All Chapters of 星はもう、月の光を求めない: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

悠人は怒りを露わにして、鋭い視線を向けた。「取引先がインチキだ!大量の在庫は全部ムダってことだ!」誠は呆然とした眼差しで、その視線の先を追った。蒼介が「九条星良と結婚する」と言った瞬間から、彼の思考は止まりかけていた。ただ、茫然と星良の背中を見つめていた。三人組が耳元で何かを言い続けていても、彼はまるで反応を示さず、その声さえも次第に遠くの雑音のようにしか聞こえなくなっていった。ゆっくりと星良に向かい、歩を進めようとしたが、すぐに人混みに遮られた。気づけば、注目の的だった星良から、誠自身が記者に囲まれていた。胸の奥がズキズキと痛む――その理由を、言葉にはできない。これまで、どこかで抗いながらも当然のように思っていた。「自分こそが、星良の夫になる存在なのだ」と。だが突然、頭の中に雷が落ちたかのような衝撃だった。間違っていたのは、自分だった。星良が選んだ夫は、自分じゃない。蒼白な唇が震え、言葉にならない声を呟く。その気配に、星良がゆっくりと振り返った。人々の前で、彼女は顔に残った涙を拭い去った。冷ややかな光を宿した瞳は、鋭利な刃のように彼らを射抜き、まっすぐに前を見据え、凛とした姿を見せた。ほんのり赤く染まったその目は、どこまでも澄んでいた。彼女は皮肉な笑みを浮かべながら、誠の方を見据える。「私は言ったはず。もう、あなたに二度とチャンスは与えないって」九条家を、自分を、これ以上傷つけさせるチャンスを与えない!誠は、九条家を乗っ取るつもり?なら、同じ手で返すだけよ。星良は、彼の側近である秘書をとっくに買収していた。誠の動きは、すべて星良の掌の上だったのだ。彼の最大の誤算は、雅信が育て上げた優秀な人材を使って、自分のビジネス帝国を築こうとしたことだった。世の中には、誠や隼人のように、恩を仇で返すことしか知らない者ばかりじゃない。その上、ここ最近誠は紗耶と星良にばかり目を向けていた。任せるべきではなかった隼人という愚か者に案件を預けたこと――たとえ翔真が同行していたとしても、どうにもならなかった。誠は、九条家が代々築いてきたものを、まるで偶然手に入れたものだと思っていたのだろうか?星良の視線に込められた冷ややかさに、誠は圧倒され、思わず息を呑んだ。彼は、ふた
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第12話

「黒澤さんは何を考えてるの?まさか自分が九条家の後継者にでもなったつもり?九条家のお嬢様をいじめるなんて、いい度胸だな」「信じられないよ。援助されて育った身なのに、その恩人の娘を踏みつけにするなんて……」「そりゃあ九条お嬢様が彼を選ばなかったのも当然だよ。まだ婿養子にすらなってないのにこれだよ?もし本当に結婚でもしてたら、翌日には愛人連れて堂々とやってきそうだわ!」周囲のざわめきに、隼人の顔色がみるみるうちに険しくなった。「黙れ!お前らに何が分かるっていうんだ!紗耶と誠は小さい頃からずっと一緒に育ってきたんだ。俺たちだって、彼女を妹みたいに思ってた。悪いのは星良だよ、自分の男のそばに他の女がいるのが我慢ならないだけだ!」「……フッ」星良は冷たく笑った。彼女は数度身をよじったが、誠はそれでも手を離さない。星良はくるりと身を翻し、手を挙げる。パチン――乾いた音が会場に響いた。誠の頬に平手を振るった。「もしかしてまだ、あなたのことを好きだと思ってる?」彼の目が一瞬見開かれ、言葉を続けようとする星良を凝視した。心の中で、初めて芽生えたのは恐怖だった。「よく聞いて。私は一度だって、あなたと結婚したいなんて思ったことはない。たったの一度もよ!あなたなんか、私に好かれる資格ないわ」彼が誰と一緒にいるかなんて、星良にとってはどうでもよかった。彼女は、憎しみとともに生き直している。