにこんなことをしたのか、 由樹には理解できなかった。 「もうそろそろ。 トドメを刺しましょうか」 成子の発言を機に三人の男が動き始めた。 男たちは浩司を囲んだ。 何をしているのか由樹からは見えない。 「アンジェラさん、 清江さん。 その辺に穴を掘って下さい」 成子の言葉に従ったアンジェラと清江はスコップを持って浩司が吊るされている木の近くに早歩きで向かった。土にスコップの先端を突き刺して大きな穴を作り始めた。 何をする気なのか段々分かって来た。 恐らく浩司を穴の中に生き埋めにでもするのだろう。 「由樹さん。 浩司さんを木から下ろしてあげて下さい。 男たちと協力して、 浩司さんを穴に埋めてあげて下さい。 頭が地面から生えているように見えるように、 首から上だけ土を被せないようにして下さい」 由樹は動かなかった。 意地でも動かないと決めていた。 成子の異様な要求を聞いて余計に恐怖を覚えた。 どうして頭だけ出すのだろうか。 「早く」 成子の口から唾と一緒に茶色く濁ったような怒声が浴びせられた。 成子は片手にスタンガンを持って由樹の首筋に電極を当てた。 「良いですか、 由樹さん。 自分だけが洗練潔白な優等生だとでも思っているのですか。 だとしたら、 貴方は本物のクズでしょうね。 だって他の皆さんがこんなに頑張っているのに、 優等生気取りで何もせずに静観しようとしているのですから。 でもね由樹さん、 これだけは覚えておいて。 自分
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ハチミツ牛乳を使った惨殺

穴の中に座った浩司の頭を見下ろしていた明美に向かって、成子は両手を広げながら大仰な言葉を吐いた。「今、勇者明美さんは最後のモンスターを倒す場面に来たのです。正義の剣でモンスターの息の根を止めるのです。そうすれば貴方の戦いは終わることでしょう。ハッピーエンドが待っているのです。きっと貴方の余生は輝くダイヤのようになるでしょう。嬉しいですか、明美さん?」「はい」暗くて明美の表情はよく見えなかった。だが何か喉に詰まったような声だった。彼女の胸の中で負の感情が沸き出ていることは確かだろう。目の前で旦那が穴に放り込まれている。どんな気持ちなのか想像ができない。「明美さん、さっき渡したものを全身に塗ってあげて下さい」怖いもの見たさで、明美に近付いて何を持っているのか確かめに行った。金色に光る液体の入った瓶の正体は、市販の一リットルのハチミツだった。明美は穴に近付いて浩司の頭頂部からハチミツをかけた。ハチミツは黒髪短髪の浩司の頭から全身に流れて行く。彼は抵抗することなく剥製みたいに動かなかった。ハチミツを全てかけ終えると、全員で穴を土で埋めた。土を浩司の胸まで埋めて肩から上は晒されていた。地面から大きな茸が生えているような光景だった。「猿轡を外してやれ」成子が命じると、東南アジア系の顔の男が口を押えていた布を外した。「誰か助けてえ」浩司は大声を出したつもりだろうがかすれており、枯れた葉が擦れた音にしか聞こえなかった。「明美さん、またドライバーでやっちゃいな」成子に言われた通りに、明美は浩司の頭をゴルフボールのようにドライバーで打った。浩司は恥を捨ててワアワア泣き出した。成子は地面から出た浩司の頭に向かった。「女に暴力を振うことでしか自分を保てないクズなのに、まだプライドがあるんですねえ。明美さん、これを飲ませてあげて下さい」「何ですかこれは」明美は麦茶が入っているような一リットルペットボトルを受け取った。ペットボトルは結露して水滴をまとっていた。中身は白い液体だった。「それはキンキンに冷えたハチミツ牛乳です。旦那さんも喜ぶと思いますよ」明美は埋まっている自分の旦那の口にペットボトルの口を持って行った。彼は喉を鳴らしながら飲み続けた。離れて立っていた由樹の耳にも嚥下する音が聞
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第7章 白い壁と緑の屋根の獄に囚われ、、

