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星はもう、月の光を求めない

星はもう、月の光を求めない

By:  苺まきCompleted
Language: Japanese
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九条星良と黒澤誠の結婚式当日、彼の幼なじみ・雨宮紗耶が九条家ビルの30階から身を投げ、地面に叩きつけられて命を落とした。 式は、そのまま進行された。 結婚してからの三年間、誠は、星良の望むものをすべて与えた。だが、もともと笑わないその顔は、さらに不気味なまでに冷えきっていた。 そして、妊娠三ヶ月のとき。 突然、星良の父が失踪し、行方不明となったという知らせが届く。 警察に向かうと思いきや、誠が車を走らせたのは山の上だった。 車が山頂に着いたとき、彼女の目に飛び込んできたのは、車の後部に縄で繋がれ、血まみれの姿で山道を何度も引きずられていた父の姿だった。 全身に痣と出血、口や耳からも血が流れ、地面に倒れた父は今にも息絶えそうだった。 駆け寄ろうとした星良を、誠はためらいなく縛り上げた。 彼の子を身ごもっていたにもかかわらず、自らの手で彼女を車で引きずり回したのだ。 足の間から流れた鮮血が、両脚を真っ赤に染めた。 彼女は、山中で命を落とすことはなかった。 彼は星良を地下室に閉じ込め、下半身の汚れの中には、彼女の赤ん坊がいた。 星良はネズミやゴキブリに囲まれたまま生かされ、足をかじられ、何度も絶望の淵に追いやった。 やがて、息をする力すら残されていなかった…… 目を覚ました星良は、誠と結婚前の過去に戻っていた。 まだ誰もが誠を「九条家の婿養子候補」と呼んでいたあの頃。 星良は静かに笑い、涙を流した。 「……黒澤誠。今度こそ、絶対にあなたなんか選ばない」

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Chapter 1

第1話

浴室の中。

黒澤誠(くろさわ まこと)の手が、九条星良(くじょう せいら)の腰をがっちりと掴んでいた。

白く滑らかな肌には、すぐさま五本の紅い痕がくっきりと残る。

彼女がまるで反応しないのを見て、誠は苛立ちを露わにして身を寄せる。そしてそのまま、星良の肩に鋭い牙を立てた。

誠の鋭い犬歯が容赦なく肌を貫き、皮膚を破る。血がじわりと口元に滲み、舌の裏に鉄の味が広がった。

その突如として襲った激痛で、星良は目を見開いた。

だが、目の前の人物の顔を見た瞬間、彼女の手が無意識に動き、誠の身体を思いきり突き飛ばした。

壁にぶつかった誠は、驚いた表情で星良を睨みつける。その瞳の奥には、明確な凶悪の色が一瞬だけ走った。

それを見た星良は思わず身を縮こませ、恐怖に駆られて震えた。

「言われた通りにしたんだろう。半月は来ないって、そう言ったでしょ」

それは確かに誠の声だった。けれど、その響きにはどこか、少年のような感触が混じっていた。

星良は茫然と彼の裸の上半身を見つめ、次いで周囲に目を走らせる。

暗く湿った地下室でもなければ、あの忌々しいネズミの鳴き声もない。

まるで何かを思い出したかのように、星良は両手を勢いよく持ち上げた。そして、十本の指を確認する。

――全部、ある。

その事実を見た瞬間、彼女の瞳から涙が溢れ出す。

誠は困惑の色を深めたまま、星良の様子をじっと見つめていた。

返事がないままの彼女に、不安を拭えなかったのだろう。

彼は表情を強張らせながら、そっとその手を彼女のうなじに伸ばす。

けれど――

「っやめて!!」

怯えたように叫ぶと、星良は再び彼を突き飛ばす。

誠の我慢の限界が、今、音を立てて崩れる。

「寝たいって言ったのはお前だろ?触るなって言うのもお前。

……一体何がしたいんだよ」

その声音には、見下すような嘲りが滲んでいた。

星良の服はすでに水で濡れそぼり、身体は小刻みに震えていた。彼女は必死に震える声を抑えながら、ぽつりと呟く。

「……出てって……」

その言葉に、誠は意外そうに彼女を一瞥する。

しかしその刹那、スマホの着信音が鳴った。

「誠!すぐ来て!紗耶が大変だぞ!」

その声を聞くや否や、彼は一言も発せず浴室を飛び出して行った。扉を閉めることさえ忘れた。

彼の気配が消えた瞬間、星良はその場に崩れ落ちた。

身体の震えが、もう止まらなかった。

涙が頬を伝い、次から次へと流れ落ちる。

信じられない。

……誠と結婚前の日に、戻ってきた?