誠をこの手で叩き潰すために。死ぬ前の、あの無念を決して忘れない。蒼介は、誠の険しい視線を素早く察知した。星良に向けられる、その危ういほど執着のこもった視線。そっと星良の前に立ち、視線を遮った。そしてふと、扉の向こうに佇む影を捉え、口元を緩めた。「……ちょうどいいところに、『可愛い妹さん』もいらっしゃいましたね」紗耶は既にその場に到着していた。彼女は扉の外に立ち、何度も星良に「なぜ俺じゃなくのか」と問い詰める誠の姿を見つめていた。心の中に渦巻く嫉妬心は、もはや抑えきれないほど膨れ上がっていた。今すぐ車で轢いてでも、あの女を消してしまいたい。会場の話題はいつしか、紗耶の存在へと移っていた。周囲の視線が一斉に彼女に注がれる中、誠だけが、紗耶の方を一度も見ようとしなかった。彼はひたすら、星良を見つ
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第13話

「あなたはね、いったい何を勘違いしてるの?自分の実力だけでやってきたと思っているのか?九条家の看板がなければ、誰があなたにお金を出すと思っているの?」言われた連中は、一瞬たじろぎながらも、しらばっくれたような顔で目をそらした。彼らは九条家から受けた援助も、人脈も、すべてなかったかのように振る舞っている。「あなたたち、一人一人に九条家は年間数億円も投資してるのよ?その金があれば、有名大学卒のエリートを高給で雇えるわ。わざわざ、あなたみたいな役立たずにお金をかける理由があると思う?」周囲からも、ぽつりぽつりと賛同の声があがった。「正直、あの中で真っ当に仕事できるのは黒澤だけだよ。ほかは全部並み以下だから、地方の支社に飛ばされたんだ。九条会長もほんと損したよな、あんな連中に投資してさ」「そうそう、結局は持ち上げられすぎなんだよね。もし俺があんなに年間で何千万も支援されて育てられたら、めっちゃ嬉しくてしょうがないよ!彼らがやりたくないなら、俺がやるよ。どうされてもかまわない!」隼人の顔色は一気に黒く染まる。歯を食いしばり、口を開こうとしたが、その前に星良が舞台へ歩を進めた。「今日、あなたたちが記者を呼んだのなら、こちらもしっかりと決着をつけさせていただくわ」その言葉と共に、会場中央のスクリーンが点灯し、グループチャットのトーク画面が次々と映し出された。画面には、彼らが使っていた汚い言葉や、悪意に満ちたスタンプが次々と暴かれる。誠の心臓はまるで一瞬止まったかのようだった。自分が送った「もし本当にあいつなら、絶対に代償を払わせてやる!」というメッセージを目にしたとき、胸がギュッと締めつけられた。星良がすでにこのグループチャットの存在に気づいていたとは思ってもみなかった。周囲の人々がざわつきはじめる。「何これ、マジで酷すぎない?九条家に親でも殺されたのかってくらいの口ぶりじゃん」「そうだよね、恩人相手にさえそんな態度なんだから、他人に対してはなおさらだよ」周りに非難の声がますます広まっていた。その場にいた婿養子候補たちは一気に動揺した。「ま、待ってくれ!俺たちはただ、黒澤たちの言葉に流されてただけだ。みんなだって、お嬢さんが彼のことを好きなのは知ってる。彼を九条家の後継者だと思ってそう言ってただけで、本当はそ
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第14話