  ※「ウチに着きました」成子に言われて窓から外を見た。車は交通量の少ない田舎道に路駐しているようだ。暗闇の中で、うっすらと乾いた畑が右手に見えた。左手には瓦屋根の二階建ての立派な家々が細い木々を背にして建っていた。それぞれの家の窓からは家庭的な明かりが洩れている。「降りましょうか」成子が扉を開けて外に出た。他の四人の女と三人の半グレの男は、彼女に続いて降車した。外灯すらもないところだ。彼女はこんな地味な場所に住んでいるのか。清江が由樹の傍に立った。何も言って来ず、由樹の顔すら見ようとしない。騙して悪かったと思わないのだろうか。乾いた風が清江の白髪交じりのケアできていなくて汚い短髪を乱す。細かい枯草が乱れた髪に引っ付いた。全員で畑を右手に歩いていると、小さな二階建てのアパートが現れた。白い壁に緑色の屋根で、壁の汚れ具合から築五十年くらい経っていそうだ。人間よりも幽霊の方が沢山住んでいそうなところだ。成子は一階の右から二番目の部屋の扉を開けた。「皆さん入って下さい。明美さん、清江さん、アンジェラさん以外は初めて来ますよね。狭いところで悪いですけど、ゆっくりして行って下さい」三人は成子の自宅にて過ごしていたようだ。驚きだった。清江はやはり成子に取り込まれている。その期間に何が行われていたのか、由樹には想像できなかったが何だか嫌な感じがした。小さい玄関の三和土でスニーカーを脱いで奥へと続く廊下に足を踏み入れた。ベタっとして靴下が廊下のフローリングに引っ付く。家の中は物が少なく殺風景だ。生活感がなくて煩雑とした印象は受けないが、掃除は全くできていないようだ。廊下の壁は全て段ボールで覆われて、プチプチが段ボールの上に被さっていた。何のためにこんなことをしているのか。不気味だ。廊下を渡り、奥の扉を開けると居間になっていた。居間の壁も全て段ボールとプチプチで覆われている。「今日はご馳走にしましょう。貴方、お寿司の出前を取ってくれない?」部屋の中に全員が入ると、成子が赤ん坊のような童顔の男に出前をするように頼んだ。どうやら彼が成子の旦那のようだ。明るいところで見ると、彼は少年顔のイケメンに見えなくもなかった。彼女は家の中でも細い縁の赤い眼鏡をかけて、ワイヤレスイヤホ
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白い悪魔は真っ黒な本性を現す

「ああああ、すみませんすみませんすみません」明美は自分の重たい体を無理矢理起こして、成子の足に縋って半狂乱のように謝り始めた。「まったく情けない」成子はポケットから何か取り出した。山に持って行ったスタンガンが握られていた。嫌な予感がした。彼女は少しも臆することなく、明美の鎖骨辺りにスタンガンを当てて通電した。何が起きているのか理解できなかった。五人はこの計画において仲間同士じゃないのか。どうして明美はスタンガンを当てられたのか。明美の甲高いギシギシした叫び声が部屋中に響いた。体を起こして正座した明美は前後に揺れながら、あわあわわわわと意味不明な言葉を発した。どうしたのか。由樹は他の人たちの様子を確認した。アンジェラは自分の爪先を見て、明美に視線を向けないようにしていた。清江は口元を抑えて目を瞑って明美の姿を見ないようにしていた。清江はどういうことか知っているのだろう。詳しく聞きたかったが、周囲の様子から何となく聞き出せなかった。ただ、まずいところに来た事実だけはよく分かった。空気が腐っている。ロクなことが行われていないと察することができる。明美の通電が終わってしばらくの間、部屋の中は沈黙で満たされた。すると強烈な異臭が漂い始めた。見ると明美が正座したところから下痢便が流れ出ていた。「何してんだよ」成子が怒鳴り、明美の首筋に再び通電する。「ごめんなさい、ごめんなさい」明美は土下座して謝る。床に頭を付けたため下痢便が前髪に付いた。下痢便で汚れた前髪が彼女の傷だらけの額に貼り付いた。「どうすんのそれ」成子に言われ、明美は紫色の唇を震わせるだけで何も言えない。ずっと黙ったままだった。視線もどこに向いているのか分からない。右目と左目が別の方向を向いている。成子はわざとらしい大きな溜め息を吐いた。「いつも通りにしろ」「それだけは勘弁してください。お願いします。お願いします」明美は懇願していた。何をするのだろうか。「早くしろ」恫喝され、明美は両手を器のようにして床に零れる黄土色の液体を掬った。下痢便を口に入れた。由樹は見ているだけで吐きそうになった。どうして明美は成子に逆らわないのか。一口に入れただけで、吐き出してしまう。「おお、おうぇ」明美の口から下痢
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悲惨なディナーの裏で蠢く異常性