誠が九条家にやってきたのは、彼が十四歳のときだった。

父・九条雅信(くじょう まさのぶ)は慈善活動を好み、才能ある子どもたちの支援・引き取りを積極的に行っていた。

彼は惜しみなく教育の機会を与え、彼らに最高の環境を用意してきた。

世間では、九条家に息子がいないことから、「娘のために、幼い頃から将来の婿養子候補を何人も育ててきたのだ」との噂が囁かれている。

いずれその中から最も優秀な者を選び、婿として迎えるつもりなのだろうと。

そして、その知性と才能を持っていた「最も優秀な一人」は、間違いなく誠だった。

彼は星良にとって、唯一無二の「憧れ」だった。

彼女の想いは、まるで夜空の星が、ただ一つの月を追いかけるように純粋だった。

けれど、誠は終始冷たく、心を開かなかった。たとえ彼女が自分を育ててくれた恩人の娘であっても、その態度は変わらなかった。

星良は、そんな彼を好きで好きで、何年も追い続けた。けれど誠は、その想いを何年もの間、何度も拒み続けた。

そして、ある日。

誠が突然彼女の元に現れ、「俺と、結婚してくれ」と告げた。

突拍子もないその言葉に、星良は幸福の頂点にいた。ようやく自分の気持ちが彼に届いたと信じて、疑いもしなかった。

ためらうことなく、彼女は頷いた。

だが、結婚式の当日、彼の幼なじみ・雨宮紗耶(あまみや さや)が九条家ビルの30階から身を投げ、地面に叩きつけられて命を落とした。

その瞬間、結婚指輪のダイヤが彼女の指から転がり落ち、幾度か床を跳ねたあと、どこへ消えたのか分からなくなった。

式は、そのまま進行された。

結婚してからの三年間、誠は、星良の望むものをすべて与えた。だが、もともと笑わないその顔は、さらに不気味なまでに冷えきっていた。

そして、妊娠三ヶ月のとき。

突然、星良の父が失踪し、行方不明となったという知らせが届く。

警察に向かうと思いきや、誠が車を走らせたのは山の上だった。

車が山頂に着いたとき、彼女の目に飛び込んできたのは、車の後部に縄で繋がれ、血まみれの姿で山道を何度も引きずられていた父の姿だった。

全身に痣と出血、口や耳からも血が流れ、地面に倒れた父は今にも息絶えそうだった。

駆け寄ろうとした星良を、誠はためらいなく縛り上げた。

彼の子を身ごもっていたにもかかわらず、自らの手で彼女を車で引きずり回したのだ。

足の間から流れた鮮血が、両脚を真っ赤に染め、立ち上がる力すら失われ、照りつける灼熱の太陽に目を開けることもできず、痛みに耐える心も、もうどこにも残っていなかった。