宴会場に、不意に女の声が響き渡った。「ほんの一言、誠さんに欲しいって言っただけで、あの人、すぐ持ってきてくれたの。わざわざ取りに来たんでしょ?ほら、返すわ。そういえば、あの浮浪者のサービス、どうだった?気に入った?もし物足りなかったら、もっとヤバいの探してあげるわよ?あーあ、現場に立ち会えなかったのが唯一の心残りね。本当は、誠さんはあんたを地下室に閉じ込めて、ちょっと怖い目に遭わせるだけのつもりだったの。でもね、それじゃ足りないと思って、その男に『依頼』したの。あんな綺麗な身体、使わないと勿体ないって思わない?」「……ただの一人の男のためにそこまでやるなんて、正気の沙汰じゃないわ!」「正気の沙汰じゃない?まだ本番はこれからよ。お嬢さん、どうか私を失望させないでね?」……ざわざわと、場内のざわめきが一気に増していく。誠はぴたりと動きを止め、静かに視線を紗耶へ向けた。彼女の表情はどんどん歪み、やがて怒りの形相に変わる。「卑怯ものよ!合成音声で私を嵌めるなんて!」飛びかかろうとする紗耶を、誠が咄嗟に止めた。彼はその細い手首を強く掴み、真っ直ぐその目を見据える。「これ、お前じゃないって言ったよね。全部、あの浮浪者が勝手にやったことだって」紗耶はすぐに涙をこぼし始めた。「誠さん、信じて……私、そんなことするわけないじゃない」その場の空気を読んだ隼人が、慌てて場を取り繕おうと前に出た。「星良の話だけを信じるのはどうかと……紗耶は昔から大人しくて、そんなひどいこと考えるような子じゃないよ!」ひどいこと?確かに、そんな言葉、あの紗耶の顔からはとても想像できない。でも、彼女の本性を一番よく知っているのは、他でもない星良だった。そのとき、蒼介の大きな手がそっと星良の手を包み込んだ。「……もしかすると、私からも皆さんにお見せしたいものがありますよ」彼の言葉に、記者たちのカメラが一斉に蒼介に向けられる。この次から次へと襲いかかる話題が、彼らの興奮は頂点に達していた。すぐに、蒼介の秘書が壇上に上がり、USBをパソコンに差し込む。スクリーンが再び点灯。映し出されたのは、警察に事情聴取を受けている幼い少女の映像だった。観客たちが戸惑いの表情を浮かべる中、画面がふいに切り替わり、少女の顔
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第15話

誠の怒鳴り声が会場に響き渡った。その目には、痛みが溢れていた。あの悲劇の夜から始まった、彼の劣等感と怒り。けれどようやく気づいたのだ。自分の痛みを、間違った場所にぶつけていたことに。九条家に。星良に。そして、その本当の加害者である紗耶を、彼は責めることなく見逃していたのだ。あんな女のために、誠は星良を何度も傷つけたのだ。紗耶の顔から、ゆっくりと表情が消えていく。伸ばしかけた手も、力なく下ろされた。うつむき、足元を見つめながら、ぽつりと呟く。「……あなたまで、私を見捨てるのね」その瞬間、紗耶は不気味に笑い出し、一気に会場の外へと走り出す。蒼介が目配せすると、警備員がすぐに追いかけていった。誠の体が小刻みに震える。そのとき、重く鋭い杖音が背後から響き渡った。振り返ると、そこに立っていたのは――いつの間にか帰国していた九条家当主、九条雅信。沈黙のままに、誰にも読めない感情を湛えたその眼差し。周囲の人々が、彼に道を譲っていく。その道の先、雅信は誠を見据えていた。その目には、痛みと怒りが明確に宿っていた。「誠、おまえには、本当に失望したな」誠の拳が震える。本来の計画なら、雅信がこの場にいるはずはなかった。彼の帰国は、誠にとって敗北そのものを意味していた。誠は、隣に立つ女性に視線を移す。ずっと見ようとせず、認めようとしなかった女性。そして皮肉な笑みを浮かべる。自分は、星良に負けたのだ。「九条星良」は、決して無知で愚かな女などではなかった。完璧で、だからこそ心を奪われるほどに、美しかった。でも、どうしようもない。ようやく自分の気持ちに気づいたというのに、星良の心はもう、別の人に向いている。その笑みは、どこまでも苦く、切なかった。雅信は、それ以上誠を見ようともせず、静かに星良のもとへと歩み寄っていく。父の姿を見た瞬間、星良の頬には、ぽろりと涙が落ちた。積もりに積もった哀しみが、ついに堰を切ったように溢れ出す。雅信と蒼介は、各自のスタッフに会場の後始末を指示した。そのまま、九条家の屋敷へ戻った。誠、隼人ら数名を除き、他の者たちは屋敷の外で待機させられた。書斎で、床に跪き、ぶるぶると震える男。それは、長年九条家に仕えてき