清江もアンジェラもそそくさと席に着いた。緊迫したものを感じたので、由樹も何となく彼女たちと同じように席に座った。男三人も椅子に座った。明美は相変わらず正座をしたまま動かない。成子は食卓の前に立ったまま声高らかに喋り始めた。「我が家にようこそ。目の前にあるご馳走は私から皆さんへの感謝の気持ちです。これから多くの殺人を犯していくことになるでしょう。そのためには結束する力が大事になってきます。今日のこの時間に皆さんで決起会を行うことにしました。皆さんのコップに私から緑茶を入れさせていただきます。それで乾杯した後、飲み干して下さい。それが皆さんの合意を意味するものとします。もし飲み干さなければ」成子は床に正座をする明美をチラっと見た。もはや選択の自由はないではないかと由樹は恐怖を覚えた。合意すれば殺人犯になり、拒否すれば暴行されることになる。こんな理不尽なことはない。元の生活を変える気など、もうとっくのとうになくしていた。どうしてこんなコミュニティに入ったのか。悔やんでも悔やみきれない。旦那デスノートなどやらなければ良かった。成子が台所から冷えた緑茶のペットボトルを持って来た。全員の目の前に透明のグラスが置かれている。彼女は一人ずつグラスに緑茶をノソノソ入れ始めた。由樹の前にも成子がやって来た。「由樹さん。ありがとうね。しっかり者の貴方が来てくれると本当に助かるの。頼りにしているわよ」緑茶がグラスに並々注がれた。これを飲み干したら由樹は殺人仲間になる。彩花や隆広の顔が思い浮かんだ。助けてほしい。今までこんな感情にならなかった。自分がしっかりしなければとずっと思って来たので家族に希望を抱くことをして来なかった。今は切実に隆広に助けてくれと願った。「では皆さん。グラスを持って下さい」周囲を見ると、全員グラスを持っていた。童顔の旦那は自分の妻をまっすぐ見つめていた。東南アジア系の顔の濃い男も黒縁眼鏡のデブも迷いがなさそうだった。アンジェらは動揺しているのか、緑茶が零れるほど震えていた。清江は震えこそしていなかったが、顔が土気色になっていた。由樹は仕方なくグラスを掲げた。「乾杯」グラスをぶつけ合い、ギチリという音が響いた。由樹は成子に従うしかなかった。悲惨極まりない明美
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第8章 犠牲から犠牲へ、魂からの繋がり

成子の自宅に来てから一週間が経った。彼女は由樹たちを帰してくれなかった。貴方は殺人犯なのよと脅されて帰宅を許されなかった。玄関にも男三人がローテーションで見張りに立っていた。旦那以外の男は一体何者なのかも明らかになっていない。 スマホを盗られたまま返してもらえないため、カレンダーを確認できない。何回目の夜に日にちを数えることしかできなかった。一週間の中で事件が起きた。明美が旦那にハチミツ牛乳を飲ませに行った際に逃亡した。逃げて当然だと思った。明美は食事もまともに取らせてもらえず、睡眠もまともに取れなかった。由樹が起きている時は常に廊下で正座していた。顔は白紙のように色を失い、骸骨が蹲っているように見えた。生気を全く感じられなかった。このままでは栄養失調で死にそうだった。そんな状態でハチミツ牛乳を飲ませて徐々に殺すため、死にかけの旦那の元に行っていた。逃げて当然だろう。だが、結果的に三日で連れ戻されることになった。三日前、由樹とアンジェラと成子の旦那の三人で、明美を探して来るように成子から命じられた。「あの山の付近には駅やバス停などはありませんので、遠くには逃げられていないのです。私は明美さんを信用していないので、GPSチップを服の背中に付けておきました。それを頼りに連れ戻して来て下さい」成子の旦那の運転で明美を捜索することになった。由樹はアンジェラと並んで後部座席に座った。数日ぶりに成子の監視下から逃れることになった。成子の旦那はスマホを操作してブルートゥースで車のスピーカーに接続して、爆音で昭和歌謡曲を流し始めた。由樹は世代ではないので、誰の何の曲か分からなかった。車は発進して田舎道を進み始めた。音楽のボリュームが大きいため、アンジェラとこっそり自由に会話ができそうだった。旦那は成子と違い、そこまで監視が厳しくなかった。何を喋っているのか聞かれさえしなければ、会話をしていても問題ないだろうと見た。「アンジェラさん。このままこの計画に参加し続けるんですか」アンジェラの方に顔を近付けて尋ねてみることにした。アンジェラは急にハッとした顔になって、「もう嫌です。嫌だ。もう人殺しなんて嫌です」突然静かに泣き出した。帰りたくないのかと質問されて正気に戻ったのかもしれない
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アンジェラという女性