浴室の床に座り込んだ星良は、自分の首に回していた手を、ふと緩めた。

荒く息を吐きながら、星良は静かに笑い、涙を流した。

「……黒澤誠。今度こそ、絶対にあなたなんか選ばない」
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第1話
浴室の中。黒澤誠(くろさわ まこと)の手が、九条星良(くじょう せいら)の腰をがっちりと掴んでいた。白く滑らかな肌には、すぐさま五本の紅い痕がくっきりと残る。彼女がまるで反応しないのを見て、誠は苛立ちを露わにして身を寄せる。そしてそのまま、星良の肩に鋭い牙を立てた。誠の鋭い犬歯が容赦なく肌を貫き、皮膚を破る。血がじわりと口元に滲み、舌の裏に鉄の味が広がった。その突如として襲った激痛で、星良は目を見開いた。だが、目の前の人物の顔を見た瞬間、彼女の手が無意識に動き、誠の身体を思いきり突き飛ばした。壁にぶつかった誠は、驚いた表情で星良を睨みつける。その瞳の奥には、明確な凶悪の色が一瞬だけ走った。それを見た星良は思わず身を縮こませ、恐怖に駆られて震えた。「言われた通りにしたんだろう。半月は来ないって、そう言ったでしょ」それは確かに誠の声だった。けれど、その響きにはどこか、少年のような感触が混じっていた。星良は茫然と彼の裸の上半身を見つめ、次いで周囲に目を走らせる。暗く湿った地下室でもなければ、あの忌々しいネズミの鳴き声もない。まるで何かを思い出したかのように、星良は両手を勢いよく持ち上げた。そして、十本の指を確認する。――全部、ある。その事実を見た瞬間、彼女の瞳から涙が溢れ出す。誠は困惑の色を深めたまま、星良の様子をじっと見つめていた。返事がないままの彼女に、不安を拭えなかったのだろう。彼は表情を強張らせながら、そっとその手を彼女のうなじに伸ばす。けれど――「っやめて!!」怯えたように叫ぶと、星良は再び彼を突き飛ばす。誠の我慢の限界が、今、音を立てて崩れる。「寝たいって言ったのはお前だろ?触るなって言うのもお前。……一体何がしたいんだよ」その声音には、見下すような嘲りが滲んでいた。星良の服はすでに水で濡れそぼり、身体は小刻みに震えていた。彼女は必死に震える声を抑えながら、ぽつりと呟く。「……出てって……」その言葉に、誠は意外そうに彼女を一瞥する。しかしその刹那、スマホの着信音が鳴った。「誠!すぐ来て!紗耶が大変だぞ!」その声を聞くや否や、彼は一言も発せず浴室を飛び出して行った。扉を閉めることさえ忘れた。彼の気配が消えた瞬間、星良はその場に崩れ落ちた
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第2話
星良はよろめきながらバスルームから飛び出した。その顔は蒼白で、まるで大病から回復したばかりのように見えた。ふいに、部屋の奥から微かな振動音が響く。誠のサブ機。こんなところに置き忘れていくなんて、思ってもみなかった。ソファの上に落ちていたスマホを拾い、画面をスライドすると、ロック画面が立ち上がる。星良はためらうことなく、紗耶の誕生日を入力した。ビンゴ。ロックが解除され、そこには「99+」の未読メッセージが並んでいた。グループチャットの参加者は三十人。星良はその全員の顔と名前を知っていた。例外なく、全員がかつて雅信が支援し、育ててきた「英才」たちだった。つまり、外野が噂する「婿養子候補」たちだ。スクロールを上に進めていくと、誠がなぜあんなに慌てて出て行ったのか、その理由が見えてきた。紗耶がホテルでバイトしていた際に、客からセクハラを受けたという写真が、何者かによってリークされ、誤って社内グループに投稿されてしまったらしい。さらに画面を上へとスクロールしようとした、その時。突然、目に飛び込んできたのは、信じられない「スタンプ」。そこに映っていたのは、加工された星良の顔写真だった。鼻や目、口元が極端に引き伸ばされ、見るも無惨な化け物のように仕上げられていた。そのスタンプを投稿したのは、いつも誠のそばにいる狩野隼人(かのう はやと)だった。