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第16話

雅信が険しい表情で立っていると、その場にいた誰も口を開けなかった。しばらくの沈黙の後、彼はまず運転手を引きずり出すよう命じた。「星良、これからどうするつもりだ?」彼は痛ましい目で娘を見つめる。家を空けている間に、こんな連中に娘を辱めさせるとは思いもしなかったのだ。もし自分がもうこの世にいなかったらどうなる?もし本当に彼らの中の誰かを選んで、娘の面倒を見させるなら、その娘は命を全うできるのか?手に握られた杖は、今にも折れそうなほど強く握りしめられており、その目には血のような赤が浮かんでいた。想像もしたくなかった。マスコミが押し寄せて娘を追い詰めたとき、星良はどれほど絶望しただろうかと。可愛がって育てた娘を、こんな連中に踏みにじられるなんて。星良は雅信に名前を呼ばれ、ようやく目にわずかな揺らぎが現れた。彼女はわかっていた。父が自分を案じていることを。唇の端が少しだけ上がる。「我々九条家は、そんな立派な人たちを迎えられるような家じゃないから。元の場所に戻ってもらうだけよ」声は小さくても、重みがあった。それは確実に、全員の胸を強く打ち込んだ。悠人が顔を上げて叫ぶ。「だめだ…やめてくれ!」彼は重い家族の遺伝病を抱え、治療費だけでも一週間に数十万円もかかる。しかも治療を待つ兄弟姉妹が十人もいる。悠人の背後には、毎週送金を待つ手が何本も伸びていた。慌てた彼は膝をついて星良の前まで這い寄った。しかし手を伸ばす前に、蒼介が蹴り落とした。「星良!やめてくれ!俺のことはわかってるはずだろ?つい先日、あの輸入薬を手配してくれたのはお前だ。まだもらってないんだぞ。どうして約束を取り消すんだ?」彼は必死に薬を求め、笑顔を作ろうとするが、その顔は泣き顔よりも醜いものだった。星良は悠人を見ず、ただ前だけを見据えた。頭に浮かぶのは九条家の書斎ではなく、山道のことだった。父を引きずる男、それが悠人だった。悠人の様子を見て、翔真も焦る。彼らの父親は酒癖が悪く、子供の頃は隼人や翔真を殴っていた。母親は父の暴力で亡くなり、兄弟は逃げ出した。その途中で出会ったのが雅信で、彼が警察を探して助けてくれたのだった。九条家のおかげで全てがスムーズに進んだのだ。何度も警察に父を訴えても、家
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第17話

雅信は娘の決断を受け入れた。その知らせが屋敷の外に伝わると、門の前に居座っていた数人が、その場で気を失って倒れた。今になって、彼らが最も後悔しているのは、あの九条父娘を嘲笑い、辱めたグループチャットに参加したことだった。それは、自らの華やかな未来を叩き潰す一手だった。誠の荷物は、まだ屋敷の中にいくつか残っていた。雅信は今日中にすべて持ち出すよう命じた。彼はかつて最も期待されていた後継者であり、娘を託そうとまで考えていた存在だった。だがその全てを、誠自身が台無しにしたのだ。彼は雅信の前に跪き、額を床に何度も打ちつけた。それでも雅信は、視線を一度も彼に向けなかった。屋敷の門に差しかかったとき、星良はちょうど御影家へ戻る蒼介を見送ったところだった。彼女は視線の端で誠の姿を捉えたが、何の反応も示さなかった。それでも彼は、迷いながらも彼女の前へと歩み寄った。「……これまでのこと、本当に、申し訳なかった。全部、俺の責任だ。俺を恨んでるのはわかってる。でも今の俺は、誰よりも自分自身を憎んでるんだ……」苦笑いが漏れた。言いたいことは山ほどあった。けれど実際に口から出てくるのは「申し訳ない」の一言ばかり。赦しを乞う資格もない。それでも、立ち去ることができなかった。彼はよく知っている。九条家の屋敷がどれだけ厳重に守られているか。今日が最後だとしたら、テレビの中でしか、彼女を目にすることができなくなるかもしれない。だが、星良が誰かの花嫁になると考えると、誠の胸が締めつけられ、息ができなくなるほど苦しかった。