隣からか細い声が洩れて来る。彼女は両手を顔から離して前を向いていた。車の窓から月の光が差し、アンジェラの横顔を明るく照らす。くすみがなく比較的綺麗な頬の肌を眺めながら考え事をした。どうすれば殺害を止めることができるか。明美が逃亡した理由には、もう自分の旦那を十分痛めつけ終えたという要因もあるだろう。では、今も計画を継続したいと考えている者は成子と清江だけになる。二人になった今、行動に移すことは難しいのではないかと考えた。「偽装結婚相手のツヨシと離婚することになったのです」アンジェラは顔を由樹の耳元に近付けて囁くように言った。「これで大輔君と一緒になれるんです」「おめでとう、どうして急に」言葉とは裏腹に何だか気に障った。アンジェラが殺害という経路を辿ることなく旦那と別れられたのが気に入らない。自分は脱走できたとしても、これからも隆広と一緒に暮らさないといけない。アンジェラだけ狡いように感じた。「うん。何かね、ツヨシはですね、またフィリピンに行って違う女の子を連れて来るのです。それで次はその子と結婚するから」また新しいフィリピン人の女の子と結婚するのか。そのためにアンジェラとは離婚をしないといけない。「でも一人の男が、そんな何人も結婚するのはどうしてなの」由樹にはそこが疑問だった。久々のまともな会話だったため、自然と長引かそうとして質問が口から出た。「戸籍に傷が付くようなものって言ってたのです。それが理由で、全然やりたい人なんていないんだって。しかも偽装結婚相手になっても年間百万も貰えないみたいです。悲しいね」「そのツヨシっていう男を元締めみたいな親玉の人たちが、結婚相手として使い回しにしているってことか」「多分そういうことです」「そしたらさ、でもアンジェラも日本にいる理由がなくなったことになって、ビザが無効になるんじゃないの」「ううん、大丈夫です。半年間は日本にいれるって大輔君が教えてくれたの。それまでに大輔君と結婚できれば大丈夫です」「また男と一緒に住むの」由樹は心配と嘲りの気持ちを持っていた。「大輔君は優しいから。それにタンテーの仕事しているのです。カッコいいですよね」「でも、今まで一緒に住んでたよね、そのツヨシっていう人と。また同じような生活に戻る
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地獄で唯一身を守る方法

「明美を見付けたぞ」怒鳴る声が運転席から聞こえた。フロントガラスから前方を見ると、錆びたトタン屋根の小屋があった。その中に慌てた様子で逃げ隠れる女性の後ろ姿が確認できた。見たことのある車の姿を見て焦って小屋の中に逃げたのだろう。だがこれは悪手だ。小屋には扉が一つしかないように見えるので、逃げ場を完全に失っただろう。行くぞと成子の旦那に手で合図されて由樹とアンジェラは小屋の中に突入した。扉を開けると中はがらんどうだった。誰も使っていないらしく、道具も何も置かれていなかった。そんな空間の中に、明美が一人隅っこでうずくまっていた。「よくも逃げやがったな。来い。帰るぞ」成子の旦那が明美の着ている黒のTシャツの襟首を掴んで小屋から引っ張り出そうとしていた。「嫌だあ。無理い。もう死ぬから許してえ。行きたくない行きたくない。死にたい死にたい」明美は恐怖から超音波のような甲高い声で叫び散らしていた。体を無理矢理引き摺られながら、両足をジタバタさせて必死に抵抗していた。外に連れ出されてから、明美は車の後部座席に押し込まれた。由樹も乗り込むと、車内は大便の甘みが含まれた彼女の体臭によって鼻がもげそうになった。明美の体からガス漏れのような音がする。体が壊れているようだ。成子の自宅に戻ると、明美は成子と対面した。明美が玄関の三和土に立ったまま、成子の顔を見て動けなくなっていた。薄暗い廊下に成子の白い顔が浮いて見えた。「明美さん。お帰りなさい」成子は明美のことを抱き締めた。予想していなかった光景だったので由樹は心底驚いた。絶対に通電地獄が待っていると思っていた。「ごめんなさい。貴方が逃げるほど辛い思いをしているとは思っていなかったの。もうあの男のところに行かなくていいわ。本当にごめんなさいね」赤子を扱うかのように明美の足から靴を脱がしてあげて、彼女の手を握りながら廊下を歩いていた。「私も気を付けるから、明美さんも私を失望させないでね。もう辛い思いをさせないようにするから、私の前から逃げていかないでね。私たちは浩司さんを殺した犯罪者同士なの。だから運命共同体なの。どちらも裏切ることは許されないの」二人は一緒に居間の中に入って行った。由樹とアンジェラも彼女たちに続いて居間に入ると、
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