【なあ、これって星良が仕組んだんじゃね?】【まさか。誠が彼女の親父のコネ使って、紗耶を会社に入れたなんて、星良は知らないはずだろ】【まあ、あんなに誠のこと好きだぞ。絶対に尾行とかしてるって。紗耶のことも当然調べたさ。でなきゃ、あんなに紗耶を恨む女、他にいる?晒されても当然だろ、女にしては陰湿すぎるよ】【あいつがやったことに決まったろう?星良もあの親父も嫌いなんだよな〜。金持ちぶってさ、上から目線で人を使うだけ。俺たちを婿養子候補だとか思ってんの?マジで無理。犬でも飼っとけっての、あんな女誰が嫁にもらうかよ!】【はははははは!】グループチャットの中は、星良と雅信を侮辱するスタンプとメッセージで埋め尽くされていた。彼女の全身が、怒りで震えた。この中には、かつて飢えに瀕していた者もいた。病に倒れかけていた者もいた。九条家の支援がなければ、生き延
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第3話
星良は、あの一文を長いこと見つめていた。スマホの画面が自動で暗くなるまで、彼女の意識は過去の記憶に縛られたままだった。誠という男は、本当に手強い存在だった。笑わない。話さない。本を開けば、朝から晩までページをめくり続けるような男。初めて彼の誕生日を祝った日も、何の感動もなかった。彼女が用意したケーキは床に叩きつけられ、プレゼントは手のひらで無造作に払い落とされた。「誰がそんな安っぽい善意欲しがるんだ」と、冷たくそう言い残し、彼は去って行った。その日、星良は潰れたケーキの前で、長い時間泣いていた。誠の態度に傷ついたこともあるが、それ以上に、腫れた目で帰宅したときに父が誠を叱るのではと、それが怖かったのだ。夜も更け、家中が静まり返ったころ。誠は音もなく、そっと部屋に現れた。彼は自分の手で縫った小さなてるてる坊主を差し出し、星良を宥めた。そして不器用に打ち明ける。自分の両親は、誕生日を祝うために出かけて、交通事故に遭ったのだと。その日を境に、彼は一切誕生日を祝わなくなったのだと。それを知ったとき、星良は思った。誠は心を動かさないわけじゃない。ただ、時間がかかる人なんだ。少しずつ、少しずつ、氷のような心を溶かしていけば、いつかはきっと、自分の想いが届くはずだと信じていた。……けれど。その代償は、彼女にとってあまりにも大きすぎた。星良が九条グループの本社に入社したことを、誠はその場で初めて知った。オフィスで彼女を見た瞬間、彼の眉がぴくりと動き、あからさまに不快そうな表情を浮かべた。「……ここは遊びで来る場所じゃないぞ?」誠の目には、星良は華やかなだけのハリボテにしか見えていなかった。だが、彼女は決してそんな存在ではなかった。星良の視線は、最初から誠には向けられなかった。彼の隣に立つ、ひとりの女性に目を向ける。「……新人さん?」誠の顔に一瞬、戸惑いの色が浮かんだが、すぐにいつもの無表情へと戻る。「ただのインターンだ……用がないなら帰れ」その言い方からは、彼女が隣の女性に何か言わないか、内心で警戒している様子すら見て取れた。星良は小さく笑い、静かに言い放った。「ここ、九条家の会社なんだけど。どこに帰れって?」その瞬間、誠の顔がはっきりと曇った。
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第4話
「……放してっ!」叫ぶと同時に、手首から急に力が抜けた。赤く腫れ上がったその痕を見下ろしながら、星良はそれがまるで自分の腕ではないかのように感じていた。その頭上から、誠の氷のように冷たい声が降ってくる。「カメラマンはお前の大学の同級生だったな。これで何度目だ?お前は、俺の周りに女の影がちょっとでもあると気が済まないのか?言ったはずだ。結婚するには、半月だけ――俺だけの時間が必要だって。それが無理なら、この話は終わりだ」言い終わると同時に、外から女性のすすり泣く声が微かに聞こえた。