呼吸を荒げながら、彼の目から涙がこぼれ落ちたが、それを彼女に見られるのが怖かった。震える声で、やっとのことで言葉を紡いだ。「……俺たちに、まだ可能性って……あるかな……?」その言葉に、星良の睫毛が微かに揺れた。彼女はふと振り返り、真っ直ぐ誠を見つめた。その表情を目にした誠は、醜くも情けない自分を見られるのが恥ずかしくて、視線を逸らすこともできなかった。星良は、ふっと口元に笑みを浮かべた。「可能性って……どういう意味?」誠は、自分がどれほどみっともなくて、どれほど情けないか、痛いほど分かっていた。けれど、星良の問いかけが、彼にまだチャンスが残されているかのように思え
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第18話

誠の暗く沈んでいた瞳が、ふいに一筋の光を宿した。その光を、星良は瞬き一つせずに見つめ続けていた。「うん、いいよ!」その言葉が、彼には信じられなかった。星良が、自分と一緒に山に登るなんて。まさかあの告白を、彼女が全部ちゃんと聞いてくれていたのか?山登りの時間を約束した後、誠はすぐに荷物をまとめ、嬉々として家へと帰った。本気で人を愛するとは、こんなにも相手の一言一言に心を揺さぶられるものなのか。彼は今になって初めて思い知った。けれど、その背中を見送る星良の瞳には、ただ、冷ややかな影だけが揺れていた。「星良、何をするつもりだ?」いつの間にか背後に立っていた雅信が、低く問いかけた。父の姿を見た途端、星良の警戒はふっと解けた。誠は星良を愛していると言った。だが、本当に彼女のことを理解していたわけではなかった。もし理解していたなら、気づいていたはずだ。彼が現れてからずっと、星良はまるで全身に鋭い棘をまとったハリネズミのように、誰にも近づかせまいとしていたことを。彼女は誠のこと、全然許していない。そして、本気で一緒に登山するつもりもなかった。星良は雅信の腕を取って、その肩にそっと額を預けた。「お父さん、信じて」――もう二度と、誰にも私たちを傷つけさせない。……よかった。今度は家を、父を、そして自分自身を救い出せた。翌朝、誠は九条屋敷の門の前に現れた。いつものように車で門をくぐろうとしたが、認証が外されていたことに気づき、バツの悪い顔で車を止めた。仕方なく外で待っていると、星良が自分の車で姿を現した。彼女は誠の車に乗るつもりはなかった。何かを聞こうとする前に、星良はただ一言「ついてきて」とだけ言った。辿り着いたのは、見覚えのある山道。停車したとき、誠は何気なく周囲を見回し、思わず二度見してしまった。「ここって……!」ようやく思い出した。かつて星良が流れ星を一緒に見に行こうと誘った場所。あの夜、彼女は誠の隙を突いて、自分のファーストキスをそっと預けた。彼女にとっては大切な思い出が詰まった場所だった。けれど、誠の手で粉々に壊されてしまった。「誠、私のこと好き?」突然の問いに、誠は一瞬目を見開いたが、すぐに力強く答えた。「愛してる、星良」星良
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第19話

もし拒めば、星良は迷わず電話をかけ、ボディーガードに命じて彼を車の後ろに強引に縛りつけただろう。その時になれば、誠が嫌がったとしても、もう手遅れだ。彼女は、そう簡単には許すつもりなどなかった。けれど、まさか誠が受け入れた。意外ではあったが、星良の反応は早かった。何も言わずに運転席に乗り込むと、バックミラーに映る彼の俯いた顔をちらりと見る。その目がゆっくりとこちらに向いた瞬間、彼女はもう目線を外していた。アクセルを踏み込んだその瞬間、予想もしていなかった誠の身体は地面に投げ出され、膝を強く打ちつけ、顔には擦り傷ができた。その様子を見た星良は、唇を歪めて薄く笑った。急ブレーキをかけ、窓を開けて外に顔を出すと、よろよろと立ち上がろうとする誠の姿が目に入る。