多少乱暴なことをしても良いだろうと見做した。痛い目に遭わせないと妖怪じみた女に取り憑かれて呪われるような気がした。呪われなくても、カメラの奥に潜む存在に甘く見られて付け入る隙を与えそうだった。「シートベルトはしているね。前の椅子にしっかり掴まっていてな」他の車が傍を通らないことを確認して目一杯アクセルを踏んだ。一気に強く踏み込んでからブレーキを急に踏んだ。また走行してはハンドルを大きく右に回した。フロントガラスには掴まる突起などないにも拘わらず、女は貼り付いたままだ。吸盤でもついているかのようだ。山姥のマスクの紐が切れたようだ。フロントガラスの向こう側、すぐ近くに口が存在する。いや、口のようなものだ。唇は全て剝がし落とされカサブタのようなひび割れた塊が粘膜の代わりを果たしている。口の中には歯が一本もなく、ベロが剥き出しだ。口をしっかり閉じることができないようで、山姥は口角から涎を流している。「気持ちワリイんだよ」車の先を住宅の垣根に突っ込ませた。枝が女の背中に刺さったらしく痛みで口を開けて黄土色の僅かに残った奥歯が覗く。そのままハンドルを横に切り、女を垣根に埋め込んでから引きはがすことに成功した。そのままアクセルを踏んで空港への道を急ぐことにした。一安心した。後ろの二人からも、はあはあという声が聞こえて来る。アンジェラを一旦帰国させるのは正解だった。 ※アンジェラを空港に送ってから二日後、事務所に意外な人物が現れた。柴崎隆広だ。隆広は大輔と向かい合って座っていた。「大輔さん、とんでもないことが起きてしまいました」第一声でそれだけ言うとビャアビャア泣き始めた。四十を過ぎた男が泣く姿を見たくなかった。職業柄、浮気調査などで夫婦間での修羅場の遭遇も多々ある。その時の男の涙と今の隆広の涙は明らかに異なるものだった。何が違うのか具体的なポイントがあるわけではない。だが、隆広の涙には寂寞さと追い詰められた焦燥が同じくらい含まれているようだ。「どうかしたのですか。まさか由樹さんの身に何かあったのですか」二日前、アンジェラのアパート前に現れた山姥を思い出して不安が増す。「いえ、由樹には毎日会いに行っているので大丈夫なのですが、まだ彩花には会えない状態が続いていたのですよ。
Last Updated : 2025-08-18 Read more