誠はそのまま星良を乱暴に突き飛ばし、振り返ることもなく部屋を出ていった。突然バランスを崩した星良の足首が、高いヒールに耐えきれずくじける。扉が開かれた瞬間、彼女の目に映ったのは、隅で小さく身体を縮め、泣いていた紗耶の姿だった。その周りには、彼女をかばうように立ちはだかる三人の男たち。狩野隼人、狩野翔馬(かのう しょうま)、そして南條悠人(なんじょう ゆうと)。彼女が姿を現すと、男たちは反射的に紗耶を庇うようにしてその身を囲んだ。それを見た星良は、ただ滑稽に思えた。彼らの誰もが、かつては父の援助で育ってきたはずだった。それなのに、今は揃って星良の「敵」になっていた。そうか、前世で誠が九条家を掌握するのにあれほど手際がよかったのも、彼らの協力があったからだ。悠人が、重くなった空気を和らげようと前に出る。「この子は俺が養護施設時代に妹分として世話してた子でな。誠は彼女が生活に困ってるって知って、特例でインターンとして受け入れたんだ。悪いのは俺さ、誠を責めないでくれ」星良は、その言葉には答えず、ただ遠くから誠を見つめた。その口元には、乾いた皮肉が浮かぶ。「……あなたの妹?それで、誠は納得したの?」吐き捨てるようにその一言を残し、踵を返そうとした瞬間。再び、彼女の手首が強く掴まれた。「っ……!」思わず漏れた苦痛の息に、誠は眉をしかめ、掴む力を少し緩める。それでも、彼女を逃がすつもりはないようだった。「まだ謝ってもらってない」星良の心の奥が、氷のように冷えた。腫れた手首の痛みなど、もはやどうでもよかった。彼女は全身の力を振り絞り、誠の手を振り払う。「私じゃないのに……なんで謝らなきゃいけないの
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第5話
星良が九条グループに入社してから一週間後、ちょうど会社の忘年会が開催された。狩野兄弟と悠人の三人組は、早々に会場に姿を見せていた。星良が現れるや否や、彼らはまるで待っていたかのように取り囲んできた。気の短い隼人が、真っ先に口を開く。「誠が言ってたよな?半月だけ時間くれたら、必ずお前と結婚するって。それなのに、なんで会社までついてくるんだよ?」翔馬も眉間にしわを寄せながら続ける。「前は会社のことなんか一切口出さなかったのに、最近は事あるたびに誠とぶつかってる。結局、誠の気を引きたいだけなんだろ?」星良は無表情のまま、誰一人として目を合わせようとしなかった。「私がここに来たのは、彼のためじゃない。結婚だって……」「はいはい、もういいって。俺たちが知らないとでも?お前が誠と結婚したくて、どれだけ必死か、見てりゃわかるよ」隼人が吐き捨てるように彼女の言葉を遮る。星良は鼻で笑い、それ以上何も言わず、婚約者がすでに変わっていることも伝えなかった。目の前をふさぐ隼人を軽く突き飛ばし、そのまま前へ進んでいく。背後では三人が意味ありげな視線を交わしていた。パーティーの終盤、星良は雅信の代理として壇上でスピーチを行っていた。ところが突然、舞台中央のスクリーンが一瞬真っ暗になったかと思えば、わずか二秒後、画面が再び点灯。星良がまだ事態を把握しきれないうちに、会場の空気が一変した。ざわめきが波のように広がり、場内が騒然となる。彼女は戸惑いのまま、大スクリーンに視線を向けた。その瞬間、頭のてっぺんから血の気が引き、全身がわななく。声を出そうにも、喉が張りついたように一言も出てこなかった。本来映し出されるはずのプレゼン資料ではなく、そこには彼女のプライベート写真が、大写しになっていた。「すぐにスクリーンを切って!」秘書が中継室に向かって叫ぶも、パソコンはまるでウイルスに感染したように言うことを聞かず、99枚のプライベート写真が次々と表示され続けた。星良は震える唇を噛みしめながら、観客席の中心に座るあの男を見つめた。周囲の騒がしさとは裏腹に、誠だけは冷静に星良を見つめ返していた。あのとき、誠がグループチャットで放った言葉が脳裏をよぎる。【もし本当にあいつなら、絶対に代償を払わせてやる】……これ