その唇が何か言いかけた瞬間、星良はもう顔を引っ込めた。再び車を発進させた。かつて誠にされた仕打ちを、彼女はそのまま返す。くねくねと続く山道を、星良の車は何度も何度も誠を引きずって走る。彼女は一切声を発せず、彼は一言も文句を言わなかった。やがて太陽が西の空に沈み、月が山の影から顔を出す。誠の手首はロープで擦り切れ、赤い血が繊維を染め、顔色は青白くなっていた。ようやく車が止まり、星良はその場から動かなかった。誠は限界を迎え、地面に倒れ込んだ。膝が震え、全身の関節がバラバラになったような感覚に襲われる。星良は静かに近づき、無言のままロープを彼の体に放り投げた。数時間も経てば、日頃から体を鍛えている誠でさえ持たなかった。ましてや、年老いた父と妊娠三ヶ月の彼女が、耐えられるはずもない。ペットボトルの水を一本、彼に投げてよこす。誠に復讐したいと思っていたが、こんな簡単に死なせるつもりはなかった。この世界で生き延びるために、自分がどれだけの苦しみを受けたのか、他人は知らない。誠も知らない。それを知っているのは、彼女自身だけだった。そんなクズ男のために、人殺しの罪を背負うなんて、馬鹿げてる。星良は静かにその場を後にしようと足を踏み出した。その背中に、かすれた声が追いかける。「……星良、俺を……許すつもりはないんだよな?」彼女の足が止まった。だが、それ以上振り向くこともなかった。ただ、まっすぐ前だけを見つめていた。し
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第20話

星良は友達との食事会に参加していた。その場で話題に上がったのは、かつての「婿養子候補」たちのことだった。「アイツら、いまごろ腸が煮えくり返るほど後悔してるわよ。あなたのお父様が全員クビにした後、あちこちに履歴書出しても、あの日のことが耳に入ってるから、誰も採用してくれないってさ」「本当よね。昔は皆、妙にプライド高くて偉そうにしてたけど、九条家を失ったら、誰があんな連中に構うのよ?」星良はグラスの中のワインを揺らしながら、黙ってその話を聞いていた。あのグループチャットにいた人たちの多くは、誠を持ち上げるために九条家を踏み台にしていた。彼らが九条家に楯突いた今、当然のように誰にも相手にされない。それは彼らにとって、何よりの報いだった。とはいえ、九条家が莫大な資金を投じて育てた人材だ。職場を変えるくらいのことは、そう難しくないはず。誠や紗耶にされた仕打ちに比べれば、彼らへの怒りはもう通り過ぎた。とことんまで追い詰めようとは思っていない。「前から言ってたでしょ、男を選ぶなら、自分を愛してくれて、大事にしてくれる人じゃなきゃって。あの黒澤、どこが良かったのか分からないわ。あんなふうに偉そうにして、信じられない。あなたは東都でも有名なお嬢様なのよ?あの雨宮を選んで、星良を選ばないなんて、どこまで節穴なのかしら」「ほんとそれ。あの雨宮はね、一見おとなしそうな小動物っぽい顔してるけど、裏ではなに考えてるか分からないタイプよ。ところで星良、あの女の行方、まだ分からないの?」星良は目を伏せ、小さく首を振った。あの日、蒼介が人を遣って彼女を追わせたが、紗耶はまんまと逃げおおせた。星良の部下も、蒼介の部下も捜索を続けているが、彼女はまるでこの世から消えたかのようだった。調査によれば、まだ東都にはいるらしいが、人通りが多くて監視カメラの多い場所には一切近づいていない。星良はそっと拳を握りしめた。空気が重くなったのを感じたのか、周囲の友人たちは話題を切り替えた。テーブルに追加の料理を頼み、新たに数本のワインを開けて、星良の近々の結婚を祝った。酒を一口飲んだところで、彼女のスマホに蒼介からメッセージが届いた。【空腹のままお酒を飲んじゃダメだよ。終わったら電話して。迎えに行くから】その一文に、星良の心はふっと温
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