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第6話
星良は警察に通報した。今回の件に関わった関係者は、紗耶も含めて全員が事情聴取のために連行された。彼女はオフィスで結果を待っていた。すると突然、ドアが勢いよく開かれる。星良は無表情で「来客」を睨んでいた。隼人がふてぶてしい態度で入ってきた。彼は一枚の和解契約書を星良の目の前にドンと突き出した。「誠は今、お前に会う気ないってさ。だから俺が届けに来ただけ」書類に目を落とした星良は、鼻で笑った。やっぱり、こんなもんだ。だが隼人はそれでは終わらない。「なあ、女ってさ。俺ら男が一番嫌うの、どんなタイプだと思う?」星良は答えず、彼を見据えたまま黙っている。隼人は彼女を嘲るように全身を眺めて、不快な笑みを浮かべた。「押しかけてくる女なんだよ。だからさ、大人しくしてろ。誠には半月だけ自由な時間をやるって約束したろ?それを守れって言ってんだよ」そう言って、彼は立ち上がりながら袖を軽く払う。「忠告しとくけどな。たとえ結婚できたって、誠はお前のことなんか眼中にねえよ」星良の視線は、まるでどうしようもないバカを見ているかのように冷ややかだった。彼女はもう誠に嫁ぐつもりなんてない。それに、彼がどう見ていようと興味もない。だが隼人にそんなことが理解できるはずもない。彼は小さい頃から強い人に憧れるタイプで、誠のことをまるでヒーローみたいに思っていた。誠が九条家に屈しない姿を見て、自分も同じように振る舞っているつもりなのだ。だが、よく考えればすぐわかる。もし九条家の支援がなかったら、隼人も翔真も、あの酒浸りの父親に殴り殺されてただろうに。退室間際、隼人の目がふと机の上に置かれた一輪のバラに留まる。そして次の瞬間、彼は声を抑えきれずに吹き出した。星良は無言のまま和解契約書を睨み、拳をぎゅっと握りしめた。――諦めるものですか。ちょうどそのとき、秘書が入ってきた。星良はちょうど電話を切ったところだった。「新しく入ってきたインターン、すごいですよ。誰か大金持ちにでも狙われてるのか、机の上に置けないほどのバラの花束が届いたんです。……あら、これも同じ種類の花ですよね?お嬢様のところにも一輪ありますけど、この花お好きなんですか?よかったら、同じ花束をご用意しましょうか?」星良は無表情のまま、手を伸ばしてそのバ
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第7話
あの日以来、誠は九条家の邸宅から出ていき、星良の電話番号もブロックした。当然、狩野兄弟と悠人も彼の後を追った。執事は不思議そうな顔で星良を見つめた。「お嬢様……旦那様にご報告いたしますか?」星良は手の中のグラスを軽く揺らしながら、静かに答えた。「いいえ。どうせいつかは追い出すものよ。自分から出ていってくれた方が、よっぽど楽だわ」執事はその意味を汲みかねたようだが、星良はそれ以上何も言わず、淡く微笑んだだけだった。彼らが置いていった私物については、すべて梱包してそれぞれの住所へ送り届けるよう指示を出した。執事は頷いたものの、どこか様子が変わった星良を見て、一瞬言いかけて口をつぐんだ。「お嬢様、酒は身体に毒です。最近、少し飲みすぎでは……」星良は答えなかった。ただ、寝室の扉が閉まると同時に、頬を涙がつたっていった。体に悪いと分からないはずがない。ただ、心が痛んでいたのだ。星良は、自分自身が情けなかった。そして、前世で生まれることすら叶わなかった小さな命のことを思い、胸が張り裂けそうになっていた。紗耶が亡くなった後、誠は狂ったように星良に当たり散らした。まるで全ての怒りと苦しみを、彼女一人にぶつけるかのように。彼は星良の痛みなど省みることなく、欲望のままに彼女を抱き、終わるとすぐに立ち去った。そのたびに星良は、燃えるような痛みに必死で耐えながら、自分で薬を塗っていた。そして、子供ができたと知ったとき。彼女は毎日、心の底からこの子が無事に産むように望んだ。だが、希望に満ちていたその瞬間、誠は星良を奈落の底へ突き落としたのだった。彼女は、山中で命を落とすことはなかった。いや、誠にわざと生かされた。彼は星良を地下室に閉じ込め、下半身の汚れの中には、彼女の赤ん坊がいた。星良はネズミやゴキブリに囲まれたまま生かされ、足をかじられ、何度も絶望の淵に追いやった。やがて、息をする力すら残されていなかった……その日も、星良は深夜まで残業して、ようやく屋敷に戻ってきた。疲れ切った身体を引きずるようにして身支度を済ませると、すぐにベッドに倒れ込む。その夜の九条邸が、いつになく静まり返っていることには、まったく気づかなかった。次に目を覚ましたとき、星良は地下の倉庫に連れて来られていた。
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第8話
「そうだよ。お前、どうしたいわけ?あれだけ言ってたじゃん。『熱湯ぶっかけるくらいじゃ生ぬるい、あいつの傲慢さとプライド、根こそぎ潰してやる』ってさ」「そうそう、舞台だって完璧だったのにさ。本気でやるつもりなんてなかったんだ。ただちょっとビビらせるだけで良かったのに、あの星良の怯えた顔、動画で見ただろ?あんなの初めてだよ。マジでスッとした!」「まさか後悔してた?お前、星良に情が移ったとか言わないよな?紗耶があれだけの目に遭ったの、もう忘れたのかよ?」壁にもたれたまま、誠は手にした煙草の灰を落とす。目はどこか陰りを帯び、声にも力がなかった。「後悔なんてしてないし、情もない。ただ……ちょっとやり過ぎたかもしれないとは思った。星良の親父は、海外に行ってるだけで、死んだわけじゃない」「安心しろって。もうあの親父とは連絡取れねぇから」壁越しの会話に、星良は拳を握りしめた。全身が小刻みに震えている。胸の奥から湧き上がる冷たい怒りを、必死に抑えていた。すぐにスマホを取り出し、父の番号を押す。応答は、ない。まさか、誠が紗耶のために、ここまで卑劣な真似をするなんて、思いもしなかった。彼は、自分の性格を一番よく知っていた人だった。その理解が、いまや刃となって、彼女の胸を深く貫いていた。足が震えて、まともに立っていられない。物音が聞こえた瞬間、星良はよろめきながらベッドに戻り、意識を失ったふりをした。やがてドアが開く音がして、入ってきたのは誠だった。ベッドのそばに腰を下ろし、黙って星良のかすかな寝息に耳を澄ませる。病み上がりのように蒼白なその顔を見つめながら、誠の瞳には複雑な色がにじんでいた。「お前が先に紗耶を傷つけたんだ。俺を責めるな……これ以上あいつに手を出さないなら、お前の欲しいものは全部やる」立ち上がると、誠は部屋を出ていった。星良はそっと目を開けた。欲しいものって……?――なら、今すぐ死ね。狩野兄弟も、悠人も、みんな揃って地獄に堕ちてしまえばいい。星良は浴室に入り、冷水を何度も浴びた。数時間後。震える体を拭きながら、電話を取る。「お嬢様、あと少しで整います」彼女は固く目を閉じ、凍りついた唇は紫に染まり、不気味なほどだった。胸の奥に渦巻く憎しみは、抑えきれずどんどん膨れ上がっていく。
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第9話
星良は会場の隅に立ち、次々と到着する招待客を眺めていた。「ねえ、あの女と黒澤副社長って、どういう関係なの?誕生日パーティーに彼が自ら招待してくるなんて、ちょっと普通じゃないよね?」「関係なんてどうでもいいでしょ。九条家には跡取りの息子がいないし、星良お嬢さんは一人娘でしょ?しかも黒澤さんのことが大好きって、東都じゃ有名な話よ。いずれ九条家は黒澤家になるんだから、今のうちに黒澤さんに取り入った方が得よ。まさか、星良お嬢さんに媚び売るつもりってわけじゃないよね?」「まあ、そうかもしれないけどさ……でも黒澤さんが、他の女のためにあんな派手に誕生日パーティー開いてるって、星良お嬢さんは知ってるのかな?」「知ってたって関係ないわよ。あのお嬢さん、何年も黒澤さんを追いかけてきたんでしょ?黒澤さんがちょっと眉をひそめただけで、何もかも差し出すのよ。そのうち九条家は完全に掌握されるわよ。見てみなさい、あの女の身に着けてる物、全部高級品じゃない?黒澤さん、相当貢いでるわね!」会場は人であふれ、星良と約束していた取引相手まで顔を出していた。星良は怒りに震えながらも、九条家の面子を守るためにそれを表には出さず、気づかれないよう二階へと上がっていった。本来は誠を問い詰めるつもりだったが、先に現れたのは紗耶だった。星良を見ても、紗耶の表情には怯えもなく、むしろ勝ち誇ったような余裕が漂っていた。星良はソファに腰を下ろし、冷ややかに彼女を見据える。その指先ではスマホの画面が静かに滑っていた。紗耶は、星良が怒りに任せて手を出してくると思っていた。だが、星良は動かなかった。そのことに、紗耶はほんの一瞬だけ、失望の色を見せた。そして、耳元のイヤリングを外し、それを星良の目の前に投げ捨てる。「ほんの一言、誠さんに欲しいって言っただけで、あの人、すぐ持ってきてくれたの。わざわざ取りに来たんでしょ?ほら、返すわ。そういえば、あの浮浪者のサービス、どうだった?気に入った?もし物足りなかったら、もっとヤバいの探してあげるわよ?あーあ、現場に立ち会えなかったのが唯一の心残りね。本当は、誠さんはあんたを地下室に閉じ込めて、ちょっと怖い目に遭わせるだけのつもりだったの。でもね、それじゃ足りないと思って、その男に『依頼』したの。あんな綺麗な身体、使わないと
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第10話
「……何だって?」「どういうこと?」スクリーンの前で、狩野兄弟と悠人の三人が一斉に誠を見つめた。誠の顔には、驚愕と困惑しか浮かび、その他の感情は押し殺されたかのように沈黙していた。彼の手にはワイングラス。しかし、握りしめる手の力が強まっていく。パキン!甲高い音と共に、ガラスが彼の手の中で砕けた。ちょうどその瞬間、ワインを持って部屋に入ってきた紗耶は、その場で固まった。口元の笑みが、氷のように止まる。室内のあちこちからスマホのバイブ音が響き始めた。グループチャットの通知が止まらない。千を超えるメッセージが次々と流れ込み、画面は高速で更新されていく。【何があったの?誠って内定してたんじゃないの?】【星良が誠を選ばなかった!?嘘でしょ?】【ありえない!こんな展開、誰が予想できたっていうのよ!】【いや、でも……冷静に考えたら、筋は通ってるよな。相手は御影家だし。九条家と釣り合うなら、向こうが本命でもおかしくない。俺たちみたいな『婿養子候補』じゃ、御影蒼介には敵わないさ】グループチャットでは疑問の声もあれば、自嘲する者もいた。誠はもうじっとしていられず、突然立ち上がった。「誠さん、どこに行くの?」紗耶が慌てて袖をつかもうとするが、「触るな!」怒声が響く。その場に凍りついた紗耶の手が、虚しく空を掴んだ。気がつけば、誠の姿はもうそこになかった。慌てて隼人たちも後を追う。一方、会場内。当初は九条家に関するスキャンダルを報じるつもりだった記者たちだったが、予想外の大スクープに思わず色めき立った。御影家と九条家。東都でもっとも注目を集める二大名家が縁組を結ぶなんて、そんなビッグニュースの前では、あの数枚の写真や動画なんて誰も気にしない。そもそも、あの情報を送りつけてきた人物は「九条星良本人だ」と断言しただけで、記者たちは裏付けすら取っていなかった。だが、相手はあの御影家だ。たとえ事実だったとしても、御影家の将来の孫嫁のスキャンダルなんて、命知らずでもなければ書けるはずがない。記者たちは一斉に態度を変え、マイクの角度さえもそっとずらした。「御影さん、国境なき医師団に参加して、海外で活動されていたと伺いましたが、今回の帰国はご結婚のためでしょうか?」「御影さん、挙
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